2008年02月09日
日本特許第135号
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
朝から降り続いている雪は、早くも屋根の上で5cmほどになっています。
このまま夕方まで降り続けば、10cmにはなるかと思われ明朝の銀世界が
楽しみです。
きっと、孫に雪だるま作りを手伝わされる事になるのでしょうが・・・・。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇
さて今回も途中をドンドン飛ばして、ついに明治19年に突入いたしました。
日本特許第135号でなんと「酒精蒸留器」についての特許です。
少なくともこの頃酒精を蒸留するとなると、九州地方に於いての焼酎作りを
思いますが、どうしたことか特許権者は東京府日本橋区の筒井虎松さんと
なっています。
添付されている図面は、前回お話いたしましたように緻密な線画による
斜視図で描かれています。 今回この図面を皆様に見ていただきたく
下記に↓貼り付けておきました。

この頃の明細書に添付されている図面の
多くに使われている線画による描写例です。
(クリックで画像が拡大します)
-----------------------------------------------------------------
日本特許第135号
【特許出願人/特許権者】 東京府日本橋区亀井町20番地
筒井 虎松
【発明の名称】 酒精蒸留器
【出願日】 明治19年2月8日
【特許された日】 明治19年3月17日
(権利は消滅しています)
---------------------------------------------------
焼酎の始まりについては↓に面白い話がでています。
http://www.isanishiki.com/rekisi/rekisi.html
やはり焼酎は室町の時代から薩摩の人々を慰めてきたようですネ。
室町時代の蒸留装置とはーーどんなものだったのでしょう。
その形状すら想像することができませんが 機会があれば調べて
みたいものです。
さて、今回紹介いたしました「酒精蒸留器」を使って、筒井 虎松さんは
一体何を作っていたのでしょうか??
酒飲みの私は自動的に「酒精蒸留器」→蒸留酒→ウイスキー/ブランディー
/焼酎とリンクしていくのですが、この頃は未だウイスキー等の国産は
始まっていませんので、ここは単にエタノールを作る為の蒸留器と
思った方が無難なのかもしれません。 医療の進歩に伴ない、又急激に
増大する陸、海軍等に多くの消毒用エタノールの需要が起っていた
のだろうと'想像できます。
この後、この「酒精蒸留器」を知った薩摩の焼酎メーカの人たちが
この「酒精蒸留器」を導入し焼酎の増産に貢献したと思いたいのですが、
図面を見ていただければ分かるように、この「酒精蒸留器」では
エタノールを作るにせよ、焼酎を造るにせよ、その生産量に多くを
望めない為、これをベースとしてより多く生産可能なように、大型化、
効率化を図っていったと想像するのも楽しいことです。
================================================
【編集後記】
今回紹介いたしました、「酒精蒸留器」は蒸留酒の特に焼酎の生産には
使われていなかったと思われる事が酒飲みの私にとって誠に残念です。
この後、明治の特許を見ていくうちに、蒸留酒用の蒸留釜に関する
特許が、出てくることを楽しみに、このブログを続けて行きたいと
思います。
皆様宜しくご愛読、お願い致します。
朝から降り続いている雪は、早くも屋根の上で5cmほどになっています。
このまま夕方まで降り続けば、10cmにはなるかと思われ明朝の銀世界が
楽しみです。
きっと、孫に雪だるま作りを手伝わされる事になるのでしょうが・・・・。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇
さて今回も途中をドンドン飛ばして、ついに明治19年に突入いたしました。
日本特許第135号でなんと「酒精蒸留器」についての特許です。
少なくともこの頃酒精を蒸留するとなると、九州地方に於いての焼酎作りを
思いますが、どうしたことか特許権者は東京府日本橋区の筒井虎松さんと
なっています。
添付されている図面は、前回お話いたしましたように緻密な線画による
斜視図で描かれています。 今回この図面を皆様に見ていただきたく
下記に↓貼り付けておきました。

この頃の明細書に添付されている図面の
多くに使われている線画による描写例です。
(クリックで画像が拡大します)
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日本特許第135号
【特許出願人/特許権者】 東京府日本橋区亀井町20番地
筒井 虎松
【発明の名称】 酒精蒸留器
【出願日】 明治19年2月8日
【特許された日】 明治19年3月17日
(権利は消滅しています)
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焼酎の始まりについては↓に面白い話がでています。
http://www.isanishiki.com/rekisi/rekisi.html
やはり焼酎は室町の時代から薩摩の人々を慰めてきたようですネ。
室町時代の蒸留装置とはーーどんなものだったのでしょう。
その形状すら想像することができませんが 機会があれば調べて
みたいものです。
さて、今回紹介いたしました「酒精蒸留器」を使って、筒井 虎松さんは
一体何を作っていたのでしょうか??
酒飲みの私は自動的に「酒精蒸留器」→蒸留酒→ウイスキー/ブランディー
/焼酎とリンクしていくのですが、この頃は未だウイスキー等の国産は
始まっていませんので、ここは単にエタノールを作る為の蒸留器と
思った方が無難なのかもしれません。 医療の進歩に伴ない、又急激に
増大する陸、海軍等に多くの消毒用エタノールの需要が起っていた
のだろうと'想像できます。
この後、この「酒精蒸留器」を知った薩摩の焼酎メーカの人たちが
この「酒精蒸留器」を導入し焼酎の増産に貢献したと思いたいのですが、
図面を見ていただければ分かるように、この「酒精蒸留器」では
エタノールを作るにせよ、焼酎を造るにせよ、その生産量に多くを
望めない為、これをベースとしてより多く生産可能なように、大型化、
効率化を図っていったと想像するのも楽しいことです。
================================================
【編集後記】
今回紹介いたしました、「酒精蒸留器」は蒸留酒の特に焼酎の生産には
使われていなかったと思われる事が酒飲みの私にとって誠に残念です。
この後、明治の特許を見ていくうちに、蒸留酒用の蒸留釜に関する
特許が、出てくることを楽しみに、このブログを続けて行きたいと
思います。
皆様宜しくご愛読、お願い致します。
2008年01月14日
日本特許第79号
今回もドーンと途中を飛ばして、日本特許第79号についての紹介です。
今回紹介の特許 【烟脂止メ烟管】 も、特許明細書は1枚と図面1枚のみです。
文章としては7行ですが、もうその少なさには慣れて(?)しまいました。
今までに紹介してきた特許も含めて、この頃の明細書添付の図面の
多くは斜視図ですが、何れも線画で緻密で丁寧に描かれています。
前号で少し触れましたが、出願願書の文章だけでなく、このような図面を専門に
描く人も既にいたような、立派な図面です。
-----------------------------------------------------------------
【特許出願人/特許権者】 東京府小石川区小日向武島町22番地
山本 熊太郎
【発明の名称】 烟脂止メ烟管
【出願日】 明治18年12月2日
【特許された日】 明治18年12月28日
(権利は消滅しています)
-------------------------------------------------------------------
烟脂止メ烟管とは、どんな物と思われますか?
烟脂はヤフー辞書でしらべても出てきませんが、烟は煙の事と分かりました。
煙の脂、煙草のヤニの事と思われますネ。 そして烟管は煙の管、即ち
パイプの事でしょう。 当時は(今でも)キセルと呼びました。
( ひょっとすると、煙突の事をもさすかも知れませんね。)
即ち、ヤニ取フイルター付きのキセルということになりますが、この時期今のように
紙巻煙草が主流ではなく、多くの愛煙家は“きざみ”と呼ばれた煙草の葉を
細く細く刻んだものを、キセルの先端(雁首と言います)に詰め込んで
吸っていました。 私の祖父さんの代では、かなり一般的でしたが
今ではこの“きざみ”を街のタバコ屋さんで買おうと思っても中々買えないらしく
頼んでおいて取り寄せてもらわないと買えないそうです。
構造はキセルの吸い口に近い部分で前後に分割してあり、互いにネジで
つなげるようになっています。 この分割部よりフィルターの役目をする綿で
できた栓を詰め込むようになっていて、適宜交換可能なものです。
紙巻煙草ときざみの違い、綿栓のフイルターと樹脂繊維製のフイルターの
違いはありますが、基本的には現在市販されているフイルターつきの
パイプと同じ物とみて差し支えのないものです。
何時の時代にも煙草は身体に悪いと知りながら、止められない為、
色々と工夫をしている人がいるようですね。
明細書には『比ノ烟管ハ能ク烟脂ノ口中ニ入イルヲ遮止スルヲ以テ吃烟者ノ
健康ヲ'害スルコト少シトス』とあります。
===============================================================
【編集後記】
“キセル”と書きながら、昔昔の大昔ーとっくに時効になった学生時代のことを、
思い出しました。
鉄道で旅をするとき、例えば大阪から東京に行く場合、大阪駅からは
高槻あたりまでの切符を買って乗り込み、東京の友人に横浜あたりから
東京駅迄の切符を買ってもらい横浜で落ち合い切符を受け取り東京駅改札を
出る。帰りはもっと簡単に、東京駅を品川あたりまでの切符で入り、大阪では
持っている定期券で出る。 検札に恐れ慄いた旅でもありましたがーーー。
吸い口と、雁首だけが金属(お金)でその途中は竹や木でできているキセルと
似ているので、この“悪行”をキセルと呼ぶと聞いた事があります。
又、同様な“悪行”を“薩摩の守”とも言いました。 これは平家物語の
登場人物である平忠度(たいらのただのり)の官名が「薩摩守」
である事から“サツマノカミ”と言っていました。
今は何と言っているのでしょうか?
このような悪いことをする人はいなくなったのでしょうか?
今回紹介の特許 【烟脂止メ烟管】 も、特許明細書は1枚と図面1枚のみです。
文章としては7行ですが、もうその少なさには慣れて(?)しまいました。
今までに紹介してきた特許も含めて、この頃の明細書添付の図面の
多くは斜視図ですが、何れも線画で緻密で丁寧に描かれています。
前号で少し触れましたが、出願願書の文章だけでなく、このような図面を専門に
描く人も既にいたような、立派な図面です。
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【特許出願人/特許権者】 東京府小石川区小日向武島町22番地
山本 熊太郎
【発明の名称】 烟脂止メ烟管
【出願日】 明治18年12月2日
【特許された日】 明治18年12月28日
(権利は消滅しています)
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烟脂止メ烟管とは、どんな物と思われますか?
烟脂はヤフー辞書でしらべても出てきませんが、烟は煙の事と分かりました。
煙の脂、煙草のヤニの事と思われますネ。 そして烟管は煙の管、即ち
パイプの事でしょう。 当時は(今でも)キセルと呼びました。
( ひょっとすると、煙突の事をもさすかも知れませんね。)
即ち、ヤニ取フイルター付きのキセルということになりますが、この時期今のように
紙巻煙草が主流ではなく、多くの愛煙家は“きざみ”と呼ばれた煙草の葉を
細く細く刻んだものを、キセルの先端(雁首と言います)に詰め込んで
吸っていました。 私の祖父さんの代では、かなり一般的でしたが
今ではこの“きざみ”を街のタバコ屋さんで買おうと思っても中々買えないらしく
頼んでおいて取り寄せてもらわないと買えないそうです。
構造はキセルの吸い口に近い部分で前後に分割してあり、互いにネジで
つなげるようになっています。 この分割部よりフィルターの役目をする綿で
できた栓を詰め込むようになっていて、適宜交換可能なものです。
紙巻煙草ときざみの違い、綿栓のフイルターと樹脂繊維製のフイルターの
違いはありますが、基本的には現在市販されているフイルターつきの
パイプと同じ物とみて差し支えのないものです。
何時の時代にも煙草は身体に悪いと知りながら、止められない為、
色々と工夫をしている人がいるようですね。
明細書には『比ノ烟管ハ能ク烟脂ノ口中ニ入イルヲ遮止スルヲ以テ吃烟者ノ
健康ヲ'害スルコト少シトス』とあります。
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【編集後記】
“キセル”と書きながら、昔昔の大昔ーとっくに時効になった学生時代のことを、
思い出しました。
鉄道で旅をするとき、例えば大阪から東京に行く場合、大阪駅からは
高槻あたりまでの切符を買って乗り込み、東京の友人に横浜あたりから
東京駅迄の切符を買ってもらい横浜で落ち合い切符を受け取り東京駅改札を
出る。帰りはもっと簡単に、東京駅を品川あたりまでの切符で入り、大阪では
持っている定期券で出る。 検札に恐れ慄いた旅でもありましたがーーー。
吸い口と、雁首だけが金属(お金)でその途中は竹や木でできているキセルと
似ているので、この“悪行”をキセルと呼ぶと聞いた事があります。
又、同様な“悪行”を“薩摩の守”とも言いました。 これは平家物語の
登場人物である平忠度(たいらのただのり)の官名が「薩摩守」
である事から“サツマノカミ”と言っていました。
今は何と言っているのでしょうか?
このような悪いことをする人はいなくなったのでしょうか?
2007年10月25日
日本特許第21号
今回は多分これ以上に簡単な明細書の特許は無いであろうと
思われる特許を紹介いたします。
明細書は全4行で記載されていて、しかもその4行には現行の【特許請求の範囲】迄
含まれています。
足袋の形状をした、「ハリソンネツチングマシイン」と言う織機で作った靴下と
いうことで、権利になっています。これだけで権利になった良き(?)時代でもあり
ました。
この頃は出願から特許されるまでの期間が、今では考えられない短期間で
特許されていいて、 この特許願も約1ヶ月で特許されていいます。
又、その特許期間は15年です。
この特許証をそのまま横書きでコピーしてみますと、(原文は縦書きです)下記の
ようになりますが、私には読めない字が2文字あります--皆さんは如何でしょうか?
------------------------------------------------------------------
特許第二十一号 第百十二類 出願 明治十八年八月四日
特許 明治十八年九月五日
特許年限 十五年
明治三十三年九月四日年
限満了に依り特許権消滅 東京府京橋区銀座二丁目十四番地
特許権者 坪内 雄美
明細書
足袋形沓下
此沓下ハ在来ノ日本風足袋形ニ造リタルモノニシテ靴若シクハ下駄ヲ穿ツニ便ナル
新規有益ノ発明ナリ之ヲ左ニ明快ス(1行で記載されています)
此沓下ハ英国「マンチエストル」府「ハリソン」氏製造「ハリソンネツチングマシイン」ト云ウ機械ヲ以テ製シ靴ヲ穿ツニモ亦日本形履物ヲ(1行で記載されています)
穿ツニモ適スヘク縫目ナキ足袋形靴下二シテ頗ル有益ノモノトス
此ノ発明ノ専売特許ヲ請求スル区域ハ前期ノ足袋形靴下是ナリ
--------------------------------------------------------------------
この頃になると、洋装姿の人も少しずつ増え靴下の需要も高まってきました。
又、当時の陸軍の洋式化も需要の多くを占めていたようです。
靴下を織る為の綿糸は国産で何とかまかなえるとしても、織機は外国製に頼って
いた事がうかがえます。 これら織機をいち早く輸入し靴下や軍手の一大生産地と
なっていった地域の一つが、前回紹介しました大阪府の泉州地方でした。
今でこ、そつま先が足袋のように二つに分かれていたり、指、夫々が入るように
5本に分かれているのは、珍しい事ではありませんが、当時はこの特許権者が
東京府京橋区銀座二丁目 とあることから、足元のニューファッションとして
売り出そうとしていたのでは?-----と想像するのも又、面白いものです。
当時の靴下の事情については、下記にも↓詳しく掲載されています。
http://www.okamotocorp.co.jp/okamoto_story/history/05.html
思われる特許を紹介いたします。
明細書は全4行で記載されていて、しかもその4行には現行の【特許請求の範囲】迄
含まれています。
足袋の形状をした、「ハリソンネツチングマシイン」と言う織機で作った靴下と
いうことで、権利になっています。これだけで権利になった良き(?)時代でもあり
ました。
この頃は出願から特許されるまでの期間が、今では考えられない短期間で
特許されていいて、 この特許願も約1ヶ月で特許されていいます。
又、その特許期間は15年です。
この特許証をそのまま横書きでコピーしてみますと、(原文は縦書きです)下記の
ようになりますが、私には読めない字が2文字あります--皆さんは如何でしょうか?
------------------------------------------------------------------
特許第二十一号 第百十二類 出願 明治十八年八月四日
特許 明治十八年九月五日
特許年限 十五年
明治三十三年九月四日年
限満了に依り特許権消滅 東京府京橋区銀座二丁目十四番地
特許権者 坪内 雄美
明細書
足袋形沓下
此沓下ハ在来ノ日本風足袋形ニ造リタルモノニシテ靴若シクハ下駄ヲ穿ツニ便ナル
新規有益ノ発明ナリ之ヲ左ニ明快ス(1行で記載されています)
此沓下ハ英国「マンチエストル」府「ハリソン」氏製造「ハリソンネツチングマシイン」ト云ウ機械ヲ以テ製シ靴ヲ穿ツニモ亦日本形履物ヲ(1行で記載されています)
穿ツニモ適スヘク縫目ナキ足袋形靴下二シテ頗ル有益ノモノトス
此ノ発明ノ専売特許ヲ請求スル区域ハ前期ノ足袋形靴下是ナリ
--------------------------------------------------------------------
この頃になると、洋装姿の人も少しずつ増え靴下の需要も高まってきました。
又、当時の陸軍の洋式化も需要の多くを占めていたようです。
靴下を織る為の綿糸は国産で何とかまかなえるとしても、織機は外国製に頼って
いた事がうかがえます。 これら織機をいち早く輸入し靴下や軍手の一大生産地と
なっていった地域の一つが、前回紹介しました大阪府の泉州地方でした。
今でこ、そつま先が足袋のように二つに分かれていたり、指、夫々が入るように
5本に分かれているのは、珍しい事ではありませんが、当時はこの特許権者が
東京府京橋区銀座二丁目 とあることから、足元のニューファッションとして
売り出そうとしていたのでは?-----と想像するのも又、面白いものです。
当時の靴下の事情については、下記にも↓詳しく掲載されています。
http://www.okamotocorp.co.jp/okamoto_story/history/05.html
2007年10月24日
日本特許第9号
今回は少し途中を飛ばして、日本特許第9号についての紹介です。
これ迄の出願人は、主として東京を中心とした関東近県の“平民”でしたが
(第8号は愛媛県) この第9号で初めて大阪府の、それも“士族”の
登場となります。 この時期、日本の人口(約3750万人)の約5パーセントを
占める士族も、士族の誇りだけでは腹はふくれないと、多方面に進出して
果敢に新生活の開拓をしていく、多くの士族がいたことでしょう。
“武士(士族)の商法”と揶揄されたのもこの頃の事で、悲壮感の中にも
何か滑稽感を感じます。
【特許出願人/特許権者】 大阪府 士族 玉置 洋三
同 玉置 輝四郎
【発明の名称】 紡績機
【出願日】 明治18年8月1日
【特許された日】 明治18年9月5日
(権利は消滅しています)
大阪で紡績と言えば、やはり泉州でしょう。(大阪府南部、和歌山県迄)
江戸時代には、「和泉木綿」の全国に知られた名産地でしたが、
明治中期になると、輸入綿の増加に伴って綿の栽培は衰退した一方で
紡績所の建設や自動織機の発達で大量生産が始まり、日本を代表する
綿製品の生産地に成長しました。
そして今また、中国などからの輸入に押されて、業界は厳しい状況にあるのは、
皆さんご存知のとおりです。
玉置 洋三さん、輝四郎さん親子は(両名とも士族ですから、多分親子と
思われます。兄弟なら次男は分家、平民となったようです。)この泉州に
おける、綿産業の先駆となり大量生産、高品質の綿織物が出来る
紡績機の創意工夫に寝食を忘れ、没頭された様子が伝わってくるような、
願書です。
尚、「和泉木綿」については、下記にも↓に詳しく紹介されています。
http://www.kisweb.ne.jp/sakai/20r.html
===============================================================
【編集後記】
私事になりますが、先日定期検診を受けました。
先生に「何か変った事は無いですか?」と、聞かれましたので
「最近頻尿の兆候があるようでーーーー」と、言いますと
泌尿器科で前立腺の検査を受けるようにと、その検査方法を
面白可笑しく説明しながら奨められました。
経験者の方にはお分かりの、「ウッソーーー、マジーーー」
と言いたくなるような、何としても避けたい検査です。
「他に変った事は無いですか?」と再度聞かれましたので
「足首のあたりが浮腫んでいるようなのですがーーーー」と言いますと
私の足首を一見して、「あーー、これは大分水が溜まっていますね」
「利尿剤を出しておきますから、飲んで下さい」との事でした。
むーーーーー、何か矛盾していないかなーーーーーーーーー。
ちなみに、先生は別嬪な女医さんです。
これ迄の出願人は、主として東京を中心とした関東近県の“平民”でしたが
(第8号は愛媛県) この第9号で初めて大阪府の、それも“士族”の
登場となります。 この時期、日本の人口(約3750万人)の約5パーセントを
占める士族も、士族の誇りだけでは腹はふくれないと、多方面に進出して
果敢に新生活の開拓をしていく、多くの士族がいたことでしょう。
“武士(士族)の商法”と揶揄されたのもこの頃の事で、悲壮感の中にも
何か滑稽感を感じます。
【特許出願人/特許権者】 大阪府 士族 玉置 洋三
同 玉置 輝四郎
【発明の名称】 紡績機
【出願日】 明治18年8月1日
【特許された日】 明治18年9月5日
(権利は消滅しています)
大阪で紡績と言えば、やはり泉州でしょう。(大阪府南部、和歌山県迄)
江戸時代には、「和泉木綿」の全国に知られた名産地でしたが、
明治中期になると、輸入綿の増加に伴って綿の栽培は衰退した一方で
紡績所の建設や自動織機の発達で大量生産が始まり、日本を代表する
綿製品の生産地に成長しました。
そして今また、中国などからの輸入に押されて、業界は厳しい状況にあるのは、
皆さんご存知のとおりです。
玉置 洋三さん、輝四郎さん親子は(両名とも士族ですから、多分親子と
思われます。兄弟なら次男は分家、平民となったようです。)この泉州に
おける、綿産業の先駆となり大量生産、高品質の綿織物が出来る
紡績機の創意工夫に寝食を忘れ、没頭された様子が伝わってくるような、
願書です。
尚、「和泉木綿」については、下記にも↓に詳しく紹介されています。
http://www.kisweb.ne.jp/sakai/20r.html
===============================================================
【編集後記】
私事になりますが、先日定期検診を受けました。
先生に「何か変った事は無いですか?」と、聞かれましたので
「最近頻尿の兆候があるようでーーーー」と、言いますと
泌尿器科で前立腺の検査を受けるようにと、その検査方法を
面白可笑しく説明しながら奨められました。
経験者の方にはお分かりの、「ウッソーーー、マジーーー」
と言いたくなるような、何としても避けたい検査です。
「他に変った事は無いですか?」と再度聞かれましたので
「足首のあたりが浮腫んでいるようなのですがーーーー」と言いますと
私の足首を一見して、「あーー、これは大分水が溜まっていますね」
「利尿剤を出しておきますから、飲んで下さい」との事でした。
むーーーーー、何か矛盾していないかなーーーーーーーーー。
ちなみに、先生は別嬪な女医さんです。
2007年10月23日
日本特許第2〜4号
今回は日本特許第2号、第3号、第4号についての紹介です。
この3つの特許は同一出願人から同じ日に出願されたもので、3件とも同じ日に
特許されているという、今ではとても考えられない“快挙”的特許です。
【特許出願人/特許権者】 埼玉県平民 高林謙三
第2号 【発明の名称】 生茶葉蒸器械
【出願日】 明治18年7月1日
【特許された日】 明治18年8月14日
(権利は消滅しています)
第3号 【発明の名称】 焙茶器械
【出願日】 明治18年7月1日
【特許された日】 明治18年8月14日
(権利は消滅しています)
第4号 【発明の名称】 製茶摩擦器械
【出願日】 明治18年7月1日
【特許された日】 明治18年8月14日
(権利は消滅しています)
出願人の住所は「書誌事項」に相当すると思われる部分に記載されているものですが、“平民”とある事に明治を感じます。
尚、この「書誌事項」の書式が第5号からは変わっていて住所は最後まで記載されて
いますがそれでも、今の「書誌事項」と比べると、いたって簡単なものです。
当時としては現在の「書誌事項」程詳しくは書く必要が無かったのかも知れませんね。
これら3件の特許はいずれも、お茶の加工工程で使われる器械ですが、摘まれた茶の葉を、蒸して手で揉んだ後、乾燥しながら焙じるという、工程の主要作業を器械化しょうとするもので、お茶の世界にも新時代に期待する“平民”の気概が感じられます。
特許権者の高林謙三さんは、お茶の加工用の器械器具を作る仕事(会社)をしていたのではと、思われますが、このころから、お茶業界のみならず各産業分野での“平民”の創意工夫が日本産業の裾野を支えていくようになります。
時代時代の先端的技術が花開き、世の中を変えるまでに成長する為には、
このような裾野の技術が欠く事のできない後ろ盾になっています。
日本が、維新後、比較的早く欧米に追いつけた背景には、このような産業の
裾野の広さがあったお陰でもあると言えるでしょう。
埼玉県でお茶と言えば狭山茶のことでしょうが、静岡や宇治でない事にも興味を
おぼえます。 なぜでしょう??
当時の狭山茶の製造については下記 ↓ にも記載されています。
http://72.14.235.104/search?q=cache:VBeVITon7pwJ:www.bunka.go.jp/
【編集後記】
これからが本番という姿勢で書きつづけたいと思います。
幸い、テーマ−の明治の特許は、2万件を超えるデータ−が特許庁に
蓄積されていて、話のネタには不自由しないと思いますが-----
作文能力が限りなく低い私の事ですから、途中で何が送るやら---
途中で起こるかも知れないハプニングを楽しみに、
これからのご愛読、宜しくお願いいたします。
この3つの特許は同一出願人から同じ日に出願されたもので、3件とも同じ日に
特許されているという、今ではとても考えられない“快挙”的特許です。
【特許出願人/特許権者】 埼玉県平民 高林謙三
第2号 【発明の名称】 生茶葉蒸器械
【出願日】 明治18年7月1日
【特許された日】 明治18年8月14日
(権利は消滅しています)
第3号 【発明の名称】 焙茶器械
【出願日】 明治18年7月1日
【特許された日】 明治18年8月14日
(権利は消滅しています)
第4号 【発明の名称】 製茶摩擦器械
【出願日】 明治18年7月1日
【特許された日】 明治18年8月14日
(権利は消滅しています)
出願人の住所は「書誌事項」に相当すると思われる部分に記載されているものですが、“平民”とある事に明治を感じます。
尚、この「書誌事項」の書式が第5号からは変わっていて住所は最後まで記載されて
いますがそれでも、今の「書誌事項」と比べると、いたって簡単なものです。
当時としては現在の「書誌事項」程詳しくは書く必要が無かったのかも知れませんね。
これら3件の特許はいずれも、お茶の加工工程で使われる器械ですが、摘まれた茶の葉を、蒸して手で揉んだ後、乾燥しながら焙じるという、工程の主要作業を器械化しょうとするもので、お茶の世界にも新時代に期待する“平民”の気概が感じられます。
特許権者の高林謙三さんは、お茶の加工用の器械器具を作る仕事(会社)をしていたのではと、思われますが、このころから、お茶業界のみならず各産業分野での“平民”の創意工夫が日本産業の裾野を支えていくようになります。
時代時代の先端的技術が花開き、世の中を変えるまでに成長する為には、
このような裾野の技術が欠く事のできない後ろ盾になっています。
日本が、維新後、比較的早く欧米に追いつけた背景には、このような産業の
裾野の広さがあったお陰でもあると言えるでしょう。
埼玉県でお茶と言えば狭山茶のことでしょうが、静岡や宇治でない事にも興味を
おぼえます。 なぜでしょう??
当時の狭山茶の製造については下記 ↓ にも記載されています。
http://72.14.235.104/search?q=cache:VBeVITon7pwJ:www.bunka.go.jp/
【編集後記】
これからが本番という姿勢で書きつづけたいと思います。
幸い、テーマ−の明治の特許は、2万件を超えるデータ−が特許庁に
蓄積されていて、話のネタには不自由しないと思いますが-----
作文能力が限りなく低い私の事ですから、途中で何が送るやら---
途中で起こるかも知れないハプニングを楽しみに、
これからのご愛読、宜しくお願いいたします。
2007年10月22日
日本特許第1号
日本特許第1号
栄えある日本特許第1号は、鉄鋼材の表面に塗布する防錆剤の材料構成と
その塗布方法についてのものでした。
【特許出願人/特許権者】 東京府下京橋区山城町八番地居住
(権利は消滅しています) 唐木彫刻及漆器業 堀田瑞松
【発明の名称】 堀田錆止塗料及ビ其塗法
鋼鉄船や鉄橋など、一般庶民がほとんど目にする事のないこの時代に、
発明者である堀田瑞松翁は鉄鋼材の防錆に着目、研究を重ね、
浦賀沖に黒船(鋼鉄船)が現われ人々が右往左往してからわずか
32年後の1885年、明治政府にやっと内閣が組織されたこの年に、
早くも瑞松翁の特許第1号が誕生したのす。
木製構築物ばかりの時代に将来の鉄製構築物の需要を見据え、その防錆に
着目した、翁の先見性と情報収集力に敬服するとともに、発明-特許の世界に
おける先見性と情報収集力の重要性を“特許第1号”により再認識させられました。
翁がこの防錆剤の製造と販売の為に創業した会社は、その後も順調に発展を
続け、「日本化工塗料株式会社」として、現在に至っています。
「日本化工塗料株式会社」のホームページには、「日本特許第1号」についても
詳細に紹介されています。↓
http://www.nippon-kako.co.jp/gaiyou.html
又、堀田瑞松翁については「日本特許第1号を得た堀田瑞松」として
下記に掲載されています。↓
http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/sonota/73gou.html
【編集後記】
何とか第1号を書き上げることができました。開発畑30年、そこそこ
苦労はしてきたつもりですが、明治の大先輩の苦労を思う時、その偉大さは
やはり敬服の一語につきます。
さて、次号は、日本特許2,3,4号についてです。
なんと、2,3,4号は一人の発明家によりなされたもので、チョット
ビックリなお話になると思います。
栄えある日本特許第1号は、鉄鋼材の表面に塗布する防錆剤の材料構成と
その塗布方法についてのものでした。
【特許出願人/特許権者】 東京府下京橋区山城町八番地居住
(権利は消滅しています) 唐木彫刻及漆器業 堀田瑞松
【発明の名称】 堀田錆止塗料及ビ其塗法
鋼鉄船や鉄橋など、一般庶民がほとんど目にする事のないこの時代に、
発明者である堀田瑞松翁は鉄鋼材の防錆に着目、研究を重ね、
浦賀沖に黒船(鋼鉄船)が現われ人々が右往左往してからわずか
32年後の1885年、明治政府にやっと内閣が組織されたこの年に、
早くも瑞松翁の特許第1号が誕生したのす。
木製構築物ばかりの時代に将来の鉄製構築物の需要を見据え、その防錆に
着目した、翁の先見性と情報収集力に敬服するとともに、発明-特許の世界に
おける先見性と情報収集力の重要性を“特許第1号”により再認識させられました。
翁がこの防錆剤の製造と販売の為に創業した会社は、その後も順調に発展を
続け、「日本化工塗料株式会社」として、現在に至っています。
「日本化工塗料株式会社」のホームページには、「日本特許第1号」についても
詳細に紹介されています。↓
http://www.nippon-kako.co.jp/gaiyou.html
又、堀田瑞松翁については「日本特許第1号を得た堀田瑞松」として
下記に掲載されています。↓
http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/sonota/73gou.html
【編集後記】
何とか第1号を書き上げることができました。開発畑30年、そこそこ
苦労はしてきたつもりですが、明治の大先輩の苦労を思う時、その偉大さは
やはり敬服の一語につきます。
さて、次号は、日本特許2,3,4号についてです。
なんと、2,3,4号は一人の発明家によりなされたもので、チョット
ビックリなお話になると思います。
2007年10月21日
創刊のご挨拶
明治18年(1885)日本に専売特許条例が制定され、
以来120余年、連綿と続く先人の創意工夫の熱意と努力により、
今、日本は押しも押されもせぬ工業大国の座を占めていいます。
明治時代の特許広報は、日本を工業大国ヘ導いた先人の創意工夫の
証として特許庁に収録保存されているのですが、ここでは、
それら明治時代の特許を紐解き、先人の努力を偲び、
あわせて特許からみえてくる時代の背景に想像を逞しく
してみたいと思っています。
宜しくご愛読、お願い致します。
以来120余年、連綿と続く先人の創意工夫の熱意と努力により、
今、日本は押しも押されもせぬ工業大国の座を占めていいます。
明治時代の特許広報は、日本を工業大国ヘ導いた先人の創意工夫の
証として特許庁に収録保存されているのですが、ここでは、
それら明治時代の特許を紐解き、先人の努力を偲び、
あわせて特許からみえてくる時代の背景に想像を逞しく
してみたいと思っています。
宜しくご愛読、お願い致します。

