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ギニア・ビサウ

(ギニアビサウ)HIV-2関連エイズと死亡率の長期追跡調査:前向きオープンコホート研究

【2018年11月1日ビサウ(ギニアビサウ)発】HIVは大別してHIV-1型とHIV-2型の2種類が存在し、大多数のHIV陽性者が感染しているHIV1型(HIV-1)に比べ、HIV2型(HIV-2)は感染性や病原性が弱いとされている。しかし、HIV-2感染者がエイズを発症するまでの期間やその死亡率に関して、信頼性のある推定値はない。HIV-1感染者とHIV-2感染者の潜伏期間と死亡率、CD4陽性T細胞の動態を比較することを目的とする研究プロジェクトがアフリカ西部の国ギニア・ビサウにて展開された。。

方法
本研究は、前向きオープンコホート研究を適用した。研究対象者は、1990年2月6日からギニア・ビサウ共和国の都市および地方の警察署に勤務する、正規雇用の全警察官である。2009年9月28日まで継続的に参加者を加え、2013年9月28日までHIV-1陽性者、すなわちHIV-1に感染している人とHIV-2陽性者、すなわちHIV-2に感染している人の追跡調査を実施した。血液検体は、参加者登録時と警察署への定期訪問時に採取した。HIV-1およびHIV-2の感染者から収集した縦断的データを潜伏期間、余命、T細胞動態に基づいて分析した。HIVに感染した時期は、検体が最後にHIV陰性だった時期と最初にHIV陽性になった時期の中間であると推定した。自然死亡率がHIV関連死亡率に及ぼす影響を評価するために、同じグループに属する参加者で、HIVに感染していない2,984人のデータを分析した。

結果は以下のとおりである。23年間の調査期間中、872人がHIV陽性とされた。内訳は、408人がHIV-1感染者(183人は参加登録前、225人は参加登録後に感染した)、464人がHIV-2感染者(377人は参加登録前、87人は参加登録後に感染した)であった。HIVに感染してからエイズを発症するまでの平均期間は、HIV-1が6.2年(95% CI: 5.4-7.1)、HIV-2が14.3年(10.7-18.0)であった(p<0.0001)。HIV感染後の平均余命は、HIV-1が8.2年(95% CI: 7.5-8.9)、HIV-2が15.6年(12.0-19.2)であった(p<0.0001)。参加登録前にHIV-1もしくはHIV-2に感染した人にも同じ結果が見られた。HIVに感染していない人と比較したところ、自然死亡率による交絡は限定的であった。CD4陽性T細胞の平均値は、感染初期にはHIV-2感染者の方がHIV-1感染者よりも高く(28.0% [SE: 1.3]対22.3%[1.7]; p=0.00094)、徐々に低下した(0.4% [0.2] 対 0.9% [0.2] /年; p=0.028)。HIV-2感染者が臨床的エイズを発症した際のCD4陽性T細胞の平均値(18.2%, IQR 7.2–25.4)はHIV-1感染者(8.2%, 3.0–13.8; p<0.0001)よりも高かった。

調査結果からわかるのは、HIV-1感染者とHIV-2感染者のどちらも、抗レトロウイルス治療を受けなければエイズを発症し死亡する確率が高いということである。

原題:Long-term follow-up of HIV-2-related AIDS and mortality in Guinea-Bissau: a prospective open cohort study
出典:The Lancet HIV
日付:2018/11/01
URL:https://www.thelancet.com/journals/lanhiv/article/PIIS2352-3018(18)30254-6/fulltext

(ギニアビサウ)世界基金の支援削減−HIV/AIDS対策に大打撃

【2012年12月12日 ダカール(セネガル)・ギニアビサウ共和国発】世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)がギニアビサウ共和国政府に対する支援を削減して1年が経った。首都郊外のヘルスセンターは医薬品不足となり、患者は必要な薬が入手できず、治療センターへの送迎サービスが受けられなくなっている。続きを読む

★(ギニア・ビサウ)国連―小中学校での性教育推進を支援


西アフリカ、セネガルの南側、ギニアの北側に接する旧ポルトガル領の小国ギニア・ビサウで、同国の教育省が主催、国連が支援して、包括的な性教育に関するワークショップが開催される。これにより、同国の小中学校で包括的な制教育プログラムが導入される予定である。
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★ギニア、航空券連帯税を導入


「開発のための革新的資金調達に関するリーディング・グループ」の第9回総会が、6月24日より西アフリカにあるマリ共和国の首都バマコで開催された。この総会で、西アフリカの西部に位置するギニア共和国が、航空券連帯税の導入を発表した。この税収は2006年に設立された国際航空券税を主な財源とする国際医薬品購入機関であるUNITAIDに寄付され、HIV/エイズ、マラリア、結核の三大感染症の治療に必要な医薬品を扱うグローバル市場に影響を及ぼすことになる。一方、マリ共和国は昨年からUNITAIDへの拠出を開始し、40万2000米ドル(約3200万円)を拠出したが、これに引き続き、今年、マリとして2回目の拠出として30万5千米ドル(約2,400万円)をUNITAIDに提供した。
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ギニア・ビサウ:国連機関がコレラ感染症拡大防止に協力

世界保健機関(WHO)と国連児童基金(ユニセフ)は、西アフリカに位置するギニアビサウ共和国で2008年5月から続いているコレラに対処するために同国政府への支援を続けている。同国では、この感染症発生により現在のところ133名が犠牲になったという。

これまでにWHOは疫学専門家、ユニセフは水・衛生の専門家を派遣した。両国連機関は、同国の保健機関とNGOと協力して、コレラ患者の治療、衛生教育の徹底に重点をおきコレラ感染症の拡大を食い止めようとしている。
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ギニア・ビサウ共和国−構造的危機の中、滞るエイズ対策

1998年のある日、ギニア・ビサウでエイズに関する活動を行っていたパウロ・メンデス氏 Paulo Mendesは、自分のオフィスが破壊されているのを発見した。ファイルは燃やされ、キャビネットは壊され、書類は破られ、あちこちに散乱、コンピューターや電話も無くなっていた。このような事例が頻発し、ギニア・ビサウにおけるエイズ活動が事実上不可能になったのは、1998年の内戦の時からである。

世界でも最も貧しい国の首都ビサウでは、兵士による略奪が横行し、政府の研究室や血液バンク、大病院などが壊滅的な状態となった。この混乱で、国家の人口の20%にあたる35万人が、かつての入植国であるポルトガルに逃れた。国家エイズ対策事務所 the national secretariat of the fight against AIDS SENLS セリフォ・エンバロ博士 Dr. Serifo Emballo は、「当時同国にいて外国に避難した医師・看護師の25%が帰国していない。内戦のため、エイズ対策は10年後戻りしてしまった。」と語る。彼は、現在国家プログラムに従事する唯一の医師であり、何も無いオフィスで古びたタイプライター、カーボン紙を使って仕事をする。

 内戦は継続し、政治や社会が不安定になり、数々の不正行為、経済停滞、議会の解散の挙げくに、2003年にはさらにクーデターが起こった。2005年7月の選挙の後、10月に新政府が誕生し、2006年6月西アフリカ諸国経済共同体 the Economic Community of West African States はそれまで3ヶ月も給料が未払いだった公務員や教師、医師や軍人などの救済にあたった。人道問題調整事務所Office for the Coordination of Humanitarian Affairs OCHAによれば、そもそもこの危機の原因は、機能していない国家、非効率な行政、分裂した政治エリート、介入好きな軍隊によるものである。

ギニア・ビサウでは、より感染力が弱いHIV-2種ウイルスが流行したが、戦争後、より感染力が強く致死率の高いHIV-1ウイルス感染が増加した。そして、2003年に政府が示した計画に基づき、現在状況は落ち着いているように見えるが、感染者数は今後も増え続けるのでは、と懸念がある。「ここではエイズはマラリアや結核を抜く勢い」と、カメルーン生まれの世界銀行職員のマロケ・エフィンバ氏 Maloke Efimba は語る。

現在エイズ対策には、世界銀行から700万ドル、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)から450万ドルが資金拠出されている。だが問題は、室の低い案件提案書、公務員の汚職、技術者などの人材不足、インフラ不足などが整っていないことだ。また治療はブラジルから寄付された治療薬で行われているが、治療にあずかっているのは首都に住む80人のみである。

 ギニア・ビサウは、1962年にポルトガルからの独立戦争が開始されて以来、ずっと混乱が続いてきた。1973年の独立以降、政情はますます不安定となり、「構造的緊急事態」だと言われる(編集部注)。前述のマロケ氏は、1978年以来ずっと活動し続けている現地のNGO、バンディム・ヘルス・プロジェクト The Health Project of Bandim の手を借りるべきだと考える。市民戦争の間、ここの事務所はビサウ郊外のクムラという町に移転しており、給与が支払えない間はスタッフに食料を支給していたという。この混乱の中バンディム・ヘルス・プロジェクトが消滅しなかったのは、スタッフの高いモチベーションと質の高い管理体制などのおかげだという。

バンディム・ヘルス・プロジェクトでは、5つの郊外人口と首都人口の30%を合わせた7万5000人に活動を行っている。しかしこの10年の間に若者の間での感染が増え、さらに多くの人がエイズの存在自体を信じていない。内戦、政府機能不全が、HIV感染の拡大の要因となり、アプローチの仕方にも困難が生じている。

原題:GUINEA-BISSAU: Trying to work a miracle
日付:July 14, 2006
出典:IRIN PLUS NEWS
URL:http://www.plusnews.org/aidsreport.asp?reportid=6166

(編集部注)ギニア・ビサウはポルトガルの植民地でしたが、アミルカル・カブラルを指導者とする「ギニア・ビサウ/カーボ・ヴェルデ・アフリカ人独立党」(PAIGC)が独立戦争を展開し、1973年にポルトガル軍を独力で放逐し独立を勝ち取りました。この独立戦争は、単にギニア・ビサウの独立を勝ち取るのみならず、当時ファシスト体制下にあったポルトガルを民主体制に移行させた1975年の「カーネーション革命」の直接の原動力となったと言われています。その点で、この記事におけるギニア・ビサウの歴史に関する記述は一方的で余り適切なものとは言えません。しかし、独立の英雄カブラルは独立直前に暗殺され、独立後は極端な経済的困難に直面し、結果としてクーデターと独裁に道を開きました。90年代後半には、ここに書いてあるとおり内戦が深刻化しました。現在は、70年代末から政権の座にあった独立戦争の軍事指導者ジョアン・"ニノ"・ヴィエイラが選挙に勝利して大統領職に復帰しています。
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AJF代表・林達雄著作。治療薬アクセス問題を患者の側から描き、真の国際協力とは何かを問う、HIV/AIDS関係者必読の一冊
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