2006年03月14日

お世話になりました

ここに来てくれた方には、大変感謝してます。
暫らくこのページはお休みさせていただきます。
ありがとうございました。
 (別のブログ町で、今までの記事を見直しながらボチボチやっています)

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2006年03月13日

500年祭 2

父方の本家の神社の話・夕べの続きです
 神職とか神官という呼び方の話をしましたが、まづ神宮の宮は元々は天皇の住むところだったのが神宮という呼び方が出来て、お宮さんが神社のことになったらしい
  そこの一番偉い人が宮司で次が権宮司、その下が禰宜となるらしい・・・そういう序列
  神主というのはそういう人たちの総称で、神職というのはもう少し範囲が広く・神社に奉職するという感じかな・・・この辺はいまひとつだが・・・だいたいこういう感じらしい
 小さな神社でも宮司と名乗っても良いのかも知れないけど、一人しかいなければ自分で宮司とは言いにくいでしょうね・・・一人しかいないのに社長だって言うようなものですから

さて、この神社は何時頃出来たかというと
仲哀天皇の御代、庵原国造意加部彦命が日本武尊、景行天皇を祀ったとされる
日本武尊東征の折、軍営を布き、兵站部や武器庫を置いた遺跡と・・・なっている
 この辺は、いかにも古くて由緒ある神社に見せるためかも知れない・・・良く分からないものが多いはずだし・・・他の神社も同じような由来がありそうだから
 948年 藤原匡房が神武天皇を合祀
 天正18年 豊臣秀吉・小田原出兵の時に勝利を祈願して太刀を奉納
段々信憑性が出てきます。
  マア、信じてもご利益が無いけれど、人様を傷つけないから罪は無いか

ところで効能書きは・・・いや神社だから不謹慎でしたが
 七五三詣、地鎮祭、安産祈願、厄除け祓、車祓、合格祈願、必勝祈願
なかなか守備範囲が広い、神様も忙しいことだが、大勢いらっしゃるから・・・
  ここには、お金儲けが無いのが好い!!

ではご先祖様が何時からこの地で神職を勤めていたのか・・・
 1505年 承和11年・・・戦国時代から?だそうだ
それで昨年は、ご先祖様がこの地に来て500年祭が行われた
まあ、ささやかに一族内のこと・・・しかも分家の末っ子の私などは・・・どっちでもいいよといわれて、欠席でした。
  一族と言っても韓国みたいに族譜があるわけでは無いだろうし
   どういう広がりがあるのかな?
  文書的な根拠はどうなんだろう
いまひとつピンと来ない500年祭ではありました
ご先祖様のおまつりとしては良い事だとは思いますけど

そういえば、本家の墓の側に小さくて古いお墓がひっそりと残っていました
  (今でもあるかどうか分からないので過去形で書きました)
 あったというより、残っていたという感じ(壊れず・処分されず)
  その墓の墓誌名の名前には”織女”となっていたから女の人だっただろう
    高さ40cmぐらいの砂岩かな、名前と享年だけの小さなお墓でしたが
   元禄年間の年が刻まれていたから、マアこの辺りなら確実といえそうです。

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2006年03月12日

500年祭 1

父の出身の家は代々神社の神職。
 実は私は神職と言う言葉の意味と神主、宮司、禰宜の使い分けを知りません。
  神官の場合は、古代エジプトでも、アンデスのインかでも・・・宗教を司っている仕事なら神官で良いですよね。
 すると日本の神社の場合は後の3つになるのかな
  神主さんというと小さな神社の感じがしませんか?
   宮司というと”大神宮”というイメージですね。
*アテ推量でいうと、例えば平安神宮とか伊勢神宮、明治神宮などは宮司さんで、
  ○○式内社みたいな由緒ある神社禰宜さんなのか・・・実は知らない
   もう一つ、大きな神宮の宮司さん以外の神官も皆”宮司”さんと呼ぶのか
    他の呼び方が有るのか?・・・

何十年も疑問に思っていても、調べないでホッタラカシなのに疑問点は忘れない・・・私らしいのです。

ところで父の本家の神社は秋に例大祭があります
 10月17日に一番近い土・日だそうです
私も小学生の時に辻町が当番に当っていたらしくて祭りに参加したことがあります
 住んでいた町は愛染町なんですが、小さな町(町内は14軒です)なのでこういう行事は辻町と一緒になるのです
  小学生でも高学年ですから、白のショートパンツに白の裸足足袋、で山車を引きます。(不思議なんですが、上の服がはっきりしない・・・白のシャツだったか空色のハッピだったか)
   手ぬぐいを首にかけていたのは憶えている(ねじり鉢巻ではない)
  低学年の子はお稚児行列・鼻の頭の白い白粉の線が印象に残ります
   お神輿は中学生以上だったかな?
 姉たち女の子は4人か6人だったかこれまたハッキリしないが浦安の舞
   行列の出発と途中の定められたところで奉納の舞を舞います
     人数が少ないから、これは選抜?して舞の練習をしたと思う

さて、このお祭りの行列の先頭には大きなヤツデの団扇を持った天狗が立ちます
 一本歯の高い下駄で矛を杖にして団扇を持っていたかな
そう言うことで、アノ巨大な鼻のイメージから祭神はサルタヒコだと思い込んでいました・・・うかつにも
  もしそうなら、行列の先頭には立たないですよね・山車に乗るはず

静岡県神社庁のページから調べてみると・・・
  その前に、”庁”がつくって言うのは行政の管理があるのでしょうか?
  お寺とか、教会、あるいは新興宗教とは違うのでしょうね・・・きっと
本殿主祭神は、なんと日本武尊、景行天皇、神武天皇となっていました・・・知らなかった。
更に産土大神として鎮座なさっているのは、事代主命、蛭子神
境内社は、八雲神社、新開稲荷
飛び地境内社は、市内島崎町に西宮恵比寿神社
  なかなかにぎやかなものです。

父の口からこういう事については一言も聞いた事はない
母から聞いた話で
  島崎町の恵比寿神社・・・島崎町は港に近くて昔は色町だったそうだが
  父の家が一時窮乏した時、恵比寿様の神主が貧乏していると皮肉られ
  ”貧乏恵比寿”と呼ばれた時期があったという・・・成る程”上手い!”
  しかし、今は金持ちかどうかは知らないけど普通に戻ったのだから、名誉回復していると思うけど。

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2006年03月11日

ステレオ

夕べの話で、姉のダンスホール通いに父は全く理解を示さなかったようだ
 らしいという言い方しか出来ないのは、私がまだ10才にもなっていないから・・・しかし、茶の間で父が姉と談笑するような場面は見たことが無いから、おそらく。
 しかし、姉は相変わらずダンスを続けていて、夜更けにダンスシュウズを手に下げて二階に上がっていくのを見たことがある
 
 それでは父はダンスはともかく音楽とか芸能に全く興味の無い人かというと・・・
映画が好きで・・・特に外国映画が好きだったから・・・スクリーンの中ではダンス場面が数多くあったはずです
 
音楽を・・・嫌いだったとも思えないのだが?
 歌は聴いたことが無い・・・鼻歌も無い
  何だか家では家の中で歌を歌ってはいけないような不文律が出来ていたような気がする。
  私の音痴はそのせいかも!
では父は全く歌をうたわなかったのかと言うと・・・家のものは父は歌わないものだと思っていたのだが。
 かなり後年父の知り合いから聞いた話では・・・
   宴会では歌っていたそうだ。
    「○○さん、歌上手いですね」・・・お世辞半分としても 
  外と家では違っていた。

実際歌は歌わなかったけど、映画音楽は好きで昔のことだからソノシートで、映画音楽を聴いていた。
  ステレオを買ってきたのです・・・突然
  コロンビアだったかな・・・最初にサービスについているレコードは
 歩く人の足音が右から左へと移って行くのが体験できるものです
初めてのLP盤は映画音楽全集で、そのうちで1曲は良く憶えている
 ”チェリーピンクマンボ”これだけは良く憶えている
映画音楽と言えば、ユル・ブリンナーの”荒野の七人”はソノシートで聞きました
 ピンクで透き通ったシートでした
その次に父が買ってきたレコードは「タンゴ曲集」でした。
 アルゼンチンタンゴ、ラ・クンパルシータ、カミニートなど良かったですね
  子供ながらもタンゴが好きになりました
   一番好きになったのは碧空です・・・とても良いですね

ところで、何で父は「タンゴ」だったんだろう?
 父は表向き姉とは距離があったようだけど、心の中では許している部分もあったのかも知れません。


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2006年03月10日

テネシーワルツ

一番上の姉(14才違い)のものですが・・・何かの雑誌の付録の歌の本がありました。
  映画音楽とか、ポピュラーのスタンダードです
 「枯葉」とか「ケセラセラ」とか・・・今でも憶えているのは何と言ってもテネシーワルツ!!
 楽譜の下に英語で歌詞が印刷されていて、更にカタカナで発音がついていたような
  I was daninng with my baby to the Tennessee Waltz
確かこんな出だしだったような気がする
  そうだ、この何年か後で雪村いずみだったか江利ちえみだったかそれとも、外国の歌手だったか・・・さいごのワルツのところは「ウォーッ」に聞こえて、英語の発音とローマ字的読みは違うなと思いました
   だから私にとって初めての英語は”This is a pen "では無い
    私のは「アイ ウヲォズ ダンシング」
 外国人はパティー・ページかな・・・600万枚以上の大ヒットだそうです

さて、姉は子供時代に戦争中の耐乏生活を経験して、戦後一気にアメリカ文化に曝された世代ですから、音楽はこういう系統、そして趣味はダンスでした。
  ディスコが流行った時代がありますが、私たちの子供時代はソシアル系です
 町にダンスホールがあった時代です
ワルツ、ルンバ、ジルバ、ブルース、マンボ、タンゴ
 姉はこういうダンスの虜になっていたようです
  勤めは、輸出入商品の検査関係だったらしい・・・清水港の近くだから路面電車で終点の”港橋”です。
 それで、帰りは家の最寄り駅”西久保”の二つ手前”辻町”にあるダンスホールに通っていた。

本人の顔を見て今でも信じられないけど、ダンスは上手かったらしい
 というのも、このホールの客と言っても講師扱いで、入場料は無料だったとか
しかし女子事務員の安月給を、ダンス用のドレス、シュウズにつぎ込んでいる様な・・・両親は堅い方なので、いつも小言のタネ
  イヤー、今にして思えば”やはり私の姉”です
 好きなものには、例え親に意見されようと・・・
   今では、一人息子の、一人息子の孫を目に入れても痛くない、いいおばあちゃんです。



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2006年03月09日

屏風谷

日本平から清水の町方向に下れば、バスや乗用車が通る道ですが、眼下に清水の町や三保に抱えられた折戸湾が一望でき駿河湾の向うの伊豆の山々、富士山が望める気持の好い道です。
反対側に下れば、先日話したようにゴルフ場の中を通って狐ヶ崎遊園地方面です
 これらとは別にもう一つ下る道がありました
日本平というくらいですから山頂は大きなグランドというか、巨大な二段グリーン形
  ココから久能海岸方向に下る道です
頂上から谷に向かって下るのですが、出発点の道がハッキリしない不思議なルートでした。
 初めは何だか獣道みたいで、真っ直ぐ崖に突っ込んでいくみたいな道
途中に丸太を並べて番線で縛って片方を吊るしたみちもあって・・・まるで中国の三国志”蜀への道”といったら規模が違いすぎますが、ああいうイメージの下り坂
  しかし、何時だったか自然災害でこの桟道は壊れてしまい、別ルートが開発されましたが、桟道が無くなり少し寂しかったな

日本平は約300mしかありませんが、下った谷底は海抜0に近いから高度さはあります。
 崖が急なので、この谷は屏風谷と呼ばれています
  谷底は風通しの悪い谷、逆に暖かいかな
 石ころと砂の川原みたいな場所です・・・大昔は海の底だったという
だから貝の化石が採れる場所があるらしい
 この谷を通って久能海岸に向かいますが、野生のサトウキビを見つけたらラッキー
根元から折って皮を剥いて、まるで杖にかぶりつくみたいに食べます
 実際は噛んで甘い液を味わい、堅い繊維は吐き出すのです

今は久能山東照宮との間はロープウェイでつながっていますが、私はこの道を歩くのが好きだった。
 ところで、この切り立った崖から落ちた人がいたらしい
同行者の写真を撮っていて、自分がバックで下がりすぎたという
それで木の柵が出来ていたけれど、乗り越えて向こう側で記念写真を撮る人が多かった・・・木が生えているので崖とか、屏風が見えないのですね
 何となく隣の久能となだらかにつながっているように見えるのかも
実際は久能山はかっこよく?言えば中国桂林みたいに、海から隆起したモコッとした地形だから回りから独立した地形なんです

さてこのご時勢、歩いて下る人は今でもいるだろうか?
ロープウェイなら日本平から直接久能山東照宮です・・・なのに谷に下って久能海岸から再び久能山の長い石段を登る物好きはいないかも


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2006年03月08日

やんばら堤

なんだか花札みたいだけどもうすぐ梅から桜に季節が移ります。
だけど、近所には桜の木はない・・・小学校も中学校も典型的名教科書の表紙みたいなものも、ともかく?桜は無い。
  一番近い桜の名所は・・・人出が多いというのではなくて、ここの桜が綺麗だと皆が知っていた・・・ここ”やんばら堤”漢字で書けば山原堤です。
 家から自転車で30分くらいかな
  山の間の割合急なところを流れてきた水が急に開けた場所で流れも緩むところ
   ココからは海まで緩やかな土地になります
 景色でいうと山と田んぼのつなぎ目という地形
  規模はともかく水辺で、桜があって良い場所です

もし規模が大きな地形なら、きっと扇状地となって果樹園になったと思う
 里というか、平地・海の方向の見晴らしが良い
   こういう場所の名前は”里見”が多いようです
群馬の里見、茨城の里見、千葉の里見は里見八犬伝で有名、他にもあるかも知れない
  麓の村を見渡せて、ナシの産地って言うイメージかな

”やんばら”はスケールが小さいから、小さな堤が出来ていて下の田んぼの灌漑用です
  一周回るのに時間がかからない、小さな堤ですが町を見渡せる気持の良い場所
ココがMY桜の名所です。
 花火大会のときもココは良く見える穴場だってどこかに書いてあったけど、きっとそうです。
 堤の土手に腰を下ろして花火見物もいいな

そういえば小学校の春の遠足はココだったことがあった
 もう桜の季節ではなかったですが・・・
 この近くの鶴巻神社もあった
   この辺りは昆虫採集に、特に蝶が多いような気がするけど、それは別の機会に

この堤の横の急な道を登ると、TV塔が立っています
 単なる中継塔かな・・・多分日本平とも電波でつながっているのでしょうね
  この塔は市内から良く見えます・・・ココは龍爪山への登山口の一つでもあり
 TV塔の横の道を尾根まで上がります。
  やがて反対側からの道と合流して北側に尾根を辿ると、龍爪山の中腹にある穂積神社に通じています。
 *高校時代には山岳部のトレーニングコースでした。
   桜の話が横にそれました・・・すみません。
 


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2006年03月07日

スペードのエース

トランプ遊びは今でこそカードと言うけど、昔は”トランプ”です
 なんたってトランプではオイチョカブが多かったけど、ポーカーもやらない事はなかった。
 コレは、天井を決めておかないと、お金(賭けるもの・チップなど)を沢山持っている方が断然有利な遊びだと思う。
  ここでは本当のギャンブルでは無いから、どうでも良いような気がするけど、マア1回の賭けるチップに天井を決めたけど・・・何となく好きになれなかった
 多分それは”駆け引き”の部分だろうな・・・
  尤もこの時代のチビたちがポーカーが好きで夢中になったとしたら、それはそれで問題だろうけどね

トランプを使っての遊びでは、子供でも出来る”ババ抜き”・・・コレは”婆ばー抜き”ではないですよね・・・おそらくババ=汚いものの意味でしょうね
  言葉によるハラスメントでは無いけど
 遊びがあまりに単純で・・・・誰でも知っていて、すぐに仲間に入れられると言う良い点はあったけど

そういう意味では”7並べ”もババヌキの次に単順かな。
  それで、いろんなバリエーションが出来た・・・例えばジョーカーを入れて”請求カード”としたり、出発を7ではなくて、親の指定する数だったり(そうなると7並べでは無い?かな)・・・しかし元が単純だから・・・コレも誰でも知っていると言うのが利点かな。

私は、同じ単純でも、”神経衰弱”は好きでした。
 あまり運の要素はすくないですから・・・
  もっとも、4.5人でやる時は並び順では運が作用するけど、基本的には記憶力の勝負ですから・・・
 もし、コレを1対1でやったら面白いかな
  例えば先攻と後攻を入れ替えて2ゲームで1セットでは?
それと、従来のトランプではなくて、タロットのような図柄のカードでやったらどうかな・・・
 作曲家の顔でも良いし、サッカーのワールドカップ出場国の4人づつ12カ国ぐらいでカードを作ればやれそうだ。
  ロナウドの場所が分かったーーー後はロナウジーニョはどこかな?て言う感じかな・・・Jリーグでもできそう

そうなるとカードではあってもトランプではなくなってしまう
 でも、神経衰弱セットという事で「音楽編」「スポーツ編」「サッカー編」・・・
「トリノオリンピック編」。。。里谷が出た・上村はドコだ?なんて
   ココまでアホなこと考えていて、肝心な事を思い出した
    私は人の顔と名前を覚えるのが苦手だった・・・コレでは、自分の苦手なゲームを作ることになる・・・残念!!

 ところで、もし実現したらトランプでスペードのエースに当るカードはどうするのだろう?
 スペードのエースの(サトイモの葉っぱ?スペードは農民の鍬でしたっけ?)中にいろいろ書いてありますよね
  NINTENDOがどうしたとか・・・おそらくカードにかかる納税の証明でしょうけど・・・
  (いろんなエースの中でスペードだけ特別な感じで好きな絵だったな)
 
しかし何かのタネが見つかれば半日は頭の中で遊んでいられる・・・
コレで持病さえなければ長生きできそうですね。

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2006年03月06日

大統領

大統領と言ってもアメリカのニクソンやブッシュではない
肩章付きの軍服を着た恰幅の良い・・・おそらくワシントンのイメージだろう
  三月だから、ワシントンとさくらの話しと思ったらハズレ
私にとって大統領は紙の箱に入っている
  勘の良い人は分かったと思うが・・・茶色か黒かのあれ
そう花札です。

本来?は裏が茶色と黒の2種類を買ってゲームに使ったようだ。
 しかしそれはギャンブル性の高い遊びをする人たちの話し
花札は、トランプと違ってかなり遊びが限定されているけれど、見た目からして作るのに手が掛かっているから、そう安くは無い
 家で初めに買ってくれたのは父だったと思う
3種類ぐらい銘柄がある・・・天狗とか、桜とか、大統領・・・この大統領が一番高い・・・けど、持った感じが一番よかった気がする。

何で父が買ってくれたかは憶えていないけれど、ルーレットとかもそうだけどギャンブルものを買ってくれた。
 ねだったとは思えないのだけど・・・勝負に強くなれって事?
  セットのボードゲームも・・・
 さすがに壷+サイコロは買わなかったけど

花札は今でも好きなゲームです。
札を見ているだけでも良いですね。
1年を花で表す・・・コウいうところも良い
  コレは花札で”オイチョカブ”を憶えたので、必然的に?憶えた
  (花札の月が数字です)(ピンからキリというのもこの頃憶えた言葉)
 そういえば、グリコのおマケのクーポン券を賭けてオイチョカブが流行りました
  グリコのアーモンドチョコについている”ドル”のクーポン券です
トランプの絵札を抜いてやるか、花札でやるかどちらかですが
 学校ではトランプ(クラスメートはトランプで無くては出来ない)、町内では花札遊んだ。(どちらにしても威張れないけど)
  トランプでは各数字が4枚づつですが、花札では11月、12月も入れて1と2だから作戦が変わりますね・・・子供時代からこうだったか!
 ギャンブル性でいうと、トランプでポーカーは歯止めが掛からなくなるので嫌いだったな・・・何敗しても倍々に賭ければ、最後の1勝で・というのはつまらなかった

 花札は普通3人で”馬鹿っぱな”
コレは母も一緒に遊んだものです。
母の子供の頃、近所の子供達と遊んだのだそうです・・・そういえばその時の幼馴染が大工の棟梁になって、後に家の普請をしてくれた
  私はコレよりも”コイコイ”が一番です。
 コレはすぐ上の姉に教わったかな
作戦とか、テクニック、度胸、運が絡んで・・・
  ともあれ”大統領”とは子供の時に引いた花札の銘柄のイメージです
  

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2006年03月05日

冬の朝

東京近郊では、そろそろ梅の花がほころび始めたようだ
 例年に比べたらかなり遅れているとは思うけど
   梅と言えば、東京では湯島でしょうか
  熱海も確か梅園がある。
 水戸はまだだいぶ遅れているようです
今年は春が遅い気がしますが、私達の子供の頃はこんなもんか、もっと遅かったかも知れません。

冬の朝は、通学時間に、町内のどこかでは焚き火をしていました。
職人さんたちが、木屑などを燃やして暖を取っていたものです
 アレは体を温めて、準備運動みたいな意味と、その日の仕事の段取りを打ち合わせているそうで、朝から遊んでいるわけではないそうです。
 通学途中に、こういう焚き火に寄り道して小石を暖めてもらいました。
コレを火バサミで取り出して、布に包んでポケットに入れれば、インスタント・カイロというわけです。
  学校に着いたら石を棄てるだけですから、手軽で便利

こういう寒い朝には空き地や畑は一面の霜に覆われて
 道路脇には大きな霜柱が出ています
町内の道路は土の道ですが、十分に固められているので、ココに霜柱は出ない
  このすぐ横・道路と空き地の間が霜柱の出る場所ですから、歩く時はわざわざこの上を歩きます
 足の裏は少しゴツゴツしますが、「サクッサクッ」っとなんだか楽しくなります
   寒い朝に寒いことをしなくても良さそうですが・・・

今住んでいる首都圏の、埋め立ての造成地
 アスファルトと、石の歩道では霜柱の出る場所も無い、この頃の温暖化の影響がありそうかな



aizomechou at 16:32|PermalinkComments(0)