ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

三田市(兵庫県)

八坂神社(三田市波豆川)

10月10日は三田市波豆川にある墓にお詣りに行きました。
墓の近くの神社と帰路に2社、合計3社を参拝することができました。
最初に参拝した八坂神社を紹介します。
神社の前の休耕田にはコスモスが美しく咲いていました。

八坂神社:三田市波豆川(はずかわ)1527









                        八 坂 神 社
鎮座地 波豆川八坂神社1527番地
祭神 素戔嗚命と日本武尊
由緒 創立年月は不詳であるが、大永6年(1526年、室町時代)
   4月に本殿が再建されている。明治43年10月10日、波豆川
   字大阪谷鎮座 宝殿神社と、波豆川字鳥の上鎮座昊大神社
   を合祀した。
境内 742.5 坪
祭日 正月 1月4日~10日の日曜日
   種籾祈願祭 3月第一日曜日
   新祭    4月第二日曜日
   夏祭    7月第一日曜日
   本祭 宵宮 10月本宮の前日
      本宮 10月体育の日の前日
   新嘗祭   12月第一日曜日
  (勤労感謝祭)
宝物及び貴重品 正月と本祭りに行われるお當神事では、氏子中から精進代と
                 称する當人二人の受け渡しの儀式を行う。當人は任期中、精
                進潔斉して祭事には神饌を供え、祭典には紋服袴・山高帽を
                着用して奉仕する。
本祭           宵宮には天下泰平、五穀豊穣、氏子繁栄を祈願し、歌舞伎より
                取材した所作事のお練り(併催3年3月市指定無形文化財)を
                行う、本宮は當人に 太鼓、引地車が続いて行列を作って宮
                           入の神事を行う、その際に舁太鼓の音高く、掛け声勇まし
                く10m余もある急な石段を登る。
                                                       三田市観光協会・波豆川区

舁太鼓(かきたいこ)
:読み かく  意味   物をかつぐ。


鳥居の前にはコスモスが美しく咲いていました。

2018,10,10  11:25 AM



10月30日:19364歩

西宮神社 三田分社(三田市)

三田市の神社めぐりで最後、9社目に参拝したのが戎神社です。
神社鳥居の額は戎神社ですが正式名称は「西宮神社 三田分社」です。

驚いたのは、手水の水が今まで出ていなかったのに私が前に立つと自動的
に出てきたので、不思議に思って参拝が終わって、もう一度、手水の前に立
つと水が出始めたのです、どこかにセンサーがあって人が前に立つと水が出る
ようになっているのでしょう、今まで1000社近く参拝しましたが初めての経験
でした。

手水(ちょうず):参拝者が手や口を清める水。

西宮神社 三田分社 通称 三田戎 :三田市三田町19-33



2017,02,16  05:15 PM



                      由  緒
              西宮大神
  御祭神   天照大神
            大国主大神
  本神社の創立年月日は不詳と雖も境内に安政6未年の献燈も所在し伝承では
  古くより蛭子大神を祀りし祠あり 三田町内の庶民から崇敬厚しとせられる。
  其後 明治8年12月17日 有馬郡三田村南町東組一統を発起元となし蛭子神社
  として社殿を建立せられる明治9年12月14日全国ゑびす総本社・西宮神社より
  分霊勧請 正式に分社に列せられる。
                                  1月9日     宵ゑびす
    十日ゑびす大祭   10日  本ゑびす
                       11日  残り福
                                西宮神社 三田分社

雖も(いえども):推測はできるが確かなことはわからない。


手水は人が前に立つと出てきます。



3月2日:20773歩

天満神社(三田市下田中)

三田市の神社めぐりで8社目に参拝したのが天満神社です。
神明神社から徒歩5,6分の山の中に鎮座していました。

天満神社:三田市下田中751

2017,02,16  04:09 PM









下田中城推定地「神明神社」(三田市)

三田市の神社めぐりで7社目に参拝したのが神明神社です。
神社の由来などを書いた説明版は現地にはなく、ネットで調べても神社名と
住所は分かりましたが、由諸などは分かりませんでした。
三田市ではなく、一般的な神明神社で検索して調べたら下記のことが分かり
ました。

神明神社(しんめいじんじゃ)は、天照大神を主祭神とし、伊勢神宮内宮(
重県
伊勢市)を総本社とする神社である。神明社(しんめいしゃ)、皇大神社
(こうたいじんじゃ)、天祖神社(てんそじんじゃ)などともいい、通称として「お
伊勢さん」と呼ばれることが多い。   フリー百科ウイキベディア

また、この神明神社周辺は今は何も残っていませんが、下田中城があったと
推定されることが分かりました。下田中城 - Wikipedia

神明神社:三田市下田中117

2017.02,16  03:52 PM





地名「三田」の由来 三田天満神社

三田市の神社めぐりで6社目に参拝したのが三田天満神社です。

三田天満神社:三田市天神3丁目34−5









                三田天満神社
鎮座地 天神3丁目34-5
祭神 菅原道真 大歳 大神 伊弉諾尊 大巳貴命 少彦名命
由緒 元は三国神祠と号して大歳大神が祀られていたが、天文14年(1545)
    に時の藩主赤松村秀により天満神社に改められたとされる。
    江戸時代には、藩主九鬼氏の御祈願所として信仰を集め、現代の社殿
    は7代藩主九鬼隆由が寄進したものである。
    また、境内には市内最古の寛文2年(1662)銘の一対の石燈籠がある。
    秋季例大祭には神輿2台、布団太鼓2台、各地区の山車5台による渡御
    行列が行われ、境内では山車の豪快な宮入は繰り広げられる。

地名三田の由来
上記の由緒には載っていませんが、三田という地名は和銅6年(713)風土記
編纂の折、大歳大神の御領田(みけだ)の意味で三田と書かれたところから来
ていると古書に記されています。

 御領田:幕府や諸大名などが所有した領地のこと。

3月1日:23032歩

門柱の由来(県立有馬高校)

三田城跡の石碑と説明版を三田小学校前で見た後、有馬高校前で「門
柱の由来」の記念碑を見つけました。
(三田城跡は本丸跡には三田小学校が建っています、二の丸跡には県
立有馬高校が建っています。)

県立有馬高校の門柱



          門柱の由来(県立有馬高校)
この門柱は、県立三田農林高校が昭和22年学校教育法交付に伴う
新制高校昇格に備えて建立したものです。
稲川照三郎校長を始め教職員・地元文化人が相諮り、在校生一部作業
班(農林46、47回、卒業時新制1,2,3回生)が三輪明神窯跡から煉瓦や
匣鉢などの窯道具を持ち帰り、三輪在左官業梶秀吉氏に委託して構築
しました。
戦後間もないころから三田焼の誇る文化財として保存継承しようとした
関係者の努力は続き、窯跡は史跡園として整備されました。
門柱は歴史的にも意義あるものです。
門標は書家上田桑鳩氏の揮毫によるものです。
   昭和23年4月 新制高校昇格
   同年9月 三田高女と合併し有馬高校発足
            平成28年10月 百二十周年記念事業実行委員会


匣鉢(こうばち):陶磁器を焼くときに、素地を火炎その他から保護し、影響
          を受けないようにするための用いられる耐火性の容器。


県兵庫立有馬高等学校:兵庫県三田市天神2丁目1番50号

三田城跡(三田市屋敷町)

三田市の神社めぐりで、南が丘の大歳神社を参拝後、次の三田天満神社
に向かう途中で三田城跡がありました。

三田城は九鬼水軍として知られる九鬼氏が築いた城です。規模が小さいの
で三田陣屋とも呼ばれます。現在は本丸跡が三田小学校になっており、ここ
に三田城址の石碑と縄張り図のある案内板があります。二の丸跡は県立有
馬高校の敷地となっており、本丸と二の丸の水濠、二の丸東側の空堀が残
っています。

三田城跡:兵庫県三田市屋敷町2  市立三田小学校前に石碑

2017,02,16  02:28 PM

県立有馬高等学校南側の水濠



 三 田 城 跡
県立有馬高等学校付近は天正年中(1573~)伊丹有岡城主、荒木摂津守
の武将荒木平太夫の居城、のち山崎堅家、有馬則頼、松平重直そして寛永
十年(1633)九鬼久隆と城主が代わる。三田小学校付近は、九鬼藩主の居
館、現校舎地下に御台所跡が保存されている。七曜橋下が大手門筋。


2月28日:22694歩

大歳神社(三田市南が丘)

三田市の神社めぐりで5社目に参拝したのが大歳神社です。
神社の由来などを書いた説明版は現地にはなく、ネットで調べても分かりま
せんでした、
三田市には大歳神社が6社あり、鳥居の額で神社名は確認できましたが、
ここがどこの大歳神社なのか、近くに聞く人もいなかったので、後で確認する
ために神社のそばの住居表示のプレートを写して、住所で三田市南が丘の大
歳神社であることが分かったのです。

三田市の大歳神社
 ①三田市母子字宮ノ下695
 ②三田市上槻瀬字藪738
 ③三田市下相野字久郷880
 ④三田市南が丘1-9-17 (2017,02,16 参拝)
 ⑤三田市大原字大垣310(2017,02,16 参拝)
 ⑥三田市東本庄317

ここの大歳神社についての由来、歴史などが分からないので、大歳神社だけで検索
すると、
全国にある御歳神社・大歳神社の総本社が奈良県御所市東持田にある葛木
御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ)で、年神(としがみ)を祀る神社のことで大年神社
とも表記されることがあります。


大歳(おおとし)神社:三田市南が丘1-9-17



2017,02,16  02:08 PM





三輪明神窯跡(三田市)

三輪神社の境内に三輪明神窯跡まで行く案内があり、その通り進むと
約5分で到着しました。
江戸時代後期の登り窯で、昭和10年ころまで使われていました。

三輪明神窯跡:三田市三輪858-1

   三輪明神窯跡第3号窯跡
   江戸時代おわり
三輪明神窯跡第3号窯跡は、3基ある登り窯の中で一番最初に築かれ
ました、最も盛んに操業していたのは江戸時代の文化・文政(1804年~
1829年)の頃と言われています、窯跡の大きさは全長推定52メートル、最
大巾9.5メートルもあります、元々は、粘土とレンガなどで造られたかまぼこ
型の天井をもつ器を焼く部屋が幾つもつながっていました、器を焼く部屋
は、山の斜面を利用して階段状に14部屋以上造られていることから、か
なり大きな登り窯であったことがうかがえます。
第3号窯跡は、西半分の遺構は盛土によって埋め戻して保存し、東半分
は発掘調査のままの姿を公開しています。        第3号窯跡


第1号窯跡                                 2017,02,16  10:41 AM





三輪神社(三田市三輪)

三田市の神社めぐりで4社目に参拝したのが三輪神社です。


三輪(みわ)神社:兵庫県三田市三輪3丁目5−1 JR 三田駅徒歩5分

2017,02,16  09:31 AM

額の文字「三輪大明神」



                 三輪神社 由緒 
当社はわが国最古といわれる大和国一宮・大神神社から分祀された社で
あります。 御祭神の大巳貴神は、大国主神の幸魂(人に幸福を与える神
の霊魂)・奇魂(不可思議な力を持つ神霊)で、いつも私たちの日常生活が
楽しく豊かになるようにお守りになっている大神であります。
社歴を顧みますと「新抄格勅符抄」などに「大平神護元年(765)9月摂津国
に大和の大神神社の封戸25戸を置き、後に5戸を追加した」とあり、すでに
8世紀の中頃には「三輪神社」が存していたようで、三田市内で一番歴史の
ある神社に数えられています。
その後、南北朝時代の文和年間(1352~56)に大和国城上郡から来た領
主・松山弾正が天神山からこの地・丸山に遷座し、社殿を設け、奉祀したと
伝えられています。
近世になると三田藩主の崇敬も篤く、二代藩主・九鬼隆昌が神鏡一面、五
代藩主・隆方も元禄14年(1701)に「三輪明神縁起」一巻を奉納しているほ
か、歴代藩主も拝殿の再建、石鳥居、額面、神輿などを寄進しています。
最近では、平成7年の阪神淡路大震災で大鳥居、石燈籠など石造物に大き
な被害をうけましたg、氏子たちの浄財で半年後には再建されています。
なお、同9年には例祭に奉納される「波宇也(はうや)踊」が市の無形文化財
に指定されました。

封戸(ふこ):律令制の封禄制の中核となる制度で、諸国の一定の課戸を指
        定し、その戸の出すの二分の一、調の全部および仕丁の
        労役を封主が収取するもの。 また、その指定された課戸。
        支給対象は皇族や上級貴族、神社、寺院。

         税金の種類 祖 庸 調
租(そ):田1段につき2束2把とされ、これは収穫量の3%~10%に当たった
庸(よう):(21歳~60歳の男性)・次丁(61歳以上の男性)へ賦課された
調(ちょう):正丁・次丁・中男(17歳~20歳の男性)へ賦課された。
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