2017年01月31日
フェイスブックを始めてから、ブログの更新をしなくなってしまった。
ふと気づけば数年間も放置していることに気づき、
日々が消費されていってしまっているような妙な気分に襲われた。
今日という日は特別な日ではなく、
記念すべきことも起こっていないし、
忘れられない日でもない。
いつもより少し寝坊して、
息子の大好きな明太子おにぎりを作って保育園へ送り出し、
新聞を読み、事務所に来て何行かの文章を書き
メールの返信をしていくつかのニュースサイトを見た。
いつもの日常、変わらない日々。
それでも、これは積み重ねてきた一つの歴史だ。
私だけのかけがえのない歴史。日常。
ふと気づけば数年間も放置していることに気づき、
日々が消費されていってしまっているような妙な気分に襲われた。
今日という日は特別な日ではなく、
記念すべきことも起こっていないし、
忘れられない日でもない。
いつもより少し寝坊して、
息子の大好きな明太子おにぎりを作って保育園へ送り出し、
新聞を読み、事務所に来て何行かの文章を書き
メールの返信をしていくつかのニュースサイトを見た。
いつもの日常、変わらない日々。
それでも、これは積み重ねてきた一つの歴史だ。
私だけのかけがえのない歴史。日常。
2015年07月16日
恐ろしい世の中になったものだ。
人は忘却という能力を授けられたが、
発揮されるのは心を壊す悲しみや怒りに対してではないだろうか。
2015年7月15日が50年後、100年後の子孫にとって
悪夢が始まった日だと刻まれることが本当にないだろうか。
無用な恐怖は、他人を踏みにじることにも平気になる。
こうしたことを、私たちは何度も何度も聞かされて育ったのではなかったか、
他人の痛みを知れと、教わったのではなかったか。
しかし、諦めることは民主主義ではない。
目覚めた人も多くいることを感じたし、
これこそが新しい民主主義の始まりだと信じたい。
人は忘却という能力を授けられたが、
発揮されるのは心を壊す悲しみや怒りに対してではないだろうか。
2015年7月15日が50年後、100年後の子孫にとって
悪夢が始まった日だと刻まれることが本当にないだろうか。
無用な恐怖は、他人を踏みにじることにも平気になる。
こうしたことを、私たちは何度も何度も聞かされて育ったのではなかったか、
他人の痛みを知れと、教わったのではなかったか。
しかし、諦めることは民主主義ではない。
目覚めた人も多くいることを感じたし、
これこそが新しい民主主義の始まりだと信じたい。
2014年01月23日
仕事に復帰して、バタバタと一日が過ぎていくうちに
もう半年もこのブログを更新していないことに気が付いた。
息子はすっかり、保育園生活に慣れ
送り迎えの自転車ドライブも楽しいひとときとなっている。
夏の日差しの強さや、冬の帰り道の凍えそうな風にも
毎日の変化があり、小さな発見に満ち溢れている。
子供を育てることは、もう一度発見をさせてくれる
機会をもらっているような気がする。
もう半年もこのブログを更新していないことに気が付いた。
息子はすっかり、保育園生活に慣れ
送り迎えの自転車ドライブも楽しいひとときとなっている。
夏の日差しの強さや、冬の帰り道の凍えそうな風にも
毎日の変化があり、小さな発見に満ち溢れている。
子供を育てることは、もう一度発見をさせてくれる
機会をもらっているような気がする。
2013年07月03日
もう、随分と時間が経ってしまい
うずくような心持ちからようやく徐々に開放されつつあるので
思い出しつつ、ここに記そうと思う。
昨年12月末、08年からずっとお付き合いを続けてきた
残留孤児の宮沢さんご夫婦が
日本への永住を決めてからわずか4年で中国へ戻った。
長野県の泰阜村から宮沢一家が満州を目指したのは、昭和15年。
わずか8歳で次女の照子さんは母親と別れて
中国人の養父母に育てられた。
長女の正子さんは、現地の男性と結婚するも
栄養失調などで長らえず、
三女の順子さんは実母が中国人男性と再婚する先に連れられて
一家は離散した。
泰阜村から渡り、最後の帰国者であった照子さんが
永住帰国するまで、そしてその夫たちの心境を数年に渡って取材した。
放送が終わっても、ずっとお付き合いはさせていただいており
照子さんお手製の餃子もたくさんごちそうになった。
突然の電話は、夫の国才さんからだった。
「12月末に中国へ戻って、もう帰ってこないことにした」
あまりに突然で驚きもしたが、私は心のどこかでもう知っているような気もしていた。
国才さんは、いつも寂しかった。
心配されたり、同情されたりすることにすっかり疲れていた。
そんなことを私はわかっていたし、
いつか、帰ると言い出すだろうと思っていたけれど
なすすべが見つからず、ただ、彼らを訪ねて餃子をごちそうになるばかりであった。
幸せだっただろうか、楽しいことはあったのだろうか、
終の棲家と覚悟した家は暗くはなかっただろうか・・・
そんなことばかりが去来して、何をしていても心がうづいて仕方がなかった。
最後に金町の駅で別れるとき、
どうしても我慢できず、照子さんに飛びついた。
ただ、日本での生活が幸せでしたかと聞くことはできなかった。
それから数か月後、国才さんから数通のメールが届いた。
故郷ジャムスの様々な風景写真だった。
雪が積もる公園。
氷結した松花江。
厚着をして散歩する照子さんの小さな後姿。
何でもないスナップ写真だが、
あぁ、この人たちは幸せなのだと、ようやく確信することができた。
照子さんは、以前、番組の中でこう答えていた。
「家族のいるところが私の故郷」
そうなのだ、彼女はずっとわかっていたのだ。
どうか、病気も怪我もなく
ずっとずっと、家族と一緒に過ごせますように。
心から願っている。
うずくような心持ちからようやく徐々に開放されつつあるので
思い出しつつ、ここに記そうと思う。
昨年12月末、08年からずっとお付き合いを続けてきた
残留孤児の宮沢さんご夫婦が
日本への永住を決めてからわずか4年で中国へ戻った。
長野県の泰阜村から宮沢一家が満州を目指したのは、昭和15年。
わずか8歳で次女の照子さんは母親と別れて
中国人の養父母に育てられた。
長女の正子さんは、現地の男性と結婚するも
栄養失調などで長らえず、
三女の順子さんは実母が中国人男性と再婚する先に連れられて
一家は離散した。
泰阜村から渡り、最後の帰国者であった照子さんが
永住帰国するまで、そしてその夫たちの心境を数年に渡って取材した。
放送が終わっても、ずっとお付き合いはさせていただいており
照子さんお手製の餃子もたくさんごちそうになった。
突然の電話は、夫の国才さんからだった。
「12月末に中国へ戻って、もう帰ってこないことにした」
あまりに突然で驚きもしたが、私は心のどこかでもう知っているような気もしていた。
国才さんは、いつも寂しかった。
心配されたり、同情されたりすることにすっかり疲れていた。
そんなことを私はわかっていたし、
いつか、帰ると言い出すだろうと思っていたけれど
なすすべが見つからず、ただ、彼らを訪ねて餃子をごちそうになるばかりであった。
幸せだっただろうか、楽しいことはあったのだろうか、
終の棲家と覚悟した家は暗くはなかっただろうか・・・
そんなことばかりが去来して、何をしていても心がうづいて仕方がなかった。
最後に金町の駅で別れるとき、
どうしても我慢できず、照子さんに飛びついた。
ただ、日本での生活が幸せでしたかと聞くことはできなかった。
それから数か月後、国才さんから数通のメールが届いた。
故郷ジャムスの様々な風景写真だった。
雪が積もる公園。
氷結した松花江。
厚着をして散歩する照子さんの小さな後姿。
何でもないスナップ写真だが、
あぁ、この人たちは幸せなのだと、ようやく確信することができた。
照子さんは、以前、番組の中でこう答えていた。
「家族のいるところが私の故郷」
そうなのだ、彼女はずっとわかっていたのだ。
どうか、病気も怪我もなく
ずっとずっと、家族と一緒に過ごせますように。
心から願っている。
2013年04月04日
何もかもが新しい4月、という感覚は日本人の独特のものだろう。
例に漏れず、否、今年は私にとっても
ぴかぴかの春の訪れといえよう。
認可保育園を全て落とされ、
1年限定の保育室が決まったわが息子の初の集団生活。
私にとっても、本格的な復帰を意味する。
今日はべそをかきながらの
お別れだったけど、
今頃、大丈夫かな?
ママも頑張ろう!
例に漏れず、否、今年は私にとっても
ぴかぴかの春の訪れといえよう。
認可保育園を全て落とされ、
1年限定の保育室が決まったわが息子の初の集団生活。
私にとっても、本格的な復帰を意味する。
今日はべそをかきながらの
お別れだったけど、
今頃、大丈夫かな?
ママも頑張ろう!
2012年08月27日
この10年来、いつも刺激を与えてくれる大きな存在であり
その背中を追いかけ続けている先輩で作家の麻生晴一郎氏が
ご夫婦で主催された日中草の根の交流会に参加した。
大阪を第一日目として、
昨日から3日間、東京で行われるのだが
非常に意義深いものであり、また感慨深い。
中国側からは
政府当局の息が全くかからない、というよりも
当局から疎まれて、邪魔ばかりされているNGOの面々で
エイズ患者や障害者の自立と差別撤廃や独自の環境問題の取り組み、
あるいは民主選挙を起こそうという活動など
官製の交流会では決して出会えない
本物の活動家たちである。
日中の交流会は、これまで官製のものが多く、というより
それ以外にはほぼ存在しなかったのではなかろうか。
彼らは一様に、事務所が荒らされたり
中国国内でのシンポジウムにやくざが現れてめちゃめちゃにされたりと
過酷な環境の中で、必死に戦いを続けているのである。
しかし、彼は決してあきらめず
むしろ、その活動はネットを通じて広がりつつある。
とにかく、かっこいい。
今、中国の胎動をはっきりと感じることができる。
私たちの任務は、
この胎動をより多くの人と共有出来るように広めることであろう。
その背中を追いかけ続けている先輩で作家の麻生晴一郎氏が
ご夫婦で主催された日中草の根の交流会に参加した。
大阪を第一日目として、
昨日から3日間、東京で行われるのだが
非常に意義深いものであり、また感慨深い。
中国側からは
政府当局の息が全くかからない、というよりも
当局から疎まれて、邪魔ばかりされているNGOの面々で
エイズ患者や障害者の自立と差別撤廃や独自の環境問題の取り組み、
あるいは民主選挙を起こそうという活動など
官製の交流会では決して出会えない
本物の活動家たちである。
日中の交流会は、これまで官製のものが多く、というより
それ以外にはほぼ存在しなかったのではなかろうか。
彼らは一様に、事務所が荒らされたり
中国国内でのシンポジウムにやくざが現れてめちゃめちゃにされたりと
過酷な環境の中で、必死に戦いを続けているのである。
しかし、彼は決してあきらめず
むしろ、その活動はネットを通じて広がりつつある。
とにかく、かっこいい。
今、中国の胎動をはっきりと感じることができる。
私たちの任務は、
この胎動をより多くの人と共有出来るように広めることであろう。
2012年08月15日
子供を持って初めて終戦の日を迎える。
ここ数年に渡って
戦争関連の取材を続けてきたこともあって
やはり特別な思いがこみ上げてくる。
先日、仕事のために6ヶ月になる息子を
初めて託児所に預けたのだが、
係りの女性に手渡し、託児所の扉を閉めたとたん、
涙が溢れてきて困った。
当然ながら、数時間後には会えるわが子とはいえ
人に預ける辛さを初めて味わい、
満州で中国の人に子供を渡した母親たちはどれほど
身を引き裂かれる思いだったのかと想像して
改めて、反戦の思いを強くしている。
そして、私たちの時代でアジアにおけるこの戦争の
負の遺産を清算し、
子供たちの時代にはアジアの国々の人と
わだかまりなく交流できる“日本人”として
世界に出してやりたいと願っている。
ここ数年に渡って
戦争関連の取材を続けてきたこともあって
やはり特別な思いがこみ上げてくる。
先日、仕事のために6ヶ月になる息子を
初めて託児所に預けたのだが、
係りの女性に手渡し、託児所の扉を閉めたとたん、
涙が溢れてきて困った。
当然ながら、数時間後には会えるわが子とはいえ
人に預ける辛さを初めて味わい、
満州で中国の人に子供を渡した母親たちはどれほど
身を引き裂かれる思いだったのかと想像して
改めて、反戦の思いを強くしている。
そして、私たちの時代でアジアにおけるこの戦争の
負の遺産を清算し、
子供たちの時代にはアジアの国々の人と
わだかまりなく交流できる“日本人”として
世界に出してやりたいと願っている。
2012年04月05日
子供が泣いて、母である私を求めてくることが
ふと、不思議な気がするときがある。
当たり前だが、
私という人間がどのような人間で、
どんなことをしてきたのか
どんな性格なのか
というようなことは関係なく、
全力で丸ごと信頼して、全身全霊で求める。
こんなにも強く自分の存在意義を確かにしてくれることが
他にあるだろうかと、不思議に思うのである。
小さなこぶしを握り締めて寝ている
つかの間の時間に、ふとこんなことを考えている。
ふと、不思議な気がするときがある。
当たり前だが、
私という人間がどのような人間で、
どんなことをしてきたのか
どんな性格なのか
というようなことは関係なく、
全力で丸ごと信頼して、全身全霊で求める。
こんなにも強く自分の存在意義を確かにしてくれることが
他にあるだろうかと、不思議に思うのである。
小さなこぶしを握り締めて寝ている
つかの間の時間に、ふとこんなことを考えている。
2012年04月03日
のんびりとした妊婦生活から一転、
授乳のために眠れぬ日々が続いている。
2月6日に2606グラムという少々小さめの息子を授かった。
生まれた当初は果たして中身が詰まっているのだろうかというほど
軽くて、くにゃくにゃで頼りないものだったが、
今では「どっこいしょ」と掛け声をかけなければ
持ち上げられないほど、ずっしりと存在感を増している。
乳房に食らいつく生命力の強さに、半ば圧倒されながら
昨日まではできなかった事が
今日にはできている成長の早さに不思議な神秘を感じている。
ちっちゃな手や
ちょっと笑うことができるようになったぷくぷくのほっぺに
たくさんの未来が詰まっている。
分からないことだらけの子育てだが、
これまでに何億という母親が乗り越えてきたのだと思うと心強い。
息子には、幸せになってほしいという願いをこめて
幸(こう)と名づけた。
授乳のために眠れぬ日々が続いている。
2月6日に2606グラムという少々小さめの息子を授かった。
生まれた当初は果たして中身が詰まっているのだろうかというほど
軽くて、くにゃくにゃで頼りないものだったが、
今では「どっこいしょ」と掛け声をかけなければ
持ち上げられないほど、ずっしりと存在感を増している。
乳房に食らいつく生命力の強さに、半ば圧倒されながら
昨日まではできなかった事が
今日にはできている成長の早さに不思議な神秘を感じている。
ちっちゃな手や
ちょっと笑うことができるようになったぷくぷくのほっぺに
たくさんの未来が詰まっている。
分からないことだらけの子育てだが、
これまでに何億という母親が乗り越えてきたのだと思うと心強い。
息子には、幸せになってほしいという願いをこめて
幸(こう)と名づけた。
2012年01月01日
来月に迫った出産の里帰りのため
2011年の暮れを数年ぶりに実家で迎えた。
家族という一見、当たり前だが不思議な共同体について
これからの自分の生活のあり方も含めて大いに考えさせられる。
小さな言葉のひとつや、態度、日々の暮らしなど
流れていく時間の中に埋没させないことは
年を経るほどに困難になる。
六甲山がさわやかに見えた元日、
自分の人生に新たな役割が増えることが
ただありがたく、そして味わったことのない暖かな感情に満たされて
新しい一年を迎えている。
2011年の暮れを数年ぶりに実家で迎えた。
家族という一見、当たり前だが不思議な共同体について
これからの自分の生活のあり方も含めて大いに考えさせられる。
小さな言葉のひとつや、態度、日々の暮らしなど
流れていく時間の中に埋没させないことは
年を経るほどに困難になる。
六甲山がさわやかに見えた元日、
自分の人生に新たな役割が増えることが
ただありがたく、そして味わったことのない暖かな感情に満たされて
新しい一年を迎えている。
2011年11月17日
妊娠7ヶ月となり、
里帰り出産のための検診で関西の実家に戻っていた。
そこで前々からお会いしたいと思っていた
関西在住の劉燕子女史と岡本の喫茶店で待ち合わせ。
清楚ですらりとした彼女からは
普段の芯の強い活動を想像することはできない。
「私には隠すことは何もない」と静かに語るその口調には、
まっすぐで未来を信じる活動家そのものであるように思えた。
東京へ戻り、
久しぶりに作家の麻生氏とお会いした。
いつもながら、
精力的に執筆活動を続けておられ、
まっすぐに自身のテーマと向き合う姿に圧倒された。
自分が無力な観察者であることを
改めて認識するにいたる。
おごらず、過信せず、臆病になりすぎないこと。
知ることと、その輪に没入することは
別物であることを
自身に言い聞かせながら、冷たくなり始めた風に誓った。
里帰り出産のための検診で関西の実家に戻っていた。
そこで前々からお会いしたいと思っていた
関西在住の劉燕子女史と岡本の喫茶店で待ち合わせ。
清楚ですらりとした彼女からは
普段の芯の強い活動を想像することはできない。
「私には隠すことは何もない」と静かに語るその口調には、
まっすぐで未来を信じる活動家そのものであるように思えた。
東京へ戻り、
久しぶりに作家の麻生氏とお会いした。
いつもながら、
精力的に執筆活動を続けておられ、
まっすぐに自身のテーマと向き合う姿に圧倒された。
自分が無力な観察者であることを
改めて認識するにいたる。
おごらず、過信せず、臆病になりすぎないこと。
知ることと、その輪に没入することは
別物であることを
自身に言い聞かせながら、冷たくなり始めた風に誓った。
2011年11月02日
11月にアジアンコンプレックスから2本のOAがあります。
まず、一つ目は、
11月4日夜12時〜
NHK−BS1 ドキュメンタリーWAVE「沸点〜中国・ネットの中の攻防〜」です。
言論統制が厳しい中国において、
ネットを駆使して発言を続ける市民ブロガーの戦いを追ったルポです。
得てして、机上の空論になりがちな
ネットの世界ですが、
現実社会から乖離しないことで力強い作品に仕上がったと思っています。
そして、私たちがなぜ、ここまで中国人に惹かれるのか
ここにある種の答えが詰まっているように思えます。
2つ目は、がらりと変わって
今年100年を迎える辛亥革命100年を記念した番組です。
11月22日夜10時〜
NHKプレミアム ハイビジョンスペシャル
「シリーズ辛亥革命第2回 ラストエンペラー〜真実の溥儀〜」です。
知っているようで知らない溥儀の苦悩とある種の政治的ずるさ、
そしてそれを上回る関東軍との攻防を
溥儀に心から仕えた2人の日本人を軸に
新しい資料を加えて壮大な大河ドラマに仕上げました。
歴史の中に、今を思うヒントがあり、
また現代の中に繰り返される業を感じます。
人という、不思議な生き物には
捉えきれないおかしさと悲しさ、
そしてみなぎる強い力を深く思う秋であります。
まず、一つ目は、
11月4日夜12時〜
NHK−BS1 ドキュメンタリーWAVE「沸点〜中国・ネットの中の攻防〜」です。
言論統制が厳しい中国において、
ネットを駆使して発言を続ける市民ブロガーの戦いを追ったルポです。
得てして、机上の空論になりがちな
ネットの世界ですが、
現実社会から乖離しないことで力強い作品に仕上がったと思っています。
そして、私たちがなぜ、ここまで中国人に惹かれるのか
ここにある種の答えが詰まっているように思えます。
2つ目は、がらりと変わって
今年100年を迎える辛亥革命100年を記念した番組です。
11月22日夜10時〜
NHKプレミアム ハイビジョンスペシャル
「シリーズ辛亥革命第2回 ラストエンペラー〜真実の溥儀〜」です。
知っているようで知らない溥儀の苦悩とある種の政治的ずるさ、
そしてそれを上回る関東軍との攻防を
溥儀に心から仕えた2人の日本人を軸に
新しい資料を加えて壮大な大河ドラマに仕上げました。
歴史の中に、今を思うヒントがあり、
また現代の中に繰り返される業を感じます。
人という、不思議な生き物には
捉えきれないおかしさと悲しさ、
そしてみなぎる強い力を深く思う秋であります。
2011年10月20日
広州の市場で2歳の女の子がひき逃げされ、
多くの通行人が助けることもなく通り過ぎたという事件が
日本でも報道されている。
多くの論調の“やっぱり中国は・・・”という雰囲気が読み取れ、
非常に不快に思っている。
人は、まさかと思うような光景を現実と思わない傾向がある。
過去にもアメリカで通りで叫び声を上げながら
助けを求める女性の声を何人も聞きながら通報しなかった例や
何よりも、今、日本で起きている被災地への無意識の差別に
気づかないことが、私には恐ろしい気がするのである。
京都の大文字焼きでの被災松の拒否や
福岡での東北イベントへの反対など、
耳をふさぎたくなるような事の方が根が深い気がするのである。
確かに、女の子がひき逃げされたことは
ショッキングで中国のネット上でも話題になっているが
それは彼ら自身における反省であり、
日本人がそれをどうこう言える立場ではないと思うのである。
むしろ、翻って自分たちはいかがかと考えなければ
今後の日本の発展はないのではないかとすら思える。
妊娠7ヶ月に入り、どこから見ても妊婦となった私でも
電車で席を譲れられることは非常にまれで、
“おなかに赤ちゃんがいます”というバッジをつけていても意味はない。
酔っ払いなのか、気分が悪いのか
駅にうずくまっている人に声がかけられることはほとんどないし、
高速鉄道の事故を見て、
「あんな馬鹿な事故は日本では起こらない」と言い切って
再点検をする鉄道会社もない。
現実を直視し、運命を受け入れつつ
克服していくことが人間として生まれてきた義務であり、権利であると
自己反省を猛烈に促しつつ、心に刻もうと思う。
多くの通行人が助けることもなく通り過ぎたという事件が
日本でも報道されている。
多くの論調の“やっぱり中国は・・・”という雰囲気が読み取れ、
非常に不快に思っている。
人は、まさかと思うような光景を現実と思わない傾向がある。
過去にもアメリカで通りで叫び声を上げながら
助けを求める女性の声を何人も聞きながら通報しなかった例や
何よりも、今、日本で起きている被災地への無意識の差別に
気づかないことが、私には恐ろしい気がするのである。
京都の大文字焼きでの被災松の拒否や
福岡での東北イベントへの反対など、
耳をふさぎたくなるような事の方が根が深い気がするのである。
確かに、女の子がひき逃げされたことは
ショッキングで中国のネット上でも話題になっているが
それは彼ら自身における反省であり、
日本人がそれをどうこう言える立場ではないと思うのである。
むしろ、翻って自分たちはいかがかと考えなければ
今後の日本の発展はないのではないかとすら思える。
妊娠7ヶ月に入り、どこから見ても妊婦となった私でも
電車で席を譲れられることは非常にまれで、
“おなかに赤ちゃんがいます”というバッジをつけていても意味はない。
酔っ払いなのか、気分が悪いのか
駅にうずくまっている人に声がかけられることはほとんどないし、
高速鉄道の事故を見て、
「あんな馬鹿な事故は日本では起こらない」と言い切って
再点検をする鉄道会社もない。
現実を直視し、運命を受け入れつつ
克服していくことが人間として生まれてきた義務であり、権利であると
自己反省を猛烈に促しつつ、心に刻もうと思う。
2011年08月01日
住宅購入をすれば否応なく、人生計画を要し
その計画が綿密であればあるほど
あるいはその安心感から、その通りにいくであろうと思う。
しかし、人生の面白いところは
それ以上の試練や恵みを与えられることではないだろうか。
私の中で育まれ始めた小さな命の愛おしさ、
これまで感じたのことのない勇気と幸福感で心が満たされる。
数年前の流産で、
二度と癒せない傷を無意識に心に押し隠しながら
ここまで走ってきたが、
突然曲がり角に出会ったような瞬間。
少しペースを落として、周りの景色を見る。
これまで見えていた世界と何と違うことだろうか。
努力と奇跡が必然と偶然を有機的に発生させ、
それらが個性的な人生をかたどっていく瞬間瞬間の
いかに美しいかということに素朴な感動を覚えるのである。
曲がり角のその先に、
また様々な光と影が待ち受けているだろう。
そして、再びこぶしを握り締めて前に進んでいこうと思う。
その計画が綿密であればあるほど
あるいはその安心感から、その通りにいくであろうと思う。
しかし、人生の面白いところは
それ以上の試練や恵みを与えられることではないだろうか。
私の中で育まれ始めた小さな命の愛おしさ、
これまで感じたのことのない勇気と幸福感で心が満たされる。
数年前の流産で、
二度と癒せない傷を無意識に心に押し隠しながら
ここまで走ってきたが、
突然曲がり角に出会ったような瞬間。
少しペースを落として、周りの景色を見る。
これまで見えていた世界と何と違うことだろうか。
努力と奇跡が必然と偶然を有機的に発生させ、
それらが個性的な人生をかたどっていく瞬間瞬間の
いかに美しいかということに素朴な感動を覚えるのである。
曲がり角のその先に、
また様々な光と影が待ち受けているだろう。
そして、再びこぶしを握り締めて前に進んでいこうと思う。
2011年03月25日
今日の朝日新聞を見て、少し思い出したことがある。
横浜の方でいわきナンバーの車が近所に駐車されいたらしいが、
町内会長の元へ「放射能汚染されているかも」という理由で
その車をどこか別の場所へ動かして欲しい
という苦情が入ったという。
心寒くなるような話である。
以前、長野で残留孤児の一家を取材し、
県営住宅に入居した一家が受けた体験を思い出した。
ある時、中国のテレビ放送を見ようと自宅のベランダに
アンテナを立てると「NHKが見れなくなる」などと
根も葉もないデマを流した住民が大挙して彼らを追い詰めた。
また、ある時はSARSが流行した時で
自宅に入ろうとしたら、
きちんと検査を受けて空港を通り抜けてきたというのに
住民全員がマンションに入れてくれない。
結局、役所の人が間に入って
それからの一週間は毎朝、体温を測って
全住民にそれを知らせるという屈辱的な対応を迫られた。
食事に出ることも許されなかったという。
インタビューをしながら、怒りで手が震えた。
結局、個人攻撃のような形になるので
放送することはできなかったが
一方で、自分の中にもないとは限らないと
自戒をこめて、この事を記そうと思う。
横浜の方でいわきナンバーの車が近所に駐車されいたらしいが、
町内会長の元へ「放射能汚染されているかも」という理由で
その車をどこか別の場所へ動かして欲しい
という苦情が入ったという。
心寒くなるような話である。
以前、長野で残留孤児の一家を取材し、
県営住宅に入居した一家が受けた体験を思い出した。
ある時、中国のテレビ放送を見ようと自宅のベランダに
アンテナを立てると「NHKが見れなくなる」などと
根も葉もないデマを流した住民が大挙して彼らを追い詰めた。
また、ある時はSARSが流行した時で
自宅に入ろうとしたら、
きちんと検査を受けて空港を通り抜けてきたというのに
住民全員がマンションに入れてくれない。
結局、役所の人が間に入って
それからの一週間は毎朝、体温を測って
全住民にそれを知らせるという屈辱的な対応を迫られた。
食事に出ることも許されなかったという。
インタビューをしながら、怒りで手が震えた。
結局、個人攻撃のような形になるので
放送することはできなかったが
一方で、自分の中にもないとは限らないと
自戒をこめて、この事を記そうと思う。
2011年03月18日
計画停電の枠には漏れている渋谷。
それでも店のネオンは消え、
人並みもまばらだ。
日中の山手線で座れることはめったに無いが、
用事で新宿を往復してもいずれも座ることができた。
自分でもできることをしようと
事務所の電気を消して、暖房も使わない。
静か過ぎる都心は、
何やらピリピリと張りつめた空気が漂う。
以前から番組で知り合っていた
残留孤児の老夫婦は、東京を離れて長野へ。
本当は中国へ帰りたいと言うが、
チケットはどの便もいっぱいで取ることができない。
近くのスーパーには物がないため不安は募り、
放射能汚染の情報は日本語が分からないために確かではない。
今、分かっている事を説明して
飯田行きのバスに押し込み、少しだけほっとした。
今、できる目の前のことをまじめにやろうと思う。
それでも店のネオンは消え、
人並みもまばらだ。
日中の山手線で座れることはめったに無いが、
用事で新宿を往復してもいずれも座ることができた。
自分でもできることをしようと
事務所の電気を消して、暖房も使わない。
静か過ぎる都心は、
何やらピリピリと張りつめた空気が漂う。
以前から番組で知り合っていた
残留孤児の老夫婦は、東京を離れて長野へ。
本当は中国へ帰りたいと言うが、
チケットはどの便もいっぱいで取ることができない。
近くのスーパーには物がないため不安は募り、
放射能汚染の情報は日本語が分からないために確かではない。
今、分かっている事を説明して
飯田行きのバスに押し込み、少しだけほっとした。
今、できる目の前のことをまじめにやろうと思う。
2011年03月15日
あの時、銀行にいたのだが
初めの揺れから大きく横に動くように揺れて
反射的に記入する台の下に避難した。
窓の外を見ると、
街路樹が大きくしなって揺れ動くのが見え、
これは尋常じゃない、と胸がどきどきしながら
揺れの最中に夫に電話をかけてみるが
全くの不通になっていた。
その後の渋谷は、
ビルから非難した人で溢れ返って騒然としていた。
しかし、今、もっと痛ましい被災地に向けて
自分では何ができるのかを、ずっと考えている。
現地には多くの中国人がいたはずであり、
どうにかそれらの人の役にたてないだろうかなどと
考えてみるのだが、現地に行くことはもう少し先になるだろう。
何ができるだろうか。
何かをしなければならない。
初めの揺れから大きく横に動くように揺れて
反射的に記入する台の下に避難した。
窓の外を見ると、
街路樹が大きくしなって揺れ動くのが見え、
これは尋常じゃない、と胸がどきどきしながら
揺れの最中に夫に電話をかけてみるが
全くの不通になっていた。
その後の渋谷は、
ビルから非難した人で溢れ返って騒然としていた。
しかし、今、もっと痛ましい被災地に向けて
自分では何ができるのかを、ずっと考えている。
現地には多くの中国人がいたはずであり、
どうにかそれらの人の役にたてないだろうかなどと
考えてみるのだが、現地に行くことはもう少し先になるだろう。
何ができるだろうか。
何かをしなければならない。
2011年03月12日
たくさんの方々から
ご心配の声をいただきました。
こちらは、周囲での被災の報告も受けておりませんので
この場をお借りしてご報告申し上げます。
お心遣いに心から感謝申し上げます。
ご心配の声をいただきました。
こちらは、周囲での被災の報告も受けておりませんので
この場をお借りしてご報告申し上げます。
お心遣いに心から感謝申し上げます。
2011年03月02日
中東のジャスミン革命が起こってから
表題の質問をされたり
このことについて話す機会が多いために
自分自身でもあれこれと考えてみている。
おそらく、
中東の影響で中国に民主化の波が訪れる可能性は
残念ながら低いと考えている。
影響があるとすれば、
それは新疆ウィグル自治区だろうか。
政府を派手に打倒することは
今のところ、想像がつかないのだが
小さな見逃せない動きが非常に目に付く。
例えば、
政府に反対されながらも続けるボランティア団体の活動や
商業ベースに乗せるつもりのない
ドキュメンタリーを作り続ける人たち、
法律を知るために勉強会を開く若い労働者たちなど
小さな活動から自国にある
問題にそれぞれの視点から直面している様子は
目覚め始めた“中国人”であり、
どのような形であるかは別にして
民主化後の何かを予想させるものであると思っている。
民間の力の前に徐々に党の力の弱まりを感じる時もある。
例えば、先の尖閣の問題だが、
視点を変えると見えてくるものもある。
これまで党の息のかかった船長が漁をしていたが、
昨今の拝金主義に浴した今の船長は
何としても稼ぐ必要があり、党の意向等は屁とも思わない。
力をつけ始めた新しい世代の中国人は、
様々な情報を日本人以上に手に入れて
仲間どうしで熱い議論を交わしている。
私は、この新しい世代(必ずしも若いとは限らない)の考えや活動が
何よりも面白く、魅力的に感じられ、
またここから何かが生まれる胎動を強く感じるのである。
表題の質問をされたり
このことについて話す機会が多いために
自分自身でもあれこれと考えてみている。
おそらく、
中東の影響で中国に民主化の波が訪れる可能性は
残念ながら低いと考えている。
影響があるとすれば、
それは新疆ウィグル自治区だろうか。
政府を派手に打倒することは
今のところ、想像がつかないのだが
小さな見逃せない動きが非常に目に付く。
例えば、
政府に反対されながらも続けるボランティア団体の活動や
商業ベースに乗せるつもりのない
ドキュメンタリーを作り続ける人たち、
法律を知るために勉強会を開く若い労働者たちなど
小さな活動から自国にある
問題にそれぞれの視点から直面している様子は
目覚め始めた“中国人”であり、
どのような形であるかは別にして
民主化後の何かを予想させるものであると思っている。
民間の力の前に徐々に党の力の弱まりを感じる時もある。
例えば、先の尖閣の問題だが、
視点を変えると見えてくるものもある。
これまで党の息のかかった船長が漁をしていたが、
昨今の拝金主義に浴した今の船長は
何としても稼ぐ必要があり、党の意向等は屁とも思わない。
力をつけ始めた新しい世代の中国人は、
様々な情報を日本人以上に手に入れて
仲間どうしで熱い議論を交わしている。
私は、この新しい世代(必ずしも若いとは限らない)の考えや活動が
何よりも面白く、魅力的に感じられ、
またここから何かが生まれる胎動を強く感じるのである。
2011年02月01日
直接一緒に仕事をしたことはないが、
ひょんなことから知り合いになったFさん。
制作会社で数年ADをしていたが、
ある時、ニューヨークへ行ってしまった。
出発前にちょうど撮影用のカメラを購入したので
前に使っていたカメラを
彼女に餞別としてプレゼントしたのだった。
そんな彼女から今日、メールをもらった。
同じ寮に暮らす留学生たちを題材に
ドキュメンタリーを作ったという。
こんなに嬉しかったことは、
ここ何年もないほどに嬉しかった。
そんなメールをもらう一方で、
知り合いが仕事仲間を連れてたずねてきた。
その人は、ビデオジャーナリストで、
初めてテレビ番組を制作するという。
戦場や大きな事故の跡地などを訪ね歩き、
場所によっては何十年も追い続ける姿には
自分に無い、すばらしいスタイルがあった。
みんな、動いている。
生き生きと、時には迷いながらも
それを楽しむように動いている。
ひょんなことから知り合いになったFさん。
制作会社で数年ADをしていたが、
ある時、ニューヨークへ行ってしまった。
出発前にちょうど撮影用のカメラを購入したので
前に使っていたカメラを
彼女に餞別としてプレゼントしたのだった。
そんな彼女から今日、メールをもらった。
同じ寮に暮らす留学生たちを題材に
ドキュメンタリーを作ったという。
こんなに嬉しかったことは、
ここ何年もないほどに嬉しかった。
そんなメールをもらう一方で、
知り合いが仕事仲間を連れてたずねてきた。
その人は、ビデオジャーナリストで、
初めてテレビ番組を制作するという。
戦場や大きな事故の跡地などを訪ね歩き、
場所によっては何十年も追い続ける姿には
自分に無い、すばらしいスタイルがあった。
みんな、動いている。
生き生きと、時には迷いながらも
それを楽しむように動いている。