いつもありがとうございます。藍色工房店長の坂東未来です。

この時季になると思い出す、母方の祖母のお話しを少しだけ。。。



8月になると、祖母がテレビを見るのを嫌がるようになっていました。

戦争関連の番組が増えるからで、そういうのを見かけるたびにチャンネルを

変えていました。

「こういう話は、(戦争を経験した)私らが全員死んでからにしてほしい」と

いつも言っていました。

忘れることのできない色んなものが、目前に迫ってくるようにして

思い出されて辛いと。



戦争を繰り返さないためにと、戦争の悲惨さを伝える番組がテレビから流れてくる。

戦争を知らない私はそれを神妙に受け止めようとしていましたが、今思えばそれも

何らかの演出が施されたものばかり。

祖母にとってそういうものは、様々に片手落ちな情報の寄せ集めとしか見えないのに、

実際に経験してきたものを嫌でも思い出させる代物で、耐えがたかったのだろうと

今なら思います。



家族、親族、仲間、友人、沢山の大切な人と明日突然会えなくなるかもしれない。

そんな恐怖を毎日経験したら、世界観が変わってしまうだろうと思います。

戦後の世界が目を見張る復興は、そんな恐怖を抱いた人々の手によるもので、

その人たちが先頭を切って「戦争を忘れるな」と言ってそう言った番組を

作ってくれているものだと思い込んでいました。


多分、辛いことを経験した後の人の感覚は一律ではなくて、同じことを

経験させないようにと敢えてその経験を語ることで克服しようとする人と、

一切思い出さないようにして、自分本来の明るさを極力大切に前向きに

生きようと努める人がいたのだと思います。

どちらがより正しいかなんて、どちらでもいいことで。。。


祖母は、天真爛漫な明るい人でした。

でも戦争の事は、明るく語ろうとしませんでした。

空襲を受けた日の夜の事を言葉少なに語った時、川岸で名古屋の空が赤く

燃えるのを見ていて、とても怖かったと話してくれました。

防空壕の話、伯父がまだ小さくて空襲警報の真似をして遊んでいた様子、

何かをきっかけに思い出された戦争の記憶のかけらを、時々聞かせてくれ

ました。



けれど、8月のテレビ編成を、祖母は命を閉じるまで敬遠していました。

理屈は分かっていても、祖母が8月の戦争特別番組を鑑賞することは

ありませんでした。


戦争は良くない、と分かっているのに世界中から戦争の無い日を見つけることが

できません。

いつまで繰り返せば、そんな日が来るのでしょうか。

終戦の日を迎える頃、私はいつも祖母を思い出します。

今、世界中がある国を巡って戦争直前のような緊張感を持ってしまって

いることを祖母が知ったらなんて言うだろうかと考えています。