北イタリア ピエモンテの田舎で暮らして

ピエモンテ州ノヴァーラ県の稲作地域での暮らし。 バローロ、モンフェラート、ゲンメのワイナリー、ピエモンテ料理ときどき地域猫のぴーちゃん

February 2008

いつまでも食べたいパスタソースの味だから。

春を待つ夕方の田んぼに白い無数のサギ(airone)が見えます。

28feb 2008














”aironeは、少しずる賢いのよ。
ずっとトラクターのそばで待っているの。
土を掘り起こしていると下から、彼らの餌となる
小さな生き物が出てくるからね。”

そう言って、エリザベータが笑いました。

4月になれば、一面が水の景色になり

昨年、毎日、夕方、菜の花を一緒に摘んでいた夫は
”菜の花が、見え始めたら、教えてくれ。”と言い

やがて、春が来ることを感じるようになりました。

毎朝、しっとりと水滴でいっぱいであっても
車の窓ガラスが凍ることは、いつのまにかなくなっていました。

*************************************************

この日は、ノエミちゃんのおばあちゃんから
夕食に招待されていました。

Mondine(田植えをする女性たち)として
シチリアから出てきて、19才の時から
ずっとピエモンテで暮らしている
ノエミちゃんのおばあちゃんの作るお料理は

すべて、畑で収穫されたお野菜と
地元のお肉を使った農家のお料理です。

”このお鍋の分は、全部、RIEが持って帰ってね。
そのために、たくさん作ったのだから。
食べるのは、明日でも、あさってでも大丈夫よ。”

夕食会で 1
















昔は、朝から暖炉で時間をかけて
いろいろな種類のお肉を細かく切り、トマトと一緒に
ゆっくり煮込んでいたというそのソース。
現在は、ガスコンロで4時間煮込んで作っています。

”子供の頃から、母がこのソース作るのをずっと見て習っていて
同じように作っても、家族からおばあちゃんの作る
ソースと違うと言われてしまうのよ。

問題なことがひとつ。おばあちゃんのお料理はどれも美味しすぎるの。
それで、つい食べ過ぎてしまって太ってしまうことよ。”

ノエミちゃんのお母さんがそう言って、またみんなで笑い
二皿目のパスタを食べようとしていました。
夕食会で 2













近くのテーブルには、私が帰る時に持って帰るソースが
タッパーに入れられ用意されていました。

窓から外の景色は、夜霧で白くぼんやりとした色に変わっていきました。



Mondine(田植えをする女性たちのこと)については
昔の写真のパネルを撮ったものが過去のブログに。


そしてノエミちゃんのおばあちゃんから聞いた
彼女たちの生活の様子を書いたブログは、こちらです。


blogランキング
に参加しています。
どうか、クリックして応援して下さい。

映画が好きだった父が何度か話していた”にがい米 RISO AMARO”
撮影の舞台は、ヴェルチェッリ県であるけれど
たくさんのMondineを必要とするシーンのエキストラとして
ノエミちゃんのおばあちゃんが参加したそうです。

撮影の舞台となった農家に、偶然、行く機会もありました。

父が若い頃に見たこの映画の世界
生き生きと語っていた父を思い出しました。
きっと父が見たかったのであろうその田園地帯とMondineは
今、私の目の前にあります。

Barbaresco Rabaja

日没後の町で
























窓の外の景色が次第に暗くなろうとしていた18時過ぎに
"夕食前に少しだけ歩いてくるね。"と家を出ました。

家を出てから10分も経っていないうちに
辺りは、みるみるうちに真っ暗になり
夜の景色に変わっていきました。

周囲からは、近くの牛舎からのにおいが立ち込めていました。

まだ19時前であるけれど、町の通りは、ひっそりとしていて
時折、仕事や買い物で帰宅する車とすれ違うだけでした。

私も早く家に帰り、ワインを少し飲んでゆっくり休もう・・・。

***************************************************************

家に到着すると、夫は

"お誕生日でかなり、いろいろなところで
食べてきているだろうから夕食は、軽いものでいいよ。”

ピエモンテのチーズを3種類
夫が作りおきしていた胡桃パン
野菜のグリル

そして、日本の実家にあったものでイタリアに持ってきた
北海道の農場の小さな販売所で売られている
”行者ニンニク(アイヌネギ)の入ったソーセージのグリルを
お皿に並べました。

フルコースでなく、居酒屋やワインバーのように
気軽に楽しむ食事と一緒に飲んだワインは

rabaja 2001
Barbaresco Rabaja
2001
Rosso DOCG
ブドウの品種:Nebbiolo 100%
アルコール度数:13.5%
GIUSEPPE CORTESE










以前、このワイン農家に行った時に、一緒に購入したもの。
前回、紹介したワインよりも若いバルバレスコです。

以前のワインよりも、もっとフレッシュな森の果物の香りがしてきます。

それは、トラディショナルなバルバレスコの香りであって
素朴で優しいティッツィアーナの家族を思い出させました。



高校生の女の子ノエミちゃんに

”家に帰ると、おばあちゃんが美味しいランチを作って待っていて
夕食前に、仕事が終わったお父さんやお母さんが帰ってきて
楽しく食事をする。それは、人生の中の大切な時間。

私には、もうすでにその時間は、2度と来ないでしょう。
そう思うととても大切な時期だったわ。”

真剣で不安そうな顔をしてノエミちゃんが聞いていました・

”でも、時間が戻って当時からやり直したいかというと
そうでなくてね・・・。”

”今があるから、こうしてノエミちゃんや多くの友達に出会えたから
戻りたいという気持ちは、まったくないのよ。”

”でもね。もう2度と帰ってこなくて、幸せだったと思える時間は
学校から帰って、友達と遊んで、家族と食事をして過ごしていた時期で

その時には、それがどんなに楽しくて嬉しかったことか
私は、気付かなかったの。ずっと同じような時間が続き
これ以上に、楽しく嬉しい毎日が訪れるように思っていたのよ。”

そう言うと

ノエミちゃんは、真剣な顔でうなずき

”そうなのかもしれないと急に思った。
それが当たり前だと今までずっと思っていたけれど。”

父が亡くなってから、私は、そう感じたのか
それとも昨年、画廊を訪れた初老の男性の言葉で
初めてそう思ったのかどうかわからないけれど。

”私は、当たり前の毎日とずっと思っていたのよ。”

私は、16歳の時、ずっとそのことに気が付かないでいたのです。
きっと、もっと毎日、幸せになっていくだろうと希望でいっぱいだったのです。”

blogランキング
に参加しています。
どうか、クリックして応援して下さい。

このワインは、まだその後、残っていて
今夜、残業で帰宅後の20時に食前酒として
ゆっくり飲みました。

2月19日

日が暮れる頃















写真は、日が暮れる頃の田園地帯。

近郊の町のレストランからの帰り道に
車から降りて、しばらく鳥の鳴き声を聞いていました。

レストランで少し早いお誕生日にもらったすみれの花を助手席にのせると
自分の住む町に向かって、再び、走り始めました。

その時、携帯にメッセージが届きました。
再び、停車してそのメッセージを開封すると

”RIE,いつ来るの?好きなバーニャカウダ
(Bagna Cauda:ニンニク、アンチョビ風味の
ピエモンテのソース。野菜と一緒に)を用意しておくわよ。”

それは、昨年夏まで、アグリツーリズモのレストランで働いていた
コックさんでした。

彼女から教わったことは、お料理やこの地方の文化だけではなく

それ以上にイタリア、ピエモンテで生まれ育って

苦労してもいつも前向きに家族を支え
自分の信念を貫いて生きてきたイタリア女性の生き方でした。

一緒に楽しく働いていた頃
スタッフの食事会のキッチンで。
キッチンで
















教えてもらっていたお料理












今、ここで暮らして、多くの人と出会い生きていること
それに感謝して、1日を過ごします。

今夜のワインを後で、更新します。

blogランキング
に参加しています。
どうか、クリックして応援して下さい。

仕事も午前中までで、午後、ワインの産地にある
お菓子店で、小さなケーキやパイを買いました。

これから、これを持って夕食の食前酒の前に
イタリアの高校生ノエミちゃんの家に。

深夜24時8分に、突然携帯にメッセージが入り

”お誕生日おめでとう!!!。こんな時間にごめんなさい。
でも言いたくて。明日、もし邪魔にならなければ
一緒にお祝いをしようよ。都合を聞かせて・・・”

その後も長く続くメッセージは、ノエミちゃんからでした。

Riesling

2008年2月

















今週、帰国した日の夜からいつも見ていた景色は
真っ暗で街燈もない田園でした。

朝、暗いうちに出発して
日没後の夕食前に帰宅すると
翌朝、日の出前に自宅を出発していたからです。

そして曇った土曜日の朝
目の前に見えた田園地帯が最初の写真です。


近所の郵便局に行くと
”お帰り。いつ帰って来たの。”と言われ

日本から帰ってきて、まだ数日しか経っていないことに気付きました。

帰りに広場を通ると、八百屋さん、チーズ屋さんのトラックが並び
たくさんの町の人々に出会いました。

”東京の気候は、ここと比べてどうなの。”と聞かれ

”ここよりも暖かい地域だけれど、私の帰った時期には
雪が降っていたの。これは、珍しいことよ。”

1週間前の土曜日は、午後から雪になり
マンションの上からの景色は

どこの屋根も真っ白になった白い東京の景色でした。

****************************************************

月曜日の夜に到着し、火曜日の朝からいつもの生活が始まり
次第に日本での日々の想い出が、遠くなっていこうとしていました。

木曜日の夜に帰宅前に友達のバールに行くと
すでに、いつものいる町の人々は、夕食で家に帰っていました。

”何にする?。”

”帰ってきてから、まだ一度もワインを飲んでいないから
ピエモンテのワインがいいかな。”

”日本では、どんなワインを飲んだの。”

”少し高かったけれど、ピエモンテのワインも一度、買って
あとは、日本のワインを飲んだの。”

”RIEは、ここでピエモンテワインを飲んで
トスカーナに出かけると、トスカーナのワイン。
オーストリアでオーストリアのワインでしょ。
それは、とてもいいわ。”

グラスに注いでくれたワインは、モンフェラートのドルチェットでした。

”日本のワインの品種は、何が美味しいの。”

目の前で、友達のロミーナが長崎の抹茶カステラを
食べていたこともあり思い出しました。

デジタルカメラを見ると、残っていた画像に
長崎のホテルの日本の地ワインを飲んだ時の
ラベルが残っていました。

*******************************************************

長崎の夜は、北風が強く冷たい夜でした。

グラバー邸の近くにあるホテルから
夕食に思案橋方面に出かけてみようかとも思ったけれど

そのままホテルの中にあるレストランで
ゆっくり過ごすことにしました。

その時の写真が以前の記事の最初の写真です。
グラスの中で淡く、かすかに緑色に近い麦藁色のワインは
長崎から遠い秋田県のワインです。



フランスワインの横に日本の地ワインと
書かれたメニューが並んでいました。

選んだのは、日本のリースリングのグラスワイン。

秋田のリースリング
秋田県横手市大森地区
2006
ブドウの品種:大森産 リースリング(Riesling)
メルシャン

写真は、これ一枚で
詳細が書かれているであろう裏面がないので
正確なアルコール度数がわかりませんが
とてもアルコールの
低いワインであった記憶があります。
おそらく10%未満でしょう。

ボトルには、”さわやかな甘口”と書かれています。
でも決して、デザートワインでなく

ちょうどいい温度に冷やしてあり、
日本のお食事に合う、繊細で優しい味でした。

冷たくされたこのワインは
ほのかに甘く後味がすっきりしています。



北イタリア、オーストリア、ドイツ、フランスのアルザス地方など
北の地方で栽培されているリースリング種。
どこの国のワインも同じ品種であってもそれぞれ違います。

大森地区で栽培されたこのワインは
この地域で栽培されたブドウの品種の味わいを
そのまま表現しています。

訪れたことが一度もない秋田県ですが
このワインを一口飲むと
美しい日本の田園風景と
棚式で作られたブドウ園が目に浮かんできます。

優しい春に咲く淡い花の香りを持つこのワイン。
なぜか、遠くイタリアの田舎の景色も思い出しました。

それは、イタリアの地元のアグリツーリズモで作られた
無農薬のリンゴが入ったバスケットの籠が置かれた
テラスであったり

隣の県にあるオローパの帰りに友達と買ったビエッラの蜂蜜です。

この時のお食事は、やわらかな味の
アンコウのマスタードソースでした。
日本で。あんこうのお料理













blogランキング
に参加しています。
どうか、クリックして応援して下さい。

前の記事でコメントをたくさん書いていただいて
本当にありがとうございました。
コメントのお返事は、後でゆっくり書きます。

仕事がない休日なので、これから
車で、ワイン農家に行ってきます。


日本でピエモンテのワインを

イタリアに戻ると、つい先日まで、過ごしていた東京での
2週間が不思議に思えます。

**************************************************

一時帰国をすると必ず訪れる場所

それは、大学卒業後、最初に入社した会社のある丸の内、大手町周辺です。
地下鉄に乗る前に


















当時、総合職で入社して、決して華やかで楽しいことばかりでなかったのだけれど
あの頃に見ていたオフィス街と皇居の風景に、とても懐かしさがあります。

横断歩道ですれちがった書類バックを持った女性は
携帯電話で仕事の打ち合わせをしているようでした。

オフィス街で華やかで若い会社員の人たちと次々にすれ違い
私は、自分の人生の中のひとつの季節が過ぎ去ったことを感じていました。




この日、銀座で買ったワインは、ピエモンテの白ワインです。

ceretto blange
Blangé
Langhe Arneis
Bianco DOC
ブドウの品種:Arneis 100%
アルコール度数:
CERETTO










かすかに発泡しているエレガントなピエモンテの白ワイン。
洋ナシなどのフルーツの香りでさわやかですっきりした味わいです。

このワインは、町で行われたお米の収穫祭が終わった打ち上げの時にも

そして栗の収穫祭の行われた寒い日
朝からずっと外にいたので暖まろうと入った
町役場の敷地内にあるワイン売り場で

いつでも透明のプラスチックのコップに入れられていました。

”さあ、これでも飲んで。ゆっくりしていきなさい。”

一緒に渡されるプラスチックの小さなお皿は
ゴルゴンゾーラのリゾットや黒米のリゾットの時もありました。



アルバ地区の素敵なワインカフェでは
食前酒として注文することもあり

グラスに注がれ、美しい麦藁色とわずかな気泡を眺めながら

このピエモンテのブドウの品種 アルネイスで
どこまでも自由な自分の時間を楽しみます。

町役場や農家の人々と身近に飲むピエモンテのワイン。

そのいつものピエモンテのワインのボトルが
東京の実家の食卓に置かれています。

その横で母がうなぎの白焼きのお皿を並べていました。

日本でのBlangéのワインは、想い出のある1本となりました。

それは、町で、そしてアルバのワインバーで飲んだものと
また違った味わいと余韻が感じられたのです。

blogランキング
に参加しています。
どうか、クリックして応援して下さい。

私が働いていた頃は、携帯電話は、まだ普及していませんでした。
人気が少なく静かな場所にあり、落ち着いて話せる公衆電話を
たくさん知っていました。(笑)

笛吹川流域地ワイン

私が、いつも日本に帰ると飲みたくなるブドウの品種は、甲州です。

何年か前まで、海沿いのトスカーナの高級ワインを
買って帰っていましたが

日本の実家の小さな食卓で
母の作ったお料理と一緒に飲むワインは
冷やしておいた甲州が、ぴったりなのです。

笛吹川流域地ワイン
笛吹川流域地ワイン
甲府市玉諸地区
2007年
ブドウの品種:甲州
アルコール度数:12%
メルシャン株式会社






*********************************************

晴れて青空が広がる休日の朝
私は、成田空港から乗り継ぎのフランクフルトに向かって
出発しました。

新潟上空を越え、日本海が見えてきました。
成田離陸後














航空機は、更に北上していきます。
スクリーンのフライトインフォメーションによると
右に、奥尻、函館、余市、札幌という地名が書かれています。

私は、ルートマップから、稚内が見えなくなるまで
時計は、そのまま日本時間にしておこうと思いました。

blogランキング
に参加しています。
どうか、クリックして応援して下さい。

今夜、イタリアに戻ってきました。
明日の朝から、いつも通りに出勤です。

この町の友達たちへのお土産は、長崎旅行を思い出して
抹茶カステラにしました。

ハウステンボス駅の待合室で。

写真は、長崎、グラバー園の近くのホテルのレストラン。

19世紀にポルトガルから伝えられたと言われるビードロ
長崎チロリや江戸ガラスがある街、長崎。

美しい色をした長崎のワイングラスと
窓の外に吊るされている長崎の赤いランタン(中国提灯)
ランタン
















どこか知らない地域に行ってみたいと思った時
冬であったので、東京よりも暖かい地域にしようと
日本地図を眺めて、すぐに決めた場所が長崎でした。

中学、高校と歴史の教科書に出てきた”出島””外国人居留地”のある長崎。
それが、一番の理由だったのです。



羽田空港から長崎空港へ。
空港からバスで近くの大村駅まで行き、列車で佐世保に行き
夜は、佐世保から近いハウステンボスにあるホテルで一泊してから
翌朝、長崎市内に移動しました。


2日目の朝、ホテルをチェックアウトしてから
ハウステンボス駅の待合室に座って長崎行きの列車を待っていました。

長崎駅に到着後、まずどうしたらいいのか、土地勘もなく
まだはっきりと何も決まっていなかったのでガイドブックを見ていました。

”今日は、寒いですね。”
目の前に座っていた初老の男性が、私たちに話しかけてきました。

そして、ハウステンボス周辺の町の昔の様子や
私たちが宿泊していたホテルの話などをしていました。

”今日は、どこまで行かれるんですか。長崎ですか。”


”はい。長崎です。原爆が落とされた時は
この辺りの被害も大きかったのですか。”と聞くと

まるで、過去の風景が、見えるかのように目を細めて語り始めました。

”まだ少年だった。暑い曇った夏の日で、川で泳いでいたんだ。

B29が何度も長崎の中心地と八幡製鉄所のある方向を
長い間往復していたのが雲の間から見えてね。

燃料が切れる前で引き返すように思えたのが
突然、ピカッと長崎市の方向で光ったのが見えて・・・。

原爆なんて知らないから、みんなで新型爆弾が落とされたと話していた。

長崎市からこの近辺の病院までたくさんの人が運ばれてきたんだよ。
皮膚が焼けてなくなってしまって、水が欲しいと言うから

水を運んでこようかと思ったら、あげたらいけない。死んでしまうと言われてね・・・。

最後にポツリと
"戦争は、絶対にだめだ・・・。"

やがて、長崎行きの列車がホームに入るというアナウンスが流れてきました。

”長崎の駅は、ずいぶん、変わって大きくなったのですよ。
駅にたくさんお店が出来てね。
駅の外に出なくても何でも買えるんだよ。
長崎は、観光の街だからきっといいでしょう。
また、ハウステンボスの方にも来て下さいね。”

穏やかな笑顔で私たちがホームに行くのを見送ってくれました。

”さようなら。お元気で。”

”ありがとう。”とその男性は、また頭をぺこりと下げていました。

列車がホームに入ってくるのを見ながら 私は、何か哀しい気持ちになり
"おじさん、いつまでもどうかお元気で。”と心の中で何度も繰り返していました。

車窓からは、海の景色が広がっていました。

停車駅のホームにある表示を見ると、”長崎県長崎市”と書かれていて
今までに、来たことのないこの場所に
今、自分がいることが不思議な気持ちになります。


長崎駅に近づく頃に、この日の予定を決まりました。
グラバー園の近くにあるホテルに荷物を預けてから
最初に向かうのは、浦上。

それは、原爆落下中心地です。


ハウステンボスのホテルの窓から。
ハウステンボスの全日空ホテル
















blogランキング
に参加しています。
どうか、クリックして応援して下さい。

ちゃんぽん、カステラの他に今まで知らなかった長崎のトルコライス、
長崎角煮まんじゅう、大村寿司・・・。まだまだたくさんあります。
日本には、イタリアに負けないくらいに、各都市によってそれぞれ異なる
素晴らしい郷土料理、文化があるということを実感しました。

長崎から帰ってきたら、カステラがとても好きになりました。

待っている友達を思い出していました。

深夜、東京の実家の窓から青白く光る雪を見ながら
先日まで行っていた長崎の景色を見ようと
デジタルカメラを操作していると

日本に帰国する前に、レストランの仕事が終わった友達と
深夜12時過ぎに車で出かけたノヴァーラのディスコで
過ごした写真が最初に出てきました。


1













2












3












5












前のブログに書いたように
東京にいる間は、イタリアでの生活を
あまり思い出すことがないと言うと
みんなきっと悲しんでしまうだろう。

日本に帰国する前に、翌日も朝から仕事があるみんなが
レストランの仕事が終わった深夜12時過ぎに企画してくれたのだから。

とても大切な時間。東京もイタリアも。

blogランキング
に参加しています。
どうか、クリックして応援して下さい。

東京の日々

写真は、フランクフルトから成田へ。
中国を通過後、日本が見えてきた瞬間です。

上空から













********************************

今、東京の実家のマンションから見下ろす景色は、一面、雪景色です。
周辺の並木道も屋根も真っ白で次々に降り積もっています。

駅までの道は、緩やかな坂が続くこともあり
一時帰国中の今日の予定は、キャンセルして実家で過ごしています。

残り少ない日本での時間になってしまいました。
少しずつ、ブログを再開します。

テレビのニュ−スでは、羽田空港の雪景色で欠航便についての話題が続き
イタリアのマルペンサ空港を思い出しました。

雪の天気予報があると、マルペンサ空港の除雪作業をしている
ヴィクトリオ、エリザベ−タなど同じ町に住む友達は、空港で待機します。

マルペンサ空港の除雪作業の登録している農家の人々がとても多く
それは、農作業で大型のトラクタ−を自由自在に操作できる友達ばかりです。

”昨年は、まったく除雪作業がなかったんだよ。”

今年、初めて雪が降った日に除雪作業から帰ってきた
ヴィクトリオが話していました。

”何人が除雪作業しているの。”
”20時から8時までに行ったけれど、300人。”

この時、バロ−ロのワインを試飲する夕食会をしようと約束していて
空港から呼び出しがかかって、次の日に延期した時のことでした。


窓から見る東京の雪景色を見ながら
それがまるで遠い日々のように思え
本当に私は、あの場所に確かに存在していたのだろうかと
別人の私を見ているような気持ちになります。

一時帰国のときは、いつもそうです。

最初の写真は、その切り替わりの瞬間です。
フランクフルトを出発して中国を通過して日本海が見えてくると
日本で暮らしていた日々の記憶だけになっていきます。

いつものように、眠ることなく、空の時間を過ごし
機内にある音楽チャンネルのバイオリン演奏とジャズのチャンネルを
交互に何度も繰り返し聴いていました。

機内で仕事で当時後輩であった女性に出会い
懐かしい日々の記憶が戻ってきていました。

”まだ、働いているのね。”
”もちろん、働いていますよぉ!”
当時私が知っている人たちは、ずっとそのままで
産休しても復活していると言う。

もし、あの時、ずっとあのまま勤務していたら・・・と仮定して
考えながら、日本海上空の景色を見ていました。

当時、仕事が好きで、とても充実していたから
最後までいい記憶しか残っていないのです。

どうして退職してまでイタリア行きを決めたのだろうと
いいようのない気持ちが一瞬、訪れると同時に
当時の課長に話したことをゆっくりと思い出しました。

”もっと何か新しい分野の勉強と仕事をしてみたかったから。
それが、最後のチャンスだと思った。”

そうだった。だから、きっとこれでよかったのかもしれない。
まだ当時の思いの10%も達成できていないけれど。

成田が近づき、機体が着陸態勢に入ると
日本での2週間がとても楽しみで、わくわくした気持ちになりました。


blogランキング
に参加しています。
どうか、クリックして応援して下さい。

見知らぬ土地を旅しようと長崎県に行っていました。

佐世保から長崎にかけての列車の待合室で
”今日は、寒いですね。”と話しかけてきた優しい地元のおじさんに
”原爆があった時は、この辺りも被害があったのですか。”と聞くと
”曇っていて暑い日だった・・・”
まだ少年であった夏の日のことを鮮明に語ってくれました。

長崎旅行の一番の思い出は、この待合室での時間です
Profile
写真 文章の著作権は
RIE OKUYAMA、Wine・Art Co.ltdにあります。
copyright(c) 2005-2017 
RIE OKUYAMA All rights reserved.


Archives
  • ライブドアブログ