ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

京都市(下京区)

松明殿稲荷神社(京都市)

7月18日、京都市の神社めぐりで13社目に参拝した松明殿稲荷神社は
事前に調べた神社の中にはありませんでしたが、最後に参拝する予定の
新熊野神社に向かう途中で見つけたのです。

松明殿稲荷(たいまつでんいなり)神社:京都市下京区稲荷町452-1

2016,07,18  14:52  撮影



松明殿稲荷神社
伏見稲荷大社の境外末社で田中社ともいう。
平安時代の天暦2年(948)に創始され、社名は同10年(956)、(みことのり)
により燎祭が行われた際に「炬火殿(たいまつでん)」の号を賜ったことに由来す
ると伝えられる。また、江戸時代に出された「都名所図会」には、伏見稲荷大社
の春の稲荷祭のとき、当氏子が松明をともしてその神輿を迎えていたことから、
「松明殿」の名で呼ばれていたと記されている。
はじめ、黒門通塩小路辺りにあったが、その後、七条東洞院などを経て、宝永8
年(1711)現在の地に移ったとされる。
大巳貴命、伊弉諾命、伊弉冊命、猿田彦命、倉稲荷魂命を祭神とし、天智天皇
像(木像)及び大友皇子(木像)を安置する。
また、境内西側には、五条坂の安祥院の僧で、日ノ丘峠の改修、亀の水遺跡な
どで知られる江戸時代中期の僧・本倉正禅養阿の銘のある手洗石及び井戸が
ある。 京都市

(みことのり):天皇の命令。



鴨川(七条大橋から下流に向かって写す)

女人厄除祈祷所「市比賣神社」

7月18日、京都市の神社めぐりで12社目に参拝した市比賣神社は
五祭神全てが女神です。

市比賣(いちひめ)神社:下京区六条河原町西入ル





2016,07,18  14:37  撮影

              市比賣神社(いちひめじんじゃ)
祭神として市寸嶋比賣乃命・多紀理比賣乃命・多紀都比賣乃命・
神大市比賣乃命・下照比賣乃命の五女神を祀っている。
恒武天皇が平安遷都に伴い、左右両京の市座(常設市場)を守護
する神社として延暦14年(795)に創建したものと伝えられる。
もとは東市座内の七条坊門にあったが、天正19年(1591)にこの地
に移った。 なお、京都市中央卸売市場には開設時より当社の末社
が祀られている。
清和天皇から後鳥羽天皇に至る27代の間は、皇室、公家の崇敬が
厚く、皇子又は子女の誕生ごとに当社の「天之真名井」のご神水を
産湯に加えられており、また、「お食べ初め」のもとである「五十日顕
之餅」神事や「市之餅」と名付けた産餅も授与された。
商売の繁盛を加護し、子供の成育と女性を守護する当社は、女性だ
けの厄除けの神を祀る京都の古くから女人厄除祈祷所として、全国
の女性の信仰を集めている。
近年はカード塚は創られ、あらゆるカードを供養するという現代的な祭典
も行われている。
毎年5月と11月の13日は例大祭が行われる。   京都市

7月29日:24339歩

高瀬川船廻し跡(京都市)

京都市の神社めぐり、次の市比賣神社に向かう途中の高瀬川で記念碑と説明
板がありました。
高瀬川の名前は知っていましたが、豊臣秀吉が命じて造られた運河であること
は知りませんでした。
また高瀬川の名前の由来は、荷物を運ぶため舟べりを高くした「高背舟」に因む
事も知りました。

高瀬川、京都市下京区木屋町通付近   当時は川幅9m以上ありました。

記念碑と説明板

2016,07,18  14:29  撮影

高瀬川船廻し跡
豊臣秀吉が天下統一の後、その権力を誇るものとして「天下泰平」祈願の
寺・方広寺(大仏殿)を建立した時、その資材(石材)を瀬戸内の島より諸
大名に命じて、伏見港から京へ搬入するために、天正14年(1586)、当時
の豪商・角倉了以に命じて、御土居の外に沿って掘らせ、慶長19年(1614)
、現・一之舟入(二条)から伏見まで息子素庵と共に開通させた水路(運河)
高瀬川である。 その後、この高瀬川は、京に米・材木・薪炭・などの他、日
常雑貨なども運び込む大切な通路として、大正9年(1920)まで使われてい
た。 
当時使われていた高瀬舟「は水深の浅い川に合わせた舟底の浅い平
らな舟で急流で荷を積んでも乗り切れるように「高背」即ち船べりが高く造ら
れていた、子のような舟で五、六隻一度に繋いで14、5人の船頭たちが両岸
に造られた普通の道より一段低くなった網場を、ホーイ、ホーイと抱え声を掛けな
がら背に架けた綱で引いて上がってきた。 当時この辺りの川幅は9メートル余
りあり、岸は砂浜のよになっており船廻し場となっていた。 また、ひと・まち
交流東館角の菊浜区民館辺りに回漕点がり、ここから上流六条坊門(五条)
にかけての舟繋ぎ場には、いつも何艙かの高背舟が繋がれていたと言われ
、五条~七条間に架かる橋は人が橋の下を綱を引いて通れるように門樋橋
(榎木橋)・七条小橋などみな高くしてあり、六軒橋・上の口橋は階段式(十段
ほどの石段)と成っていたため、人は通れても車は通れなかったし、正面橋
は橋まで急な上り坂に成っていたため、材木などを積んだ車などは、両側か
ら綱をつけてまだ後ろから人が押して渡っていたとの事である。 尚、この川
に因んだものとして木屋町通り・(大仏)正面通り・梅湊町・富浜町・納屋町・材
木町などの通り名や町名があり、当時正面通り木屋町東には米の取引所が
あり、その「米浜」という名が郵便局名として残されている。 
           菊浜高瀬川保勝会  京都市


7月28日:22608歩

京都のお伊勢さん「京都大神宮」

7月18日、京都市の神社めぐりで5社目に参拝したのは京都大神宮です。

神社案内書より
明治のご維新を迎え、江戸時代末期より盛んであったお伊勢参りが叶わない
人々の為に、全国都道府県に、伊勢神宮が遥拝出来る設備を設けるとともに
、伊勢神宮大麻の頒布などを行うことへの要請がありました。

このため、明治6年7月、伊勢神宮の内宮、外宮より、天照皇大神、豊受大神
の御分霊をお迎えし、それに、諾冊二神、八柱大神、大地大神、倭比売命を
配祀し、紳風講社を設立、戦後「京都大神宮」として再出発しました。

京都大神宮:京都市下京区寺町通四条下る貞安則之町622番

2016,07,18  10:02  撮影


火除天満宮(京都市下京区)

7月18日の京都市神社めぐりで2社目に参拝した火除天満宮の正式名称
は天満宮ですが、京都における度重なる大火でも類焼をまぬかれたことか
ら「火除天満宮」と称されています。

火除(ひよけ)天満宮:京都市下京区貞安前之町613 

2016,07,18  10:01 撮影





火除天満宮
当社は天正7年(1579)九州での兵乱を避けるため、筑紫国(現在の
福岡県)の大宰府から一人の老神官が菅原道真公の像を背負って
入洛し、六条通周辺に祀ったのが始まりといわれる。
天正十五年(1587)、烏丸二条の地に大雲院が開創される際に、鎮
守社として現在地に創建された。
元治元年(1864)の蛤御門の変では、この一帯だけが奇跡的に類焼
を免れた。これ以降もしばしば火難から救われたという伝承があり、
学問成就とともに火除の神として多くの信仰を集めている。
なお、境内には天満宮二十五社第九番の石碑がある。 京都市

誓文払いルーツ「冠者殿社」(京都市下京区)

八坂神社御旅所の横で「冠者殿社」と言う小さい神社を見つけました。

歳末大安売りの起源は京都にあるといい。西日本を中心に「誓文払い」とも
呼ばれますが、八坂神社御旅所に隣接する冠者殿社(かんじゃでんしゃ)が
そのルーツとされています。

冠者殿社:京都市下京区四条通寺町東入 貞安前之町

2016,07,18   9:43 撮影



官者殿社
八坂神社の境外末社。官社殿社と表記されることもある。
御祭神は八坂神社と同じであるが、ここは荒魂を祭る。
荒魂とは和魂と対をなすもので、紳霊のおだやかなはたらきを和魂、猛々しい
はたらきを荒魂といい、全国の神社の本社には和魂を、荒魂は別に社殿を設
け祭る例が多い。 もとは烏丸高辻にあった八坂神社大政所御旅所に鎮座し
ていたが、天正九年に豊臣秀吉の命により、御旅所が現在地に移転した時、
樋口(万寿寺通)高倉の地に移され(現在の官社殿町)、さらに慶長のはじめ
に現在地に移された明治四十五年、四条通拡張に伴い旧社地より南方に後
退している。 毎年十月二十日の祭りを俗に「誓文払い」という。
昔の商人は神様に商売ができることへの感謝と、利益を得ることに対する償
いの意識をもっていました。
この感謝と償いの意識により年一回の大安売りをして、お客様に利益を還元
する商道徳がしっかり守られていました。
この本来の誓文払いの精神を継ぎ、商人の方々は商売繁盛を、一般の方々
は神様の清き心を戴き家内安全で過ごせるよう願って十月二十日に大勢参
拝されます。


7月21日:16611歩

「山鉾巡行の神輿」八坂神社御旅所

祇園祭の山鉾巡行を一度見たかったのですが今年は7月17日、行けなかった
のですが、次の山鉾巡行まで3基の神輿がこの御旅所に1週間滞在することが
調べてわかっていたので、その神輿を見るのも目的の1つで18日に京都市東山
区と、この八坂神社御旅所近辺の神社を調べて神社めぐりをして予定通り10社
の神社を参拝することができました。

八坂神社御旅所   京都市下京区四条通寺町東入 貞安前之町


2016,07,18   9:41 撮影



八坂神社御旅所

四条通寺町にある八坂神社御旅所(やさかじんじゃおたびしょ)です。

7月に行われる祇園祭で、山鉾巡航の後に行われる神幸祭で3基の御輿が
この御旅所に到着します。
神幸祭での終点にあたる御旅所前での興奮は最高潮に達し、見物客も一緒
に拍手で盛り上がります。1週間後に行われる還幸祭までこの地に3基の御
輿が御旅所に滞在しています。

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