2007年01月26日

月日の流れが速すぎる・・・ 5

★\( ̄▽ ̄ )/ 超!早い〜〜!!
もう今年が始まって1カ月が経とうとしています


1月の大阪が終わって、賑やかなあの雰囲気を引きずったまま過していたのですが、今はもう灯火のごとく・・・

私は燃え尽き症候群の気がありますので、今回は気を付けていました!
しかし・・・自分ではやるつもり、やっているつもりでも、何故か何もやる気が出なくて、寝不足も祟って毎日毎日子供と一緒に早く眠りにつく始末


仕事の結果も、余り順調じゃなくなってきたので、ちょっと焦ってきました。
そこで、2月の大阪も「頑張っている自分」で参加したい 
そう決意し、余り夜遅くまでは出来ないけれど、空いた時間を使って、少しの時間でも大切にして仕事しています


自信を無くさぬよう、少しでもいい結果が得られるよう・・・
そのお陰で、今週はちょっといい感じ 
やれば出来るじゃんと、自分で励ましながら頑張る私♪

頑張って頑張ってやる気の炎を燃やし続ける

                             
さあ!今日も、本業に副業に、家事に子育てに、一杯忙しいぞ(〃⌒ー⌒)/

子供達には、改めて・・・これからもよろしくお願いします
そうお願いして、早速明後日のトレーニングと来週の大阪に参加

そして、2月末の東京での大イベントに向けて、張り切ってお仕事だ〜〜〜


トラックバックURL

トラックバック一覧

1. あなたのブログはあなたにいくらの報酬を払ってくれますか?  [ 驚愕の10分間で給料を超える収入をえる方法 ]   2007年01月26日 12:48
愛する家庭を支える 主婦の皆さん。 毎日楽しくブログを更新して、 お友達と情報交換したり、 面白い動画見たり。 あなたのブログは、 楽しむだけのものですか?

コメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価:  顔   星
 
 
 
Profile
訪問者数

ゆめちゃんの歴史

今は亡き父が、親友の連帯保証人になり、親友が夜逃げした為に2000万円の借金を負う事になりました。今から約30年前・・・当時の2000万円というのは相当な額だったんです。

小学校2年生(丁度私の娘の年齢)から家族がバラバラになりました。
2人の姉も何処にいるか分からない、いつも何処かに預けられていました。
家に居る時には、必ずヤクザのような借金取りが押しかけて来て、いつも機動隊を呼んで助けて貰っていました。
たまに父母が揃うと殴り合いの夫婦喧嘩。母の叫び声と血まみれの姿・・・夜も眠れぬ日々が続き、悩みは自分の事なんかではなく、いつも家族の事という、暗く哀しい小学生時代でした。

中学に入り、私はすぐ上の姉と2人暮らしになりました。
父も母も殆ど帰って来ませんでした。一番上の姉も何処に居るのか分かりませんでした。何を食べていたかも思い出せず、一家団欒の楽しい食卓の記憶が一度もありません。
自分で簡単なお弁当を作って、毎日学校にトボトボと通っていました。
中2になった時には、大好きなすぐ上の姉も居なくなりました。
たった13歳で、とうとう1人暮らしです。お金なんて全然ありませんでした。
夜も一人ぼっちで、普通に親と暮らす友達が眩しくてたまりませんでした。

中学を卒業し、そのまま地元・●●県の公立高校に1人で通う事になりました。
その頃、京都に移住していた父が、こっちに来いと何度も言ってくれたのですが、凄く遠くなるのと、公立なので土地を移住したら辞めさせられると思って抵抗しました。
バイトをして食費を稼ぐ毎日。とても高校生の生活ではありませんでした。

二年生の時に高熱と嘔吐で死にそうになり、電話も止まっている状況で、痺れた身体で隣の家まで這って行って電話を借りた覚えがあります。
その日から、私は1人暮らしを断念し、父の元へ移住しました。
母も姉も何処に居たのか覚えていません。
何を食べてどう過ごしていたのかも・・・

高校卒業後、専門学校に入りました。助産師を目指していた私は、父の反対で看護学校へ進学が出来ませんでしたので、全く関連しない旅行関係の学校でした。
でも、全然面白くなかった・・・。英語やフランス語や、世界地理やホテル理論などの勉強は、私の医学関係への興味とは比べ物にならない位でした。
借金の上に新たに借金してまで通わせてくれた学校なので、途中で辞めるわけにも行かず、バンド活動を始めて忙しかった日々の中、ギリギリの出席日数で試験を受け、無事卒業!

卒業後はすぐに結婚の為に大阪に移住しました。
大阪では、バンド活動と就職とで大忙し!
婚約をしたまま、婚姻届も結婚式も先延ばしの状態で忙しく二年過ごしました。
そして離別・・・
京都に逃げ戻って来た私は、探し出されない様にバンドのメンバー宅に3ヶ月間雲隠れしました。
水商売をして生活費を稼ぐ日々。水商売は内緒だったんですが17歳からしてました。ラウンジも高級クラブも、コンパニオンも経験しました。

その雲隠れ時代に今の主人と出会いました。
いや、もっと前から出会っていたんです。
同じ音楽スタジオで、広そうでかなり狭い音楽業界での繋がりで、何と18歳の頃から出会っていたんです。
お互いに、出会っていても存在は知らなかった・・・。
22歳。「雲隠れ時代」にメンバーの友達として紹介されるまで、お互いに知り合うタイミングではなかったという事ですね。

今の主人と知り合ってからは、バンド活動が更に忙しくなり、お互いに夜中に無理をしないと会えない状況になってしまったので、思い切って同棲しました。
木造モルタル二階建ての2Kで家賃は28,000円。食器もテレビも何一つ買えず、全て姉や友人から貰った物で暮らしていました。
そして、7年間の同棲時代が私の第二の人生になりました。

今まで家庭・家族に恵まれなかった環境を生きて来て、初めて心から愛する人と出会いました。
その7年間にいろんな事がありましたが、支え合って乗り越えて来ました。
病気で入退院を繰り返していた父もとうとう亡くなり、それからの数年間は死人のような生活をしましたが、そこから私は再び生まれ変わり、第三の人生を生きる事になりました。

そう・・・娘との出会いです。
死んだような暗い生活をしていた私を、一気に光の世界に引き込んでくれた、救いの天使の娘。
娘がお腹に宿った日から、私はいつ死んでもいいと思っていた「命」を凄く大切に思うようになりました。
毎日生きている事への感謝を忘れずに、一秒一秒を大事に大事に過ごして来ました。

シングルマザーを決めていた私は、娘が産まれる二日前に無念?の入籍したものの、結婚したという実感も無く、ただ必死で初めての子育てをしながら、甘く優しい「母と子の時間」を大切にして来ました。

そんな馴れ初めで、主人は今も旦那・父親という自覚もなく、未だに個人単位でバンド活動に飛び回っています。
そんな中で二人目の命を授かり、同じ私の子供なのに上の娘とは違う印象を感じながら、母・私と私の姉・娘(姉)の愛をタップリ与え、ノビノビと天真爛漫に育てています。

貧乏で苦しい生活ですが、太陽の様に明るくありたい、いつも前向きに楽しく生きる私を筆頭に、同じように明るく元気一杯で生きる娘達は現在、小3(8歳)と年長(5歳)です。

これからどんな試練が待っているか分かりませんが、生きている限り必ず乗り越えられると信じて、母子力を合わせて一生懸命前向きに進んで行きます!

いつか主人が、私を大きく包む王子様となり、子供達の頼もしい父となって、私達3人の家庭に舞い戻って来ると信じて、今は私1人で娘達を精一杯守り育て上げます!