ahisats3のブログ

ウオーキング中に見つけた神社、史跡、珍しいもの等を紹介します。

鉄道関係

東寝屋川駅→寝屋川公園駅

今日のウォーキングは寝屋川公園付近を歩きました、JR東寝屋川駅が寝屋
川公園駅に名前が変わることを聞いていましたが、いつから変わるのか
知らなかったので、見に行ったら既に変わっていました。
まだ知らない方もおられると思いますので紹介します。
2019年3月16日のダイヤ改正にあわせて駅名が変ったそうです。

2019,04,04  08:12 AM




駅前の信号の名前も「寝屋川公園前」に変わっていました。





4月4日:25524歩

「名神起工の地」と旧東海道山科駅跡

1月15日の山科区史跡めぐりウォーキングで「明智光秀の墓」を見つけた後
天神社に向かう途中に「名神起工の地と旧東海道山科駅跡」の大きな
説明板がありました。

名神起工の地と旧東海道山科駅跡:京都市山科区小野蚊ケ瀬町  2019,01,15  10:36 AM











                「名神起工の地」
        ~日本の高速道路の歴史がここに始まる~
昭和38年(1963年)、日本最初の高速道路として名神高速道路(栗東インタ
ーチェンジ~尼崎インターチェンジ間)71kmが開通しました。着工以来6年で完成し
た名神高速道路は、自動車による高速輸送の幕開けとなりました。
工事は、昭和33年(1958年)10月19日、この地「京都山科」で起工し、試験
施工を兼ねた工事に着手、昭和36年(1961年)には山科工区(4.3km)の
工事がほぼ完成し、これを機に道路関係者と自動車関係者の協力のもと、
我が国初めての国産自動車による高速走行試験が行われました。
この自動車走行試験は、昭和36年3月20日から7月末まで約130日間にわ
たって行われ、はたして国産の自動車が高速走行に充分耐えうるかどうか、
また高速道路の設計や施工に問題がないかといったことが検討され、その
内容は、国産各種の自動車が高速走行した場合の制動、振動、乗り心地、
騒音、操縦性といった性能試験のほか、交通騒音試験、バスストップ試験、タイ
ヤの横すべり試験、標識試験、夜間走行試験、燃料や油脂試験、タイヤ試験、
人間工学関係の試験など、多種多様なものでした、その結果はおおむね自
動車の面からも道路の面からも高速走行が可能であることがわかり、これら
の試験によって得られた資料は、自動車側は自動車の改善や性能の向上に
、道路側は道路設計や施工の改善に結びつけられ、その後におけるそれぞ
れの分野の技術的進歩に成果をみせることになりました。
この名神起工を記念する「起工の地」の碑が、この場所の
高速道路や中央分離帯内に設置されています。



               旧東海道線山科駅跡
京都~大津(現京阪浜尾大津)間の鉄道は、明治12年(1879年)8月に京都
~大谷間が開業、明治13年(1880年)7月に大津まで完成したことを機に一
般営業を開始し、山科駅は、その途中駅としてこの地に開設されました、しか
しながら、この旧路線は、京都~馬場(現・膳所)~大津に至るルートとなってお
り、そのうち京都~馬場間の16kmは、25%(バーミル)の旧勾配区間が約10km
にも及んでいたため、列車速度、牽引定数の大きな制約となり、輸送力の改善
が検討されておりました。
その後、旧路線は大正10年(1921年)8月、最急勾配は10%に緩和された東山
トンネルと新逢坂トンネルを経由する現在のJR東海道本線(琵琶湖線)ルートに変更さ
れることとなり、山科駅も現在のJR山科駅の位置に移転しました。
なお、この旧跡地の大部分は昭和38年(1963年)7月に開通した名神高速道路
として生まれ変わっています。



3月7日:17580歩

住吉川鉄道トンネル

9月7日のブログで日本最初の鉄道トンネル跡を紹介しましたが、こんどは
、その鉄道トンネルが現在も残っている「住吉川鉄道トンネル」をみつけました。
山でもないのにトンネルとはなぜかというと、川が天井川(砂礫の堆積により
川底が周辺の平面地よりも高くなった川)となっているからです。

住吉川鉄道トンネル  神戸市東灘区 JR住吉駅の東

2018,09,01  08:28 AM


この道路の下をJRが走っています。



                住吉川鉄道トンネル
明治7年(1874年)に神戸と大阪を結ぶ鉄道が開通し、その間に三ノ宮・
住吉・西ノ宮・神崎の駅が設けられた。集落のある海岸地区は汽車のゴ
ヘラ(石灰)の煙で酒が濁るという酒造家の反対で山麓部にされたが、そ
こでは石屋川、住吉川、芦屋川が天井川を形成していたため困難な川
底トンネルを掘らなければならなかったが、現在石屋川トンネルは高架工事
のためなくなったが、この住吉川トンネルと芦屋川トンネルは健在で川の下を
線路が走っている。                      東灘区役所


住吉川 この下をJRが走っています。

                      住吉川
全長4.073km,六甲山系のなかでもいちばん標高の高い六甲山からの水の
流れであるゆえ、高低差により発生する急流で上流の土砂を多く下流に運
び、なだらかな扇状地を形成した。利水のよさから、江戸時代まではおおむ
ね集落のなかった旧菟原郡部のなかで住吉川流域の扇状地では古くから
集落が形成されてきたとされる一方で、降雨時の集落への浸水を防ぐため
の堤防が築かれたことで上流から運ばれた土砂の堆積範囲が集中化し河
が上昇、天井川化が進行したとされる。




9月9日:25371歩

日本最初鉄道トンネル「旧石屋川隧道跡」

網敷天神社参拝後、石屋川沿いに歩いて行くと「旧石屋川隧道跡」の
看板を見つけ、よく見ると法面にも、「日本で最初の鉄道トンネル 旧石
屋川隧道跡」の石碑が建っていました

綱敷天満宮の参道前をJR西日本が走っています。今は高架となってい
ますが、高架となる前は石屋川の川底を走っていました。ちょうどトンネ
ルの入口付近に参道がありました。

この日本で最初の鉄道トンネルは明治7年に開通した、国鉄(現在JR)の大
阪~神戸の当時の住吉駅から灘駅(現在の住吉から六甲道駅)の間にあ
る石屋川の下に存在しました。

参考記録:

日本で最初に鉄道が開業したのは1872年(明治5年)10月14日、新橋駅~横浜駅間、

そして日本で2番目に開業したのが1874年(明治7年)5月11日、大阪駅~神戸駅間
いずれも、国鉄(現在のJR)です。


旧石屋川隧道跡 現在は地下道のようになっていますが、当時はこの地下道の
中央付近にトンネルの入り口がありました。


石碑の文字「日本で最初の鉄道トンネル 旧石屋川隧道跡」







9月7日:23467歩

高井田駅開業記念碑(柏原市)

11月15日の柏原市神社めぐりウォーキングはJR高井田駅から大和川をわたり近鉄国分駅
を通過して藤神神社参拝しました、次の聖ケ丘天満宮は、最初に下車したJR高井田駅に
戻り府道183号線を奈良方面に向かいました。
そのJR高井田駅前で最初に下車した時気が付かなかった「高井田駅開業記念碑」を見
つけました。 高井田駅は住民の熱意で昭和60年に開設された駅でした。

高井田駅開業記念碑(柏原市)                                          2017,11,15   07:41 AM      





                 高井田駅開業記念碑
河内嵐山とうたわれた清流のほとり平尾山の緑うるわしき高井田の地に 新駅の
運びとなった、この付近は古来より大和路への往来の要所として栄え平城京から
難波宮の行幸に際しての行宮の地であって四季の移り変わりを愛でられて数日
ばかり滞在されるところであった。
さらに六世紀ごろの古墳時代後期とされる高井田横穴群の線刻壁画もよく知ら
れるところで行宮とともにその史跡が明らかになろうとしている。
この地に新駅を設置しようとする運動は二十有余年の永きに亘って続けられ市
地元が一体となった熱意が関係機関を動かして漸くにして駅開設を見るに至った
、この喜びをたたえ関係各位のご労苦に深く感謝しこの駅の繁栄を祈念して、ここ
に記念碑を建立する。
                              昭和60年8月29日

11月20日:22482歩

JRと近鉄が同じホーム「JR柏原駅」

JR柏原駅で今まで見たことのない光景を見たので紹介します。

環状線の鶴橋駅など、JRと私鉄が乗り入れしていて、駅の外に出ないで
乗り換えができる駅を見たことがありますが、JR柏原駅は同じホームで1番
ホームが近鉄の柏原駅で2番ホームがJR柏原駅のホームで改札口もなく自由に
出入りが出来るのです。

1番ホームが近鉄道明寺線「柏原駅」、2番ホームがJR「柏原駅」
            ホームに仕切りもなし。





改札口もわかれていません。

山陽新幹線記念公園(西宮市 )

神呪厳島神社を参拝後、そのそばで山陽新幹線記念公園を見つけました。
山陽新幹線開通時に完成した公園で六甲隧道(トンネル)の東側入り口の真上
にある公園です。
六甲トンネルは全長約16キロで1972年開通当時は日本一の長さでした(その後
、あちこちで新しいトンネルが開通して現在は6位です)
工事は難工事で多くの犠牲者が出ました、その犠牲者の氏名を刻んだ慰霊
碑がありました。
新大阪駅から新幹線出発後約7分、新神戸駅から約6分後の所にあります。
金網越しですが新幹線の通過を真下に見ることができます。

山陽新幹線記念公園:兵庫県西宮市上甲東園4丁目5−20



2017,07,31  02:18 PM





山陽新幹線新大阪・岡山間の建設工事は、昭和42年3月に起工してから5年の
歳月を経て、昭和47年3月完成しました。
この碑は、建設工事に従事して殉職された50有余名の御霊を祀りその霊を慰
めるため、本工事関係者が相計って建立したものであります。

山陽新幹線「六甲隧道」の入り口




8月9日:29235歩

「旧敦賀港駅ランプ小屋」

金前寺境内で芭蕉の句碑を見つけた後、そのそばで、レンガ造りの゚小屋を見
つけました、それはランプ小屋と言って、昔の鉄道には先頭車両にランプを取
り付けて、その取り付け方から、どういう列車か判断できるようにしていました。
そのランプを置いておく倉庫でイギリス積みのレンガ造の小屋です。
明治時代後期に電気による照明が普及するまで当時鉄道には電燈による照
明は用いられず、薄暗い時間帯に列車を発車するためには線路脇の信号灯
を含め、大量の石油ランプが必要でした。
このランプ小屋は平成26年にJR貨物から敦賀市に寄付されたもので敦賀市
が整備しました。鉄道関連の建築物では滋賀県長浜市の旧長浜駅舎と並ん
で国内最古です。

敦賀港駅は当初金ヶ崎駅と呼ばれていました。

「旧敦賀港駅ランプ小屋」





2017,07,01  11:59 AM




7月12日:30349歩

電気鉄道事業発祥の地(京都市伏見区)

山城ゑびす神社を参拝後、次の目的地、三栖神社に向かう途中で
「電気鉄道事業発祥の地」の記念碑を見つけました。
この場所が、下油掛より京都駅まで、我が国最初の電気鉄道(後の
市電)が営業を開始した。

電気鉄道事業発祥の地(後の市電): 京都府京都市伏見区下油掛町

2017,02,22  09:20 AM

                                   
油掛通 

                            油掛通
通称「油掛地蔵(西岸寺)」の前の東西の通りをさす。町名として
は、上、中、下の3ケ町からなる。江戸時代、伏見通(京橋付近を
中心)に近く、京、大阪に行き交う旅人で大いに賑わった。 明治
時代、第一銀行が京都支店を開設した。
明治28年には、下油掛より京都駅まで、我が国最初の電気鉄道
(後の市電)が営業を開始した。
大正時代に明治天皇の桃山御陵築営に伴い、北一筋目の大手筋
にその賑わいが移っていった。
この付近が物資集散地であったので、車町・塩谷町・本材木町・
納屋町といった当時の繁栄ぶりを示す町名が散在する。

JR和田岬駅のあゆみ

2月4日の神戸市神社めぐりで参拝した和田神社そばのJR和田岬駅があり
駅員のいない無人駅で駅舎もありませんでした、近くにあったコンビニの壁に
「和田岬駅のあゆみ」の写真入りの説明板が張ってありました。
明治23年開業の歴史の古い和田岬線は、JR兵庫駅から和田岬駅まで2.7
キロの短い路線で駅は兵庫駅と和田岬駅の2駅しかありません、利用者は
ほとんどが三菱重工業神戸造船所と三菱電機の従業員なので電車は朝夕
のみの運転で昼間は動いていません。
朝は9時25分が最終で夕方5時24分まで電車は止まっています。
一日の乗降客は約1万人で特に少なくはありません。

珍しいのはJR兵庫駅で和田岬駅までの切符を買った人は自動改札機に
切符をいれると「キップは回収されました」とメッセージが流れて、乗客はキップ
持たないで電車に乗ります、したがって和田岬駅には改札がありません。

JR和田岬駅

2017,02,04  01:26  PM



和田岬駅のあゆみ
和田岬駅は、ホームの片側のみが線路に接した単式(片面)ホームで他に
ポイントも側線もないい1面1線といわれる単線区間の駅として運行され
ています。 また、朝晩の通勤のための路線という珍しい業態の路線で
、昼間時には全く列車の運行」がなく改札が無いことから、通勤時に多
数利用されるホームの中ほどに接する一般道路と直接接続する出入り口
が設けられています。
1895(明治28)年に和田崎町駅から和田岬駅に改称し、1945(昭和20)
年に現在地に移転され、山陽本線(和田岬線)としての終着駅となってい
ます。 かっては木造平屋建ての駅舎がありましたが、2009(平成21)年
に、駅舎と付属建物の撤去工事が実施され、和田岬駅としての役割を終
えました。


和田岬駅から三菱重工業神戸造船所まで貨物専用路線がありましたが、
1980年に撤去されました。

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