小学一年生の息子は、6月の運動会以降ほとんど学校に行っていません。なぜ、そういう流れになったのか、息子とどういう話をしてるのか、周囲とのいざこざなどについて。息子は小学校ではなく自分にとって居心地の良いフリースクールを今はメインの居場所として選択しています。

不登校というより、学校に行かないという選択をしてる


よく「不登校」って社会問題として取り上げられるけれど、それってもはや死語でしょ。それぞれいろんな想いがある。学校に行きたい、でも行けない。学校に行きたくないけど、行く。学校に行く以外の選択肢がない。嫌いな先生、嫌いな友達がいる。などなど。「不登校」の3文字の中には、「学校に行くことがあたりまえで、学校に行かないなどありえません」っていう意味が込められているよね、(私は非登校のほうがいろんな想いを包んでくれてしっくりくると思うのだけどどうかな)学校だけじゃなくていろいろ選択肢はあるだろー

積極的に、学校に行かないことを選択している。そしてそういう人たちがどんどん増えていることを感じています。

一年生の年齢になったら、小学校に行くことが全て、ではないだろー


私が小学生だったころの感覚としては、小学校に行かないなんていう選択肢なんか想像もできなかった、よっぽどひどい風邪をひいた時にしか休むことは許されないって思ってた。ちょっと行きたくないなぁ~って思うことって誰でもあると思うけどほとんどの親はそんなちょっと休みたいっていう”甘え”なんか尊重しないのが一般的だった(現代もまだまだそうかもしれない、でもフリースクールなど他の選択肢が増えてきて、小学校が全てっていう価値観は少しずつ崩れている、よね?)

 

休みたいっていって休ませてそれが癖になって社会人になってもそんな人間になったらどうするの!っていう声が聞こえてくるようですが、いやいや。。。小学校からレールの上を淡々と流れて進むことが癖になっていざ社会に出たときにどう動いたらいいか自分で決めれなくなるほうがよっぽどおそろしいでしょう、、、と私はおもう。そして自分で決めて動いているならちょっとしたことで休んだりしない。

もう、いい学校出て大企業に入ってみたいな道はもう無いようなもの。学びたいことがあるなら深めればいい、有名難関校に通ってみたいならそうすればいい、大企業に入ってみたいならその為に努力すればいい、でもこどものほうがよっぽど感覚でわかっている、ただとりあえずいい学校に入ってそれが一体なにになるの・・・?ということを。意志は、どこへ ?

 

そして、何がなんでも学校に行け!というひとの心には”休みたい”って言う言葉の裏に何が隠れているのかを、想像してみるっていう余裕が無いのだろうな、とも思う。いろいろ大変だよね、でもこれからを生きる子どもの心の声を無視せず聞いてあげることは何より大切にすべきポイントなのではないかなあ。ただ眠たくて休みたいって時もあるかもしれないし、疲れてるかもしれない、体調が悪いかもしれない、人間関係がつらいのかもしれないし、学校のシステムに疑問を感じてるのかもしれない。

きっと「学校休みたい」って言葉にするってけっこう勇気がいること。それを親がどう受け止めるか?ばっさりあっさりそんなの駄目に決まってるじゃん、って言うのか、どうして休みたいと思ったの?と正面から向き合うのか。親子の信頼関係ってそういうところで積み重ねるものだよね。言っても聞いてもらえるわけないし・・・ってなってしまうのはこどもの心にとってすごく大きな不安になるのではないかなあ。私は母として、安心やさんでありたい。(なんでも許すわけではないよ、一応ことわっておこ

 

自分で決めて行動するということの大切さ、それを親が矯正しようとすることの愚かさ


こどもが、やってみたい!って思ったことを、やってみれる環境って、あたりを見回してもほんとうに、無い。そもそも、「危ないからやめなさい」「そんなことしてどうするの?」って親に止められちゃうし、都市は狭いしダイナミックな遊びなんかできないし、そりゃゲームにはまるよね、そして「ゲームばっかりして!!」って怒られるんだよ。あ~~。

私たちが参加している幼稚園は、やってみたいことをとことん尊重してくれる、ルールはほとんど無く時間割もなくそれぞれやりたいことをやる、という場所。家族参加の幼稚園なので親やおじいちゃんおばあちゃん、兄弟などなどいろんな人が集う長屋的な場所。こどもたちって、すごい。なんでも遊びにしてしまうし、絶妙な塩梅でいろんなコミュニケーションを取り合っている。そんな姿を見て親が学ぶわけだ。気づかされるわけだ。果てしなく奥深い幼稚園なのです。

私は小さいころ”先生の言うとおり期待通りに動くこと”が割と得意なほうでしたがここに来るとその特技は全く通用しない。。。だって自分で行動を起こすっていうことを今までしてこなかったから、何していいかわからない。とくに最初のうちは、午後にちょっとだけあるみんなで集まって歌う時間とか、絵を描く時間とか、決められてる時間だけはすごくホッしたの。決まりがないって、私にとってけっこうツライことなんだな・・・ってことに気づいたところからはじまったかんじです。自由に生きたいとか言っといて、ほんとに自由を手にしたらきっと何か狭いところに属したくなるにちがいない。

”自分で自分の行動を選択して動く力”これは国語よりも英語よりも算数よりも、人として生きる土台の部分でまじで身に着けたい力だと、気づいた。私よりはるかに高いこどものその力を、押さえつけるようなことはしないこと。尊重して寄り添うこと。それが今いちばん意識してること。それはただ我が道を行く、頑固を貫くってことじゃなくて、家族や友人や周りとの絶妙なコミュニケーションの中で自分がどう動くかを選んで行動するってこと。いろんな配慮や思いやりやそういうのを総動員してできること。これはねぇ・・・私とても弱いですよ。でも弱いってことに気づけてよかった。

ほんとにそういう絶妙な繊細なことは、世間にもまれて固まったオトナはもう不感症になっていて、こどもから学ぶほかない。こどもってすごい。やわらかいって、すごい。オトナはこどもの邪魔をしてはいけない。自分の感覚でこどもを押さえつけてはいけない。ほんとうに、そう思うわ

 

小学校以外に居心地のよい場所があること


息子は小学校以外にフリースクールという居心地のよい居場所を持っているから、小学校に行かないという選択もわりとすんなりできたし、私も受け入れることができた。フリースクールがなくて毎日家にいるとなると、こころ狭くなっちゃうよなって思うし、私も毎日おもしろい場所に連れ出してあげる力は、無いし。(経済的にも、時間的にも。)

もっと増えたらいいのに・・・もっと学校以外の居場所が、今のフリースクールよりもっと認められた形で存在すれば不登校に必要以上に悲観的になることもないし、こどもも学校だけじゃないんだって思えて気持ちが軽くなるのではないかな

 

 

リンク集
「見てる、知ってる、考えてる」中島 芭旺くん
僕は9月から小学校へは通学せず、自宅学習という方法で生活しています。 創造性を生かす教育システムを創りたい。 キーワードは 「オープンエンド」 「通信教育」 「好きな人から学ぶ」

 

 

脳科学の茂木健一郎さんのブログ
そして、あの、学校の社会性に適応できなくても、それは、敢えて言えば大したことではないと、ぼくは考えるのです。
もちろん、学校の大切な役割はあります。行けたら、行ったらいい。しかし、大切な役割はあっても、唯一の役割ではない。
学ぶ場所、社会性を身につけるやり方は、ひとそれぞれで、その自由を認めることで、ずいぶん多くの人がラクになると思うのですが。

 

 

京都で出会ったすてきなファミリーはるやさんのブログ

子育ては、


親だけでなんとかしようなんて思わなくていい。


子どもの成長につれて、


絶妙なタイミングで、


その子の人生に登場してくるいろいろな大人たちが、


飛び方を見せてくれるから。


もっともっと高みへ、誘ってくれるから。


引き上げてくれるから。




ツバメの巣立ちのように・・・・。



 

今後は今のフリースクールだけでなく、いろんな場所に出かけて行って繋がりをつくってみようと思います。

 

またね~