藍色工房(あいいろこうぼう) オフィシャルブログ

自社農園で藍を育て、藍の石鹸や藍染め雑貨を製造販売している四国の小さな工房からスタッフみんなでお届けします。
スキンケア、アロマテラピー、藍染め、薬草、四国の素敵&面白情報をぼちぼち更新いたします♪

2015年09月

「最近流行ってるらしいねぇ、藍染め。」と取引先の社長さんに言われ、

「は?どこでですか?」と真剣に聞いてしまいました。

いつもありがとうございます。藍色工房店長の坂東未来です。 

でも確かに…藍の世界で頑張っている方がメディアに取り上げられることが

以前より増えているような気がします。



<ANA機内誌『翼の王国』今月号に、阿波の藍染めが登場♪>

徳島の藍染めが特集される、という事はそんなに珍しい事ではないかも

しれませんが、こんなに似合う紙面がかつてあったでしょうか。

だって、青い翼の機内誌です。

雰囲気がピッタリなんですよね。。。 

ANA機内誌翼の王国 2015年10月号

徳島を「青い国」として特集されています。

この見開き、まさに私たちの藍農園の所在地であり、阿波藍の故郷である

山川町そのものをイメージさせませんか?

嬉しくなってしまいます。


藍の栽培や染料の製造、染色、そして徳島の風景が穏やかな眼差しで

テンポよくまとめられています。

そしてこの特集の最後のページでは、私たちの藍農園をいつも見守ってくれている

種穂山が慎ましやかに全国デビューを飾りました。

私の名前も小さく掲載していただいちゃって…いい記念となりました。



<青が溢れる国>

この特集に、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)さんの言葉が取り上げられています。

ANA機内誌2015年10月号冒頭

青くて小さくて優しげな人と物でできている街並みは、彼の目と心にどのような

働きかけがあったのでしょう。

八雲さんが来日したのは1890年(明治23年)のこと。

アメリカでジャーナリストとして活躍していた彼は、出版社の通信員として来日

したのでした。


来日前、八雲さんには憧れの美人ジャーナリストがいて、世界一周旅行の

記録をしてきたその人が語る日本の様子に、既に心を奪われていたようです。

「どこもかしこも清潔で美しくて、そこに暮らす人は文明社会に汚染されてもいないし、

本当に夢のような国…!!」

何が何でもその夢の国に行ってみたい!!と熱望した八雲さんは日本での仕事を

取り付けて、本当に夢の国に足を踏み入れたのでした。


その夢の国の街を見て、筆をとった文章です。

「青い屋根の小さな家屋、

青い暖簾のかかった小さな店舗、

その前で青い着物姿の

小柄な売り子が微笑んでいる。」


実は日本に到着してすぐに、仕事の依頼元の会社とトラブルがあり、契約が

破棄されてしまいました。

が、八雲さんはお国には戻らず、アメリカで知り合った日本人のつてをたどって

職を得ます。

ここで松江の学校の先生になるのですね。

翌年には地元の名士のお嬢様と結婚して、男の子が生まれ、それから5年後の

1896年には日本に帰化して本当に日本人になってしまいました。


日本の藍染めは、明治20年代半ばに最盛期といっても良い盛り上がりを見せます。

阿波藍の生産量もピークを迎えていました。

ですから、八雲さんが来日直後にご覧になった青い風景は、日本人の愛した

藍そのものの色が最高の形で溢れていたと言ってもいいのだと思います。


ですが、明治30年になるとドイツで開発された人工藍「インディゴピュア」が輸入される

ようになり、藍染め業界が一変してしまいます。

八雲さんが、松江、熊本、神戸、東京と住まいを移して東京での暮らしが安定し、

西大久保で一家が落ち着く1902年(明治35年)頃には、藍の色にも変化が

感じられたことでしょう。


日本の魂の色が一番盛りと咲き誇るときに、それを特別な感慨を持って眺め、

文章にしたためてくれる才能に恵まれたことは、とても幸運な事ではなかったでしょうか。

藍にとっても、日本にとっても、そして誰より八雲さんにとっても。



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中秋の名月がとっても美しい夜です。

お月様がきれい!お団子美味しい!

と秋の一夜のイベントを存分に楽しんだ次女(5才)は大の字になって眠っています。 

いつもありがとうございます。藍色工房店長の坂東未来です。

今も昔も、綺麗な月を眺めてお団子を食べる楽しみは、変わらないかもしれないですね。



<なぜ、阿波(徳島)が藍の産地になり得たのか>

日本で栽培される藍草はタデ科で、もともとは東南アジア原産だと伝わっています。

丈夫な性質で、九州から北海道まで、日本全国どこでも栽培が可能です。

日本各地に藍の産地であった名残が見られるのはそのためです。
旧麻植郡の藍畑



阿波の藍 がその中でも良質とされて知名度が上がったのは、大きな理由が二つ

あると思われます。

1◆ 藍が育ちやすい環境が揃っていたこと 

2◆ 良い染料を作るため、藩のバックアップが万全であった事 


1の藍が育ちやすい環境というのは、大きな役割を果たした吉野川の存在が一番

大きいのだろうと思います。

日本の三大暴れ川に数えられ、四国三郎の異名を持ちます。

年に一度氾濫し、地域一帯の畑を豊かで新しい土に更新してしまうパワフルさ。

また、吉野川流域に観られる特徴的な青い色の結晶片岩は、構造が多孔質となっており

有用な微生物や栄養が蓄えられるようになっています。

この青石を含んだ川の砂ですから、輪をかけて豊かな土に恵まれた地域だったということが

分かります。

藍は「肥料喰い」と呼ばれるほど、肥料が大好き。

連作をすると土が痩せてしまいがちなのですが、吉野川のお蔭で連作が可能と

なっていました。


そして、吉野川周辺地域にもたらされる伏流水の恵み。

藍は水が大好きなので、水やりの心配をしなくて良い場所であることは、とても重要な

ポイントです。


大好きな肥料と水の心配をしないでいい場所が、阿波(徳島)だった、ということが

藍の栽培にとってとても幸運なことだと言えます。



それからもう一つ、かつての阿波藩が良質な藍を他の藩に販売することで藩の財政を

保つことを考えたため、大変な力を入れて、藍染め染料「すくも」の品質アップに

努めたこと。

毎年品評会を開き、良い色の出る「すくも」に良い値段をつけられるようにしていたため、

それぞれの藍師(染料職人)がしのぎを削って、門外不出の技術を蓄積していきました。



元の藍草の品質も良いうえに、その加工技術も優れた物であれば、鬼に金棒。

阿波藩の万全なバックアップ体制のもとで、藍染め染料「すくも」の一大産地として

栄えたのが江戸時代に入ってからのお話しです。



<第3の理由は阿波女>

タデアイは丈夫な植物ですが、良い藍草を育てようと思ったら、大変な手間が

かかります。

実際に、阿波ではこんな歌が歌われました。



阿波の北方 おきゃがりこぼし

寝たとおもうたら はや起きた

嫁にやるまい 板野の村へ

夏の土用に 足踏み車



北方とは、藍作の盛んだった板野、阿波、麻植、名東、名西の各郡を指します。

我が娘を嫁にやりたくないと思うほど、過酷な仕事。

それが、藍の仕事。

良い藍を育てるための水やりや草抜きや、虫よけのむしろを上げ下げしたり肥料を

施したりする全ての手間。

そして、良い「すくも」を作るための、刈り取りから日を開けずに怒涛のごとく行われる

作業の数々。

それらをテキパキとこなし、藍作りを支えたのが阿波女の気質だったのではないかと

思っています。


四国には、理想の夫婦を表す言葉に「讃岐男に阿波女」というのがあります。

のんびりしている讃岐男を働き者の阿波女が支える、という理想の形が

伝えられています。

そう言えば現在、女性社長の多さで日本一の県も徳島県です。

過酷な藍作りが、その工夫をヒートアップさせていくほど、それを支える阿波女が

テキパキと立ち働いたから、阿波藍の品質が向上していったと考えてもいいのかなと

思っているのです。
 

丈夫な植物だから、あまり手を加えなくてもある程度は育ちます。

でも、できるだけ良い藍を育てようと思ったら、いくらでも手を加えることがあったのです。

品評会でその良し悪しが明るみとなり、それによって買い取り価格が決められるとなれば

みんな必死ですよね。

働いて働いて、求め続けた魂の色。

それが、阿波藍だったのです。


豊かな地域の自然と、かつての藍作りに苦心してきた地域の先達に、

深い感謝の気持ちをこめて、これからの藍の事を進めて行きたいです。


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秋分の日が過ぎたという事は、一日のうち暗い時間の方が多く

なっていくという事ですね。

何故でしょう…ちょっとホッとします。根暗なのかしら。←知るか

いつもありがとうございます。藍色工房店長の坂東未来です。

今日はあまり触れられない「染め終わった藍染めの瓶」についてのお話です。



<いつかは枯れる藍の瓶>

染色に使っている藍染めの瓶には、染料となる「すくも」が入っていて、

「すくも」に含まれている色素(というか発色する成分)を繊維に染み込ませて

染めています。


ですから、ある程度以上染めると、瓶の中の色素が無くなり、染まらなくなります。

私たちは、染まらなくなった瓶の事を「枯れた」と言います。

瓶が枯れたら、中の液を廃棄してまた新しく染料を投入して藍建てするのですが

問題は使い終わった染液の廃棄する場所です。


私たちは農家だから、使用した後の液は次の年の畑の肥料にします。

藍の染液を畑に還す

瓶からバケツに汲み出した染液を畑に撒くのは父です。

畑に染液を返す作業

どんどん行きます。

藍の染め液を畑にどんどん撒く

どんどんどんどん行きます。


ここは、年によって藍だったり稲だったり、葉物野菜だったりいろいろ栽培する畑なので

染液に化学薬品などが入っていたら、こうして撒くことはできません。

昔ながらの素材を使う瓶だから、こうして最後は土に還すことができます。



薬品を使わずに灰汁醗酵建てで染める人は少なくなったと聞きます。

人によると、染めている人のうちの1%しかいないという人もいますが、

私の実感ではそこからもう少し多いように感じています。

染色している人の総数がつかめないから、1%と断定するのも実は難しい。

私の知る限り、私の周りの染色家は95%灰汁醗酵建てで染める方なので。。。

変人の集まりなんですかね(笑)。多分そうなんだろうな。

類は友を呼ぶんですね。



<循環するということ>

染色も、石鹸作りもそうなのですが、私たちの物づくりのスタートは農家だから、

結果的に土を汚すことをしたら、いつか続けられなくなります。

だから、循環していける物づくりを、日々普通に、肩ひじ張らずに続けることが

実はとても大切なことかなぁと、思っています。


昔ながらの難しくて時間がかかってコストのかかる染め方に伝統や威厳や

なんやらかんやらがくっついて、付加価値がグインと上がって「とりあえず凄そうな物」を

作ることが目的ではなく(笑)。

(誤解を避けるために書きますが、本当に貴重な伝統の技を伝えてくださっている、

尊敬する職人さんたちの仕事の事を言っているのではありません。

嘘を重ね、そうでもないのに凄そうに装う人も中にはいて、目に余ることも

多々あるため、真面目に続けて来られている方の胸の内を想うと

何か言いたくなる時がどうしてもあるのです。)



自然な素材を使うから自然な色が楽しくて、薬品を使うよりきれいだし土にも還せるなら

これ以上素敵なことはないじゃないかと、そんな気持ちです。


農家なので、「凄い事」より「ずっと続けられる事」がやっぱり気になるのです。

昔の人が、こんなにすごい発見を重ねていたという「凄い!!」を実感することは

大好きなんです。

それこそが、「ずっと続けられる事」につながっていきます。


それから、藍農家が減少傾向にあって、(ごく最近は少し持ち直したような数字が出ている

のですが)10年前に比べると約3分の1くらいにまで軒数が減っている現状は変わらず、

常に危機感を持って暮らしています。

※10年前は約90軒あった藍農家が現在は約30軒になっていると、数年前に

 徳島新聞の記事で報告されていました。



藍が持っている可能性を、いっぱい引き出して、藍農家がちゃんと自立して食べていける

ヒントを自分たちで探らないと、藍の栽培を次の世代に引き継いでいくのには難しいかも

しれない。。。そう思うことがあります。

そして、やっぱり阿波の土地の豊かさは、日本の藍の色を支えるのにとても重要です。

この地で藍を栽培し続けることが、どれだけ国の宝を守ることにつながっていくか

ちゃんと自覚しないといけないと思っています。

でも肩ひじは張らないつもりでいます。

力んだら、長く続けられないですものね。


大好きな藍色を、農家の私たちなりの方法で守っていければいいな、と想いながら

毎日試行錯誤を重ねています。

その道の先で…お客様が笑顔になってくださったら、こんなに嬉しいことはないのです。



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朝からNHKのテレビに藍染め石けんが映るという、滅多にない

秋分の日を過ごした今日。

いつもありがとうございます。藍色工房店長の坂東未来です。

なんかもう、一日が半分終わったような気分なので、ブログ書きます。←なにそれ



<藍色工房10周年のロゴマークの意味>

昨年、10周年が始まった時から1年間、イベントでチョコチョコお目見えしていた

ロゴマークがあります。

10周年ロゴ1カラーweb
こういうの。

これは、藍を支えてくださった、様々なものへの感謝の気持ちを込めて私が

作ったものです。


一番大きなモチーフの「月」は、日本の農業の暦を示してくれた導き星。

土に携わる者は、月との関わりを大切に伝えてきたのです。

また、暗い夜の空に浮かぶ明るい月の周りには、光と闇の狭間で美しく霞む

青い色が必ず存在します。

豊かな土に育ち、青色を発する藍にとって、切っても切れない大切なシンボル。

いつも導き育んでくださる感謝の気持ちを込めて。


月に抱かれて、胎児のように丸くなっている小さな龍は雨龍(あめりゅう・あまりょう)。

龍の子供と言われています。

雨を司る神獣で、神様からの恵みを受けた証しとして雨を降らせる係(?)を

担っているのだそうです。

水の大好きな藍に、雨は大切な天の恵み。

そして藍畑のすぐそばに、昔は龍王神社だった集会所があり、建物の中に本殿が

残っているので、集会所の入り口に注連縄があるという不思議な風景も現存しています。

瀬津集会所の入り口

龍神さまと藍はいつも一緒なんだなぁと、感じます。

恵みの雨の豊かさに、心からの感謝の気持ちを込めて。



そして、月の中の「10th」の右上にキラリと光っているように見える麻の葉紋。

これは、今私たちが藍を栽培している徳島県旧麻植郡山川町で、日本で初めて

産業的に藍や麻などを栽培した、朝廷祭祀を司る一族「忌部氏」の象徴です。
旧麻植郡の藍畑


豊かな土地を見出してくださった智慧と、分かち合う心の大切さを伝えてくださった

慈しみに、絶えることのない感謝の気持ちを込めて。



そして、「10th」の文字には、この10年を支えてくださったみなさまひとりひとりへの

語り尽くせぬ感謝の気持ちを込めています。

本当にどれだけたくさんの方に支えていただいたことでしょうか…

折々のお叱りや励ましが無ければ、歩める道ではなかったと本当に思います。

そしてその10年目が無事に、2015年9月30日で締めくくられることになります。

あと1週間なのですね。。。


ところで、なぜこのロゴマークに「藍色工房」という屋号が漢字で入っていないのか。

日本の常識や国境にとらわれず、藍そのものが持っている可能性を広く引き出して

行きたいという私たちの想いを表現したくて、あえてアルファベットで表記しました。


それぞれのモチーフは古くから家紋などで用いられてきたスタンダードなものです。

それらをオリジナルで組み合わせたものですので、あの~~。。。

盗用とかパクリとか、そういうのは無しでお願いします。。。

だいぶ沈静化していますが、なんとなく、念のため。。。


ということで、10周年記念大感謝祭もあと1週間となりました!!

皆様のお越しを、スタッフ一同心よりお待ち申し上げております☆

thankscptop


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最近、誰かと大切な約束をしたことはありますか?

私はつい最近、結婚式以来初めて、神様と約束をしてしまいました。

いつもありがとうございます。 藍色工房店長の坂東未来です。

そこに至るには実は、20年以上に渡る長い長い布石が置かれておりました。




<ラジオ生出演中、寅さんと呼ばれる>

毎月第一土曜日に出演している、西日本放送ラジオ『波乗りラジオ まんぷくタイプ』。

7月4日に生出演中、パーソナリティーの原先生(進学塾で日本史の先生をされている

ので、みんな「先生」づけで呼んでいます)が 、含み笑いをしながら私の胸にぶら下がって

いるペンダントを指しておっしゃいました。


「それはそうと坂東さん、今日首からかけられているその寅さんみたいなのは何ですか?」


寅さんて。

これは、革をお洒落なピンク色に着色して作られた、携帯用アロマペンダントです。

色んな香りのブレンドを試すために身に付けてます。

こんな感じ。↓クリック

≪波乗りラジオ公式ツイッターで紹介された画像≫ 


で、この放送中、事あるごとに原先生が含み笑いをするのです。

全く関係の無い話題の最中でも、突如笑い出すのです。


「ところで原先生、寅さんのあのぶら下げてたのは何なんですか?」

と私の方から質問しました。

もう、話をそらしている方が不自然なくらいになったので。

そうしたら、原先生も詳しくはご存知なかったので、敏腕美人ディレクターの白井さんが

ビシバシと検索してくださって、コーナー放送中に詳細情報が入りました。


売れない俳優業に悩んでいた渥美清さんはある日、神社にお参りに行きました。

「神様、僕はもう大好きなお酒を飲みません。だから、どうか仕事をください。」

大好きなお酒を断つ約束と引き換えに、お仕事がもらえるようにお願いした次の日。

渥美さんのもとに一本の電話が入りました。

その電話こそ、この方を一躍有名にした「寅さん」の出演依頼だったのです。

寅さんが首から下げていたお守り札は、その時に購入したものだと伝えられている

そうです。


そのお話を伺ったとき、マイクの前で少し絶句して、そしてちょっと興奮しました。

ああ、寅さんもそうして生まれたのですね…!!



<映画の神様の大切な約束>

私が高校生の頃、今は亡き映画解説者の淀川長治(よどがわ ながはる)さんを

紹介するドキュメンタリー番組をテレビで観ました。

≪淀川さんについてはWikiでどうぞ≫


映画の虜になった長治少年は、神社の拝殿前に立ち、頭を垂れて一心に祈りました。


「僕は一生結婚しません。だからどうか、映画の仕事を一生させてください。」


その番組では、そのシーンしか、私の記憶に残りませんでした。

それくらい、純粋に、一生を寂しく過ごしてしまうかもしれないような約束までして

映画に携わっていたかった淀川さんの一途さに心揺さぶられたのです。


そのシーンは脳の深いところに沈み、ぺったりと頭蓋骨の底に貼りついて、

何かあるたびにゆらゆらと思い出す場面となりました。



<音楽の大恩人の大切な約束>

その後、ピアニストを目指していた私は、名古屋の音楽大学に進みました。

そこでお世話になった先生一家には、今も感謝して止まないほど様々に、

大切な教えをいただき、支えていただき、充実した修業時代を過ごさせて

いただきました。


先生一家の長ともいうべき加藤直四郎先生は、普段は大阪にいらっしゃいましたが

定期的に名古屋にいらっしゃり、ソルフェージュのレッスンのお時間をいただいていました。

≪直四郎先生についてはコトバンクでどうぞ≫


直四郎先生が7歳のとき、ロシア正教の 聖歌隊の音楽に触れて感動し、音楽の道を

志すきっかけとなりました。

東京音楽学校(東京芸術大学)を受験される折、直四郎先生はご自身の神様に

向かって 真摯に語りかけられました。


「音楽学校に合格するまでは、女の姿を目にしません。だからどうか、音楽学校に

合格させてください。」


その後、見事音楽学校に合格され、音楽家として山田耕作(まちぼうけ~~♪で有名ですね)

等のもとで修行を積まれた先生には大変過酷な運命が待っておりました。


昭和16年に戦争のため兵役に着かれ、旧満州に赴任。

戦後はシベリアに2年間抑留されました。

どちらかといえば虚弱な体質だった先生は、まつ毛も凍る零下57度の極寒の地で

慢性の下痢に悩まされ、宿舎から200mも離れた場所にあるトイレに一晩中通って

眠ることもできない日が続き、さらに一日の食事と言えば堅い黒パンが1個。

どこに生きる望みがあるのだろうと思われるような日々の中、先生の心の灯を

護り続けてくれたのが音楽だったのです。


ロシア兵たちは自分たちが合唱をして愉しむために、歌いたい歌のメロディーを

直四郎先生に聞かせて、合唱用の譜面を書き起こさせることがあったそうです。

それがもとで、何かの折には特別とも言える措置がさり気なく施され、先生の肉体的な

危機をすんでの所で回避することにつながりました。


そして、先生の心の危機を回避させていたのは、音楽に携わり続けることのできる

喜びでした。

人が命を失う理由はいろいろとあると思いますが、気力を失うのがやはり一番

恐ろしいことのように思います。

事実、直四郎先生の仲間たちは、冬の朝が明けるたびに、次々と凍え死んでしまったと

手記『シベリア捕虜日記』で振り返っておられました。


「僕には音楽があったから、死なずに済んだと思っているの。」

レッスンの折にそう言っておられたことがありました。

誇張ではなく、直四郎先生の実感だったのだと思います。

そうして凌いだ2年を経て無事に日本へ帰国されてからお生まれになった方が、

後に私のピアノの恩師となる方でした。


シベリアで、直四郎先生の命を音楽が繋いでくれたから、私も音楽の道を歩む

ことができた…

そしてその音楽の道は、直四郎先生ご自身が腹を括って一途に目指された

からこそ拓かれたものだったのだろうと、今でも思っています。 



<藍農家の娘の大切な約束>

そして今の私はというと。

淀川さんの映画への情熱の話も、直四郎先生の音楽への一途な話も、知っていたのに

どこか雲の上の話のような気がして、自分の事として受け止めていませんでした。

音楽は子供のころからずっと家族が応援してくれて続けて来たし、これからも特別

望まなくてもそうなっていくのだろうと、漫然と思っていました。



でも、そうではありませんでした。

今、私は藍のお店のオーナーです。


実家が藍の農家だし、夫も一緒に会社を運営してくれているから、これからもずっと藍の

仕事をし続けて行くのだろうと、やはり漫然と思っている自分にハタと気づかされたのが

ラジオ出演中の「寅さんのお守りエピソード」でした。


いや、この道がなんとなく続いて行くなんてことはないのかもしれない。

私自身が、きっちり腹を括って選ばなくては、そうならないのかもしれない。



神社では神様に感謝の気持ちを捧げることはあっても、お願いなどおこがましくて

していませんでしたが、これはむしろ…

もしかして…

神様が、いい加減に気づきなさいとおっしゃっておられるのかもしれない。

何者になるのかを、宣言しに来なさいと。 

脳裏に浮かぶ、長治少年が神社で祈る姿に背中を押されているように感じました。


7月、40歳の誕生日を迎えてすぐのことです。

私は、とある神社の拝殿に立って深く頭を垂れていました。


「大好きなチョコレートを一生食べません。だから、藍の仕事をずっと続けさせてください。」


さようなら、ゴディバ。

さようなら、ピエール・マルコリーニ。

さようなら、テオブロマ。

さようなら、カフェタッセ。

さようなら、いつでも欠かさずカバンの中にいた赤い箱のガーナチョコレート。 

ショコラ・オランジュもガトーショコラもさようなら、さようなら…


するとその日は、いつもなら固く閉ざされている本殿への入り口が解放されていて

宮司さんが祝詞をあげてくださる機会に恵まれました。

「ずずいと奥へお入りなさい。

そして先ほどの約束を、近くでもう一度聞かせておくれ。」

神様がそう言われているのだろうと、もう肚を括りました。


チョコレート断ちをした、と言うと、本気なのか冗談なのか分からない私の

行いを愉快そうに笑う人がほとんどです。

でも、夫だけは笑いませんでした。

私がいかに毎日チョコレートを食べることを楽しみにしていたかをよく知っている

からです。 

「マジか…」と絶句しておりました。


ハタチの誕生日はお酒が解禁になったことを喜んでいましたが、

2回目のハタチはチョコレート断ちをすることとなり、不思議な気持ちです。

ちなみに、お酒はそんなにたくさんは飲まないので、「●●断ち」する候補には

入りませんでした。


神様にお願いしたから安心なのではありません。

神様は、如何に私が肚を括るのかをご覧になったのです。

チョコ断ちを宣言してから約2ヶ月。

順調にお仕事を続けることができています。

今月末には10周年の記念の年を締めくくることになります。


会社を立ち上げてから、こうして肚を括るまでに10年もかけたのかと自分に

呆れそうになりますが、そうやってゆっくりと道を拓いてこられたのは、

いま、こうして私の他愛のない長文に共感してくださる方が支えてくださった

お陰様なのだと思います。


本当にありがとうございます。

心新たに、新しい10年をチョコ抜きで歩んで参ります。



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