北イタリア ピエモンテの田舎で暮らして

ピエモンテ州ノヴァーラ県の稲作地域での暮らし。 バローロ、モンフェラート、ゲンメのワイナリー、ピエモンテ料理ときどき地域猫のぴーちゃん

June 2011

夕食の準備をしようと本を広げると。

午後の田園。
田園の木

ここに来ると、時々、小学校の頃、夏休みに2、3度 旅行で過ごした
父が疎開していたという田舎の風景を想い出す。

次第に受験勉強などで旅行から遠ざかり、もう、それ以降は
行くこともなくなったところだけれど
いつも見ている風景が、きっとそれに似ていることでしょう。

小学生の頃の夏休みの1日は、とても長い時間だったように記憶していて
朝、昼、そして夕暮れまで、花火を楽しみにする夜とゆっくりと
楽しい時間が流れていきました。

大人になれば、もうあの頃のように、長く、ゆっくりした時間の流れは
もう2度とないものと思っていました。
*************
暑い夏の午後、夕方、急にグレーの雲と強い突風が吹き、窓をすべて閉めると
すぐに強い雨音と雷で夕立が訪れました。

今日は、バールに行かずに、このまま家で、早い夕食を作ろう・・・と
何にしようかと置いてあるレシピの本を広げる

私が時々、見るのは、このレシピの本。
お料理を作るわけでなくても、各地の郷土料理と材料を見ながら
まだ見たことのない他の地方のお料理に合わせてワインを考える想像の時間。
002

ゴルゴンゾーラのリゾットのレシピのページを広げると、ノヴァーラ中心地のお店の名前とレシピ。

いろいろなレストランのレシピなので、ノヴァーラ風リゾットのパニッシャのページは、
町の夏祭りとも、近所の人から教えてもらったりアグリツーリズモで作った時とも材料から違う。
003

そして、日本から持ってきたレシピのファイルを広げると、1通の手紙が出てきました。

最初に入社した会社で同期だった女性から。消印は大阪。
当時、総合職のため、同期の女性もみんな地方に転勤していきました。
私は、転勤することもなく大手町のままで、すぐに退職し、留学後、別の会社で
働き始めることが決まったばかりの時期のことでした。

”私は、すぐに辞めてしまって情けなかったけれど、ずっと頑張っているんだね。すごいね。”と
電話で話した後、次の会社の仕事の研修が始まったら、もう会えなくなってしまうからと
そのまま、すぐに大阪に会いに行ったのです。

ランチに作ってくれたキノコのリゾットが美味しいからと
たくさん食べたら、その後、レシピを書いておくってくれました。

この手紙を受け取ってからもう17年の年月が過ぎていき
これを見ながら、何度か作ったので、ところどころ、インクがにじんでいました。
001


その後、イタリアのお米の産地、リゾットの本場でアグリツ−リズモでリゾットを作ったり
ピエモンテの人たちに教わったりしてきて、たくさんリゾットを食べてきたけれど
この時、友達が作ってくれたリゾットは、また別の優しい味がしてずっと忘れない。

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もう時間になってしまいました。今日は、時間がかかってエレべーターの入り口の小さなホールで更新。
オフィスに急ぎます。。。

夏の午後の時間

ミラノから帰ってきて、高速を降りたところの駐車場に向かうと、明るい青空と強い日差しの中
車内には、熱がこもり、ハンドルが熱くて握れないほどです。

車の窓を開けて、外からのドライヤーのような風を受けながら教会の横の駐車場に到着すると
隣の車の下で、ばててしまったのか、いつものねこが、どこに顔があるのかわからないほど
平らになって昼寝をしていて、車から降りると、頭を持ち上げて私の方をちらりと見ていました。

この時間に私の車が帰ってくると、もうこのまま明日の朝まで、車を動かさないでいることを
データを取っているのかのように、知っているようで
その後、夕方には、私の車の下に移動していました。

自宅に帰り、扉を開けると、室内は、暗くひんやりとしていました。
夏は、いつも、外からの強い光を入れないように、鎧板の扉だけ閉じ
蚊の多い地域なので網戸になっている窓を開けたまま、外出。
そして、板の隙間からわずかに外の光が差し込む空間には、
夏の静かな午後の時間が流れ、夏の最も好きな時間のひとつです。

冷蔵庫を開け、冷えた白ワイン、アルネイスを飲み、一息つき
ズッキーニと玉ねぎとオリーブオイル、白ワイン、チーズだけのシンプルなリゾットを作り
午後からの時間を過ごしていました。

ツバメの鳴き声が、強くなる21時頃、中庭にある洗濯物を取り入れようと
ドアを開けると、まだ明るい空が広がっていました。
ツバメ

この時間、田園から聞こえてくるのは、ツバメ、スズメの鳴き声、山鳩の羽ばたき
蛙、そしてその中に虫の音。
虫の音は、秋のイメージが大きかったけれど、ここでは、夏の田園の音のひとつ。

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観光庁では、外国人観光客が安心して楽しく旅行できるように
東北の地域では、平泉、仙台・松島、会津若松を拠点として
受入環境の整備・充実の推進が始まろうとしています。
そして、東京ディズニーランドのある浦安も拠点に選ばれています。

震災後、浦安の倉庫でラベルなど一部損傷のあったワインを購入してくださった
ワインバー、レストランの皆さん、ありがとうございました。

コメントのお返事は、帰りのバスの車内で書きます。ありがとうございました。
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願い短冊

朝、オフィスに持っていくお茶を用意したり、ゴミの整理をしたりと慌しく出発するものの
車のドアを開き、ハンドルを握ると、私の中で、何かが切り替わっていきます。
バスの停留所まで、朝のやわらかい光を受けながら、出発。

バスの車窓から
朝の車窓


今朝は、バスの中で仕事をするので、短い更新です。
ワイン以外の仕事で日本から受け取ったメールの連絡の中に書かれてあったことから紹介します。

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仙台七夕まつり 願い短冊 8月8日まで受付。
世界から短冊を募集し、多くの皆様が「仙台七夕まつり」に参加して、
復興への願いをWEB上で紹介するそうです。
以前、以前ブログに紹介したイタリアの友達 ノエミちゃんにも願いごとに参加してもらいます。
まだ、日本語だけのサイトになっているので(多言語サイトは、制作中とかいてあります。)
土曜日にちょうど、ノエミちゃんの家の前を通るので、その時に、一緒に入力してみます。
イタリア語だけでなく、日本語でも書くように頑張ってもらいます。
http://www.tanabata-negaigoto.jp/


仙台空港は、6月23日に国際チャーター便の運航の開始するとのことです。
スペイン マラガ行き。そして30日にバルセロナからの帰国便。

震災直後に、イタリアのテレビで、津波の被害を受けた空港だった場所を見て
驚き、絶望的な気持ちになりました。
まだ、あのまま時が止まってしまっているところもとても多いと聞いているので
今後もたくさんの大きな力が必要であるけれども

その中で、さらに7月25日に国際定期便が就航可能になるように準備しているそうです。
この短期間の中で、日本で努力している方々、その考え方や生き方から、
私自身、たくさん学ぶことがありました。
時が少しずつ流れていく中で、確実に前に進めようと取り組んでいる方に感謝しています。

今日も一日、大切にして、ミラノに行ってきます。
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1943

次第に明るくなってきた早朝の空の下、聖堂の前を通り駐車場に向かう。

聖堂

車の近くに、風で飛ばされてきたのか、あじさいの葉と青い花びらが落ちていて
私は、ずっと今まで、気がつかないでいました。
駐車場の向かいの家のあじさいの花がたくさん咲いていたのです。

今、ちょうど、車が外に出て行ったばかりなのか
扉が開いていて、そしてゆっくりと閉まり、再び、あじさいの花が門の向こうに
見えなくなっていきました。

******************
ノヴァーラ県、ゲンメの隣の町のワイナリーで。
地下のワイン醸造室の近くに、ピエモンテ南部のバローロのワインが保管されていました。
バローロ



1943年・・・第二次世界大戦の時にブドウを収穫したのだろうか、その時のブドウ畑の風景は
どうだったのだろうと、ずっと考える。

イタリアが連合国側に降伏したのは、日本よりも早かったはずで、イタリアの講和という単語を
教科書に線を引いて暗記した高校生の頃を急に思い出す。
太字で、あの時、ピンクのラインマーカーで印をつけて、右側のページだったように思う。
 
確か、当時、日本とドイツ、イタリアで三国同盟を結んでいたのに、なぜ最後は、
イタリアは、国内で連合国側でドイツと戦っていたのだろう・・・。
イタリアが降伏したからで、それは、いつだったのだろうか。

地下から階段を登ると、ワイナリーの事務室で友達のエレナが、いつものように
仕事をしていて、外は、明るい空が広がっていました。

先日のオーストリア領であったドイツ語が使われていた北イタリア アルト・アディジェの
山の中のレストラン、ヴェネツィアのゲットーから北に向かう鉄道
ブレンナー峠といろいろな風景が目に浮かび、私は、地下にいたほんの少しの間
どこか違う空間に行っていたように思えました。

明るくなったところで、すぐに私は、持っていた電子辞書と、
そして持っていた日本の携帯をネットに接続して調べる。

イタリアが降伏したのは、1943年9月8日、その時期に収穫されたブドウだったのです。

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スペック(Speck Alto Adige)と一緒に。

休日の風景。
*********************
水田に沿って木の電信柱が続く道を歩いていました。

夏になると、いつも出現するのが、アスファルトの道路の熱い地面に接した空気が熱せられ、
屈折率が変わってどこまでも遠くの地面が濡れているように見える蜃気楼の一種。
田園


教会の駐車場には、いつものねこが昼寝をしていて、
私が近づくと、一瞬、起き上がりそうになってくれるものの
ちらりと見ると、再び、ごろんと車の下で寝てしまうので、車が発進できず。

昼寝が終わって、車の下にいなくなった夕方
閉店間際の隣町の食料品店にあわてて買い物に出かける。
いつものねこ

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帰ってきて、ロミーナに会いに行くと
”どうしたの。今日は。遅かったじゃない。”
”買い物に行っていたから。”

土曜日でピッツァを買う人で混んでいた町のバールで
”RIEの頼むピッツァは、シンプルなマルゲリータとルッコラかスペックとキノコ、チーズの組合せよね。”と
言いながら、急に何かを思い出したように、奥のレストランルームからワインを持ってきました。

グラスワイン用に開けてくれたのが、このアルト・アディジェのワイン。
パンの上には、アルト・アディジェ、チロル地方の燻製の生ハム(スペック:Speck Alto Adige)
今夜のワイン

ワイン

WEIN BERGE Dolomiten Rotwein
2010
ブドウの品種:Schiava,Merlot,Lagrein
アルコール度数:13%
*ドイツ語圏でラベルはドイツ語表示。

急に、アルト・アディジェの山の中で偶然通りがかった小さな町のホテルや家の
綺麗な小さな窓辺のレースのカーテン、そしてチロル地方の景色を思い出す。

私が、以前、インスブルックに行き、帰りにアルト・アディジェの山々を
車で通過してミラノ方面までの長い道のりを帰って来た時の話を
ずっと覚えているとワインを注ぎながら、ロミーナが言うから、
まだ覚えているのかと少し驚き、嬉しくなり、ワインを一口飲む。

透明感のあるルビー色。ブルーベリー、黒スグリ、バニラなど甘いスパイスの香りで
優しい口当たり、そして北部のワインの持つ酸がとても綺麗でバランスがとれている。

あれは、今とは季節が違い、秋で、オーストリアは、もちろんのことチロル、アルト・アディジェ地方は
すでに気温がかなり下がった晴れた日のことでした。
まだ冬のスキー客のシーズンでもなく、夏も終わったので、閑散としていて
山にある多くのレストランも閉まっていました。

寒かったあの日、山の中でやっと見つけて入った小さなレストランで、オーストリアのように
温かい美味しいスープとパンとチーズがあればと思ってメニューを見ると
ピッツァがリストに並んでいました。もうここは、国境を越えてイタリアでした。

ナポリの有名なピッツァのお店も、ローマの下町でも、とても美味しいピッツァを食べたことがあって
やはり、ピッツァの本場は、ナポリやローマなのだけれど、
私は、アルト・アディジェであの時のピッツァがずっと忘れらない。

その見知らぬ小さなレストランで、地元の食材のピッツァが食べたいというと、
奥の窯で焼き上げてくれたのは地元の3種類のチーズを、山のキノコ
そしてアルト・アディジェ地方のスペックがふんだんにのせられたピッツァでした。

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黒米 Riso Venere

町のギャラリーで帰宅してからの午後を過ごす。
ミラノのギャラリーで働く友人、ジュゼッペがここを訪れた時に、
帰りに黒米を買ってミラノに帰っていきました。
1


先日のブログで黒米のサラダというのは、どういうのですかと聞かれたので、
黒米の紹介の写真だけ紹介の短い更新です。

私の町の入り口には、小さな黒米の看板があり、ここは、黒米の有名な産地です。
*****************
以前、ミラノで働くジュゼッペの実家のアグリツーリズモでノヴァーラの食材とプーリアの魚介類、
トマトなどの野菜、レモン、オリーブオイルを使って黒米のサラダを作った時のブログ。
http://blog.livedoor.jp/airone0219/archives/51284067.html

ノヴァーラに視察に来てくださったシェフがワイン会の時に用意してくれたサラダ。
IMG_0423 (1)

北海道滝川市 La Pecora ラ・ペコラさん
http://www10.plala.or.jp/pecora/
*ピエモンテワイン会用にノヴァーラ県の食材を使ったお料理だったので
普段のメニューにはないと思います。。。

黒と野菜や魚介類などと彩りが綺麗です。オリーブオイルやレモン(ワインビネガー)をたっぷりかけて
冷たくして暑い夏に美味しいです。
ワイン会の時のように付け合せでもいいですし、野菜もたくさん入っているので
私は、これを大きなお皿に入れて、夕食にしてしまうこともあります。

それでは、仕事にいってきます。
良い金曜日をお過ごし下さい。
*************
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ある午後。

町の大通りの左右の建物、そして水田地帯にある電線にもツバメの姿を多く見かけます。

州によって管理されている中世の農民の避難所だった建物
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家に向かうと、小さな聖堂の前に、バケツやほうき、モップが置かれていました。
見ると、以前の家ですぐ近くに住んでいた私の母と同じ年のガブリエラさんが
聖堂前の花を取り替え、拭き掃除をしていました。

”チャオ。RIE。以前は、一日に何回も会っていたのに、すぐ近くでも
通りを隔てた町役場の敷地内に行ってしまってから、ちっとも見ないわ。”と
そのうち、近所の昔からの信者の女性もガブリエラさんを手伝いだし
”チャオネ。”と背後から声がして、ロベルトのお父さんが教会の中にお花を持って入っていく。

みんな以前、支援タルトの会の時、支えてくれた教会を中心とした町の人たちでした。

一雨降るごとに、草木の成長がとても早く、遠くに見えた教会の裏にある夫の植物の緑が
朝よりも大きくなっていて驚く。
教会の駐車場においた私の車の下には、いつの間にかネコが休んでいて
空の雲がゆっくり移動しているのが見える。

夕食は、久しぶりに野菜の天ぷらで和食にしようと思っていたけれど
風景を見ていて、急に、この町のものが食べたくなってきて
こんな日は、この町の水田の黒米を使ったサラダにしようかと考えはじめていました。

まず、家に着いたら、冷やしておいたノヴァーラ県の白ワイン エルバルーチェと一緒に
遅いランチを食べて考えようと、わくわくする気持ちになりながら中庭に続く大きな木の扉を開けました。

***************
日本でワインの仕事をするようになってから、日本のいろいろな地域で人々に出会い
郷土料理やその土地の食材、人々の暮らしを見ることができ、それは、大切な日々でした。
そして、何よりも、それぞれの地方で人々が温かく優しかったです。
今回は、帰国時期では、ないので見ることができないですが
7月12日〜8月31日まで、都立中央図書館では、「ゆたかなる東北の幸」というコーナーを設けて
東北の食材や料理など紹介するそうです。

http://www.metro.tokyo.jp/INET/EVENT/2011/06/21l6m100.htm

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被災地の方に仕事の機会が出来ますように願っています。

今日は、夜の更新です。
********************
帰り道にゲンメのワイナリーに立ち寄り、ワイナリーの中、ひとりで働く友達を眺めている。
それがとても好きで、私も頑張ろうといつも思う。

バールのロミーナを見ている時も同じで、いつも真剣な眼差しでテーブルに目を配り
注文を言わなくても、みんなの前にすっとグラスを置く。

”RIEは、いつも違うものを注文するから、その日、どんなワインがいいのか難しいから聞くけれど。
みんなは、いつもだいたい同じかな。ビールが最初でその後、白ワインとか
いつも発泡のワインか、白、赤だけでその日に開けているボトルか、コーヒーにグラッパだったり。
それにハウスワインが多いし、赤は、手頃でいつもあるボナルダ・ノヴァレーゼ。
ランゲのワインは、そうねRIEくらいかな。”と笑う。

そんなことを思い出しながら、ゲンメのワイナリーでテーブルに座って働くアントネッロを見ていたら、
少し嬉しそうな自慢げな表情で、目の前のテーブルにボトルを置きました。
イタリア150周年のラべル
ゲンメ150

私は、この町でイタリアの人に熔け込んで頑張っていきたいと思った時、
そのために必要だと思ったのは、みんなと同じように日中、働く自分を築いていくこと
そうすることによって、やっと対等に話せるかもしれないと、それを目標に生きてきたことに気付きました。

ゲンメに立ち寄ってから、帰宅後、モンテローザを眺めていました。
17時過ぎ。この季節は、まだ暑い午後の日差し。
ミラノから帰ってくると、いつも田園を見て、この町での時間に気持ちを切り替えます。
1


**************
東日本大震災で被害を受けた宮城県の水産加工会社の商品などのセールが、
東京のデパートで開かれているとのことです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110621/t10013662461000.html

大切に、水産加工会社がひとつ、ひとつ商品を作ってきたのだから
それが少しでも流通できること、その機会があるのは、とても嬉しいことです。

学生時代に、老舗百貨店でアルバイトをしていた私は、閉店近くになると
売れ残った高級食材やお惣菜が次々に捨てられていくのをいつも見ていました。
バブル時代であったので、その廃棄量は、驚くほど多かったことが印象に残っていますが
仕方がないとしか思わなかったかもしれません。

あの頃の持っていた価値観が、今、大きく変わり、その後、得た知識、経験したこと
出会った多くの人たちに感謝して、年月の流れは、充実した時間を運んできてくれましいた。

そして、今、被災地で職を得ようと、仕事をして新たに人生を築いていこうとしている人たちが
どれだけ必死なのかを知りました。

がれきの撤去の大型車を動かす免許の資格を得るために
頑張っている主婦や女性も多くいると聞きました。

何でもできることを頑張っていき、職を得て生活していきたいという人のために
私は、まだ力不足で何もできません。
ただ、思うことは、今の私の仕事は、自分の時間に限りもあることがわかってきていて
また、私が今までイタリアで勉強したり、そして海外出張で多くのワインに出会い
フランスをはじめ、ヨーロッパの各地で得た知識を自分だけのものにしないで
若いソムリエの方に少しでも残していきたいと思うようになっていました。

今すぐに、何かできるわけでないですが、また年内に日本に、そして東北に行きます。
ワインやレストランで働く人、まだソムリエでなくていいです。
いつかソムリエになりたいと思う人を応援して勉強できるセミナーを開いて
そして、いつか少しでもワインの会社の余裕が出来て人が欲しいと思った時に、
被災地で同じ夢を持つ方と一緒に働きたいと思っています。
そうできる自分になれるように頑張ります。

まだそう慣れない自分が情けないけれど、3年前の6月20日が、会社が設立して
登録された日でした。
その後、イタリアに在住だったので酒類免許に時間がかかり
ワインを輸入して2年しか経っていないけれど、もうそれだけ月日が経ってしまいました。
まだ軌道に乗っていない自分が少し情けないですが

自分の住んでいるところが、東京、倉庫のある舞浜近郊でないので
難しいという思いは、多いけれど
思うのは、世界のどこにいても仕事ができるということ。

日本帰国時の乗り継ぎのミュンヘンの空港でも仕事をしていたのですから。
(写真は、ドイツビールと一緒ですが・・・)
IMG_0710


被災地で今後の生活を築くために、とても必死で働きたい方を応援していきたいです。
私の力では、無力ですが、どうか今後、どんな仕事でもと思って頑張っている方にチャンスを作れるように
私もイタリアから頑張るので、読んでくださった日本の皆さんもどうかよろしくお願いします。

今、フルタイムで雇うだけの力がまったくないので、ほんの少しだけになりますが
まずは、私が、時間的にも出来ないWEB関連のプロフェッショナルの方の仕事など考えています。
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実は、学生時代のその百貨店のアルバイトの帰り、地下鉄に乗って次の駅に到着しドアが
開いた瞬間、”いらっしゃいませ。”と乗る人におじぎして挨拶してしまい
神保町まで行くつもりが、その場にいられなくなって、そのまま降りるしかなかったことを思い出しました。
ぼんやりと乗っていた地下鉄のドアを開いた瞬間、咄嗟にエレベーターのドアと間違えました。

イチョウの木の下で。

朝、明るくなるのがとても早くなり、高速入り口の駐車場に向かう時、カーブを曲がると
ちょうど東の方角になり、あまりにも太陽が眩しく、朝6時過ぎからサングラスで運転。

今、ちょうどロンバルディア州との境のティチーノ川を越えて、とうもろこし畑が広がっています。
先日、日曜日の写真からの短い更新です。
******************
日曜日になると、町は、とても静かになり、田園では、サイクリング
そして時々、長い竿を持って蛙を釣る人を見かけるくらいでした。

古いレンガと石造りが崩れている牛舎の横を通り過ぎる。
誰もいない。まるで、私1人がこの町に住んでいるかのように感じられます。
とても長い日曜日の午後の時間。
日曜日の町1

静かな教会の敷地内。
日曜日の町2

そしてギャラリーに立ち寄ると、管理人の友達は、画商の顧客が訪問しているとのことで
仕事をしていました。仕事の合間に開いているアートの本を、私に渡し
”ベンチでしばらく読んでいたらいいよ。”
木陰で

大きなイチョウの木で木陰になった空間に座り、本を読む。
空を見上げる。こんな小さなことの積み重ねが幸せに感じられるからイタリアで暮らしている。

*日曜日の夕方帰宅して、最初に飲んだワインは、冷たくしておいたエルバルーチェ100%
(ノヴァーラ県のビオのワイナリーのもの)スプマンテ。Incontro
Vino Spumante Brut
ブドウの品種:Erbaluce(エルバルーチェ)100%
アルコール度数:12.5%
Bianchi
このワインは、以前のブログにもあります。2年前のちょうど同じ時期でした。
http://blog.livedoor.jp/airone0219/archives/51260093.html
*************
今朝、不思議な夢を見て、その余韻が今でもずっと続く中、ミラノの地下鉄に揺られて
このブログを今、送信しようとしています。
まだ、夢の続きのようで、これから、次に乗り換える地下鉄内でオフィスの最寄り駅までに
どうにか仕事モードに切り替わらないと。

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日本時間で日曜日の午後に、ワインの連絡のメールや
facebookのメッセージを受け取った方。
私は、この木陰のベンチから送信していました。

今夜は、私もピッツァにしよう。

夕方17時を過ぎると、空が急に暗くなり、雷雨になりました。

こんな日は、ピッツァの箱を持って帰るのが大変なので、ロミーナのお店は
土曜日であっても、少し暇になってしまうので、
雨が弱まったら行ってみようと思って雨が止むのを待っていました。
この調子なら、このまま夜までずっと降ってしまうかもしれない。

30分後、急に雨が止むと青空が広がり、私は、カメラを持って田園に向かいました。

雲

”グワァ。”という大きな鳴き声が響き渡り、私の上空には、青サギ。
airone

遠くに小さな虹。
虹


雨上がりの夕方、そのままロミーナのバールに向かう。

土曜日の夜は、ピッツァにするひとが多く、電話で予約をして焼きあがり時間、少し前に
バールに訪れ、ワイン1杯飲んで待ち、焼きあがると、慌てたようにグラスを飲みほし
家族の元に持って帰るのです。

見ていると、約1時間くらいで、70箱以上が次々に運ばれていき、
バールの隣にあるレストランの部屋も満席になっていきました。
夕食をしようと来た人たちに21時30以降でないと、難しいとロミーナが告げると
”それなら21時半に4人”と予約をして、帰って行く人もいました。

町の人口を考えると、とても大きな割合です。少し前まで800人だった人口が1000人近くになりました。
これは、8km先にある大きな工場地帯の運送の倉庫の整理などの外国人労働者、
そして町に母子施設、ホスピスがあり、他の州から一時的に移り住む人が多いからです。

またシチリアから養子として、家族と離れ、この町で仕事を得て実家に仕送りをしていると
そんな身の上話をしてくれた少年とバールで会って、いつのまにか、素敵な青年になり
月日の流れに驚いてしまった。私がここに来たのは2005年、知り合ったのは2006年だったわけで・・・。

”コーラがいつの間にか、ビールになったのね。”と言うと
”まだワインの味は、ちっともわからないんだ。”と笑って、”それじゃ。また今度。”と
ピッツァの箱を抱えて帰っていきました。

************************************
雨戸(ヴェネツィアーナ:板のブラインドになった扉)をそろそろ閉めようかと思い窓に向かうと
まだ明るかったので、今夜は、夜の空に変わっていくのを少し眺めようと、
ワイングラスを持って窓辺に立って空を見ていました。

21時15分。雨雲があるので、暗くなるのが、少し早いです。
高緯度にあるので、日没までの時間が長いのです。見えているのは、教会の鐘楼。
21時15分

そして21時半。夜の空と青空が出会う時間。
見えているのは、隣の家の古い農耕具の倉庫の屋根。
21時30分


空と田園の風景、ここには、それしかないけれど、雲が力強い構成を持っている。
私は、飛行機に乗るのがとても好きで、そのひとつは、この雲の中を突き抜け、
小さな窓から雲と同じ高さから見る空が果てしなく地球に広がっているからです。

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稲の品種の研究

帰りのバスの車内から
今朝のブログの記事がうまく送信できなかったので、再送です。

ブログの写真は、昨日の帰宅時の様子で、今は、再びどんよりとした曇り空が広がっています。

********************
午後、帰宅後に駐車場から教会と空を見上げる。
気温も高くなり、夏の空が広がっていました。

007


その後、夕方から雷雨となり、雨は、明け方にも再び降りました。

そして、今、車窓から雨上がりの田園風景を眺めながらミラノに向かう。
一面が緑色の水田の中、雑草を抜いている人の姿が目に入りました。

そういえば、種籾を専門としている稲作農家の友達が、
気の遠くなるようなこの作業は、とても大切で、別の品種が入ってしまわないように
純度の高い種籾を作るためだと話していたのを思い出しました。

*****************
15日のNHKのwebニュースから
津波で海水につかる被害を受け、塩分濃度が高くなった仙台市の田んぼで、
さまざまな品種の稲を植え、塩分に強い稲を調べる実験が始まりました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110615/k10013536171000.html
******************

これを稲作農家のダニエーレに話したら、おそらく実験してみることでしょう。
研究所と呼んでいる田んぼがあり、そこには、1屬困超萓擇
あらゆる品種を栽培、研究していて、
稲作のためにヨーロッパ、ロシア、アメリカ、アジアと
それぞれ研究者に会いに行き、お互いに情報交換をしてさらに研究しているのです。

ダニエーレさんの登場した以前のブログ
http://blog.livedoor.jp/airone0219/archives/51588904.html

同じく農家仲間で友人のエリザベータは、
結婚後も、独身時代と同じく、ルイージ、ヴィクトリオたちと一緒に稲作を続けています。

”私が辞めてしまうと、他にする人がいなくて、みんなが困るというのもあるけれど
ダニエーレのように自分も稲作に力を入れていきたいから。”

その時、ダニエーレは、確か自分の抱えている大きな血管の病気のことを話し、
だから悔いのないように出来る限りの時間を好きな稲作の研究の仕事をしているんだと
いつものように明るく、陽気な笑顔で語っていました。
そんなことを思い出し、田園が続く車窓を眺める。

********************

もうすぐ、ミラノ。
オフィスのパソコンのデスクトップは、あさがお。
亡くなった父が、毎年、楽しみに出かけていった
浅草の朝顔市の写真に変えました。

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トリノへ

トリノに行っていました。
1


ピエモンテ州の州都トリノ。
ここは、いつも通勤するミラノの持つ雰囲気ともどこか違い、
トリノの街に入ると、ノヴァーラ県に引っ越してきたばかりの2005年の夏の日々を思い出すのです。

それは、教習所に通っていた頃、教習車のフィアットに乗ってヴェルチェッリの街の中を走った頃であったり
町の友達ヴィクトリオたちとオルタ湖やビエッラに食事に行ったことだったり

でも何よりも、あの頃、取材の仕事上、相談できる人は、他のヨーロッパの都市だったので
初めての都市で1人で進めて行かなければならなかった中、
立ち消えになったいくつかの仕事もありながら、いつも次の何かを探しながら
ピエモンテの風景を眺めていた日々。

*****************
帰り道、トリノ ポルタ・スーザ駅前で最終のミラノ行きバスを待っていました。
2


ビエッラの近くを通過する頃、空が暗くなり始めました。
やがて到着してバスを降り駐車場に向かうと
まだうっすらと明るく、淡い紺色の夜空に丸い月が浮かび
もうすぐ、満月であることに気づきました。
月が綺麗な日は、日本でワインを楽しむ人たちがいるのを知っています。
そして、マンションのベランダから月を眺め、自宅でゆっくりワインを楽しむ人も。

前方の月に向かって、自宅までの夜道を車で走り
ヘッドライトに照らされ小さな野うさぎが道路を横切っていきました。

家に到着すると22時過ぎ。

この月の綺麗な夜は、バルバレスコの友達ティッツィアーナの家族のワイナリーの
バルバレスコ2007
 
BARBARESCO RABAJA 2007
Rosso DOCG
ブドウの品種:ネッビオーロ 100%   
アルコール度数:14%  
Giuseppe Cortese

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BARBARESCO RABAJA 2007は、浦安の倉庫の関係で
まだ日本に輸送せず、ピエモンテで保管したままです。
申し訳ありません。入荷し次第、お知らせします。

レファレンダムのあった日のこと。

彫刻のギャラリーの庭にある水道の蛇口の上には、この町のシンボルの蛙のオブジェ。
1

同じように教会の敷地内の庭、町役場の受付にも、この蛙のオブジェがあります。

この地方で言い伝えられている幻のブルーの蛙を見たと何年か前に
エリザベータが夢中で話してくれたことがありました。
”どこで。”
”農作業中に、自然保護地区の草むらで。あれが最初で最後だったのよ。”

ギャラリーの中庭を散策し、管理人の友人に依頼して
彫刻と一緒にワインに関する考古学が展示されている一室に入りました。

ブドウからワインを造る一連の過程が石に彫られていました。
"見て、スラビック。時代とともに機械化されたり、洗練されていっているけど
方法は、大きく変わっていないのよ。”

紀元前1世紀後半
2


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政治に関する重要事項の可否を直接国民投票に決めるレファレンダムがあり
この町でその会場となるのは、町役場です。

私の家は、夫が、町に招待された仕事の関係で、町役場の建物の一角にあり
その期間中財務警察官が、同じ敷地内に泊り込んでいます。

金曜日の夜に、自宅のある敷地内に2台の車が入り、庭にある町役場に続く
大きな窓ガラスになっていて、室内がすべて見える会議室で
水を飲んで休んでいる財務警官と目が合い、挨拶をすると
奥に簡易ベットが置かれているのが見えました。

夕方、彫刻のギャラリーから戻り、バールに立ち寄り、ロミーナとワインの話をしていると
町役場で働くナザリオが、週に3回、町役場に勤務している地域の警察官が一緒に来て
持ち帰り用のピッツァを5枚、揚げたてのイカリング、パンなどをロミーナに注文して
ピッツァの箱を抱えて、二人で足早に帰っていきました。

その後、帰り道、投票に行く人たちで町役場の表の玄関が開いていたので、
教会からの目の前にある大きな木の扉でなく、町役場の正面から帰ろうとすると
入り口に、財務警察官が見張りをしていて、”こんにちは。”と挨拶をしたら

”おかえり”という言葉が返ってきて、投票所でなく、家に続く大きなガラスの扉を開けてくれたので
ありがとうとお礼を言って、家に向かいました。

夜が訪れようと、次第に空が薄暗くなってきた21時過ぎに
教会の敷地に夫が植えている植物の様子を見に行こうと、敷地内を歩くと

まだ開けていないであろうピッツァの箱とアルミで覆われたパン、イカリング
水が会議室に置き去りにされていました。

国民投票は、今日まで続き、帰宅するとまだ勤務していることでしょう。

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震災後3カ月。

昨日、出勤中の高速バスから車窓を撮ったものの、画像がアップロード出来なくて
ブログの更新が遅れてしまいました。

ブログを書いている今は、土曜日の午前中。窓から見える外の風景は、
とても明るく晴れているものの、教会の上のあたりに大きなグレーの雲が浮かび
今夜もまた、夕立が来るかもしれません。
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昨日の朝、ミラノ行きバスの車窓から。
雨上がりの早朝は、田園がうっすらと霞み、深い緑の水田。
車窓

その後。
車窓2
この季節は、一日が始まっていく空を、いつも車窓から眺めています。

日本からイタリアに戻って、もう2週間以上が経ちました。

ずっと移動し続けた日々の中、北海道の滝川まで行ったので
もし時間があれば旭川もそう遠くなかったわけで

いつの日か、大雪山系を背景に広がる水田の景色とその地域の人々と交流できるように
時間を作っていきたいと手帳に書かれていた日程表を見ながら考えていました。

そろそろ次の段階に私も行かないとと思う。
ワインを輸入しはじめて3年目に入ろうとしているのだから。
軌道に乗るまで時間がかかり、いつもあまりにも私は、時間の余裕がないことに気がつく。

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帰宅した頃は、田園に青空が広がり、明るい夕方に、
バールで町の友達、仕事後のエルネストとワインで語る。
この日は、イタリアの電力とレファレンダムのこと。
エルネスト
震災後に、ロベルトと一緒にブログに登場したエルネスト

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震災後3カ月が経ちました。

観光庁のサイトから
被災地でのボランティア活動と観光振興をセットにした「ボランティアツアー」
http://www.mlit.go.jp/kankocho/news02_000096.html
大手旅行会社をはじめ、岩手県などの旅行会社もあります。
例えば、災害現場にて、汚泥や家財の撤去・ゴミの積み出し、掃除や片付けなどのボランティア活動と
宮沢賢治記念館、宮古市魚菜市場や平泉・中尊寺などの観光も含まれていたり
温泉旅館に宿泊といったコースもあるようです。

震災後、打撃のあった旅行業や温泉旅館、地域が動き、結果としてそれが
人々に仕事のチャンスが来て大きく復興に繋がっていきます。

私は、震災に遭遇したわけではないのだけれど、この3カ月で多くのことが変わっていきました。
きっと多くの方も同じ気持ちでしょう。

いろいろな気持ちの変化もありました。まず、考えたのがイタリアにいる私ができること。
今後、復興に向かって日本の財政の支出があまりも多いことが予想されたので
日本の財政のためにも、法人事業税を少しでも多くできるように
日本にあるワインの会社の仕事を諦めないで進めていこうと思ったり

多くの人とみんなで呼びかけあって賛同者での大きなつながりを増やして
日本が動いていけるようにとかいろいろと考えたりしました。

そして、今は、まだ私は、微力な寄付金しかできないので、その金額が今後大きくなるように
仕事を広げて、もう一段上の自分になれるようにとそんなことを考えています。
同じように考えて仕事を頑張っている方がとても多いと思います。

被災地の方が自立して安心して新しい生活を築いていけることを主体として、
その中で力になれること、今後、未来の電力のことや
国際的に信頼される日本になっていくためにも
考えていかなければならないことがまだまだ多くあり、先は見えない状態でも
1日が始まり、時が経過していく中で、復興する日のことを信じて進んでいきたいです。

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ワイン、そして時々twitter

今日は、帰宅後の更新です。
日本時間が深夜になって、仕事関係のメールを少し保留して食前酒でも飲もうかとほっとする時間帯。

でも夜眠る前に、ツィッタ―に”おはようございます。”という文字や
一日が始まる雰囲気が感じられるととても焦ってしまう。
早く集中して眠って、明け方前に起きなければと思う。
きっと時差のあるところで仕事をしている人は、同じ思いのことでしょう。

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写真は、ゲンメの旧市街の通り。
ワイナリーに、イタリア農業の連盟の旗がかけられていました。
稲作、キウィ農家の友達、グイードも同じ旗をアグリツーリズモに掲げています。
農業に誇りを持っているのは、ワイナリーのアントネッロも同じ。004

以前、黄色に緑色のロゴの入った帽子を被っていたグイードが、
箱に入ったトラクターのキーホルダーを
”いいものがあるんだ。RIEにあげようか。”と言ってくれたのに
断ってしまったことがありました。

私は、何であの時に断ってしまったのだろう。
Coldiretti (Confederazione Nazionale Coltivatori Diretti)
********************
今日は、いつもよりも早い午後に帰宅、車を家の前に駐車すると、
向かいのバールでロミーナが、外のテーブルをふいて、
晴れてきた午後に、イスを出していたのを見て
パソコンの入った重いカバンを持ったまま、バールに向かう。

ランチがまだだったので、子供がおやつに買う小さな1ユーロのピッツァを買おうと思ったら
すでにこの日は、売り切れてしまっていました。

”待って。もうシェフのアニーバレは、ランチタイムが終わってキッチンを閉めているけれど
私が何か、とっても早くできるものを作るから。ワインと一緒に、ここでランチが終われば
家で時間ができるでしょう。”とキッチンに消えていきました。

ピッツァ用に準備していたボンゴレのトマトソースとバジリコを使ったみたいです。
ワインは、ノヴァーラの赤ワイン。品種もノヴァーラの地場品種。
バールでは、気軽にこれを飲む人が多いです。ウバ・ラーラ(ボナルダ ノヴァレーゼ)
026

Colline Novaresi Uva Rara
Rosso DOC
2009
ブドウの品種 Uva Rara (Bonarda Novarese ) 100%.
アルコール度数 12.5%
IOPPA

優しい味のパスタ。
”トマトソースは、シンプルでいて、いつの時代も美味しく、いっこうに古い昔の味にはならないね。”と
ワインを飲みながら、ランチタイムが終わって誰もいない店内で過ごしていると、
再び、雨が降ってきました。

ミラノでは、バールでカフェも飲まないで、そのまま帰ってくるのですが
それは、この町に戻れば、こんなランチがあるから。今日のメニュー ワイン込み3ユーロ。

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ツィッタ―、Facebookなどのソーシャルネットワーキングサービスを利用しはじめて

最初は、つぶやくブログというのがなんだか抵抗がありましたが
日本の官公庁や自治体、イタリアの新聞社、そしてワイン関連、同業者をフォローすることによって
たくさんのニュースやワイン関係者の情報が時系列に流れてくるので
オフィスにいる時間帯のものはすべて読まずに流れていってしまっていますが
それでも、とても広がりました。
イタリアの新聞の見出しと内容は、新聞社のツィッターで。

私がイタリアでも震災直後から日本のたくさんの情報が得ることができたので
反対に、日本でもイタリアを知ることができるのです。
もし、このブログを読んでくださって、イタリアが好きで、イタリア語を勉強していて
まだアカウントがない場合、今後、利用してみるのも。
イタリアで何が今、起きているか、どんなイベントがあるかが無料で次々に流れてくるのですから。
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ある1日。

バスの車窓からは、緑になった水田、とうもろこし畑が見えています。
雲が多いけれど、空がうっすらと明るく、遠くにアルプスの山々のシルエットがぼんやりと姿をあらわし
今日も、町の友達ロミーナからもらったスーツを着て出勤です。
朝の短い更新。
*********************
帰り道にゲンメのワイナリーに行く日もあれば、近郊の町のサラミ、チーズ農家、そして隣町の食品店、
町に戻ってからは、ギャラリーやバールに立ち寄り、人と出会い
自分のピエモンテでの暮らしを大切にしようといつもそう感じて過ごしています。

この日は、近郊の町に保存されている小さな歴史地区の一角で。
旧市街

この町を通過すると、次第に水田の続くお米の産地から
ノヴァーラ県のワインの産地へと変わっていき

私の町に稲作のための機械化以前の古い農耕具が保存されているように
町には、ワイン造りのための古い農耕具が残されています。

ゲンメのワイナリーのアントネッロは、2,3年前までは、博物館に保存されているような
昔からの圧搾機を使っていました。

ヴェスポリーナのブドウで、赤く染まったそのtorchio(ブドウの圧搾機)を今でも思い出す。
その日は、ワイナリーの近くの広場に車を駐車して降りると、旧市街には
ヴェスポリーナの香りが漂っていました。

アントネッロに”広場にロゼ色の風が吹いていたわよ。”と言うと、とても喜び
昔のゲンメの町のことを話し続けていました。
私は、そんな昔の話を聞きながら、ワイン造りの仕事を横で眺めていました。

ゲンメのワイナリーのtorchioの写真がある当時のブログ 2009年10月
http://blog.livedoor.jp/airone0219/archives/51315862.html
**********************************
町に戻り、車の修理の相談をしている友達のところに行こうと
彫刻のギャラリーに立ち寄り、友達の仕事が終わるまで、ギャラリーで過ごす。

モダンな彫刻と一緒にイタリアワインの歴史が展示されていました。
012

この日は、とても遅いランチと食前酒と夕食が一緒になってしまったのですが
まず、冷蔵庫から取り出したのは、近郊の町の農家でいつも買う
ゴルゴンゾーラ(この日は、青かびの多いピカンテに。)と赤ワインは、バローロ村のネッビオーロ。
010


もうオフィスのある最寄の地下鉄の駅に到着。
今日も、頑張って、そして大切に1日を過ごしていきましょ。
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雨の中、ジャズの演奏を聴きながらワイン

Novara Jazzが私の住む小さな町にやって来た日。

ここは、ギャラリーの一部のモダンな彫刻が保存され、機械化以前の古い農耕具が展示されている
小さな町の教会の敷地内のサヴォイア家の関係の富裕な農場跡。

演奏家の背後は、昔のお米の乾燥器
jazz


金曜日の夕方から強い雨や雷があり、ちょうど雨が止んだ頃、
窓からジャズの演奏が聞こえてきて
家の裏にある教会の敷地に行ってみました。

そういえば、私は、twitterでこのnovarajazzをフォローしていたのだけれど
たくさんのツィートにうもれていて、チェックしそこなっていました。
まさか、家のすぐ裏でNovara Jazzの演奏が聴けるとは、思わなかったです。

教会の裏には、ノヴァーラナンバーの他、ミラノ、トリノ、ヴァレーゼのナンバーの車が
ずらりと並び、彫刻のギャラリー、古い農耕具の博物館、町の牛舎、
古い石と煉瓦の廃墟となった農場、お米倉庫と農民の避難所といった
いつもの誰もいない雨の風景の中に、他の都市から観光客が訪れていました。

そのまま、農場跡の廃墟の裏にあるロミーナのいるバールに向かいました。
食前酒は、口実で、強い雨で、ずっと家にいたので
誰か友達と話したかったのです。

******************
再び雨が降ってきました。
レストラン開店前で雨の日の静かなバールの店内。
遠くからジャズのメロディが聞えてきました。

バールに入るとすぐに、ロミーナが目の前に白いお皿を置きました。
オリーブとトマト、ピーマン、そしてメカジキのスモークを
オリーブオイルとレモンで合えて温かいパンにのせたもの。
bar


そのうち、ロベルトがひとりで入ってきました。
ロミーナと話しながら、カウンターの入り口にいた私は、
ドイツのビールを注文したロベルトとすぐに目が合って手を振る。

”ああ、RIEも来ていたか。入り口で見て、誰もいないかなと思っていたよ。
ビールが終わったら、一緒にワインにするよ。”

"日本、どうだった?”とポツリと力なくロベルトが切り出す。
”長くかかるというのは、インターネットの情報で読んだけれど
僕、何も力にもなってないし、出来てないな。”と小さな声で悲しげに言う。

カウンターに寄りかかりながら、私は、赤ワインを一口飲んで、何から話そうかと考えていました。

”日本で、避難所で調理しているイタリアンレストランに有機のオリーブオイルを
販売用とは、別で缶入りの大きいものをいくつか空輸して支援物資として寄付したけれど
もっと何か出来ないかなと、実は、私は、何も出来ていないような気がする。

現場に行っている人たちから、もっといろいろと話を聞いて、何が必要か
その問題点など考えてみたかったけれど、2週間だったから時間切れだった。”

”ところで、倉庫のある地域は、どうだった。”
”水道管が、応急処置だったのか、地上にある部分もあったの。
だから、初めて水道管を見たわ。でも断水が続くよりは、ずっといい。
地面がデコボコになっていても、車が通れるように整備されていたから大丈夫。
ただ、砂が風に舞ってたくさん建物の中に入って来るのよ。”

”住んでいる東京は。”
”大丈夫。ホテルも機能しているし、大丈夫だから、外国人に今まで通り
観光に来てもらわないと…そういう立場でイタリアでは、仕事をしている。”

”そうか…。”とロベルトがポツリと言う。

”日本で現地で活動している人に、すぐに何かを渡すことも出来るのか…。
少し、考えてみるよ。
そういえば、RIEが日本にいる間にグリル、そしてその後ポルケッタ(子豚の丸焼き)の会をしたよ。
スポーツ施設にある屋外にテーブルを出して開催したんだ。その話もRIEにあって…”

そのうち、教会の鐘が18時半を告げるとロベルトは、
”もう、行かないと。今夜は、親戚の家で夕食。来週また、ここで。”と言い
雨の中を帰っていきました。

いつの間にか、店内には、数人が集まり
ロミーナは、ひとりカウンターの隅に隠れるように立ったまま
いつものように早い夕食にしていました。

さあ、私も食事にしようと雨の中、ジャズのメロディを聴きながら帰っていきました。

*******************
ブログを書いている日曜日の午前中、いつもは、太陽の光で眩しい部屋で
電気をつけて過ごす。外は、グレーの空と風が吹き、雨音が続き、遠くから雷も聞えてきました。

今日は、このまま、自宅で一日過ごし、ワイン関係の仕事をしていきます。
寄付金付きのイベント、商品など考えていきます。
寄付してくれる人と同じ金額を自分の方で追加して倍にできるように。
そのためにも収入を増やしていかなければいけないので休んでいるわけにいかないです。
頑張っていきましょう。

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雨の湖を眺めながら。

昨日が祝日だったため、今日、金曜日も休暇を取っている人も多いようです。
ノヴァーラを通過してロンバルディア州との境にある都市までバスの車内は、私1人でした。
きっと、これから乗るミラノの朝の地下鉄も人が少ないことでしょう。
*******************************
いつもここまでドライブするのは、きまって雨の日でした。
晴れて青い湖になれば、たちまち観光地としての風景になり
雨の降る日は、静寂で、静かに流れるクラッシックの旋律を聴いているようにも感じる風景。

湖に面するホテルの1室の窓から
窓

湖の周辺を散策することもなく、雨で人のいないホテルのラウンジで
ただ、紅茶を飲みながら仕事のプランを考えることのできる、ひとりの空間であり、
いつも、次第に湖の周辺の町にオレンジ色の灯りがつくころに、水田の町に戻るのです。

orta

Orta San Giulio(ノヴァーラ県)

雨の湖で、昔の修道院を眺める。
私がいるこのホテルの場所も昔、修道院でした。
昔、ゲンメの丘からのブドウが運ばれて、この土地の修道院で
修道士たちが醸造していた時代もあったことをゲンメの本を読み、知りました。

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日本のワイン会の思い出。

2日後の夜には、もうピエモンテの家に到着しているのかと考えたら
少し淋しくも感じた日本での最後のワイン会は、札幌でした。
雨の降る札幌の街を大きく広がる地下街の通路、ショッピングセンターを歩きながら
すすきの方面に向かっていきました。

”お互いに、写真を撮るのを忘れてしまったわね。”とイタリアに戻ってから連絡し
"ボトルの写真だけだったら、ある。"と急遽、送ってもらった写真です。
画像 190 (1)


帰ってから、札幌のホテルでメールを開くと、バローロ村の友達シルヴィアから
"帰ってきたら、ワイン会の写真を見せてね。私たちのワインを日本でみんなが
飲んでいる写真を飾りたいから。”

どうしよう。シルヴィアさん。この写真しかありません。



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風格を感じる存在感のある外見、そして控えめで穏やかな ソムリエ スガワラさん
震災後、すぐにいろいろな支援の活動もしていて
現在でも、引き続き、定期的にチャリティワイン会なども実施しています。

札幌 なちゅら 
瀬棚町の放牧黒豚、なたねオイルなど道産の食材とオーナーが自ら作る野菜も取り入れた
お料理とワインのお店。
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東京でピエモンテワインの人もいたはず。私もノヴァーラでワイン。

雨降りの一日。ゲンメの旧市街の窓辺
007

少し肌寒く、今日は、スーツを来て仕事に行きました。

スーツは、バールの友達ロミーナからもらったもの。
"私の仕事では、スーツは着ないし、冠婚葬祭のために買って1回着ただけなの。
でも、それでもクリー二ングに持っていっておいたわ。
RIEが仕事で着ると思ったから。だって、私たち、同じくらいの体型でしょ。”と
渡されたクリーニングの袋に入っていた3着のスーツのうちのひとつです。

今日のロミーナ
romi


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ちょっとお知らせです。
Vineria Hirano

Jingu
Vineria HIRANO
東京都 渋谷区千駄ヶ谷2-5-5ウィルコート1F
* 隠れ家のように少しわかりにくいところに。

ソムリエ 平野さんが開催している震災にあったイタリアワイン復興 in GIAPPONEの会に
私のワインも参加
写真は、Vineria HIRANOさんのカウンターにある
震災のため、周辺が液状化で建物が傾いた地域にある舞浜の倉庫で
ラベル等に損傷のあったピエモンテワイン

*************
日本から帰ってきて。

実は、日本に行く前に、感じていた東北地方の復興に関して
日本に到着してからの気持ちとの差が大きいことを感じていました。

異国であるイタリア、そしてカナダで生きる道を模索して暮らしてきた私は、常に
今後、具体的にどうしていけばいいかヴィジョンを持って生きてきたことにも気付きました。
楽観的な気持ちを持って、どうにかなると生きていた、その背景には、いつも
不安をひとつひとつクリアにして、立ち向かっていき、楽観的な気持ちには
いつも理由が存在していました。

日本に帰国して1日、2日、数日と時が経過するにつれて、
毎日の仕事の忙しさも加わり、日本で起きたこと、そして更なる問題が起きて
何も終わっていないという現実を直視せず、ただ頑張ろうという精神論に
支配されてしまっていき
日本滞在中に震災のこと、そして被災地の方々のことが遠い出来事のように
感じた瞬間もあったのです。

ワインをきっかけに知り合ったあらゆる業界の多くの人々との出会いにとても感謝しています。

ひとりでは、できないことをたくさんの人たちの力で大きな視点から
問題を解決するために、起きた事象を直視して、今、困っている不安な状態の人たちを
ひとりでも救えるように、根本から解決できるようにと願うだけでなく
ひとりひとりの意識の中で考えていけるようになっていくことができればと思いました。

東北は、美しく、そして水田もあり、今、暮らしているピエモンテのような
農業の地域であることを知りました。

日本への旅行の観光を促進する広報的仕事もしているだけに、その狭間にいる私が思うことは
放射能の測定値、他国の都市との比較の表はグラフを提示することについて、
不安が1%でもあれば、それは、避けたいという気持ちがある人のことを
それは、風評だからという単語で動かそうとすることは、私にはできないのです。

イタリアのニュースからもいつの間にか葬り去られてしまい
誰もが沈黙することで収まることを望んでいるわけでは、決してなく

そして、数値を提示し、比較してイタリアを含めて他の国の大都市の放射能数値を見て
安心するという方法でもなく
今、起きていることの解決のために、その問題を逃げずに直視していくことのできるような
広い視野を持つ人が1人でも多く存在し

その上で、日本の将来のヴィジョンがあれば
自然と誰もがそれに向かって進んでいけるように思えたのです。

頑張ろうという言葉に具体的なヴィジョンがあったら、
その言葉が今以上に強いものになっていくような気がしました。


*************
もう17時。これからランチ。そして日本のワインの仕事のメールに戻ります。
今夜のワインは、品種 ボナルダの樽熟成です。ランゲ・ロッソ2007

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RIE OKUYAMA、Wine・Art Co.ltdにあります。
copyright(c) 2005-2017 
RIE OKUYAMA All rights reserved.


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