藍色工房(あいいろこうぼう) オフィシャルブログ

自社農園で藍を育て、藍の石鹸や藍染め雑貨を製造販売している四国の小さな工房からスタッフみんなでお届けします。
スキンケア、アロマテラピー、藍染め、薬草、四国の素敵&面白情報をぼちぼち更新いたします♪

カテゴリ : 忌部氏のこと

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忌部文化フォーラム 「阿波藍でつながる未来」にパネリストとして

参加させていただきました。

場所は徳島県吉野川市の鴨島公民館です。

先月渋谷で行われたイベントの里帰りバージョンです。


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他のパネリストの皆さんはちゃんと藍一色ですが、私は黒と赤で変人丸出し。

でも待宵さんの新作藍染めコサージュ付けて行きましたよ☆


忌部の歴史の中で藍という素材が果たしてきた役割について、林先生が

基調講演された後で登壇させていただき、それぞれに「藍のこれから」を

お話しさせていただきました。


楽観的なことばかり言ってはいられない状況ですが、行く先を明るく照らす

ヒントになり得ることができればと思い描き続けています。

とにかく……今までもこれからも我が道を行くのが藍色工房。

邁進いたします。


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なぜかタブーっぽくなってしまっているものに、改めて言及するのは

なんとなく緊張しませんか?

いつもありがとうございます。藍色工房店長の坂東未来です。

そんなタブーが少しずつ無くなっていくかもしれない…そんな予感のする

出来事がありました。


<東京の真ん中で忌部氏と藍の事が語られました>


kanban

8月5日(土)に、渋谷の清水とき・きものアカデミーにて、

「衣は人なり ジャパンブルーの集い」が開催されました。

ここで語られたのは、日本史にほとんど姿を現さなくなっている忌部氏と

藍との関わりでした。

忌部氏について研究を重ねられ、資料を編纂されている林先生による

講演が目玉の一つでした。
japanblue

たくさんのスライド画像と共にテンポよく語られる藍と忌部氏の事。

忌部氏は朝廷祭祀を司る一族で、それに必要な道具も作っていた物作り

集団でもあるということが紹介されました。

忌部氏にとって最も重要なお役目の一つは、天皇が即位する際の儀式に

必用とされている「あらたえ」という装束を麻で作り上げてお納めする

ことでした。

麻を作る集団にとって、麻を染める染料は必須。

ですが媒染剤を用いずに麻を染めることのできる染料はその仕組み上、

藍と柿渋だけだと言われています。

ですから、麻をメイン素材として栽培から加工まで行えば、自然とそれを染める

染料が必要となり、麻と藍は切っても切れない素材同士という事になりました。

実際に、阿波から旅立った忌部氏の足跡をたどると、麻と藍はほとんどセットで

動いています。



<藍農園と忌部の里>

私たちの藍農園は、阿波忌部が拠点とした種穂山の麓に位置します。

この山川町は藍の栽培を産業的に行った、藍産業発祥の地と教わりました。

その地で栽培した藍の葉から色素を抽出し、粉末状にしたものを、鈴鹿墨の

墨師である伊藤亀堂さんに託して膠で練り固めていただいたのが、私たちが

ご案内している藍墨「藍晶(らんしょう)」です。

indigosumitop

徳島県下に30軒前後残っているとされている藍農家ですが、この山川町では

自ら栽培し顔料を精製している藍農家は私たちが最後の一軒となりました。

なんとも心もとない状況となり早10数年近く……この墨もいったいいつまで

造っていただける状態を保てるのか……そんなことを想う日もありました。


<和太鼓と書の競演>

墨は、墨のままであれば、やはりただの墨だとしみじみ思ったのがこの日の

パフォーマンスでした。

会場で藍墨を使った書をライブでしたためるというパフォーマンスですが、

和太鼓に合わせて披露される形となっていました。

プロの書道家の手によって調整された藍墨が勇壮な太鼓の響きの中で文字に

なっていきます。

そうやって人の目に触れる形になることで、この墨の真価を人の心に初めて

問う事ができるのだとしみじみ感じさせていただけたひと時でした。



こちらはその折の動画です。

当日は画像も動画も「どうぞ撮り放題です。どんどん拡散してください」

とのアナウンスがありましたので、皆様にお届けしたいと思い私自ら

撮影していました。

この様子を清水とき・きものアカデミーの学園長・清水とき先生も

ご覧になっており、書き上げられた作品が贈呈されると書道家の吉野さんの

手を自ら引き寄せ両手でしっかりと握られて、何度も何度もその手を上下に

振っておられました。

tokisenseiandyoshinosan

凛とした佇まいの藍のお着物姿が美しい、95歳のお姿です。


忌部の歴史は、日本の影の歴史と言ってもいいでしょう。

日本史の教科書にはほとんどその姿を現しませんが、要所要所にその姿が

確かに存在し続けていました。

そんなひっそりとした時を重ねつづけたものが、東京の真ん中で

学術的に、芸術的に披露されるということは本当に大切なことに

つながっていくのだろうと会場で感じていました。

会場には「忌部氏」の存在を初めて知ることとなったお若い学生さんも

大勢おられました。

願わくば、その若い感性に忌部の姿を留めていただきたい。。。

争う事をせず、日本各地へ産業の道を拓いて行った「分かち合い」を

旨とする一族の存在を。


friends

このような貴重な一日の一員として過ごさせていただけたことに、

心から御礼申し上げます。

忌部の道はこれからも続きますが、今までより少し……明るい場所を選んで

歩くこともできるようになるのかもしれません。

帰りの飛行機からは、藍擦り絵のような富士山の姿を望むことができました。


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富士は晴れたり日本晴れ。

忌部の道をたゆまず歩む有志の皆さん、ひたすらに天晴れ!!

ついていきます☆


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日本には神様がたくさんいらっしゃいますが、一番大切にしたい神様は

地元の氏神様です。

いつもありがとうございます。藍色工房店長の坂東未来(ばんどうみき)です。

田舎の小さな神社なら、どこも似たような光景かな…と想いを馳せつつの

投稿です。



<素早いお父様たち>


本実午前10:00から始まる予定になっていた、藍農園の氏神様 種穂神社(たなぼじんじゃ)

の秋の例祭。

標高約300mのコンパクトな山の頂上に鎮座する町の守り神様に、春と秋に感謝を捧げて

地域の安全と平和を祈念しています。

種穂神社からの眺め

種穂神社からの町の眺めです。

今日はちょっと曇り気味でした。

そこへ午前8:30に現地集合したのが氏子のお父様方です。

続々と、シビアな登山道を四駆の軽トラックでモリモリ登り詰めて

集いし猛者たち。

女性が一人もいませんが、拝殿やその周辺をサクサク掃除してセッティングして

手際のいいことこの上なし☆

種穂神社例祭準備

種穂神社例祭準備2

種穂神社例祭準備3

種穂神社例祭準備4


その準備中、おもむろに配られたピンクのタオル。

なぜか半分ユニフォーム状態に。

お父様方がうっすらキュートに☆

種穂神社例祭準備5

そんなこんなで、小一時間でこぎれいにセッティング終了です!!

種穂神社例祭準備7

種穂神社例祭準備8

ではいよいよ、例祭の始まり・・・と思いきや、ここで一旦一休みし始める

お父様方。。。素早いですが、のんびりしています。

種穂神社例祭準備9

お茶を飲んで軽くのどを潤したら、あっさり満足して再び素早く例祭に移ります。

種穂神社秋の例祭1

まずは、拝殿外のお社4か所の御祈祷に。

参加者28名全員で巡りました。

その後にようやく拝殿へ集まり、本番開始です。

種穂神社秋の例祭2

この一年を平和に過ごせたことへの感謝と、これから一年の無事を願って

全員で祈りの時を過ごしました。


<忌部の神社>


種穂神社は、日本の朝廷祭祀を司る役目を担い、必要な道具一式を作る

職人集団を形成した忌部氏の由来を持つ神社です。

麻や和紙、藍染めなどの物づくりを、きちんと系統だてて産業として取組み

発展させたことが、その大きな功績として伝えられています。


私たちの農園のある徳島県吉野川市山川町は徳島に拠点を置いた阿波忌部氏の

最初の拠点となり、この地で初めて産業として藍の栽培と染色が行われたと

教わりました。

種穂忌部神社

拝殿の外には「種穂忌部神社」と記されていますが、かつて使われていた

「忌部神社」の額が拝殿内に設置されています。

忌部神社

田舎の小さな神社ですが、
とても大切な歴史を担っている場所だという認識を持って、

氏子のお父様方が定期的に開催される例祭をきちんと守ってくださっています。

大変ありがたいことだと思っています。

そして…そのお父様方はその灯を絶やさぬようちゃんと作戦を練っておられます。

「定年退職して、年金をもらえている65歳以上の人をちゃんと調べておかんとな。」


例祭が平日になることも珍しくないため、会社勤めの方にお世話をお願いするのは

非現実的で続かない、という至極まっとうなお考えの下、高齢化真っ只中の小さな町で、

それを逆手に取る草の根運動をナチュラルに決意し合っている様子に頼もしさすら

感じるのは私だけでしょうか…こんな感じで淡々と大切に守られていくことこそが、

こうした小さな神社にとって重要なことではないかと本当に思っています。 


私は、大変ありがたいことに伊勢忌部の末裔の方とご縁をいただくことができたので、

例祭に奉納するためのお酒のご相談に伺い、丁寧にアドバイスを頂戴した中から

お選びしたお酒をお持ちすることで、氏神様への感謝と氏子のお父様方へのねぎらいの

気持ちを届けるようにしています。


忌部の神様、今年もみんなで藍のお仕事を頑張ります。

どうぞどうぞ、見守っていてくださいませ。。。


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新嘗祭・収穫祭の季節です。

農家にとって、一番嬉しい季節です。

いつもありがとうございます。藍色工房店長の坂東未来です。

藍農園を見守ってくださっている神社の秋の例大祭へ行ってまいりました。



< 山の上の小さな神社にある深い歴史>

藍畑を撮影するとき、しょっちゅう後ろに写りこんでいる山が、種穂(たなぼ)山です。

BlogPaint

この山の上に小さな神社があります。

「種穂忌部(たなぼいんべ)神社」と呼ばれているこの神社については、今年の

春の例祭の様子をアップした記事に詳しいので、こちらをご参照ください。

●種穂神社 2015年春の例祭
 http://blog.livedoor.jp/aiiropubinfo/archives/45518165.html



この神社の御祭神「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」は、天照大神が岩戸隠れ

なさった折に、岩戸の外でお祭り騒ぎを演出した神々と一緒に弦楽を奏上されました。

だから音楽の神様とされることもあります。

ピアノ演奏を長く学んできた身の上にとって、身の引き締まるような神様です。



また、竹を使って弓矢を作り戦に備えられた功績もおありなので、

「天日鷲翔矢命(あめのひわしかけるやのみこと)」とも呼ばれることがあります。

種穂山には、その時に使われたとされる竹が今も群生しています。 



そう言えば、日本の初代天皇「神武天皇」が倭を平定する戦いの際、天皇の弓に

金色の鵄(トビ)が止まり、その光で恐れおののいて敵軍が戦意を失って勝利した、

と伝えられているのですが、「その金鵄こそが、天日鷲命だ」と

平田篤胤(江戸時代の国学者・神道家・思想家・医者)さんが記しています。



そのような方が拠点として構えられた場所にあるのが、種穂忌部神社です。

種穂神社境内からの眺め

この場所からは、かつて麻や藍、楮などを栽培した旧麻植郡山川町が一望できます。

様々な作物の栽培と素材の加工、そして最終的な物作りまでこの場所から指令を

送りながら周辺地域を統率し、朝廷祭祀を司る忌部一族のお役を果たしておられたと

伝わっています。



毎年10月19日は種穂忌部神社の秋の例祭の日です。

今年も無事に藍を育てられたことに感謝して、席に加わらせていただきました。



<忌部の歴史を今一度見直そうという風潮の中で>

種穂忌部神社


ここ数年、地元の吉野川市(旧麻植郡)周辺で「忌部氏の歴史をもう一度学んで、

見直そう」という動きが、じわじわと浸透してきました。

私自身も、その動きの中で地元に秘められた歴史の面白さに目覚めた一人です。


旧麻植郡で活動していた忌部氏を「阿波忌部」と呼ぶのですが、日本の様々な地域に

拠点を持った忌部氏が散らばっており「讃岐忌部」「紀伊忌部」「伊勢忌部」「出雲忌部」

と、それぞれの地名をつけて呼ばれています。

どの地域の忌部も、専門の素材とアイテムがあり、それを作って朝廷に収めるという

役割がありました。

今考えると、当時としては相当大きなスケール感を持った集団ではないでしょうか。

阿波忌部の勉強をしているうちに、他の地域の忌部の事も気になるようになり、私も

少しずつ四国の外の忌部の様子を辿ることを始めています。


それはそうと、秋の例祭の準備です。
種穂神社秋の例祭準備中

例祭が始まるのは午前10時ですが、その前に氏子みんなで清掃と飾り付けを

行おうという事で、集合は午前8時30分。

青い幕をつけたり…



種穂神社秋の例祭の榊

本殿側の榊の枝を、人数分切ってきて、宮司さんと氏子のおじさんで

御幣をつけたり…


種穂神社清掃

あ、この後ろ姿は父です。

拝殿を掃除機で吸っています。

ちなみに、水道が通っていないので、必要なお水はポリタンクに入れて持って行きます。

電気も通っていないので、自家発電機を使います。

宮司さんが祝詞をあげてくださっている間、自家発電機の「ドドドドドドドドドド」って

いう音とリズム打ちの太鼓の音が同時BGMとなって大変賑やかです。



種穂神社本殿清掃

本殿の埃も掃除機で吸います。



狛犬さんにも御幣を

狛犬さんにも新しい御幣をつけましょう。


私は忙しそうにしている皆さんの後ろから写真ばかり撮って遊んでいた訳でなく、

ちゃんと清掃に参加しましたよ。←念のため。

それから、大事なお役もありました。


一つは、藍色工房のお客様からのお賽銭の寄付をまとめ、総代さんにお渡しすること。

一年間の藍の種のお買い上げ金額の一部を、種穂神社のお賽銭としてお納めする

ということを私たちから総代さんに御提案して、ご了承いただいています。

藍の種


今年も、沢山のお客様に藍の種をお買い上げいただいたこと、本当に感謝の気持ちで

いっぱいです。


もう一つの大事なお役は忌部に関わることです。

先ほどの、各地に拠点を置いて活動していた忌部のうちの、伊勢忌部の

末裔の渡会(わたらい)さんと直接お会いしてお話しする機会を持たせていただいた

のが9月の初めでした。

初めてお会いしましたが、とてもやわらかい物腰とお話しで、ついつい長居してしまい

ました。



伊勢忌部の渡会(わたらい)家は明治時代になるまで代々伊勢神宮外宮の宮司を

務められた一族です。

現在その末裔となる方が、愛知県岡崎市において酒屋さんを営まれております。

お酒は神事に欠かせない物。

むしろ、神と切り離すことのできないもの。

やはり、そういったお仕事をされるのだなぁと、しみじみしつつ、今回の秋の例祭に

お持ちするお酒をぜひお選びいただきたいとお願いし、「阿波忌部発祥の神社の

例祭のお酒。……重いねぇ……」とおっしゃりながら丁寧にお示しいただいた

いくつかのお酒の中に、どうしても気になるお酒がありました。

こちらです。

種穂神社の秋の例祭の御神酒「奥」

このお酒には大切なことがたくさん込められています。

その大切なことは、直接お会いできる機会のある方にお話しするとして…

たくさんあるお酒の中で、よりによって「奥」という名前のお酒がここにある。



このパッケージ作りに渡会さんも携わられたのだそうです。

伊勢忌部の末裔が携わったお酒が、阿波忌部発祥の神社にやってくる。

そのお酒の名前が「奥」。

忌部はまさに、国と歴史の奥に存在し続けた一族ではなかったでしょうか。

いくつかお示しいただいたお酒の中から、迷わず「奥」を選ばせていただき、

今回の例祭にお持ちすることにしました。

「うん…そうね、やっぱり、それなんだろうね。」

渡会さんも静かにそうおっしゃっておられました。


種穂忌部神社秋の例大祭

非常に見えにくいのですが(大汗)祭壇の一番上に、このお酒を据えてくださいました。

特別にお願いしたわけではなかったのですが、出来上がった様子を観るとそうなって

いました(笑)。なんかすごいなぁ。

これで、全ての準備が整いました。

本殿前にうち揃いし氏子16名と宮司さんだけの、小さな、でも大きな例祭です。


2015年秋の例祭の種穂神社

今年も素晴らしい四季の恵みを、ありがとうございました。

次の季節からも、しっかり歩いてまいります。


各地の忌部の歴史や人とも少しずつつながりながら、小さなこの神社の営みを

大切にしていきたいと改めて思った一日でした。



皆さんのお住まいの地域にも、忌部にまつわる神社があるかもしれません。

「鷲」などの鳥っぽい名前の付いている神社の御祭神を良くご覧になって

みると「天日鷲命」がいらっしゃることが多いと思います。

(酉の市で有名な浅草の鷲(おおとり)神社もその一つです)



また、麻の字がつく地名も、忌部に縁のあるところが多いです。



意外と身近な所に転がっている歴史ロマンの代表格が忌部だと思っています。

愉しんで親しまれる方が増えたら、阿波忌部の大事な指針「分かち合う心」を

味わいあいたいなぁと夢見ています。


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いつもお世話になっている人への感謝の気持ちは、大切。

そして、目には見えないけれどいつも見守ってくださっている方への

感謝の気持ちも同じくらい大切。

いつもありがとうございます。藍色工房店長の坂東未来です。

今日は藍農園の父が氏子を務める地元の神社の例祭でした。


<種穂山の種穂神社>

藍の畑の写真にかなりの確率で写っている種穂(たなぼ)山。

種穂山

上の画像は2年前の夏の藍畑の様子です。

画面左側から、はっきりとした輪郭ですうっと右へきれいに下がっている山が

種穂山です。

この山の頂上に種穂神社があります。

父はこの神社の氏子です。



この神社は阿波忌部の祖神・天日鷲命(あめのひわしのみこと)が拠点とされた場所にあります。

種穂神社の正式名称は「種穂忌部神社」。

その由緒はこのように伝えられています。

種穂神社由緒書き

ここに拠点を置いた阿波忌部は、麻、楮、藍などを栽培し、加工して

神事に必要な道具を作り、朝廷祭祀を司るお役目を担っていました。



忌部氏が藍を日本で初めて産業的に栽培したのは、私たちの農園のある

山川町一帯であることが記録に残っていますが、現在、その山川町で

藍作を続けている農家は、わたしたちが最後の1軒となってしまいました。



とにかく、そんないわれのある種穂山に見守られながら藍作を続けられることは

とても幸せなことだといつも思っています。



<イセヒカリで醸された御神酒『國靈(くにたま)』>

種穂山の山頂にある「種穂神社」は、年に2回の例祭を行っています。

今日は、春の例祭の日でした。(次は秋の例祭の10月)

種穂忌部神社

種穂神社2015年春の例祭

今日、この例祭に御神酒を奉納しました。

この御神酒に使われた御神米は、平成元年に伊勢のご神田に突然変異で

現れた「イセヒカリ」です。

このイセヒカリで醸した御神酒は『國靈(くにたま)』と名づけられ、そのラベルに

なんと、私たちの農園で栽培した藍でできた藍の墨「藍晶(らんしょう)」で書かれた

文字がデザインされました。


國靈


長い長い時を経て、こんな大切な御神酒に、御神縁をいただくことになった

忌部の藍。

今日は、天日鷲命にもお喜びいただけるだろうと思い、この御神酒を奉納することが

私のミッションでした。



この御神酒は全国の40数名の方々の手によって、大切な神社に御奉納

されています。

そのうちの1本が、こうしてめでたく種穂忌部神社に御奉納できたことを、とても

光栄に思っています。 



例祭を滞りなく終えて、集われた氏子の皆さんと直会(なおらい)にあずかりました。

國靈をみんなで分けたら、一口分ずつ。

大切な一口を、大切に味わって、「おいしい…」とまぁるい笑顔になりました。

甘い香りの、まるで白ワインのようにフルーティーな、不思議な大吟醸。

今までの日本酒では嗅いだことのない香りでした。

神様に捧げるのにふさわしい、最高の心意気と技と素材の賜物です。



藍の墨を練り上げてくださった鈴鹿墨の伊藤亀堂さん、

お酒を醸してくださった酒蔵の皆様、

イセヒカリの栽培と収穫に精魂込められた皆様、

全てを見守っておられた神様方。

ありがとうございます。

私もここで、藍のお仕事を頑張ります。

種穂神社から眺める吉野川

今日、種穂神社から眺めた吉野川です。



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栃木県佐野市で佐野藍を復活させた方々にお会いしに行った時の様子と、

その地に残る忌部の神社のお話しです。

いつもありがとうございます。藍色工房店長の坂東未来です。

前回のレポートの続きです。


<まずは鷲宮神社で御挨拶>

実は生まれて初めて、東京より北の 本州の地に足を踏み入れました。

栃木は遠いってずっと思っていましたが、佐野市のバスターミナルへ向かうバスに

東京駅の八重洲口から乗り込むと、1時間半もかからないくらいで到着します。


バスターミナルで待ち合わせていた大川さんが車で早速に連れて行ってくださったのが、

鷲宮神社でした。

鳥居の側まで車を付けると「あ、きれいになってるなぁ!!」と声をあげられました。

夏にいらした時には草ぼうぼうだったのだそうです。

鷲宮神社拝殿

コンパクトですが、屋根の上に透かし彫りの配された洒落たつくりの拝殿です。

酉の市の日の後でしたから、きれいにされていたのかもしれません。



鷲宮神社のご祭神である天日鷲命(あめのひわしのみこと)は、阿波忌部の祖神で、

阿波の鳴門を旅立った忌部氏たちが千葉県にたどり着いて利根川を辿りながら

関東を北上して拠点を拡大していったときに、各地の神社で御祭神として祀られてきました。



日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征に動いた時、浅草の鷲神社(おおとりじんじゃ:ご祭神は

同じ天日鷲命です)に戦勝祈願に訪れ、使命を果たした後にお礼参りに再び訪れ、武器として

使用した熊手を奉納したのが酉の日。

それを記念して今でも毎年11月の酉の日に開催されている「お酉さま」「酉の市」が始まり、

縁起物として熊手がたくさん販売されています。


佐野の鷲宮神社でも「お酉さま」が忘れずに行われているのでしょうか。

注連縄も新調されて、ちょっとお洒落をした後のような雰囲気でした。

ご神木の杉の木

ご神木は大きな杉の木でした。

鷲宮神社の狛犬

どことなく愛嬌のある狛犬さん。


忌部の神社らしく(汗)少し荒れている感じはありましたが、神楽殿もあって、

古くから大切にされてきた神社だったことがうかがえます。

拝殿でお参りした後は、本殿を横から眺めてみたり、敷地内にある祠や石碑を

眺めたり、神楽殿が立派なことに感心してみたり。


ここにやって来た忌部の方々は、どんな気持ちで頑張っておられたのでしょう。

新しい土地で新しいことを始めるのは、大変なことだったと思います。

「種穂神社(阿波忌部発祥の地です)の氏子の娘です。

ご縁をいただきありがとうございます。」

そうご挨拶できることは、とてもうれしい事でした。



<佐野藍は熱い>

その後で連れて行っていただいたのが、今年の藍の葉で藍染め染料の「すくも」を作って

おられる方の作業場でした。

山羊を飼われていたり、敷地内の柿の木にはたくさんのメジロが柿の実をつつきに

来ていたり、のどかで素敵な所でした。

佐野藍のすくも

そんな作業場の木の箱で、むしろをかぶって眠っている「すくも」と対面しました。

しっかりと熱を持ち、醗酵が進んでいる様子でした。

頑張ってるね、頑張るんだよ…思わずそんな気持ちになります。

触ってみたら、熱くて湿っていました。

生きている。。。

たくさんの方々が手と知恵をかけて頑張っておられる証です。



<佐野の藍染め工房「紺邑(こんゆう)」にて>

そして、大川さんの藍染め工房&ショールームである「紺邑(こんゆう)」に到着

すると、藍の栽培に携わっておられるプロジェクトチームの方々がいらっしゃいました。

大川さんの染め場にテーブルとイスがセッティングされていて、薪ストーブに

火をくべながら和気あいあいとざっくばらんにお話が進んでいきました。


大川さんが大切な藍の瓶を見せてくださいました。

阿波藍で藍建てしたもの。

佐野藍だけで藍建てしたもの。

またそれぞれの瓶の染まり具合を試すためにティッシュをサッと染めてみてくださると、

どの瓶も爽やかな良い色が出ていて素敵でした。


ですが、やはり問題になっているのが染料の「すくも」不足。

設置されている瓶がフル稼働できない状態であることをお話しされていました。

おそらくですが、日本中のどこの染め場も同じことが起こっているのではないかと

推測されます。



いい色を出す「すくも」を、まずは大川さんの工房がフル稼働できるように増やす

のが目下の目標のようでした。

佐野藍は第一段階の「すくも」ができるかどうか、と言うところを軽々と乗り越えて

(実際の作業はいろいろ大変ですよ)次はどうしたら「良いすくも」を作ることができるか、

皆さんから様々な意見や問題点が出てきました。


こちらも、作りかけの「すくも」のような熱を持ったチームの様子がうかがえました。

この方たちなら、きっと色々取り組まれて、目標とするところにどんどん近づいて

行くのだろうな…と思いながらお話しの輪に参加していました。



そして。。。私の反省しなくてはいけないことの一つなのですが、夢中になると

それ以外のことが何にも気にならなくなって、集中してしまうことがあります。

どういう事かと言いますと、この時皆さんとお話しすることが楽し過ぎて、

一枚も写真を撮影しませんでした(汗) 

貴重な機会に、本当にバカです(涙)



でも、本当にそれほど、熱心な語らいに感動していた証拠でもあります。



一度途切れたものを再び復活させることは並大抵のことではありません。

佐野の方々のご苦労を垣間見て、藍の栽培や藍の文化を絶やしては

いけないと改めて感じました。

私たちでお役に立てることは、どんなことでもお応えしていきたいと思っています。



忌部の教えの中には、「分かち合う」という心持ちが伝えられています。

藍はもともと、忌部が一所懸命に様々な地に広げ、また戦国時代には

逆に阿波が播磨(兵庫県)からすくものつくり方を教わったりして「分かち合い」ながら

技術を伝承してきました。

現代において再び「分かち合い」を深く意識することが、豊かな物作りの復興に

つながるのだろうと考えています。


日本の藍は、大和魂宿る伝統の色。

日本のみんなで守ればいい。

そう思っています。

佐野の皆さん、頑張ってください。

徳島にいらしたら、父の畑をご案内いたします。

この度は、長い時間お話しさせていただけて嬉しかったです。

ありがとうございました!!またお邪魔します!!



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テレビ「知っとこ!」「笑ってコラえて!」「魔女たちの22時」「グラン・ジュテ」で
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藍とかかわりの深い忌部氏ゆかりの地は、関東に点在しています。

東京へ出張する機会が増え、そういった場所に立ち寄ることも、楽しみの

一つとなりました。

いつもありがとうございます。藍色工房店長の坂東未来です。

それにしても、関東平野は広いですね。



<佐野に蘇る藍>

栃木県佐野市にご縁ができたのは、この地で藍染めの工房「紺邑(こんゆう)」を

主催されている、染め師の大川公一さんとの出会いがきっかけでした。

出会いと言っても直接お会いしたのではなく、母が藍染めの更なる勉強のために

何か良いヒントはないかとパソコンで検索をかけたところに、大川さんのブログに

行き当たり、「素敵なことを書いてくれている人がいる」と嬉しそうに報告してきたのが

最初でした。


大川さんがブログで触れておられたことを少し試してみた母の手から、今までより

一層冴えた藍の色が現れ、嬉しかったりホッとしたりした記憶があります。


その後、SNSサイトで大川さんを発見。

不躾にもお友達申請をお願いして、交流が始まりました。

藍の色と真摯に向き合っておられる姿勢に、いつも勇気づけられています。 

東京へ出張の折に、大川さんが東京の百貨店に出展されているタイミングと重なる日が

あれば 、たとえ駆け足でもごあいさつに向かわせて頂いたりしていました。

染め師大川さんと
(2012年12月、日本橋三越にて初めて大川さんとお会いした時の写真)


そんな中、大川さんも使われている徳島産の藍染め染料「すくも」の生産量が激減し、

それまでの交流の中で、私たち藍農家の事情を良くご存知だった大川さんは

「自分たちですくもを作れるようにならなければ、藍染めができなくなる」といち早く察し、

共感されたお仲間と共に 藍の栽培からすくもの加工までを行うプロジェクトを

立ち上げられました。


この時、藍の種を父の畑で採取したものをご提供させていただきました。

母の藍染めに大切なヒントをいつもいただいていた、せめてものご恩返しのつもりです。


実は昔、佐野でも藍作りが行われていたのだそうです。

佐野藍は明治時代に幕を閉じ、それ以来初の藍作りが大川さんのチームで

始まりました。

私たちがお送りした種が、佐野の土とうまく暮らせるだろうか。

大川さんのお役に立てるように育ってくれるだろうか…

嫁に送り出した子供の様子が気になるのって、こんな感覚なのでしょうか。


そして今年の春。

「初めて作ったすくもで、ちゃんと染めることができた」という大川さんのリポートが

SNSサイトにアップされました。

感動しました。

一度、佐野に行かなければ…そんな気持ちになりました。 

105年ぶりに復活した佐野藍が、地元のメディアで明るい話題の一つとして取り上げ

られている様子を嬉しく拝見しながら、機会をうかがっておりました。


◆「佐野藍」復活、地元有志ら挑む 栽培拡大、本格生産へ 栃木
 http://www.sankei.com/region/news/140710/rgn1407100091-n1.html



<忌部氏のご縁>

そして、大川さんと交流しているうちに、佐野と私たち山川町の農園をつなぐ

もう一つの深いご縁 のあることが分かりました。

山川町一帯で藍を阿波で初めて産業的に栽培した阿波忌部氏の祖神を祀る神社が、

大川さんの工房の近くにあったのです。


鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)と言って、御祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)と

されています。

阿波の鳴門から旅立って、千葉にたどり着いた阿波忌部は利根川を辿って北上し、

今の栃木県にも拠点を持ったと伝えられています。

その痕跡の側に、藍と暮らす人がいる。

私は一人で局地的に大騒ぎしていました。

この時は、久し振りに震えが来ました。 


阿波藍の始まりの地から、阿波藍の旅したところに住まう人のところに、再び

阿波藍の種が旅立つ。

壮大な歴史の螺旋階段を、今生きている私たちがよろよろ昇っていくような感覚に

見舞われました。


忌部の神様が観ていてくださっている。

そして何かを私たちに託そうとなさっている。

そう思いながら過ごした2014年も師走に入った12日。

様々なタイミングが合致して、私の初佐野入りが叶いました。



(その2に続く) 


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昨日参加した「新邪馬台国G5サミット in 吉備」では、これから掘り下げていきたい

キーワードがたくさんありました。


いつもありがとうございます。藍色工房店長の坂東未来です。 


しばらくこのブログでは話題にしていませんでしたが、久しぶりに歴史モノです。

写真抜きで、テキストオンリーで走ります。


<邪馬台国って何>

魏志倭人伝によると、という説明を何度も耳にしたし目にしてきました。

邪馬台国という国の名前は魏志倭人伝にしか出てこないのです。

そして、日本オリジナルの歴史書にも登場しません。

だからいつまでたっても、この国がどこにあったのかが決着つかないのです。


考えてみたら、自国の成り立ちがわからない国なんておかしいです。

日本神話もまともに読んだら有り得ないことばかり起こっています。

それを歴史ととらまえたらとんでもないことになってしまいます。


こんなおかしなことってありません。


イザナギ・イザナミの国生みと、邪馬台国と、大和王権の成り立ちの流れを

クリアに説明できる日本人がいるでしょうか。

義務教育を受けてきた人ばかりのこの国で、それができる人がほとんどいないのです。

不思議です。 


邪馬台国は無かった、という論説も出ていたりして、もういろいろなのですが…

とりあえず残っている記録「魏志倭人伝」を信じて、日本創世記の姿を解明する

手がかりにすることは、無駄ではないと思います。

少ない記録の中で、邪馬台国の自然の様子や人の暮らしぶりにも触れられ、

更に「卑弥呼」と称される女王からは贈り物も献上され、その品目まで克明に

触れられています。


そして、女王卑弥呼については、「いくつかの有力な国々によって共立された女王」

として登場しますので、「邪馬台国候補」と名を上げる地域がいくつも出てくるのは、

「女王を共立した有力な国々」の一つであった可能性が高いからと考えれば

不思議なことでもありません。


騒乱のさなかに平和を求めて共立された、神がかりをする女王。

その人が、重要な外交の場面で魏の王に贈った貢物の中には「絳青縑(こうせいけん)」と

呼ばれる反物が含まれていました。

絹織物で、青色と赤色に染め分けられた糸を生地に織ったものと推測されています。

この青色の部分が藍で染められていたことが判明していると、

『ものと人間の文化史65-Ⅱ 藍Ⅱ 暮らしが育てた色 : 竹内淳子 著』に

記されています。




これを知った時から、私にとって邪馬台国は謎の国ではなくなり、自分のルーツを知る

旅の入口に立ったような気がしています。



<ヒントをつなぎ合わせるキーワード探し>

邪馬台国とはどこのことを指していたのか、知る手掛かりを論じながら百年以上が経過し、

結局公式の見解として断定ができない状態が続いていますが、各方面で確信に満ちた結論は

出ているようです。


ですがそれが正しいかどうかはまた別の話…


ということで、来年の春に「全国邪馬台国連絡協議会」が発足する予定で、現在各地の

在野の研究者を中心に会員を募集しています。

http://homepage3.nifty.com/kojikino-angou/index.html



私の個人的な見解は、「有力な地域」とその地域で影響力の強かった「有力な部族」を

明らかにして、女王を共立する際にどのような役割をそれぞれがになったのかを

シュミレーションする機会があればものすごく面白くなるように思っています。


というのも、私の地元の山川町は大和朝廷の祭祀を司った阿波忌部氏の一大拠点で

邪馬台国と呼ばれていた国でも何らかの役割りを果たしていたと考えてもいいと

思っているのです。

忌部氏は藍を栽培して染色も行っていたことが分かっていますので、卑弥呼が献上した

反物の技術や素材提供に関与していたかもしれません。

そして、忌部の拠点は阿波・讃岐・出雲・紀伊・伊勢にあり、中継地点として備前も関与し、

また新たな拠点として開拓に当たった関東一帯も掌握し、越前にも関与していましたから、

各地の有力者との関係性も大変重要になってくると考えます。


今回のサミットでは「海人族」に丹後の有力者としてスポットが当てられていましたが、

こうした切り口の見解がほかの地域からもたくさん出てくると、より立体的なシュミレーションが

できそうな気がします。

孝霊天皇とそのご息女である倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)と

ご子息の吉備津彦命(きびつのひこのみこと)、そしてもうお一人のご子息である

稚武彦命(わかたけひこのみこと)も、大切なキーパーソンかもしれません。

そうしたキーパーソンの側には必ず、その方をお支えしていた有力者がいるはずです。


それからもう一つ、突拍子のないことを言います。

時空軸を今までの思い込みから思いっきり歪めて考えると、卑弥呼とは誰かと考えることは、

天照大神とは誰か、と考えることと似ているように思います。

神がかりする女性の存在が、大和(ヤマト)という国のルーツを握っているということについて

冷静に俯瞰してみてもいいように思います。


更に、「鉄」という素材の精錬技術と「造船技術」、そして「航海技術」を

持っていた部族がどこにいたかということも、大事なキーワードになります。

魏の国と国交を保つには、船で行き来するしかなかった時代だからです。

(ちなみに、忌部氏はその全てを持ち合わせていました。)


忌部氏は国津神の出雲地域にも、天津神の伊勢地域にも、深く関わっている不思議な

集団です。

阿波と讃岐の東四国からは「忌部氏」というキーワードで邪馬台国に迫るといろいろ

見えてきそうだと思っていますが…どうなるんでしょう。←誰に言ってるんだ



と、そんなことを考えながら藍と邪馬台国のことを追っている最中です。

邪馬台国というよりむしろ忌部氏ですが。

でも邪馬台国も大事。

そんなわけで、時々突拍子のない歴史オタク記事が投下されることがあるかと思いますが、

面白がっていただければ幸いです☆





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