ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

日本一・初・最古・唯一

日本最初の図書館「芸亭」奈良市

4月28日の奈良市内ウォーキンクでウワナベ古墳・コナベ古墳の次に
国道24号線、一条高等学校のそばで日本最初の図書館「芸亭」
の説明板を見つけました。

芸亭(うんてい)伝承地: 奈良市法華寺町                          2019,04,28  00:38 PM





                  芸亭(うんてい)

芸亭は今から千二百余年前、奈良朝のころ大納言石上宅嗣卿が邸宅を
提供して阿閦寺とし、その一隅に設けたわが国最初の公開図書館であ
る。そこには数多くの儒書等を備え、好学の人々に自由に閲覧させたと
続日本記に書かれている。
芸亭の位置については、古来多くの学者によって研究されてきたが、現
在では一条高校付近だといわれている。
奈良県図書館協会では宅嗣卿の業績を賛えるとともに、芸亭の存在をひ
ろく世に認識され、その趣旨が今に生かされるよう、ここの顕彰柱を建て
てながくこれを記念するものである。

             昭和四十六年十月二十八日  奈良県図書館協会

一条高等学校



5月14日:16728歩

歯ブラシ生産高日本一(八尾市)

近鉄八尾駅前で、歯ブラシ生産日本一の記念碑を見つけました。

ブラシの記念碑  近鉄八尾駅前



              歯ブラシの生産高日本一
八尾市域とその周辺は、かって河内と呼ばれ、江戸時代から綿作地帯
として知らた「河内木綿」の古い歴史をもつ。
明治20年代かた農家の副業として八尾にブラシ植毛がはじまり、河内木
綿に代わり歯ブラシ、化粧用ブラシの生産の中心地となった。
特に歯ブラシは、昭和20年代には大阪府が全国生産高の90%以上を
占め、そのうち八尾市が60%以上であった。現在も全国生産高日本一
である。
八尾市が今なお「歯ブラシの生産高日本一」の地場産業であることを全
国的に知っていただくと共に、ブラシ産業の更なる発展を願いここにブラシ
の記念碑を建立した。
                   平成17年6月2日 八尾市長 柴谷光謹


近鉄八尾駅

日本最初鉄道トンネル「旧石屋川隧道跡」

網敷天神社参拝後、石屋川沿いに歩いて行くと「旧石屋川隧道跡」の
看板を見つけ、よく見ると法面にも、「日本で最初の鉄道トンネル 旧石
屋川隧道跡」の石碑が建っていました

綱敷天満宮の参道前をJR西日本が走っています。今は高架となってい
ますが、高架となる前は石屋川の川底を走っていました。ちょうどトンネ
ルの入口付近に参道がありました。

この日本で最初の鉄道トンネルは明治7年に開通した、国鉄(現在JR)の大
阪~神戸の当時の住吉駅から灘駅(現在の住吉から六甲道駅)の間にあ
る石屋川の下に存在しました。

参考記録:

日本で最初に鉄道が開業したのは1872年(明治5年)10月14日、新橋駅~横浜駅間、

そして日本で2番目に開業したのが1874年(明治7年)5月11日、大阪駅~神戸駅間
いずれも、国鉄(現在のJR)です。


旧石屋川隧道跡 現在は地下道のようになっていますが、当時はこの地下道の
中央付近にトンネルの入り口がありました。


石碑の文字「日本で最初の鉄道トンネル 旧石屋川隧道跡」







9月7日:23467歩

日本最大「十三重石塔」(宇治市)

宇治市神社めぐりウォーキングで県神社参拝後、次の目的、宇治神社に向かう
途中の宇治公園の中、中州の塔の島に大きい十三重の石塔がありました。
高さ15.2mは現存する石塔では日本最大の高さです。



十三重塔:京都府宇治市宇治塔川


弘安9年(286)、橋寺を中興した西大寺の叡尊によって建てられました、
宇治橋の修復を命じられた叡尊は、洪水による橋の流出は魚霊の祟り
であるとし、殺生禁断の思想から網代や漁具を埋め、その上に石塔を建
立したものです。
塔は洪水による倒壊と修復を繰り返してきたが、宝暦6年(1756)の大洪
水以後、宇治川に埋没していました、現在の石塔は明治41年(1908)に
川底から引き上げられて修復が施されたものです。

塔の島から宇治川右岸を写す。          2018,06,17  07:45  AM




6月23日:25975歩

日本一高い石垣「東外堀」(大阪城)

12月6日の大坂城内史跡めぐりウォーキングで、「玉造口」の近くで東外堀」を見つ
けました。
石垣の高さは日本一高い32mあります。



東外堀(大阪城)

2017,12,06   00:40 PM





              東外堀(ひがしそとぼり)
大阪城二の丸の東に位置する水堀で、北が青屋口、南が玉造口である。
元和6年(1620)、徳川幕府による大坂城再築第一期工事により、豊臣時代
大阪城の堀跡に改めて石垣が築造された。本来は青谷口より先の北外堀
とつながっていて、総延長はあわせて約3キロメートル、堀の幅は最大約90メート
ルである。
幕府の命令によって動員された大名は、加賀金沢藩前田家・越前北庄藩(
福井藩)松平家・土佐高知藩山内家など16家。
大正年間、大阪砲兵工廠の敷地拡張にともない北外堀を残して埋められた、
平成9年(1997)。外堀とつなががらないままではあるが、現在の姿に復元
された。


12月27日:9372歩

日本最初のガス燈(造幣局)

最近はグ-グルの地図で、あまり知られていない史跡をよく見つけます。
造幣局の中にあるガス燈が日本初のガス燈であることが分かったので
12月2日の大阪市内ウォーキングの時に見学してきました。
造幣局は京橋方面から銀橋を渡るとすぐ南側に入り口があります。
見学は無料ですが、造幣局の守衛で名前を記入してバッジを受け取り
胸につけて入館する必要があります。



銀橋


日本最初のガス燈(造幣局)大阪市北区天満一丁目1番79号

2017,12,02  10:19 AM



               創業当初のガス燈
造幣局では、構内にガス製造所を設けて、石炭ガスを製造し、それを
燃料としたガス燈を明治4年(1871年)から局内の工場や宿舎付近の
街路の照明に使用しました。
大阪において一般向けにガスの供給が開始されたのは、明治38年(
1905年)のことですから、明治の初めに灯った造幣局のガス燈に、市
民は驚嘆しました。
ここにある二基のガス燈は、日常使用された我が国最初のものといわ
れており、創業当時の玄関前にあったときの姿をとどめています。   
                                     造幣局

古墳時代の戸口装置(来ぶらり四條)

先日(8月9日)見た、大東市「北新町遺跡」の説明板に有った「戸口装置」
の発掘した実物が「来ぶらり四條」の中にある「歴史民俗資料館」に展示
していることが分かり、その実物を見て来ました。
当時の扉を復元できる最古の実物資料として、日本で唯一の資料です。

北新町遺跡(大東市)


戸口装置(古墳時代の倉庫の扉):大東市「来ぶらり四條」に展示












8月18日:18530歩

日本最古現役灯台「今津灯台」

今津砲台跡の近くに「今津灯台」があります、この灯台は酒造メーカ大関の
五代目長兵衛によって樽廻船や漁船の安全を願って文化7年(1810)に
建てられた民営の灯台です。
なお、県の津波防災工事に伴い、別の場所へと移転されることが決まった
そうです、具体的な移転先は未定です。

今津灯台:兵庫県西宮市今津西浜町17   正式名称:大関酒造今津灯台





この灯台は、当会社の前身 長部本店の第五代長部長兵衛が今を去る155年前
、文化7年(1810年)大坂 谷町奉行所の許しを得て私財を投じ、樽酒廻送船など
の出入り船の航海安全のためこの地に建設、第六代長部文次郎が、安政5年(
1858年)に再建するなど代々この意志をつぎ灯台の維持管理につとめ今日に及
んだ、しかし長年の星霜を経た上に、灯台付近の環境に著しい変化を来たしたの
で、弟10代長部文次郎が復元を志し、基礎の補強などの工事を施し、今日その竣
工を行ったのである。
                 昭和40年11月1日 大関酒造株式会社


2017,07,15  08:44 AM



          今津灯台 Imazu  Lighthouse
今津の酒造家「大関」醸造元、長部家五代目の長兵衛によって、今津港
に出入りする樽廻船や漁船の安全を願い、文化7年(1810)に建てられた
灯明台が「大関酒造今津灯台」です、その後六代目文次郎が再建、台石
の「象頭山常夜燈」は海の守り神金比羅宮奉納を表し、この高燈籠様式
の灯台に、今津の人びとは深い親しみと郷愁を感じています。古い行灯
式灯台は今も現役で活躍しており、市の文化財指定を受けています。


                宮水と酒文化の道
              酒香る 西宮郷・今津郷
樽廻船に江戸積みされた酒
上方で船積みされた酒が江戸に到着するまでの日数は、江戸時代初期には
平均3週間から一か月かかっていましたが、幕末期には、樽廻送船と四斗樽
で、通常1週間ほどで運べるようになっていました。
それが新酒番船となると、速い場合には3から4日ですから、この間に10倍も
速くなったことになります。
江戸の品川湊、佃島沖に碇泊した樽廻船から、酒は伝馬船に積み替えられて
、雲岸島、茅場町、新堀、新川に集中していた、”下り酒問屋”に運び込まれます
酒問屋は、枡酒屋(小売り酒屋)の注文に応じて、酒を売っていました。新川付
近には、今でも酒蔵のオフイスがあり、当時の酒蔵の”力”を感じさせてくれます。




7月25日:18118歩

祝日本遺産認定「竹内街道」(松原市)

松原市内を神社めぐりウォーキングをしているとき松原市岡4丁目付近で「竹内
街道」の説明板を見つけました。
この街道は平成29年4月5日に『1400年に渡る悠久の歴史を伝える日本最
古の国道「竹内街道・横大路(大道)」』が、大阪府内で初めて日本遺産に認
定されました。

竹内街道:松原市岡5丁目付近

2017,07,08  01:19 PM



             竹内街道(たけのうちかいどう)
竹内街道は、堺市から東進し二上山の竹内を越えて奈良県橿原市に至る古
代以来の街道である。 推古天皇紀21年の条に難波から大和の小墾田宮
官道が開かれたとあり、近年大和川今池遺跡で難波大道遺構の、約 8 m の
道路幅が確認された。
この道によって古代の大陸文化が導入された。中世末期に堺が自由都市とし
て栄えたため交易や鉄砲などの製造で人々が行き交い、近世以降は伊勢詣
りでにぎわった。                    松原市


小墾田宮(おはりたのみや):奈良県高市郡明日香村(あすかむら)にあったと
                  される推古天皇と皇極天皇の皇居。



日本最古の官道「竹内街道」


7月21日:43231歩

日本最初 理化学専門学校「大阪舎密局跡」

大坂城の手前で「舎密局跡」の石碑を見つけました。
「舎密局」と書いて「せいみきょく」と読みます。「舎密」は、オランダ語で科学を
意味するChemieの当て字です。
 大阪舎密局は、日本最初の理化学専門学校として明治2年(1869)に開校した
公立の学校です。 教頭にはオランダ人の科学者ハラタマ(K.W.Gratama:1831
~1888)が迎えられ、西洋の近代化学・物理学を主とする講義と実験の授業が
行なわれました。
 舎密局はその後名称を変更されるなどし、明治5年(1872)にその役目を終えま
したが、その流れは京都の第三高等学校から京都大学に受け継がれています。
 この跡地碑は1979年に建立されました。
また2000年の秋には日蘭交流400年の記念として、舎密局の跡地碑の横に、新
たにハラタマの像が建立されました。

なお京都大学発祥の地とされる場所がこの近くにもあります。
大阪英語学校跡(京都大学 発祥の地)

舎密局跡:大阪市中央区大手前3丁目1番 



2017,03,22  03:02  PM
                
                                                  

                                    史跡  舎 密 局 跡

明治2年5月1日、政府はこの地に物理化学を専攻する舎密局(せいみきょく)という学校を創設
した。 この場所はその遺跡の一部である。

この学校は、その後度々名称を変えて明治19年に第三高等中学校となり明治22
年8月京都市吉田に移り明治27年9月から第三高等学校となる。

この樟樹は舎密局(せいみきょく)の生徒が憩う緑陰として当時からあったという。

       昭和54年12月                  大阪府教育委員会 三高同窓会建立

オランダ人教頭の科学者ハラタマの像



4月09日:16198歩

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