ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

豊中市(大阪府)

市軸稲荷神社(豊中市)

12月16日、豊中市の神社全てを参拝し終えたつもりが、市軸稲荷神社
という神社をまだ参拝していないことが後日分り、12月20日のウォーキング
の場所を豊中市と決めて阪急曽根駅で下車して豊中市内を歩きました。

神社の由来は,大正15年伏見稲荷の御分霊を勧請し,刀根山の地主神
である市軸大神と合わせてお祀りしたのが始まりである.
その後は、霊験顕著によりて参拝の信者多く,『市軸稲荷』として親しまれ
ている.特に,難病平癒・商売繁盛・狐狸憑祓で其の名高し.

末社の「与吉大神」は狸の神様.一願成就の神様として名高い.
                                神社ホームペジより

市軸(いちじく)稲荷神社:豊中市刀根山2丁目2-33

豊中市の神社巡り完結(全18社)

2016,12,20  09:47  AM







[旧能勢街道・刀根山御坊 ]道標(豊中市)

豊中市神社巡りで最後の神社、刀根山の市軸稲荷神社に向かう
途中で昔の道標(みちしるべ)を二つ見つけました。
そこには豊中市教育委員会の説明板があり、「旧能勢街道」と「
刀根山御坊」の道標でした。
ナビ等のない時代、昔の人はこの道標を頼りに歩いたのですね。

道標二つ、「旧能勢街道」と「刀根山御坊」:豊中市刀根山元町1

道標の石碑は三方向に文字が刻まれています。





2016,12,20  09:28 AM




旧能勢街道の道標
 左側に立つ小さな道標は池田や能勢妙遷宮への参詣道を案内する
 もので、寛政五年(1793年)、道行く人々に茶をふるまう茶所講の人
 が建てました、上町がどこを指すかは分かっていません。刀根山越え
 は旧能勢街道の難所の一つであり、明治27年(1894年)には、現在
 の本町 から蛍池方面へと迂回する新道が開発されました。    
刀根山御坊への道標
 刀根山御坊は、本願寺三世覚如の長男存覚が豊島庄(石橋付近)に
 建てた 一寺をのちに刀根山に移し常楽寺と称したものです、この道
 標は大阪長柄(淀川区)の住人が建立したもので、建立年の丙申は天
 保7年(1836年)と推定されています。
            平成24年(2012年)3月 豊中市教育委員会

高校野球発祥の地(豊中市)

12月20日の豊中市内ウォーキングは原田城跡見学後、阪急豊中駅
の西500mの所にある「高校野球発祥の地」(豊中グランド跡)を探
して見つけました。

今は甲子園球場で高校野球が開催されていますが、第一回夏の
全国中等学校優勝野球大会は大正4年(1915)豊中グランドで行わ
れ全国代表10校が参加して京都二中が優勝しました。
第二回は大正5年に代表12校が参加して、慶応義塾普通部が優勝
しました、第3回から西宮鳴尾球場で開催されました。

ちなみに、第一回春の全国選抜中等学校野球大会は大正24年(
1924)名古屋の山本球場で開催されました。

   1915年(大正4年)~ 1916年 豊中球場
   1917年(大正6年) ~ 1923年 鳴尾球場(鳴尾競馬場敷地内)

   1924年(大正13年)~ 現在 阪神甲子園球場
 
高校野球発祥の地:大阪府豊中市玉井町3丁目3-1





2016,12,20  08:27 AM



                                豊中グラウンドの沿革          
右側の社告は, 大正4年(1915), 第1回全国中等学校優勝野球大会を豊中
グラウンドで開催するにあたって大阪朝日新聞に掲載された社告である。
 中央部のブロンズレリーフは当時の朝日新聞社村山龍平社長の始球式姿
で, まさに歴史的な第1球といえる。
 村山龍平翁は「青少年を育てるスポーツとしての野球を」という立場から大
会開催を決断した。これが今日の高校野球の精神として受け継がれている。
 大会は8月18日から25日まで全国からの代表10校が参加して開かれ, 優
勝は京都ニ中が手にした。
 第2回大会は12校が参加して大正5年8月16日から20日まで開かれ慶応義
塾普通部が優勝した。
 翌年の第3回大会から舞台は西宮の鳴尾球場に移ったが, 豊中グラウンド
は野球史上に大きな足跡を残した。
 この豊中グラウンドには大正2年(1913)5月1日, 綿畑などであった140M四
方, 面積19600平方Mの土地に箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)によっ
て建設された。
周囲は高さ1M余の赤レンガ塀で, 木製の観覧席のほかに応援団席もあり最
高の施設だった。
 その後住宅地として分譲され, このメモリアル パークは当時のグラウンドの
正門前である。  豊中で始まった全国中等学校優勝野球大会昭和13年(
1948)の第30回大会から全国高等学校野球選手権大会と改称され, 歴史を
重ねて今年70回大会を迎えた。
 これを記念してメモリアルパークを建設し「高校野球発祥の地」として永く保
存するものである。  昭和65年(1988)8月1日
                                                          日本高等学校野球連盟
                                                          朝日新聞社・豊中市


12月29日:26750歩

原田城跡(豊中市曽根西)

12月16日に豊中市の全ての神社巡りを終えていましたが、その後調べたら
大阪府神社庁の神社一覧表には載っていませんが、市軸稲荷神社という
神社があることが分り、それだけで豊中に行くことはしないで、今度、大阪に
行く用事が出来た時に行こうと決めていましたが、12月20日、梅田の阪神
百貨店で「司馬遼太郎展」か開催されていることが分り、朝早く家を出て、市
軸稲荷神社を参拝してから行くとこに決めたのです。

せっかく豊中市まで行くので市軸稲荷神社のみを参拝するのでは、もったい
ないので、調べたら、その近くに「原田城跡」と「高校野球発祥の地」がある事
が分り、見学してきました。

最初に阪急曽根駅で下車し原田城跡を探して見学しました。
阪急宝塚線曽根駅の西方500メートルにあり、敷地は中世の土豪原田氏の居
城の跡地で、昭和12年(1937)に住友系の役員であった羽室廣一氏が土地を
購入し普請したもので羽室家住宅として豊中市の文化財に指定されています。



原田しろあと館(原田城跡・羽室家住宅):豊中市曽根西町4丁目4-15





                        記念物(史跡) 原田城跡
原田城の造られた年代は明らかではありませんが、室町時代末期に書かれ
た「足利季世記」によれば、天文10(1541)年11月に管領細川晴元の家臣木
沢長政が原田城を攻めたとの記述がミられ、少なくとも16世紀初め頃には築
かれていたものと考えられています。
 原田城には、主城の北城と南城の2城があり。この場所は北城が築かれて
いたところで、当時は東西90間(約160m)、南北180間(約320m)の規模を有
し、現在は残っておりませんが堀もあったと言われています。また、南城はここ
から南東約300mのところにあったと言われています。
 当時は群雄割拠の戦国の世で各地で合戦がおこなわれ、この原田城も多く
史実のなかにその名がみられます。
 天文16(1547)年には城主は不明(「摂津誌」によれば三好日向守)ですが、
細川晴元勢3万騎の攻撃によって陥落しています。また、天正6(1578)年には
織田信長による伊丹有岡城にたてこもる荒木村重討伐のさい、この原田城は
信長軍の付城として信長支配下の武士が在番していました。 
                                                                                豊中市教育委員会

2016,12,20  07:37 AM

原田城跡の入場時間は、土曜日、日曜日の12時半から3時半です。

私は行ったのは火曜日で開放されていませんでした。

春日神社(豊中市宮山町)

12月16日、豊中市神社巡りウォーキングで最後の6社目に春日神社
を参拝し、現在分っている豊中市の神社、17社全てを参拝し終え
ました。(大阪府神社庁登録14社、登録されていない神社3社)

16日はバンドネオンの演奏リサイタル観賞のためザ・シンホニーホールに行く
ことになり、急遽、豊中市行きを決めた神社巡りも終わって、時計
を見るとまだ午後1時30分、演奏開始の午後7時まで5時間半あり
、歩いてJR大阪駅まで戻るには充分時間があり、当初、阪急豊中
駅から梅田に戻る予定を変更して、JR大阪駅まで歩きました。

春日神社:豊中市宮山町1丁目10-1



2016,12,16  01:16 PM



              春日神社由緒
創建年代は不詳であるが、旧桜井谷村の地を領き坐す恵み深い神
として、親しまれています。伝記によると、仁明天皇の承和2年(835)
に社殿の修繕をなし、延元3年(1338)兵火に罹り消失、その後、仮
殿に神霊を奉斎し文明15年(1483)社殿を再建しました。
社殿は壮観を極めたが、永正6年(1509)に足利義稙に従来の社殿
152石を半減せられ、世間が戦乱の世に移るにつれて荒廃に傾きま
した。
織田信長の伊丹城主荒木村重を討つ際社殿焼失したが、一時四方
に離散した氏子が相謀り、天正6年(1578)、僅かに仮殿を造って、
神霊を奉斎しました。
後、安部摂津守の領地となりその陣屋は、境外地近くに設けられ、
当社再建に着手し、慶安3年(1650年)9月12日に遷座し奉り、現在
に至っております。

マンホール蓋「マチカネくん」(阪大豊中キャンパス)

12月16日豊中市神社巡りウォーキングで最後6社目の宮山町の春日神社に
向かって歩いていたら、モノレール芝原駅付近の阪大豊中キャンパス前で、ワニ
の絵があるマンホールの蓋を見つけました。
ワニの絵の経緯は、昭和39年に大阪大学豊中キャンパス(待兼山町)で発見
された約45万年前の大きなワニの化石が発見されたので、豊中市制50周
年のシンボルキャラクターとして誕生したのが「マチカネくん」です。
そして平成23年(2011年)豊中市制75周年を迎えたのを機に、マンホールの
蓋として登場しました。

モノレール芝原駅

阪大豊中キャンパス芝原口

マンホール蓋 「カチカネくん」



12月28日:18598歩


豊中稲荷神社(豊中市本町)

12月16日、豊中市神社巡りで5社目に参拝した豊中稲荷神社は通称
で正式名は「稲荷神社」です。

当社は、行基によって建立された金寺(かなでら)の鎮守社として創建
されたと社伝にある。 しかし当社が鎮座する宮山丘陵は、新免宮山古
墳群もあったように、古代より祭祀が行われた聖地であった。 天正6年
(1578)織田信長は、伊丹城主荒木村重を攻略する際、高山右近に命
じ近郷悉く焼き払い、 当社もその災厄にあった。その後、人心落ち着い
た慶安4年(1651)社殿を再建し、神璽を奉安した。 そして昭和45年(
1970)再建320年を機に社殿等を一新し、「北摂のおいなりさん」と謳わ
れる御社となった。 豊中稲荷神社ホームページより



豊中稲荷神社(豊中市本町)





大石塚古墳・小石塚古墳(豊中市)

阪急岡町駅を挟んで東に原田神社、西に「大石塚古墳・小石塚古墳」
があります。

阪急岡町駅


大石塚古墳・小石塚古墳(豊中市)

         国指定 史跡 大石塚古墳 小石塚古墳
                             昭和31年5月15日指定
南の大石塚と北の小石塚とはいずれも前方後円墳で、それぞれの主軸
をほぼ南北の一直線上におき、相近接して営まれています。これらはそ
の市的関係によって北石塚、南石塚とも俗称されています、その所在地
一帯は現在のように住宅地となるまでは原田神社の社地で、この両墳を
中心に今は失われた御位塚古墳その他多くの古墳が築かれた山林の一
角でしあたが今は主墳であった両墳をのこすのみとなったものです。
大石塚古墳は復元長径約90m、後円部推定48m、同現在高6m、前方部
現在高2.8mを測るものですが、故石塚古墳はその名のようにやや小規
模で、崩れが著しいため昭和55年に国・府の補助により現形に修復保存
の工事を行ったものです、大石塚古墳は本給に河原石を葺石に用い、石
塚の呼称の起こりを示唆しています。
また円筒埴輪をめぐらし周濠を有しておりましたが、現在その周濠は大石
塚古墳前方部東側に周濠跡が確認されています。
両墳はその形式からみて、ともに古墳時代前期末の栄造と認められます、
この大石塚小石塚古墳を含む36塚と呼ばれた桜塚古墳群は、大阪府北
部における最大のものであって、この地域にこの古墳群の存在したことは
古代におけるその重要性を明証するものです。
               文化庁 大阪府教育委員会 豊中市教育委員会

大石塚古墳

小石塚古墳

2016,12,16  10:19 AM



12月27日:21273歩

府社 原田神社(豊中市)

12月16日の豊中市神社巡りウォーキングで4社目に参拝した原田神社は
阪急岡町駅から徒歩2分の所に鎮座しています。
社号標が「府社 原田神社」となっていましたので「府社」について調べ
ました。
府社とは、県社と同格で明治期から第二次世界大戦終結まで使われ
ていた、日本の神社の社格を表すものの一つです。
東京・京都・大阪では府社、それ以外は北海道も含め県社と呼ばれて
います。
神社の格式は上から、別格官幣社,府社(県社),郷社,村社,無格社
となります。

原田神社:豊中市中桜塚1丁目2-18

2016,12,16  10:02 AM



                 原田神社
原田神社の創建については、詳らかではないが、社記によれば古く
は祇園神祠と称し白鳳12年(西暦684年)に天武天皇が勅祭をもっ
て神宝、神鏡ならびに獅子頭を納められたこと、また、同じ御代に悪
疫が流行した際「妖邪退除」(病をおこす邪気を祓いのける)の詔勅
を下されて、当社に祈願されたことが記されています。
以来、皇族、武家の崇敬があつく、時代がくだるにつれて社頭も壮
大を極め、最盛期には、東は吹田市榎阪町から西は尼崎市富松ま
で72ケ村にわtる氏地の産土神(氏神)として氏子の尊崇をあつめ、
西牧社と称しました。
また、足利氏からは神領地を寄進されるなど社頭は、壮麗であった
が、天正年間の兵火に焼失したといわれる、
現在の社殿は慶安5年(西暦1652年)になって再建されました。
現在、本殿ならびに摂社12神社本殿は、豊中市指定文化財建造物
になっております。
また、毎年10月9日の晩に行う獅子神事は豊中指定文化財民族資
料になっております。 
          豊中市文化財保護委員会、豊中市教育委員会

御獅子塚古墳(豊中市)

豊中大塚古墳の南側に御獅子塚古墳があります、南桜塚小学校の敷地
内にあり、この古墳の中には入ることが出来ません。

御獅子塚(おししづか)古墳:豊中市南桜塚2丁目


2016,12,16  09:48 

後ろのビルは豊中警察署です。



                                           御獅子塚古墳
この古墳は濠をそなえた南向きの前方後円墳で、5世紀の前半でも中頃
に近いころにつくられたものです。墳丘は2段に形づくられ2段目斜面のみ
に葺石を使用するという特異なものです。埴輪は1段目平坦面(テラス)に径
約18cm、高さ50cmのものが密に立て並べられています。 7本に1本の割
合で朝顔形埴輪が配されています。
これらの中には焼の硬いもの(須恵器)も少しみられます。
後円部墳頂には2つの埋葬施設が明らかになっています、これらの中には
鉄製品を中心とした武器・武具が多く納められていました。規模は全長55m
(周濠を含めると約70m)後円部径35m、高さ4m、前方部幅40m、高さ35m、
周濠幅約7m、深さ0.7mです。


12月26日:22865歩
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