藍色工房(あいいろこうぼう) オフィシャルブログ

自社農園で藍を育て、藍の石鹸や藍染め雑貨を製造販売している四国の小さな藍の工房から、スタッフみんなでお届けします。
スキンケア、アロマテラピー、藍染め、薬草、四国の素敵&面白情報をぼちぼち更新いたします♪

タグ: すくも

中秋の名月がとっても美しい夜です。

お月様がきれい!お団子美味しい!

と秋の一夜のイベントを存分に楽しんだ次女(5才)は大の字になって眠っています。 

いつもありがとうございます。藍色工房店長の坂東未来です。

今も昔も、綺麗な月を眺めてお団子を食べる楽しみは、変わらないかもしれないですね。



<なぜ、阿波(徳島)が藍の産地になり得たのか>

日本で栽培される藍草はタデ科で、もともとは東南アジア原産だと伝わっています。

丈夫な性質で、九州から北海道まで、日本全国どこでも栽培が可能です。

日本各地に藍の産地であった名残が見られるのはそのためです。
旧麻植郡の藍畑



阿波の藍 がその中でも良質とされて知名度が上がったのは、大きな理由が二つ

あると思われます。

1◆ 藍が育ちやすい環境が揃っていたこと 

2◆ 良い染料を作るため、藩のバックアップが万全であった事 


1の藍が育ちやすい環境というのは、大きな役割を果たした吉野川の存在が一番

大きいのだろうと思います。

日本の三大暴れ川に数えられ、四国三郎の異名を持ちます。

年に一度氾濫し、地域一帯の畑を豊かで新しい土に更新してしまうパワフルさ。

また、吉野川流域に観られる特徴的な青い色の結晶片岩は、構造が多孔質となっており

有用な微生物や栄養が蓄えられるようになっています。

この青石を含んだ川の砂ですから、輪をかけて豊かな土に恵まれた地域だったということが

分かります。

藍は「肥料喰い」と呼ばれるほど、肥料が大好き。

連作をすると土が痩せてしまいがちなのですが、吉野川のお蔭で連作が可能と

なっていました。


そして、吉野川周辺地域にもたらされる伏流水の恵み。

藍は水が大好きなので、水やりの心配をしなくて良い場所であることは、とても重要な

ポイントです。


大好きな肥料と水の心配をしないでいい場所が、阿波(徳島)だった、ということが

藍の栽培にとってとても幸運なことだと言えます。



それからもう一つ、かつての阿波藩が良質な藍を他の藩に販売することで藩の財政を

保つことを考えたため、大変な力を入れて、藍染め染料「すくも」の品質アップに

努めたこと。

毎年品評会を開き、良い色の出る「すくも」に良い値段をつけられるようにしていたため、

それぞれの藍師(染料職人)がしのぎを削って、門外不出の技術を蓄積していきました。



元の藍草の品質も良いうえに、その加工技術も優れた物であれば、鬼に金棒。

阿波藩の万全なバックアップ体制のもとで、藍染め染料「すくも」の一大産地として

栄えたのが江戸時代に入ってからのお話しです。



<第3の理由は阿波女>

タデアイは丈夫な植物ですが、良い藍草を育てようと思ったら、大変な手間が

かかります。

実際に、阿波ではこんな歌が歌われました。



阿波の北方 おきゃがりこぼし

寝たとおもうたら はや起きた

嫁にやるまい 板野の村へ

夏の土用に 足踏み車



北方とは、藍作の盛んだった板野、阿波、麻植、名東、名西の各郡を指します。

我が娘を嫁にやりたくないと思うほど、過酷な仕事。

それが、藍の仕事。

良い藍を育てるための水やりや草抜きや、虫よけのむしろを上げ下げしたり肥料を

施したりする全ての手間。

そして、良い「すくも」を作るための、刈り取りから日を開けずに怒涛のごとく行われる

作業の数々。

それらをテキパキとこなし、藍作りを支えたのが阿波女の気質だったのではないかと

思っています。


四国には、理想の夫婦を表す言葉に「讃岐男に阿波女」というのがあります。

のんびりしている讃岐男を働き者の阿波女が支える、という理想の形が

伝えられています。

そう言えば現在、女性社長の多さで日本一の県も徳島県です。

過酷な藍作りが、その工夫をヒートアップさせていくほど、それを支える阿波女が

テキパキと立ち働いたから、阿波藍の品質が向上していったと考えてもいいのかなと

思っているのです。
 

丈夫な植物だから、あまり手を加えなくてもある程度は育ちます。

でも、できるだけ良い藍を育てようと思ったら、いくらでも手を加えることがあったのです。

品評会でその良し悪しが明るみとなり、それによって買い取り価格が決められるとなれば

みんな必死ですよね。

働いて働いて、求め続けた魂の色。

それが、阿波藍だったのです。


豊かな地域の自然と、かつての藍作りに苦心してきた地域の先達に、

深い感謝の気持ちをこめて、これからの藍の事を進めて行きたいです。


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栃木県佐野市で佐野藍を復活させた方々にお会いしに行った時の様子と、

その地に残る忌部の神社のお話しです。

いつもありがとうございます。藍色工房店長の坂東未来です。

前回のレポートの続きです。


<まずは鷲宮神社で御挨拶>

実は生まれて初めて、東京より北の 本州の地に足を踏み入れました。

栃木は遠いってずっと思っていましたが、佐野市のバスターミナルへ向かうバスに

東京駅の八重洲口から乗り込むと、1時間半もかからないくらいで到着します。


バスターミナルで待ち合わせていた大川さんが車で早速に連れて行ってくださったのが、

鷲宮神社でした。

鳥居の側まで車を付けると「あ、きれいになってるなぁ!!」と声をあげられました。

夏にいらした時には草ぼうぼうだったのだそうです。

鷲宮神社拝殿

コンパクトですが、屋根の上に透かし彫りの配された洒落たつくりの拝殿です。

酉の市の日の後でしたから、きれいにされていたのかもしれません。



鷲宮神社のご祭神である天日鷲命(あめのひわしのみこと)は、阿波忌部の祖神で、

阿波の鳴門を旅立った忌部氏たちが千葉県にたどり着いて利根川を辿りながら

関東を北上して拠点を拡大していったときに、各地の神社で御祭神として祀られてきました。



日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征に動いた時、浅草の鷲神社(おおとりじんじゃ:ご祭神は

同じ天日鷲命です)に戦勝祈願に訪れ、使命を果たした後にお礼参りに再び訪れ、武器として

使用した熊手を奉納したのが酉の日。

それを記念して今でも毎年11月の酉の日に開催されている「お酉さま」「酉の市」が始まり、

縁起物として熊手がたくさん販売されています。


佐野の鷲宮神社でも「お酉さま」が忘れずに行われているのでしょうか。

注連縄も新調されて、ちょっとお洒落をした後のような雰囲気でした。

ご神木の杉の木

ご神木は大きな杉の木でした。

鷲宮神社の狛犬

どことなく愛嬌のある狛犬さん。


忌部の神社らしく(汗)少し荒れている感じはありましたが、神楽殿もあって、

古くから大切にされてきた神社だったことがうかがえます。

拝殿でお参りした後は、本殿を横から眺めてみたり、敷地内にある祠や石碑を

眺めたり、神楽殿が立派なことに感心してみたり。


ここにやって来た忌部の方々は、どんな気持ちで頑張っておられたのでしょう。

新しい土地で新しいことを始めるのは、大変なことだったと思います。

「種穂神社(阿波忌部発祥の地です)の氏子の娘です。

ご縁をいただきありがとうございます。」

そうご挨拶できることは、とてもうれしい事でした。



<佐野藍は熱い>

その後で連れて行っていただいたのが、今年の藍の葉で藍染め染料の「すくも」を作って

おられる方の作業場でした。

山羊を飼われていたり、敷地内の柿の木にはたくさんのメジロが柿の実をつつきに

来ていたり、のどかで素敵な所でした。

佐野藍のすくも

そんな作業場の木の箱で、むしろをかぶって眠っている「すくも」と対面しました。

しっかりと熱を持ち、醗酵が進んでいる様子でした。

頑張ってるね、頑張るんだよ…思わずそんな気持ちになります。

触ってみたら、熱くて湿っていました。

生きている。。。

たくさんの方々が手と知恵をかけて頑張っておられる証です。



<佐野の藍染め工房「紺邑(こんゆう)」にて>

そして、大川さんの藍染め工房&ショールームである「紺邑(こんゆう)」に到着

すると、藍の栽培に携わっておられるプロジェクトチームの方々がいらっしゃいました。

大川さんの染め場にテーブルとイスがセッティングされていて、薪ストーブに

火をくべながら和気あいあいとざっくばらんにお話が進んでいきました。


大川さんが大切な藍の瓶を見せてくださいました。

阿波藍で藍建てしたもの。

佐野藍だけで藍建てしたもの。

またそれぞれの瓶の染まり具合を試すためにティッシュをサッと染めてみてくださると、

どの瓶も爽やかな良い色が出ていて素敵でした。


ですが、やはり問題になっているのが染料の「すくも」不足。

設置されている瓶がフル稼働できない状態であることをお話しされていました。

おそらくですが、日本中のどこの染め場も同じことが起こっているのではないかと

推測されます。



いい色を出す「すくも」を、まずは大川さんの工房がフル稼働できるように増やす

のが目下の目標のようでした。

佐野藍は第一段階の「すくも」ができるかどうか、と言うところを軽々と乗り越えて

(実際の作業はいろいろ大変ですよ)次はどうしたら「良いすくも」を作ることができるか、

皆さんから様々な意見や問題点が出てきました。


こちらも、作りかけの「すくも」のような熱を持ったチームの様子がうかがえました。

この方たちなら、きっと色々取り組まれて、目標とするところにどんどん近づいて

行くのだろうな…と思いながらお話しの輪に参加していました。



そして。。。私の反省しなくてはいけないことの一つなのですが、夢中になると

それ以外のことが何にも気にならなくなって、集中してしまうことがあります。

どういう事かと言いますと、この時皆さんとお話しすることが楽し過ぎて、

一枚も写真を撮影しませんでした(汗) 

貴重な機会に、本当にバカです(涙)



でも、本当にそれほど、熱心な語らいに感動していた証拠でもあります。



一度途切れたものを再び復活させることは並大抵のことではありません。

佐野の方々のご苦労を垣間見て、藍の栽培や藍の文化を絶やしては

いけないと改めて感じました。

私たちでお役に立てることは、どんなことでもお応えしていきたいと思っています。



忌部の教えの中には、「分かち合う」という心持ちが伝えられています。

藍はもともと、忌部が一所懸命に様々な地に広げ、また戦国時代には

逆に阿波が播磨(兵庫県)からすくものつくり方を教わったりして「分かち合い」ながら

技術を伝承してきました。

現代において再び「分かち合い」を深く意識することが、豊かな物作りの復興に

つながるのだろうと考えています。


日本の藍は、大和魂宿る伝統の色。

日本のみんなで守ればいい。

そう思っています。

佐野の皆さん、頑張ってください。

徳島にいらしたら、父の畑をご案内いたします。

この度は、長い時間お話しさせていただけて嬉しかったです。

ありがとうございました!!またお邪魔します!!



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こんばんは。藍色工房店長の坂東未来です。

暑いのは苦手だけど、夏が来ないと困ります。

夏は、藍の刈り取りの季節だから。

私の徳島の実家の藍農園では、今年も元気に藍が育ちました。



芽吹いて適当な大きさに育った苗を畑に定植した直後の畑はこんな風でした。

4月22日。

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赤ちゃんみたいな苗が、いかにもはかなげで、毎年見ていてもこれがあの大きな

株に育つことが、不思議な感覚になります。



今年は定植後から雨もよく降り、藍の栽培にはとてもうれしい年でした。

水や肥料の好きな藍にとって、雨は何よりの自然の恵みです。

水田用の水路からわざわざ水を引いている時の藍の畑です。

5月27日。

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かなりもりもりと枝別れをして茂っています。

もとのはかなげな様子はもうすっかり消えて、たくましさを感じるほどに

なっています。



それから…

私はこの景色を眺めるのが、本当に毎年楽しみです。

7月2日。

 007

畝の間が見えなくなってしまうくらいに育った藍の株が、畑いっぱいに腕を広げている

ように見えます。

毎年、この景色が本当に楽しみなんです。



藍の生命力を間近に眺めていると、小さなことでくよくよしていられない気持ちになります。

神代の昔から、阿波(徳島)の地ではぐくまれてきた植物で、ずっと日本に住む人と

一緒に生きてきました。

だからでしょうか、畑いっぱいに茂っている藍を見ていると「共に生きよう」って言ってくれている

ような気分になります。



本当に、そんな気分になるんですよね…



でも、そういう古くからずっと栽培されてきた植物なのに、意外と研究されていない部分が

あるのです。

藍は染めものの染料として知られてきましたが、それ以外にもいろんな働きを発揮してくれる

本当に力強いパートナーのような植物です。

でも、その根拠については民間伝承で立ち止まっているような内容が多く、明らかに

なっていないことがたくさんあります。



私達は、創業当初から新しい葉が収穫できるようになるたびに、いろんな研究を重ねています。

今年ももちろん、「なぜだろう…?」と気になっていることのいくつかを調べています。

22 002

調査用の藍を手で刈り取る弟の図です(笑)



藍の面白いところを、いろんな形でお伝えしたいです。

それが、あなたの暮らしの楽しみや安心につながって、更に暮らしている環境にも

負担をかけずに、どんどん元気な藍の栽培と物作りがつながっていくようになれば

本当に理想的だって考えています。



藍の農園を支える私の家族も、毎年栽培面積を増やしながら頑張っています。

びっくりするような実験を独自に行っていて、思わぬ発見をすることもたくさんあります。

やっぱり藍って不思議な植物です…



ちなみに、今、徳島の藍の栽培農家は、10年前の3分の1に減少しています。

約90軒あった藍農家が今は約30軒になってしまったことが、今年の6月に地元の新聞で

話題になりました。

着物を着る人が減り、藍染めを利用するお客様が減っていることも原因の一つだと

書かれていました。

確かにそうなんだと思います。

だから、今の暮らしの中で楽しんでいただけたり必要とされる藍の姿は模索できないかと

考え続けています。



徳島新聞に掲載された元の記事は、オンラインでも閲覧可能です。

どうぞ、ジャパンブルーが置かれている現状をご覧になってください。

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●徳島新聞Web
<阿波藍ピンチ、栽培農家も激減 染料(すくも)の生産量が半減>

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