しまだっち日記

旧:雑記録。日々雑雑としたことを記録しています。仕事のこと、家庭のこと、歌のこと、音楽のこと、その他趣味のこと。 ※ クラシック音楽についてはhttps://aibosyumi2023.blog.jp/

2015年05月

上の子がようやく自転車乗る練習をやりだしました。
学童通っていて平日は夕方まで学校居るし、休日も普段の移動が車だし、マンションの周りは車道ばかりで危ないので、なかなか自転車購入の機会を見いだせなくて。

その上、在庫がなくて工場生産まで遡った結果、注文してから1ヶ月も待たされた。
やっと届いたのが昨日。
ちょっと上の子には大きいかな、という感触。
26インチなので、タイヤの大きさだけなら相方と一緒だ(サドルの高さだけの違い)。 
その上安全重視の子ども向けなので、パイプが太くていかにも重そう。
初めての本格的な自転車としては辛いような気がしたが、仕方あるまい。

で、今日が2回目の練習。
こぎ始めてからの運転のしかたはちょっとコツをつかんだようですが、まだ乗りはじめに難あり。
文句ばっかり言いつつ懸命に乗ろうとしていますが、もう少し日がかかりそうです。
すねて「もうやめる」と言って聞かなかったので今日は終わり。
血は争えないですね(苦笑)。

まあ少しずつやっていけばいいかと。

ビリギャル、といっても映画でなく、原著の方。
映画はまだ観に行く機会なし。来週中にでも行けたらいいなぁ。

原著は出て間もない頃に、本屋で夢中になって読んだ。
偏差値30から慶大に受かったのはそれだけで劇的ではあるのですが、
そこまでのプロセスは理詰めであり、特に変わったことをやっているわけではありません。
受験勉強はテクニック、という点では、和田秀樹の考え方と通じるものもあるような気がします。

彼女の言葉や、知識の不足から来る珍回答。
でもそこからは、同時に端々から豊かな感受性と、アタマのキレの良さを感じました。
素質はすごくあったんでしょう。
ただ、いろいろな背景あって、勉強ができない子になっていた。

なのでこの本の通りやって、誰でも名門大学に受かる、というものではないでしょう。

ただ、テクニックとしての受験勉強、
前向きな気持ちが大事であること、
親子の信頼関係が子育てや受験のために重要であること、
学校の環境、教育方針に対する提言、
示唆に富んだものでした。

あとは、先生に恵まれること。
(この本の目的の大部分は、先生の宣伝だと思っています)

それでも、先生の選び方も含め、
子どもの気持ちと素質がビビッとかみ合う予感を感じたら、
あくまで経済的な事情の許す範囲ですが、そうではない親の事情で子どもの行く道を妨げてはいけないのだ、とも思いました。



こっちも読みました。
やっぱりああちゃんがいちばんすばらしい。


 

夕方に市議面談。これまで2連続で半日有給とっており、3連続で仕事の途中で帰る気まずさに堪えられなくなったのと、休日出勤2日分をどこかで振り替えないといけないのとで、今日はその1日を充てることにした。
業務効率下がることおびただしいが、今のところは自分しかやる人いないので仕方ない。6月からは人手も増えるし、少しマシになるといいのだが。

相変わらず相方からは、子どもがらみの仕事をやってくれるところは感謝されているようだが、「本質的にうっとおしい」と思われているようだ。学童の仕事をやって、生活費を出せば良いのだろう。下の子が生まれて以降、何をやっても変わらないので、今年はじめに思うところあって、当面諦めることにした。

29日の三役会の資料も作ったことだし、仕事の積み残しはあるけどまずは外に出る。帰りは夜遅く。どうせ居ない方が良いのだろう。やりきれなくて悲しい。



 

合唱団の、2度目の休団を決めました。

3年前の富山の後くらいから練習に通うのが苦痛になって、
いろいろ無茶苦茶なことやらないと音楽に向かい合えなくなったのです。

今年のはじめから色々思うところはあったのですが、
4月のはじめ、練習会場に行って、3階に上がるのが怖くて引き返したところで決断しました。

これ以上無理すると、本当に歌うことが嫌いになりそうだったので、
4月のコーラスめっせを最後に、無期限のお休みを戴くことにしました。

3月末にボイストレーナーに声をみていただきました。
「うまくなった。今の声で良い」というのが答えでした。
皮肉なものです。

ただ、趣味は、好きなキモチがないとやっていけません。

最初の休団をしたのがちょうど5年前。
当初の理由は仕事の都合、ついで私事都合。
演奏会とコンクールをすっ飛ばし、後にも先にもこれ一度きりという大きな問題を片付けて半年後、
無性に歌いたくなって復団しました。

「無性に歌いたい」というキモチが再び芽生えてくることを楽しみにしながら、
いつになるかわかりませんが、 心の充電をしたいと思っています。


大阪都構想の住民投票は、僅かの差で反対多数となった。
法案は白紙撤回、橋下市長も任期満了をもって、次期は立候補せず、
政界からも引退するとのこと。

政治家を宗教の教祖のように崇め、その人物の施策を信任する、
橋下氏と「維新の会」は、そういった「人への崇拝」によって支持と影響力を獲得した一時代の、最後の存在だと思っている。
橋下氏の政界引退をもって、政治家を「崇拝する」時代、
もっと言うと、「有権者が考えなくても政治に参加できる」時代が終わる。

政治をそのように考えてきた多くの人は、
「これから何を信じたらいいんだろう」
と絶望するだろう。
これから長く続く、絶望の時代の始まりかもしれない。
 
でも、それでいいと思う。
政治は宗教とは違う。
崇めるものではない。
自ら考え、利用する存在なのだと思う。

橋下氏も
「僕みたいな政治家が長く続けるのは危険だ」
と記者会見で語っていた。
考える力を有権者から抜き取る政治は、短期的にはともかく、長期的には不幸を生む。
歴史の中で何度も示されてきたことだ。

さらに言うと、彼の力のある言葉を伴った方針は、
「新しい方向性」でも、「若者の味方」でもなく、
「物事を考える力のない者の味方」になってしまっていたのである。

大阪を特別区にしよう、という構想は、
彼の考え方を通すフィルターを、2枚でなく1枚にすることだけを目的としており、
それさえクリアできたら、後の多くの問題はどうでも良いとさえ思っているのだ。
さらに彼の巧みな話術ゆえ、多くの人がそのことに気づいていないのだ。

ともあれ、政治というものの考え方についての、ターニングポイントになるだろう。
ひとつの時代が終わった。
 

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