2008年11月25日

結果的怠慢

「こうして行こう!」と話し合いや、会議で決議した事が、一向に実現されない・・・
こういった事が良く在ります。
 恥ずかしながら、わが社も同じことを繰り返していますが・・・^^;

 この原因を究明する過程で、様々な仮説が出てきますが、総じて「まとまりがないから」とか、「組織としてのレベルが低いから」とか「やる気がないから」などなど曖昧な回答に逃げ込みやすいものです。
 何故なら、出来ない理由を個別にヒアリングして行くと、一人ひとりは一生懸命に業務に取り組んでいるゆえ、忙しくて取り組めなかったという、もっともらしい結論に導かれるからです。

 では、理想の形で日常業務をこなしている組織を想像してみるとどうでしょうか? 
そこには、円滑な議論が必要なタイミングでなされ、決定事項がサクサクとこなされている姿が見えます。言い訳めいた意見も出ていないし、個人の時間的な制約や精神的な負担も感じられないように思えます。
 そこには「やる気」や「レベル」などという人の力量に対する依存はありません。

「結果的怠慢」とは良く言ったもので、チームで何かに取り組む際に、基本的に最初から「怠けてやろう」という人間は少ないと思います。しかしながら、良かれと思い自分の業務に没頭しているうちに、結果的に怠けているように見えてしまう部分が発生する訳です。
 では、どうしたらこの結果的怠慢を排除することが出来るのか?と考える訳ですが、実はこの質問自体に、この問題が迷宮入りする要素が含んでいるように思います。

この思考の先には、効率的に作業をする、個人のスキルを上げる、しっかりと管理するなど、フラストレーションが溜まりやすい方向性に導かれる可能性があります。
 それよりは、個人の負担を楽にしてあげる発想」の方がすんなり受け入れられそうです。
例えば、「やらなくても良い仕事を明確化する」「やりたくない仕事を明確化する」など。
そこから生まれる精神的な余裕から、気持ちよく仕事をする癖付けが出来るようになると、自主的に、また加速度的に仕事効率が上がって行くのかもしれません。

 当社では、最近(今更な感じもありますが・・・)「カイゼン活動」に取り組み始めました。目的はもちろん「気持ちよく仕事が出来る為に」です。毎月1回、「カイゼン提案」が各個人から出されていく予定です。初っ端から「カイゼン提案」を出しやすくする改善が必要とされている真っ最中ですが(笑)、少しずつ良い職場環境が構築されていく事を想像するだけで、今から楽しみで仕方がありません。


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2008年11月12日

看板屋vsストアコンサルタント

「看板」とは何だろう? と今更ながらに疑問を抱くときがあります。
アイデクトの得意分野は紛れもなく「看板」です。しかし、自社では「看板屋」という呼び方をしていません。

もちろん、世の中には「看板屋」もたくさんございます。
 最近は「看板」を「サイン」と呼んだりします。理由は判りませんが、たぶんその方が格好良く聞こえるからだと思います(笑)。

一口にサイン業、看板業、と言いましても様々な形態から成り立っている業界です。
企画、デザインのみ行い、製作・施工は外注で補う「企画・提案型」。与えられたデザインで、製作のみ行う「職人型」。主に野立サインのみを取り扱う「代理店型」。印刷(プリント)の部分のみを請け負う「出力センター型」。職人の現場派遣を中心に行う「派遣型」など、多種多様な形態がございます。

 では、自社はどの分野に属しているかといいますと、全てに属している、つまり「統合型」であります。

 手前勝手な話をすれば、効率面で言うと何かに特化していた方が良いのは事実です。
顧客先も絞れますし、スケールメリットが計れる場合もあります。また、何より仕事がルーチン化出来る事により、利益を出しやすくなるのは事実です。このような背景から、近年ではこのサイン業界にも分業化が図られてきました。
 一見、何か綺麗で戦略的に見えますが、ここに私は疑問を感じずにはいられません。

 何故なら、この潮流からは「顧客本意」では無く「自社本意」に感じるからです。
もちろん、分業を図っている業者にも素晴らしい業者はございますが、残念ながらマクロに見るとそうとは言えない業者も多く見受けられます。

 理由は、その業者の顧客が最終発注者では無い点にあります。顧客の意向に沿わない対応をしていたり、自社の都合をゴリ押ししたりという哀しい状況が発生する場合があります。

一つの仕事を「誰の為に」「何のために」やるのか?というベクトルを整合させなくては、良い仕事が出来るはずもありません。スピード、クオリティ、コストパフォーマンス等々において最終顧客に利益を享受して頂くのがプロの仕事ではないでしょうか。

 そういう意味合いでも、自社では非効率的なのは承知で、又時間を要しても、あえて「統合型」を図っているという経緯があります。

 先に申し上げましたが「看板屋」では無く何なのかと言いますと、自社を「ストアコンサルタント」と呼んでいます。
もちろん、ドメインは「看板」です。

 何処よりも真剣に「看板」に向き合い、企画・デザインから製作・施工までを一貫して内製化していると自負しています。しかし、最も大切なところは、顧客は何のために「看板」が必要なのか?結果、何を求めているのか?にベクトルを合わせなければ、意味を成さないと考えます。

 最適な店作り、仕事場、を目指す上での「看板」「サイン」の役割。その為には、広い視点での店作りを研究、開発して行く姿勢を持ち続けたいと、常々考えています。


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2008年10月28日

ボトムアップ

 つい最近の話ですが、社内に少し「ひずみ」が発生しました。
自社では3ヶ月に一度、私自身との個別面談の場を設けているのですが、その中で数人から、ある声が上がってきました。

簡単に言うと、社内のある社員おいて「やる気」と「仕事へ姿勢」は評価しているが責任感に疑問を抱いてしまうとの内容。詳しい事は割愛しますが、裏返して考えると、仕事人としては尊敬するが、もう一歩上を目指して欲しいという願いでもあったと思います。

一方、当の本人の話を聞いてみると、やはり仕事に対する意欲は高い。しかしながら、どこか腑に落ちていない感じや、思いを伏せて、奥にしまっている感じにも見えました。

ここで、通常の流れで行くと、私自身が試行錯誤し、最善と思われる解決策をトップダウンで提示していたと思います。人事変更や役職変更など、あらゆる可能性を考慮して指示を出したと思います。

ところが、今回は少し違いました。

どういう事かと申しますと、この件の話しを何人かの社員にしたところ、社員全員で議論し、解決策を講じたいという意見が出てきました。そこで、今回は全体会議の場でこの件に関して議論がなされました。

最初のうちは、遠慮ぎみではありましたが、時間を刻むうちに活発な意見が飛び交い、最終的には全会一致で議論にあがった彼を「職長」という一段上の役職に付いて頂く事が決定されました。

ごく普通の光景ではありますが、実はこの度のプロセスの中で、多くの学びがありました。

事業とは、常に変化にさらされ、決断を迫られる事の連続です。上司とはその責任者であり且つそのスピードが要求されます。迷っているうちに、最悪のケースを招くことこそ最大の失敗です。しかしながら、一人の人間が考えるという事は、判断が雑になるという懸念があります。

どんなに優秀な人間でもこれは仕方のない事ですし、ましてや私のような大雑把な人間であれば尚更です。その点、今回のケースでは全員が納得の上で決議したところに面白さがあります。

つい先日まで、「ひずみ」の原因であった個々の不安が、「期待」に変わった瞬間です。トップダウンでの決定事項との大きな違いは、この期待値の高さにあるという事です。

また、これを機会に、一つの問題に対して自発的に解決していくカルチャーが構築される事により、組織に正のスパイラルが発生するでしょう。

 その為にも、今回の「職長任命」という決定事項が的確に運用されるよう、皆でしっかりと見守っていく必要があります。最初からうまくいくはずはありませんが、検証と改善を繰り返し、また最も大切なことのひとつに「上司」がその最大の支援者である必要があるでしょう。

「結局何も変わらないよ」という負のスパイラルのきっかけがここにあります。

 長い沈黙の末に、凛とした面持ちで「職長の役、喜んで受けさせて頂きます!」と言った彼の気持ちと、拍手で称えた他の社員の表情は期待に満ち溢れていました。

 その後、何も関しないという愚行により、ひとつの決め事を壊す原因の殆どが上司にある事を、しっかりと肝に銘じて取り組まなければなりません。 

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2008年10月17日

真の仲間

 仲間という言葉は、普段はあまり口には出しませんが、「結束」を必要とする場面で使用したりします。友達という言葉もありますが、ここで区別して使用されている所に何か意味があるのではないでしょうか?

学生時代には多くの友人が出来、その時代には仲間意識がありました。しかし、社会人になり数年も過ぎると、長きに渡り交友している「仲間」は少なくなるものです。

 社会人生活が5年もすれば、「仲間」意識は同僚や同業者、または取引業者の方々の方が強くなっていきます。中には、立ち位置が判らず、寂しい思いをされている方々もいるでしょう。とは言え、出逢いは大切です。過去の友人も本物で無かった訳でもなく、今の段階では仲間になっていなかっただけの事なのでしょう。

 では、仲間とは何なのでしょうか?
一番身近なところでは「仕事仲間」があります。
友達との大きな違いは、ある程度上下関係や立場があることでしょうか?
甘い関係ではありませんが、お互いに刺激し合い、共存共栄を図る存在です。また、大きく違う点として、「成長」を前提としている点があると思います。

 成長を前提としている以上、依存の関係ではいられませんし、良い意味で競争という原理も働いてきます。また、関係を継続する事で仲間意識も高まり、より深い信頼と尊敬が生まれてくると思います。このプロセスにおいてはとても意味深いものがあります。

 助け合う時もあれば、追いつけ追い越せと頑張る時もありますが、結果的に見ると感謝することばかりなのが真の「仲間」なのかもしれません。

 良い面ばかりをクローズアップして話ましたが、時には裏切り行為や自己中心的な人に出逢い、一時的に辛い思いをする事もあります。「なぜ、そうなのだろう?」と頭を悩ませますが、エゴに支配されている人には周りが見えない場合が多く、周りからのアドバイスで変わることは少ないようです。
 「自分は悪くない、○○のせいだ!」「環境が変われば自分が活かされる」「○○してくれれば、自分は○○する」などなど、基本的に原因他人論で物事を考える性質上、聞く耳を持ち合わせていませんから、何らかの外的な要因が加わらない限り変わるのは難しいようです。

 では、良い仲間を作るためには何をすれば良いのかと言いますと、「利他の精神」を持つという事なのではないでしょうか?
頼まれごとを喜んで取り組む人には信頼を持ちます。何らかのミスを「自分の責任です」と即答できる人には敬意を称します。このような人が、結果的に良い仲間に囲まれていくのは必然な事なのだと思います。


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2008年09月22日

向いている仕事

先日「今、自分がやっている仕事は向いているのか?」という疑問を問いかけられ、うまく応えることが出来ませんでした。

皆様はいかがでしょうか? 
このような疑問を持たれた事はないでしょうか?

各言う私もそのような疑問は日常茶飯事ですが・・・
「自分は何のためにこの仕事をしているのか?」「自分は何のために生きているのか?」

人によっては、今正に悩んでいる最中の方もいるでしょうし、あまり深くは考えなく過ごしている方もいるでしょうし、またその答えを見出している方もいる事でしょう。

どの状態が良いとか悪いとかではありませんが、一つ言えることは、深く考え、悩んでいる状態が長く続くことは、環境衛生上あまり良いものでは無いという事。

 殆どの方が素朴に疑問を持つこの思考は、人々が毎日食事をとる事と同様、生きるために不可欠な要素なのかもしれません。 現にそれを必要としているのは人間だけで、その他の動物は、おそらくこの疑問は全く持ち合わせていないようです。

 もしも、この疑問を持ち合わせていないとしたら、恥ずかしいとか、こう見られたいとか、倫理観や志は持ち得ない訳ですから、食べて寝て子孫を残すためにどう生きるかだけ考えて生きれば良いのでしょう。

 面白いことに、人間も動物の一種ですから、やる気になればそう生きることも不可能ではありません。 
でもやれと言われて出来るかというと、結構な覚悟がいりますね(笑)

 では何故、結構な覚悟がいるのでしょうか? 理由はいろいろありますが、プライドが傷つくでしょうし、人に白い目で見られて嫌でしょうし・・・みたいな所でしょうか。

 つまり、結局人は人間同士の係わり合いを持たずして生きていけないよう出来ているのかもしれません。一人が二人、二人が三人と係わるごとに自己中心的ではいられなくなりますし、出来れば相手に良く思われ、良い待遇を受けたいと言う欲求が出てくるでしょう。

つまり、常に「自分以外の誰か」を想定して生活するのが人間なのかもしれません。
 だとするならば、少し質問を変えるとこうなります。
「自分は誰のためにこの仕事をしているのか?」
「自分は誰のために生きているのか?」

こうなると、少し具体的になります。更に掘り下げると「誰の」の部分に固有名詞を入れる事が出来る訳ですが、そうなるとまずは自分の名前を入れたくなりますよね(笑)。

 それでは、その次に誰をいれますか? 更にその次には誰をいれますか? 出来ればたくさんの人が入ってくれば、たくさんの人を幸せに出来るでしょうし、またそういう人がたくさん増えれば、自分もその一覧に入ってくる回数が増える事でしょう。

 では、ここで最初の質問に戻ってみます。
「今、自分がやっている仕事は向いているのか?」
 この質問を「今、自分がやっている仕事は誰の為になっているのか?」に変えてみると、どうでしょうか? 少し違った世界が見えてくるかもしれません。


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2008年09月11日

高打率

先日、私の尊敬する設計士の先生とお話しする機会がございました。
その先生の企業は、今現在、栃木県の経済界においては、名前を挙げれば大抵の人が判るくらいにブランドが確立されています。

一代でそこまでになれた成功の秘訣が知りたく、いろいろなお話をさせて頂きましたが、会話も終盤にさしかかった頃、とても心に残るお言葉がありました。

「中略>そうは言ってもね、未だに10件のプレゼン(設計案)があれば半分以上はボツになっちゃうんだよ、ワハハハ・・・」

非常に重いお言葉です。
同じ事を、駆け出しの設計士が言うなら判ります。しかし、引く手数多にご指名が後を絶たない先生から出る言葉だから凄い!
そこには全く驕り高ぶる姿はありませんでした。

また、自らも言われていましたが、そこには「これからが勉強」という謙虚な姿そのものです。

この時に私は、大リーグで活躍中のイチロー選手の話を思い出しました。
彼が日本で活躍していた時のインタビューで言っていた言葉。
「よく、今年は4割の打率を目指しますかとか質問されるのですが、そもそも私は打率とかは意識していません。野球選手なら誰でもそうだと思いますが、常に10球中10球をヒットしようと考えて打席に立っています。打率は結果でしかありません

一見、高飛車にも思える発言ではありますが、実はこれも謙虚な姿勢そのものです。
つまり、彼もまた打率に一喜一憂するのでは無く、常に今出来ることを精一杯に試す事を考えているだけなのかもしれません。結果に拘るのではなく、プロセス重視の考え方。
結果に縛られていたら、あれだけの打率を出し続ける事は不可能なのかもしれまん。

今の世の中は、非常に効率を重んじますし、結果を重んじる風潮があります。
もちろん、どちらも大切ですし、事実、設計士の先生も、イチロー選手も効率良く結果を残しています。ですが、結果だけを見るとあたかも近道をして成功を収めているようにも見えますし、何か特別なノウハウを習得しているかのようにも見えてしまいますが、決してそのような事は無いのでしょう。

目に見えないムダの中に、たくさんの秘訣がある。共通していえる事は、人一倍、機会を創造しているという事。つまり、本番にしろ、練習にしろ、立っている打席の数が違う

言葉に出すことは簡単ですが、愚直にやり続ける事が如何に難しいかという事でしょう。
また、それを実現するためには、きっと「楽しみ方」も熟知しているのかもしれません。
「好きこそ物の上手なれ」天職ならば苦労もしませんが、とは言え、好きであり続ける為には自らの工夫が重要な事なのかもしれません。


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2008年08月20日

中庸を好く

家族というカテゴリー。
会社というカテゴリー。
地域、国、世界というカテゴリー。

身近な家族ですら、喧嘩はつきものの中、徐々に大きな枠組みの中でコミュニケーションの重要性が増していきます。どの個人もそれぞれのカテゴリーの何れかには属している以上、無視しては通れません。
(最近はニートが話題になりましたが、避けて通れる訳ではないのは事実)

それぞれの環境に脈々と受け継がれる文化があり、良かれ悪かれ絡み合っていくコミュニケーション。一方的に制圧すれば反発が起きますし、甘んじて受け入れれば理不尽を感じることも少なくないでしょう。

中東で起きている悲惨な戦争は、宗教という日本の文化を遥かに超えた昔から起きている衝突が、今、顕在化しているという訳ですから、一言で片付けられる事では無いようです。

それに対して日本的な概念の「中庸を好く」という考え方があります。
時には「YES、NOのはっきりしない国」と軽蔑されますが、それは副作用的なもので、良い見方をすれば、ベターを好む文化ともいえます。

このベターを好むというコミットメントはコミニュケーションを円滑化する上でも非常に便利なものです。また、わがままになればなるほど、これが出来ないのではないでしょうか? 

「痛み訳」などというと、日本的な愚行のように思われそうですが、短期的に考えればそうかもしれませんが、長期的に考えると必要な事も良くあるのではないでしょうか?

事業に関する考え方で、こんな事を聞いた事があります。

米国の考え方は、短期ビジョン。さっさと株価を上げて高値で会社を売却し、リタイヤするのが成功者。欧州の考え方は、長期ビジョン。代々受け継いでいく事業に価値を持つ。
日本の考え方は中期ビジョン。せっせと事業を伸ばしながら、且つ代々受け継いでいこうとする考え方。

日本人は一番難しそうな課題に取り組んでいるように見えます(笑)。

しかし、これは決められたからそうしている訳でもなく、結果的に構築された文化です。しかしたら、国民性なのかもしれません。

しかし、今非常にぶれている気がするのは私だけでしょうか?

日本文化の大切さをしきりに唱える傍らで、ハッピーリタイヤが持て囃されている。確かにどちらも悪くはありませんが、出来れば中庸を好く精神をぶれずに貫き通したいものです。


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2008年07月28日

在りたい自分になる

誰もが、理想とするところでは無いでしょうか?

時より考えることがあります。人類全ての人が、好きに生きられる前提であれば、多少の労力は惜しまないのでは?などと考えます。全ての人が、好きなことをして生活し、楽しんでいる毎日。でも、人には得意、不得意が多少あるから、不得意な人には得意な人が手助けしてあげる関係。そこには損得勘定では無く、ただ思いやりがあるだけ。

すばらしい世界だと思いませんか?

しかし、こんな事を真顔で言っていると、笑われてしまうのが実際の世界。
恥を承知で言いますが、もしかしたら昔は無理だったのかもしれませんが、今の世界が一瞬にして、しかも全人類がこの概念をシェアしたら、理論上は可能な事です。

しかし現実は、食べ物を粗末に食い散かしている国もあれば、銃を持って殺しあう子供が存在している国もある訳です。 
 では、前者の国民が幸せで、後者の国民が不幸かといえば、そうとも言えないようです。

わが国の最近の事件を見れば判るように、無意味に大量虐殺を試みようとする若者が出てきています。しかし、彼にとっては無意味ではないのでしょう。また、彼が特異かといえば、もしかすると氷山の一角なのかもしれません。 関わった人、全てが喜べない話・・・

「在りたい自分になる。」とてもポジティブな言葉です。しかし、良く考えてみれば、彼の行動は相対的な事象にも見えます。ベクトルが真逆に働いたのかもしれません。そのエネルギーだけで考えたら、相当なものであったはず。 どこかで、彼のベクトルを、皆が喜べる方向へ導けたなら、全く違う事象が生まれていたのかもしれません。

 方や経済の方へ目を向けると、命の取り合いは無いまでも、形を変えて資本の奪い合い。
中にはそれが原因で、かけがえの無い命を落とす人まで出てきている事も事実です。

ずぶとい人は生き残り、純粋で誠実な人が、一度道を誤っただけでその結末では哀しい限りです。お金は人を幸せにもするが、時には凶器にもなり得ると言いますが本当です。
 
当社のミッションに「私たちは、新しいライフスタイル・ワークスタイルを創造します。商人が儲かり、楽しく働き、お客様が嬉しく、気持ちよい環境を具体的な形で表現します。」とあります。

このミッションを遂行するために、さまざまな試みをしておりますが、たくさんの困難、矛盾にぶつかる毎日です。しかし、それでもプロセスを大切にし、たくさんの人たちが、在りたい自分を謳歌できる為に、一歩でも近づけるお手伝いが出来れば、これ以上の喜びはありません。


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2008年07月11日

シンプル思考

かつて、様々な話題を呼んだ「ホリエモン」が言っていた言葉があります。

「私はあまり物事を複雑に考えません。考えれば、考えるほどろくな事にならない。ですからなるべく物事をシンプルに考えるようにしています」 

彼の人間性や、諸行動の是非は別として、この言葉には深く共感した記憶があります。
 共感した背景には、私自身が複雑思考に陥りやすい傾向があるのですが、確かに彼の言うとおり思考迷路を彷徨った結果は、あまり良い結果にならない事が多かった気がします。

 そのような視点からマクロに見ると、社会全体がとても複雑化しているように感じます。
政治、経済、地域、コミュニケーション・・・・、単に私が勉強不足なだけかもしれませんが、時に「ややこしく言っているけれど、それってもっと単純な事なのでは?」と根拠が示せないにしても、漠然と感じることが多々ございます。
 
例えば、少し前ですが「日本のものづくり」に関して、中国の脅威が話題になりました。価格破壊、デフレ、知的財産、などなど。戦後、ものづくり大国を築いた日本としては、関連業種も多い為、また死活問題でありますから、当然の事でしょう。

 これもようはシンプルな事で、過去に人件費の高いアメリカのおかげで、日本のものづくりが成長したように、同じ事を日本に中国がしかけるのは至極当然な事です。また、人や資源の規模と、情報技術の進歩から考えても、その脅威の迫るスピードが数段速まることも自然な流れと言えます。

しかし、逆手に取れば、早期に中国を豊かな国にしてあげて、中国国民が「買う力」を持てば、今度は日本にとって魅力的な市場になるとも言えます。

 拒否せずに、後押ししてあげて、その間に「ブランド」や「ノウハウ」を中国国民に好まれるよう調整しながら、家宝を寝て待つ方がWIN-WINと言えるのではないでしょうか?

 などと言いながら、これは自分(自社)の環境とは程遠い話なので、無責任に話せますが、当事者となると客観的思考になれず複雑系に入っていくのでしょう(笑)

恐竜は肥大化した結果、環境に適応できずに滅びていきました。
とはいえ、肥大化していく途中に「小さい方が小回りが利くから、気をつけよう」などと客観的に考えられるかと言えば、少し難しいと思います。目の前にたくさんの食料があるのに食べるなと言われても・・・

 自然の摂理には逆らえませんが、今、自分(自社)がPLC(成長〜成熟〜衰退)のどこに立っているのかを客観的に判断する事は可能です。そして、次のPLCを構築するために、複雑思考では無く、シンプル思考で行動する勇気が必要なのかもしれません。


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2008年06月30日

DREAM TEAM

10年くらい前になりますが、私の地元にて草野球のチームを作った事があります。
社会人になって数年もした頃、地元の同世代が集まり、「また、昔みたいに熱くなりたいな!」という、ありがちな動機によりスピード結成しました。

 草野球のイベントは割りと充実しておりますので、目標の大会もすぐに決まりました。
殆どの人間が幼少期に共に汗をかいた仲間でしたので、大会に向けての段取りも円滑でした。

大会は1部、2部制になっており、初参加の場合は2部制からの登録という事。2部リーグで優勝すると、次年度より1部リーグ昇格という事でしたので、もちろん若さに溢れたチームは、優勝しか眼中にありません。
 毎週末、仕事が終わると中学生に戻ったつもりで練習に明け暮れました。
3ヵ月後の大会には意気揚々と出陣し、華々しく初出場、初優勝という成果を上げました。まさにドリームチームかと思いきや・・・

 次年度、一部昇格したドリームチームは、3回戦敗退、2回戦敗退と続き1年後にはメンバーを集めることすら困難になり、3年目を待たずして自然消滅してしまう有様でした。
 
 丁度、初出場の決勝戦の時に相手チームから言われた言葉を思い出します。
相手チームは我々のチームとは間逆の50代中心で構成された中年チーム。
さすがに技術と経験がありますので、上手です。

そうは言っても血気盛んな20代のチームですから、勢いで勝利したようなものでしょう。「あまり、年寄りをいじめるなよ」と楽しいゲームを相手してくれた紳士達は最後に一言。「せっかく優勝したのだから、是非とも長く続けてくれよ!優勝することよりも努力が必要だぞ。」
 優勝の優越感に浸っている若造には、馬の耳に念仏でしたが・・・

成果を求められる昨今。 
どの世界でもドリームチームを求めますし、また最もそれに近い組織が持て囃されることは至極当然な事かもしれません。

 人が決めた「ルール」の上で様々な取り組みをする以上、そこには結果が付いて廻ります。「勝ち組」「負け組」という言葉などはその典型では無いでしょうか?
そもそも、何を持って「勝ち組」「負け組」なのかといえば、相対的なものであり、また第三者からの偏見でしかありません。つまり、本人が「負け」と認めない限りは、本来的に「負け組」とは言えません。

如何にも話題にし易い表現で、そこに踊らされながらも感情的になってしまう情報消費者の我々が愚かなのかもしれません。

「あまり年寄りをいじめるなよ」と笑顔で野球を楽しんでいた紳士達。当時チーム結成20年とか言っていた気がします。おそらく、いまだに野球を楽しんでいるか、もしくは違う何かを同じように楽しんでいる事でしょう。

 真のドリームチームとは彼らだった事は言うまでもありません。 


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