ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

八尾市(大阪府)

「柏原船 使い場」(八尾市)

雄略天皇陵を見た後、大和川を渡って、八尾市に入り、平野川に架かる
北木の本橋のそばで何かの説明板が見えたので近づいてみると「柏原
船の使い場」の跡でした。

「柏原船 使い場」:大阪府八尾市北木の本5丁目107           2019,01,01  03:31 PM





             柏原船(かしはらぶね)
柏原船は平野川を運行する川船で、大阪京橋から柏原までを
往来した。長さ約19m、幅2m、深さ0.42mの浅川船で、積載量
は20石積(1石=180リットル)であった。
元和6年(1620)の洪水で被害を受けた志紀郡の復興策の一環
として、当時の代官末吉氏が計画したといわれ、柏原村の庄屋
などが請け負い、船持ちとなって運行されるようになった。
しかし大坂市中への直接乗り入れは、市中の川船との関係で
許可されず、京橋で荷物を積み替えなければならなかった。
             使い場(つかいば)
平野川沿いの村で、物資の揚げ降ろしをした場所で、かっては
各村ごとにあったが、姿を消し、近年では北木の本の使い場が
当時の名残りをとどめており、今回の改修工事で整備された。

平野川





1月11日:61330歩

旧大和川堤防跡(御野縣主神社)

2015年4月に御野縣主神社を参拝した時、旧大和川の堤防跡があること
を知りましたが、当時は堤防跡を写さずブログにも取り上げていなかったの
で、御野縣主神社は今回で2度目の参拝になりました。
アオサギの卵を写す「御野縣主神社」(八尾市)

旧大和川堤防跡(御野縣主神社の境内)    八尾市






               旧大和川の堤防跡
御野縣主神社の境内には、社殿の西側に63mにわたって、旧大和川
の堤防跡が残っています。
宝永3年(1704)の付け替え前の大和川の川筋は、二股付近で二つに
分かれており、その分流の一つが現在の玉串川です。
現在の玉串川の川幅は神社の西側付近で5m位ですが、付け替え前
の川幅は200m近くもありました、この堤防跡は旧玉串川筋の東側の
堤防の跡になります、江戸時代の初めには、川底がまわりの土地より
高い天井川となり、たびたび堤防が切れて、洪水の被害をもたらすよう
になっていました、このため今米村(現在の東大阪市)の庄屋、中甚兵
衛らの尽力により宝永元年に付け替えが行われ、現在の大和川の川
筋となりました。
御野縣主神社の境内に残る旧大和川の堤防跡は、付け替え前の大和
川の様子をしのぶ貴重な史跡になっています。
また、堤防跡の南東側には、上水道の整備が行われる以前に天井川と
なった玉串川の湧き水を簡易水道として利用するため、上之島の人々が
設けた親井戸の跡も残っています。
          平成16年6月      八尾市教育委員会


御野縣主(みのあがたぬし)神社



12月21日:18445歩


山本新田住友会所跡・山本小学校創設の地

山本新田住友会所跡の碑は、近鉄河内山本駅の近く、八尾市立山本図
書館の敷地内にありました。
碑文によると、この場所は「山本新田住友会所跡」でもあり「山本小学校
創設の地」でもあります。
地名 山本の由来は、この新田開発をした泉州箱作村の中善兵衛とそ
の子庄兵衛、及び協力者の大阪平野の山(加賀屋)弥衛門重英の名
前の一字ずつをとって名付けられました。
その後、享保13年(1728年)に、この地は加賀屋から大阪長堀の泉屋吉
衛門(住友)に移り、現在の近鉄大阪線の延伸と共に始められた住宅開
発によって分譲されるまでの約200年間、この地を所有していました。


山本新田住友会所跡・山本小学校創設の地         2018,11,29  03:24 PM




山本新田住友会所跡・山本小学校創設の地



この地は、大和川付替後、宝永5年(1708)玉串川河川敷に生まれた
山本新田を管理した会所跡である。
享保8年(1723)より住友氏が所有し、その後220年間を経て昭和15年
(1940)に至り山本小学校の前身、河内四十一番小学校もここに創設
され、常に河内山本発展の原点である。


12月20日:14699歩

歯ブラシ生産高日本一(八尾市)

近鉄八尾駅前で、歯ブラシ生産日本一の記念碑を見つけました。

ブラシの記念碑  近鉄八尾駅前



              歯ブラシの生産高日本一
八尾市域とその周辺は、かって河内と呼ばれ、江戸時代から綿作地帯
として知らた「河内木綿」の古い歴史をもつ。
明治20年代かた農家の副業として八尾にブラシ植毛がはじまり、河内木
綿に代わり歯ブラシ、化粧用ブラシの生産の中心地となった。
特に歯ブラシは、昭和20年代には大阪府が全国生産高の90%以上を
占め、そのうち八尾市が60%以上であった。現在も全国生産高日本一
である。
八尾市が今なお「歯ブラシの生産高日本一」の地場産業であることを全
国的に知っていただくと共に、ブラシ産業の更なる発展を願いここにブラシ
の記念碑を建立した。
                   平成17年6月2日 八尾市長 柴谷光謹


近鉄八尾駅

お逮夜市(八尾市)

近鉄八尾駅、南側で「お逮夜市」の大きい石版を見つけました。
「お逮夜市」とは100年以上前から続く露店のことで、当時は久宝
寺の大信寺から八尾の顕証寺までやく8町(約872メートル)の間に
毎月11日、と27日に数千店の露店が出て大阪、堺、奈良、京都な
どからの買い物客で賑わったそうです。
(現在は形を変えて八尾ファミリーロード商店街で実施)

お逮夜市(おたいやいち)の石版 :近鉄八尾駅     2018,11,29  02:52 PM



                 お逮夜市
八尾御坊(大信寺)と久宝寺御坊(顕証寺)との間につづいた露店市
である、現在は交通事情のため、八尾御坊の境内、御坊前の道路上
に露店商が店をならべ、苗物、農工具、古着、荒物、雑貨品などを売
り買物客でにぎわっている。 むかしは大和方面からも買物に来たと
いう。 お逮夜の起源は明らかでないが、毎月二十七日は宗祖親鸞
聖人の逮夜日にあたり、その法要に参拝する人々を目当てに開かれ
たのでこの名がある。 十一日にも開かれているがこの起源は明らか
でない。

        平成8年4月11日 やお文化協会
                    近鉄八尾 商業活性化事業協同組合

逮夜(たいや):忌日(命日)の前日





12月18日:23870歩

八尾浜跡と久宝寺船着場跡

八尾市内を歩いていて本町第二公園で姉妹都市・友好都市 記念碑を見つけた後
次に「八尾浜と久宝寺船着場」の石碑を見つけました。
現在の長瀬川は狭い川ですが、もとは大和川の本流で川幅が200メートルあったそう
です。

長瀬川(旧大和川) 八尾側 八尾浜跡                   2018,11,29  02:41 PM



             八尾浜と久宝寺船着場
長瀬川はもと大和川の本流で古くはおよそ200メートルの川幅があり、
人と物資の運搬で川舟が往復した。
宝永1年(1704)大和川の付け替え後は井路川となり八尾と久宝寺の
人々は共同出資で剣先船が人や米、木材などを京橋まで運び年貢米
の運送や、大阪、淀などへの往復でにぎわった。
こちらの八尾側の方を八尾浜、むこうの久宝寺側を船着き場とよびとも
に祭礼のときのお旅所であった。
                              八尾市教育委員会

久宝寺側  船着場跡


現在の長瀬川



12月17日:21973歩

姉妹都市・友好都市記念碑(八尾市本町)

八尾高校の旧大和川の痕跡を見た後、次の目的地に向かって歩いて
いる時、本町第二公園で姉妹都市・友好都市記念碑を見つけました。

八尾市はアメリカのベルビュー市と姉妹都市、中国の嘉定区と友好都市の
締結をしています。

ベルビュー市
  アメリカ合衆国 ワシントン州
  人口:12万人 
  面積:87.8 平方キロメートル
嘉定区(かていく)
  中華人民共和国上海市
  人口:156.8万人
  面積:464 平方キロメートル
八尾市
  人口:26.8万人
  面積:41.7 平方キロメートル

八尾市本町第2公園                     2018,11,29 02:44 PM


姉妹都市の碑 アメリカ ベルビュー市       2009年に姉妹都市締結40周年






友好都市の碑 上海市嘉定区   平成18年に友好都市締結20周年





12月16日:20332歩

旧大和川の痕跡「狐山」(八尾高校)

大和川の付け替えについて調べているとき、旧大和川の痕跡が八尾
市内に2個所残っていることが分かり、それを見つける目的で11月29
日のウォーキングを羽曳野市、藤井寺市の古墳を巡ってその帰りに八尾
に寄ったのです。
旧大和川は久宝寺川、玉櫛川、平野川など何本かの川に分かれて大
阪城の北、大川に流れこんでいました。
八尾高校の中にある狐山は久宝寺川の左岸堤防の跡だそうです。

旧大和川の痕跡「狐山」(八尾高校)八尾市高町1丁目74

2018,11,29  02:20 PM





                                狐 山
1704年に付け替えられえた旧大和川の名残りで、八尾市に
2個所のみ残る貴重な堤防跡です。

第18期卒業50周年記念事業
 

12月15日:25617歩

流水紋銅鐸出土地(八尾市)

八尾市春日町1丁目の信号のそばで「流水紋銅鐸出土地」の石碑を
見つけました。

流水紋銅鐸出土地:八尾市春日町                                  2018,11,29  01:50 PM





                                   

平成元年10月公共下水道工事に伴う発掘調査で弥生
時代の流水紋銅鐸が発掘され現在八尾市歴史民俗資
料館に保管されている。



12月14日:25838歩





「大和川つけかえと講念仏踊」(八尾市)

11月29日のウォーキングは藤井寺から大和川を渡り八尾市に入りました。
「三木本尋常小学校跡地」を見つけた後、南木の本町のバス停「了意橋
(りょういばし)と平野川の間に八尾市に関る歴史の説明板が並んでいま
した。 その一つ「講念仏踊」を紹介します。

大和川のつけかえは1704年に完成しましたが、それにより洪水がなくな
り恩恵を受けた地域があります、しかし付替えによって用水不足が起こり
、農業をするのに深刻な問題を抱えることになりました、旱魃がこの地域
を襲ったとき、弓削村の西村市郎右衛門が幕府の許可なく大和川から水
を引き21か村が救われました、その後新設の樋は許可されましたが西村
市郎右衛門は捕えられ獄中で亡くなりました、各村では、彼の徳を慕うた
め、講念仏踊を行いました、昭和8年まで続きましたが、戦争によって断絶
しました。
現在でも村には講念仏踊の鉦太鼓が残されています。

了意橋バス停 八尾市南木の本                                       2018,11,29  01:30 PM



平野川


PIC_0999




12月13日:21787歩
記事検索
プロフィール

ahisats3

カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ