ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

大阪市(住吉区)

大阪最古の文庫「御文庫」(住吉大社)

3月18日、住吉大社で「御文庫」と呼ばれている「大阪最古の文庫」
を見つけました。
この文庫の中には江戸時代から明治6年までの間、大阪や、京都
、江戸の書物商が書物の成功を祈念して住吉大社に奉納したもの
で貴重な本が約数万点保管されているそうです。

大阪最古の文庫「御文庫」:住吉大社境内

2016,03,18 撮影



御文庫(おぶんこ)と呼ばれるこの土蔵造りの建物は享保八(1723)年
、書物を収める目的で創建された。施主は大坂を中心に京・江戸の書
籍商たちである。この年、大坂の書籍商は排他的同業組合である株仲
間の結成を公許されている。これを機に仲間の店が上梓した書籍の成
功を祈念して住吉神前に奉納した。それ以降、明治六(1873)年の株仲
間廃止まで、わずかな中断はあったものの奉納された書物は膨大な数
に上る。和書漢籍・洋装本を併せると一万点以上、数万冊に及び、研究
者も注目する貴重書も多い。

上梓(じょうし):書物を出版すること。

生根神社(住吉区)

生根神社を最後に参拝して住吉区の神社めぐりを完結することが
出来ました。
場所は住吉大社の北側すぐそばにありました。

由緒:神社ホームページより
当社の創立時期は不明であるが、延喜式神名帳(西暦927年)に官
幣大社として記録されており、古来より有力な神社であった。
特に豊臣時代には、豊臣秀吉の側室淀殿の崇敬社として、片桐且元
が奉行となり現在の御本殿が寄進されている。(大阪府重要文化財)
当社は古くから住吉郷の郷社であったが、江戸期に神宮寺とともに住
吉大社の管理となり、明治5年に再び郷社に戻り現在は大阪市住吉区
と住之江区に連なる地域の氏神様として多くの氏子崇敬者から信仰さ
れている。
また、別名「奥の天神」(奥天社)は住吉大社の奥の天満宮を称したとも
、沖の天津神(少彦名命)から出た名称ともいわれている。さらに古伝に
よれば、少彦名命は造酒の祖神であり神功皇后も当社で酒を造り、住吉
三神に献ぜられたといわれている。

生根(いくね)神社 別名 奥の天神 :住吉区住吉2丁目3-15



2016,03,18 撮影




3月24日:21211歩

止止呂岐比賣命神社(住吉区)

住吉区の神社めぐり、5社目に参拝したのは、止止呂岐比賣命神社
です。
神社の由緒書きによると、創建年代は不明ですが、西暦805年制定
の神社神名帳に、当神社の名前が、みられます、神社名の由来は、
当時、境内松林の中に清らかな清水が湧く轟池にトドロキ橋が架かっ
ており、神社名になりました。
また承久三年、後鳥羽上皇は行幸のおり、当神社境内地内に、行宮
をお築きになったことにより、若松神社又は若松宮と称し氏子の方々
より「若松さん」としたしまれ氏神様として崇め奉られております。

止止呂岐比賣命(とどろきひめのみこと)神社:
 別名:若松宮      大阪府大阪市住吉区沢之町1-10-4

住吉区の神社めぐり5社目、残り1社

2016,03,18 撮影



別名「若松宮」の入った絵馬(絵が描かれた木の板)

浅沢神社(住吉区)

住吉区の神社めぐりで4社目に参拝した浅沢神社は住吉大社の
境外末社で昔は、奈良の猿沢、京都の大沢と並ぶ名勝であった
事が説明板に書いてありました。
また美しく咲き乱れる杜若(かきつばた)の花が万葉集にも詠ま
れています。

浅沢神社:住吉区上住吉2丁目11-21 住吉大社の北東すぐ

住吉区の神社めぐり4社目、残り2社









3月23日:14778歩

神須牟地神社(住吉区長居西)

3月18日の住吉区の神社めぐりで3社目に参拝したのは神須牟地
(かみすむじ)神社です。

神須牟地(かみすむじ)神社:住吉区長居西2丁目1-4

住吉区の神社めぐり3社目、残り3社

2016,03,18 撮影


由緒書きによると、創建は古く今から2千年前で以前は「三の宮」
と呼ばれていたそうです、「三の宮」と呼ばれた理由は住吉大社
が「一の宮」という事は分りましたが、「二の宮」がどこかはわかり
ませんでした。

地名 庭井の由来 「庭井の泉跡碑」

住吉区の神社めぐりで参拝した大依羅(おおよさみ)神社の境内で住
吉区の地名「庭井」の由来になった「庭井の泉跡碑」がありました。

大依羅神社の鎮座地である住吉郡庭井村(現・住吉区庭井など)の名の
由来とされます。

 「庭井の泉跡碑」:住吉区 大依羅(おおよさみ)神社の境内

2016,03,18 撮影

説明文によると昔、此処に湧いていた泉は豊潤で水質が清冽だったの
で、村人が庭井と呼んだことから、村の名前になったことが書かれてい
ます


3月22日:29872歩

大依羅神社(住吉区)

3月18日、住吉区の神社めぐりで2社目に参拝した神社は難しい
読み方で「大依羅神社」「おおよさみじんじゃ」と読みます。
住吉区では住吉大社に次ぐ格式の高い神社です。

社伝によれば、神功皇后の三韓征伐の際、依羅吾彦男垂見が住吉
三神と祖先の建豊波豆羅和気王に戦勝を祈り、帰国後は、依羅吾
彦の一族が神主となったという。大依羅神社の名前は古事記・日本
書紀にも見え、古代には一帯に広大な神領を有していた。附近の「
我孫子」の地名は依羅吾彦(よさみあびこ)に因むものである。朝廷
からの崇敬を受け、摂津国内では住吉大社に次ぐ扱いを受けていた
。 延喜式神名帳では祈年、月次、神嘗、相嘗の各祭に幣帛を受ける
神社として記載されている
。南北朝時代に依羅氏が衰微し、社殿も焼
失して社勢が衰えた。 フリー百科より

大依羅(おおよさみ)神社:大阪市住吉区庭井2丁目18-16

3月18日の住吉区神社めぐり2社目、残り4社


神社のすぐ南側には大和川が流れています。

保利の由来「保利神社」(住吉区)

3月18日の住吉区神社めぐりウォーキングはJR阪和線「南田辺駅」からスタート
して、大阪国際女子マラソンでテレビでよく見る長居公園の景色を見ながら長
居東の保利神社を最初に全6社ある住吉区の神社を参拝することが出来
ました。
最初に参拝した保利神社を紹介します。
由緒書きによると、神社名が何度も変わっています。
牛頭天王社→素盞嗚尊神社→祇園神社→保利神社


保利神社:大阪市住吉区長居東1丁目14-17

3月18日の住吉区神社めぐり1社目、残り5社

2016,03,18 撮影


PIC_0665

由緒 当神社創建の年代は不詳である。
里伝によれば、足利時代に周防守某なるものが本地に城を築いたとき、城
の守護神として勧請されたといわれている。
従前、速素盞嗚尊を祀り、牛頭天王社と称していたが、明治5年(1872年)
、村社に列し素盞嗚尊神社と改称された。
明治40年(1907年)12月5日に、大字前保利村字吉山の村社である吉山
神社(御祭神は大巳貴命)を合祀して、祇園神社と改めた。
明治42年(1909年)10月に神饌幣帛料共進社に指定されたのち、 明治
44年(1911年)4月21日、邑名を万葉仮名で表記した保利神社に改称され
た。
氏子・崇敬者の浄財により、平成10年3月に本殿・幣殿・拝殿が、新しく建て
替えられて現在に至っている。


邑名(むらめい): この地域の昔の地名が堀村であり、「堀」を「保利」
            と表記した。   
    



3月21日:12907歩

立浪部屋稽古場(住吉大社)

昨日は大阪市住吉区の神社めぐりをしました。
住吉区は全部で7社ありましたが、住吉大社は2014年2月1日に
参拝しているので残り6社を全て参拝することが出来ました。
6社を参拝し終わって、帰り道で住吉大社の中を何か見落として
いないかと探索しているとき、立浪部屋の稽古場を見つけました
丁度いま大相撲春場所が大阪で行われているので、臨時の稽古
場が住吉大社の中に設置されていたのです。
稽古をしているところは見ることが出来ませんでしたが、土俵を見
る事ができました。

立浪部屋稽古場(住吉大社内)



2016,03,18 撮影




3月19日:14706歩

願いが叶う「おもかる石(大歳神社)」

住吉大社の境内社(大歳神社)にある「おいとしぼし社」には「おも
かる石」があります、三つありますが、どれか一つを選び、その重さ
を願い事を唱えながら覚えて置いて、石を置き、その後もう一度石
を持ち上げて軽く感じたら願い事が叶うそうです。

大歳神社内にある「おいとしぼし社」

おもかる石は三つあります

説明文が少し欠けましたが全体の意味は分かると思います

ちなみに、私は軽く感じました。

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