地球市民点描・麻川明(黙雷)

大衆欺瞞の弁証法から大衆啓蒙の弁証法へ 自然権なき市民法は無効である

刑罰に処せられる者がほとんど常に貧しい人々に限られているのは一体どういうわけなのだろうか? 人を無知の状態においておくことは可能であろうが、人を無知にすることは不可能である。 ひとたび何かある対象を見たとなると,見ない以前の状態へ心を戻すことはできない。 ひとたび迷いが覚めると,再び元通りにすることはできない。 人間にそのもっている知識を忘れさせたり,そのいだいている思想を忘れさせたりする方法は かって一度も発見されてはいない

【JAL123便墜落事件】乗客として乗っていた川上慶子さんの証言 (角田四郎著「疑惑」早稲田 出版社より引用)⬅︎JAL123便


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🔻➡︎転載
 2010.06.01 Tuesday

JAL123便・御巣鷹山墜落

 

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JAL123便・御巣鷹山墜落(524人死亡)は、どうも軍事がらみ(military matter)? 

<<   作成日時 : 2007/12/15 19:13   >>

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23年前の8月12日と云う事で、JAL123便特集番組があった

 今までの各報告から総合してみると、
「民間航空路相模湾上空において、信じ難い海上自衛隊・海自による、
標的機を打ち落とすという近傍・軍事演習中、

当該標的機がJAL123便尾翼に追突しこれを破壊した」が自然だ。

この証明は、高浜機長が「爆発音」と呼んだ、ボイスレコーダの
「衝突破壊音」の波形分析、及び報告されている当該標的機塗料と
JAL123便・尾翼付着塗料の一致で、極めて容易だ。
 22:53 JST 08/08/12


8・12墜落~20年目の誓い~天国にいるわが子へ フジテレビ

番組は、みやじまけん君(9才)と、その隣に居合わせたお姉さん
との関わりを中心に描かれている。二十年前の出来事とは言え、

ボイスレコーダの内容と「事件」現場空中写真は、
その凄まじさを良く伝えている。

JALの機長を始めとする操縦スタッフの奮闘、また
後部座席に陣取り最後まで乗客指導したスチュワーデス・フライトアテンダント。
そして最後を覚悟して残した乗客の遺書。
これには泣けてしまう。


ネットで調べてみると、
軍事説を含めて幅広い議論が有った事がよくよく分かって来る。

羽田離陸直後の破壊音が先ず衝撃的だ。
これは尾翼部分に受けた「破壊損傷音」だが、これを
「隔壁が弱まって内部から金属疲労が広まり」とか何とか
云っている「事故調」は、相変わらずの世迷言だろう。

この尾翼破壊損傷は、
明らかに外部衝突物による衝撃であり、
当時の日常的軍事演習に照らし合わせれば、
日本ないし米国の軍事標的飛来物によるもの、と考える
のが極めて自然だろう。

映像でもう一つ衝撃的だった事は、
事故・事件現場が、まるで大空襲に遭ったかの様に、
何もかもが焼き尽くされていると云う事だ。

これは先ず有り得ない光景だ。
報告されているように、尾翼を失いダッチロールをしながら墜落して行った
状況から考えれば、特別に炎上爆発はして居ないのだから、
相当の遺品・遺体・遺留物が有って当然だ。

それが
けん君の指とか手とかがわずか確認されている様に、また
満席に近い乗客524名の殆どが特定確認不能
と云うのも、妙な話だ。

現場近くの釣り人による目撃もあり、「 軍事焼却 」により、
JALの主翼以外全て消されたと考えるのが、これも妥当
と云うものだろう。



JAL123便の墜落と横田基地 おかしな世の中 nifty 08/2/1


「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。 ナゾの自衛隊のチームの
 ナゾの10時間の行動。かれらは なにをしていたのか。

 ピ~たんdeちゅ♪~


日本自衛隊・人命救助に急ぐ隊員を射殺!
JAL123便墜落時には、
「待機命令に反して御巣鷹山へ怪我人救助を急いだ自衛隊員1名が射殺された」
旨、当日のNHKニュースの初報では発表
してましたからね。

知らなかったです。酷い。
この命令を下した人物は逮捕されたのでしょうか?

自衛隊員とは、国家から見れば、やはり使い捨ての駒という存在であり、
命令に従わない場合、粛清が待っている
ということなのでしょうね

勿論、逮捕されません。そのまた上の上官の命令に従っただけ
ということでしょう。

彼らは、重症を負いながらも墜落時にはまだ生きていた乗客達に、
真実を語られたくなかったので、墜落現場へ到着するまでの時間を
引き延ばしたのでしょう

(この手口は、ダイアナさんのパリでの自動車事故の時にも使われました)。

後日、ネット上にアップされた資料でも
「自衛隊員1名射殺」に言及したものは幾つも見かけましたが、
マスコミはそれっきり沈黙して、
日本の未来を暗示しました。
あれから18年余の月日が経ちました。 



「圧力隔壁破損」の同時刻相模湾上空で赤い閃光を目撃しました。
本当です。
言っても誰も信じてくれないんだけどね。
ミサイルが当たったのは間違いないと思います。

ミサイルの引き金を引いた人がいるはずです。



狭い空間に三人もいて高浜(機長)さんだけ
木っ端微塵になったのはなぜですか 


コックピット部分には燃料タンクはないのに焼け爛れていた
といわれます。それは、まるで火炎放射器で焼いた跡のようであった
といいます

当時訓練に当たっていた「隈太茂津一尉」は免官となりました。
 123便 メモ



当時 突然 垂直尾翼が大破し 
不可解な「攻撃されているというSOS信号」が発信され
(JAL123便の「スコーク77」の発信) 
自衛隊機2機がスクランブル発信しました

(自衛隊のマッチ・ポンプ?)。

そのあと墜落までの数十分間 
管制塔との交信がされていて レーダーでも捕捉されています。
 
そして 空中で ナゾの爆発が2回起こり
(前後に付き添う2機の自衛隊機が目撃されています) 
とうとう 御巣鷹山に墜落。

墜落直後は 生存者はかなりいて 事故を目撃した米軍のC-130から
 日米に緊急信号がはいり アメリカ海軍の救難ヘリが 
御巣鷹山に到着し 救助活動に入りました。   
ピ~たんdeちゅ♪~


乗客として乗っていた川上慶子さんの証言
(角田四郎著「疑惑」早稲田 出版社より引用)
 

気がつくと真っ暗で油臭いにおいがした。
子供の泣き声などがザワザワ 聞こえていた。

手や足を動かしてみると足の下には空間があってブラブ ラ動かせた。
自分の体中を触ってみても、
みんな付いており、「生きて いる」と思った。

みんなはどうなったのかと思い、叫ぶと父と咲子が返 事した。
母は答えなかった。

「手や足を動かしてみ」と言われて足をバ タバタさせると、
靴が脱げそうになり左手を左足の方に伸ばした。

足首 がヌルヌルしていて「血だな」と思った。
父は私の右わきから下半身に 乗っていた。

手足は動いても体は動かない。
「助けて」と父に言うと、 
「お父ちゃんも挟まれて身動きできない。助けてやりたいけど、
どうし ようもないわなあ」
と言われた。

父が動くと、おなかが死ぬほど苦しか った。
「お父ちゃん、お父ちゃん、苦しい、苦しい。すごく痛い」
と言 っているうち、父はそのまま動かなくなった。

咲子に聞くと
「お母ちゃ んは冷たい。死んでるわ。お父ちゃんも死んでいる。」
と答えた。

左手 をのばして触ってみるとやはり冷たかった。
その後、咲子と二人でしゃ べった。

咲子は「苦しい、苦しい」と言った。
「足で踏んでみたら楽に なるかもしらんからやってみ」
と言うと妹の足の音がした。

妹はそれで も
「苦しい、苦しい。みんな助けに来てくれるのかなあ」と言うので

「 大丈夫、大丈夫。お父ちゃんもお母ちゃんも死んでしまった
みたいだけ ど、島根に帰ったら、おばあちゃんとお兄ちゃんと
四人で頑張って暮ら そう」と答えた。 

突然、咲子がゲボゲボと吐くような声を出し、
しゃべらなくなった。 

一人になってしまったと思い。
その後、朝まで意識が消えたり戻った りした。
ヘリコプターのパタパタという音で目が覚めた。

目の前を覆 う部品の間から二本の木が見え太陽の光が差し込んできた。

「生きて いるんやな」と思った。
何とか外に出て見つけてもらおうと思い努力 した。
父のシャツのタオル地が見え、
腹の上に乗っている父を左手で 押し下げた。そのとき、

父のだと思って触った手を、上の方にたどると自分の右手だと分かった。
顔の上の部品の一部をつかんで横からは い出そうとしたが、
二度三度するうち部品がずり落ち、顔とのすき間 が狭くなった。

そこで今度は両足を当てがい押し上げようと踏んばっ た。
「中学になってから慶子は根気がなくなった」と、
日ごろから言 われていた言葉を思い出し、頑張った。

人の気配がして
「生きている 人は手や足を動かして」と声がした。

足をバタバタさせると人が近寄 って来た。
ボサボサの頭、ショートパンツで勘違いされたらしく、
「男の子だ!」と言われた。 

御巣鷹山から15年、今夜のニュース23は必見


ボイスレコーダ・20年目の真実 画像


転載終わり


森永卓郎:日航123便の墜落事故と米軍救援ヘリの謎に関する新事実


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🔻➡︎森永卓郎:日航123便の墜落事故と米軍救援ヘリの謎に関する新事実


 🔻➡︎再録



 
【JAL123便墜落事故】

彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、

火炎放射器で生きたまま焼かれた

2013-08-19 14:58:03 | 放射能汚染


JAL123便墜落事故】

国家機密を守るため、特殊部隊が編成され事故処理にあたった。

123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。

殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか?

彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、

火炎放射器で生きたまま焼かれた。

待機命令に反し、人命救助に急いだ隊員は射殺された。

精神状態がおかしくなる隊員も少なくなかったという。

口外すれば家族にまで危害が及ぶと言う事を暗にほのめかされ・・

日航ジャンボ機JAL123便墜落事故(M氏の証言_完全版
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=Pf3-eJgnOkM
2011/1/8


証言を箇条書き
・13日午前4時、公式発表ではまだ発見され
 ていないはずの墜落現場に自衛隊員が既に100名程度は来ていた
・自衛隊員は人命救助よりも何かの回収を優先していた
・4~50名の生存者の声が聞こえた
・1時間後には生存者の声が全く聞こえなくなった

 

(事故概略)

1985 年8月12日 18時12分に羽田を大阪に向け離陸した

日航123便(ボーイング747型ジャンボ機・乗員15人、乗客509人、計524人)

は離陸して まもなく大島西方上空付近で機体の異常を訴え、

数十分間ダッチロールと呼ばれる異常飛行の後、18時56分すぎ、


群馬県上野村の三国山の北北西約2.5キ ロメートル、

標高1,565メートルの通称・御巣鷹の尾根に激突し炎上した。

4名の重傷生存者と520名死亡の犠牲を出した。


このとき、横田基地所属のC-130機が墜 落現場を発見し、

座間基地所属の陸軍ヘリUH-1が救助活動のため現場に入ろうとしたが、


どうした訳か(日本政府から協力を拒まれ?)、

墜落現場の真上で ロープ降下しようとしていた救助ヘリと

上空で待機していたC-130を引き返させる

という不可解な命令が出た。


米C-130は

午後7時30分に墜落場所を特定し、20分後には

横田基地に正確な墜落場所を知らせている。


自衛隊は、当日から明け方まで墜落場所の誤報を意図的に繰り返していた。
朝になって長野県警のヘリが正確に位置を確認、
生存者を発見したのも長野県レスキュー隊。
自衛隊は

それまで何かを運び出すのに精一杯)だった。(意図的誤報についての引用元

 

実際の事故機墜落現場は早くからわかっていたが、

訓練中の標的機(オレンジ色)が123便にぶつかった残骸の回収を優先

JAL123軍事破壊・軍事焼却の背景は中曽根康弘軍事指揮にあり
http://heiwarikkoku.jugem.jp/?day=20100601 より(抜粋引用)

「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。 
ナゾの自衛隊のチームの ナゾの10時間の行動。


かれらは なにをしていたのか。

狭い空間に三人もいて

高浜(機長)さんだけ木っ端微塵になったのはなぜですか 

コックピット部分には燃料タンクはないのに焼け爛れていたといわれます。

それは、まるで火炎放射器で焼いた跡のようであったといいます。


当時 突然 垂直尾翼が大破し 不可解な「攻撃されているというSOS信号」 が

発信され(JAL123便の「スコーク77」の発信) 


自衛隊機2機がスクランブル発信しました(自衛隊のマッチ・ポンプ?)。

のあと墜落までの数十 分間 

管制塔との交信がされていて レーダーでも捕捉されています。
 

そして 空中で ナゾの爆発が2回起こり

(前後に付き添う2機の自衛隊機が目撃されています) 

とうとう 御巣鷹山に墜落。


「奇跡的四人の生存」の件だが、

これは現場自衛隊員による、上官命令に逆らった「名誉ある反乱」の結果だろう。


軍事隠蔽からすれば「全員死亡」がシナリオだった筈だ。

御巣鷹山墜落現場に辿り着いた消防・救命救急及びアメリカ軍・救命救急まで

「軍事拒否」している訳だし。


自衛隊員の告白 

本当の話です。事故原因も分かっていない時期に、

私に、いずれは分かると思うんだけど

(直ぐに真の原因が分かると言う意味だったんだと思います)

...と言って話してくれた事は、


123 便の事故は、本当は○○隊が落させたんだよ

。当時訓練で標的機を飛ばしていて、それが操縦不能になって

、行方が分からなくなり、そのとき近くを飛んでい た123便にぶつかったんだ


。墜落現場には標的機のオレンジ色の残骸があったから

、誰もいないうちにヘリで回収したんだ」と。


実際の事故機墜落現場は早くからわかっており、

地元民らは救出に向かおうとしていたのに、

わざと違う事故現場を報道させ、また

地元民らにも救出に向かうことを禁止した。


日本自衛隊・人命救助に急ぐ隊員を射殺! 

JAL123便墜落時には、

「待機命令に反して

御巣鷹山へ怪我人救助を急いだ自衛隊員1名が射殺された」

旨、当日のNHKニュースで発表

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 🔻➡︎追記

これもまた鋭い資料だ!!!


]2007年08月27日
●衝突6分前から気付いていた操縦クルー(EJ第1056号)
 JAL123便の操縦クルーは、

謎の飛行物体にぶつかる少し前に気がついていたのではないか

と思われるフシがあります。

 

JAL123便が羽田空港を離陸したのは、午後6時12分のことです。

そのまま順調に飛行を続け、水平飛行に移行した午後6時18分過ぎ、


右側に富士山と江ノ島が見えます。高度は、約3500メートル。

富士山と眼下の相模湾が一望できる風光明媚な場所で、

この場所を飛行するパイロットたちがホッと息をつく瞬間だそうです。
 

そのとき、右前方から奇怪な飛行物体が飛行機に近づいてきたのです。

あり得ないことであるだけに、操縦クルーに緊張がはしります。


「危ない!衝突する!」
 

それとほぼ同時に、座席中央部分の最後部から5番目に座っていた小川哲氏

(当時41歳)も、その飛行物体に気がつき、

それをカメラに収めているのです。


この写真は、JAL123便事件の謎を解く、

唯一の貴重な物的証拠として後世に遺ることになる

です。

(抜粋引用終了)

 

 

加藤紘一氏(当時の防衛庁長官)、

 事故当夜、現場の上空まで行っていた!!

 遭難者を救助する前に、

 自衛隊が「大事件」証拠物件を搬出するのを見届けに行ったのか?

http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2010/08/post_1819.html より(抜粋引用)

この"重大事件"を隠蔽しようと画策し、123便の横田基地への着陸を拒否し、
2機の自衛隊機を発進させ、遠く御巣鷹(=地元)の尾根まで同機を誘導させた、その命令権者としての中曽根元総理は、当日、一体、何を考え、何を命令したのか?

 2機の自衛隊機が、ミサイルで123便を撃墜したという説(池田昌昭氏)もある。また、二つの原爆の様な「きのこ雲」が湧き立つのを見たという、多くの目撃証言もある。
 さらには、墜落した123便の機体後部(尾翼付近)に、ミサイルAIM4(オレンジ色の機体)が突き刺さっていたという証言(佐宗邦皇氏の言)さえもある。
 実際、ご遺体の識別や鑑識に関わった医師や歯科医師が、「単なる墜落事故の遺体とは思えない」と語っているのを、われわれは、すでに聞いている。

 それゆえ、私は、正直に問いたい。
中曽根元総理、あなたは、あの日、防衛庁、とりわけ航空自衛隊に対して、一体、如何なる命令を下されたのか?!
 何故、あなたは、墜落後の乗客の早期救出を命じられなかったのか? 事実、墜落直後、数十名の生存者がいたというではないか。
 そればかりか、早期救出に向かおうとした数名の自衛隊員が、待機命令違反というだけで、なぜ、射殺されなければなかったのか?!
 加藤紘一氏(当時の防衛庁長官)、当日、あなたは、当時の中曽根総理から、一体、如何なる命令を受けられたのか?!
 第一、あなたは、事故当夜、現場の上空まで行っていたというではないか! 一体、何をしに行ったのか? 遭難者を救助する前に、自衛隊が、「大事件」の証拠物件を搬出するのを見届けに行ったとでも言うのか?!

(中略)

 実は、この時、操縦桿を握っていた佐々木副操縦士こそ、少年の頃、私が、心から憧れていた先輩である。まさに、「事実は、小説よりも奇なり」である。
 佐々木先輩のご母堂は、彼の没後、私の母に、こう語られた。「息子は、戦死しました」と。今、私には、この言葉の意味が、よく分かる。今日、そのお母様も、もう、この世におられない。
 『日航123便はなぜ墜落したのか 2010年8月9日』 --> こちら から引用

(抜粋引用終了)

 

 

 日航ジャンボ機墜落と横田基地 

1985年墜落救助のぶざま、元エアマン証言」

日本は現場到着に12時間もかけた」

http://www004.upp.so-net.ne.jp/imaginenosekai/yokota-haijack.html

横田基地所属のC-130機が墜落現場を発 見し、座間基地所属の陸軍ヘリUH-1が救助活動のため現場に入ろうとしたが、どうした訳か(日本政府から協力を拒まれ?)、墜落現場の真上でロープ降下 しようとしていた救助ヘリと上空で待機していたC-130を引き返させるという不可解な命令が出た。

運輸省航空事故調査委員会の最終報告書には、C-130が墜落現場を発見し位置を知らせてきたことが記載されていながら、その後の米軍の救出行動は一切記述されていない。

 その事実が明らかになったのは事故から10年後、

1995年8月27日付の米軍準機関紙「スターズ・アンド ・ ストライプス」パシフィック版

が「1985年墜落救助のぶざま、元エアマン証言

日本は現場到着に12時間もかけた」 の見出しでカリフォルニアの地域紙

「サクラメント・ビー」の記事を転載したことによる。


記事を書いたのはC-130のナビゲーターだったマイケル・アント ヌッチ中尉(当時)。

その記事には、いち早く現場に到着した同機から見た米軍ヘリの活動、

不可解な帰還命令などが詳しく書かれている。

 

彼等は一向に生存者の手当をしようとはしない。

大きな袋に何かを集めて入れる作業を黙々と続け、

上空でヘリコプターがホバリングしながら集めた袋を回収するのみ。

助かるべき多くの生存者が情け容赦なく殺された 
http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.html より(抜粋引用)
墜落は単なる事故ではなく、驚天動地、世界規模の大事件だった!

8月13日04:00頃 墜落翌日まだ夜も明けぬ早朝、白バイを振り切って、 長野県からオフロードバイクと徒歩で駆けつけた若者達2人。生存者の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているのをはっきりと聴いた。およそ50人と推測。指 が欠損しただけの、比較的軽症の人も。この人は助かる、と確信。既に到着していた100名くらいの自衛隊員。片手に抜き身の大型アーミーナイフ、目には暗 視ゴーグル、また、靴は急峻な山での作業に適した短靴。1時間後、次の部隊が続々と到着。後から来た部隊は山で歩きにくいブーツ着用。

し かし、彼等は一向に生存者の手当をしようとはしない。大きな袋に何かを集めて入れる作業を黙々と続け、上空でヘリコプターがホバリングしながら集めた袋を 回収するのみ。何故だ!?何故この部隊は救助をしない!?目の前で多くの人々が手当を待っているというのに!!人命より優先される回収物とは、一体何 だ!?以下にその件についてのウェブサイトを紹介する。

「JAL123便墜落事故-真相を追う- 闇夜に蠢くもの(4)」
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/9218d78bddf9f12a9d7bdc8ebec1c10a 

このオフロードバイクと徒歩で駆けつけた若者の一人は24年間海外勤務にあっ て真実を語る機会が無かったが、2010年5月16日、江戸東京博物館にて、その日目撃したことの証言を依頼される。ところが、講演の2週間前、アクシデ ント発生。車の後輪がバースト。あわや死亡事故につながる緊急事態を咄嗟の運転テクニックで回避する。損傷部分を検証した結果、軍関係者しか持たない、熱 戦銃によるものと判明。「123便事件の真実について、これ以上語るのを止めよ」というメッセージが彼に送られる。幸いにも、かろうじて講演会当日は会場に無事駆けつけ、証言することができた

「やがて真っ暗闇のなかに、ヘリコプターの音が聞こえたのです。あかりは見え ないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだん だん、遠くに行ってしまうんです。このときもまだ何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです」(落合由美さんの証言)。
 こ のように、1994年9月25日の「ニュース・ステーション」は、日本側の都合による米軍救援活動中止要請が事実であることを報道しています。何というこ とでしょう。米C-130は午後7時30分に墜落場所を特定し、20分後には横田基地に正確な墜落場所を知らせているのです。もちろん日本側にもその時点 で伝えられています。

(抜粋引用終了)

 

 

最重要証拠となるボイスレコーダーには、数々の編集跡がみられる。

さらに大事な部分がカットされている模様だ。

日航機墜落の真実を求めて 
「1985年8月12日発生の日本航空123便墜落事故」はネット上でも真実が解き明かされ始めた 
http://nvc.halsnet.com/jhattori/nikkou123/
★★御巣鷹山日航ジャンボ機事件から23年目 特にボイスレコーダの編集疑惑や当時の加藤防衛庁長官の行動にも疑惑が。
最重要な証拠となるボイスレコーダーを一切公開しなかった。10年ほど経ってから、その一部を公開したものの専門家の分析ではその音声には数々の編集跡がみられるとのこと、さらに大事な部分がカットされてる模様だ。
おそらく自衛隊機との交信部分をカットされてるんじゃないかという気がする。(実際、スクランブルした自衛隊機が平行して飛んでいるにもかかわらず、両機が全く交信すらしないというのは考えられないこと。)
・ジャンボ機のあとを、戦闘機みたいなのが2機追いかけていった(『疑惑/JAL123便墜落事故』早稲田出版刊の筆者:角田四郎氏)
・マンションのベランダから西空を眺めていたところ、突然雲の 透き間から太陽が射すようなオレンジ色の閃光を見た。双眼鏡で覗くと両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の方に消えた。―浦和市に住む住民の目撃証言
・飛行機が飛んで行った後から、流れ星のようなものが近くを飛んでいるのが見えた。―長野県南相木村中島地区の住人3人

 

 

<当時自衛官で、事故処理に参加した友達の兄貴の告白>
誤射、国家機密、緘口令、事後処理の為の特殊部隊の編成 
情報撹乱、ガス、火炎放射器...。まさに地獄以下の有様

生存者をかくまったために 拘束されて送り返された者も少なくなかった

日航ジャンボ123便 ソ連軍機ベア~標的機誤射~緘口令~
事後処理の為の特殊部隊の編成~情報撹乱~ガス~火炎放射器~地獄~
http://www.asyura2.com/09/lunchbreak27/msg/1221.html より(抜粋引用開始)
投稿者 愉快通快 日時 2012 年 2 月 16 日 19:54:18: aijn0aOFbw4jc

翌日のニュースは、もっと衝撃的だった。 日本の救助隊は現場を発見できず、やっと着いたのは墜落の14時間後だと言っているではないか。 私は焦って自分の地図を取り出し、墜落現場を正確に伝えたかどうか調べた。私には自信があった。 伝えた位置は正確だった。海軍のヘリは私の情報に従って現場に来たのだから、間違いない。

我々はあの時、現場の上空を飛んでいた日本の救援隊にを任せた。 
それにしても、どうして墜落現場がわからなかったのか?一体、朝まで何をしていたのか?不思議でならなかった。

事故から2週間たって、私は『タイム』と『ニューズウィーク』で 生存者が4人いたことを初めて知った。 

『疑惑/JAL123便墜落事故』(早稲 
田 出版刊)の著者、角田四郎氏は、御巣鷹山の現場登山に行ったさい、ある金属片(添 付ファイル)をひろって持ち帰り、事前説明なしで、友人の航空機の整備士(米国人)に 鑑定を依頼しています。結果はどうだったのでしょうか。結果について書かれた部分を ご紹介します。 
---------------------------------- 
      彼の答えは、私のド肝を抜いた。「たぶん」と疑問視を付けて 
      慎重に、しかし、はっきりとこう言った。 
      「ミサイル」(This is missile.) 
      「まさか!」(Not Really !) 
      「たぶん、ミサイル」(Maybe missile.) 
         ――角田四郎著、『疑惑/JAL123便墜落事故』より 
----------------------------------

179 :NASAしさん[sage]:2009/08/29(土) 09:08:53 
NHKアナ「ただいま長野県警から入った情報です。現地に救助に向かった自衛隊員数名が、何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。 続報が入り次第お伝えします」

495 名前:名無しさん@5周年:04/08/12 21:18 ID:jB9y0pGY 
これはマジな話なんだが、友達の兄貴が当時自衛官で ●●隊情報●隊と言う部隊に所属していて 救助活動というか事故処理に参加したそうだ。

その兄貴と何年か前に酒を飲んだ時に聞いた話だが 
以前から事故処理に従事したと言う事は弟から聞いていたので 
興味本位でその時の事を聞いてみたら顔色が変わったので 
その話はそこまでにして馬鹿話に切り替えた。

暫く飲み続けるうちに、その兄貴がポツリポツリと話だした。 
誤射、国家機密、緘口令、事後処理の為の特殊部隊の編成 
情報撹乱、ガス、火炎放射器...。 
まさに地獄以下の有様だったそうだ。

隊員の中には精神状態がおかしくなる者や、生存者をかくまったために 
拘束されて送り返された者も少なくなかったそうだ。 
その兄貴もすぐに退官したが、その際に口外すれば家族にまで危害が 
及ぶと言う事を暗にほのめかされ、自殺を考えた事も有ると

(抜粋引用終了)

 

123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。

殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか?

彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、

火炎放射器で生きたまま焼かれた。

JAL123便墜落事故の真相① 助かるべき多くの生存者が情け容赦なく殺された 
http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.html

☆世界の真実の姿を求めて!TV新聞報道では、助かった4人以外に少なくとも生存者が3人、合計7人の生存者がいた(この日本経済新聞の記事は日航パーサー落合由美さんを忘れている。従って8人が正しい。)。しかし、4人は報道直後突然失踪!彼らは一体どこへ消えたのか!?

さらに最低50人くらいの生存者が墜落現場にいた、指先が1本ちぎれただけの男の人もいた、と、まだ夜も明けやらぬ現場に駆けつけた若者は証言!生存者達も同様、墜落現場では多くの人達が助けを呼んでいたと証言。

☆川上慶子さん(当時12歳)は、同乗の両親と妹が亡くなるも奇跡的に生還。病院を退院後、島根の実家に帰った際に証言:墜落したあと、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。しばらくすると前方から懐中電灯の光が近づいてきたので助かったとおもった。そのあとまた意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の人は誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた。(慶子さんは意識が無くなって幸運だった。もしその時懐中電灯の人物に助けを呼んでいたら、彼女の今日は無かっただろう。近くに居た、落合由美さんや吉崎さん母子の今日も…理由は後述。)

この墜落現場で「生き残った罪も無い乗客、乗務員にとどめを刺した者達」は恐らく国籍が日本では無い、と信じたい。来るべき極東有事を演出するために特別訓練された、日本の自衛隊を偽装した部隊の可能性が高いのでは?任務遂行のみに全神経を集中する訓練と共に、部隊を編成するに当たって「日本人を嫌悪する教育」を受けた者達が選ばれたのではないか?

123 便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか?『お前達は何者だ!?乗客乗員の救助 に来たんじゃないのか?』現場で何が起こっているのか、理解している人はほとんどいなかったであろう。彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、火 炎放射器で生きたまま焼かれた。

JAL 123 15

 

尋常ならざる遺体の状況 参考ウェブサイト:http://www.asaho.com/jpn/bkno/2010/0809.html 

ジェッ ト燃料は高くて1400℃に到達するというが、それは灯油の1100℃とたいして変らない。実体はほとんど灯油と同じと考えてよい。写真の子供は頭部の輪 郭が崩れる程激しく燃えており、ジェット燃料(灯油)が原因ならば、まとまった燃料が本人にかかり燃えた、あるいは近くで激しく燃えていたことになる。し かし、子供の遺体に寄り添うように生えた木立にはほとんど焦げ跡がない。しかも雑誌の文面には「紙幣や書類が周囲に散乱していた」(写真誌フォーカス)と 記載されている。ジェット燃料はこの子だけをめがけ飛び散り、この子だけを燃やして火は収まったというのだろうか?この不自然な状況を説明する理由を私は こう考える、「この子はごく間近から火炎放射器で焼かれたのだ」と。元記事

当時、遺体の歯形で本人確認を行った大國勉氏(歯科医師、群馬県警察医会副会長)に、青山さん(元日航客室乗務員、青山透子氏)は何度もインタビューを試みている。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は白いままだし、骨もそこまで燃えていない。なのに、あの事故の時は骨の奥まで炭化するほど燃えていた。…二度焼きしたような状況だ」。周囲の木々が幹の中までは燃えていないのに、遺体だけが骨の芯まで焼かれているのはなぜか。群馬県の検視報告書において担当医が「二度焼き」という言葉を使ったことは、ただごとではない。

JAL 123 45

写真上:女性4人の生存者が見つかったスゲノ沢の上流で発見された携帯用VX ガス兵器と思しき容器。20数年経って、瓶には微量の液体が残っていた。持ち帰る際、念のため何重にもビニール袋で密封したが、調査に当たった方達2人 は、密封を解いた途端気分が悪くなり、数日間寝込んでしまったという。

(抜粋引用終了)

 

日航ジャンボ機JAL123便墜落事故の真相を追っていた佐宗氏は、不審死

政治的背景が疑われる不審死を遂げた人、冤罪で捕まった人
http://8260.teacup.com/astroecology/bbs/505

●ワールドフォーラム代表 佐宗邦皇氏
 2009年8月8日、日本航空123便の御巣鷹山に墜落した事件(1985年8月12日)の真相を追っていた佐宗氏は、ビデオの月例会で話している最中、ペットボトル「おーい!お茶500ml」を一口飲んだ、そのわずか30秒~1分程で突然倒れ、翌日死去。

 


警察に握られるメディア⬅︎警察は情報の宝庫


「顔認証システム」を開発し私的行動を警察が握る・夜半も可
私的行動を時に「警告の脅し」として使うことも出来る
警察は記者の個人情報を握っている。

見えない目が前川事務次官に注がれていたのだろうか?

政権が窮地に立つと、庇い手を出す記者が必ずいる。
今回も、不都合な事実を隠すために
「人格攻撃」を仕掛ける権力者へとメディアが協力した。

公安情報の利用と情報操作が安倍政権の特質だ

警備局外事情報部長などを務めた【北村滋】内閣情報官だ、
第一次安倍内閣で秘書官を務め
「首相動静」に毎日のように登場する側近である。

睨みは、
官僚に対してだけでなく
政治家の「身体検査」も情報官の仕事である

北村氏は【官邸のアイヒマン】  と呼ばれるほど公安情報に通じ
「安倍一強体制」を裏で支える。 

月刊誌「世界」7月号 
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