ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

芦屋市(兵庫県)

大楠公戦跡碑(芦屋市楠町)

阿保天神社を参拝して芦屋市の神社めぐりが終わり、時間を見るとまだ
午後1時40分、時間が充分あるので隣の西宮市の神社めぐりをしながら
帰り道に着くことにしました。
結果は西宮市の神社4社を参拝し阪神甲子園駅に着いたのが午後5時
でした。
国道2号線沿いで最初に見つけた「大楠公戦跡碑」を紹介します。

大楠公戦跡碑:芦屋市楠町



2017,05,04  02:00 PM



                 打出合戦あと
「打出」の地で合戦があったことは、「太平記」等に記されていますが、その
地名は西国街道を旅した人々が京都を出発し、はじめて海に打ち出るとい
うことに由来していると考えられています。
打出合戦は、今から650年以上前にこのあたり舞台にして起こりました。
建武3年(1336)2月10日に、公家中心の政治の復興を目指す後醍醐天皇
を支持する楠木正成と、新たな武家政権の樹立を目指す足利尊氏の両軍
が、この地で激突したのです。 戦いの結果は、足利軍が兵庫に敗走した
ことによって、楠木軍の勝利に終わりました。
昭和9年(1934)、精道村教化団体連合会は楠公六百年記念事業としてこ
の石碑の建立を企画し、土地は地元の名士である斉藤幾多氏からの寄附
を受け、昭和10年(1935)2月に竣工しました。
石碑の題字「大楠公戦跡」の文字は当時の陸軍大将、本庄繁の筆によりま
す。
昭和19年(1944)の町名改正で、この戦跡碑をもとに「打出楠町」となり昭和
43年(1968)以来の住居表示制度によって現在の「楠町」となりました。
大楠公戦跡碑と斉藤幾多氏銅像(戦時中に供出され土台部のみ現存)を、
市の公園改修事業にともない現在の場所に移設しました。
                              平成28年3月  芦屋市

5月18日:24968歩

阿保天神社(芦屋市上宮川町)

芦屋市の神社を調べたら全部で6社ありました、5月4日に6社参拝する
事が出来ました。
最後の6社目に参拝したのが阿保天神社です。

阿保天神社:芦屋市上宮川町7-11



御本殿                  2017,05,04  01:40 PM



当神社は 阿保親王、在原業平朝臣公の御父子と菅原道真公の三神をお
祀りしています。
神事
阿保親王は第51代平城天皇第一皇子でそして在原業平朝臣公は親王の
第5番目の御子です。
阿保親王は承和9年(842)10月22日摂津の国芦屋の里(其の館跡地が現
在の打出町の親王寺と伝えられています)で御歳51才をもって亡くなられ
ました。
毎年12月1日に阿保親王の御遺徳を偲び宮内庁が祭祀となって市内有志
が合集い親王塚御墓前で御正辰祭が挙行されます。
                       阿保天神社 宮司
                       同       総代表

5月17日:27517歩

打出天神社(芦屋市)

芦屋市神社めぐり5社目に参拝した打出天神社は春日町にありますが、社号の
打出は、童話の「打ち出の小槌」はこの地の伝説から来ています。

打出(うちで)天神社:芦屋市朝日町  場所は阪神電車の打出駅北、約200m


真新しい鳥居の裏には震災で倒壊したので再建されたことが刻まれています。

2017,05,04  01:15 PM

                    打出天神社
御祭神 菅原道真公 他九柱
当神社が鎮座する打出は、西国街道が箕面の山麓から武庫の平野を横断して、
初めて海岸に打ち出る地点であった。
また、神功皇后と麛坂・忍熊皇子に由来する打出の浜。さらに打出の小槌の伝説
のある所である。
古くから交通の要所である打出は、幾度となく戦火にまみれ、又この大戦(太平洋
戦争)にも本殿はじめ焼失し、当神社には古記録はない。
それ故当神社の創建は明らかでないが、古来、産土神を祀っていたものを、天神
信仰が盛んになり、天神さま(菅原道真公)を勧請したものと思われる。
この地が古くから交通の要地であったので、天神信仰が早くから伝わったと思われ
、天暦元年(947)に北野天満宮に道真公が祀られて、ほど遠くない時期に勧請さ
れたとみたい。
又、時代は下がるが室町時代には北野社(天満宮)領の葦屋荘の記録があるのも
、なにかしら深い縁がある。


5月16日:30194歩

阿保親王塚(芦屋市)

芦屋市の神社&史跡めぐりウォーキングは岩園天神社の次に阿保親王塚を探索しま
した。
阿保親王は平城天皇の皇子でこの近くの景色を好まれて別荘を造って住まわれ
ました。
なお、京都府伏見区深草正覚町、三重県青山町と大阪府松原市にも阿保親王塚
と伝えられる古墳があるそうで、芦屋の阿保親王塚は、明治時代の教部省が阿保
親王塚と認定しているが、青山町の親王塚も明治9年3月10日に認定され、現在
も宮内庁の管理にあるそうです。

阿保神社(松原市阿保)

阿保親王墓:芦屋市翠ヶ丘町11    

2017,05,04  01:17 PM





           阿保親王塚 Tomb of Abo Prince
平城天皇の皇子、阿保親王(792~842)がまつられており、親王は深く
打出浜の眺望を愛でここに別邸を営んで風月を友とせられたという。
周囲350mの陵域は、旧打出村の自然美を伝え、塚は古代の円墳で、
径約36m、高さ3mあり周壕をもつ。
伊勢物語「芦屋の段」でゆかりのある、在原業平は親王の御子である。
拝所の正面にある四対の石燈籠(一対は阪神大震災により滅失)は長
州藩主毛利候の寄進といわれている。
親王塚は、現在宮内庁で管理されており、毎年12月の命日は正辰祭
が行われている。                                 芦 屋 市  


5月15日:21936歩

岩園天神社(芦屋市岩園町)

5月4日、芦屋市神社めぐりで4社目に参拝にたのは岩園天神社です。
この付近の旧地名が岩ヶ平であったことから、以前は岩ケ平天神社と呼ばれて
いました。
また、この辺は古墳の多い所で神社の中にも古墳がありました。

岩園(いわぞの)天神社:芦屋市岩園町43番1号



2017,05,04  00:00 PM



          岩園天神社改築記念
 御祭神 天満宮菅原道真公 秋葉大神 金比羅大神
 創建は元禄以前と伝えられ爾来幾星霜を重ねて明治15年に
 改築以後凡そ百年を経て再度改築昭和53年7月竣工

古墳の上にある石には役行者の像が彫られています。

猿丸太夫の墓(芦屋神社境内)

芦屋市の神社めぐりの時、芦屋神社の境内で「猿丸太夫の墓」を見つけ
ました。
猿丸太夫は平安時代の歌人、三十六歌仙の一人で小倉百人一首、5番
目の歌の作者とされています。

「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」の歌は有
名です。

歌の有名度に比べ、生涯の詳しい実像は明らかでないようです。各地に
遺跡や言い伝えは多く残っています。例えば、兵庫県芦屋にはその子孫
が住んでいるとか。また、大阪府堺や長野県戸隠、新潟県東蒲原、山形
、金沢、福島県南会津、高知県高岡郡佐川町、熊本県上益城郡山都町
等にゆかりの地が数多くあります。

猿丸太夫(さるまるたゆう)の墓(芦屋神社境内)

2017,05,04  10:58 AM






5月13日:24451歩

芦屋神社(芦屋市東芦屋町)

芦屋市神社めぐり3社目に参拝したのは芦屋神社です。
以前は芦屋天神社と称していましたが、芦屋神社と改称されました。

芦屋神社:兵庫県芦屋市東芦屋町20−3

2017,05,04  10:51 AM





               芦屋神社(天神山) Ashiya Shrine
祭神は、天穂日命(アメノホヒノミコト)、もと芦屋天神社と称していたが、昭和21年
に芦屋神社と改称。
毎年4月第一日曜日には花祭りが、10月16日には秋祭りが行われる。境内
西側には古墳時代の横穴式石室墳が残されており、社殿の裏庭には宝塔や
猿丸安時の奉献梅樹の歌碑などがある。また、境内には珍木おがたまの木
等多くの樹木があり、実に素晴らしい景観をかなで、四季を通じ訪れる人も多
いかっては、境内には、市花「コバノミツバツツジ」が多くあり。大きなものは3m、
樹齢200~300年を超えるものがあった。
ヤマモモも樹齢200~300年を超えた樹木が今も植わっています。
社殿及び諸建物は昭和5年に新改築されたが、平成7年の阪神淡路大震災
で大被害を被り、現在の社務所は、平成14年12月に落成竣工した。


5月12日:26470歩

鷹尾城跡(芦屋市)

5月4日の芦屋市の神社/史跡めぐりウォーキング、会下山遺跡の次に行った
のは鷹尾城跡でした。
鷹尾城(たかおじょう)は兵庫県芦屋市にある城山全体が城跡であり、。
山城部分を「鷹尾城山城」平城部分を「芦屋城」と区別していうこともあり
ます。
標高262.1mの「城山」にあったで、名前の由来となった標高271.8m「
鷹尾山」には城の遺構は確認できていません、「城山」の山頂が城の最
後尾ではなかったかと思われています。
城山の頂上付近まで登りましたが城跡を示すものは何もありませんでし
た。



登山口の手前にあった案内板にも城跡を示すものは何もないと書かれています。

         城山(鷹尾城跡 )  Shiroyama battlefield
永生8年(1511)細川高国、澄元の両軍勢による鷹尾城と芦屋川原の合戦
は阪神地方の代表的な古戦場として知られている、標高260m、いま城山
の山頂には中世の城跡としての遺構は何も残っていないが、大阪湾を一望
できる眺めもすばらしく動植物の観察や高座の滝までの2kmのハイキングコース
として親しまれている。       芦屋市、芦屋観光協会

登山口

城山からの眺め

2917,05,04  10:05 AM



麓から写す



5月11日:27515歩

国史跡 会下山遺跡(芦屋市)

芦屋市立三条小学校跡を通過して民家が途切れ山の麓に会下山遺跡の
入り口がありました、途中で、その場所を尋ねた人の言った通り入り口は
閉まっているが、それはイノシシ除けであるから扉を開けて入り、そしてまた
閉める必要がありました。
この弥生時代の遺跡は昭和31年(1956年)に、芦屋市立山手中学校の生
徒が、弥生土器のかけらを多数発見しました。
市の教育委員会がその後数回にわたり、
会下山山頂から中腹にかけて学
術的な発掘調査を行ったところ、集落跡がほぼ完全な状態で発見されたの
です。


会下山(えげのやま)遺跡(芦屋市)

2017,05,04  09:15 AM

標高200mの山道を登ります。







            国史跡 会下山遺跡
2000年前の弥生時代の高地性集落跡です。遺跡は会下山全域に
広がっており、竪穴住居跡や祭祀跡、焼土杭(火焚き場跡)、墓地
、堀跡などが発掘されています。
標高約200mの山頂付近にあるS地区は眺望が大変よく、遠くの地
域まで見渡すことができます。       平成23年2月 指定




5月10日:19877歩

芦屋市立三条小学校跡

三条八幡神社を参拝後、次の目的地、会下山遺跡に向かう途中大きい
敷地の住宅の多い、高級住宅街を通過して霊園の手前に芦屋市役所三
条分室がありました、そこの入り口で「芦屋市立三条小学校跡」の記念碑
を見つけました。
そこには以前は三条小学校がありましたが、1995年1月17日の阪神淡
路大震災で校舎の損傷などの理由により芦屋市立山手小学校と統合し
たため閉校となりました。

芦屋市立三条小学校跡(現在は芦屋市役所三条分室)

2017,05,04  08:33 AM

            芦屋市立三条小学校跡
昭和53年4月 芦屋市立三条小学校開校
          芦屋市三条町19番90号
平成7年1月17日 阪神淡路大震災発生 校舎内外の損傷多大           
            避難所となる
平成11年5月   芦屋市立山手小学校との統合により閉校


芦屋市立三条小学校跡より振り返り市内を写す。

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