行きの通勤のバスの中で書ききれなかったので、少し追加して帰りのバスから短い更新です。

ワインがワイナリーからテーブルに届くまで。
それは、日本にワインの輸入をする時に、ワイン代と輸送費と税金だけでなく

イタリアから日本に到着、そして日本到着後からも保冷倉庫の保管料、
食品届けの厚生省への手続き、そのためのイタリアでの公的な食品分析の証明書の作成、
通関の手続きの費用、その後関税、酒税、消費税などの納税、
貨物倉庫から保冷車で会社の倉庫までの輸送、

倉庫で働くスタッフさんへの費用、梱包料、日本国内の送料など
ワインがテーブルに届くまで、国際輸送後、日本到着してからも多くの費用と
そこで働くそれぞれの人への人件費がかかっていきますが

それは、中世の時代も同じだったようです。

今日は、中世の時代の注文書に残っていた記録から
ゲンメの旧市街のワイン醸造所を出発してミラノの貴族の邸宅に届くまでにかかっていた費用について

写真は、現在のゲンメの旧市街、修復などしていますが中世の時代のまま残っています。

旧市街にあるこの建物は、ロンバルディアとピエモンテの戦いの頃
ここは、1300年代に築かれた農民の避難所で戦いが終わり、
避難所としての役目が終わった1400年代から古代から有名なワインの生産地であったゲンメの丘から、
旧市街にブドウが運びこまれてワイン醸造のための空間に変わっていきました。

日本の室町時代の頃のこと。
その当時から、ゲンメのアントネッロの祖先もこの地でワイン造りを行ってきました。

それから約200年後、(日本では江戸時代)にミラノの貴族の邸宅にワインが運ばれていった記録について

1


2 (1)


2 (2)


時々、ブログでミラノ行きの高速道路バスの車窓でピエモンテ州からロンバルディア州に変わる時
通過するティチーノ川の写真を掲載しました。

ティチーノ川は、マルペンサ空港から車にノヴァーラ県に向かう時にも通過して
ノヴァーラ県のオレッジョという街に入っていきます。

中世に、ゲンメからミラノにワインが運ばれていったのは、この川が使われました。

6 brente、時には12 brenteという単位で運ばれていました。
単数形では、brenta(ブレンタ)は、地域、年代によってその容量に差があるようです。
約50リットル(49,30リットル)ですが、ミラノでは、75,55リットルだったともあります。

brenta:ブレンタ 
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1622年12月にミラノへ送った時の明細です。:やコンマなどは、本の記述のまま記載します。

ワイン生産者への支払い 1 brentaにつき 7:11:6
ゲンメからオレッジョの港までの荷車(牛車)Lire 6:10
ワインを運搬した責任者にLire 12
ワインを船に積むポーター代 Lire 0:15
オレッジョ(Oleggio:マルペンサ空港の近くの街です。ノヴァーラ県)の港を出発、
トゥルビーゴ(Turbigo:ロンバルディア州ミラノ県 )からナヴィリオ運河(Naviglio Grande)に入り
ミラノに到着、ミラノまでの船の運送料 Lire 6
ピエモンテのワインがミラノに運ばれていくので通関料はLire 25
ナヴィリオ運河からミラノの邸宅まで Lire 7:10
ミラノの貴族の邸宅に到着するまでの約7日間の管理 Lire 28

ワインの輸送料 Lire 84,35
その他の税金で6 brenteにつきLire 10、その他にも領主に支払う税金もありました。
この時のワイン代が Lire 90とあるので、ミラノまでの輸送代と税金が高かったのです。

ミラノの貴族の中にはゲンメのワイン産地や丘の上にあるお城など所有していることもあり
当時、ワインの産地としてゲンメは、ノヴァーラ、そしてミラノで有名な土地でした。

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夕方になるので、これからサイクリング、そしてメールなどの仕事に戻ります。
青空でとても気持ちがいいので、夜までいい時間を過ごせるようにしたいです。
それでは、また。

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