藍色工房(あいいろこうぼう) オフィシャルブログ

自社農園で藍を育て、藍の石鹸や藍染め雑貨を製造販売している四国の小さな工房からスタッフみんなでお届けします。
スキンケア、アロマテラピー、藍染め、薬草、四国の素敵&面白情報をぼちぼち更新いたします♪

タグ: 空海

g延命寺1

こんにちは、スタッフ太田です。
ずいぶん久しぶりのお遍路メモリアルレポです(^^;)


第53番札所の円明寺を出発してすぐ、第54番札所の延命寺に到着しました。


そういえば、53番も「えんめいじ」と呼ぶお寺ですね。

行基菩薩が開創したと言われる、54番の延命寺は、建立の約100年後に空海によって再興し、

当時の嵯峨天皇の勅願所としました。

その際に、同じ漢字の「円明寺」が使われたのですが、やはり混同することが多かったようです。

明治時代になって、やっと「延命寺」と改名されました。

両方とも、似たような時期に空海が命名しているんですが、なぜ混同する名前にしたんでしょうかね・・・

g延命寺2


何度か火事にあって再建されている延命寺ですが、現在の山門には、今治城の城門が使われています。

ご本尊も消失の危機を乗り越えて今に至っているため、火伏せ不動尊という尊名で呼ばれています。

ちなみに、平成28年になりますが、ご本尊のご開帳を予定しているそうですよ♪

g延命寺3

余談ですが、近いうちにご本尊を拝見しに、とある霊場に向かいます(^^)

合間にレポート記事を書いていきますので、ぜひお楽しみに~


c明石寺1

お久しぶりのお遍路ブログです。

もう2年も前のことなので、思い出すのに必死です(笑)



第42番札所から、車で30分ほど北上すると、第43番札所の明石寺(めいせきじ)に着きました。

・GoogleMap 明石寺
http://goo.gl/maps/jvUOQ

「めいせきじ」という名前ですが、古くは「あけいしじ」と呼んでいたそうです。


「宇和旧記」によると、18・9歳くらいの娘さんが、重そうな大石を軽々と運んでいたところ、

このお寺付近まで来たときに夜が明けてしまい、置き去ったそうです。

その乙女は千手観音菩薩が化身したものと思われ、この場所は古来より崇拝されてきました。

空海がこの地を訪れる300年近くも前に、すでに天皇の勅命により伽藍が建てられていて、

その後も、熊野からやってきた行者の修行場として栄えていました。


弘法大師がこの地を訪れた際には、伽藍堂宇が荒廃していたようで、その時の嵯峨天皇からの

勅命で、お寺の再興に努めました。

c明石寺2

こうして四国霊場のひとつになったのですが、またもや鎌倉時代には荒れ果て、その際に修復を

おこなったのが、源頼朝です。

若かりし頃に平家にとらわれた頼朝を救った、池禅尼(平清盛の継母)を弔うため、

阿弥陀如来像を奉納し、経塚を築きました。

その際に、山号であった「現光山」を、「源光山」と改められました。

以後、武士からの信仰が厚く、室町時代には西園寺家、江戸時代には伊達家の祈願所となり、

末寺は70以上あったとされます。


お堂の横に、井戸がありました。
↓ ↓ ↓
c明石寺3

詳しい説明がなかったのですが、「弘法井戸」というものがあるそうで、それではないかと思います。

空海にまつわる水の話はとても多く、何か伝説が残っているのではないかな~と信じています。


あと、夫婦杉も。
↓ ↓ ↓
c明石寺4

これも説明が(以下同文)のため、憶測でしか語れません・・・

元々一本だったのが分かれたか、二本だったのが一本になったのか。

c明石寺5


さて、お参りを済ませ、次の札所へ!

次は、記念すべき・・・44番ですよ。やっと半分♪
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b仏木寺1

朝の8時過ぎです。

長期お遍路の2日目、最初の龍光寺からは、車で10分もかからずに次の霊場に着きました。

同じく愛媛県宇和島市の、第42番札所、仏木寺(ぶつもくじ)です。

・GoogleMap 仏木寺
http://goo.gl/maps/tqkE2

b仏木寺2

こちらには、家畜の安全祈願をする、家畜堂というのがあります。

弘法大師がこの地で修行しているとき、牛を引く老人に出会ったそうです。

勧められるがままに牛の背中に乗ったところ、近くの楠の梢に光るものを発見しました。

それは、唐から帰朝する際に三鈷杵とともに投げたといわれる、宝珠だったのだそうです。

この地が霊地であると感得された大師は、楠で大日如来を彫り、堂宇に本尊として納めたのが、

仏木寺の始まりだそうです。

b仏木寺3

もともとは、農耕の牛馬などの安全祈願がメインだったようですが、最近は一般のペットの供養や

闘牛関係者への信仰も広まっているそうです。


そういえば、宇和島には「牛鬼」という伝承があります。

全国各地に伝わる牛鬼伝説の中で、愛媛県の伝承は特に知られているんだそうです。

顔が牛で体が鬼、またはその逆だったり、体が蜘蛛の牛鬼もいて、

家畜や人を襲って食べたり、たたりを起こしたりする妖怪、とされています。


毎年7月には「牛鬼まつり」というのが開催されます。

・宇和島牛鬼まつり公式ホームページ
http://ushioni.gaina.ne.jp/

空海を背中に乗せた牛とのつながりはないんでしょうけど、伝承好きの私としては

ぜひとも行ってみたいところです(^^)


ご朱印をいただいて帰る途中、七福神に出会いました。

各々ポカリスウェットのお供えが添えられていて、なんともいえない(笑)

b仏木寺4

ところで、まだ朝8時過ぎなんだなぁ・・・

と、やはり人っ気のないお寺を眺めて思うのでした。

9時を過ぎると、観光に来た方や団体お遍路さんがお参りし始めますからね。


さて、スッキリしないお天気で肌寒いですが、次のお寺へ参りましょう!

d延光寺1

いよいよ、高知県最後の霊場にやってきました。

38番の金剛福寺からは、車で2時間弱ほどのところにある、39番札所の延光寺です。

・GoogleMap 延光寺
http://goo.gl/maps/sxlpx

愛媛県の宇和島との境目にあたる、宿毛市という場所で、ここはだるま夕日がきれいに見える

おススメのスポットです。


聖武天皇の勅命により、行基菩薩が建立したと言われていて、

安産・厄除け祈願の薬師如来がご本尊です。

薬師如来があらわれる前の前兆にちなみ、亀鶴山という山号でしたが、平安時代の中期に、

梵鐘を背負った赤亀が竜宮城からやってきたという伝説が残っていて、それ以降は

赤亀山(しゃっきざん)という山号に変わったそうです。

d延光寺2

時代は前後しますが、弘法大師が訪れた際、錫杖で地面を突くと霊水があふれだしたそうで、

今では「眼洗い井戸」として残っています。

眼病に効くとされている井戸で、目の病気を患っているお遍路さんが多いそうです。



延光寺で、高知県の霊場は打ち終わりました。

一か所一か所が長く、歩きお遍路さんにとってはまさに苦行・・・


足摺岬は四国の端っこにある霊場なので、車お遍路をするときは、一泊することを踏まえて

続く霊場をまわってこよう!と決めていました。


高知県をあとにし、愛媛県・・・伊予の国に向かいます。

時刻は16時半前。

40番札所を目指します。

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g雪蹊寺1

眺めのよい禅師峰寺をあとにし、浦戸大橋を渡り、雪蹊寺(せっけいじ)にやってまいりました。

住宅街の中にあり、交通量も多いので、運転の際はご注意を。

・GoogleMap 雪蹊寺
http://goo.gl/maps/ZGrJH


雪蹊寺は、空海がひらいたときには真言宗で、「高副寺」という名前でした。

その後、廃寺となっていたところ、土佐の領主となった長宗我部元親が再興し、

彼の宗派である臨済宗のお寺となりました。


元親の死後、家督を継いだ四男の盛親が、長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号である

「雪蹊恕三」から、寺名が「雪蹊寺」と改められました。

隣には奏(みなと)神社があり、明治の廃仏毀釈の際には、雪蹊寺の代わりに長宗我部家の

弔いをしていたそうです。


本堂の裏手には、元親の長男である信親のお墓があります。

g雪蹊寺2

元親から寵愛され、信頼され、おそらくは家督を継ぐであろうと言われていた信親ですが、

豊臣秀吉の命で九州討伐に向かい、22歳の若さで討ち取られました。

信親を溺愛していた元親は、あまりの出来事に悲しみ、信親の娘を自身の四男の盛親に嫁がせ、

信親の血統を継がせていこうとしたくらいです。


現在、長宗我部家は17代目となっていて、今の当主さんはブログもされています。

長宗我部友親の雑ログ ~17代当主の日々徒然~
http://chosogabe.blogzine.jp/blog/

雪蹊寺を訪れる際には、長宗我部家の歴史に触れておくと、面白いかもしれませんね。



ちなみに、昨年の秋に雪蹊寺を訪れたときは、イチョウが全盛期でした!

詳しくはこちらのブログにて♪
http://blog.livedoor.jp/aiiropubinfo/archives/20656490.html

季節によって、色んな風景を楽しめます♪


a神峯寺1

さて、日付は変わり、世間的には夏休みに突入した7月中旬です。

引き続き前回の続きから霊場を巡ります。


第27番札所 神峯寺(こうのみねじ)にやってまいりました。

・GoogleMap 神峯寺
http://goo.gl/maps/t5dY9

こちらのお寺の古さは霊場屈指のもので、在位201年~269年(あたり)の神功皇后の時代、

勅命により「天照大神」などをまつる神社として建てられたのが起源だそうです。

実在性について論議されるほど、神話の世界の方の時代・・・相当な歴史がありますね。


その後、行基菩薩が天皇の勅命により「十一面観音像」を彫像し、神仏合祀をおこないました。

弘法大師も伽藍堂を建立し、「観音堂」と名付けられたのが、809年ごろのことだそうです。


ところが、明治新政府の神仏分離令により、天照大神が主神の神峯神社だけが残り、

ご本尊の十一面観音像は26番札所の金剛頂寺に預けられました。

ここで一旦、神峯寺は廃寺となったのです。


明治中期にお堂を建立し、ご本尊も帰還することができ、霊場寺としては復帰しました。

が、当時寺格がなかったため、大正元年にやっと、他のお寺から地蔵院を移すなどして、

認可を得たそうです。


・・・・お疲れ様でしたっっっ!!!!

a神峯寺2

鐘楼の裏手には、清らかな水が流れております♪

その昔は急な斜面を登る難所だったので、こういう場所で癒されていたのでしょう。

私もいただきましたが、とても冷やっこくておいしかったです。

a神峯寺3

きれいに整備された庭園を眺めながら、本堂へ・・・


こちらの神峯寺、あの岩崎弥太郎のお母さんが参拝した、有名な場所なんだそうです。

息子の出世を祈願し、お住まいから片道20キロ・・・しかも当時、整備などされていない難所を、

裸足で21日間通い続けたとのこと。

・・・裸足で!?

息子さん・・・弥太郎さんはその後見事出世され、三菱財閥を作り上げましたね!

お母さんすごいです。


また、明治30年には難病により病院から見放された女性が、夫とともにこの地を訪れ、

何と奇跡的に病気が完治したそうなんです。


苦行をつんだ人には何かの「おかげ」がある場所なんでしょうね・・・

a神峯寺4

そんな神峯寺。

庭園には様々な植物が植えられ、どの季節に行っても景色を楽しめそうです♪



g金剛頂寺1

やってきました。

通称、西寺と呼ばれる第26番札所の金剛頂寺です。

・GoogleMap 金剛頂寺
http://goo.gl/maps/uDdt0


室戸岬の最御崎寺に対し、西にある行当岬という小さな岬にほど近いため、

「西寺」とも呼ばれます。

若かりし頃の弘法大師がよく修行をした地のひとつで、行当岬といわれるのも、

空海が当時そこに建てられていた不動堂から、毎日行き来していたことが所以かもしれません。


当時、ほとんどのお寺は女人禁制でした。

ですので、女性はこちらの不動堂からお参りをしていたそうです。


平城天皇の勅願で建立されたお寺は、当時は金剛定寺と呼ばれていました。

次の嵯峨天皇が「金剛頂寺」という勅額を奉納され、現在の名前に改められました。

そのまた次の淳和天皇も信仰が厚く、第10代目の住職までは、勅命による選出だったそうです。


昭和になってから建てられた宝物殿、「霊宝殿」には、弘法大師が修行の旅の間に身に着けていた

金銅旅壇具などの遺品をはじめ、多くの重要文化財が収蔵されています。

ゆっくり見る時間がないのが惜しい・・・!!


さて、そんな素晴らしいお寺にいつつも、ここで撮影した写真は本堂のみ。

ショックです・・・っ!

何かの拍子に消えてしまったのかもしれませんが、ショックです!!

鯨の供養塔とか、弘法大師伝説のある釜とか、色々あるのに。



写真がなくてさみしいので、ここからは、スタッフ太田がおすすめするランチ屋さんの紹介です☆


金剛頂寺を下り、高知市内方面に少し行くと、キラメッセ室戸という道の駅があります。

お食事処と、お土産物屋さんと、鯨資料館が併設されている魅力たっぷりのところです。

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キラメッセ室戸
http://www.kiramesse-muroto.jp/

・GoogleMap 
http://goo.gl/maps/UdGFc

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旅の楽しみと言えば、ご当地のお食事。

こちらは、近くを通るたびにほとんど寄るくらい、お気に入りのお店です。


まずは、鯨肉の竜田揚げ。
↓ ↓
g金剛頂寺2

野菜たっぷりのちゃんぽん。
(携帯電話は、大きさ比較のために置いています。大きいんです・笑)
↓ ↓
g金剛頂寺3


生鯨肉のユッケビビンバ。
↓ ↓
g金剛頂寺6

極太です!鰹の土佐巻き
↓ ↓
g金剛頂寺5

おすすめ!海の幸たっぷりのぺっぴん海鮮丼
↓ ↓
g金剛頂寺7

土佐といえば!鰹たたき定食
↓ ↓
g金剛頂寺8


たくさん食べる男の人も満足♪なボリュームです。

もし室戸方面に行く機会がある方は、ぜひ立ち寄ってみてくださいね☆

d御厨人窟1

徳島県の札所を全てお参りし、さぁいよいよ高知県です!

しばらくの間は、延々ドライブです。

時々海が見えたり、山道をぐねぐねしたり、とにかく次の札所がある室戸岬までは、
県道55号線しかありません。

信号も少なく、スピードをあげる車も大変多いので、注意ポイントのひとつです。

※事実、過去にこの道中で2回ほど大事故を見かけたことがあります。

長距離の運転、ご注意くださいね!


さて、次の札所と言いたいところですが、その前に外せない場所があります。

室戸岬の手前に、このように開けた場所があります。

d御厨人窟7

ブログのタイトルで、何て読むの?と思った方もいらっしゃると思いますが、

こちらは、御厨人窟といい、「みくろど」と読みます。


洞窟が二つあるのが分かりますよね?

激しい波によって浸食されてできた、海蝕洞(かいしょくどう)なんです。

d御厨人窟4

向かって左側が、御厨人窟(みくろど)で、

修行中の弘法大師が居住していた場所と言われています。

d御厨人窟5
※お遍路中に巡った時は、落石が防止のコーンが立てられていたので、
別の旅行中の写真を用意しました。↑ ↑

もちろん、中に入ることができ、かなり神秘的です☆

ここが自然にできた場所だと思うと、なおさら!

想像以上に広く、星のない夜空を見上げているような、無限の空間を感じます。

ここから眺めた風景が、空と海のみで、「空海」という法名を得たそうです。

d御厨人窟6

d御厨人窟2

右側の洞窟は神明窟といい、修行はこちらの洞窟でおこなわれていました。

難行の末に、明星が口に飛び込んできて、悟りをひらいたとも言われています。


ちなみに、洞窟には祠が祀られていて、それぞれ、

御厨人窟・・・大国主命

神明窟・・・大日孁貴(天照大神)

となっています。


近くに「ホテル明星」というお宿があり、そこから眺める朝日は格別です。

私が以前宿泊した時は、残念ながら曇り空でした・・・

d御厨人窟8

御厨人窟ではご朱印もいただけますので、ぜひお遍路中の方は立ち寄ってみてくださいね♪

以上、写真をかき集めた(笑)お遍路シリーズ番外編でした。

観音寺③

国分寺をあとにしてやってきたのは、第16番札所の観音寺。

・GoogleMap 観音寺
http://goo.gl/maps/aHSao

まわりに民家や商店が立ち並ぶ、こじんまりとした佇まいのお寺です。

聖武天皇の命により建設された、国分寺の道場だったという由来があります。

その後、弘法大師がこの地を訪れた際に、ご本尊の千住観世音菩薩像などを彫像され、

現在の「観音寺」と名付けられたそうです。

観音寺①


ご本尊の脇を固める仏様として、不動明王像や毘沙門天像なども彫像されました。

また、太正の兵火により焼失後、蜂須賀家により再建されたことなど、

お寺に保管されている「観音寺縁起」に書かれているそうです。

観音寺②

大正時代のことなので、わりと最近のお話ですが、

高松伊之助さんという盲目の方が、両親に連れられてお遍路をしている際に、

こちらのご本尊のご利益により、目が見えるようになったと語り継がれています。



では、次の札所へ・・・

第17番札所の井戸寺です。

・GoogleMap 井戸寺
http://goo.gl/maps/9zvvx

古代阿波の中心だったこの地に、天武天皇の勅願道場が建てられました。

当時は、妙照寺という寺名だったそうです。

井戸寺①

弘法大師が修行のために訪れた際に、村民が水不足や濁り水に悩まされていました、

自らの錫杖で井戸を掘ったところ、一夜にして清水が湧き出したそうです。

その所以から、この地は「井戸村」となり、寺名は「井戸寺」と名付けられました。

井戸寺③

仁王門がとても立派です。

徳島藩主の蜂須賀家別邸から移築されたもので、両側の仁王像と背中合わせになるように、

お寺側からは巨大なわらじを見ることができます。

井戸寺②

本堂と大師堂も近く、こちらもこじんまりとしたお寺です。

お遍路さんの団体さんがいました。

それにしても、空が青い・・・

井戸寺④

納経所近くの池には鯉がいました。

手前の鯉は、餌を求めていますね。

井戸寺⑤

いい天気ですー。

そろそろお昼時なので、どこかでご飯を食べて、また出発します。

11k焼山寺①

車お遍路で巡ってきました、徳島の一日目。

いよいよ最後のお寺、焼山寺に到着です。

・GoogleMap 焼山寺
http://goo.gl/maps/7NVm0


長かった・・・長かったぜよ!!(←なぜか高知弁)

そもそも、11番札所の藤井寺から迷わずに行けたらの話で、所用時間は1時間50分かかる場所。

初めての、しかも山の中の道で、霧が立ち込めてくる中で、まともにたどり着ける気がしない・・・

でも頑張りました。

頑張って、5時55分くらいには駐車場に到着!

おお、まだ社務所が空いている時間ではないか!


※ここからは写真を撮影するという悠長な時間はございません。


お遍路ガイドブックによると、駐車場から山門まではかなりの道があるようでした。

なにせお遍路難所の5本指に入る場所、最後まで立ちはだかります。

ひとまず、一番体力に自信があった私が、4人分の納経帳を抱えてダッシュ!!


ひたすら・・・それはもうひたすらダッシュ! 

砂利の上り坂を必死で駆け抜ける!  


なんでこんな時にブーツなんかはいてきたんだ私!!!

と恨めしくも思いながら、山門に到着。

走りながら脱帽&お辞儀でくぐる(←めっちゃ失礼)と、すぐに社務所発見。


すいまっせーーーーん!!!


もう鍵をかけて退所する寸前のお坊さん発見。

ああ、すごい迷惑なお遍路さんになってしまった・・・

これがまたお優しいお坊さんでね!!

明らかに時間ぎりぎりにやってきたのを分かってくださって、先にご朱印をいただくことになりました。

※普通はお参りを済ませてからです。


4人分のご朱印をいただくころには、後からやってきたメンバーも合流。

本日最後のお参りをしに、本堂へ向かいました。

11k焼山寺②

誰もいない境内。

霧もたちこめてきて、まさに霊域。

ちなみに焼山寺は、標高720mくらいだそうです。


無事に本堂と大師堂のお参りを済ませ、下山します。

もう急ぐ必要がないから、ゆっくりね。

11k焼山寺③

見渡すと、どれも立派な大杉ばかり。


焼山寺は、徳島県名西群神山町のにあります。

標高938mの焼山寺山の8合目あたりに位置するこのお寺は、なんと飛鳥時代が起源だそうです!

役行者が山をひらいて蔵王権現を祀ったのが、お寺の始まりとされています。

この山には、魔の力を持った大蛇が棲みついていて、火をはいて人に危害を加えることがありました。

空海がこの地を訪れたときも大蛇があらわれ、山を火の海にして襲いかかってきたそうです。

摩廬(水の輪という意味)の印を結び、応戦しながら山頂近くの岩窟で大蛇と対峙した際、

虚空蔵菩薩があらわれて、ご加護のもと大蛇を岩窟に封じ込めることに成功しました。


その後、虚空蔵菩薩をご本尊とし、焼山となってしまったことから寺号を「焼山寺」とし、

逆に山号を水の輪にちなんで「摩廬山(まろざん)」としました。

11k焼山寺④

どんどん霧が濃くなってきました。

私、徳島で霧に遭遇することが多いです(笑)


順番は逆ですが、焼山寺の山門↓↓

迫力あるわぁ~~!

11k焼山寺⑤

そして、山門の下から階段をアオリで撮ったところ↓↓

ほんの30分前、ここをダッシュで駆け上がったのね、私。

11k焼山寺⑥

駐車場と山門との間の道のりは、細くて、でもきれいに整備されていました。

霧が晴れていれば、すごい景色が見られそうです♪

11k焼山寺⑦

5時を過ぎると、辺りも薄暗くなってきました。

石灯籠に明かりが灯るのも、幻想的・・・

11k焼山寺⑧

ごらんのとおり、駐車場には人っ子一人いません。

一人だったら絶対心細くなりますよ。

11k焼山寺⑮

焼山寺には、四国霊場の元祖、衛門三郎が終焉した場所があり、お堂が建てられています。

杖杉庵(じょうしんあん)という、お堂というよりはこじんまりとしたお寺です。

衛門三郎は平安時代初期の伊予の国(愛媛県)の人で、巡礼中の弘法大師におこなった

無礼なふるまいを謝罪したく、追いかけてお遍路の旅に出ました。

21回目の逆打ち中、焼山寺で力尽きたころ、やっと空海に会うことができた場所だそうです。


車遍路をしていると、こういう見所を逃してしまうのが難点ですね。

歩き遍路の方のブログだと、歩く目線で色々なことをレポして下さっています。

【夜空のこころぼし】
http://ichijoji.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/12-542a.html

【歩き遍路日記!!】
http://shimanto-ayu.machicom.com/2012/05/1112.php

【門前の小僧 歩き遍路日記】
http://jh5swz.exblog.jp/i12


11k焼山寺⑬

高松まで帰るのに、2時間くらいかかるかなぁと思いながら、焼山寺をあとにします。

紹介しきれなかった写真を、ヤフーブログの方でも紹介しております。
http://blogs.yahoo.co.jp/aiiro_koubou/10405379.html

こうして、お遍路初日は無事(?)終了しました。

あくまでのんびり、巡っていきます。


藍色工房 【大日寺②】


第3番札所の金泉寺からは、車で20分ほどで到着!

徳島県板野郡板野町の、第4番札所 黒巌山(こくがんざん)大日寺(だいにちじ)です。


・GoogleMap  大日寺
http://goo.gl/maps/AfC2G


両側を山にはさまれ、ひっそりとした場所にあります。

沢もあって、空気もきれいで、下界の喧騒など感じさせない場所です。

門前の駐車場からは、鮮やかな花畑が眺められました.。゚+.(・∀・)゚+.゚

藍色工房 【大日寺⑥】


朱塗りの鐘楼門、迫力があります。

こちらの鐘楼門は、門の部分が角柱で、2階部分が円柱となっている、珍しい造りらしいです。

藍色工房 【大日寺①】


弘法大師がこの地で修行中、大日如来を感得されました。

刀で大日如来像を彫ったものを本尊として建立されたのが、この大日寺です。

修行で御仏を感得されるのもすごいですが、その後さくっと仏像を彫ってしまう空海もすごいですね(笑)


その後、伽藍の風化などが激しく、何度か修復されています。

阿波藩主の蜂須賀家は代々大日如来を厚く信仰してきたようで、寺塔などの大修理が行われました。


藍色工房 【大日寺③】

大日寺の本堂です。


梁などにお札が貼られていますよね?

「千社札」と呼ばれ、江戸時代くらいの役者たちが、自分アピールの名刺代わりにファンの人に配ったとか。

そして、ファンが役者の人気が出るように、参拝したお寺や神社の柱などに貼ったことが、この習慣の始まりという説があります。


参籠(さんろう)という、お寺に宿泊をする参拝をおこなえない場合、お札を張っておくと参籠と同じようなご利益があると言われてきました。

日帰りの方・・・特にお遍路さんは次々に巡礼しているので、宿坊に留まらない場合は千社札を貼って次の札所に向かったこともあるのでしょうね。


決して、無断で貼ってはいけません。

観光地化した神社仏閣では、真新しいシール状のお札をよく見かけます。

とってもマナーが悪いです。やめましょう。

大体、「自分の名前を書いた紙をお寺の柱に貼る」という行為は、軽々しく行うものではないのですから・・・


もっとも、〇〇文化財と称される場所も多いですから、おいそれと貼れるものではありませんね。

うかつに貼って「ごめんなさい」では済まされません。


藍色工房 【大日寺⑦】

本堂のすぐ横に桜の木があり、支えられながら庭に枝をのばしています。

花と若葉のコントラストがとても美しい季節でした・・・

藍色工房 【大日寺④】



藍色工房 【大日寺⑤】

こちらが、大師堂です。

本堂の右側に位置しますが、逆に左側には通夜堂という建物があったそうです。

先々代のご住職の頃、ハンセン病のお遍路さんをこちらで厚く接待したことが有名です。


お遍路のスタイルができあがってからは、色々な事情の方が四国に渡ってきました。

これらはまたおいおい触れることもあるかもしれませんが、ハンセン病の患者もそのうちのひとつです。

今は治療できる病気ですが、昔は「不治の病」「伝染病」ということで、病気が発覚した段階で、ひっそりと四国に送り出されることもあったそうです。

先々代というと、時代は明治時代くらいでしょうか?(当てずっぽうなので分かりません)

まだハンセン病への理解が、完全ではなかったころかと思います。

あてのない旅を続けてきたお遍路さんにとっては、心のよりどころだったのでしょうね。



では今回はこの辺で。まだまだ続きます☆

[続きはコチラ ↓ ]
http://blog.livedoor.jp/aiiropubinfo/archives/18517673.html


藍色工房 【お遍路出発②】

讃岐の国で生まれた、弘法大師空海。

お大師様縁の各寺院や四国の風景を、のんびり車遍路の経緯とともに紹介してまいります♪

なにせ八十八ヶ所ありますので、長~~いお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。


☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;


車遍路しようよ。

四国は香川県在住の、スタッフ太田。

弘法大師空海の作り出した、四国八十八箇所の世界を身近に感じていながらも、

一度も巡礼したことがありませんでした。


仲間が集まり、2010年春にスタートした、車遍路。

一ヶ月に一度、軽自動車で運転を代わりながら、のんびり・・・

一年半の歳月をかけて2011年秋には88番札所の大窪寺にたどり着くことができました。


その後、なかなか高野山に足を運ぶ機会がなかったのですが、

この度やっとお礼参りの段取りができそうです。


車遍路の始まりは、桜満開の2011年4月から・・・

藍色工房【お遍路出発】

満開の桜の下に仲間が集い、いよいよ出発です。


霊場のはじまりは、徳島県鳴門市にある、霊山寺。

●GoogleMap  四国八十八箇所 第1番札所 霊山寺
http://goo.gl/maps/8o7en

四国八十八箇所は一周することに意義がありますので、実はどこから始まってもいいとか、

うるう年におこなうといいと言われている、「逆打ち」などがあります。

ですが、4人の仲間のうち、3人は初お遍路。

やはり一番札所からお参りをするのが良いですね。


お遍路を始める前に準備を済ませておきたいのが、遍路用品の準備。

白衣、袈裟、長足袋、金剛杖、すげ笠・・・

目的はやはり修行巡礼であることから、お大師様や各札所のご本尊様に失礼のないように

正装でおこないたいものです。


・参考ページはこちら
http://www.88shikokuhenro.jp/supplies.html


・・・とはいえ、素人車お遍路組は、半ば観光気分ではじまったお遍路です。

巡礼をおこなうに当たって、これだけは用意しておきたいという遍路用品。

こういったものが、霊山寺近くの「門前一番街」というところでそろえられます。

やたらスタイルのいい、お遍路姿のマネキンが迎えてくれます(笑)

藍色工房【門前一番街】


県外にお住まいの方は、通販などで遍路用品をそろえてから来られるのでしょうか?

そういったのがなかなか難しい場合、こちらの門前一番街がおすすめです。

各札所でも取り揃えていますが、他のお遍路さんもいますので、事前にそろえておきましょう。


「納札」

藍色工房【納札】

札所を訪れた証として、本堂と大師堂の納札箱へ納めます。

こちらは事前に用意をし、自身の名前や願意などを書いておくとスムーズにお参りをおこなえます。

まだ一巡目の私たちは、白。

これが回数により色が変わり、五十巡を超えると金色になります。

百巡を超えたお遍路さんは、織物の生地を使った「錦」と呼ばれる特注の納札をお使いになるようです。


「納経帳」

藍色工房【納経帳】

各札所をお参りしたしるしとして、こちらの納経帳にご朱印をいただきます。

大きさ、柄、たくさんの種類がありますので、結構迷いますよ~。

こういうの、藍染めで作ったらとてもかっこいいんでしょうね・・・.。゚+.(・∀・)゚+.゚

八十八ヶ所を共にする納経帳ですので、じっくり考えて選んで損はありません!


「御影入」

藍色工房【御影入】

ご朱印をいただく際に、御影(みえい)札も一緒にいただきます。

御姿(おすがた)とも呼ばれているのを聞いたことがありますが、ようは、各札所のご本尊を写した札です。

カラーの写真に、ご真言やご詠歌が書かれていて、どちらの札所でいただいたものか、

一目で分かるように整頓できます。

カバンの中でうっかり!なんて失礼なことのないよう、きっちり保管したいものです。

藍色工房【御影入②】



おっと、忘れてはいけないのが、お賽銭。

無事にお参りできたお礼として、必ず納められるよう用意しておくと便利です。

「ご縁」にあやかって、五円玉を用意している人が多いみたいですね。


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白衣にもならず、周りから見ればなんちゃってお遍路。

でも心はお大師様と共に!!!!

月イチ車お遍路の旅が始まったのです。


次回からは小ネタもはさみつつ、スタッフ太田が四国霊場を順打ちで紹介してまいります。

では、また・・・


・四国八十八ヶ所霊場公式ホームページはこちら
http://www.88shikokuhenro.jp/index.html


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[次回に続く...]
http://blog.livedoor.jp/aiiropubinfo/archives/16747951.html


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