ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

城陽市(京都府)

若王子稲荷神社(城陽市)

城陽市神社めぐりウォーキングで枇杷ノ庄の天満宮社を参拝して予定していた
11社すべての神社を参拝することができました。
帰りに乗るJR京田辺駅に向かい、木津川の堤防を歩いていたら、近鉄京都
線を過ぎた堤防の下に、赤い鳥居が見えたので近づいてみると「若王子稲荷
神社」という神社でした。
この神社は京都府神社庁の城陽市神社一覧に載っていない、神社で、しかも
グーグルの地図にもその名前がありませんでした。
ネットで調べても全く出てこないので由来や正確な住所もわかりません。
神社の場所は、私の記憶を頼りにグーグルの地図をコピーして赤い矢印を入れ
ましたので参考にしてください。

若王子稲荷神社:城陽市枇杷ノ庄島の宮

2018,01,13  04:18 PM








若王子稲荷神社の場所:赤矢印


2月2日:70336歩






天満宮社(城陽市枇杷ノ庄大堀)

城陽市神社めぐりウォーキングで11社目に参拝したのが天満宮社です。
木津川の堤防のすぐ下、枇杷ノ庄(びわのしょう)大堀に鎮座しています。

天満宮社:城陽市枇杷ノ庄(びわのしょう)大堀

2018,01,13  04:07 PM







           城陽市指定文化財(建造物)
                      天満宮社 本殿(江戸時代初期)  
                                                                                        平成元年4月15日指定
この天満宮社は旧枇杷庄村の産土神であり、祭神は天満天神(菅原道真公)である。
現存する棟札によると、本殿は寛永四年(一六二七)に近村の大工により造営された。
近年では昭和三十五年の木津川の堤防改修で、南の旧地から約三十ㄨートル北に
移築され、翌年の第二室戸台風による損壊のため、昭 和三十七年に屋根を鉄板葺
に改めるなどの修復が行われた。
 本殿は側面を二間とする三間社流造で、三間の向拝をもち、本鼻・蟇股・繫海老虹梁
など装飾性もある。近世初期における山城地方の神社建築を知る上で、建築年代の
明らかな貴重な遺構の一つである。                                      城陽市教育委員会

2月1日:19680歩

水主神社(城陽市水主宮馬場)

城陽市神社めぐりウォーキングで10社目に参拝したのが水主神社です。
京奈自動車道城陽IC南すぐ。木津川の東岸辺の田圃の中に鎮座していました。

水主(みずし)神社: 京都府城陽市水主宮馬場30

2018,01,13  03:20 PM









                                                由  緒
水主神社は往古より世に聞こえた名神大社なり。其の祭神は天照御魂神(暁速日尊)、
天香語山神、天村雲神、天忍男神、建額赤神、建諸隅命、建筒草命、建多背命、倭
得玉彦命、山背大国魂命の十柱にして天照御魂神は即ち火明命にて氏の高祖なり
第十世山背大国魂命にいたり山背に移り大に其の国に功烈あり之を尊みて山背大
国魂命という。その子山城水主連となり世々其の祀を奉せしものなり延喜式には水
主社十座並大月次新嘗と定められ、特に天照御魂神と山背大国魂命とは四季祭相
嘗祭に預かり又祈雨大神の内に加わり仁寿貞観のころ加茂両社松尾稲荷住吉大社
等諸社と共に新年祈雨の奉幣あり朝家御崇敬上下帰依信仰尤も厚しと伝う。

1月31日:36332歩

久津川車塚古墳(城陽市)

久津川車塚古墳は近鉄「久津川駅」の東、JR奈良線の踏切の手前にあり
ました。
古墳は金網で囲まれていましたが、鍵がかかっていないので、扉を押して
中に入ることができました。

久津川車塚古墳:京都府城陽市平川車塚

2018,01,13  01:53 PM





     国指定史跡 久津川車塚古墳 昭和54年1月19日指定
久津川車塚古墳は、墳丘の長さが約180メートルで、周濠を含めた前長は約272
メートルあります。南山城地域では、最大の前方後円墳です。
久津川車塚古墳は、大谷川により形成された扇状地のほぼ中央に築造されて
います。大谷川の扇状地には、古くから「七つ塚」とよばれる七基の古墳があり、
久津川車塚古墳、梶塚古墳、芭蕉塚古墳、青塚古墳、箱塚古墳、指月塚古墳、
丸塚古墳がそれにあたります。
現在は、国指定史跡の久津川車塚古墳と丸塚古墳、城陽市指定文化財の芭蕉
塚古墳の他に青塚古墳の一部が現存しています。
宇治市南部から城陽市北半部にかけての丘陵上や平地には、多くの古墳が築
造されており、これらの古墳を総称して久津川古墳群と呼んでいます。
久津川古墳群は、広い範囲に古墳時代前期から後期にかけて築造された多くの
古墳があり、京都府内最大の古墳群といえます。
久津川古墳群は、宇治市南部の広野地域、大谷川扇状地を中心とした平川地域
、城陽市の中央部にあたる豊野地域の三グループに分けることが出来ます、特に、
三星の大型前方後円墳(久津川車塚古墳、芭蕉塚古墳、丸塚古墳)が所在する
平川地域は、久津川古墳群の中心となっています。      城陽市教育委員会


1月30日:27207歩

平井神社(城陽市)

城陽市神社めぐりウォーキングで9社目に参拝したのが平井神社です。
近鉄京都線「久津川駅」の西側すぐの所に鎮座しています。

平井神社:京都府城陽市平川東垣外79

2018,01,13  01:32 PM









                    平井神社の由来
当平井神社は平川地区の氏神として、古くから人々の信頼を集めてきました。
参道入り口の鳥居には、「貞観2年(1685)に牛頭天王の鳥居を再興した」という
意味の文字が刻まれています。そこにかいてあるように、平井神社は江戸時代
は牛頭天王と呼ばれていましたが、明治2年(1869)に現在の名前に改められま
した。両側に鷺谷桜の植えられた長い参道をぬけると、本殿の前にでます。
一間社流造という様式の本殿は、正保2年(1645)にたてられたものです。
正面の柱などには、桃山時代の華やかな彫刻がのどこされています。
祭神は江戸時代は疫病に霊験あらたかな牛頭天王でしたが、明治になって神速
須左之男命と八十猛命・奇稲田比売命の三神をおまつりするようになりました。
ちなみに京都の八坂神社の祭神の、おなじく江戸時代は牛頭天王で明治以降は
素戔嗚尊になっています、また、神紋も同じ木瓜紋です。
本殿の東側にある境内社は若宮社で、細部の彫刻技法などから、本殿とほぼ同じ
時期の建立と考えられています。ここには、天忍穂耳命をおまつりしています。
その南にある石壇上の末社は、北側が大国主神社で中側が天満宮社、南側はが
ん封じの守り神です。
なお、本殿と若宮神社は桃山時代の古様を今に伝える貴重な建物として、そして
鳥居は時代の明らかに古い明神鳥居として、昭和62年(1987)3月京都府の登録
文化財となりました、また、シイ・カシなどの古木の茂る境内は市街地に残る鎮守の
森として同じ時に京都府の文化財環境保全地区となりました。

近鉄 久津川駅



1月29日:22269歩

芝ケ原古墳(城陽市)

芝ケ原古墳は正道官衙遺跡から徒歩5分のところにありました。
全国でも珍しい銅釧(金属の腕輪)が出土しました。

芝ケ原古墳:京都府城陽市寺田大谷

2018,01,13  01:15 PM





          芝ケ原古墳の出土品(重要文化財 199(平成2)年指定
墓杭上面 庄内式土器(二重口縁壺、高坏)
木棺内  銅釧(2個)、四獣形鏡(1面)、硬玉製勾玉(8個)、碧玉製管玉(187戸)
      ガラス製小玉(1300個以上)、(1本)、錐(8片)
  銅釧は、貝輪を模した青銅製の腕輪で、全国的にも少なく、また本例のような形
  態はほかに例のない貴重なものです、径は12.1cmあります。
  四獣形鏡は、四匹の獣が配置された鏡で、中国の鏡を模した日本の鏡としては
  初期のものと考えられます、径は12cmsります。
  庄内式土器は、弥生時代から古墳時代への移り変わる時期に作られた土器です、
  模様で飾った、古墳に置くために造られたものです。
  これらの出土品は城陽市歴史民俗博物館で展示しています。  
                                       城陽市教育委員会

銅釧(かなくしろ):金属の腕輪
(ほこ):古墳時代の武器、矛や鉾の字が多く用いられる。


銅釧


1月28日:17944歩

正道官衙遺跡(城陽市)

正道官衙遺跡は久世神社から東へ5分程度の所に在りました。
奈良時代の郡衙(ぐんが)の跡で、現在の役所にあたります。
今は公園として整備されています。


正道官衙遺跡:京都府城陽市寺田正道 JR奈良線 城陽駅から徒歩約10分

2018,01,13   00:55 PM







   史跡 正道官衙遺跡(しせき しょうどうかんが いせき)昭和49年(1974)9月指定
遺跡の発見
  標高40~50mの南向きの台地上にあるこの遺跡は、昭和40年(1965)、台地西端
  の池畔で瓦片や土器片がみつかり、古代寺院があったと推定されて「正道廃寺跡」
  と名付けされました。
  しかし、昭和48年(1973)2月からの大規模な発掘調査では、寺院跡とみるより
  、奈良時代の郡衙(郡の役所)中心部分と推定される建物群跡が確認され、昭和49
    年(1974)には名称も「正道遺跡」と改められました。その後、付近で部分的な発掘
   調査を続けた結果、遺跡西側にも建物群跡のあることがわかっています。
国の史跡に
  この遺跡は、五世紀の小規模な古墳と六世紀後半から七世紀にかけての集落遺構
 、そして七世紀以降の整然と配置された大型の掘立柱建物群からなる官衙(奈良時代
    の役所) 遺構などが重なり合う複合遺跡です。特に官衙遺構は歴史・地理的背景や
    出土遺物から 奈良時代の山城国久世郡の郡衙中心部であると推定され、昭和49年
   (1974)9月、城陽市では最初の国の指定を受け、翌年3月に史跡地全体の約10850㎡
    が公有化されました。
史跡の整備
   この遺跡は、発掘調査後埋め戻されて長い間広場になっていましたが、遺跡の保存と
   活用を図りながら、積極的にまちづくりに生かしていこうという機運が高まり、平成9年
   (1989)2月、文化庁の指導を得て、この遺跡を含む市内全五か所の史跡整備構想を
   策定、翌年、この官衙遺跡の整備基本計画を作り、平成3年(1991)10月から整備工
  事に着工、平成4年(1992)2月に工事が完成しました。
整備の方法
   整備にあたっては、官衙建物群のうち、ほぼ同時期のものと推定される建物群を復元
  の対象とし、時期を異にする建物遺構は、一定の覆土をして地下に現状保存 してい
    ます。
   建物の復元の仕方は、発掘調査の結果に基づいて柱の位置や太さを忠実に表現し 、
     一方、柱の高さや仕組みは近い近代の建築様式を参考にして、これらの建築の規模
    が想像できる「イメージ復元」となっています。
   また、遺跡内の樹木は、在来植物の中から選び、特に奈良時代の「万葉集」の歌に詠
  まれている、いわゆる「万葉植物」には代表的な万葉歌を添えて紹介しています。



もも        春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出て立つ少女
                         大伴家持(巻19-4139)


1月27日:30389歩

「久世の鷺坂」柿本人磨呂 歌碑

城陽市神社めぐりウォーキングで8社目に参拝した久世神社のすぐそばに坂が
あり、「久世鷺坂舊跡」の石碑と柿本人磨呂の歌碑がありました。

坂は昔は「久世の鷺坂」と呼ばれ景色のよい場所でここ鷺坂一帯は、万葉集
など和歌の名所であり、また、飛鳥・白鳳時代の寺院跡(久世廃寺)をはじめ
とする古代遺跡が集中し、政治・文化の中心地でもありました。


舊跡(きゅうせき):建物等があった場所、旧跡と同じ意味。

久世の鷺坂   久世神社(京都府城陽市久世芝ケ原142)のそば。  2018,01,13  00:41 PM


久世鷺坂舊跡(くぜさぎさかきゅうせき)           


柿本人磨呂 歌碑

            柿本人磨歌集
 山城の久世の鷺坂
 神
代より
 春ははりつつ
 秋は散りけり

歌の意味:山城の久世の鷺坂は 神代の昔から春は若葉が萌えさかり 秋には
       散ってゆくのです。

1月26日:18099歩

久世神社(城陽市久世芝ケ原)

城陽市神社めぐりウォーキングで8社目に参拝したのが久世神社です。
御祭神は、日本武尊で、言い伝えによると、御祭神の日本武尊は死後、西に
白鷺となって飛び去り、その鷺が留まった地を鷺坂山と言い、この地に祀った
のが始まりとされます。
 『万葉集』で柿本人麻呂によって詠われている「白鳥の鷺坂山」はこの地のこ
です。

久世(くぜ)神社:京都府城陽市久世芝ケ原142

2018,01,13  00:29 PM







                                        由  緒  記
鎮座地 京都府城陽市久世芝ケ原
御祭神 日本武尊
新年祭    1月3日
春祭り     4月
夏祭り     8月
大祭       10月7日
お火焚祭  12月
月次祭    3月・6月・9月
由  緒
旧久世村の産土神で、日本武尊を祭神としている、その創祀年代はあきらか
ではないが、本殿建物が室町末期の遺築であることからみて、それ以前の
鎮座であることが想像される。
もとは若王社といったが、明治維新の時に今の名にあらため、明治7年郷社に
列せられた。
明治39年に重要文化財に指定された。末社として竜王神社・稲荷神社がある。
特別祭祀として例祭にさきだつ10月5日・6日の両宵に御旅所(久世南垣内)に
おいて迎火として大箐火を献ずる。

1月24日:18693歩

水度神社(城陽市寺田水度坂)

城陽市神社めぐりウォーキングで7社目に参拝したのが水度神社です。
一の鳥居から二の鳥居まで約1キロ、参道の長い神社でした、

水度(みと)神社:城陽市寺田水度坂89    一の鳥居

二の鳥居

2018,01,13  11:52 AM




本殿:城陽市内に現存する最古の建物。



                  水 度 神 社
鴻ノ巣山のふもとにある水度神社は、旧寺田村の産土神で、祭神は天照皇大御
神・高御産靈神・少童豐玉姫命です。「山城国風土記」逸文に「久世の郡水渡の
社祇社」とあるところから、風土記が編さんされた奈良時代には存在したと考えら
れます。
平安時代前期に成立した「延喜式」には水度神社三座」と記されています。
重要文化財の本殿は一間社流造で、文安5年(1448年)に造営された市内に現存
する最古の建物です。屋根は桧皮葺で、正面に大きな千鳥破風があります。また、
庇の正面中央には、透彫の唐草と笹りんどうをあしらった欄間がつけられ、意匠を
凝らした優美な建物です。水度神社には京都府登録文化財の「おかげ踊り図絵馬
」は文政13年(1830年)11月1日に寺田村北東町の人々が水度神社に奉納したお
かげ踊りの様子を描いたものです。
「鉄湯釜」は、湯立て神事に使われていたと考えられ、銘文から応永32年(1425年)
に作られたことがわかります。
「大般若経」は、鎌倉時代前期にさかのぼる書写経で、村落における信仰の歴史を
知る貴重な資料です。                 城陽市教育委員会


1月23日:17108歩
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