ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

神社仏教用語

羽束師坐高御産日神社(京都市伏見区)

3月14日の伏見区神社めぐりウォーキングで6社目に参拝したのが羽束師坐高御産日
神社です。
山城国では最も歴史の古い神社です。

羽束師坐高御産日((はづかしにますたかみむすび)神社:伏見区羽束師志水町219-1

2018,03,14  09:34 AM



                  羽束師坐高御産日神社
当神社は雄略天皇31年(477)に創祀され生成霊力の御神徳をおもちの皇産霊神
二柱を奉斎しています。
皇産霊を「ミムスビ」と言い「ムス」はものの生成を意味し、成長する力を「ヒ=霊力」
と言います。元、高皇産霊神は高木神とも申し、神の依ります神体木(神籬 )に縁
の深い御名で明らかに田の神の降臨をあおぐ祭に関りのある農耕神の信仰をに
なう神であります。
随って護国豊穣を祈る人々の間に稲霊を崇めるムスビ信仰が育まれ、特に収穫時
に新穀を神と共に新嘗(ニイナメ)する農耕行事は最も貴重な祭儀として、高皇産霊神
、神皇産霊神が祀られてきた。この行事は弥生時代から現在までの変遷を超え種
々の文化要素を習合しつつ新嘗祭となり勤労感謝の日となって今なお生活の中に
伝承されています。
続日本記大宣元年(701)4月3日の条に「勅して山背国渡津賀志の神等の神稲は自
今以後中臣氏に給へ」とあるのは当社に属する斎田から抜穂して奉祭し際人中臣氏
が新嘗祭を行ったことを示唆する資料といえます。
本殿の左右に天照皇大神を始め十一神が祀られています。
大同3年(808)に斎部廣成公が諸国騒擾の多き様を憂い安穏を祈願する為、平城天
皇の奏聞を得て勧請造営された神社です。
延喜の制では(967)大社に列格され四時祭には官幣に預り臨時祭祈雨神に座して
天下豊年の御加護を垂れ給いました。
延喜元年(901)右大臣 菅原道真公、筑紫へ左遷の砌当社に参詣 「君臣再び縁を結
び給へ」 とご祈念の上  
            捨てられて 偲ぶおもひの  しげるおや 身をはずかしの 社といふらん
の歌をご詠進になり下向されました。東縁の地に社を営み北向見返天満宮が奉斎さ
れました。
菅公の御徳を慕い一の鳥居の東縁の地に社を営み北向見返天満宮が奉斎されまし
た。
境内は古来羽束師の社と称せられ古歌謡曲等に詠われてきました。山城国中、名だ
たる社叢の一つとして四季折々の風情を今に伝え京都市の史跡に指定されています。
毎年5月第一日曜日の御出に始まり同第二日曜の 幸祭には氏子区内古川町、菱川
町、志水町、樋爪町を大神輿が青年会の人等によって担がれ 幸します。併せて子供
神輿も境内を練り歩き大変賑わいます。  

神籬(ひもろぎ):神事をとりおこなう際,臨時に神を招請するため,室内や庭に立てた
           榊(さかき)。しめ縄を張って神聖なところとする。
           古くは,祭りなどの際に,周囲に常磐木(ときわぎ)を植えて神座とし
           た場所をいう。
騒擾(そうじょう):集団で騒ぎを起こし、社会の秩序を乱すこと
奏聞(そうもん):天皇に政治上のことで勅裁を仰ぐために,口頭または文書で上申す
          ること、奏上も同じ意味。





                 羽束師川と道標
久我の地から古川・橋爪・水垂・大下津・山崎を経て桂川に注ぐ本支流合わせて
総延長12キロメートル余の人口水路七間堀を羽束師川と呼んでいます、この川は
桂川右岸低湿地の内水や悪水吐けの為に、文化6年(1809)から17ケ年の歳月
をかけて新川の掘削 古水路の改修樋門の設置などの工事が完成しましたが、
かくして二部12村の水場の人々は累代にわたる水害からまぬかれ、荒廃した
土地は耕地にかわりその余慶は今日に及んでいます、しかるに此の工事は官
府の力ではなく神明のご加護を祈り心身をくだき私財を投じて地域開発の素心
を貫いた羽束師神社祠官で累代の社家古川吉左衛門為猛翁の独力によって
成し得た大事業でありました。
文政8年(1825)工事が完遂するや羽束師神社の名を取り羽束師川と命名され
西陣伊佐町井上傳兵衛氏は為猛翁の偉業を後世に伝えんと久我畷四ツ辻に
この道標を建立されました、爾来時は移り姿は変わりましたが、その功績を偲ぶ
に相応しき神社境内に鴨川町西村奈良松氏のご厚意をうけ昭和55年に現地に
移設しました、今年は恰も工事着工より二百年の佳辰に当りこの偉業を讃える為
記念碑を建立し由緒を銘記した次第であります。
                                  羽束自師神社





3月25日:20195歩

「論社」とは荒見神社(久御山町)

2月18日の久御山神社めぐりで最後の13社目に参拝した荒見神社は2度目
の参拝です、2014年10月3日、長岡京市の神社めぐりにバイクで行く途中に
神社が見えたので参拝したのです。荒見神社(久御山町)
今年1月13日の城陽市神社めぐりで参拝した同名の荒見神社も式内社であり
『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927) に記載されている荒見神社が、どちら
なのかということの結論は出ていません一時は久御山町の荒見神社の方だと
する説が有力だったが、今では城陽の方ではないかとも言われますが、決定
的な証拠にあたるものがないまま共に論社扱いになっています。

論社(ろんしゃ): 似たような名の神社が二つ以上あって、どれが『延喜式』に記
           されている神社か決定し難いものをいう。
                         (似たような「論考社」という言葉を使う人もいます)

荒見神社:京都府久世郡久御山町田井荒見49

2018,02,18  04:35 PM






荒見神社(城陽市富野荒見田)

3月12日:21029歩

常盤神社(久御山町野村)

2月18日の久御山町の神社めぐりウォーキングで11社目に参拝したのが常盤神社です。
今回は神仏混合、神仏分離令について調べました。

常盤(ときわ)神社:久御山町野村小字野村1

2018,02,18  03:51 PM





                   常 盤 神 社
常盤神社は、江戸時代は牛頭天王社と称し、東西23間、南北80間の広大な
境内地の中に八幡山橋本坊末寺の長福寺、地蔵院、蔵王権現社が建立され
神仏混交の神事が行われていた。
やがて明治維新を迎え、神仏分離令により仏教色の一掃が義務付けられた。
そのため牛頭天王は仏号であるという理由で野村神社と改め、境内の長福寺
を廃し地蔵院は拝所を西向きに変えて神社と分離した。
さらに広大な境内地の大半は上地を命じられ、433坪が現在の境内となり命じ
14年3月、社名は常盤神社と改称して今日に至っている。
常盤神社の祭礼は10月16日の秋祭りに代表され、頭芋を台にした竹串に柿・
栗・柚を刺した神撰が供えられる。
また3月6日の蔵王社の春祭りは、鉢巻飯を本社・末社、地蔵堂にも供えるとい
う古習が継承されている。
近年、本殿。末社・舞殿・蔵王社・社務所の老朽化に伴って、平成5年10月から
新・改築工事が行われた。
特に本殿は精巧な彫刻を残すための工法が採用され、平成5年9月18日に遷
宮祭が執行された。
                          平成7年3月  久御山町郷土史会 

 
神仏混合(しんぶつしゅうごう):日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)
が混淆し一つの信仰体系として再構成(
習合)された宗教現象。
神仏習合とも神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。明治維新に伴う神仏判然令以前の
日本は、1000年以上「神仏習合」の時代が続いた。
神仏分離令:1868年(明治1)3月、明治政府により出された令(正式には神仏判然令)
神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院をはっきり区別させること。



3月10日:19782歩

称名寺(久御山町佐古内屋敷)

2月18日の久御山町の神社めぐりウォーキングで10社目に参拝した若宮八幡宮の
すぐそば(東側)に称明寺がありました。

称名寺:京都府久世郡久御山町佐古内屋敷25 

2018,02,18  03:07 PM



      重要文化財 木造薬師如来坐像 一体  称名寺蔵
佐古の集落は、この地方に残る典型的な環濠集落で、かっては四囲をほぼ
正方形の堀で囲み、集落の中には称名寺・善林寺・法蓮寺・東明寺・観音寺
の諸堂があった。
法蓮寺・東明寺・観音堂は明治初年に廃寺となったが、三か寺の仏像は称名
寺に移坐され、旧檀家によって現在も大切に守られている。
大正6年(1917)国宝(現重要文化財)に指定された。
法蓮寺の旧仏である木造薬師如来坐像は、像高138センチメートル、檜の寄木造
内刳り像で、頭部は小ぶりでよく引き締まっており、衣文のひだも流麗である
。体部は厚く、顔をやや前につき出しているあたりも、いわゆる定朝様の静的
な表現から一歩踏み出している感があり、十二世紀後半の作と考えられてい
る。
また同寺には近世日野の里(現京都市伏見区)から移されたという本尊の旧
仏である木造大日如来坐像がある。いずれも平安時代後期の作と考えられ、
当時の都ぶりをよく伝えた作風といわれている。
                   平成28年3月   久御山町郷土史会


内刳り(うちぐり):木造彫刻で,乾燥による干割れを防ぐために内部を刳り抜くこと。

3月8日:20403歩

「向拝」とは「若宮八幡宮」(久御山町佐古内屋敷)

2月18日の久御山町の神社めぐりウォーキングで10社目に参拝したのが若宮八幡宮
です。
私は神社を参拝して、あとでブログに取り上げるとき、普段使わない言葉などが出て
来たら調べて少しづつ覚えるようにしています。
今回は「向拝」をしらべました。

若宮八幡宮:京都府久世郡久御山町佐古内屋敷25-1

2018,02,18  03:03 PM





          京都府登録有形文化財 若宮八幡宮本殿一棟
   三間社流造 銅板葺 室町時代後期 平成7年3月14日登録
 現在の本殿は、三間社流造 銅板葺で向拝を付し、。江戸時代中期 に建てられた
 覆屋内にある、向拝の打越垂木などは面取りでかなりの反りをもち、三斗の組物も
 大面取りの伸びやかな姿をしている。
 また、向拝中央間にのみ竜と笹を意匠する蟇股を置いている。
 本殿の建立年代については、永正6年(1509)の「若宮八幡宮上葺置文」および天文
 19年(1550)の棟札に屋根葺替が行われたとあり、向拝の組物、桁、垂木等の形式
 手法からみて、室町時代後期に遡るものと思われる。
 本殿は、山城地方の神社の中でも室町時代後期の用材を多く残した本殿として貴重
 であり、中近世における修理の経過も棟札から判明でき、当時の村落における鎮守
 の存在形態を知ることができるものとして注目される。
                            平成7年3月  久御山町教育委員会

向拝(こうはい):御拝 (ごはい) ともいう。社寺の堂や社殿の正面階段上にふきおろし
           の屋根,ひさしをつけたところ。ここで参詣者が礼拝する。


3月7日:20525歩

若宮八幡宮(伏見区淀際目町)

2月18日の久御山町の神社めぐりウォーキングで天満宮の次、3社目に参拝し
たのが伏見区淀際目町(さいめちょう)の若宮八幡宮です。
地名の読み方は途中にあった交差点名でわかりました。

若宮八幡宮:京都府京都市伏見区淀際目町500−9

2018,02,18  09:18 AM





                    若宮八幡宮略記
この神社は際目町の氏神様、若宮八幡宮で、祭神は仁徳天皇をはじめ八衢比古神
八衢比古神、久那土神であります。
この神社の奉祀された年代は不詳でありますが約570坪の境内にある石灯籠の年
代から推測して1685年(綱吉将軍)より以前であると考えられる。
その後明治6年旧社格「村社」に列せられ現在に至っています。
境内には一間社流造の本殿の他、拝殿、御供所、手水舎、社務所が配置されてい
ます。                                若宮八幡宮社務所

御供所(ごくしょ):寺社に属して御供(おそなえ)を調える場所(建物)、福岡県や愛知
           県、香川県に地名がある。

「淀際目」交差点



2月23日:26501歩

諏訪神社(東大阪市中新開)

私は2011年にブログを始めて、2012年9月に御机神社を初めてブログに取り上げ
ました、その後、神社めぐりをしようと思い、ネットで大阪府神社庁の神社データーに
より住所を調べて各市のすべての神社を参拝する神社めぐりをスタートしてまいりま
した。
そして東大阪市の神社めぐりは2014年に終わったつもりでしたが、大阪府神社庁
のデーターに載っていない神社が多くあることに気づき、最近、再び東大阪市の神社
めぐりをしています。東大阪市の神社探索終了(石切剣箭神社)
昨日紹介した「朝日大神」などは小さい神社であり、大阪府の神社データーに載って
いないのは理解できますが、諏訪神社は立派な神社で、歴史も古く、どうして大阪
府神社庁の一覧表に載っていないのかわかりません。

大阪府 神社 検索 大阪府神社庁 単立神社には載っていません。

諏訪(すわ)神社:大阪府東大阪市中新開1-11-20

2018,01,01  11:46 AM       1月1日の東大阪市神社めぐり3社目





                       諏訪神社()

諏訪神社()に伝わる「氏神三社興隆期」(市文化財に附指定)には、神社の縁起について
次のようなことが記されています。

大日本國五機内河内国河内郡に勧請奉る諏訪大明神は吾が先祖信濃国諏訪の住人
諏訪連の子孫、動乱により当地に来たりて耕作し、新田を開き中新開村と名付け、先祖
をお祭りするために三社を勧請奉り建立す。

中央諏訪大明神、左殿稲荷大明神、右殿筑羽大権現、此三社はすなわち当村の氏神
なり、専ら祈りて神の擁護により天下泰平、國土安穏、五穀成就、無病無難、我が村民
子孫永久に繁盛、三社の神徳仰ぐべき也、我が子孫末代に至るまで祭礼献供神務怠る
ことなかれと巻物三巻を我が子々孫々に伝える。          神主諏訪連吉盛(花押)     
  天文元壬辰年(1532)九月二十六日

                                                          平成十六年十月 東大阪市



                      諏訪神社()本殿

諏訪神社は、本殿内に残されていた古文書によって、天文元年(1532)信濃国諏原之庄
の住民諏訪連の子孫らが当地に村を開き、諏訪大明神、稲荷大明神、筑波大権現の三
社を勧請したとされています
現在はその中で諏訪大明神を祀る一社だけが残され、覆屋のなかに大切に保存されて
います。この本殿は一間社流造、柿葺()で、社殿の規模のわりに柱や梁などの部材が太く
木鼻()の細部とともに室町様式をひくと考えられています。いっぽう、()身舎()の四周に
は写実的な花鳥彫刻をもつ蟇股()をいれるなど、桃山様式の華やかさも混在するという特
色をもっています

この本殿は、海老虹梁に江戸初期の様式がみとめられ、部材の多くもこの頃のものとみら
れることなどから、室町末期に建立されたのち、江戸初期に大改修が行われたと考えられ
ますが、建立年代が明らかで、市内に現存する最古の建築であるとともに、中新開の歴史
を伝える貴重な記念物であることから、昭和49年3月25日に市の文化財(建造物)に指定さ
れました。                         平成16年3月 東大阪市

海老虹梁(えびこうりょう):
       エビのように湾曲した虹梁。側柱と本柱など、高低差のある所に用いる
虹梁(こうよう):
       梁(はり)の一種。虹(にじ)のようにそりがあることに由来する
梁(はり):
       建造物で柱と柱を連結,上部の重さを支えるための水平な構造材で,多
       く柱の2倍以上の断面寸法とする。




1月4日:15502歩

越木岩神社(西宮市 )

7月31日の西宮市 神社めぐりで2社目に参拝したのが、越木岩神社です。
御神体の甑岩(こしきいわ)がお米を蒸すときに使うセイロという道具をこしき
ともいい、それに似ていることから名づけられました。
地名及び神社名になりました。

越木岩(こしきいわ)神社:兵庫県西宮市甑岩(こしきいわ)町5−4





                 越木岩神社の御由緒
御祭神 蛭子大神(えびす大神)
当社は東六甲山麓唯一の霊地で天然記念物の森におおわれ霊験あらたか
なり、創立年月不詳というほど由緒古い神社である、しかし西宮神社記録に
よると明治2年8月18日、円満寺教順僧侶「福神」総本社西宮神社を遷し勧請
したとあり、又正保年間とも云われている。
甑岩(御祭神 厳島大神、俗に福寿弁財天)
酒造りのの形に似且つ岩上よりユゲが出ていたとも云われ社名、地名もこの
岩より起った、廻り約30米高さ10米で岩上樹木生じ神籬磐境祭祀(古代
祭祀の原形体)の態を成し稀有の霊岩である。安産や女性守護の神とあがめ
られている。ちなみに豊臣秀吉、大坂城築城の際之を割取ろうとして石匠等
皆倒れ臥し如何にしても甑岩を運び出せなかったと伝承されている。
宗鑑句碑
          俳諧の祖 山崎宗鑑(室町時代)が参拝したときの句
         ”照る日かな蒸ほど暑き甑岩”
祭日 1月1日新米祭  9,10,11 十日戎  2月3日 節分祭 3月4日春祭
    3月中 椿祭 7月16日 夏祭 8月下旬 不動明王献灯祭
    9月21~23日 秋祭 11月中 七五三 11月30日 新嘗祭
    6月30日、12月31日大祓

神籬(ひもろぎ) :神様が天から降臨される場所。
磐境(いわさか) :神を祭るための神聖な場所。
磐座(いわくら)  :信仰の対象となる岩そのもののこと。

甑岩

2017,07,31  09:04 AM


8月4日:19624歩

名次神社(西宮市名次町 )

7月31日の西宮市 神社めぐりで最初に参拝したのが、名次神社です。
西宮市 が管理する貯水池「ニテコ池」の西側に鎮座しています。

名次(なつぎ)神社:兵庫県西宮市名次町13

2017,07,31  07:53 AM





           廣田神社 摂社 名次神社
   御祭神 名次大神
                   御由緒
古来より衣食住に殊の外関係深い水分神を奉斎すると特に雨乞いに霊
験あらたかなる社であります御創立の年代は詳らかではありませんが第
15代清和天皇貞観元年正月正五位下の神階を受けられ同年9月8日風
雨御祈りのため勅使を参向せられ幣帛を奉られております。
第60代醍醐天皇の延喜の制大社に列せられ、月次、新嘗及び祈雨の幣
帛を奉られております旧本殿は石造りで中御門天皇正徳5年正月再建、
又石鳥居は元禄5年の建立であります、名次山はわが国最古の歌集万葉
集第三に「吾妹子は猪名野は見せつ名次山角の松原いつか示さむ」高市
連黒人によって読まれ、すでに一千二百年の昔より、名勝地として名高く
現名次町は古昔の名次山であり明治末期まで当神社の境内地でありまし
た、かって当神社は名次山中央の景勝地に鎮座されていましたが、明治
41年5月その北端の現位置に移転されました。
                    祭事日
     6月15日 夏祭り  10月11日 例祭  10月17日 秋祭

幣帛(へいはく):神に奉納する物の総称。布帛 (ふはく) ・紙・玉・兵器・貨
           幣・器物・獣類など。御幣(みへい)ともいう。

ニテコ池    写真中央の山は甲山




8月3日:17472歩

産土とは「小山産土神社」(藤井寺市)

大和川を渡り藤井寺市の「大和川付替え300年記念碑」を見つけた後、
産土(うぶすな)神社を見つけ参拝しました。
今まで各地で産土神社を参拝してきましたが、産土の意味を詳しく調べ
て見ました。

産土(うぶすな): 産土とは産室のある場所の砂、土の事を意味しました。
            産室は昔は離れた所に作られ、そこで出産をしたのです。
            いつの間にか、産土を誕生の土地を意味するようになった。
産土神      :  生まれた土地の守護神

小山産土神社:大阪府藤井寺市小山四丁目7番9号

2017,06,16  00:09 PM



                小山産土神社
創建 
室町時代、現本殿の蟇股(カエルマタ・桃山時代)は、当時の儘の蟇股を残して
おります。
蟇股は藤井寺市内では、最古のものであり神仏習合社の証しでもあります、
又、元禄5年「寺社数改帳」に志紀郡小山村の守護神、小山牛頭天王と隣接
する、お寺天王山「清圓寺」が記載され、神社神紋、清圓寺仏紋も同じく五爪
に唐花と成っております、清圓寺の屋根等をご覧ください。
尚、祀り事は、大正後期まで清圓寺住職くにより行われておりました。
明治維新(神仏判然令)後、明治12年以降の本殿、御神鏡裏には河内小山
坐・進雄(スサノオ)神社鏡と記されております。
その後、昭和17年寄贈石碑に産土神社(生まれた土地の神)と神社前にあり
ますが、神社庁記載には戦後の昭和27年頃に産土神社としております。

神紋仏紋:各家の家紋と同じようにそれぞれの神社や寺院にも紋章が用い
        られており、これを神紋(しんもん)、仏紋(または寺紋)と称してい
        ます。




6月23日:38383歩
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