ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

京都市(伏見区)

北小栗栖 天神宮(伏見区)

京阪電車全線を乗ることができる株主優待券(定期券と同じ大きさで
それで自動改札を通れる)を使っての5日間(1月11日~15日)の四日
目(1月14日)は六地蔵駅から出発しました。
山科区の神社・史跡めぐりウォーキングで前回見落としたところを探して歩
きました。
目的の山科神社に向かって歩いている時、鳥居が見えたので、近づい
てみると「北小栗栖 天神宮」でそこは伏見区でした。


北小栗栖 天神宮:京都市伏見区小栗栖天神山町

2019,01,14  09:04 AM



               北小栗栖 天神宮
所在地 京都市伏見区小栗栖天神山町
祭神 伊佐那岐命
    伊佐那美命
創社   社殿旧記ともに火災にあって、正確な創立の年代は判らないが、口伝
      に依ると法琳寺が創建された時、 その鬼門除けに、この地に天神社を
      建立されたとも伝えられている。とすれば、 法琳寺は藤原鎌足の長子、
      定慧の創建と伝えられているところから、天智天皇の御代(西暦670年
      頃)で約千三百年前に当る。 以来、北小栗栖の産土神として崇敬を受
      け親しまれて来た。
祭礼神事 歳 旦 祭     1月1日
       と  ん  ど      1月15日
       春季千度祭  4月第4日曜日
                 秋季千度祭  9月第2日曜日
       大    祭   11月3日
       火 焚 祭       11月第4日曜日


上記の祭礼神事によると「とんど」は1月15日ですが、1月14日の撮影です(予行演習かも)






2月25日:25244歩

菱妻神社御神域 馬場殿跡(伏見区)

京都市南区の神社めぐりウォーキングを終えて帰路に向かう途中に以前
歩いたことのある、伏見区の菱妻神社のそばで「菱妻神社馬場殿跡」
の説明板を見つけました。

菱妻神社御神域 馬場殿跡(伏見区)

2018,04,30  04:34 PM



              菱妻神社御神域 馬場殿跡
この地は、久我の地の荘園領主であった久我家の邸宅群「久我水閣」の
一部で、久我家の当主の住む「大御所」に付属する「馬場殿」に位置する。
平安・鎌倉時代には、白河上皇の行幸を始め藤原定家なども訪れ歌を詠
んでおり、この頃は祭に競馬神事も盛んに行われた。
また久我荘の鎮守である菱妻神社の千種祭では、地面の四つ石を中心
に、その周りに神輿を三回半回した後、石の上に安置して御祈祷を行う慣
わしが伝承されている。この神事には古くからの神祀りの姿が残されてい
て、大変貴重である。
さらに、この場所は、桂川の堤防が幾度も切れた所で、記録に残るだけで
も、享保6年(1721)以後江戸時代の間に二十幾度、明治に入っても42年
(1909)の桂川改修工事により出水を見なくなるまでに数年に一度の割合
で水害を受けた。
加えて、久我地域全体の鬼門(北東方向)にも当るため、人々は古来敬い
慎みの心を持って清浄に努めてきた場所でもある。       京都市

氏子祭 - 菱妻神社


伏見区の菱妻神社(2018年3月14日に参拝済)         


5月18日:20060歩

飛鳥田神社(伏見区横大路柿ノ本町)

3月14日の伏見区神社めぐりウォーキングで最後の15社目に参拝した飛鳥田神社は
中島樋ノ上町の飛鳥田神社とどちらが「日本紀略」に出てくる式内社かを決め難く、
論社扱いですが、本殿が、平成7年、京都市から登録有形文化財に指定されまし
た。

飛鳥田神社(伏見区中島樋ノ上町)


日本紀略:平安時代に編纂された歴史書。日本紀略 - Wikipedia

飛鳥田神社:京都市伏見区横大路柿ノ本町11

2018,03,14  05:10 PM






       京都市登録有形文化財 飛鳥田神社本殿
飛鳥田神社は別雷・市杵島姫命を祭神とし、創建については確かなことはわから
ないものの、「日本紀略」には飛鳥田神社についての記載がみられる。ただし、式
内社飛鳥田神社が当社であるかどうかについては明確ではないが、「延喜式神名
帳」に「一名柿本社」とあることから、柿ノ本町に建つ当社が式内社である可能性は
十分に考えられる。
中世以降の状況については、享保19年(1734)の「山城志」に記された上梁文から
うかがうことができ、これによると応永25年(1418)に社殿が造営され、その後文明
9年(1477)・天正4年(1576)・慶長19年(1614)に修理、また文禄5年(1596)に屋根
葺き替えが行われていたようである。さらに17世紀半ば頃には境内の整備が進め
られたものと推定され、境内正面の鳥居に「慶安五壬申年/島写弁才天御宝前」、
また手水鉢には「島写弁才天/御宝前/明暦三年/五月日」の刻銘が見られる。
覆屋のなかに建つ本殿は大型の一間社流造りの建物で建築年代に関する史料を
欠くものの、全体に木割が太くて装飾が少ない点、また蛙股や実肘木・虹梁の形状
などから、境内の整備が行われた17世紀半ば頃までに造営されたのものと考えら
れる。一部改変を受けているものの当所の姿を著しく損なうものではなく、また柱頭
舟肘木を落としこんで柱が直接桁を支持するという特異な手法が採用されている
点に特色がみられる。                平成7年3月20日指定 京都市           

舟肘木(ふなひじき):社寺などの建築で、柱の上方にあって上からの重みを支える
              舟形の横木





4月3日:20196歩

一切神社(伏見区三栖向町)

3月14日の伏見区神社めぐりウォーキングで14社目に参拝した一切神社は
阪神高速8号京都線の東側すぐの所に鎮座していました。
グーグルの地図では大国主神一切神社となっています。

一切(いっさい)神社:京都府京都市伏見区下鳥羽南六反長町

2018,03,14  03:52 PM





三栖神社(伏見区)

3月14日の伏見区神社めぐりウォーキングで13社目に参拝した三栖神社は
毎年10月に炬火祭という、宇治川に自生するで作られた大炬火(だい
たいまつ)に火を灯し、神輿巡行の先導として竹田街道を巡行する、大迫
力の行事があるそうです。

三栖(みす)神社:京都市伏見区横大路下三栖城ノ前町82

2018,03,14  03:19 PM



                   三 栖 神 社
三栖神社の創建の詳細は不明であるが、旧下三栖村の産土神として古くからこ
の地で信仰を集めていた。天武天皇、伊邪那岐大神、応神天皇を祀る。
現在の社殿、拝殿は慶長8年(1603年)9月に旧幕臣角倉了以、加藤清正公の家
臣横地助之烝、三栖の郷土藤林時次の三氏等氏子が戮力協心して造営したもの
である。
本社の例祭に大炬火祭がある。神幸祭の宵には、宇治川に自生するで作られ
た大炬火に火を灯し、神輿巡行の先導として竹田街道を巡行する。この行事は約
千三百年前、壬申の乱において大海人皇子(天武天皇)が近江朝廷との決戦に向
かう途中、三栖地域を通過された際に住民がかがり火を灯し、暗夜を照らして歓迎
したと言う伝承に因むものである。戦後一時絶えたが、平成元年より再興され、京
都市登録無形民族文化財に選定されている。            京都市


戮力協心(りくりょくきょうしん):全員の力を結集し、一致協力して任務に当たること
(よし)):イネ科の植物「あし」のこと、「あし」が悪しに通じ、縁起が悪いので、この
        漢字は「よし」読む。

4月2日:30212歩

北向虫八幡宮(伏見区)

3月14日の伏見区神社めぐりウォーキングで12社目に参拝した北向虫八幡神社
は田中神社の境内に有りますが、田中神社の末社や摂社ではありません。
「夜泣き、疳の虫封じ」の神様です。

平安時代。憲平親王(後の冷泉天皇)の癇の虫が酷かったので、母親の藤原
安子がこの八幡様に祈願したところ、治ったと伝えられています。

珍しく、社殿が北側を向いてますがこれは都の方角を向いているからです。
都を守るようにとの願いが込められています。

北向虫八幡宮:京都市伏見区横大路天王後51

2018,03,14  03:17 PM





田中神社(伏見区横大路天王後)

3月14日の伏見区神社めぐりウォーキングで11社目に参拝したのが田中神社です。
拝殿の横に馬の像が左右に奉納されているので、何か意味があるのかと、思っ
ていたら馬の神様ということでした。

田中神社:京都市伏見区横大路天王後51

2018,03,14  02:45 PM







由緒をかいた説明板がありましたが、不鮮明で解読できないため
ネットで調べた由緒を転記します。
     
                 田中神社 由緒

平安時代後期、治暦年間(西暦1065~1069年)に祇園感神院(現在の八坂
神社)より、神様を別けて頂いて「牛頭天皇田中神社」となりました。

当時は今よりももう少し北の下鳥羽田中里に社殿がありました。
社名は田中という里にあったから「田中神社」なんですね。

でも戦国時代の天正年間(西暦1573~1592年)に起こった大洪水で、本殿
が流されてしまいました。幸いにも現在の場所に漂着したのですが社殿は無
事でした。この奇跡に氏子達が驚いてここを神社の境内にして盛大な祭りを
行ったということです。



4月1日:19721歩

白河天皇 成菩提院陵(伏見区)

3月14日の伏見区神社めぐりウォーキングで、北向山不動院の次に
見つけたのが第72代天皇「白河天皇 成菩提院陵」です。

白河天皇 成菩提院陵(じょうぼだいいんのみささぎ):京都市伏見区竹田浄菩提院町

2018,03,13  01:25 PM




白河天皇についてフリー百科よりコピー
  

3月31日:17223歩

北向山不動院(伏見区竹田浄菩提院町)

3月14日の伏見区神社めぐりウォーキングで飛鳥田神社参拝後、次の目的
田中神社に向かって歩いているとき、大きい寺院「北向山不動院」があり
ました。

北向山不動院:京都市伏見区竹田浄菩提院町61

2018,03,14  01:15 PM





               北向山不動院
天台宗の単立神社で、一般に北向不動の名で親しまれている。
大寺年(1130)鳥羽上皇の勅願により鳥羽離宮内に創建され興教大師
を開山としたのが当寺の起りである。
本堂に大師が自ら仏師康助に刻ませた不動明王(重要文化財)を王城
鎮護のため北向に安置した、そのため、上皇から北向山不動院の名を
賜ったといわれる。
久寿2年(1155)、播磨国(兵庫県)大国の庄を寺領とあいて、藤原忠実
が中興に当った、その後、応仁の乱の兵火など、しばしば災害に遭った
が、幸い本尊不動明王は難を逃れた、朝廷の保護も厚く近世に至って
復興した。
現在の本堂は、正徳2年(1712)東山天皇の旧殿を移したものである。
境内鐘楼にかかる梵鐘は二品済深親王の御銘があって、元禄7年
(1694)に名士名越淨味によって鋳造されたものである。  京都市


二品(にほん):日本の律令制において定められて親王・内親王の位を
           品位(ほんい)といい、一品から四品まであり、奈良時代
          から江戸時代まであった。
親王(しんのう):天皇の兄弟・皇子。           

飛鳥田神社(伏見区中島樋ノ上町)

3月14日の伏見区神社めぐりウォーキングで10社目に参拝したのが飛鳥田神社
です。
飛鳥田神社は横大路にもあり(3月14日伏見区神社めぐりで15社目に参拝)
どちらが式内社 飛鳥田神社であるかどうかについては明確ではなく、論社
扱いです。  

「論社」とは荒見神社(久御山町)

飛鳥田(あすかた)神社:京都市伏見区中島樋ノ上町84

2018,03,14  00:10 PM





                飛鳥田神社
江戸時代の文書に荷田龍頭田の田に、祖先の霊が白い鳥となり稲の実
を口に含んで飛来した、そこで龍頭田は祖先の霊を祀り飛鳥田神社と名
付けた、弘仁7年(816)に官社に昇格したが神社の一帯に東福寺が建て
られることになり延応元年(1139)に今の地に 遷られた 等と記される、
米を始めとする五穀の神に加え子孫繁栄・子供の守り神であり、学力向
上・受験合格・頭の病気平癒の神様と敬われる。
                             飛鳥田神社護持委員会


3月30日:21412歩
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