ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

藤井寺市(大阪府)

藤井寺球場跡(藤井寺市春日丘)

近鉄藤井寺駅の西側で「藤井寺球場跡」のモニュメントを見つけました、
私も一度だけ野球を見に行ったことがありますが、かって、ここには
近鉄バッファローズの本拠地、藤井寺球場がありました。

藤井寺球場跡:大阪府藤井寺市春日丘3丁目1          2019,01,01  00:54 PM









 藤井寺球場は1928年(昭和3年)に開場、1950年(昭和25年)
 に「近鉄パールズ」、後に「近鉄バファローズ」の本拠地として2005年
 (平成17年)1月までの長きにわたり、たくさんのフアンと感動をとも
 にし、また、高校野球の予選会場として多くの青少年の夢を育ん
 できました。
        平成21年3月  寄贈 近畿日本鉄道株式会社

 藤井寺球場跡地には四天王寺学園高等学校、四天王寺学園中学校、
 四天王寺小学校が建っています。




近鉄藤井寺駅


1月9日:17952歩

仲哀天皇陵古墳(藤井寺市)

淨元寺山古墳の次に仲哀天皇陵古墳を見つけました。
仲哀天皇陵古墳は全国で16位、百舌鳥古市古墳群の中では3位の
大きさです。

仲哀(ちゅうあい)天皇
在位期間:仲哀天皇元年1月11日~ 同9年2月6日
第14代の天皇。
日本武尊(やまとたけるのみこと)の第2王子。
名は足仲彦(たらしなかつひこ)。皇后は神功皇后。熊襲討のため筑紫
に行幸し、そこで没したという。

仲哀天皇陵古墳:大阪府藤井寺市藤井寺4丁目                       2019,01,01  11:59 AM







    仲哀天皇 
        恵我長野西陵
    1.みだりに域内に立ち入いらぬこと
    1.魚鳥等を取らぬこと
    1.竹木等を切らぬこと
                宮内庁




                               仲哀天皇陵(岡ミサンザイ)古墳
時代                  古墳時代 中期
古墳の形     前方後円墳
墳丘の一辺長  245m
出土したもの   円筒埴輪、家、蓋、船、合馬、人物形などの形象埴輪
墳丘は3段に築かれ、くびれ部の東側のみに造出しが設けられています
室町時代に城に利用されたため墳丘は改変を受けています。
墳丘の周囲には幅の広い濠が巡り、堤上にも円筒埴輪が並べられまし
た、墳丘や堤からは円筒埴輪、形象埴輪が出土しています、築造時期
については、諸説あるものの中期と考えられています。


岡ミサンザイ:「岡」は地名で、「ミサンザイ」は「ミササギ(陵)」の転訛


1月8日:16243歩

野中古墳(藤井寺市)

羽曳野市、藤井寺市の古墳めぐりで最後に見つけたのが野中古墳
です、羽曳野市の墓山古墳の北側すぐの所ににありました。

野中古墳:藤井寺市野中3丁目

2018,11,29  00:09 PM





       野 中 古 墳     国史跡1995年2月21日指定
                     藤井寺市野中3丁目
時代       古墳時代 中期
古墳の形    方墳
墳丘一辺長 37m、2段築成

出土したもの短甲11、冑11、刀剣169、鉄兜740をはじめとする多種、多量の
副葬品(重要文化財)、周囲から白玉を主とした4万点弱の滑石製模造品

野中古墳は、墓山古墳の後円部北側に位置する方墳です、墳丘の周囲には
濠が巡るが、埋没保存されています。
墳頂部における発掘調査では、少なくとも5列の木箱に多数の武器、武具、農
工具が納められていることが判明しました。墳頂部から陶質土器や蓋・斧・
をかたどった石製模造品も出土しました。


短甲(たんこう):古代日本で使用された甲(鎧)の形式名のひとつ
滑石(かっせき):白色または緑灰色の鉱物、鉱物の中で最も柔らかい。
刀子(とうす):ものを切る、削るなど加工の用途に用いられる工具の一種。
          現代の小刀に通じる。


3月11日:30465歩

葛井寺(藤井寺市)

辛国神社を参拝して藤井寺市の神社めぐりを終りました。
辛国神社のすぐそばに葛井寺(ふじいでら)がありました、藤井寺市の名前の
由来になった寺院です。

葛井寺(ふじいでら)は古代氏族 葛井氏の氏寺として、7世紀後半の白鳳期に
建立されました。 西国三十三箇所観音霊場の第五番札所として信仰を集め、
多くの巡礼者が訪れています。 本尊の国宝乾漆千手観音坐像は、大阪府下一
の天平仏で、毎月18日に御開帳されます。また、 四脚門は、桃山様式をよく伝
える建造物として、国指定の重要文化財となっています。春には境内の藤棚に
藤の花が咲き誇ります。

葛井寺:大阪府藤井寺市藤井寺1丁目16−21                  2017,10,07  02:06 PM











                         西国第五番札所 紫雲山 葛井寺
河内飛鳥時代に百済からの渡来者によって繁栄したこの付近も工仁一族の
辰孫王が葛井連と改称し氏寺として創建した葛井宿弥-葛井給子- 葛井道依-
藤継子(平城天皇妃)-阿保親王-在原業平と次々に葛井氏系により伽藍の建
設がなされた、勧進帳によると当時は約2km平方の境内に東西両塔がそな
わり七堂伽藍を有していた。
神亀2年(725)聖武天皇が春日仏師に命じて千手観音菩薩を造像させた、そ
の入佛開眼法要には藤原朝臣房前を勅使として僧行基菩薩を導師として勧
められ紫雲山金剛琳寺と勅号を下された。
南北朝時代には後醍醐・後村上天皇も帰依さえ楠正行公が正塀年(1347)自
軍7百余兵を率いて当寺に屯し細川顕氏7千の兵を破った「藤井寺合戦」 この
時大般若経6百巻を書写して守刀一振、非理法権天の菊水族を奉納し戦勝祈
願をおこなっている。
花山法王(65代天皇)西国観音霊場巡礼され当寺に奉参されるや 
  「参るより 頼みを可くる ふじい寺 花のうてなに 紫の雲」
を詠まれました。

藤井寺一番街


10月23日:22296歩

辛国神社(藤井寺市)

10月7日の神社めぐりウォーキングで藤井寺市の神社、最後の10社目に参拝した
のが辛国神社です。
近鉄南大阪線の「藤井寺駅」南側すぐの所に鎮座しています。
歴史の古い神社で長い参道の緑は大阪みどりの百撰」に選ばれています。

辛国(からくに)神社:大阪府藤井寺市藤井寺1丁目19−14    2017,10,07  01:56 PM 









                   辛国神社 由緒
         御祭神 饒速日命 天児屋根命 素盞鳴命
当神社の創設は古く、今から約千五百年前の雄略天皇の時代に創設された式内
社であります。
日本書紀に「雄略天皇13年3月、餌香長野巴を物部目大連に賜う」とあり、この地
方を治めることとなった物部氏が、その祖神饒速日命を祀り神社を創設したのが
当社の始まりです、社名の由来は異説種々ありますが物部氏の没後同氏一族の
辛国連が、当社に深くかかわることとなり、辛国神社と称するようになったと伝えら
れています。
また、史書三代実録には「清和天皇貞観9年3月26日、河内国志紀郡辛国神を官
社に預る」とあり、平安時代には格式ある官社に列せられています。
その後室町時代に 河内の守護職でであった畠山基國が、社領二百石を寄進のう
え奈良春日大社から天児屋根命を勧請合祀し、さらに明治41年には近くにあった
長野神社のご祭神素盞鳴命を合祀して現在に至っています。
    元日祭 1月1日   夏祭 7月17日   御例祭(秋祭) 10月17日



番所山古墳(藤井寺市)

番所山古墳は次の参拝予定の辛国神社に向かって歩いているとき住宅地の
中で見つけました。

番所山古墳:藤井寺市藤ヶ丘2丁目             2017,10,07  01:29 PM





                           番所山古墳:藤井寺市藤ヶ丘2丁目 
      国史跡 201年1月29日指定 藤井寺市藤ケ丘2丁目
時代       古墳時代 中期中葉
古墳の形    円墳
墳丘長      22m
周囲の発掘調査が実施されていないため墳形や周濠の存在は確認されてい
ません、墳丘ではわずかな円型埴輪の破片が採取されているだけで、埋葬施
設や副葬品等は不明です。


10月22日:20196歩

はざみ山古墳(藤井寺市)

10月7日の神社めぐりウォーキングで藤井寺市の神社9社目に参拝した野中神社の
近くで「はざみ山古墳」を見つけました。

はざみ山古墳:藤井寺市野中1丁目                                       2017,10,07  01:20 PM



                はざみ山古墳      藤井寺市野中1丁目
時代       古墳時代 中期中葉
古墳の形    前方後円墳
墳丘長     103m
出土したもの  円筒埴輪、家・盾・蓋形などの形象埴輪
墳丘は3段に築かれ、くびれ部の両側には造出しが設けられています。後円部
の頂上には盗掘抗があり、ここから石棺が発見されたと伝えられています。
周囲には一部が埋没するものの、濠が巡っています。その外側には幅の広い堤
が取り巻いています。
出土した円筒埴輪が含まれるほか、形象埴輪が出土しています。



野中神社(藤井寺市野中)

10月7日の神社めぐりウォーキングで藤井寺市の神社9社目に参拝したのが野中神社
です。
野中神社の付近は羽曳野市との境界近くであり、行きすぎて羽曳野市に入ってし
まい少し戻ったところにありました。

野中神社(藤井寺市野中)                                                 2017,10,07  01:14 PM







                     改築記念碑

当社は貞観十七年(875)八月戌寅に従五位下を授けられた野中郷の鎮守の神
として住民の尊崇の厚いお宮で、祭神は彦國牽命と素盞鳴命であります。

明治四十二年以来 辛国神社に合祀されて参りましたが、昭和二十五年に住民
の強い要望と浄財によって現在地に復元されました。

以後四十有余年の歳月の経過とともに老朽化し倒壊の恐れも出てまいりました
ので改築することになりました。

着工以来工事は順調に進捗し本月目出度く完成を見ることとなった次第であり
ます。 この改築の費用は先祖伝来の上の田池の一部を柏羽藤消防組合庁舎
用地として売却した処分金により完成致しました、爰に当社の由緒を正すととも
に先祖の遺徳を偲び併せて住民協調の成果を永く後世に伝える為、記念の碑
を建立するものであります。                               平成四年四月吉日 野中神社

                       



10月21日:61643歩

















































































































































































































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野中宮山古墳(藤井寺市野中)

10月7日の神社めぐりウォーキングで藤井寺市の神社で9社目に参拝した野中神社
は野中見山古墳の中にありました。
 先に野中宮山古墳を紹介します。

野中宮山古墳:藤井寺市野中2丁目            2017,10,07  00:44 PM





                        野中宮山古墳       藤井寺市野中2丁目
 時代 古墳時代  中期中葉
 古墳の形      前方後円墳
 墳丘長       154m  、3段築成
 出土したもの    円筒埴輪、壺型埴輪列、家、蓋、盾、囲水鳥、馬、猪形
             などの形象埴輪
 古市古墳群のほぼ中央部、洪積段丘面に造られた古墳です。前方部は西を
向いており、周濠は墳丘に沿って前方後円形にめぐっています、墳丘のくびれ
部には造出しがあり。また葺石と円筒埴輪列が認められます。埋葬施設は不明
ですが、後円部に板状の割石が散乱していることから、竪穴式石槨の可能性
があります。

石槨(せっかく):上下四方を石で囲った,棺を納める部屋。


古墳内にある児童公園はこの古墳の名称によります。

大鳥塚古墳(藤井寺市古室)

10月7日の神社めぐりウォーキングで古室山古墳と同じ古室2丁目で大鳥塚古墳
を見つけました。
この古墳から出土した「矛(ほこ)」と「盾(たて)」を調べていると矛盾(むじゅん)
の出展が分かりました。

矛盾(むじゅん)の出展:昔、中国の楚の国で、矛(ほこ)と盾(たて)とを売っていた
                                   者が、「この矛はどんなかたい盾をも突き通すことができ
                                 、この盾はどんな矛でも突き通すことができない」と誇った
                                   が、「それではお前の矛でお前の盾を突けばどうなるか」
                                   と尋ねられて答えることができなかったという二つの物事
                                   がくいちがっていて、つじつまが合わないこと。

大鳥塚古墳 :大阪府藤井寺市古室2丁目4−58

2017,10,07  11:45 AM



              大鳥塚古墳      1956年9月22日指定 藤井寺市古室2丁目
 時代 古墳時代  中期中葉
 古墳の形      前方後円墳
 墳丘長       110m
 出土したもの    銅鏡2面、鉄剣、鉄刀、鉄矛、鉄鏃、円筒埴輪、家・衣蓋・・ゆぎ・猪形
             などの形象埴輪
 墳丘は百舌鳥・古市古墳群では変則的で、後円部が3段、前方部が3段に
 築かれ後円部高が著しく高いことが特徴です。くびれ部の両側
 には造出しが設けられています。
 埋葬施設は後円部に粘土槨が存在し、刀、剣、、鏃など
 


(ほこ):鉾、戈、戟、槍、桙とも書く。古代から平安末期に至るまで用いられた、双刃(もろは)
      
の突き刺しのための長柄(ながえ)の武具。、
(たて):刃物による斬撃や刺突、鈍器による打撃、および弓矢・投石・銃器の射撃などから身
       を守るための防具。


10月20日:33794歩
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