見本があがってきて、まずは、本の質感、重さを堪能しました。

社会人の振り出しが編集者で、ひと月に2、3冊書き下ろしを校了(これは驚異的な多さなのです)していた私は、出版社を辞めるまでに80冊ぐらい校了を経験しました。

本が発売になると、書店さんに行って、自分の作った本がどこにどんな風に並べられ、どんな人が買っていくのか、こっそり観察し、たまには、目のつく場所に並べ直したりもしました。
1冊1冊が大事な本です。

本好きな人は、共感していただけると思いますが、本は中身である前に「物」です。大きさ、手触り、匂い、形・・・。読む前に五感を使って楽しむことができます。

そして、そおっと、ページをめくって、あとがきをみたり、奥付をみたり、著者プロフィールを読んだり、はやる気持ちを抑えつつ、
「こいつは、どんなやつなんだ」と本そのものをさぐりながら、ちょっとずつ、本文に入っていきます。

「伝えたい!」という思いがいっぱい詰まった今回の本。
実は怖くて、まだ通読できていません。もちろん、田中さんとの間で、章によっては十数回も原稿を投げあい、校正もしていますので、覚えるほど頭に入っています。
でも、完成品になった本がまぶしくて、こわくて、頭から読み通す勇気がないんです。意気地なし!

そして、各章の最後の1文を後ろから順番に読んでみたり、ぱらぱらめくって、たまたま開いたページを読んでみたりする中で、気づいたことがありました。

言葉に力がある。

この本には2人の著者がいます。
共著で書くというのは、どういうことか、疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。どう書き分けたのか。

私たちは書き分けませんでした。多くの章は田中さんが最初に原稿を上げ、それを難波が構成しなおし、書き加え、書き直し、田中さんに戻し、田中さんから戻ってきた原稿を難波がまた書き加え書き直し・・・・。というキャッチボールで作りました。
ほとんどすべての取材を共有していたので、原稿にするのは、同じように見聞きしたことを、お互いがどう感じ、どう解釈したのかをすりあわせる作業でした。
読み返しても、どこをどちらが書いたのか、私たちはもう、厳密にはわかりません。

こうして原稿は、磨きに磨いた言葉で埋められています。
(と、思うからこそ、読み返すのが怖いのです)

面白くて売れる本を作っている多くの編集者が、企画ベースで作られ本もあるし、企画が秀逸な本もあるが、最終的にはいい本かどうかは、言葉の力で決まるとおっしゃいます。

私たちが作った本は、読者のみなさんにも、いい本だと思っていただけるかどうか、ドキドキです。


私たちが駆け抜けた2010年「あから2010vs. 清水市代」の暑かった季節を、みなさんと共有したいと思っています。

(BGMは希望の轍)


(難波美帆)