藍色工房(あいいろこうぼう) オフィシャルブログ

自社農園で藍を育て、藍の石鹸や藍染め雑貨を製造販売している四国の小さな工房からスタッフみんなでお届けします。
スキンケア、アロマテラピー、藍染め、薬草、四国の素敵&面白情報をぼちぼち更新いたします♪

タグ: 八十八ヶ所

e最御崎寺6

番外編で紹介した御厨人窟(みくろど)を越えると、すぐに「室戸岬」の看板があります。

そうです。

あの、台風中継などでもおなじみ(?)の、白い灯台があるところです。

もちろん、気象庁の管理のもとにあるので、普段一般人は入ることができませんが、

至近距離で眺めることができます。


青い空と海、そして真っ白い灯台・・・

今は「恋人の聖地」となっているようです( *´艸`)


この灯台を目指し、坂道を登っていくと、次の目的地です。

e最御崎寺1

駐車場がある場所から、少し歩いていきます。

それまで何もなかったのに、突然霧が・・・っ!!
いや、これは高波の潮だったかな?

どっちにしろ、私はマイカメラを死守するのに必死です(汗)


数百メートルほど坂道を上ると、目的地に到着しました。

e最御崎寺2

第24番札所 最御崎寺。

・GoogleMap 最御崎寺
http://goo.gl/maps/F01sY

これまた何とお読みすれば・・・な漢字ですが、「ほつみさきじ」と読みます。

虚空蔵求聞持法の修行をおこなった、御厨人窟(みくろど)の真上に当たる場所で、

唐に渡っていた空海が帰朝したのちに、勅命を受けて最御崎寺を建立しました。

ご本尊は、虚空蔵菩薩です。


なんだか、霧のせいで境内も静粛ムード満載。

左の方に岩のようなものがあるのが分かりますか?

e最御崎寺3

鐘石と呼ばれていて、石で叩くと不思議な音がします。

私の感想だと、まるで岩の下に底なしの穴が開いているような音。

「この響きは冥途まで届く」と言われているそうです。

e最御崎寺4

こちらは、本堂の鐘を鳴らす縄に結ばれた、五円玉。
どんな願いが込められているのでしょうか。

e最御崎寺5



あ、余談ですが、私はお寺や神社にお参りするとき、「五円玉」を用意するようにしています。

財布から直接出すのも無粋だし、

仏様神様との「ご縁」がありますように・・・っていうのもありますしね。


では、なぜか霧の晴れない最御崎寺をあとにし、次の札所へ向かいましょう♪

a太龍寺1

この日は、前日まで雨が続いていて、まだ雨雲というか霧が残ったままでした。

やってきたのは、第21番札所の太龍寺・・・に向かう、ロープウェイ乗り場。

・GoogleMap 太龍寺
http://goo.gl/maps/shTwk


太龍寺ロープウェイホームページ
http://www.shikoku-cable.co.jp/tairyuji/index.htm


西日本で最長と言われる、こちらのロープウェイは、全長が2,775メートルあります。

車でも行けますが、ロープウェイからの眺めもなかなか良いです!!


では、太龍寺に向けて出発!

a太龍寺2

このゴンドラの床からは、このように下の景色を見ることができます。
↓ ↓ ↓
a太龍寺3

見るっていうか・・・格子なので、下からの風が筒抜けですので、

余裕のある方は、モンローごっこを(笑) ない方は、大人しく座っていましょう♪


↓ こちら、ひとつめの支柱に到達です。
a太龍寺4

2,775mを10分で上るので、時速約27キロ。

このスピードで上ってきたゴンドラは、一旦てっぺんで止まります。

この瞬間!!

グワン!!!

と、ゴンドラが前のめりに揺れるという、ちょっとしたアトラクション気分を味わえます。


一番前にいると、ゴンドラが結構傾くのを感じるので、スリル満点!

支柱は2本建っているので、帰りと合わせて、4回は体験できます。

ただ、高所恐怖症の人は・・・大人しく座っていましょうね♪

a太龍寺5

おっと、対向車(?)

a太龍寺6

途中、日本オオカミの実物大の銅像を見ることができます。

よーく見てください・・・

a太龍寺7

オオカミの家族が!!

しかも、一頭は遠吠えをしてますよ。

a太龍寺13

その昔、この地域には多くのオオカミがいたそうです。

山犬ヶ嶽というこの地の名前にも由来しているんでしょうか・・・?


さて、ようやくロープウェイが着きました。

a太龍寺8

弘法大師が19歳のころ、境内から600メートルほどのところにある「舎心嶽」という岩の上で、

真言を百万編唱える苦行、虚空蔵求聞持法をおこなったそうです。

その場所には、修行中の大師像が東向きに座っています。


桓武天皇の勅願で堂塔が建てられ、大師が虚空蔵菩薩像を彫り、ご本尊としました。

天皇家や武将からの信仰を集め、子院を多く持っていましたが、天正の兵火は免れず、

また、江戸時代にも何度か罹災し、その都度、藩主により再建されてきました。


本堂。↓ ↓ ↓

a太龍寺9

大師堂。↓ ↓ ↓

a太龍寺10

鶴林寺同様、樹齢数百年の老杉に囲まれている境内は、霊験あらたかな雰囲気です。


さて、来たときと同様に、ロープウェイで下山です。

上ってきたときに、帰りの時刻をあらかじめ調べておいた方が、ロス時間がないですよ。


帰りは吉野川に向かって下りていく感じです。

前日までの豪雨の影響があって、濁流の吉野川ですが・・・

a太龍寺11

a太龍寺12

ロープウェイを使わない場合、車だと30分ほどかかるようです。

遍路泣かせの難所と呼ばれた太龍寺。

今でも徒歩で入山する方が多くいらっしゃるそうで、難所であるほど弘法大師の

おかげが多いと言われています。

お天気のいい日には、ぜひ自分の足だけで登ってみたいものです。

藍色工房 鶴林寺⑦

立江寺からは、車で1時間弱。
徳島県勝浦郡勝浦町の、第20番札所の鶴林寺(かくりんじ)へやってきました。

・GoogleMap 鶴林寺
http://goo.gl/maps/qzMyY

道路が整備されているものの、山奥!!といった感じの場所にあります。
昔はさぞ難所であったのでしょうね。
霊場のお寺を焼き尽くした「天正の兵火」でも、難所であるがために難を逃れたそうです。

辺りは樹齢数百年から上を思わせる杉などが林立し、凛と澄み渡った空気が流れています。

藍色工房 鶴林寺①

こちらの仁王門、両側に仁王様のポジションがあるのですが、鶴林寺というだけあって
鶴も阿吽のポーズをしているのです。

藍色工房 鶴林寺⑨

藍色工房 鶴林寺⑩

その昔、弘法大師がこの地で修行をしていたころ、雌雄の鶴が杉の梢に舞い降り、
小さな金色のお地蔵様を守っていたそうです。

その光景に歓喜した弘法大師が、霊木で地蔵菩薩像を彫り、その胎内に金色の
お地蔵様を納めてご本尊とし、寺号も「鶴林寺」となりました。


仁王門からお手水場までは、巨木の間を歩いて行くようになりますが、
一部コケが自生している場所があります。

藍色工房 鶴林寺⑧

藍色工房 鶴林寺⑬

どうも貴重なものらしく、野生の動物が食べてしまわないように、
電気が流れる鉄線で囲まれています。

うっかり触ると、本当に感電しますよ(←感電経験済み・笑)

鶴林寺⑭

最後の階段を上ると、鶴林寺の本堂に到着です。

藍色工房 鶴林寺②

本堂にお参り・・・の時点で、時刻は3時半。
この後、車で太龍寺のロープウェイ乗り場まで行って、待ち時間があって・・・
と考えると、時間的にきつくない?ということになりました。

鶴林寺は個人的に何度か訪れたことがありますが、いつも本堂の奥にある
階段が気になっていたのです。

よ~し、今日はここで打ち止めして、鶴林寺を散策して帰ろう!

あ、そう言えばこちらが、鶴が舞い降りたという、杉の木です。
本堂の左奥にあります。
↓ ↓ ↓
鶴林寺③


藍色工房 鶴林寺⑤

藍色工房 鶴林寺⑥

藍色工房 鶴林寺⑫

どのような理由で建っているのかは分かりませんが、お堂がありました。

そういえば、この鶴林寺がある境内は、お釈迦様がインドで説法をした場所とよく似ているそうで、
同じ名前をとって「霊鷲山」(りゅうじゅざん)と定められています。

では、最後に大師堂にお参りして、鶴林寺をあとにしますか・・・

藍色工房 鶴林寺④

鶴林寺はよく霧に包まれるのですが、その風景も幻想的です。

ですが、難所と呼ばれた名残が車道にもあり、急こう配の道をグネグネと登っていくので、
歩きお遍路さんも車お遍路さんも、お気を付け下さい。


藍色工房 【お遍路出発②】

お腹も満たし、暑さがピークのころ、第18番札所恩山寺の駐車場に到着です。

・GoogleMap 恩山寺
http://goo.gl/maps/zIXzN

17番の井戸寺からは、眉山を越えて反対側に位置しています。

駐車場から本堂までしばらく歩くのですが、井戸寺からは歩いて
3時間半近くかかるため、道の横にはこのような可愛らしいものが・・・

恩山寺①

お遍路さんを励ましてくれています!!
ボランティアの人たちの手作りなんでしょうかね~?

恩山寺②

可愛い竹製のワンコ達に励まされつつ、ひたすら歩いてゆきます。

恩山寺③

やっと大師像が見えてきました!

恩山寺④

聖武天皇の勅願により、行基菩薩が開いたとされる恩山寺は、ご本尊が薬師如来。
当時は「大日山福生院密厳寺」と呼ばれ、女人禁制とされていました。

恩山寺から次の立江寺に向けて下る坂は「花折り坂」と呼ばれ、そこから先
女性は入山することを許されませんでした。

弘法大師がこのお寺で修行中に、母君である玉依御前(たまよりごぜん)が訪れます。

だが女人禁制であったため、迎え入れることができません。

空海は山門近くの滝に17日間打たれ、女人解禁の祈願を成就しました。
そして母君をともなって入山することができたそうです。

やがて母君は剃髪をし、その髪を納められました。
境内には玉依御前を祀った小堂と、石碑が建てられています。

その後、母君のゆかりがあるこの寺を、「母養山 恩山寺」と改めたそうです。

恩山寺⑦

母君への孝養として、弘法大師が境内に植樹されたといわれる「びらんじゅ」は、
徳島県の天然記念物に指定されています。

「びらんじゅ(毘蘭樹)」って何・・・?と思った方はwikipediaを♪
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%8E%E3%82%AD


「天正の兵火」にて火災に見舞われた本堂などは、江戸時代に再建されたもので、
およそ200年前の建造物になります。

恩山寺⑥

ハァ~~~
それにしても新緑が美しい季節でした。。。。

恩山寺⑤

観音寺③

国分寺をあとにしてやってきたのは、第16番札所の観音寺。

・GoogleMap 観音寺
http://goo.gl/maps/aHSao

まわりに民家や商店が立ち並ぶ、こじんまりとした佇まいのお寺です。

聖武天皇の命により建設された、国分寺の道場だったという由来があります。

その後、弘法大師がこの地を訪れた際に、ご本尊の千住観世音菩薩像などを彫像され、

現在の「観音寺」と名付けられたそうです。

観音寺①


ご本尊の脇を固める仏様として、不動明王像や毘沙門天像なども彫像されました。

また、太正の兵火により焼失後、蜂須賀家により再建されたことなど、

お寺に保管されている「観音寺縁起」に書かれているそうです。

観音寺②

大正時代のことなので、わりと最近のお話ですが、

高松伊之助さんという盲目の方が、両親に連れられてお遍路をしている際に、

こちらのご本尊のご利益により、目が見えるようになったと語り継がれています。



では、次の札所へ・・・

第17番札所の井戸寺です。

・GoogleMap 井戸寺
http://goo.gl/maps/9zvvx

古代阿波の中心だったこの地に、天武天皇の勅願道場が建てられました。

当時は、妙照寺という寺名だったそうです。

井戸寺①

弘法大師が修行のために訪れた際に、村民が水不足や濁り水に悩まされていました、

自らの錫杖で井戸を掘ったところ、一夜にして清水が湧き出したそうです。

その所以から、この地は「井戸村」となり、寺名は「井戸寺」と名付けられました。

井戸寺③

仁王門がとても立派です。

徳島藩主の蜂須賀家別邸から移築されたもので、両側の仁王像と背中合わせになるように、

お寺側からは巨大なわらじを見ることができます。

井戸寺②

本堂と大師堂も近く、こちらもこじんまりとしたお寺です。

お遍路さんの団体さんがいました。

それにしても、空が青い・・・

井戸寺④

納経所近くの池には鯉がいました。

手前の鯉は、餌を求めていますね。

井戸寺⑤

いい天気ですー。

そろそろお昼時なので、どこかでご飯を食べて、また出発します。

藍色工房 国分寺①

こんにちは、久々のお遍路邂逅ブログです。

寒い毎日なので、写真で初夏の風景を見ると、夏が恋しくなってきます(笑)


14番札所の常楽寺から、5分ちょっとで到着できました。

徳島県徳島市国府町にある、第15番札所の国分寺です。

ご本尊は、薬師如来。開祖は行基菩薩と言われています。

・GoogleMap 国分寺
http://goo.gl/maps/JLTXR

聖武天皇の命により、全国に建立された国分寺のひとつです。

そんなわけで、四国各県に点在し、どれもが四国霊場となっているので、

最初に巡る国分寺となりますね。

藍色工房 国分寺④

その昔は金堂や七重塔が建ち、壮大な伽藍を誇っていたそうです。

お寺の敷地内からは、礎石などが発見されていて、徳島県の史跡に指定されています。

元々は法相宗という、奈良の法隆寺などと同じ学派に属していましたが、

空海が霊場開創のために巡礼されている際に、真言宗に改宗となりました。


こちらのお寺も、長宗我部元親の兵火により焼失。

その後、阿波藩主の蜂須賀家の命で再建されてゆきます。

蜂須賀家は曹洞宗を信仰していたので、この際にまた改宗されました。

藍色工房 国分寺②

門をくぐってすぐに見える、こちらの本堂。

そう言えば、二階建ての本堂は珍しいですね。


大師堂へと向かったのですが、何とも残念なことに・・・

藍色工房 国分寺③

1996年に火災で焼失し、今なお再建されていないそうです。

仮の大師堂が設けられていますが、お堂っていうか・・・ほこら?みたいです。

眼を閉じて、ここに大師堂が建っているのを想像して・・・


様々な事情があると思いますが、やはり大師堂の再建を願います。

お寺の方が何より望んでいるとは思いますが。

四国霊場自体の文化的価値を考え、保存会や支援の方々の協力が必要ですね。

そんなわけで、お賽銭は気持ちの分だけ多めに供えてきました。


ところで、納経所近くに、こんな植物が!

藍色工房 国分寺⑤

生き物のようにうごめくサボテン。

しっかりと地面に根を張っているようです。

可愛いっ!!


常楽寺①

第14番札所から、車で10分ほどで、次の札所に到着しました。

徳島県徳島市国分町の、常楽寺。

四国霊場の中では、唯一弥勒菩薩をご本尊としている札所です。

・GoogleMap    常楽寺
http://goo.gl/maps/JnAzf

弥勒菩薩は、お釈迦様の入滅後、56億7000万年後の未来に、衆生の人々を救済に現れる

という、現在修行真っ最中の菩薩様です。

京都の広隆寺の弥勒菩薩像が、あまりに美しいことで有名ですね。

諸説ありすぎるので、便利なWikipediaをご覧ください(笑)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9


弘法大師が42歳の厄年の際に、この地で修行中に感得されたのが、弥勒菩薩です。

とても深く信仰していたようで、こういった遺告を残されています。

「私が閉眼したならば、弥勒菩薩のおわす兜率天に往生するべし。
 そして56億余年後に必ず弥勒菩薩と共に下生し、私の先跡をたどりたい。」

空海の甥にあたる真然僧正らにより、常楽寺には講堂や三重塔や仁王門が建立されました。

かつては壮大な伽藍を誇るお寺だったそうですが、天正の兵火によって焼失します。

その後、江戸時代に再建される際には、元よりすこし高い場所の現在地に移りました。

奇形な岩盤の断層が重なる、「流水岩の庭」です。
常楽寺②

段々畑や断層が好きな私にとっては、萌えポイント♪

雨のときは滑ると思いますので、お気をつけて。
常楽寺⑦

団体のお遍路さんと遭遇しました。

金剛杖も、多種多様なものがそろっています。
常楽寺③

常楽寺の本堂。

右上の方に見えるのが、アララギの木です。

病に苦しむ人のために、空海が植えた木と伝えられています。

焼失後の再建時にも、現在の地に種が飛んできたそうです。
常楽寺④

常楽寺の大師堂。
常楽寺⑤

こちらは、庭石のひとつ。

滝の部分にカットの細工をしてあって、明らかに新しいものだけど、私的にここ一番の萌えポイント!!
常楽寺⑥

2日目のお遍路は、晴天!!

5月の中旬だったので、日中はとても暑くなりそう・・・と予想しながら、順調に進みます。

藍色工房 【大栗山 大日寺①】

駆け足で終わった、車お遍路の一日目から一ヶ月、2回目のお遍路が開催されました。

徳島市一宮町の大栗 大日寺です。

・GoogleMap 大日寺
http://goo.gl/maps/m9OlM

山門を抜けてすぐに、「しあわせ観音」という観音様がいらっしゃいます。
↓↓

藍色工房 【しあわせ観音】

合掌をした手のひらの中に、極彩色の観音様♪

観音様の左手に、本堂。

藍色工房 【大栗山 大日寺②】

朝早いので、とても静かな境内。

弘法大師がこのあたりの「大師の森」で修行している際に、紫雲に乗った大日如来があらわれ、

「ここは霊地であるから、ぜひ一寺を建立してほしい」と告げられました。

早速、大日如来像を彫り本尊とし、大日寺が建てられました。

戦国時代には兵火ですべて焼失しましたが、後に阿波藩の蜂須賀家によって再建されます。

諸国に国の総鎮守、一ノ宮が建てられたときには、同じ敷地で管理されることとなりました。

一ノ宮の本地仏が十一面観世音菩薩だったのですが、江戸時代には、

この一ノ宮が札所として参拝されていたとの記録が残っています。

明治の神仏分離令により神社の方が独立する際に、そのまま十一面観世音菩薩を本尊とし、

大日如来は脇仏となりました。


しあわせ観音から右手に、大師があります。


藍色工房 【大栗山 大日寺③】

ご朱印をいただいている待ち時間に、トイレを拝借・・・と思ったら、こんなところに!

藍色工房 【大栗山 大日寺④】

お堂をつなぐ廊下の下をくぐるように、階段が作られています。

ですよね。貴重な建築物は壊せませんよね。

左にコンテナが見えますが、ここではみかんの接待をいただきました。

どこかの農家さんからいただいてくるのかな?

ありがたや~


境内の水子たち。

とても安らかにお眠りです。

藍色工房 【水子地蔵】


道路を挟んで向かい側に、もともと同じ境内にあった一ノ宮があります。

狛犬じゃなくて・・・何ていうんでしょう?

お宮の正面に2頭並んでおります。

一ノ宮①

時間を見ながら、こういうサブ見どころをまわるのもいいですね~

でも、最後には時間ぎりぎりでダッシュしそうな予感がしますよ。

お遍路2回目、またもや長いお付き合いのほどよろしくお願いいたします☆

11k焼山寺①

車お遍路で巡ってきました、徳島の一日目。

いよいよ最後のお寺、焼山寺に到着です。

・GoogleMap 焼山寺
http://goo.gl/maps/7NVm0


長かった・・・長かったぜよ!!(←なぜか高知弁)

そもそも、11番札所の藤井寺から迷わずに行けたらの話で、所用時間は1時間50分かかる場所。

初めての、しかも山の中の道で、霧が立ち込めてくる中で、まともにたどり着ける気がしない・・・

でも頑張りました。

頑張って、5時55分くらいには駐車場に到着!

おお、まだ社務所が空いている時間ではないか!


※ここからは写真を撮影するという悠長な時間はございません。


お遍路ガイドブックによると、駐車場から山門まではかなりの道があるようでした。

なにせお遍路難所の5本指に入る場所、最後まで立ちはだかります。

ひとまず、一番体力に自信があった私が、4人分の納経帳を抱えてダッシュ!!


ひたすら・・・それはもうひたすらダッシュ! 

砂利の上り坂を必死で駆け抜ける!  


なんでこんな時にブーツなんかはいてきたんだ私!!!

と恨めしくも思いながら、山門に到着。

走りながら脱帽&お辞儀でくぐる(←めっちゃ失礼)と、すぐに社務所発見。


すいまっせーーーーん!!!


もう鍵をかけて退所する寸前のお坊さん発見。

ああ、すごい迷惑なお遍路さんになってしまった・・・

これがまたお優しいお坊さんでね!!

明らかに時間ぎりぎりにやってきたのを分かってくださって、先にご朱印をいただくことになりました。

※普通はお参りを済ませてからです。


4人分のご朱印をいただくころには、後からやってきたメンバーも合流。

本日最後のお参りをしに、本堂へ向かいました。

11k焼山寺②

誰もいない境内。

霧もたちこめてきて、まさに霊域。

ちなみに焼山寺は、標高720mくらいだそうです。


無事に本堂と大師堂のお参りを済ませ、下山します。

もう急ぐ必要がないから、ゆっくりね。

11k焼山寺③

見渡すと、どれも立派な大杉ばかり。


焼山寺は、徳島県名西群神山町のにあります。

標高938mの焼山寺山の8合目あたりに位置するこのお寺は、なんと飛鳥時代が起源だそうです!

役行者が山をひらいて蔵王権現を祀ったのが、お寺の始まりとされています。

この山には、魔の力を持った大蛇が棲みついていて、火をはいて人に危害を加えることがありました。

空海がこの地を訪れたときも大蛇があらわれ、山を火の海にして襲いかかってきたそうです。

摩廬(水の輪という意味)の印を結び、応戦しながら山頂近くの岩窟で大蛇と対峙した際、

虚空蔵菩薩があらわれて、ご加護のもと大蛇を岩窟に封じ込めることに成功しました。


その後、虚空蔵菩薩をご本尊とし、焼山となってしまったことから寺号を「焼山寺」とし、

逆に山号を水の輪にちなんで「摩廬山(まろざん)」としました。

11k焼山寺④

どんどん霧が濃くなってきました。

私、徳島で霧に遭遇することが多いです(笑)


順番は逆ですが、焼山寺の山門↓↓

迫力あるわぁ~~!

11k焼山寺⑤

そして、山門の下から階段をアオリで撮ったところ↓↓

ほんの30分前、ここをダッシュで駆け上がったのね、私。

11k焼山寺⑥

駐車場と山門との間の道のりは、細くて、でもきれいに整備されていました。

霧が晴れていれば、すごい景色が見られそうです♪

11k焼山寺⑦

5時を過ぎると、辺りも薄暗くなってきました。

石灯籠に明かりが灯るのも、幻想的・・・

11k焼山寺⑧

ごらんのとおり、駐車場には人っ子一人いません。

一人だったら絶対心細くなりますよ。

11k焼山寺⑮

焼山寺には、四国霊場の元祖、衛門三郎が終焉した場所があり、お堂が建てられています。

杖杉庵(じょうしんあん)という、お堂というよりはこじんまりとしたお寺です。

衛門三郎は平安時代初期の伊予の国(愛媛県)の人で、巡礼中の弘法大師におこなった

無礼なふるまいを謝罪したく、追いかけてお遍路の旅に出ました。

21回目の逆打ち中、焼山寺で力尽きたころ、やっと空海に会うことができた場所だそうです。


車遍路をしていると、こういう見所を逃してしまうのが難点ですね。

歩き遍路の方のブログだと、歩く目線で色々なことをレポして下さっています。

【夜空のこころぼし】
http://ichijoji.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/12-542a.html

【歩き遍路日記!!】
http://shimanto-ayu.machicom.com/2012/05/1112.php

【門前の小僧 歩き遍路日記】
http://jh5swz.exblog.jp/i12


11k焼山寺⑬

高松まで帰るのに、2時間くらいかかるかなぁと思いながら、焼山寺をあとにします。

紹介しきれなかった写真を、ヤフーブログの方でも紹介しております。
http://blogs.yahoo.co.jp/aiiro_koubou/10405379.html

こうして、お遍路初日は無事(?)終了しました。

あくまでのんびり、巡っていきます。


11j藤井寺①

車お遍路の第一日目も、残すところあとわずかな時間となりました。

そのため、前々回から繰り返していますが、超駆け足!でお参りしています


やってきたのは、第11番札所 金剛山 藤井寺(ふじいでら)。

徳島県吉野川市鴨島町です。(先日イベントに参加してきた町ですね☆)

・GoogleMap 藤井寺
http://goo.gl/maps/fr6XV

「寺」って、「じ」と読む方が多いのに、ここは「ふじいでら」なぜか知ってる人はいませんか~


こちらの藤井寺、その名の通り「藤」がとても綺麗です!!

吉野川の近く、三方を山に囲まれたこの地に心惹かれた空海が、

42歳のときに自身の厄を祓い、衆生の安寧を願って薬師如来像を刻み、堂宇を建立しました。

そして、金剛不壊と言われる堅固な護摩を築き、17日間の修法をおこないました。

修法がおこなわれた場所には5色の藤が植えられ、金剛山藤井寺の由来となったそうです。

まだ4月上旬だとつぼみの気配すらないですが、確かにすばらしい藤棚がありました。

ただし、駆け足なので眺める余裕もありませんでしたけど!!

11j藤井寺③

山に囲まれているせいか、こじんまりと境内の中に本堂と大師堂があります。

とてもお参りしやすい


こちらの藤井寺も、天正年間(1573年~1592年)に兵火で全山が焼失したそうです。

またもや長宗我部元親・・・でしょうか。

ちょうど四国を制圧していた時期と重なりますね。

11j藤井寺④

境内には、8つの手を持つ龍・・・白龍弁財天を祀った、お堂があります。

8つの手それぞれに弓や矢、蔵の鍵などの物を持っていて、

武術や芸術のお願い事を聞いてくれるそうです。

11j藤井寺②

お堂の前にある弁天水は、次の札所である焼山寺(しょうざんじ)付近から引かれていて、

もちろん飲むことができます!!

きんと冷えてておいしい

これで・・・残りの焼山寺まで頑張れる!はず・・・


焼山寺までの道のりは、遍路ころがしとも言われる難所。

男性で8時間、女性で9時間かかるそうです。

今は整備されているので、28キロの道のり中、険しいのは16キロほどだそうですが。

この苦行ともいえる16キロの歩く道のりは、今や貴重なお遍路道とも言われます。


車で参りますので、全然修行になっていませんな、私たち。

でも、車でも閉門時間に間に合うか否かの瀬戸際になってきました。

藤井寺からは1時間15分かかる場所に向かって、3時50分に出発しました・・・

間に合いますよーーーにっっ!!



●四国霊場八十八ヶ所を巡る旅 ~春うららな徳島 第12番札所 焼山寺~

http://blog.livedoor.jp/aiiropubinfo/archives/19815116.html



11i法輪寺①

さて、駆け足気味になってきた、お遍路初日の終盤。

なぜ駆け足なのかというと、閉門時間が迫ってきているからです!!

お寺は5時に閉門されるのがほとんどで、ご住職はじめ納経所の職員さんもお帰りになります。


第9番札所、法輪寺は駆け足でお参りしました。

・GoogleMap 法輪寺
http://goo.gl/maps/TDopO

弘法大師がこの地で巡教中、白蛇を見つけたそうです。

白蛇は仏さまの使いとされているのことから、御釈迦様の涅槃(ねはん)の姿を彫り、ご本尊としました。

涅槃釈迦如来像は、北枕でお顔を西に向け、右脇を下に寝ているお姿です。

5年に一度開帳されますが、計算だと多分次回は平成29年です。

11i法輪寺②

大師堂で数人のお遍路さんと遭遇し、この先はトイレに行く時間もないかもしれないということで、お寺のお手洗いをお借りします。

お手洗い近くに、こんな絵が・・・

厠本尊!!??

11i法輪寺③

きれいなお手洗いでした。ありがとうございます。

そして、次の第10番札所の切幡寺へ~

法輪寺からは車で約10分・・・一時の休息でした。


・GoogleMap 切幡寺
http://goo.gl/maps/HXZr7


こちら、仁王門から本堂までは800mほどあります。

階段で!

11i切幡寺②

333段・・・意外とあります。

頑張りますよっ!!!

11i切幡寺③

延々と階段です。

11i切幡寺④

こちらの切幡寺、ご本尊が女人済度で有名なので、女性の参拝者が絶えません。


昔、この近辺に機織りの乙女がいました。

弘法大師が修行中、結願の7日目にほころんだ僧依を修復するために布を所望された際に、

乙女は折りかけの布を、惜しげもなく切って差し上げたそうです。

この厚意に感動したお大師様が、乙女に「何か望みはないか」と尋ねました。

乙女は答えました。


「私の父は、薬子の変の関係者で島流しとなりました。
当時身ごもっていた母は、男子が生まれるとその子も咎めを受けるため、
女子が生まれますようにと願いをかけ、この地で生まれたのが私です。
亡き母に代わって観音様にお祀りし、仏門に入って精進したい」


薬子の変とは・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%AD%90%E3%81%AE%E5%A4%89


弘法大師は千手観音像を彫り、乙女を得度させて灌頂を授けさせました。

すると乙女はたちまち即身成仏し、千手観音菩薩に変化したそうです。

このことを時の天皇、嵯峨天皇に伝えた空海は、彫りあげた千手観世音を南向きに、

乙女が即身成仏した千手観世音を北向きに安置しました。

ご本尊が2体あることになります。珍しいですね~~


11i切幡寺⑤

切幡寺で出会ったおじさま。 今お参りをしている方ですね。

「この景色がいいんだ」 というので振り返ると、

11i切幡寺⑥

桜とか、庭とか、大塔が眺められて、確かに絶景でございました。

眺めはいいですが、時間は切羽詰まっているので、また階段を下ります・・・


次の札所へ、まだまだ春うららな徳島編は続きます(・◇・)ゞ

●春うららな徳島 第11番札所 藤井寺
http://blog.livedoor.jp/aiiropubinfo/archives/19582033.html



藍色工房【徳島ラーメン】

第7番札所の十楽寺の次は、8番札所の熊谷寺です☆

でもその前に・・・腹ごしらえだっ!ということで、徳島ラーメン屋さんを探しました。

残念ながら店名は覚えてないうえに、結構な人気店のようで、お客さんもたくさんいたし、相席だし、

ゆっくり食べる暇もなく写真も撮れなかったです・・・

そんなわけで、写真は別のお店で食べたときのものです(。・ω・)ノ゙

でもおいしかったです!!


はい、では満腹になったところで、熊谷寺へいざ~

徳島県阿波市土成町にある熊谷寺、緩やかな山の斜面に位置しています。

周りは古い農家などが点在し、昔は遍路宿であったであろう名残が残っています。

・GoogleMap 熊谷寺
http://goo.gl/maps/ngTF0

藍色工房 【熊谷寺⑥】

弘法大師空海が、この地のさらに山奥、閼伽ケ谷(あかがだに)にて修行中のこと。

紀州の熊野権現を感得された際に、「衆生済度の礎とせよ」とのお告げと共に

観世音菩薩を授かったのが始まりです。


駐車場からは塔が見えます。

どの塔だったか記憶がさだかではないのですが、おそらくこちらは多宝塔だと思います。


藍色工房 【熊谷寺①】

こちらは、山門を過ぎたところに駐車場があるので、残念ながら仁王門を見過ごしてしまいました。

仁王門は徳島県の指定文化財で、四国一とも言われています。


駐車場に車を止めて歩いていくと、中門があります。

提灯に明かりが灯ると雰囲気があってきれいです♪


藍色工房 【熊谷寺②】

桜はほとんど散りかけていました。

他のお遍路さんも残念そうに葉桜の写真を撮っていました。

藍色工房 【熊谷寺③】

階段を上がるお遍路さん。

足腰が弱い人も、手すりや錫杖を頼りに上りきります。

藍色工房 【熊谷寺④】

こちら、本堂。

一休みできるように、ベンチまで設置されています。

ありがたい心遣いですね.。゚+.(・∀・)゚+.゚


昭和2年に火災で焼失した本堂は、第2次世界大戦で中断されつつも、昭和46年にほぼ完成を迎えます。

ご本尊も新造され、無事開眼法要を迎えました。


本堂からまた少し階段を上ると、大師堂があります。

この大師堂に安置されている大師坐像は、室町時代のもの!

もちろん、こちらも県の指定文化財です。

なぜか写真のデータがなくて・・・済みません。


普段運動不足な私たち、そろそろ階段の上り下りや長い参道が辛くなってきました。

でも、この時は10番札所と11番札所が、あんなに苛酷だとは知る由もなかったのです・・・

車お遍路は計画的におこないましょうね☆


では、次回へ続きます。

●第9番・10番札所 法輪寺&切幡寺
http://blog.livedoor.jp/aiiropubinfo/archives/19243777.html

11g十楽寺①

春のポカポカした陽気の中、車お遍路の一行は第7番札所までやってきました。

徳島県阿波市土成町の、光明山(こうみょうざん) 十楽寺(じゅうらくじ)です。

・GoogleMap 十楽寺
http://goo.gl/maps/7q7DO


ご本尊は阿弥陀如来。

弘法大師がこの地に逗留されていた際に阿弥陀如来を感得し、ご本尊を刻んだのが始まりだそうです。

今の場所よりも3キロほど北の地点にお寺があったと推測され、広大な伽藍を誇っていました。

※伽藍(がらん)とは、僧侶が修行をおこなう清浄な場所で、寺院内の主要建造群を指します。


ところが、またまた長宗我部元親の兵火にあったため、建物はことごとく焼失しました。

当時のご住職はご本尊を背負って逃げ、何とか難を逃れましたが、

経本を背負わせて逃がした弟子が、追ってきた兵の弓矢の標的になったのです。

背負っていた経本を置いて逃げることで、弟子は何とか助かりましたが、経本は焼失してしまいました。

現在その跡が、経塚として残されています。


約百年後に今の地に再建されたそうで、明治時代には本堂、その後に大師堂や書院なども整えられました。

宿坊もあるので、歩き遍路さんは要チェックですね!


駐車場に車を置いて山門に向かうのですが、こちらはとにかく桜がきれいでした!!

11g十楽寺②

葉桜が見ごろで、風がそよぐと桜の花びらがヒラヒラヒラ・・・・

あはは、うふふ。

見てごらんよ、桜だよ。

と、はしゃぐ女子もいれば、冷静に写真を撮る女子もいる。

11g十楽寺③

こちらの桜は、まさに満開でした。

11g十楽寺④


さて、本堂です。

平成6年に完成した、とても立派な木造の本堂。

11g十楽寺⑦

奥まったところに大師堂があります。

ちょっとこじんまり。

なぜか、写真のデータがバグをおこしてしまい、下の方が欠けています(´?д?;`)

IMG_1442


まさに春うららな光景をやっと紹介できましたね(笑)

この辺りから、写真を撮る枚数も増えてきたので、いっぱい載せられるかと思います(☆゚∀゚)

11g十楽寺⑤

お寺の歴史を調べていると、ことごとく長宗我部元親の被害にあっているみたいで、

ちょっとその辺の歴史も気になり始めました・・・☆

それでは、また次の札所に進みましょう♪

●第7番札所 十楽寺
http://blog.livedoor.jp/aiiropubinfo/archives/19040975.html

藍色工房 【地蔵寺①】


引き続き、四国八十八ヶ所シリーズです。

4番札所からは、南に車で5分ほど~

第5番札所、無尽山(むじんざん) 地蔵寺(じぞうじ)に到着しました♪


・GoogleMap  地蔵寺
http://goo.gl/maps/PJ8Uj


嵯峨天皇の命で、弘法大師が勝軍地蔵菩薩を彫られ、ご本尊となりました。

勝利のご利益があると言われるこちらのお地蔵さんには、武将も多く寄進していて、

寺の領地もどんどん広がっていったそうです。

源平合戦の屋島戦で有名な源義経や、彼の兄である源頼朝も、こちらのお寺に深く縁があるそうですよ。


藍色工房 【地蔵寺③】

こちらが本堂。

藍色工房 【地蔵寺④】

勝軍地蔵菩薩を信仰する武将たちの多くの寄進により、寺の領地は拡大していきました。

多くの塔堂が建てられていた地蔵寺ですが、例によって長宗我部元親の兵火により、

ことごとく灰になってしまったそうです。

その後、関係者の尽力により整備が再三行われ、今でも寺領は12000坪にも及びます。

本堂の奥の階段を上ると、200体の羅漢が並ぶ羅漢堂があります。

時間がある方はぜひのぞいてみてください。


藍色工房 【地蔵寺②】

境内には、弘法大師空海がお手植えされたという、巨大なイチョウの木があります。

春だったので葉っぱは散ってしまって枝だけでしたが、ぜひ秋に来たい!と思ってしまうほどです!

ちょうど10月~11月ごろが銀杏の見ごろかと


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

さて、その後は6番札所の温泉山(おんせんざん)安楽寺(あんらくじ)に向かいました。


・GoogleMap  安楽寺
http://goo.gl/maps/3gQmi


藍色工房 【安楽寺①】

ご本尊は薬師如来で、難病を治す仏様として信仰を集めています。

実際、今のご本尊の薬師如来像は、愛知県の水谷さんという難病に苦しんでいた方が、

お遍路により快癒したことの御礼として納められているそうです。


こちらは宿坊を備えたお寺で、山号のとおり古くから温泉が湧き出ていました。

阿波藩主祖の蜂須賀家政公により、お遍路さんのお接待のための設備が整われ、

以来400年の歴史をもつ宿坊です。

天然温泉のある宿坊で、お遍路さんは疲れを癒していたのですね~

藍色工房 【安楽寺②】


さて、こちらの安楽寺、門の前に注意書きがありました。

「商業目的の撮影は固くお断りします」

ガイドブックによると、あまりに庭園が美しいのでそのような注意書きがあるとのことでしたが、

早とちりした私たちお遍路一行は、写真一切厳禁と勝手に勘違いしてしまったのです(笑)


そんなわけで、この安楽寺だけは写真がありません。

門を出る際に撮影したこちらのみ・・・

藍色工房 【安楽寺③】

左側にある多宝塔など、確かに植木や庭石の配置などがとても美しい!!

これは思わず写真を撮りたくなるのが分かります。

公式ホームページの写真が非常にきれいですよ。

安楽寺 公式ホームページ
http://www.shikoku6.or.jp/

ただ、あとから考えたら商用利用するわけでもなかったので、写真を撮っておけばよかったと後悔・・・です。


では、次の札所へ~

まだまだ続きます♪

●第7番札所 十楽寺
http://blog.livedoor.jp/aiiropubinfo/archives/18764886.html

藍色工房 【大日寺②】


第3番札所の金泉寺からは、車で20分ほどで到着!

徳島県板野郡板野町の、第4番札所 黒巌山(こくがんざん)大日寺(だいにちじ)です。


・GoogleMap  大日寺
http://goo.gl/maps/AfC2G


両側を山にはさまれ、ひっそりとした場所にあります。

沢もあって、空気もきれいで、下界の喧騒など感じさせない場所です。

門前の駐車場からは、鮮やかな花畑が眺められました.。゚+.(・∀・)゚+.゚

藍色工房 【大日寺⑥】


朱塗りの鐘楼門、迫力があります。

こちらの鐘楼門は、門の部分が角柱で、2階部分が円柱となっている、珍しい造りらしいです。

藍色工房 【大日寺①】


弘法大師がこの地で修行中、大日如来を感得されました。

刀で大日如来像を彫ったものを本尊として建立されたのが、この大日寺です。

修行で御仏を感得されるのもすごいですが、その後さくっと仏像を彫ってしまう空海もすごいですね(笑)


その後、伽藍の風化などが激しく、何度か修復されています。

阿波藩主の蜂須賀家は代々大日如来を厚く信仰してきたようで、寺塔などの大修理が行われました。


藍色工房 【大日寺③】

大日寺の本堂です。


梁などにお札が貼られていますよね?

「千社札」と呼ばれ、江戸時代くらいの役者たちが、自分アピールの名刺代わりにファンの人に配ったとか。

そして、ファンが役者の人気が出るように、参拝したお寺や神社の柱などに貼ったことが、この習慣の始まりという説があります。


参籠(さんろう)という、お寺に宿泊をする参拝をおこなえない場合、お札を張っておくと参籠と同じようなご利益があると言われてきました。

日帰りの方・・・特にお遍路さんは次々に巡礼しているので、宿坊に留まらない場合は千社札を貼って次の札所に向かったこともあるのでしょうね。


決して、無断で貼ってはいけません。

観光地化した神社仏閣では、真新しいシール状のお札をよく見かけます。

とってもマナーが悪いです。やめましょう。

大体、「自分の名前を書いた紙をお寺の柱に貼る」という行為は、軽々しく行うものではないのですから・・・


もっとも、〇〇文化財と称される場所も多いですから、おいそれと貼れるものではありませんね。

うかつに貼って「ごめんなさい」では済まされません。


藍色工房 【大日寺⑦】

本堂のすぐ横に桜の木があり、支えられながら庭に枝をのばしています。

花と若葉のコントラストがとても美しい季節でした・・・

藍色工房 【大日寺④】



藍色工房 【大日寺⑤】

こちらが、大師堂です。

本堂の右側に位置しますが、逆に左側には通夜堂という建物があったそうです。

先々代のご住職の頃、ハンセン病のお遍路さんをこちらで厚く接待したことが有名です。


お遍路のスタイルができあがってからは、色々な事情の方が四国に渡ってきました。

これらはまたおいおい触れることもあるかもしれませんが、ハンセン病の患者もそのうちのひとつです。

今は治療できる病気ですが、昔は「不治の病」「伝染病」ということで、病気が発覚した段階で、ひっそりと四国に送り出されることもあったそうです。

先々代というと、時代は明治時代くらいでしょうか?(当てずっぽうなので分かりません)

まだハンセン病への理解が、完全ではなかったころかと思います。

あてのない旅を続けてきたお遍路さんにとっては、心のよりどころだったのでしょうね。



では今回はこの辺で。まだまだ続きます☆

[続きはコチラ ↓ ]
http://blog.livedoor.jp/aiiropubinfo/archives/18517673.html


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