飯田華子ブログ

※ホームページはこちら→http://iidahanako.jimdo.com/

大阪ツアー・東京レコ発・消費者

先週の土曜日に大阪レコ発、翌日曜日には「雑技道場キネマトス」というイベントに出演、台風の中、IKAZUGOKE大阪プチツアーを無事終了してまいりました。

ご来場くださった皆様、雨の中、ほんっとうにありがとうございました!!!

大阪レコ発は予約がずっと伸びず、どうなるんだろうと不安でしたが、蓋を開けてみるとたくさんの方がいらしてくださって(中にはお友達を連れてきてくれた方も♡)、泣きそうでした。

CDもたくさんお買い上げくださって本当に感謝です。

今回のこのCDアルバムは設定を色々作り込んだため(実は最初はシンプルにする予定でしたが、ジャケットをデザインしてくださったデザイナーさんが色々提案してくださり、だんだん悪ノリしていったのです)、この設定を元にどのようなライブにするか色々悩みました。

レコ発とはいえ、IKAZUGOKEはミュージシャンじゃないので、歌だけ歌ってもどうしようもありません。

歌っていうかラップだし。

しかも本職ラッパーじゃないし(では何が本職かというと謎ですが)

というわけでグオーっと悩みつつ台本を仕上げたのが本番4日前、それから二人で猛練習し、今回新たに紙芝居を描く必要もあったのでお絵描きもし、完全にできあがったのは出発日の早朝でした。

私は北村さんとの待ち合わせに遅刻し、なんとか新幹線には間に合って飛び込んだものの、徹夜つづきで頭は痺れてるし手は絵の具まみれだしおまけに台風だし、なんか脳がへんでした。

「悩んだ」とか書いちゃいましたけど、悩みたくて率先して悩んだわけです私は。

絵も描きたくて描いたわけです。

つまり己の快楽に没頭したわけです。

だからこのとき脳がへんだったのは、なんか快楽によってそおゆう状態に至ってたんじゃないかと思われます。

へんな状態で乗り込んだ大阪でしたが、レコ発も「キネマトス」も皆様が大変あたたかく、またレコ発ゲストのタカタカアキ&ナイトサパーズ(from赤犬)がほんとに素敵で刺激を受け、より一層へんになって帰ってこれました☆

皆様、大変お世話になりました!

東京に戻った現在、IKAZUGOKEはまたぞろ東京レコ発に向けて会議しております。

色々仕込んでいくんで、ぜひ遊びに来てください!!

ご予約いただいた方にはIKAZUGOKE書き下ろし「後家新聞」付き♡

2017年11月10日(金)
「IKAZUGOKEアルバム発売記念ギグ 東京編」
@渋谷・サラヴァ東京
19時開場 / 20時開演
予約2500円(1ドリンク別)/ 当日3000円(1ドリンク別)
ゲスト:河井克夫、宮崎吐夢
☆前売予約は会場にお問い合わせ又はこちらから→ ikazugoke2016@excite.co.jp



ところで最近気になってる言葉は「消費者」です。

上記の台本で悩んでいた際、先人の知恵を借りようと本棚をあさっていたのですが、そのときふと手にとった文庫で岡崎京子の短いエッセイを読んだのがきっかけです。

「私は以前フェミニズムを『なんか、嫌い』って書いたことがあるけど、それは当時の私が自分を『労働する者』や『生活者』ではなく『消費者』として認識していたからだろう」
っていうようなことが書いてあって(「謝罪ならびに現状報告その他」『FOR LADIES BY LADIES』近代ナリコ編/ちくま文庫)、これを言ったのが他ならぬ岡崎京子だったせいか、「消費者」って言葉にドキッとしました。

実に岡崎京子は「消費者」として東京を生きることの甘美と殺伐を描き切った作家です。

その後、内田樹『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』(2007年講談社文庫)を読んだら、まさにこの「消費者」というマインドについてを書いていたので、おお、なんか今私は「消費者」ってことについて考えるタイミングだったのだろうか?と思ってしまいました。

それで、何を考えたか書きたいんですけど、そのためにはまずこの『下流志向』の内容をご説明しなければならず、それだとすごく時間がかかってしまいそうです。

でもここのページにうまくまとまってるのを見つけました→ http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011071703510.html

でも、これを読んで分かった気になっちゃう感覚こそこの『下流志向』が警鐘を鳴らしてるものだと思うので、「興味ある〜」って思ったら実際に本を読むのがオススメです。

とにかく、この本を読んで、私は自分がめっちゃ「消費者」だな〜って思いました。

あと、この社会はすごく「消費者」というマインドに基づいて作られてるな〜とも思いました。

実はこの本は5年前にも一度読んでたのですが、その頃はあんまりピンとこず、今やっと理解できているのは、私があの頃よりも社会と触れたからでしょう。

やっぱさー、本もそうだし映画もだけど、見る時期で変わるよね。

だからライブもそうだよね。

一度見たライブがつまんなくても、別のときに見たら「おもしろ〜!」ってなるかもしれないから、またライブ来てくださいね。

…と、姑息な宣伝を挟みつつ本の話に戻ります。

本書には、「近代が目指した『自立した人間』とは『孤立した人間』である」というようなことも書かれていて、行かず後家の身としてはハッとしました。

私は恋人関係にも友人関係にもフィフティフィフティを求めていましたが、そのほうがお互いにとっていいことだと思っていたからですが、仕事上の付き合いではなく、私情で成り立つ生々しい人間関係にそんなルールは通用しません。

かくて孤立しています。

私はこの孤立をとても楽な状態だと思っていますが、これは消費者として生きる者の行き着く先なのかもしれません。

でも、孤立は楽でも、この世の中についてはどうも息苦しいと思ってます。

こんなへんな活動をしてるからってのもあるでしょうが、なんだか昔のモノを読んだり昔の人と話したりしてると、まだまだ昔はへんなものを受け入れてくれる余地があった気がして、今はなんともスキがなくなってる感じがするのです。

しかし、へんなものを受け入れる余地のあった時代には、泥臭く面倒臭い人間関係もまたしっかり存在していたわけです。

その面倒くささを排除した結果、同時に私のような者を受け入れてくれる余地も消えていったのではないでしょうか。

だとするなら、私のこの骨身に沁みついた消費者マインドが、結果的に私自身の首を絞めているといえます。

誰もが自分に都合のいいことを追求したら、そりゃあ世界にスキがなくなって息苦しくなるに決まっているのです。

誰にも迷惑をかけたくないしかけられたくないと孤立する、ということは、へんなものを面白がってくれる余地・余裕をなくしていく、ってことなんじゃないかと思いました。

また、この本には「今の子どもたちが『消費者』という観点からしかモノを捉えられないのは、その親もまた『消費者』だからだ」というようなことも書かれており、結局親を見て子は育つって話だな〜って思いました。

そういえば私は「母親教室」ってイベントもやってたのですが、その中でも、
「自分がこうなのは親がめちゃくちゃだったからで、ということは自分が子を生んだところできっとよくない影響を与えてしまうだろう、だから子は生みたくない」
という話が出てたのを思い出しました。

でもさー、と、今になってふと思ったのです。

確かに私は親の影響を多大に受けてはいる。けれど、今の私の考え方やモラルは、決して親からだけのものではない。

私を成り立たせているのは、今まで出会った色々な人や作品であり、その中の一部が親っていうだけです。

だから、たとえば私が子どもを生んでも、その子はそっくりそのまま私の影響を受けてダメになるわけじゃなく、色々な人に出会って、私ではないその子自身の人生を作り上げていくでしょう。

自分の人生が親のものではないとわかったときに、人は初めて子どもを生もうと思えるのかもしれないな、と思いました。


なんか、こう書いたら「そんな分かりきったことを」って感じですけど、この結論に至ったときパーっと鎖が解けた気がしたのです。

「子どもを生みたい」という気持ちになったからじゃなく(別にそうはならなかった)、「ああ、親のモラルから外れてもいいんだ」って思えたからです。

私は結構親に手間をかけて育ててもらった方じゃないかなって自覚してるんですけど、だからこそこのテイタラクはほんと申し訳ないな〜とこれでも一応思ってるわけです。

だから、親にとって不幸せだと思われる部分は、極力見せないようにしてきました。

しかし、たとえ理解されなくとも、私は自分でその不幸せ(かと思われるかもしれない状況)を引き受けたのだから、そうしたくてしたのだから、後ろめたいと感じなくてもいいんじゃないかと思えたのです。

いや、ちょっと違うかな、後ろめたくてもいいんじゃないかと思えた、といったほうが近いかも。

感情はスパッと割り切れないから、後ろめたさは死ぬまで続くかもしれないけれど、それはそれで、生きるということなんだろうと思います。

現実はロールプレイングゲームのような分かりやすいレベルアップはできないし、「こうなったからこうなる」というセオリーが必ずしも通用しません。いつも不測の事態ばかりです。

この世界はルール無用で、約束がなくて、生々しくて、へんてこです。

だから、何を思ったっていいんです。

人の幸せや不幸せは誰にもわかりません。

「消費者」という観点だけでは捉えられないものがたくさんあるのだろうな、私はずいぶんとそれに気づかずにいたんだろうな、と感じました。

…で、このような読書の旅をした結果、これとはあんまり関係のない台本が出来がりました☆

というわけで11月10日は何卒よろしくお願いしま〜す!

アートの思ひ出

先日久々に横浜寿町へ行きました。

労働センター跡地でやっていた野外劇を見に行ったのです。

開演前に敷地をウロついていると、5年前にこの町で一緒に劇をやったおっちゃんに遭遇しました。

おっちゃんは労働センターの団地に住んでいましたが、取り壊された今は近くのドヤにいるらしく、もともと呂律があやしい方ではあったけれどさらにレロレロになっていました。

聞けば、会わない間に×××で××していたそうです。

さすがっすね、と言うと、「もう携帯持てねぇから俺いつもあそこの前に座ってんだよ」と教えてくれました。

なるほど、だからこの町には何をするでもなくずっと座ってる人々がいるのか、と思いました。

あれは各人の受付窓口だったのです。

今度このおっちゃんに会いたくなったら「あそこ」に行けばいいのでしょう。

芝居は大変見事なセットで仕掛けも色々ありましたが、おっちゃんとのこの数分の邂逅が印象的だったせいかあまり集中できませんでした。

また、この劇が横浜トリエンナーレの一環であったため、「アート×地域」のプロジェクトを常々苦く思っていた私は、ちょっと構えて見てしまったところもあります。

そもそもこうしたアートプロジェクトを苦々しく思うキッカケになったのはこの寿町でした。

5年前、「寿町のドヤに滞在し、住民と関わりながら作品を仕上げる」というアートプロジェクトに参加したのです。

全国から「アーティスト」を自称する人々が集まり、独りよがりな「作品」を残していきました(私もその一人でした)。

とはいえ、このおかげで件のおっちゃんと劇ができたので、悪いことばかりではなかったと思っています。

しかし5年経った今もまだモヤモヤしています。

意義あるものにできそうな企画だったのに、やる側の自己満足で終わってしまったようで心残りなのです。

あのプロジェクトに関わった人たち・アーティストや区の職員は、今どう思っているのでしょう。

きっとどうも思ってないんじゃないかな、振り返りもしてないんじゃないかな、そもそも「自己満足」という認識すらないのかもしれないな、…なんて勝手に想像してしまいます。

私個人としては、ドヤに住むのは物珍しかったし、おっちゃんとの交流も愉快でした。

経験値アップ☆という高揚感もありました。

同時に、自分の差別意識を感じずにはいられませんでした。

私は明らかにドヤに住む人々を「見物」していました。

企画者は「おっちゃんたちと同じ目線でものを見て」と言いましたが、わざわざ「同じ目線」なんて言うのは、おっちゃんが自分たちと違う世界の住人だと思っているからです。

「目線」は一人一人違います。

「同じ目線」になるなんて施しです。

この企画の趣旨が「寿町という街を使って遊んじゃいましょう!」だったらそれでもよかったのですが、「地域の住民にとってよい刺激を」的な善行めいた感じだったので、気持ち悪さが拭えませんでした。

他の「アーティスト」はどう思ってるんだろう?と、みんなで集まっているときなどに少し聞いてみましたが、みんなあんまり自分の心の醜さを晒してくれませんでした。

いや、というか心が醜くなかったのかもしれません。

よしんば醜い心を持っていても、信頼できない相手にそんな部分をわざわざ教えてくれる露悪趣味な人もそういないのかもしれません。

意見交換をしながらこの街で何ができるかを考える「プロジェクト」だったので、だとしたら後ろ暗くねちっこい感情も見せ合いっこできるかな、なんて私は期待していたのですが。

「アーティスト」の皆様は「おっちゃん最高!」とか言ってて(まぁ実際最高なんですけどね)、二ヶ月の滞在を終えた作品発表会では「今、全てを肯定します」と感極まって宣言してましたが、その後寿町に行っている気配はあんまりないようです。

これは思い出づくりの一環だったのでしょうか。

滞在期間なんてこのプロジェクトが勝手に決めたことで、「アーティスト」が感極まろうがなんだろうがドヤの住民の生活は続きます。

勝手に来て勝手に「同じ目線」で交流し勝手に「肯定」して去った「アーティスト」は、しかしこの滞在を振り返れば「色々考えさせられた経験だった」と言うのでしょう。

「色々考えさせられた」とは実に座りのいい言葉です。

もちろん何も考えていなかったわけではないでしょうが、それを人に伝える努力もせず「色々考えさせられました」で締めてしまっては、結局何も考えてなかったのと同じに思えます。

…と、他者への批判は必ずブーメンランとなって返ってくるわけで、ではそんなことを言うお前はどうなんだと突っ込まれると、はい、私もくだらない「アーティスト」の一員なのでした。

「作品発表」はおっちゃんたちと公園で劇をして、この街の人々に楽しんでもらえることだけをとにかく考えて作りましたが、どうだったかはわかりません。

その後、滞在期間が終わったあとも何度か寿町に行っておっちゃんと飲みました。

単純におっちゃんと会いたかったというのもありますが、「私はあんなふうに思い出づくりにしちゃう安直な『アーティスト』とは違うわ」という気持ちもありました。

滞在はただのきっかけに過ぎず、自分がここで何ができるかを引き続き考えていかなければいけない、それがこの企画に関わった人間としての責任だ、という青臭い使命感もありました。

でも飲み代は私が多く出していました。

生活保護を受けている人にそんなに出させられなかったのです。

この関係は対等なんだろうか?という葛藤がありました。

しかし、働けないこと・だから生活保護を受けていること・そのことでどんどん気持ちが塞いでいくことを知ると、おっちゃん自身は「多めに出して」なんてまったく言ってないのに、私は勝手に財布を開いていたのでした。

そうしながら約半年、横浜のカフェで私のワンマンライブのお誘いがかかったので、再びこのおっちゃん劇団にも出てもらうことにしました。

投げ銭形式だったので、たとえ少額でも絶対ギャラを払えると思ったからです。

働けない体でも見世物にはなれます。

見世物になってお金を貰ったら、何か変わるかもしれないと思いました。

また、物見遊山気分でドヤに泊まり、おっちゃんを見物し、まるで見料のように飲み代を出した私は、おっちゃんたちと一緒に見世物になり、一緒に見料を取りたかったのです。

ライブはおかげさまでたくさんの方が来てくださり、おっちゃんたちにも思っていたより多くのギャラを払えました。

とても嬉しかったです。

ただ、やはり稽古が大変でした。

これはそう続けられないなと思いました。

おっちゃんたちも続けたいとは言いませんでした。

そうこうするうち忙しくなり、バイトも変わって私自身はより赤貧になり、気づけば日々の暮らしに追われて寿町のことは「思い出」になっていました。

そう、私こそが「独りよがりなアーティスト」だったのでした。

己自身も覚束ないのに自分に何かできると思っていたのでした。

久々に寿町に行っておっちゃんに会い、ああ私は力んでいたんだな、と感じました。

これからはプロジェクトどうこうじゃなく、一個人としておっちゃんに会おう、「何かのために」ではなく私自身の楽しみとして一緒に飲もう、と思いました。

「コンセプト」もしくは「テーマ」もしくは「大義名分」は大事です。

しかし私はそういうものに舞い上がって力んでしまう人間です。

力んだ結果何も見えなくなってしまったりします。

大きな言葉に囚われて実感をおろそかにしてはいけないなぁと改めて感じました。

実感に頼りすぎても視野が狭くなりそうですが。

要はバランスが大事ですよね、

…って締めようとしましたが、「『大事』ってなんだい」ってふと思っちゃいました。

こういう力みが邪魔なんだよ、ってね。

「べき」や「ねばならない」はもういい、好きなようにすりゃいいじゃん、ていうか好きなようにしかできないじゃん。

だから私はもう責任感としてではなく、個人の趣味嗜好として、自分が寿町のアートプロジェクトをただの「思い出」にしてしまったことを、これからも心の痛みとします。

そしてこの経験でどうふざけられるかを考えます。

寿町の「あそこ」へおっちゃんに会いに行き、今度は割り勘で飲みたいなと思います。

パオパオ☆

10月より酔民とVOGUEをお休みします(9/11の感想・今後の予定・研究報告)

9月11日(月)は甲府にて「なべやかん大喜利大会」に出場してきました。

司会進行はなべやかんさん、大喜利回答者は総勢15名、A・B・Cの3ブロックに分かれて対戦、合間にプロレスの試合も挟まるというがっつりエンターテインメントでした☆

大喜利は面白い回答がもちろんメインだけど、それを仕切ったりいじったり場を賑やかしたりする人がいることによって、さらに面白くなるものなんだな〜と実感しました。

ちなみに私はお察しの通り、お下劣な回答ばかりして参りました。

決勝戦はSGさんと私と石川浩司さん(exたま)の三人、プラス特別枠でよしえつねおさん。

よしえつねおさんのとにかくケツを出す姿勢、SGさんの機転、石川さんの人間としての分厚さ、そしてなべやかんさんの愛とテンポある仕切りに圧倒されました(優勝は石川浩司さん☆)!

芸人さんやレスラーさんは皆やさしく、お客様も大変あたたかく、楽しい気持ちで帰途につけました。

主催のTHOGOさんに心から感謝です!

ご覧くださった皆様、ご一緒した皆様、ありがとうございました!


さて、IKAZUGOKEアルバム発売に向けて現在チューニング中の私ですが、毎週火曜日に出ていた荒川のバー「酔民」、水曜日に出ていた銀座のクラブ「VOGUE」を10月から一時お休みします。

これからちょっとスケジュールが変則的になりそうなので、それぞれのお店のママさんにご相談し、このような形にいたしました。

もちろんまだ9月いっぱいはどちらも出ますので、お店でお会いできる機会があれば幸甚です。

火曜日の酔民はカウンターのみの小さなお店ですので、場合によってはお座りいただけない可能性もございます(でも日によってはとってもゆったりお座りいただけるのでなんともいえないんですけどね…)
お問い合わせください☆
※ちなみに9月19日(火)のほうはありがたいことに団体様でご予約いただいております!

水曜日のVOGUEは本日13日も元気に出勤予定!
おいしいお酒をご一緒に飲めたら嬉しいです♡
こちらもぜひお問い合わせください!

私のホームページの「自己紹介」ってとこをクリックすると色んなバーが出てくるので、その中の「お店」という項目を選んでください。それぞれの情報をご覧いただけます☆
https://iidahanako.jimdo.com

そしてお問い合わせといえば!

9月30日(土)に下北沢の本屋B&Bでトークショウがございます!

2017年9月30日(土)
石丸元章×北村早樹子×飯田華子「本日、東京拘置所から参りました!」
@下北沢・本屋B&B
18:30開場/19:00〜21:00
入場料1500yen+1drink order
出演:石丸元章(ライター/作家/詩人/GONZOジャーナリスト)、北村早樹子(歌手)、飯田華子
※イベント詳細:http://bookandbeer.com/event/2017093002_bt/


こちらは北村早樹子さんによるイベント紹介文↓

【名だたるスターたちがお住まいの東京拘置所。
ああ、憧れの東京拘置所。
あの敷地内へ、一年に一度だけ、誰もが入れる日があることを、みなさまご存知でしょうか?
そう、東京拘置所開放デーです!
本日9月30日が、今年の東京拘置所開放デーなのです!
なにかと拘置所にゆかりのある(おっと失礼)、ライター石丸元章さんをお迎えし、3人でおいしいおいしい拘置所飯=プリズン弁当をつつきながら、楽しく東京拘置所にまつわるお話をしたいと思います。】

「母親教室」とはまた違った、無頼派トークをお楽しみいただけると思います。

ぜひぜひぜひお問い合わせ&ご予約お待ちしております☆


あとこの前日9月29日(金)には私ソロでキャットファイトの幕間紙芝居をやりますので、そちらもよろしくお願いします!

2017年9月29日(金)
CPEキャットファイト夏祭り どきッ!女だらけのキャットファイト祭2017 〜はちゃめちゃお下品熱帯夜〜
@新木場1stリング
18:00 OPEN /19:00 START (22時終了予定)
イベントに関する問い合わせ:090-8649-8861(CPE SPACE)
イベント詳細:http://ameblo.jp/thogo/entry-12281332655.html



はい、というわけで情報が錯綜しましたね。

人の予定ってただでさえ覚えられないのに順不同で詰め込まれても混乱しますよね。

じゃあ書いたことを時系列順にまとめますね。

9/11(月)甲府で大喜利大会に出て楽しかったです。

9/29(金)新木場にてキャットファイトの幕間に紙芝居するのでご覧いただきたいです。

9/30(土)下北沢にてトークショウするのでぜひいらしてください。

10月〜荒川のバーと銀座のお店をお休みします。


こんな感じです。どうぞよろしくお願いいたします☆

以上、お知らせ満載のブログでした。

でもブログがお知らせばっかりなんてがっかり DA.YO.NE!

もっとがっつり 下衆の勘繰り 晒せ お前の下世話なデイリー!

…すみません、ちょっとバイブスが。

しかしここ最近はまったく健全に生きているので(というと昔は不健全だったかのようで格好いい☆)、ご報告できる下世話なことがありません。

とりあえず前回の続きでヤンキーを研究してます。

住んでいるのが足立区なのでサンプルには事欠かず、近所に生息する雌ヤンキーを横目で見たりしています。

年輪を重ねたヤンキーもいれば若いヤンキーもいます。

子ヤンキーは母ヤンキーに「かるあ」「きらり」と名付けられ、スーパーでお菓子をねだると「うるせぇんだよ!」とすごまれます。

母ヤンキーはこうやって怖い声の出し方を子ヤンキーに教えているのです。

また、度を越したはしゃぎ方をすると「このことぜってーパパに言うからな」と脅されます。

これもまた教育であり、こうして子ヤンキーは脅し方を学んでいくのです。

子ヤンキーの雌は思春期になると夏休みに髪を染めます。

二学期が始まったこの時期は、こうして一つステップアップした若い雌ヤンキーが駅前に群がります。

線路から運ばれる都心の香りを嗅ぐためでしょうか。

しかし彼女たちは決して上野より西には行きません。

「新宿は治安が悪いからこわい」と言います。

治安ということでいえばこの街も相当アレなんじゃ…と思いますが、もしかしたら台東区を超えると生態系が変わるのかもしれません。

今後も観察と、怖い顔の練習を続けていきたいと思います。

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チューニング

お久しぶりのブログです。

この数ヶ月何をしていたかというと、CDアルバムの制作に勤しんでおりました。

現在もまだ色々と作業中。

そう、北村早樹子×飯田華子ユニット「IKAZUGOKE」の1stアルバムが11月1日に発売されるのです!

色々工夫を凝らしたブツになりましたので、どうぞよろしくお願いします!→ https://ikazugoke.jimdo.com/goods/ikazugoke/

私はこのようにきちんとCDを出したことがないので、ていうかそもそも音楽をやってきたわけではないからそんな発想すらなかったので、今回は初めて知ることばかりです。

単にCDをこしらえて売りたいってだけでも、いろんな手続きや書類のやりとりが必要なんですね。

今までミュージシャンは社会不適合者ばかりと思っていましたが、みんなこんな大人っぽいことをしていたのか!と瞠目しました。

自分の知ってる世界の中だけで人を判断するのはよくないことです。

さて作るからには売りたいので、まずは興味を持っていただくことが大事だと思いました。

やはり、見た目でしょうか。

形から入る者にろくな人間はいませんが、私は形から入らなくてもたいしたことのない人間です。

きちんとした内面を持ち、それが外見にも滲み出るような人になるのは、おそらく今生では無理かと思われます。

従ってとりあえず見た目をチューニングしようと思いました。

で、眉毛を剃りました。

というのも、先日IKAZUGOKE相方の北村早樹子さんと「実話ナックルズナイト」というトークイベントを見に行き(北村さんがティーンの頃からの「実話ナックルズ」愛読者なので)、ヤンキー界の重鎮・岩橋健一郎先生のコーナーで数々のヤンキーの顔を見たからです。

「無思想は疾走するしかない」とは私の好きな詩人・蛾兆ボルカさんの言葉ですが、なんかそういう顔でした。

思い起こせば私は10代の頃ヤンキーが好きでした。

私自身にヤンキー気質が皆無なせいかもしれません。

喧嘩とかできないもん。

あと、身の回りにヤンキーがいなかったから憧れたというのもあります。

文化的な感じの人が多い杉並区の学校に通っていたため、文化的なのっていやだなぁと思っていました。

学校帰りに通る井の頭公園で、路上ライブや詩集を売る若者を見るにつけ、いまいましい気持ちでした。

中央線沿線で自己表現をするなんて、人間として最低な行為だと思いました(まさか自分がのちにその最低な行為をするとは思ってもみませんでした)。

「詩」とかいって、どうせまともに作文も書けないやつがなんとなくそれっぽい言葉を羅列しただけでしょ?そんで「感性」とか言うんでしょ?そんな面白くもない感性見せつけるぐらいならいっそ言葉を持たないほうがずっといいって。見よ、ヤンキーの語彙力を。「なんだてめぇ」「ぶっ殺す」「一生守る」…格好いい!

脱・お文化、脱・杉並(&中野&世田谷)が当時のポリシーでした。

あるときは無意味に新小岩まで電車に乗っていき、下品な街の香りを胸いっぱい吸い込みました。

またあるときはKANIのジャージで遊びに行き、下北沢の古着屋さんでコーディネートしてるような同級生から「うわ〜」って顔をされました。
(ギャルにも憧れていたので金髪のカツラに銀色のブーツで登場したこともあります…よくみんな遊んでくれたと思います)

タバコを吸い、浜崎あゆみを聞き、「チャンプロード」と「egg」を読みました。

けれどもヤンキーは群れなければなりません。

私にはヤンキー仲間がいませんでした。

「地元の上下関係」といったものからも外れていました。

ていうか地元に友達がほとんどいませんでした。

先輩の名前とかを出してスゴんだりしたかったけど、先輩もスゴむ相手もいませんでした。

というわけで大変残念ながらヤンキーにもギャルにも挫折し、以後は「変じゃなければいい」という基準で服を選ぶ地味な人間になりました。

ここ数年はお金もないのでほとんど服を買っていません。

もういまさら自分の容姿に希望も絶望もないし、まぁ「普通」って路線をキープできればいいやと思っていました。

しかしながら、ここにきてCDのプロモーションという課題が発生し、普通の外見でいると興味を持っていただきづらいかもしれないという危惧が芽生えてきました。

ご存知のとおり、IKAZUGOKE相方の北村さんはパーペキにキャラ立ちしていらっしゃいます。

北村さんがいるから私のほうは目立たなくても大丈夫って気もしますが、どうせ二人いるなら、二人とも違ったベクトルで(見た目が)キャラ立ちしてるほうが面白そうじゃないですか。

というわけでナックルズナイトを見たあとに北村さんと相談し、
「コンサバおねえさん路線」
「水商売風路線」
などなど出ましたが、やはり二人とも岩橋先生のコーナーが印象的だったのか、「ヤンキー路線でいこう」となりました。

一度挫折したヤンキーにもう一度トライ。

15歳のときの憧れをふたたび。

ちなみに北村さんがあのスタイルになったのも15歳のときだそうです。

それまでは髪も長く二つ結びにしていて、メガネもしていなかったとか。

だから今後は二人とも15歳の頃にチューニングを合わせるわけですね。

どちらも32歳ですが。

現在、私の眉毛は大変細く剃られております。

本当に喧嘩になったら絶対勝てないので、主に自分の部屋でのみメンチを切っております。

飼い猫の名前は「金太郎」ですが、今後は「錦汰露悪(きんたろお)」と呼ぶようにします。

今後とも生暖かく見守っていただけましたら幸甚です。


ところで前回は6月23日にライブをやる、というところで終わっておりました。

おかげさまであの日は、いらしてくださった方々の投げ銭と物販のお買い上げで、リアルに生活が助かりました!

本当にありがとうございました!!

「スナック雨」のママ・千絵ノムラさんにも大変感謝!!

その後、7月7日に秋葉原グッドマンでIKAZUGOKEライブ、8月10日に日ノ出町試聴室でソロワンマンライブ(こちらも投げ銭たくさんありがとうございました!涙)、8月13日に新松戸ファイヤーバードにソロ出演(対バンの方々素晴らしかったです!)、8月25日に阿佐ヶ谷よるのひるねで「母親教室」最終回、…というスケジュールでした。

どれもお客様とスタッフの皆様のおかげで、楽しくライブできました!

ありがたいことになんとか生活も支えられ、いろんな方に救われた夏でした。

心からお礼を申し上げます。

ありがとうございました!!

秋からの展開も、どうぞお楽しみに★


ライブ予定

9月11日(月)甲府「なべやかん大喜利大会」

9月16日(土)岐阜にてライブ

9月29日(金)新木場1stリング「CPEキャットファイト夏祭り どきッ!女だらけのキャットファイト祭2017 〜はちゃめちゃお下品熱帯夜〜」(キャットファイトの幕間にプロレスリングで紙芝居します)

9月30日(土)下北沢「石丸元章×北村早樹子×飯田華子『本日、東京拘置所から参りました!』」(本屋さんでトークショウ)

10月21日(土)大阪・難波「IKAZUGOKEアルバム発売記念ギグ」大阪編/ ゲスト:タカタカアキ&ナイトサパーズ(from赤犬)

10月22日(日)大阪(IKAZUGOKEでライブ)

11月10日(金)渋谷「IKAZUGOKEアルバム発売記念ギグ」東京編/ ゲスト:河井克夫、宮崎吐夢

11月23日(祝木)下北沢(飯田華子ワンマンライブ)

詳細はこちら→ https://iidahanako.jimdo.com/ライブ予定/

急遽

「今月はライブはない」と書きましたが、急遽一本決まりました。

6月23日(金)、渋谷の「スナック雨」にて投げ銭ライブやります。

実は今月ひとつ仕事の契約が終わり、ということはマネーが大変ピンチになり、さぁどうしたもんかと途方に暮れていたところ、「スナック雨」のママ・千絵ノムラさんが、
「うちで投げ銭ライブやれば?」
と言ってくださったのです。

ありがたい…。

生活が苦しいならもっとバイトすればいいでしょう。

でも、できることなら、紙芝居を作ったりやったり、絵を描いたり、文章を書いたり、そういうことで収入を得る道を模索したいお年頃です。

ならばもっと営業して、断られて当たり前と思っていろんなところに声かけて、人脈を広げなさいと年長の方からは言われます。

本当にその通りだと思います。

そう、人脈。

おお、人脈。

私は人に好かれたい。

好かれたいあまり嫌われるのが怖くなり誰にも会いたくなくなるほどです。

本当に私は打たれ弱いというか、打たれてもいないのに弱いというか、先日も自分の描いた漫画と小説を出版業界の方に「読んでください」とお渡ししたあと、なんでそんなことしたんだろうとくよくよしました。

「読まなきゃいけない」って思わせちゃった、心に負担をかけてしまった、いや、きっと向こうはそんなこと日常茶飯事だろう、たいして気にしてないだろう、なんならもう捨てただろう、しかし捨てるのも後味が悪いだろう、ああなんて余計なことをしてしまったのだろう、みたいな。

こんな気持ちは誰もが経験したもので、わざわざ書いたところで繊細さのアッピールにもならないと思います。

ではなぜ書いたかというと、まぁ、あの、やっぱり繊細さをアッピールしたかったからなんですが。へへ。

「人脈広げようよ」って言われた瞬間帰りたくなる気持ちを、繊細な皆様と共有したかった次第です。

そういえば、さっきパラパラ読んだ女性誌で、ゲッターズ飯田が、
「自分はメンタルが弱いと自己申告する人は、自分の幼稚さを世間に晒して平気なくらい図太い人だ」
と言っていました。

とするなら私は図太い。

幸い体も健康です。

「自己アピールとか苦手なんですぅ、奥ゆかしいんで」なんて言いながらチラチラとチャンスを伺うことはいい加減やめて、できるやり方でできる場所を探して食いつくしかありません。

というわけで来週は「スナック雨」でできる限りのことをしちゃうぞ☆

「スナック雨」のママ・千絵さんは大学の同級生で、現在は劇団ビニヰルテアタアを主宰したり、ライターとして文章を書いたりもしています。

2年前に私が作演したミュージカル「二十四の瞳ちゃん」ではヤエバちゃん役で出演してくれました。

今回の投げ銭ライブでは千絵ママと私の変なダンスも1分くらいやります♡

東京では久々のソロライブなのでお楽しみいただけるよう頑張ります!!

ぜひ来てください!!

2017年6月23日(金)
「スナック雨」投げ銭ライブ
@渋谷・スナック雨
18時オープン/20時スタート
チャージ700円、ドリンク500円〜
投げ銭

2月後半から5月までのこと

福満しげゆきのエッセイ漫画で、女性編集者と仕事の話をしているとき、
「君、そんな真面目な話しててもおっぱいがついてるじゃん。それってエロいやつじゃん。そんなのつけて何言っても説得力ないよ」
と思ってるシーンがありました。

自らのクズっぷりを面白く冷徹に描くので、私は福満しげゆきの漫画は好きです。

『僕の小規模な生活』5-6巻の回想編は泣きました。

『かわい子ちゃんを二度見る』や『生活』などのストーリー漫画も面白かったです。

だから、今言った女性編集者とのシーンについても、「こんなこと思うなんて女性蔑視ざます!」と糾弾するつもりはありません。

しかしこれは、「女体とは発情される器である」という事実を突きつけられた一コマでした。

いえ、もちろん「仕事中に仕事相手をそんな目で見ないよ」と仰る紳士がほとんどだとは思います。

でも下衆な私は「本当に本当?」と疑ってしまいます。

表面では性などないフリをして仕事しながら、裏では女性社員の品定めをして、「今日あんなワンピース着てきたけど勘違いしてんじゃねえの?」と嗤ったり、「どうやら彼氏にフラれたらしい」と噂したり、「あいつは俺に色目を使っていた」なんてほくそ笑んだり、男ってそういうもんじゃないでしょうか。

だって女もそうだから。

そう、女体が発情される器であるのと同様、男の体もまた発情される器なのでした。

とか言うと、「えぇ、会社の女ったら俺のことそんな目で見てたのぉ?」とまんざらでもない顔でニヤつく殿方の顔が浮かびますが、そういう方に限って平気で鼻毛をわっさり出してたり、そんでもってその鼻毛の先っちょに鼻くそ付けてたりするのが世の摂理です。

ほら、男性諸氏も思い当たるでしょう、「女性専用車両ができて安心だわ〜」なんて言ってる女に限って「お前だけは触らねぇよ!」と言いたくなるご面相だったりするケース。

でも、「お前だけはそんな目で見ねぇよ!」と言いたくなる時点で、私たちはその人を性的な存在として見ているともいえます。

だって、「発情される器として不適格である」と思っているわけですから、「こいつは私(俺)の欲情を刺激するかどうか」っていう無意識の審査をしているのです。

自分がその人に発情するかしないかは別として、私たちは他人をどうしても性的な目で見ちゃうのではないでしょうか。

ということは、誰もが「やりてぇ」とか「無理」とかいった審査の視線に晒されているといえるのではないでしょうか。

なんて恐ろしい世界でしょうか。

そんな視線をよしとしちゃ色々と業務が滞るから、ちゃんちゃらおかしいお題目ではあるけれど「仕事相手をそんな目で見ないよ」と紳士淑女は言うのでしょう。

仕事の場では、皆、性を匂わせないよう気をつけているふうに見えます。特に女性は。

「男っぽいよね」と女性に言うのが今なお褒め言葉だったりすることを考えると、やはり「女っぽさ」は封印すべきことなのかと感じます。

ただ、ときどき女は女っぽさを全開にしたくなるときがあって、だけども仕事用にかぶった「女っぽくないフリ」が板に付いちゃった身としては、プライベートであっても「今さらどんな顔して女ぶればいいの?」とためらってしまいます。

手料理や髪の毛を巻くなんて女みたいなこと、女を封印していた身としては恥ずかしくてできません。

そういうときの便利な言い訳が「女子力」という言葉なんだと思っていました。

女みたいな恥ずかしいことをするのでも、「女子力上げようと思ってさ☆」と言えば軽い諧謔になるからです。

私の感覚ですが、おしゃれな手料理でもてなしたり、髪を綺麗に巻いたりするのは、モテたいからではありません。

だって現実の男はサーモンのピンチョスより肉じゃがを歓迎するし、髪をくるくる巻いてお化粧したって「すっぴんのほうが好き」なんて言ったりするじゃないですか。

けれど女は肉じゃがよりサーモンのピンチョスを作るほうが心ときめくし、髪を巻いてお化粧したいのです。

モテるためではなく、女が心ゆくまで女っぽく振る舞うための、そしてその行為を自分自身に許すための言葉が「女子力」だと思っていました。

従って、「女子力の高い女性が好き!」なんて男性がいるわけなかろうと思っていました。

しかし、この話を友人の男性にしたところ、「男の言う『女子力』はそういう意味とは違う」と指摘されました。

男にとっての女子力は「気がきく」とか「男を立ててくれる」とかを指すようです。

そうか、だから「女子力アップで彼氏をゲット!」なんて文言が飛び交っていたのか!と私は目からウロコでした。

その友人は「男って本当に男の都合のいいようにしか解釈しないんだよ」と言ってくれましたが、それをいうなら私もまた私の都合のいいように「女子力」を解釈していたわけです。

しかし最近は「女子力」という言葉も聞かなくなったような気がします。

もうみんなそこの問題は解決したんでしょうか。ていうか結局女子力ってなんだったんでしょうか。

ちなみに私自身は、女っぽい振る舞いをすることにやはり照れがあります。

「女だから付いてくる特典」みたいなものを享受することは、卑怯なことではないかとためらってしまいます。

…なんていいつつ、結構享受してますが。

とりあえず、私が銀座のお店で紙芝居をできるのは、私が女だからに他ならないと思います。

そうそう、前回のブログは「今週北村早樹子さんと銀座のお店でライブします!」ってとこで終わってましたね。

もうかなり前のことになってしまったけれど、おかげさまで無事遂行することができました。

主役であるお誕生日のお客様にウケていただけたので大変嬉しかったです。

お酒を飲みに来るための場所なので、設備もお客様のモチベーションも普段とは全然違うところでしたが、北村さんは動じず、むしろ激しくロックで格好よかったです。

「この演目で本当にウケるだろうか?」とドキドキしていた私でしたが、北村さんがキーボードを叩き、青い怒りの炎をほとばしらせた瞬間、「よし、いこう」と覚悟が決まりました。

普段ソロで活動している身ですが、尊敬できる相方と一緒にやるのはまた違った楽しさがあります。

その後、3月4月5月と、北村さんを含め色々な方とステージに立つ機会が続きました。

3月11日にひとつソロライブを挟み(LiLee+phallus企画でした。ご覧下さった方々、対バンの皆様、LiLee+phallusの皆様、ありがとうございました!)、

3月19日には刃喰いさんとのコラボ企画がありました。

一夜限りの興行でしたが、稽古を重ね、美術を作り、かなり時間を費やしました。

刃喰いさんは殺陣のショウをやる二人組の男性ですが、どちらもそれとは別でお仕事もされています。

殺陣でも色々なところからお呼びがかかっていますので、私からはどちらが本業かわかりませんが、ショウとはまた違う体を使う現場でもめちゃくちゃ働いてらっしゃいます。

夜勤明けで稽古とか、稽古のあとに夜勤とかのハードスケジュールもたびたびでした。

しかしお二方とも、体も辛いし時間もないだろうに、全然愚痴を言わず、むしろこちらを気遣ってくださいました。

衣装に着替える背中は、体を使う人独特の機能的な筋肉に満ちていて、実に男らしかったです。

身も心もぶよぶよの私ですが、こういう方々とご一緒していると、弱音を吐いてはいけないと気が引き締まります。

が。

稽古中、私は刃喰いのお一人・テルさんから「女っぽいよね」と言われました。

そのときは差し入れに手料理を持っていったわけでも、ましてや心憎い気遣いをしたわけでもなく、むしろドすっぴんで作業着でしたが、それでも「女っぽい」ってことは…?と動揺し、「私ったら愚痴っぽかった?かわいぶって甘えてた?自分ができないことを人のせいにしてた?」と思ってしまいました。

あとで聞いたら、テルさんはそういう意味でおっしゃったのではなく、私の作る物語や感覚についてを指していたようですが。

ここで私は自分自身の女性差別を改めて感じた次第です。

私は、女は愚痴っぽくてかわいぶって甘えて人のせいにする生き物だと思っているのでした。

だから、自分は女でありながら、女を超えた存在でありたいと思っているのでした。

女っぽく振る舞うことへの照れがあるその裏には、「女みたいなもんと私を一緒にするな!」という選民意識があるのだと気付きました。

そのくせさっきも述べた通り、女としての特典はちゃっかり頂いているのだから始末におえません。

ていうかここまで読んだ方は、じゃああんたなんでホステスのバイトしてるんですか?って思いますよね。ですよね。

それはね、勉強したいと思ったからなんです。

まず、ライブでお金をいただくというのは大変難しいことです。

実体がないからです。

ライブを見に行くとき、私たちは「楽しい時間」というものすごく実体のないものにお金を出しています。

でもそれがいいライブだったら満足して帰途につけます。

女性のいるお店も同様で、お客様は「楽しい時間」という実体のないものにお金を払います。

もちろん、口説こうとか肉体関係を持ちたいといった気持ちもあるかもしれませんが、それが達成されなくても、楽しい会話でおいしくお酒が飲めたら、きっと満足して帰途につける…はず…

…いや…

…どうなの私?

それ綺麗事じゃないの?

この建前を信じといたほうがラクだから言ってるだけじゃないの?

だってホストクラブ行ったときどうだったよ?(※参照http://blog.livedoor.jp/akachan1104/archives/52126105.html

本当はあのおできオヤジを口説き落としたかったんだろうが!でも金かかりそうだったから諦めたんだろうが!そんでしょんぼり帰ったんだろうが!で、ハマったらやばいって二度と行かなかったんだろうが!

だいたい初めて入った店で金も遣わず「あわよくば」を妄想するなんて図々しいんだよ!

…失礼、脳内ツッコミがちょっと。

そう、私は遊び慣れていない野暮な女なのでした。

夜の世界の粋な楽しみなんて実はよくわからないのでした。

「ちっ、やらせねぇのかよ」と吐き捨てるケチなジジイと心は同じなのでした。

なので、自分のライブに来てくださったお客様に対しても、「本当にご満足いただけたんでしょうか?」といつも心配でたまりません。

私はそんなにコケティッシュなタイプでもないけれど、10年もやっていると時々は私個人と親しくなりたい方もいらして、そういう方は私のライブよりも私と飲みに行くことのほうが好きだったりします。

いや、「一緒に飲んで楽しい相手」と思っていただけるなんて大変名誉ではあります。

でも、ライブではなく飲みに行くお誘いだけが増えると、「そうか、この方は私のライブを我慢して見てくださってたんだな」という気持ちになります。

そうなりますとライブをしていても、「皆様、苦痛なお時間を強いてしまい申し訳ありません、このあとお詫びに接待いたしますので」と思ってしまいます。

しかしながら別に私と飲みたくない人もいるだろうし、ていうかそもそも私は接待やトークが上手なわけでもないので、お客さんが自分と飲みたがっていると思うなんて傲慢じゃないのか?という疑問も浮かびます。

いったい、自分の表現したものを目当てにしてくださってると思うのと、自分と飲むことを目当てにしてくださってると思うのと、どちらが傲慢なのでしょうか?

果てしない自己問答で、心が千々に乱れるのでした。

そんならやめりゃいいんですけど、やはりライブは続けたいのです。

なので、肉体という実体ではなく「楽しい時間」という実体のないものを売る夜の世界で、ロープーの女性たちに学びたいと思ったのでした。

そうすることで、自分のライブも「楽しい時間」にできるのではないかと思ったのでした。

そもそも「楽しい時間」ってものを見たかったのでした。

せっかくお声をかけていただいたご縁だし。

というわけなのだから、いい加減「女っぽくするのはためらいが…」なんて言ってないできちんと女装しなきゃいけないのに、まだまだダメですね、腹のくくり方が甘いです、私は。

ついつい「今媚びてしまった」と恥じ、「こんな容姿のくせにもったいぶってしまった」と自己嫌悪に陥ります。

ギャグにならない女装は難しいです。

客観性を持つ人間でありたい、というくだらない自尊心のせいかもしれません。

…さて、このままいくと刃喰いさんとの思い出は「女っぽいと言われた」ことだけに集約されてしまいそうなので、ちょっと話を戻します。

この興行は、子宮の中の精子の物語でした。

ヴァギナに放出された精子は、精子同士の戦いや白血球との戦いがあります。

戦う精子くんをテルさんとムロさん(刃喰いのもうお一人です)が担当し、私はその精子を体内に持つ「女」のポジションでした。

テーマと構成はテルさんが考えてくださいました。

私の仕事は美術全般と、劇中歌としてのラップの作詞作曲と、この構成に寄せたオリジナル紙芝居を作ることでした。

ラップについては、「男をバカにするようなものにしてほしい」と言われました。

でも、バカにするのは難しかったです。

別に男をリスペクトしてるからではありません。

さきほどから私は「女」を軽蔑した物言いをしていますが(実際にいる人をどう思うかではなく、あくまで性別のイメージの話として)、「男」のことは憎んでいます。

「女」を貶めたからです。

…とかいうとフェミニズムっぽいですか?

てかフェミニズムのイメージってどんなんだろか?人によっても違うはずですが。

私のフェミニズムのイメージは、
【関心のない人にはいまだに「『男が悪い!』って叫ぶ女の集団」って思われてそうだけど、なんか色々学術用語の飛び交うアカデミックな思想】
って感じです。

だから期待してるけどおいそれと引用したくないです。自分のバカさがバレそうで。

ですので、私の男への憎悪も、思想としてではなく私憤として捉えていただきたいです。

話が脱線しました。

なぜ「男」が「女」を貶めたかというと、私が前述した「女」の嫌なイメージ(=愚痴っぽくてかわいぶって甘えて人のせいにする生き物)は、今まで出会った「男」が言ってたことだからです。

私は「男」の価値観に影響されて自分の価値観を形成しました、おかげで自分の性別を軽蔑しなければならなくなりました、また、私は女であるというだけでこの「女」と同じ生き物として「男」から軽んじられます、こんな目に遭わせる「男」が憎いです。

以上、自分の責任を完全放棄して「男」への憎しみを説明してみましたが。

このように憎んでいるならバカにするのも簡単なような気もしますが、しかし、この憎しみをそのまま反映させても、きっと「男」を傷つけられないだろうと思ったのです。

「あはは、女がまた人のせいにしてらぁ」ぐらいにしかならないような気がしました。

もしくは、「そうです、男ってバカなんです、女はえらいです、手のひらで転がしてください」なんて、持ち上げたフリして逆にバカにされるかです。

それでもラップは劇中の流れ上、どうしてもわかりやすくバカにしなきゃいけないところもありました。

なので、紙芝居のほうでは、もうちょっと「男」の心に刺しこむような感じにしたいと思いました。

しかしテルさんの作ってくれた構成を読み返し、考え、ああもうこれは憎しみはダメだと思い直しました。

精子を体内に蠢かせてる「女」たる私が、「男」を憎んで突き放していては、「男ってバカね、精子ってバカね、勝手に戦ってなさいよ、あたしは知らないわ」という話になってしまいそうだと感じたのです。

それじゃ広がりません。

だから、嫌だけど「男」を愛してみようと思いました。

それで、炭鉱の町とそこで暮らす鉱夫のことを描いた「山」という紙芝居を作りました。

「面白かった」と言ってくださった方もいましたが、説明部分が多かったので「だるかった」という意見もありました。

しかし個人的な体験としては、ちょっと「男」に歩み寄れたような気もします。

というか、とりあえず主人公の鉱夫には私の萌え心を詰め込みました、愛するために。

そんで、そいつを愛しました。

今までこんなふうにお話を作ったことはないし、特に男性キャラについてはまったくなんの思い入れも持ちえませんでしたが。

そういう意味では、ちょっと恥ずかしい紙芝居だったかもしれません。

いつか本当に「男」を愛せたなら、「女」を蔑まなくても済むようになるのかもしれません。

そしたら私は私の性をここまで居心地悪く思わないでいられるようになるのかもしれません。

まぁ、憎いところに目をつぶって無理くり愛するのは嫌だけど。

あとで聞いたら、テルさんもまた、この構成を作るとき、「女に歩み寄った」とおっしゃっていました。

なんとなくですが、テルさんは男らしいので、「女」をどうもいけ好かないと思ってらっしゃるような気もします。

だとしたら、憎む者同士が歩み寄ったという、こう、講和条約のような企画だったのかもしれません。なんつって。

素敵な経験をさせていただき、刃喰いのお二人には大変感謝です。

もちろん、この興行のために深夜までリハーサルに付き合ってくださったライブハウス「ファイヤーバード」のスタッフの皆様にも。

そして何よりこの興行をご覧くださったお客様、誠にありがとうございました!


刃喰いさんとのコラボが終わった一週間後は、北村早樹子さんと私の共著小説『裸の村』発売記念パーティーを円盤で行い、4月はその刊行記念ツアーとして二人で沖縄〜広島〜大阪と10日間ほど回りました。

5月はこの北村さんとのユニット「IKAZUGOKE」のライブが二本、IKAZUGOKE名義ではないけれど飯田華子×北村早樹子のトークイベント「母親教室」、あとデザイナー&漫画家の中田舞子さんと二人でコントをしたり、愛知県豊田市の野外フェス「橋の下世界音楽祭」にソロで出たりと、なかなか忙しく過ぎました。

ライブをご覧くださったお客様には大変感謝です☆

今月はライブがないので、ちょっとブログなど書いてみましたが、溜まってたのでしょうか、結構長くなってしまいました。

もっと気楽に書いていきたいものです。

あ、先ほどさらっと触れました「母親教室」は次回(8月開催予定)が最終回です。

これについても色々と書きたいのですが、さすがに長過ぎるのでまた今度にします。

その前に、『裸の村』についてちょっと触れなければなりません。

飯田華子と北村早樹子の共著小説『裸の村』は、それぞれが書いた物語がラスト一枚でうなりながらつながる仕掛けになっています。呪いのCD付♡

装画を私が、付属CDの歌を北村さんが担当しています。



【RGB】裸の村_内モザイクC



これは円盤の田口さんが考えつき、ずっと温めていたアイデアだそうです。

田口さんプロデュースのもと、北村さんと話し合い、気になるテーマをブチ込んで、愛憎ごった煮の状態で書きました。

特殊すぎる装丁ゆえ、一冊一冊作者自ら切り貼りして製本しなければならず、私は西日の差す作業部屋でシュミーズ一枚になって作っています。

形も内容もアレなんで、ぜひ読んでいただきたいです!

詳しくはコチラ

以上、宣伝でした!


さて、次のライブは7月7日(金)、秋葉原グッドマンです。

女の子ばっかりのイベントにIKAZUGOKEで出ます!

2017年7月7日(金)
「たなぼた♡」
@秋葉原・GOODMAN
1800+1d ☆織姫割1300+1d
19時スタート!
出演:
madrone avenue
IKAZUGOKE
踊り【コーラ+レンカ+めみハーロ】
リツコとヨシコとソースケ山
松本花バンド
※戦艦キクイによるトークあり!?


北村さんとは結構前から色々ご一緒させていただいてましたが、「IKAZUGOKE」というユニット名で活動するようになったのは去年7月のグッドマン出演からです。

なので、ちょっと凱旋ていうか、まぁ何も戦ってないし勝ってもいないんですけど、なんとなくそおゆう気分なところもあります。

どうぞよろしくお願いします♡



*忘備録・4月5月のライブでお世話になった皆様*
円盤店主田口さん・沖縄中城CD屋さん・那覇cello・浦添Groove・てんしんくん・ペガサスさん・幽玄パピロンズさん
釜晴れ早苗さん・PA井伊さん・桜川春子さん
アオツキ書房金本さん・カニコーセンさん
ヲルガン座ゴトウイズミさん・中島由美子さん・ドドコさん
難波屋の皆さん・PAりしゅうさん
BARキネマトス彩さん・うのさん・パールさん
GIGA IDOL FESTIVAL対バンの皆様・主催ドラびでおさん・グッドマンの皆さん
本庄ニノ蔵の皆さん・主催つとむさん
よるのひるね門田さん
臨海亭東雲さん・へもい家己祝さん・中田舞子さん・サイレンツさん・臨海亭西海さん・へもい家寿満児さん
橋の下世界音楽祭幻燈座対バンの皆さん・スタッフの皆さん
ライブをご覧下さった全てのお客様、物販を買ってくださった皆様、本当にありがとうございました!!

汚く陰気に恥ずかしく

私は10年ほどライブ活動をしています。

内容は主に自作の紙芝居ですが、映像を使った出し物や劇なども作っています。

呼ばれたときは、なるべくその場に合わせたネタを選んで上演しますが、目論見が外れることもよくあります。

「わけわかんなかった」と言われたり、「もっと違うものを期待してた」と言われたり。

終わったあとで、「こういう場ならあの出し物をやればよかった」と後悔することもしばしばです。

だから、たった一度のライブで「ああこういう人なのね」と判断されちゃうのは残念だといつも思います。

これは私だけではなく、ライブをしている人なら誰もが感じることでしょう。

たとえ同じ出し物でも、そのときのお客さんの反応や、音響・照明を含めた空間のありようでずいぶん変わります。

一度見てつまらなかったとしても、もう一度くらい見に来てくれたら嬉しいなというのが正直な気持ちです。

でも、翻って自分がお客さんの立場となってみた場合、ライブはわざわざ時間を作って行くわけだし、それもだいたいは無料じゃなく、仕事で嫌な目に遭いつつメイクしたマネーを投じて見るわけですから、できるだけ失敗したくないと思います。

一度見てつまんなかったり好みじゃなかったりしたら「もう一回見てやろうかな」とはそうそう思いません。

そうしますとライブとはほぼ博打です。

実は今週、銀座のラウンジで博打(ライブ)があります。

場所が場所なため、料金のことや、お席ももう余裕がないので、ホームページのライブ予定には載せていませんが、お酒の場を盛り上げるための紙芝居をやります。

お店のママが私の紙芝居をご覧くださり、去年からホステスとして&パーティー時には紙芝居をする余興要員として雇っていただいたのですが、今週はお客様のお誕生日パーティーがあるのです。

実は去年もこのお店で二本ほど紙芝居をやりましたが、一本はウケたもののもう一本はウケませんでした。

ママからは、「ライブハウスでウケることとお酒の席でウケることは違う」とやさしくアドバイスされました。

「ここは照明やステージがあるわけじゃないし、お客様はお酒も入っているし、そもそもライブを見に来るつもりではなく飲みに来ているわけだから、わかりやすいもののほうがいいと思う」と。

それで今年1月、この経験をふまえ新しく作った紙芝居をやってみたところ、これはウケました。とっても嬉しかった。

というわけで現在2勝1敗、今後のことも考えるともう少し勝率を上げていきたいところです。

実は今回は北村早樹子さんをお呼びして、音楽&紙芝居の20分ほどのショウをします。

ドキドキしますが、なんだか生きている実感もあります。


ところで話は逸れますが、このブログをここまで書くのにものすごく時間がかかってしまいましたことをここで唐突にカミングアウトします。

脳内ツッコミがすごくて。

冒頭の「私は10年ほどライブ活動をしています」ってのを書いたところから、「なんで10年もそんなことしてるんでしょうか」っていう脳内副音声がうるさく、しばしば筆が(指が)止まりました。

やっぱり表現活動って恥ずかしいことだと思うのですが、「私は10年ほどライブ活動をしています」って言葉がもしドヤ感漂うものとして受け取られたらどうしようかと心配になってしまうのです。

これは私が20代前半の頃に演劇系のバーでバイトしたため、「俺はこれで何十年やってきたんだ!」とドヤる団塊世代の方々などを見てうんざりしたことなども影響しているでしょう。

ザ・団塊ズは「表現とは信念を持って続けなければいけない」とおっしゃっていましたが、私はなるべくそうしたものは持たないようにしようと、そして続けていった先がこんなふうになってしまうならさっさとやめたほうがいいなと、心から感じた次第です。

でもじゃあなんで続けているかというと、恥ずかしいけどやっぱりやりたいからなんですが。

だったらもういいかげん恥を引き受ければいいのに、こんなふうに姑息な言い訳めいた補足をしてしまうなんて、まだ腰が据わってないですね私は。

ダメだなぁこんなことじゃ。

恥ずかしいことや正しくないことを、快楽のためにあえてやる権利が、大人にはあると思います。

「正しくない」ってのは法律違反ってことではなく。

たとえば私はティーンの頃、30代の人たちがおじさんおばさんに見えていましたが、そんな人たちが恋愛だとかに舞い上がったり傷ついたりするのを「おえーっ」と思っていました。

恋愛は肌の張った若者の特権だと思っていたのです。

そうして30代を迎えたいまも、やはり若者の特権だと思います。

シャワーの水を弾き飛ばせなくして「彼から連絡がこないの(>_<)」とは何事ぞ。

もっとビクビクしたほうがいいんじゃないですか、もっと「いい年して恥ずかしい」って思ったほうがいいんじゃないですか、「いい年して恥ずかしい」ことをやっちゃうからこそ気持ちがいいんじゃないですか。

シワにおしろいをぶちこんでデートに向かうときめき、夜陰に紛れてコソコソと手をつなぐ甘美、パンティと靴下の跡が消えないよれた肌で後ろめたく抱き合う悦楽、これぞ正しくない恋愛の醍醐味でしょう。

「いい年だなんて思わないでもっと恋をしよう!」とか「年齢差別だ!」とかいって自分たちの行いを太陽のもとに引きずり出すのではなく、「いやぁ、いい年してすみませんねぇ」とかニヤニヤしながらその実は全然すまないなんて思わず湿った路地裏で「ウヒヒ」と抱き合うジジババでありたいと思います。

スナックの換気扇から漏れ聞こえてくる「石狩挽歌」のカラオケに合わせて歯槽膿漏くさいキスをする余裕を持っていたいものです。

正しいことは若者と聖職者に任せておけばいい。

本当に面白いことはいつだって人目に触れないところでひっそり行われているものです。

さわやかで健全に見える街の裏で、不潔な恋愛が横行しているという構造に萌えます。

ですから中年以降の方々は、春への思慕を巧妙に隠してほしいなと、元若者としては思うわけです。

でももしかしたらこれは私がまだ「中年」の中では「若手」の部類にいるからこそ言えることなのかもしれません。

もっと「中年」が板についてきたら、自分のナイーブでやわらかなものを若者に「おえーっ」と蔑まれることが悲しくて仕方なくなって、「年をとったからといって恋愛をして何が悪いの!?」なんつっちゃって、しかももう色んな願望が純化しすぎちゃって、性的な関係に持ち込むよりも交換日記とかピクニックとかを求めるようになっちゃうかもしれません。

数年後の朝、私はいそいそとタコさんウインナーと卵焼きと鮭おにぎりをこしらえて、…あ、海斗(=今日デートするホスト・24歳)は野菜不足だろうからホウレン草の胡麻和えとひじきの煮物も詰めて、吉祥寺駅の公園口改札に向かう、30分も早く着いてしまったから駅ビルのトイレでお化粧の具合をチェックする、首のシワが気になって雑貨屋でスカーフを買う、「お客様、このお色ですとお顔映りもいいですよ」と言われたバラ色のスカーフを小粋に巻いて改札に立つ、時間になる、海斗は来ない、「公園口だよ☆」とLINEする、既読にならないまま1時間が経つ、夜の仕事で疲れて寝坊しているのかもしれない、足が疲れたから伊勢屋へ行く、大瓶と串盛り、焼酎のお湯割りに切り替えたところでLINEがくる、「風邪ひいちゃった(>_<)ほんとごめん!」…仕方ない、浴びるように酒を飲まされて体も弱っているのだろう、「大丈夫。お大事にね!」と返信を打って席を立つ、井の頭公園の桜はきれい、小学校の遠足で見た象のハナコはもういないけれど、中学高校もよくここで遊んだ、あの頃は今が惨めでも大人になったらきっとよくなるんだと思っていたっけ、いやそもそも大人になんかなりたくないとか思ってたんだっけ、ははは、こんなに生きながらえてしまった、ティーンの私よ、あれから何十年と経ち、あなたは息子でもおかしくないような年齢のホストに鼻毛を抜かれる女になりました、ザマァミロ、コンビニで熱燗を買ってお弁当を広げる、ひじきの煮物がとっても上手に炊けている、卵焼きは私は本当はだし巻きが好きだけれど子ども舌の海斗に合わせて砂糖を入れたから甘い、ホウレン草の胡麻和えに桜の花びらが落ちてきれい、冷えてきた、いい花見だったわ、ちょっと寂しいけれどこれはこれでいい休日だった、吉祥寺に戻って中央線に乗り込む、新宿で山手線に乗り換える、そのときホームに海斗に似た男の子と華奢な肩をした女の子を見かける、あ…、ドアが閉まる、次は新大久保〜新大久保〜、暮れなずむ街を走る電車の窓、に、映る私は、ほうれい線をくっきりと浮かべ、バラ色のスカーフにひじきの欠片をつけていた。

…失礼、つい切ない妄想をしてしまいました。

しかし、「恋愛は肌の張った若者の特権」と豪語するのであれば、私はこうした切なさにも耐えなければならないでしょう。

だけどもやっぱり後ろめたく恋愛をしていきたいし、恥ずかしく表現をしていきたいと思っております。

何回か前のブログで紹介した記事(http://mess-y.com/archives/38014)にあった「私は私であっていい」という言葉はすごく素敵だと思うけれど、私にはやっぱり強過ぎるのです。

「私は私でしかあれない」という、諦めにも似たような、卑屈な謙遜のような、そのくせ実は全然謙遜してないふてぶてしさを感じるような態度のほうが、自分には合っているように思うのです。

私は口に出すことと腹で考えていることが違う、陰気なジャパニーズです。

その陰気さ卑屈さを愛するのならば、寂しさ惨めさを引き受ける覚悟を持つべきでしょう。

あ、「べき」とか言っちゃった。

こんなこと言っておいて明日には「生きてるって素晴らしい!もっと太陽の下でダンスしよう!恥ずかしがらずに自己表現をしよう!それがアートだ芸術だ!私を尊重してください!」とか言っちゃうかもしれないから、まぁあんまり気張らずにいようと思います。


さてさて、陰気なジャパニーズの恥ずかしい活動は3月も色々あります。

恥ずかしいけれど見て欲しいの♡

変な汁をたらしながら全力でやるのでぜひ来てください!!!

3月11日(土)
とってもセクシーで素敵なパフォーマー・倖田李梨さん率いる「りりたすふぁるす」のパーティー!→ https://iidahanako.jimdo.com/ライブ予定/2017年3月11日-土/

3月19日(日)
これはすごい、殺陣と紙芝居のコラボ!イカした殺陣ユニット「刃喰い」さんと私の三人でお送りする一夜限りのめくるめくショウです☆一時間超えの大作!練習もがっつりやってます!
お席は50名までなのでぜひお早めのご予約を!→ https://iidahanako.jimdo.com/ライブ予定/2017年3月19日-日/

3月25日(土)
私と北村早樹子さんとの共著小説『裸の村』刊行パーティー!とにかく誰も見たことのない形態の小説なので、お楽しみいただけることと思います!それに合わせた出し物もいたします☆ぜひ来て!そして買って♡ → https://iidahanako.jimdo.com/ライブ予定/2017年3月25日-土/


『夫のちんぽが入らない』感想文

友人に薦められ『夫のちんぽが入らない』という本を読みました。

タイトル通り、夫の巨根により性交のできない夫婦のお話です。

悲しい現実を綴った随筆です。

でも、文章が読みやすく、どこかしらユーモアが漂っているので、しんどい内容でもスラスラ読めてしまいました。

以下は感想です。
(まだ読んでない方にはチンプンカンプンだと思います)

これを読んだ周りの方々からは、「旦那もっとしっかりしてよ〜」との声も聞きました。

筆者を支えなければならないはずの立場なのに、後半にかけてどんどん情けなくなっていってしまうからです。

でも、もし自分がこの旦那だったら、私はもっとダメだったかもしれないなと思いました。

愛する人と性を共有できないのは悲しいことです。巨根なのは旦那のせいでもないし。

もっと旦那が年上だったらまた違ったかもだけど、一つしか違わないなら同じ悩める若者同士だったはずです。

筆者が学級崩壊で苦しんでいたとき、旦那もまた教育現場で戦い、同僚からは単独プレーに眉をひそめられつつどうすれば生徒の気持ちに寄り添えるかを模索しつづける一人の青年だったのでしょう。

夕食の席で正論を展開していたのも、「僕は間違ってないよね?そうだよね?」という確認だったのかもしれません。

若者は相手を思いやれない。

「君も苦しいけど僕だって苦しいんだ」という気持ちを抑えられない。

相手を認めることより自分が認めてほしい気持ちが勝ってしまう。

それでも性さえ共有できればもう少し相手を思いやれたかもしれないけれど、それすらもできないわけです。

しかも彼はまだ性欲ほとばしる年代です。

別にこの旦那を擁護するつもりではないですが、人間はそうそうしっかりできないだろうというのが私の実感です。

とはいえ、風俗通いはもっと上手に隠せよと思いますが。

この筆者のこだまさんがすごいのは、いろんなことを人のせいにしていないところだと思いました。

情けない旦那についても、やばい母親についても、そして学級崩壊の張本人(なんなら筆者の病気の原因となったともいえる)ミユキについても、「しかしこの人なりの事情によりこういう言動があるのだろう」という思慮の行き届いた書き方をしています。

だから辛い内容なのに読みやすいし、ユーモアを漂わせる余裕があるのだと思います。

出会い系の「おじさん」のキャラの書き方も面白くて、ちょっとうざいけど決して「ひどい人」には書いてないし、もちろん「いい人」にも書いてない。

物事を善でもなく悪でもなく書けるこのバランスって素敵だなぁと思いました。

もしかしたらこの配慮の深さや公平さが彼女の精神を追い詰めたのかな?とも考えてしまいますが。もっと人のせいにできるタイプだったらもっと楽だったのかもしれません。

あと、気になったのは、この夫婦はどんな前戯をしていたのだろう?ということでした。

一応赤子の頭が出る器官ではあるので(でも会陰切開とかするけど)、ヴァギナにはそれなりの伸縮性があるはずです。

「メロンの容器に入ったローション」をつけて巨根を入れる前に、まずは普通サイズのオモチャから、とか徐々に慣らしていったりしたのでしょうか?

昔ある女王様に聞いたところ、アナル拡張も最初は小さなパールから始めて、ゆっくり半年くらいかけて調教するものだそうです。

本を読むと、この夫婦の最初のセックスは大学1〜2年生のときですが、たかだか19歳の青年にそうした知恵はないはずです。

そして、その後もずっと知恵を身につけないままただ巨根を押し込もうとしてたのかと思うとゾッとします。

でも、旦那は風俗に通ってたし、AVとかも見まくってたわけだから、それなりに色々な方法は試してみたのでしょうか?

これだけ巷に性情報が溢れているのに、私たちは実は異性の体のことをほとんど知りません。

「女はこうしたら気持ちいいんだろう?」という妙なセオリーを信じ込む男性がとても多い、というのはよく女同士の会話で出ますが、翻って女もまた、「男ってこうなんでしょ?」という決めつけで動いているような気がします。

「性教育」という堅苦しいものではなく、AVのような娯楽媒体でこそそれぞれの体のことをレクチャーしてほしいというのが実感です。

…などということをこの本の感想として言うのは、もはや野暮な話だとは思いますが。

きっと筆者は、「もっと前戯を」なんてアドバイスは腐るほど受けてきたことでしょう。

生半可に性体験の多い者はやたら性について語りたがります。

「性の歓びを知らないなんてかわいそう」とか思ってるわけです。本当に大きなお世話です。

子を生み育てることの喜びも、性の歓びも、もちろんこの世にはあるけれど、だからといってそれを誰もが享受しなければいけないわけではない。

「私は目の前の人がさんざん考え、悩み抜いた末に出した決断を、そう生きようとした決意を、それは違うよなんて軽々しく言いたくはないのです。(略)それがわかっただけでも、私は生きてきた意味があったと思うのです。」
というラストの言葉は、読んでいて光が差すようでした。

「らしさ」について

前回までの更新にはずいぶん時間がかかったのに、今回はずいぶん早めの更新です。

一度固いのをひり出すと、あとはぶりぶり楽に出るようになる。

これはこの世の数少ない真実のひとつかもしれません。

Twitterで流れてきたこの記事を読んで、思うところが多々ありました。

http://mess-y.com/archives/38014

記事内に紹介されている『ありがちな女じゃない』はまだ読んでいないのですが、対比として語られる雨宮まみ氏の『女子をこじらせて』は私にとっても大事な本です。

一度でも「女子」と呼ばれたすべての人間にとっては無視できないエッセイだと思います。

今年11月に雨宮まみ氏の訃報を聞いたときは、お知り合いでもなんでもなかったけれどショックでした。

絶筆となったWEB連載「40歳がくる!」を読むと、「こんなことを書いてた人がもういないってどういうこと?」という気分になり、オチのないまま放り出されたような、『漂流教室』の最後のほうに出てくる地割れの深い溝を見たような、大変不安な思いにとらわれました。

そうしていま前述の記事を読み、女性のありようの難しさについて色々考えていたのですが、ところでこれ、男性が読んでどう思うんだろう?というのが気になりました。

女性に向けて書かれている文章だから、「はいはい、女は大変だって話ね」としか思われなかったりするのかな?

だとしたらもったいないような。

私は「女は大変だ」と常々思いますが、同様に「男は大変だろうな」とも感じます。

私の思う女のつらさ・大変さは、「女とはこういうもの」という規格に自らを沿わせなければならないことです。

「ならない」と明確に言われているわけではないけれど、小さな頃から周りの大人に言われてきたことや、雑誌や、広告などから、やんわりと、しかしがっつりと、気づけば強制されていることがたくさんあります(「そんなことない」と言える人は気づかないフリをしているだけだと思います)。

それは記事中の言葉を引用すれば、「『自分の人生は、自分の価値は、自分で決める権利がある』『自分は自分のものである』という意識を女性から奪おうとするこの社会の姿勢」です。

で、これは女に限ったことではないと思うのです。

男もまた、「男はこうでなければならない」という社会の強制に苦しんでいるはずです。

「若くてかわいいが一番」という価値観に女が苦しめられるように、「背が高くて金稼げるのが一番」という価値観に男もまた圧迫されているのではないでしょうか。

そうしたことを男性ももっとねちょねちょ言ってもいいんじゃないでしょうか。

いや、私が知らないだけでけっこう言ってるのかな?

学生時代にもぐりこんだジェンダーの講義で、「男性学」というのがあると聞きかじりましたが、それはどのくらい浸透しているのでしょう。

なんだか男性は、「愚痴を言うなんて男の恥だ」という美意識が強すぎて本音を言えていないような気がするのです。

その結果、世を恨んだり、ひねくれたり、変に開き直って自信過剰になっちゃったり、攻撃的になっちゃったり、変な服を着ちゃったりしてるのではないかと思うのです。

女同士でしゃべっていると、「男って自信家だよねー」という話によくなりますが、しかしその自信家の男性が、果たして本当の自分自身を認めているかは疑問です。

自信とは、自分のダメなところも格好悪いところもすべて認めた上に成り立つものだと思います。

けれど、俗に「自信家」と称される男性たちは、なんだか理想の自分を思い描いているだけのような、そして自分のアラを見ないようにしているだけのような気がするのです。

私の出会った中では、妙に自信過剰だったり攻撃的だったり変な服を着てるのは、女性より男性のほうが多いように思います。

実際の「俺」ではない、ドリームの「俺」を頭に思い描き、ドリームの俺に似合う服を着るもんだから、変なことが起きてるんじゃないでしょうか。

…いや、こんなこと言えるのも私が高校時代にドリームを見て大火傷したからなんですが。

ギャルに憧れた私は金髪のカツラに銀の厚底ブーツという仮装大賞のような格好をして街を闊歩しておりました。脳内にはドリームの自己像を思い浮かべていました。あいたたた。

ちなみに、三十路を過ぎてなんとか高校時代よりはマシになったもの、実はいまだに小さな火傷はときどき負っています。

ていうか、そうそう自分を正しく客観できる人なんていないんです。だから、まぁ、私は人の服をどうだとか言える立場じゃないんですけども。

とにかく、女性が「私は私であっていい」と思うのがとても難しいように、男性もまた、「俺は俺であっていい」と本当に思うのは難しいのではないでしょうか。

働くのが苦手でも泣き虫でもいいじゃん、ってもっと思えるようになればいいのに、と思います。

こんな話をすると(こんな話なんてそうそうしないけど)、「でもそんな男とは結婚しないでしょう?」とか言われるのですが、私はそもそも結婚願望がないのでよくわかりません。

ただ、たぶん「結婚しないでしょう?」って言葉の裏には、「夫は妻に経済的な保証をしなくてはいけない」っていう不文律があると考えられますが、私はまともな勤め人の世界はわからないけれど、これだけ男女の賃金が平等になってて、これだけ男女とも先行き不安ならば、この不文律はもはや通用しないのではないでしょうか。

結婚を経済的同盟と考えるならば、働くのが苦手で泣き虫なやつなんて、男だろうが女だろうが願い下げなのでは…?

そして、そんな人たちもそれなりになんとか生きる道を模索すればいいのでは…?

私自身、働くのが苦手で泣き虫ですが、まぁそれでも生きるしかないのでなんとかします。できてないけど。

そしてときどきは愚痴を吐いたりするわけです。

だから男性も、男らしくないことをもっと言ったら楽になるような気がするのですが…。

それとも、これは私の考えすぎなのでしょうか。

男性は、男性であることがたいして苦しくはないのでしょうか。

「俺は俺であっていい」と心から思っていらっしゃるのでしょうか。

なぜそう思えるのでしょうか。

…あ、なんか攻撃的になってきちゃったでしょうか。

いえ、ときどき、男性は女性の年齢を気にする割に、ご自身の年齢はあまり気にしてないのかな?と思われるシチュエーションが多いので。

7〜8年前に新宿でバーテンをしていた頃、そこに来ていた私より20歳年上の男性が、私と同い年の女性に恋をしていて、それはまぁ別にいいのですが、「女の気持ちがわからない」と言っていたので、私はちょうど読み終わった中村うさぎの『愚者の道』を貸しました。

買い物依存症、ホストクラブ通い、美容整形、デリヘル勤務などの経験を元に己を冷徹に見つめるエッセイで、「これが女じゃ〜!とくとご覧あれ!」という思いを込めたのです。

しばらくしてその男性から、「まだ途中だけどずっと持ってちゃ悪いから」と本を返されました。

「どうでした?」と聞くと、「おばさんにも性欲ってあるんだ〜って思った」という感想でした。

えええ!?

あるよ!ていうかあなたも言うなればおじさんじゃないか!なぜ、ご自身は20歳年下の女性への恋心を語りながら、おばさんの性欲を意外だと感じられるんだ!

とりあえず気を紛らわすために私はその場で2〜3度飛び跳ねました(床が揺れました)。

これはほんの一例ですが、こういったことはその後も多々あり、そうしたエピソードを思い出していくと、やはり男性は自己肯定が強いのだろうかとも感じてしまいます。

しかし、当たり前ですが、そういう男性もいればそうじゃない男性もいるはずですよね。

女性だって、「多様でありたい」と望む人もいれば、甘い服に巻き髪で男性に好かれる女性像に自分をカスタマイズするのが好きな人もいるわけですし。

男性をひとくくりにして考えてしまうから色々と誤解が生じるんだろうなと思いました。

だから、やっぱり男性でいることが辛い男性もいるはずなので、そういう方は、決して自分が男らしくないことを引け目に思わなくてもいいのではないかと、そしてやたら男らしい上司に価値観を押し付けられて、「あーやんなっちゃう」と感じた時にはオバQの歌(「♪だけど格好いいつもりなんだってさ〜」)でも歌うといいんじゃないかなと、思います。

「私は私であっていい」と本当に思える人は素敵です。

私もいつかそう思えるようになりたいですが、そんなに簡単に思える人はなんか信用できないような気もします。

とにかく、自分をゴマかすことだけはしないようにしなくちゃと感じています。


さてさて、今年のライブはあと二本!

こちらはキャットファイトの幕間にプロレスリングで行うので、いつもとは少し違った感じで行います。→12月29日(木)@新木場1stリング

そしてラストは高円寺円盤です。→12月30日(金)@高円寺円盤

来年も予定もりだくさん!

1月6日(金)@下北沢THREE
1月8日(日)@新松戸FIREBIRD
1月9日(祝月)@神保町試聴室
1月12日(木)@荒木町 番狂せ
1月19日(木)@荒川 友民
1月28日(土)@新宿三丁目 ネコ文壇バー月に吠える

詳細は飯田華子ホームページにて!

ぜひぜひ遊びにきてください☆☆



今年のまとめ

またしてもブログを更新しないまま今年も終わりかけております。

開店休業みたいなのはダメですね。

風邪をひきバイトを休みましたので、今こそブログを更新するときだと思い書きます。

というわけで今年のまとめ。

今年は、絵や紙芝居で生活が助かる程度のお金が少しずつもらえるようになってきた年でした。

雑誌のイラスト仕事、クラブや宴席への出張紙芝居、ショッピングモールの似顔絵イベントなどなど。

本当に周りの方々のおかげです。

お仕事を紹介してくださった方、お店に呼んでくださった方、ライブにきてくださった方。

直接は関わらなくても、色々なご縁によってお仕事につながったので、どの方との出会いも大事だったと思います。

自分はたくさんの方々のおかげで活動できているんだなぁと改めて思い、感謝の気持ちを忘れないようにしようと実感した年でした。


ちょっと前まで私はこういう言葉を聞くのが嫌いで、「なに自惚れてやがんだタコ」とすら思っていたので、まさか自分がこんなことを書くとは…、と感慨深い気持ちです。

そう、少し前までの私はもっと怒り尖っていました。

当時は小さなライブハウスで売れないバンドマンと一緒のイベントに出ることが多く、そしてどういうわけか売れないバンドマンというものは「ここまでこれたのもみんなのおかげです、ありがとう!」などとステージで感極まることが多く、そういうシーンに出くわすたびに、「『ここまで』ってどこまでですかぁ?『みんな』って誰ですかぁ?すごいスターになったような妄想してんのかもしれないけど、ここは私なんかが出ちゃうようなマイナーなハコでお客さんは四人ですよぉ?」と意地悪な気持ちになっておりました。

だってさぁ、その人に興味がない人にとっては「ありがとう」とか勝手に感謝されても「知らねぇよ」って気持ちになるじゃないですか。

それでもステージで「ありがとう」って言われちゃうと、「知らねぇよ」ってスタンスの自分も無理やり「俺を応援してくれるファン」に内包されちゃうじゃないですか。

しかもお客さんが全然いないような場では、「ここまでこれました!」とか感極まること自体がコントじゃないですか。

なんでこんな「スターとファンごっこ」みたいな虚しいプレイに強制参加させられるんだという憤りすらおぼえたのでした。

ギャグならいいけどガチなんだもん。

そんなわけで、「みなさんのおかげですありがとう」という言葉は大変無神経で暴力的な言葉だと思っていたのです。

しかし、自分の作ったものでわずかでも生活が支えられたとき、私はつい「ありがとうございます」とつぶやいていました。

自分の表現行為によってその日のご飯を食べ、家賃を払えたことは、涙が出るほど嬉しかったのでした。

そしてそんな嬉しさは私一人の力で得たものではなく、必ず周りの方々のおかげなのでした。

怒りも尖りも飲み込む濁流のようなありがたさを実感してしまいました。

私はもうあのバンドマンを嗤えないでしょう。

何かの貞操を失いましたが、やっと大人になれたような気がします。

泥臭いけれど、「お前のことなんか知らねぇよ!」と誹られるかもしれない恥ずかしい言葉だけれど、私は皆様に感謝いたします。

来年はもっと感謝したいです☆


いやらしいですね☆

…はい。私はこの一年で、少しいやらしくなりました。

というより、いやらしさを前ほど隠さなくなりました。

前はいやらしくないフリをしていただけです。

いやらしくないフリをすることは、経済的には苦しくても気分的には楽でした。

ごく稀に心ある方はお金をくださいましたが、
ーいえ、考えてみたらライブのお客さんはお金を払って見に来てくれてたんだから「パフォーマンスにお金はもらってない」というのはふざけた言い分ですね。しかし多くのライブハウスは「動員⚪︎人以上で⚪︎%チケットバック」というシステムなので、基本的にこちらに入ってくるギャラはほとんどないことが多かったのです。

そのため私は「お金なんていいんです」「私は好きでやってるだけなんです」という姿勢でおりました。

褒められれば「いえいえそんなたいしたもんじゃありませんから」オホホと笑いました。

そのようなスタンスでいる限り、人は私を「謙虚」と思ってくれました。

でも、お金をもらえないのがいい加減つらくなってきたのでした。

経済的にも気分的にも。

お金になることがすべての価値とは思わないし、思ってはいけないとも思いますが、しかしお金は社会とのつながりです。

お金がもらえると、「楽しんでいただけたのだ」「これは私の自己満足ではなかったのだ」という気持ちになれます。

逆にまったくもらえないままだと「ああ結局これは自己満足のオナニーショウだったんだな」と思ってしまいます。

私は通俗的な人間でした。

自己満足はいやでした。

また、表現の深みを追求することより、目の前のお客さんが笑ってくださることのほうが好きでした。

そんなわけでいやらしさを丸出しにするようになったのでした。

さて、お金をもらう以上は、「私なんてたいしたもんじゃない」とは人を馬鹿にした言葉です。

そんな謙遜は美徳でもなんでもありません。

つまり自信がなくても謙遜ができません。

ということは、「金払ったけどたいしたことなかったな」って批判を受けなければなりません。

失敗すれば二度と呼ばれないかもしれない現場に出向かなければなりません。

…あ、ここまで書いて「そんなに?」ってちょっと思っちゃった。オーバーに書き過ぎたかも。でも、基本的な姿勢はこんな感じです。

ていうか、こういうときについ「そんなに?」って突っ込んでみせちゃうとこが私はまだアマチュアなのでしょうか。

今年一年はホステスのバイトもたくさんやりましたが(徐々に仕事になっているとはいえまだ絵や紙芝居だけじゃ食っていけないので)、その中で感じた「プロ」とは、「『価値のあるフリ』に耐えること」でした。

ホステスのいる店に行き、酒屋で買うより何倍もの値段で酒を飲むのは、そこでのサービスを楽しむからです。

ホステスの仕事は楽しい時間を提供することです。

そう言われて、果たしてどれだけの人が「私は楽しい時間を提供できる」と心から思えるでしょうか。

「私にはとてもできません」と震えるのが当然ではないでしょうか。

しかし、では自分がお客さんとしてお店に行ったとき、席に着いたホステスが、…いえ私の場合は女なのでホストクラブに行ったと仮定しましょう、ホストが、「俺なんかが席についてすみません」って態度だったとしたら?

…あー、でもなぁ…。

ここ、「『俺なんかが席に着いてすみません』って態度だったらムカつくよね」ってことで次に進みたかったんだけど、よく考えてみたら私、ホストクラブ行ってそんな卑屈なホストがついたら結構楽しいかもって思っちゃった。だってホストって自信満々のナルシストってイメージじゃん?そんな中に卑屈なホストがいたら、「なんでこんな仕事してんの?」(←キャバ嬢&風俗嬢が客にされて一番嫌な質問)ってブランデー片手に根掘り葉掘り聞いちゃうね。そんでねだられてもないのに酒飲ませて色々話させた挙句、「だけどねぇキミ、『俺なんか』って態度は決して謙虚ではないんだよ。お客さんはお金を払ってキミと飲んでるんだから。『俺なんか』って思うなら『なんか』じゃない『俺』になるよう努力しなくちゃね。ほら、あそこでピンドンを一気飲みする瑠衣くんをご覧。彼が素のままの状態だと思うかい?違うよね。店にいるホストだからテンションあげてああしてるんだよね。キミの『俺なんか』って態度は、裏を返せば『素のままの俺でいたいのです』という宣言なんだよ。それは謙虚に見せかけた傲慢だよ」なんて説教して楽しんじゃうかも。

…あ、話がズレそうでしたが説教の内容で戻りました、よかった!

そうそう、というわけで、自信がない自分をそのまま表に出すのは傲慢だと気付いたわけです。

また、水商売という場において素の状態であることは、そこにいる店のスタッフやお客さんを「傍観」する「観客」の立場に身を置くことです。

それでお金をもらおうなんて、やはり「何様のつもり?」という感じです。

自信がないことも客観的であることも、それじたいは悪くないけれど、それを不用意に人前に晒すのは幼稚で恥ずかしいことだと感じました。

「価値のあるフリに耐える」とはそういう意味です。

また、「耐える」とはただハッタリを効かすだけではなく、その「価値のあるフリ」を「フリ」ではなくしていくことでもあります。

「価値のあるフリ」に見合った努力をし、本当に「価値」を持つようにすることです。

…あ、ここまで書いてまた詰まった、「じゃあ『価値』ってなに?」って疑問が…。

ホステスの場合だと、服装に気を使ったり、話題が豊富になるよういろんなものを見聞きしたり、常に場の空気を見て今何が求められているかを瞬時に察せる人が価値ある人なんだろうか。

そうとも限らないような。

素敵なドレスで日経新聞からブブカまで読んでて気配りもパーペキ!って人は確かに「楽しい時間」をそれなりに提供できるかもしれないけど、いろいろイマイチでも「この子と飲んでるとすげぇ面白い!!楽しい!!」って人もいるでしょう。お店によってのカラーもあるし。

だから「価値」とは実体のないものですね。

第三次産業が主である先進国において、我々は実体のないものに価値を見出すことに慣れ切っていますが、しかしだからいつでも心もとなく、刺激が欲しかったり癒されたかったり愛されたかったり愛されなかったりしているのだと思います(なんかフツーのこと言っちゃった)。

とにかく「価値」とは実体のないものです。

ということは、伊達や酔狂ではないでしょうか。

そして私たちは伊達や酔狂にお金を払っているのではないでしょうか。

だとするなら、実体なき「価値」を己の看板として掲げ、その心もとなさに耐えるということが「プロ」なのかもしれません。

そして心もとなさゆえに「プロ」は常に努力するのかもしれません。

努力とは、試み、反省し、また試みることといえるでしょうか。

現在、私は価値のあるフリをして似顔絵や紙芝居やイラストを試み、反省し、また試みております。

似顔絵の仕事は私のことなんて知らない方々がお客さんですから、画風もずいぶん変えています。

私は三白眼が好きだし小鼻をくっきり描いたものが格好いいと思っていますが、それがポップではないことぐらいは分かっていますので、黒目をデカく描き、余計な小鼻や法令線はなかったことにしています。

紙芝居は宴席でウケるにはどうすればいいか格闘中です。

「ライブを見たい」と思ってやってきたお客さんの前でやるのと、ただ飲みにきた(ライブを見るつもりではなかった)お客さんの前でやるのとでは、同じ出し物でもウケ方が全然違うと痛感させられました。

混み入ったストーリー、あまりにかけ離れた舞台設定、マニアックな言葉遊びは、使いどころを考えたほうがいいのだなと思いました。

また、歴史ネタや文学ネタは、私が思っていた以上に汎用性のないものだと知りました。

今までもお客さんのウケを狙って作っていたつもりでしたが、いやいやなんのなんの、全然好き放題やってたんだなぁと気づいた次第です。

でも、デカ目似顔絵や宴席紙芝居はただ不本意なだけなのかというと、そんなことはないのでした。

快感があるのでした。

というか、快感があるから、全てが本意ではなくても頑張れるのでした。

たとえば似顔絵。

あるお母さんに「描いてもらいましょうよ」と連れられて椅子に座った少女は、思春期真っ盛りの年齢ゆえかブスッとした表情でした。

できれば笑顔を描きたいので、「今何年生?」とか「学校楽しい?」と下描きしつつ話しかけましたが必要最低限のことしか答えてくれず、「好きな芸能人は?」と聞くと、隣でお母さんが「ほら、あんた、あの人でしょっ、あのグループの」と口を挟んだので、「うるさいっ!」とさらにブスッと黙り込んでしまいました。

もうそういう一コマを見られただけでも結構楽しかったのですが(「あ〜、思春期〜」って感じで)、その少女の目は粋な切れ長だったので、その感触をなるべく残しつつ現代のポップセンスに合わせたデカ黒目で描いたところ、少女の顔が明らかにほころんだのです。

幼くて素直な顔でした。

その切れ長の目が格好いいのに、デカ黒目なんか求めないでその細い目を活かすことを考えればいいのに、とは心から思うけれど、これは大人の私の思い上がりかもしれないとも思います。

私は映像や漫画から受けた美女像にかなり影響されたため、「目がデカくて鼻が小さくて痩せてなくっちゃ女の規定外だ」という呪縛にかかり、そして自分をどうしたってそのようにカスタマイズできず非常に苦しんだことがあるので、美の形がもっと多様であってほしいという気持ちもあって三白眼や小鼻や豊満な女体を積極的に描いているところがありますが、その気持ちを誰にでも押しつけるのは自己満足だとも思います。

残念ながら現在の私の画力では、彼女の目をそのまま描いてもただ「ポップじゃない外見」なだけになってしまうので、ずるくて安直ですがプリクラ仕様のデカ黒目にしてみせたのでした。

そんな葛藤があったとはもちろんわからないだろうけど、私の描いた似顔絵で少女の表情に変化が生じたことは、やはりとても嬉しい体験でした。

ひょいとそれを覗き見たお母さんが「あら〜、目ぇ大きく描いてもらってよかったわね〜」と言ったので、またたくまに元のブスッとした顔に戻りましたが。

いつか、あの切れ長の目の美しさを本当に説得力を持って描けたらいいなぁと思います。

紙芝居の仕事でも、きっと「ライブ」という形態だけでは一生会うこともなかったような方々(サブカル臭ゼロ・ホワイトカラー・年配)にド下ネタを披露でき、そしてそれに笑っていただけたのは得難い経験でした。

こんな日本の大きな企業で頑張ってる日向の人々にも私のギャグが通じるのか!という喜びを感じました。

もちろん、まったく通じなかったこともあって、そういうときは激しく落ち込みましたが。

落ち込んで、落ち込んでもギャラをいただいて、ああこのギャラにふさわしいことができなかったとさらに自分が惨めになって落ち込んで、そして近所の友達を呼び出して飲みに付き合ってもらったりして。

でもその友達がずっと話を聞いてくれて、「頑張っただけだったのにね〜」と言ってくれたことでものすごく救われました。

やはり本当に周りの方々には感謝です。

そういうわけで、悩み苦しみ快感に震えるテンションの高い一年でした。

来年はもっと仕事が増えると嬉しいです。

そしてもっと挑戦していきたいです。

…と、言ってるそばから聞こえる声は、同じ釜の飯を食った(比喩ですよ、ひゆ)仲間の危惧。

「そんなあからさまにウケを狙うようなものを作って欲しくはなかった」
(でもあからさまにウケを狙ってるのに全然ウケなかったりするんだよ、楽しいでしょ現実って)

「最近のあなたの絵はうまく描こうとして嫌な絵になった」
(もっと描けばまた変わるよ絵柄なんて)

「これから先どうしたいの?」
(知らねえよ生きてくよ)

大事な批判はちゃんと受け止めたいけれど、批判への回答は考えているだけではできないので、とりあえずこの現実の豊かさと格闘していくしかありません。

ずっと不本意で、どうすれば本意になるかを考えてばかりいました。

ものを作ることで食っていけるのが本意なのか。

しかし仕事とはニーズに合わせたものを作ることだから、作る喜びは削られ魂を売ったような気持ちになるのではないか。

だったら仕事にするなんて考えないで、完全に自己表現としてやっていくほうがいいのではないか。

けれどこれらは取らぬ狸の皮算用っていうか、まずちゃんと仕事になってみてから考えよう、と今は思います。

本当に嫌になったらやめればいいんだし。

仕事をしていくことで何かが磨耗し変わっていってしまうとしても、私は何も変わらないことよりはマシだと思いました。とりあえず今は。

あ、そういえば「魂を売った」で思い出したけど、遅ればせながら「君の名は」を見て、うーんこれはやはりあまりにご都合主義なハッピーエンドじゃなかろうかと思いました。

ある人にその感想を伝えたところ、
「でもああしなくちゃ売れないんだよ、あの監督はすごく才能のある人だったけど売れなかったから、電通にもしかしたら魂を売ったのかもしれないけど、それで売れたし、その才能をたくさんの人に知られたのだからよかったんじゃないか」
と言われました。

そうか。

だけど私はあんなとってつけたようなハッピーエンドは嫌だし、そんなふうにしなくちゃ「いい」と思われないなんてちょっと絶望的な気持ちです。

この違和感は忘れたくありません。

何もかも本意になることがないとこの年になってようやくわかりましたが、不本意なだけじゃ生きてて辛いだけだから、せめて「とってつけたようなハッピーエンド」や「目が大きいことが美しさ」だけではない世界になるよう頑張りたいです。

いや、世界は本当はもっと多様な価値に溢れているのに、私が知らないだけかもしれません。

豊かでシビアな世界の中で、快感に震えたい次第です。


さて今年残りのライブは5本!

12月10日(土)〜12月12日(月)iKAZUGOKEワンマンツアー
・ツアー日程
12月10日(土)大阪北堀江・アオツキ書房 18時半開場/19時半開演
12月11日(日)大阪西成・難波屋 14時〜
12月12日(月)愛知高蔵寺・カフェ花音 18時半開場/19時半開演

※IKAZUGOKEは私と北村早樹子さんのユニットです。大阪二日間は場所も時間帯も違うし出し物もちょっと変えます☆

12月29日(木)新木場1stリングにてキャットファイトの幕間に出ます!
「CPEキャットファイト旗揚げ15周年記念締めくくり大会 女祭り2016 〜寒中!お下品キャットファイト〜」18時OPEN/19時START


12月30日(金)「2016年の業務報告」@高円寺円盤
北村早樹子さんと二人で出ます。

詳細は飯田華子ホームページにて。

ぜひぜひ遊びに来てくださいね〜!!

IKAZUGOKEワンマンツアー2016

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