薄紅色って、突き詰めれば赤でしょ?
なのにバーン!と赤くならないで淡色のフリしてるなんて、卑怯で薄汚いよね。
……みたいなことを、ずっと思っていた気がする。
「あの人に会いたい」という気持ちは突き詰めれば性欲だ、「会いたい」ではなく「セックスしたい」と言いなさい。
「自己表現したい」という気持ちは突き詰めれば承認欲求だ、「表現したい」ではなく「評価されたい」と言いなさい。
そんなふうに自分で自分に言い聞かせていた。
でも、薄紅色の主成分が赤だとしても、やはり赤ではない、薄紅色という色が存在する。
原色だけで構成されるのは書き割りの世界でしかない。
東京に住んでいた最後の頃、漫画アシスタントのバイトをしていた。
ライブに疲れていたときだったし、そもそもコロナ禍でライブ自体が中止になっていたから、静かな環境で手を動かすのもいいなと思った。
漫画家の先生は、私に絵の描き方や、出版業界への営業の仕方などを色々アドバイスしてくれた。
ありがたいことだったが、私は別にアドバイスを求めていたわけではなかった。
なんだか、私が出版業界で仕事をしたがっていることを前提にされていて、違和感があった。
もちろん漫画やイラストにも興味はあったが、私のやりたいことは紙芝居(ライブ的表現)だったし、それで生計を立てる道を切り拓いてきたつもりもあったので、あまりに出版の仕事を夢見てる人扱いされると、ちょっと軽んじられているような気持ちになった。
「もう誰かに見つけてもらえる年齢は過ぎてるよ」と言われたとき、これまで私がしてきたことは「見つけてもらう」ためのパフォーマンスとして捉えられていたのかとクラっとした。
紙芝居など「仕事」じゃなく、将来性がないと言われているように聞こえたのは、私の被害妄想だったのだろうか。
しかし考えてみれば、私の活動範囲と出版業界とではまるきり規模が違う。
そりゃプロ漫画家として食べてきた先生からすれば、私の紙芝居を「生業」と捉えられなかっただろう。
「自分のできることと世の需要が合致するジャンルを探り当てれば仕事になる」と言われたとき、私の脳裏には「会いたい」とか「飲みに行こう」と言うお客さんの姿が浮かんだ。
つまり、私には作り手としての需要などなく、「ライブに行けば飲みに付き合ってくれるホステス」ってことでしか商売できないのだなと思った。
それならば、もう需要とか食べていくことなどは一旦置いといて、本当に好きなものだけ作ることに立ち帰ろうとライブをやめた。
すると先生はいよいよ出版関係のアドバイスをするようになった。
「こういう仕事をすればこういう評価をされますよ」などと教えてもらえたのは贅沢だったが、評価なんていいから、今はただ好きなように表現したいんです、ていうか表現したいことすら浮かばないほど疲れてるんです、そっとしておいてください、と言いたかった。
でも、言わなかった。言えなかった。
薄紅色は突き詰めれば赤だから、私はきっと評価を欲しているはずだから、「好きなように表現したいだけ」なんて言うのは純粋なアーティストぶりっこみたいで恥ずかしいと思った。
そのうちだんだん、すべてが鬱陶しくなっていった。
ああ、うるせーな。
評価だの映えだの幸せだの、どうでもいいや。
やがて私は東京を離れ、非正規の仕事を転々とし、何をしても自分は無能だなと思いつつ、今日も生きている。
しかし最近は、少し気持ちが楽になってきた。
自分の中の薄紅色を許せるようになったせいだろう。
気づいたのはH&Mで服を選んでいたときだ。
今私は評価されるためではなく、自分が楽しむために服を選んでいるなぁと思った。
いや、以前だって、別に評価されたくて服を選んでいなかったが、「評価の俎上にあがらない服」を敢えて選んでいたから、「評価」が念頭にあったことには変わりない。
若い女として都市部に住んでいた時間が長かったので、装いが何かのメッセージになる危険をよく感じており、「自分が楽しむため」というのはあまりに浮世離れした卑怯な言い訳だと思っていた。
でも、今はまじでどうでもよくなった。
もともと私は料理が好きだったが、それは誰かに振る舞うためでも、家庭的アピールのためでもなく、ただ自分が楽しむためであり、服も同じことだなと思う。
この初夏は実山椒の佃煮を作り、塩らっきょうを漬けた。
これらをつまみに家で飲んで満足している。
そして思う。
あのとき、アドバイスをしてくる先生に、「好きなようにしたいんで放っといてください」と言えば理解してくれたかもしれないな、と。
言えずに離れたのは、私の弱さと謎の潔癖だ。
そう、私は意味不明に潔癖だった。
純粋さ繊細さを人前に出すことは罪深いと思っていた。
「たとえ需要がなくても好きなことをしたいんです」なんてピュアすぎて、天才肌の芸術家じゃなきゃ許されない気がしていた。
そのくせやっぱり楽しみたくて、つい好きなことをしてしまって、「天才でもないくせにごめんなさい」といつも思っていた。
でも、別にいいんですよね、才能があろうとなかろうと、何したって。
もちろん食べていくには評価される必要があるから、需要を抑えたプロの仕事は尊敬している。
だが、プロにならなきゃ意味がないということもないだろう。
というか意味ってなんですかね?
好きなことをするのが意味そのものではないですかね。
そんなの負け犬の遠吠えみたいだな…ともちょっと思っちゃうけど、まぁ、負け犬でもいいです、楽しいなら、とも思う。
だからといって、仲間うちで馴れ合うようなことは全然好きじゃない。
何かを表現するのは友達を作るためじゃない。
お互い孤独でありましょう。
孤独な表現に触れたいし、孤独にものを作りたいです。
それが私の好きなこと、楽しいことです。
3月から通っていた心理カウンセリングは、先月で一旦終了した。
終了というか、「気が済んだ」という感じだ。
わずか3回ほどのカウンセリングだったが、心理士さんと話すうち、自分という人間の輪郭が見えてきた。
今も私は相変わらず自信がなく、すぐに嫌なことばかりを思い出し、心が押しつぶされそうになるが、「まぁ、こういう人間なんだから仕方ないよね」と開き直るようになった。
仕方ないのだ、社会人として無能でも、それを挽回できる特殊な才能がなくても。
これからも私は生きていくしかないし、評価されなくたって好きなことをすればいい。
そんなの当たり前じゃないかとも思うが、「わかる」ことと「受け入れる」ことには大きな距離がある。
「受け入れる」は「諦める」に近い。
この数年、ことあるごとに嫌な記憶やムカつく記憶や自分なりに頑張ってきた日々などが蘇り、「このままじゃあまりに報われない……」と身が焼けそうになっていた。
でも、恨みを晴らすのを諦めたら、やっと地に足がついた気がした。
まだまだ恨みが消えたわけではないが(というか多分一生消えない気がするが)、なるべく目の前のことに意識を向けようとしている。
様々なものから距離を置き、時間が経った今、やっぱり私は絵を描いてお話を作っている。
何にもならなくても作っている。
無能なバイトとして生活費を捻出し、収入や評価に繋がらない表現をする暮らしは、そう不幸でもない。
なのにバーン!と赤くならないで淡色のフリしてるなんて、卑怯で薄汚いよね。
……みたいなことを、ずっと思っていた気がする。
「あの人に会いたい」という気持ちは突き詰めれば性欲だ、「会いたい」ではなく「セックスしたい」と言いなさい。
「自己表現したい」という気持ちは突き詰めれば承認欲求だ、「表現したい」ではなく「評価されたい」と言いなさい。
そんなふうに自分で自分に言い聞かせていた。
でも、薄紅色の主成分が赤だとしても、やはり赤ではない、薄紅色という色が存在する。
原色だけで構成されるのは書き割りの世界でしかない。
東京に住んでいた最後の頃、漫画アシスタントのバイトをしていた。
ライブに疲れていたときだったし、そもそもコロナ禍でライブ自体が中止になっていたから、静かな環境で手を動かすのもいいなと思った。
漫画家の先生は、私に絵の描き方や、出版業界への営業の仕方などを色々アドバイスしてくれた。
ありがたいことだったが、私は別にアドバイスを求めていたわけではなかった。
なんだか、私が出版業界で仕事をしたがっていることを前提にされていて、違和感があった。
もちろん漫画やイラストにも興味はあったが、私のやりたいことは紙芝居(ライブ的表現)だったし、それで生計を立てる道を切り拓いてきたつもりもあったので、あまりに出版の仕事を夢見てる人扱いされると、ちょっと軽んじられているような気持ちになった。
「もう誰かに見つけてもらえる年齢は過ぎてるよ」と言われたとき、これまで私がしてきたことは「見つけてもらう」ためのパフォーマンスとして捉えられていたのかとクラっとした。
紙芝居など「仕事」じゃなく、将来性がないと言われているように聞こえたのは、私の被害妄想だったのだろうか。
しかし考えてみれば、私の活動範囲と出版業界とではまるきり規模が違う。
そりゃプロ漫画家として食べてきた先生からすれば、私の紙芝居を「生業」と捉えられなかっただろう。
「自分のできることと世の需要が合致するジャンルを探り当てれば仕事になる」と言われたとき、私の脳裏には「会いたい」とか「飲みに行こう」と言うお客さんの姿が浮かんだ。
つまり、私には作り手としての需要などなく、「ライブに行けば飲みに付き合ってくれるホステス」ってことでしか商売できないのだなと思った。
それならば、もう需要とか食べていくことなどは一旦置いといて、本当に好きなものだけ作ることに立ち帰ろうとライブをやめた。
すると先生はいよいよ出版関係のアドバイスをするようになった。
「こういう仕事をすればこういう評価をされますよ」などと教えてもらえたのは贅沢だったが、評価なんていいから、今はただ好きなように表現したいんです、ていうか表現したいことすら浮かばないほど疲れてるんです、そっとしておいてください、と言いたかった。
でも、言わなかった。言えなかった。
薄紅色は突き詰めれば赤だから、私はきっと評価を欲しているはずだから、「好きなように表現したいだけ」なんて言うのは純粋なアーティストぶりっこみたいで恥ずかしいと思った。
そのうちだんだん、すべてが鬱陶しくなっていった。
ああ、うるせーな。
評価だの映えだの幸せだの、どうでもいいや。
やがて私は東京を離れ、非正規の仕事を転々とし、何をしても自分は無能だなと思いつつ、今日も生きている。
しかし最近は、少し気持ちが楽になってきた。
自分の中の薄紅色を許せるようになったせいだろう。
気づいたのはH&Mで服を選んでいたときだ。
今私は評価されるためではなく、自分が楽しむために服を選んでいるなぁと思った。
いや、以前だって、別に評価されたくて服を選んでいなかったが、「評価の俎上にあがらない服」を敢えて選んでいたから、「評価」が念頭にあったことには変わりない。
若い女として都市部に住んでいた時間が長かったので、装いが何かのメッセージになる危険をよく感じており、「自分が楽しむため」というのはあまりに浮世離れした卑怯な言い訳だと思っていた。
でも、今はまじでどうでもよくなった。
もともと私は料理が好きだったが、それは誰かに振る舞うためでも、家庭的アピールのためでもなく、ただ自分が楽しむためであり、服も同じことだなと思う。
この初夏は実山椒の佃煮を作り、塩らっきょうを漬けた。
これらをつまみに家で飲んで満足している。
そして思う。
あのとき、アドバイスをしてくる先生に、「好きなようにしたいんで放っといてください」と言えば理解してくれたかもしれないな、と。
言えずに離れたのは、私の弱さと謎の潔癖だ。
そう、私は意味不明に潔癖だった。
純粋さ繊細さを人前に出すことは罪深いと思っていた。
「たとえ需要がなくても好きなことをしたいんです」なんてピュアすぎて、天才肌の芸術家じゃなきゃ許されない気がしていた。
そのくせやっぱり楽しみたくて、つい好きなことをしてしまって、「天才でもないくせにごめんなさい」といつも思っていた。
でも、別にいいんですよね、才能があろうとなかろうと、何したって。
もちろん食べていくには評価される必要があるから、需要を抑えたプロの仕事は尊敬している。
だが、プロにならなきゃ意味がないということもないだろう。
というか意味ってなんですかね?
好きなことをするのが意味そのものではないですかね。
そんなの負け犬の遠吠えみたいだな…ともちょっと思っちゃうけど、まぁ、負け犬でもいいです、楽しいなら、とも思う。
だからといって、仲間うちで馴れ合うようなことは全然好きじゃない。
何かを表現するのは友達を作るためじゃない。
お互い孤独でありましょう。
孤独な表現に触れたいし、孤独にものを作りたいです。
それが私の好きなこと、楽しいことです。
3月から通っていた心理カウンセリングは、先月で一旦終了した。
終了というか、「気が済んだ」という感じだ。
わずか3回ほどのカウンセリングだったが、心理士さんと話すうち、自分という人間の輪郭が見えてきた。
今も私は相変わらず自信がなく、すぐに嫌なことばかりを思い出し、心が押しつぶされそうになるが、「まぁ、こういう人間なんだから仕方ないよね」と開き直るようになった。
仕方ないのだ、社会人として無能でも、それを挽回できる特殊な才能がなくても。
これからも私は生きていくしかないし、評価されなくたって好きなことをすればいい。
そんなの当たり前じゃないかとも思うが、「わかる」ことと「受け入れる」ことには大きな距離がある。
「受け入れる」は「諦める」に近い。
この数年、ことあるごとに嫌な記憶やムカつく記憶や自分なりに頑張ってきた日々などが蘇り、「このままじゃあまりに報われない……」と身が焼けそうになっていた。
でも、恨みを晴らすのを諦めたら、やっと地に足がついた気がした。
まだまだ恨みが消えたわけではないが(というか多分一生消えない気がするが)、なるべく目の前のことに意識を向けようとしている。
様々なものから距離を置き、時間が経った今、やっぱり私は絵を描いてお話を作っている。
何にもならなくても作っている。
無能なバイトとして生活費を捻出し、収入や評価に繋がらない表現をする暮らしは、そう不幸でもない。