飯田華子ブログ

※ホームページはこちら→http://iidahanako.jimdo.com/

Youtubeについて

Youtubeに紙芝居の動画をアップしました。

こちらのアカウントです↓
https://www.youtube.com/channel/UCK6Bqq_lCEsiuVzfsmvZIUQ/videos?app=desktop

実は今までYoutubeには積極的になれずにいました。

「紙芝居をやっています」と言うと、たいてい「Youtubeとかないんですか?」と聞かれます。

でも、紙芝居は絵も見せ方もライブを前提に作ってきたので、Youtubeでご覧いただくのはあまり本意じゃありませんでした。

コロナ禍になってからは配信ライブもしておりますが、あれが「見せ物」として成り立つのも、スタッフさんたちが音響や照明に気を配ってくださり、色んな角度から撮影して、良いタイミングでスイッチングしてくださっているからだと思います。

(もちろんラフな撮影でも面白い動画はあるし、アーティストがプライベートにやる配信の良さもありますが、私はYoutuber的なことをしたいわけではないし、存在自体が芸になるタイプでもなく、また、そうありたいとも思ってないので)

あと、小規模ではありますが一応ライブを生業としている身として、やはりYoutubeではなく会場や配信ライブでご覧いただけるのがありがたいなという気持ちでした。

とはいえ「ライブを見てください」とだけ言っても、知らない方からすればあまりにとっかかりがなさすぎるなとも思っていました。

なんのヒントもないのに「見てみよう」とライブに来たり配信チケットを買ってくださる方はだいぶファンキーです(今まで私は本当にファンキーな方々に支えていただいてたと思います)。

でも、それでせっかく見てくださったライブで、たまたまやった演目があまりお好みではなかったらもう二度と見てくださらないかもしれません。

なので、いろんな演目があることをご提示できるツールが欲しいなとも思っていました。

そうするうちにだんだん、Youtubeに載せようと載せまいとライブに来てくださる方は来てくださるし、来ない方は何をしても来ないよねって思えてきました。

そんなわけで、過日、大岡山のGoodstockTokyoというライブハウスで撮影してまいりました。

プロの照明さんと音響さんにご協力いただき、カメラもなぜか4台使ってます。

紙芝居だからほぼ動きはないのですが、編集もちょっと頑張ってみました。

私を知らない方がこの動画を見てご興味を持ってくださったら幸いです。

また、「かなり前に一度見たなぁ」って方が、「あ、今はこんな感じなんだ」とよくも悪くも何か感じてくださったら嬉しいです。

私もかれこれ15年やっているので、数年前とは色々変わりました。変わらないところももちろんあるけど。

以下、各動画の説明です↓

「虹川虻子の秘技」(2013年3月作成)
生まれながらの愛人体質・虹川虻子。
あまり幸せがなさそうな川崎市幸区出身、現在は綱島の温泉宿の仲居。
そんな彼女の秘技とは…?
https://www.youtube.com/watch?v=pUdGllShmrg


「うんげろ賛歌」(2018年1月作成)
場末のスナックから花開く人間賛歌。
冒頭、あゆのつもりで踊ってみたのですが、中年女性が暴れてるだけに見えますね。
https://www.youtube.com/watch?v=lHFYn75HRNM&t=10s


「街」(2007年1月作成)
とある街と大きな女の物語。
円盤(現・黒猫)からミニ紙芝居も発売中。
https://www.youtube.com/watch?v=4VXLLrOTtuU&t=1s

「浦島たろ子」(2021年5月作成)
パンデミックのソープ嬢とその未来。
現時点での最新作です。
https://www.youtube.com/watch?v=8FCCKX9t4Zs&t=7s

「富士山」(2006年6月作成)
自作の紙芝居では今残ってる中で一番古いものです。
眠れない夜にどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=Ma6k74XLyKw

作・出演・編集:飯田華子
撮影:新見知明(Goodstock Tokyo)、小田史一(CLOCKWORK SUNSET)
照明:小田史一(CLOCKWORK SUNSET)
録音:山崎チャルノ・サドゥー
Special Thanks:HAL、松田慎介
協力:Goodstock Tokyo

※ちなみに本当は6本あげたのですが、「淫乱お京と売女のセツ子」という紙芝居は「性的なコンテンツに関するポリシーに違反してる」そうで削除されました。他のが大丈夫なのも不思議ですが…

ということで、淫乱お京と売女のセツ子には、ぜひライブで会ってください★

淫乱お京と売女のセツ子

御慶

昨年7月から有観客ライブへの出演を再開、同時に配信もしつつ、地方へ行ったり、個展などもしたりして、バタバタと2020年は終わりました。

それぞれの場所でご覧くださった皆様、本当にありがとうございました!

ブログはまたしても久々の投稿になってしまいましたが、常に「書かなくちゃ」という気持ちではありました。

べつに、書かないとどうなるわけでもないのですが、昨年の前半はわりと色々なところに現状への思いを書いたので(そんなの覚えてる人も気にしてる人もいないかもしれないけど)、ライブを再開してからのことも書かないとバランス悪いような、「あの時はそういう気分だったんです」で終わりになっちゃうような気がしていました。

でも、ライブ活動についての見解や方針をバシッと言い切るのは難しく、なぜなら必ずしも方針に合わせられない現場もあったり、また方針じたいも状況によって揺らいだり、あと「こっちを立てたらあっちが立たない」といった問題も出てきたりするからです。

「この書き方では対立することになるかな」とか「あー、こう思ってたけどやっぱこうかも」とかいちいち行きつ戻りつして、だんだん頭に霞がかかり、そうこうするうちやらなきゃいけない用事も迫り、その繰り返しで数ヶ月が過ぎてしまいました。

そして現在(2021年1月)、再び緊急事態宣言が出ています。

それではここで、唐突ですが、私が友人に送ったLINEを転載します。

実は今年初め、友人とささやかなイベントを予定していたのですが、だんだん私がモヤモヤしてきて、年明け早々長文を送りつけてしまいました。

結局その文章が自分の一番正直な気持ちに思われ、色々と配慮の足らない箇所もあるでしょうが、そこを変えると主旨もボヤけてしまうし、もっとまた時間がかかってしまうので、もう必要最低限しか変えず転載しちゃうことにします(LINEの自分の口調が本当にいやだけど)。

全てが落ち着いてから物を言うのではなく、今この時にどう思うのかを、間違ってて浅はかかもしれないけど書いて、なんなら嫌われたりがっかりされたりするのが、この小規模な活動をしている自分の落とし前なんじゃないかなと思います。

以下。(※友人名は「Q」と表記します。必要を感じた箇所には注をつけております)



急にごめん、今度のイベントの件だけど、やっぱなんかモヤモヤしちゃって…

緊急事態宣言、7日から1ヶ月程度らしいよね。
飲食店は20時迄という要請だけど、お店【注1】はどうなんのかな。

それより私がモヤついてるのは、モラルというか考え方の問題だけど(面倒臭くてごめん)

今、感染者数が増加して医療崩壊が起きている状況だよね。
飲食店でイベントをするのは、現状悪化に拍車をかけるリスクがある。

でも、リスクがないことが必ずしも良いこととは思えない。
感染させないように行動するのが最善だとするなら、究極、生きないことが一番いいってことなっちゃうからね(生きる限り人はウイルスを媒介する可能性を持っている)。
それに飲食店やライブハウスを攻撃したり自粛を促すようなムードはもううんざりだし。
同調圧力は最悪だと思う。

でも、確実に感染症は増えていて、…ううーん。悩ましい。

一応、去年の初期に私が導き出したとりあえずの自己方針は、「やる必要があるライブはやる」だったのね。
「やる必要」っていうのは、お世話になっている場所を盛り上げることだったり、ご縁を繋ぐことだったり、今の時期じゃなきゃできないことだったり、どうしてもやりたいことだったり。
ただこうなると、「じゃあやる必要のないライブって何?」って疑問も浮かんでくる。
「必要とは?」って。

そんで、頭でっかちじゃいけないかもって思って、結局だんだん色んなライブ引き受けるようになっていったんだけど。
でもライブの前には「本当にこれでいいの?私のやることはこの状況で人に集まってもらってまで見てもらうものなの?」って悩みがずっと渦巻いていた。
(だからまぁ、「この状況でも見てもらうようなことしよう」って意気込んで準備したけど。でも、あんまり意気込まないでやったときの方がウケたりする。笑)

でもさ、こういうこと言うと「大げさ」とか「真剣」とか揶揄されたり、「えーそこまで考えてなかったよー。じゃあ、出演やめとく?」ってなっちゃうような気がして、なかなか言い出せないまま、流れ流れて現在に至るって感じ。

あ、でも、言い出せなかったのは私の弱さだし、去年出たライブどれも後悔はしてないよ。こんな状況でもやらせて貰えることや見て貰えることは嬉しい。あとリアルに生活が助かった。

今度のイベントの件も、「ちょっとした催しを気楽にやろう」っていう楽しい予定のことなのに、こんな重く考えちゃってごめんね。
いちいち恥ずかしいけど。。

とりあえず私は、やるなら、覚悟と対策についてを話し合った上でやりたいな。

あ、あと、このイベントめっちゃささやかだから、そこまでの覚悟持つものじゃないとも言えるけど、ささやかなものは緊急事態宣言中だからやらない(=めちゃ作り込んだものしか上演してはいけない)ってこともないよね。
ささやかだろうと作り込んでいようと必要性を感じたらどのような状況であれやっていいと思います。
ただ、その「必要性」についてQがどう思うか聞きたいです。
お手隙でお返事ください。



お返事ありがとう。
私がライブを主軸に生きてるからこんな真面目に考えちゃうんじゃない?ってことだけど…
ライブを主軸に生きてる人の中でも千差万別だと思う。
てか、むしろ、私はガチでライブを主軸で生きてないからこそ、このように「考える」余裕があるのではないかとすら思う。
正直、自分のやっていることを「脚本・演出・美術・演者」と分解したなら、私は「演者」の要素は薄い気がする。
自分が作った物を上演したい気持ちはめちゃあるけど、「演者として」って部分は薄い。
人と接するの得意じゃないからってのもあるけど【注2】
だから、コロナで活動が難しくなった時、もちろん不安はあったけど、では文章やイラストの仕事をもらえるように考えようってすぐ思っちゃった。もちろんそれもとても難しいことなので、今のところ全然食い扶持を稼げていないけど。
ということで、私がライブをする必要性を考えてしまうのは、演者としての覚悟ができてないからと言えなくもないです。
私の尊敬するダンサーさんや歌手や演奏家さんなら、どんな状況でも「ライブをやる必要があるのか」と問わないでしょう。だって彼らは生きることすなわち演者であることだから。

あと、いちいち真面目に考えちゃう理由は私がそういうタイプだからだろうね。
自分にとっての経済活動が医療崩壊につながる状況というのはやはり考えざるを得ない。
自分の命は誰かの命と無関係じゃないこと、自分の楽しみの裏では誰かが血を流してること、生きるってむごいよねってことをこのパンデミックは改めて突きつけてくるなぁと思います。

そんで、Qがゴリゴリに「覚悟決めます」とかじゃないのはわかった。
教えてくれてありがとう。
だとするならやっぱり出来る限り感染対策した方がいいと思いました。
「感染者が出てしまうとしても、生きることがライブをすること!」ということではないのなら。

ちなみに私の知り合いでは何人か感染した人いるよ。

私も、飲食店だけを悪者にするのは本当におかしいと思う。
でも、飲食店も他の職場と同じくらいリスクのある場所ではあるとも思ってる。
そしていつもどおりの営業を続けてたら感染者は出ないかもだけど、イベントやるのはお店にとって「いつもどおりの営業」ではないよね。

ということで、もしやるなら、換気したいし、できれば上演中はお客さんの飲み物や食べ物はガードしたい。
もちろんマスクと消毒はマストで。
さして覚悟のない人間がこの状況で人前で何かをするならせめてケアはテッテ的に…と思います。

あと、告知について。
「状況によって変更の可能性あり」って上でやるなら、告知の際にもそこは言っておいた方がいいかな?

てか、場合によって中止もありなのかな?

「状況がどんどん変わってくるからどうなるかわからない」っていうことだけど、その「状況」は感染症のこと?それとも世相?それとも店のオーナーさんの方針?

もし感染症による被害(あるいは二次被害)を防ぐことだけを考えるなら、「状況」はワクチンが普及するまで変わらないと思う。

6月7月くらいにはよくライブで「またこうして皆さんにお会いできるようになりました!」って言ってる人見かけたけど、「できるようになりました」ってなんだよ?って思ってた。
できなかったのは世相だろ、世の中の自粛ムードだろ、感染のリスク考えるなら今だって本当はやらない方がいいんだよ、病床確保できたって感染者増えりゃ元の木阿弥だよ、「できる」じゃねえよ「やってる」だけなんだよ、そんなこというなら今までだってやりゃあよかったんだよ、ただただ思考停止して自粛ムードに与したくせに、まるで禁止されてたみたいな言い方しやがって!と凶暴に苛ついてたんですよね私は。

だから「状況」が感染症のことや世相のことなら、そして世のムードによっては中止もありってことなら、もう今から中止しようよって思う。緊急事態宣言1ヶ月って言ってるし。
でも、「状況」が店のオーナーさんの事情や方針であるなら、それ次第で中止になるのは納得できる。

どうでしょうか?

色々面倒臭くて申し訳ないです。
てか、普段は私こんなこと言わないけど。
でもQとは長いし、信頼できるし、思ったことはやっぱり言っておきたくてバーっと書いてしまいました。

やるなら告知早い方がいいだろうけど、まだ数日は猶予あると思うんで、落ち着いた時にご意見ください。


【注1】
イベント会場は都内の飲食店を予定していました。

【注2】
私はめちゃくちゃ人に助けられてるし、人って素敵だな、面白いなと思ってます。
でも、人とうまく接することができるならこんなことはやらないんじゃないかなとも思います。
(なお、去年読んだ斎藤環の記事「人は人と出会うべきなのか」はとても心に響きました)


結局この話は、会場が休業になったため流れました。

あと、転載しておいてナンですが、こんなLINE送りつけられて友人Qもかわいそうだなぁと改めて思いました。

時間が経ったらまた考え方が変わってしまうかもしれないけど、今のところ、私が自分のライブ活動について思うのはこういう感じです。

(あー、それにしても自分のLINEの口調が本当やだなー)

なお、私は「演者」って部分は薄いですが、ライブでやりたいことはあり、それを具体化させる器が自分の肉体ならば、もっとよい肉体になりたい、やれることを増やしたい、とは思ってます。

なので、今年から芸事を習う予定です(ただ、再びの緊急事態宣言で色々お仕事流れてしまったので、ちょっとお月謝を工面するの難しくなってしまいましたが…)。

技術を身につけ、より謎のショウができるようになれば。

あ、あと、noteにささやかなお漫画を描きましたので、よろしければお年賀に。

https://note.com/iidahanako/n/n86e2a18ab916

100円でお読みいただけます。

すでにご購入くださった皆様、さらにサポートまでくださった皆様、本当にありがとうございました!

とても嬉しく、これからどうなるかわからないけど、とにかく頑張ろうって思えました★

本年もどうぞよろしくお願いいたします!

地獄の空気

6月までは「無観客配信ライブ」という形をとっておりましたが、7月からまた生でご覧いただける機会が少しずつ増えそうです。

やらせていただける場所があること、来てくださる方がいること、ものすごくありがたく、幸せに思います。

まだまだ新規感染者も出ており、ワクチンが開発されたわけでもありませんが、なぜか緊急事態宣言が解除され、なぜかステップ3になり、「withコロナ」や「自粛から自衛へ」と言われておりますので、いいか悪いかは個人の判断で、ってことかなと思います。

こうなるとますます、あの圧力的な「自粛要請」により潰れたお店や失業した人たちはなんなんだろう…という気分になります。

そして、自分はなんなんだろう…とも。

3月4月は、私自身で延期を決断したライブがありました。

たいていはハコや主催者の方が延期・中止を判断くださいましたし、それについてはなんの不満もないのですが、やはり自分が決めたものには、責任というか、辻褄を合わせなければいけないような気がしてしまいます。

本当は「お客様が一人でも来るならやります!」とイキりたかったです。

そして誰かに「気持ちはわかりますがここは延期にしましょう」って言って欲しかったです。

でもまぁ「何そのプレイ?」って感じだし、私は世間の空気を読みました。

もちろん感染拡大を恐れたからですが、なんか、今となってはその恐れも空気だったのではないかと思えてきて、自分で自分が情けないです。

連日の感染者増加のニュースや、周りがどんどんライブを中止・延期していくのを見て、私は「こりゃ本当にやべ〜」ってビビりました。

しかし今、その恐怖や危機感は薄れています。

「あのときは医療崩壊寸前で活動は控えるべきだった、今は医療体制も整ったから大丈夫」という言い方はできるかもしれません。

でもそれってちょっとずるいような、何かを未精算のまま置き去りにしていくような気分です。

自粛警察、潰れたお店、エッセンシャルワーカーの負担、死の恐怖、感染者やその家族の苦しみ…。

4月5月の日本は割と地獄の様相でしたが(今も終わっていませんが)、それを作り上げたのはウイルスそのものよりも、「空気」なんじゃないでしょうか。

空気を読んだ私もまた、地獄を再生産したといえないでしょうか。

…って、こんなこと、自分で延期しなかったら思わなかったかもしれませんが。

大人として生きるには地獄に加担せざるを得ない部分もあるけれど、そこに何の葛藤や悔恨もなく、「あの時はそういう感じだったから仕方ないよ」と都合よく忘れ、今を生きてよいものでしょうか。

このような自分をよしとしてしまっては、私は永遠に地獄を再生産するのではないでしょうか。

この半年の間に、二度と戻らなくなったものがたくさんあります。

今もまだ収束はしてないので、これからも色々なものが失われていくでしょう。

でも人の意識や感覚はあまり変わっていないようです。

とりあえず私はそうです。

絶対に元どおりにならない世界なのに、新たな生活スタイルが築けぬまま今までやってきたやり方で暮らし、どんな夢を見ていいのかわからず、気持ちの悪い日常を送ってしまう自分に忸怩たる思いです。

生でご観覧いただくライブを再開するにあたって、実はちょっと悩みました。

延期したのも空気なら再開するのも空気じゃん(「ステップ3」とかいってるけど空気でしょ、こんなの)、ずっと翻弄され続けてていいの?って思いがあって。

でも、「だからライブをしません」という態度もまた、誠実なようでいてただの自己満足かもしれないとも思いました(確固たる信念のある方もいるでしょうが、私がやっても「信念ぶりっこ」になりそうです)。

何より、出演者がいなければハコは回りません。

ご覧くださる方がいるのなら、やりたいです。

あと、何事も、やはりやってみなくちゃわからないです。

4月にファイヤーバードで初めて配信ライブに出たときは、それまで配信に懐疑的だったけれど、若いスタッフさんたちがとても熱心に勉強されてて、この形だからこそやれることを見出せそうな気がしました。

「ライブは生のものだから…」なんて思ってましたが、配信もまた、リアルに血の通ったものづくりの現場だと知りました。

その後ファイヤーバードは回線工事をしたりカメラを増やしたりしてどんどん配信スキルを磨いていき、私も今月ワンマン配信ライブをさせていただきましたが、ライブハウスとしての矜恃を感じました。

上演する場所、見せる場所、聞かせる場所だということが、配信でありながら、いや配信だからこそ強く感じられました。

ライブがナマモノだというのは一つの真実ですが、それだけを盲信していたらこのようなことに気づかなかったと思います。

そして、このようなニッチなものをご覧くださるお客様がいることにも♡

だから、やってみなきゃ分からないことって物凄くあるし、配信+生観覧の二刀流スタイルとか、この微妙な時期に演者や劇場やお客様はどのようにしてライブを作っていくかとか、どう考えても今までと同じにはならないのだから、この過渡期を肌身で感じたい、その中で考えていきたいと思いました。

とはいえ、こうして色々述べたところで、私が空気を読んで自粛しちゃったことも、空気に従いライブ再開しちゃうことも変わりません。

私は地獄の構成員です。

日和見で、自分とその周辺のことにしか頭が回らず、気づかないところで誰かを足蹴にし、ぬくぬくと生きています。

このブログは、だから、ただの言い訳です。

だけど、生観覧のライブが決まってからずっと、ライブできることは嬉しいけど、自分のバカさ情けなさに触れないままではどうも帳尻が合わないような気がして、ずっと悶々としていました。

まぁ、これを書いたところでどうなるわけでもないですし、なんなら「書いた」ってことでなんか解決した気分になってその後自分を省みなくなるなら、その方が良くないのですが、今もうどうにも動けないので、とりあえず吐き出します。

色々な方にいただいたご依頼もありながら、そしてその制作の方がとてもやりたいことでありながら、一銭にもならないこんな駄文を書くことにずいぶん時間がかかってしまいました。

本当に自己満足だなぁと思います。

作業が遅くなってしまい申し訳ありません。

最後になりますが、配信ライブをご覧くださった皆様、「新しい生活様式おたのしみセット」などの物販をご購入くださった皆様、制作のご依頼をくださった皆様、本当にありがとうございました。

皆様のおかげで今月も生きることができました。

悶々とできるのも生活あってこそです、すごく贅沢なことだと心から思います。

なお、7月からは徐々にライブも入ってきてますが、絵や文などのお仕事も、ライブができないゆえの一時しのぎではなく前々から(細々とですが)やっていたことですし、ライブと同じくらいやりたいことだったので、引き続き募集しております。

実は20代初めの頃、目上の方から、「あなたは絵も文も演技も中途半端だけど、それが合わさって紙芝居になると見ていられるね」と言われ、「そうかー」と鵜呑みにし、以後、絵や文や役者としてのご依頼をいただくたびに、「中途半端がすみません」という気分がこみ上げ、あまり積極的に募集できずにいました。

でも今はもう、やりたいなら頑張ろうって思ってます。

別に何してもいいんじゃね?って感じです。

ということで、今後ともどうぞよろしくお願いいたします〜


今夏予定(現時点)

2020年7月1日(水)〜8月31日(月)個展「恥ずかしい生活」@荒木町・番狂せ

2020年7月3日(金)生観覧&配信の二刀流ライブ「蜂鳥あみ太=4号 地獄からの召喚シリーズ・ジョニー大蔵大臣篇」@新松戸・ファイヤーバード

2020年8月16日(日)〜8月20日(木)@ニュー道後ミュージック

詳細:https://iidahanako.jimdofree.com/schedule/

※7月8月はこれ以外にも新たに入る可能性あり。随時ホームページやSNSで告知します。





ホッピーの季節

4月はたくさんのライブが延期やキャンセルになりました。

全体的にそういう流れでした。

前回(3月30日)のブログを読み返すと、この流れの入り口にいたんだなぁと思います。

とはいえ、この時点ではまだ、4月下旬に予定してた大阪ライブができる可能性もあると思ってたし(無理かもとも思ってたけど)、色々と甘く見てました。

まさかこんなに一気に世相が変わるとは。

今はちょっと散歩することすら後ろめたいような雰囲気です。

ライブハウスだけじゃなく飲食店も、普通に営業してたらディスられたり晒されたりします。

人に会って、「最近どうしてる?」とか「アレってどう思う?」とか、そんな話ができたらちょっとはバランスとれると思うのですが、それがNGなこの状況は、どんどん個人の心や考えが偏っていくでしょう。

振り返ると、「会う」というのは、それだけでかなりの情報量でした。

「こうは言ってるけど本当はこう思ってるよね」っていうニュアンスや、顔色や、声の温度や湿度は、その場にいるからこそ伝わるものでした。

メールや電話やZOOMの画面越しではなく、空気の揺れや微かな間を共有することで私たちはコミュニケーションをとっていました。

私がライブでやってきたのも「その場限り」のことです。

なかなかネットに載せづらい内容だからってだけじゃなく、自分もお客様も生身の肉体で、二度と戻らない時間だからこそやれたことだったと思います。

でも、今はもうそれができません。

呑気だった私ですが、4月に入ったあたりで「これは長期戦だな」と思いました。

なので、今までとは違うやり方で、それでも好きなことをしようと決めました。

これは別に絶望ではなく、ライブの代替行為をするという意味でもありません。

私は「今をしのぐ」つもりではありません。

だっていつ何が起こるかわからないし、これからすべてが元どおりになるとも思えないし。

もちろんまたライブができたらいいなと思います。

お客様から「その日を楽しみにしてます」と言っていただくと本当に嬉しいし、その時まで頑張ろうって思います。

だけど、ライブができない今このときでも、やりたいことや作りたいものがあります。

SNSには「絵や文のお仕事をください」といった投稿をしました。

ちょっと今後の生活への不安も混ぜた情緒的な文面になってしまい、そのせいで色々な反応をいただき、もっとシンプルに書けばよかったと反省してます。

生活が苦しいのは事実ですが、バイトや結婚相手をご紹介くださる方もいて、そうか、絵や文章の仕事を求めるなんてまだ余裕のある行為だったのかもしれないと思いました。

私にとってものを作ることは趣味ではなく、13年ほど泥と体液にまみれてながらやってきたことなので、これを手段にできたらと思いましたが、好きなことをして暮らそうとする人間に生活苦を訴える資格はないかもしれません。

家にいたくても働きに出なければならない人がいる一方、家すら失った人がいる現状です。

私は身体の丈夫な独り身で、雨風をしのぐアパートもあります。

ご心配おかけしてすみませんでした。

けれども、ご依頼をくださった方々、物販をお買い上げくださった方々、noteにサポートくださった方々、本当にありがとうございました。

皆様のおかげで4月を生きることができました。

具体的に生活が助かったというのもありますが、これからやっていく希望をいただきました。

恥ずかしながら、目から液体が出ちゃいました。

お渡ししたイラストを「宣伝に使っていい」とお申し出くださった方もいて、すごくあたたかいなと思いました。

決して全ての方が余裕のある状況ではない中、心から感謝しております。

絶対に忘れません。

現在、ご依頼いただいたものを一つ一つ進めています。

少々お時間をいただいてしまい恐縮ですが、どれも大切なお仕事なので全力でやりたいと思ってます。

引き続き色々募集中です。

詳細はホームページ迄♡

あ、でも、特に欲しいものがなければ無理はしないでくださいね。

これからも色々作っていくつもりなので、いつか「欲しい」と思っていただけるものが出たらその時はお願いします★

そんなわけで、SNSでは「生活苦感」や「恵んで感」を出しちゃってすみませんでしたが、ライブができないことを絶望するんじゃなく、これはこれで面白いことにしていきたいっていう気持ちです。

もちろん配信ライブも試みていくつもりです。

ちなみに4月24日はファイヤーバードで初めて配信ライブに出演しましたが、スタッフさんたちの前向きな取り組み方が素晴らしいなーって思いました。

「よくわかんないけどやってください」って丸投げではなく、「こういうやり方しかないから」っていう諦めムードでもなく、「今できることで面白くしてこう」という姿勢が気持ち良かったです。

前述のように私は「その場限り」のライブをしてきた人間ですが、配信はまた違うので、このシステムの中での面白さを開拓できたらいいなと思いました。

ホッピーがビールの代替ではなく、ホッピー独自のよさがあるように。

配信をご覧くださった皆様、誠にありがとうございました。

これからも頑張りますので、またよろしくお願いいたします。

なかなか精神の均衡を保つのが難しい状況かもしれませんが、自分を不幸だと思うプレイも泣き寝入りもあんまり好きじゃないし、好きな人たちと面白いことしていきたいです。たとえ会えなくても。

ということで今月もやっていきます。

ワンマンショウ延期について・小説について

3月26日(木)、コロナウイルス感染拡大防止のため、土日の不要不急の外出は自粛するよう要請されました。

前回のブログでも触れた「3月28日のワンマンショウ」は残念ながら延期となりました(開催日未定)。

とはいえ、今ライブをしたり見に行ったりする方々を「間違っている」とは思いません。

この状況なら、どこにいたって感染する(&感染させる)可能性はあります。

「不要不急の外出は自粛」とのことですが、必要があるからライブしたり見に行ったりするんだと思います。

そもそも補償なしの「自粛」では、演者やお店やスタッフさんの収入がなくなります。

私も、自分自身のことだけをいえば、ライブをする必要がありました。

収入という面でもそうですが、今回私がやろうとしていた「耳の話」は、今とてもやりたい演目でした。

2月に新松戸でやったときは割愛した箇所もあり、今回はそこも膨らませてやるつもりでした。

膨らませた部分もやれるのが楽しみでした。

今回に限らず、私は自分の中に必要性を感じてずっとこのようなことをしてきました(意味不明な必要性ですが)。

「不要不急」という言葉は、なんか「察しろ」って圧力がすごくて、それなのに個々の事情には鈍感です。

「自粛」という言葉は卑怯です。

しかも、土日が明けたらまた満員電車で通勤していく社会になるなら、いったいイベントを「自粛」したところで何の意味があるんだろうと思います。

しかし延期しました。

「延期」と結論を出したのは主催者さんですが、それに私も同意しました(開催するかどうか相談を持ちかけたのは私でした)。

ご予約くださった皆様、本当に申し訳ありません。

ご覧いただけずとても残念です。

地下の小さなお店で換気や距離の確保が難しいこと、私自身が感染していないとは言い切れないこと、あとすごく曖昧な言い方ですが「今回はやめたほうがいい」という直感が働き、判断しました。

「直感」なんて言っちゃうのは思考停止だなーと思いますが、最終的にものを言うのは直感かもしれません。

しかし今まで私は、直感はなるべく排除してきました。

直感とは経験に基づくものだそうです。

大した人生経験もない私が直感に頼っても、視野を狭めるだけだと思っていました。

でも、今回は直感を尊重しました。

それがよかったかはわかりません。

ただ現在は、「今までこうしてきたから」という態度では何もできないような気がします。

従うべき前例がありません。

…と考えて、いや、これってコロナ関係なくずーっとそうだったじゃん、と思い直しました。

いつだって今日は何が起こるかわからず、いつだって目の前の物事は新しく動き、いつだって前例は前例でしかなく、正解ではないのです。

そんな中で生きるとき、自分の経験はやはり頼るものになるでしょうし、経験に囚われず考えることもまた大事でしょう。

ろくな経験をしてこなかったので、こんなこと書いてるとだんだんドキドキしてますが。

そのようなわけで28日は延期しましたが、「耳の話」はまた必ずやりたいと思います。

近い予定では大阪でやるのが決まっていますが、関東でもまた。

同じ時間は二度とないので、気軽に「また」というのもためらわれますが…

4月から遠くへ引っ越す方や、お仕事が変わって忙しくなる方など、「このタイミングだから予約できた」という方もいらっしゃいました。

別の日にやったからといって、気軽に埋め合わせできるようなものではないと思っています。

だからほんと、私は延期したけど、開催した方々やお客さんが間違ってるわけがないんですよ。

きっとものすごくたくさんの方が色々な思いをされたこの土日の「自粛要請」だったと思います。

とにかくこれ以上感染が拡大しないようにという気持ちでおります。

そして改めてご予約くださった皆様に感謝申し上げます。

今回の延期には色々と残念な思いですが、皆様の「見たい」と思ってくださるそのお気持ちで私は生きていけます。

本当にありがとうございました。

あ、で、延期になっちゃったので、この日は家で自粛、…ということは自慰ぐらいしかすることがないと判断し、自慰のための小説を書きました。

noteというサイトで公開しています。「紅相撲」というタイトルです。

https://note.com/iidahanako/n/ne83b6370ca2c

…その、このnoteというサイトは、「クリエイターを気軽に支援できるサイト」なので、…つまりその、私に課金とかもできちゃうシステムなので…

この小説は無料公開しておりますが、もし気に入ってくださったら、文章の一番下にある「サポートする」ってとこをクリックしてみてくださっても…へへ、嬉しいです、えへへ。

小説、また書こうと思ってます。

そういえば私はいい人じゃなかった

3月28日土曜に開催予定のワンマンショウでは、9年前に作った連作長編紙芝居「耳の話」をやります。

新たに推敲や音楽を加え、2020年版にしました。

先月新松戸のファイヤーバードでやりましたが、長尺なのでそんなにやれる機会はなく、しかし「今やりたい」と思う出し物です。

ご覧いただけたら嬉しいです。

一旦ご予約を締め切りましたが、キャンセルが出たため受付再開しました。

お立ち見になってしまいますが、それでもよろしければ newtokyolovely@gmail.com 迄ご連絡ください。

上演時間は約1時間です。

なお、またお席のキャンセルがあった際や、開演時間になってもお席に空きがあった際は、お立ち見のお客様をご予約いただいた順にお席へご案内します。

詳細はホームページをご覧ください。


さてさて、今月も色々なライブに出させていただきました。

3月6日「西荻夜の雛祭り」
13日「若林美保×飯田華子夢のツーマンショウ」
19日「CPEエロリンファイト」
20日「Sea&Sun春のパンパン祭り」

それぞれご来場の皆様、出演者の皆様、スタッフの皆様、誠にありがとうございました!

どれもまったくカラーの違うイベントでしたが、本当に素晴らしい演者さんとご一緒できて光栄でした。

コラボも充実しており、米内山さんのギターでうなじさんと官能小説を朗読したり中島みゆきを歌ったり(6日)、若林美保さんとご一緒に巨大紙芝居や⚪︎ターウォーズをしたり(13日)、ドルショック竹下さんと柔道BLショウしたり(20日)、とても楽しかったです。

それにしても、ご覧下さるお客様がいるのはなんてありがたいことだろうと思います。

「生活に必要ない」といってしまえばそれまでのものを、色々ある中、貴重なお時間とお金をかけて足をお運び下さるって本当に凄いことです。

そして、快適にライブができるのは、PAさんやお店の方々、イベントを運営する方々のおかげです。

もちろんご一緒した演者の皆様も、お忙しい中時間を割いて稽古や仕込みをしてくださってます。

楽しくやらせていただけるのは決して当たり前のことではなく、たくさんの方のご好意とご尽力によるものだなぁといつも思います。


ところでここ数日ほど煩悶しております。

少し前、ご新規の出演依頼が立て続けにあり、このようにイベント開催が難しい状況下でとてもありがたいことだったのですが、やりとりしていくうち、お引き受けしてもよいものか迷い始めました。

どれもご好意を感じるものだったので私としても嬉しく、最初は応えたいと思いましたが、だんだん違和感を覚え、よいショウができるか不安になっていったのです。

「悩むならとりあえずやってみろ」というのが今までの私のスタンスで、それにより楽しいこともありましたが、後悔もたくさんありました。

どうもモヤモヤしてしまい、布団に入ってもなかなか寝付けませんでした。

私は自分が社会常識のない人間だと自覚しているので、この違和感もただのワガママなんじゃないかと思えたし、それぞれの条件も似通っていたため「これが普通なのかも?」という気分になり、誰かマトモな方の冷静なご意見を聞きたくなりました。

そのようなわけで、私はご依頼の条件を凝縮してTwitterにあげたのです。

特に諌めるようなご意見もなく、結果としてどれの出演もなくなりました。

反省しているのはTwitterにあげたことです。

私のアカウントはそんなにたくさんの方が見ているわけではないですが、一応公開されたものではあるので、やっぱりご依頼条件とかは載せるべきじゃなかったように思います。

ご意見を募りたかった上での行為でしたが、なんか、情緒不安定な底辺演者がイチャモンつけてるだけって感じになっちゃいました。

ご依頼下さった方々だって私を困らせようとしたわけではないのですから、ご好意を踏みにじってしまったことに罪悪感を抱いています。

ご縁というのは繋がるものなので、ひとつ断つことで今後にも影響していくでしょう。

また、そもそもライブをご覧くださる方にはこちらの出演条件なんて一切関係ないし、そんなの考えず見ていただきたいのに、なんでこういうこと書いちゃったんだろうなーと思ってます。

そして、「なんでこういうこと書いちゃったんだろうなー」って思ってるならもうそのことに触れなきゃいいのに、なんでまたこうしてほじくり返してブログに書いちゃうかなーとも思ってます。

考えてみれば私も他人様のご依頼をどうこういえる筋合いはなく、10年前は自分のイベントに出てくださった方にギャラをお渡しする発想すらなかったし、その後お渡しするようになっても、やってくださったライブに見合うほどお支払いできたわけではありません。

たくさんの素晴らしい方々のご好意に甘え続けていました。

いや、今だってそうです。

振り返ると全てがブーメランとなって身に降りかかります。

けど、自己批判を避けるために何もかも甘んじて受け入れるのもまた、責任逃れかもしれません。

どれだけ色々な方にご負担をかけて自分のライブやイベントが成り立ってきたか(あるいは成り立たなかったか)を忘れず、いつか必ずご恩を返せるようにしたいなと思います。

「楽しくやらせていただけるのは決して当たり前のことではない」と書きましたが、まじでこれを痛感している次第です。

さて、煩悶しつつ見えてきたのは、そういえば私は決していい人じゃなかったってことです。

「皆様のご好意で支えられています」という美しい言葉を発していると、ついつい勘違いしそうになっていましたが…

いえ、実際ずーっと泥水をすすり続けている身の上としては、ご好意のありがたさを腹の底から感じています。

しかし、なんでそもそも泥水すすり続けることになってるのかといえば、私が社会不適合者だからです。

これを忘れちゃいけないですね。

だから、ご依頼条件を提示しその正当性を他者に問うなんていうのはナンセンスでした。

私は自分の嗅覚を頼りに、誰かが言ってるから正しいとか間違ってるとかではなく、ただ己自身の存在をかけて交渉するべきでした。

これを心の楔とし、自己正当化せず、今後も煩悶しながら続けていきます。

ていうかライブの写真を見ると「正当性って…?」って思います。

本当に何してんだろって思うのですけど、こういうことをさせて頂けること、改めて皆様に心から感謝申し上げます。


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自由

先月このブログで「人には向き不向きがあるよね」と書いてから妙にせいせいしました。

やはりあれは魔法の言葉でした。

特に何が変わったわけでもないですが、できない自分を責めることから少し解放された気がします。

端的に言えば、「それはダメだ」とか「ああしろこうしろ」と上から目線で言われることに対し「うるせー!」って思っちゃうことを自分に許しました。

あと、気の合わない案件には無理に取り組まなくていいやって思うようになりました。

以前は、どんなに尊敬できない人からの否定的な意見でも、その中に何かしら自分を成長させてくれるヒントがあるかもしれないと真面目に聞き、この人に納得してもらうにはどうすればよいかと真面目に考えたりしたのですが。

今はもう、私はそんなに万能な人間じゃないじゃんって諦めてます。

なるべく自由にやりたいと思います。

あ、とはいえ、無理をしてくれてる人がいるってことは忘れたくないですね。

駅のトイレが綺麗なことも、コンビニで買い物ができるのも、ひいては自分が快適にライブできるのも誰かしらのご尽力によるもので、そりゃ必ずしもすべての人が無理をしているわけではないにせよ、誰かがやって下さったことに対する感謝と思いやりは持っておきたいです。

何事も当然のように享受しておいて、「向き不向きがあるから」というのを免罪符にするのは傲慢だと思います。

あ、とはいえ、私はすべてに対して「裏で頑張ってくれてる人」を思えるほど想像力も余裕もなく、基本的には自分のことで精一杯で、それなのに「感謝と思いやりは持っておきたい」なんて分かったようなこと言うのは、むしろこのほうが傲慢でしょうか。

たいして何も分かっちゃいないんだから、中途半端にいい人ぶらず、自己中心的な己を貫いたほうが誠実でしょうか。

ああ、こうして無意味な自己問答を繰り返して今日も暮れていきます。

そんなわけで相変わらずですが、今月は新しい紙芝居を作りました。

フェミニズムに影響された社会派のつもりで作り、結果、まったく社会性を欠いた「淫乱お京と売女のセツ子」という紙芝居になりました。

前述の通り、「向き不向き」という魔法の言葉によって少し枷を外して作ったので、まったく通用しなかったらどうしようかなと思ってましたが(まぁそれでもいいかとも思いましたが)、先日Sea&Sunでの初披露は、皆様があたたかくご覧くださってとても嬉しかったです。

今回の筆下ろしをSea&Sunでできて本当によかったなと思いました。

ご覧下さった皆様、ドルショック竹下さん、永田王さん、心から感謝申し上げます。

今月はその他にも、
太ももサティスファクションの10年ぶりの再結成ライブにゲストとして呼んでいただいたり、
不思議な猥談会で紙芝居したり、
蜂鳥あみ太さんwith大須賀聡さんタッグとツーマンショウをしたり、
その週末には蜂鳥スグルさんとamamoriさんとツアーに出たり、
円盤で恋愛について考えたり、
瀧口敦子さん作演のお芝居に参加させていただいたり、
バーレスクダンサー・モモさんのお誕生会に呼んでいただいたり、
充実の一ヶ月でした。

どれも面白く、勉強になる素敵な体験でした。

それぞれのイベントをご覧下さった皆様、会場の皆様、出演者・スタッフの皆様に改めて感謝申し上げます。

毎月色々な場に出させていただいてますが、ひとつひとつが二度とない濃密な時間です。

ご覧下さる方あってのライブだと心から思います。

現在、各地でイベントが中止になっており、SNSを見ていると3.11のときについて触れる方も多く、私もちょっと思い出してます。

「思い出す」とはいえ、実はそのあたりの記憶があまりありません。

当時の私は震災について言及するのが本当に嫌でした。

「こんなときだからこそ」とかいってライブ告知する感じとかまじ勘弁って思ってました。

それだけじゃなく、震災について考えることすらやめていました。

思考停止によって自己防衛をしていたのだなと、自分の幼さに歯噛みします。

ただすごく覚えているのが、円盤店主・田口さんのレコード寄席です。

レコード寄席とは、レコードを聴きつつそれがどのように作られたかを独自の切り口と丹念な調査で語るもので、たった一枚のレコードから、そこに込められた思いや、時代や、関わった人たちの人生が展開されていく大変面白いトークショウです。

2011年の3月半ば過ぎ、まだ震災直後って感じのときに開催されたレコード寄席に私は行き、レコードと人のドラマを聞いて、「かく生き、かくあった」人生に感動していたのですが、最後に田口さんは「俺たちは自由だ」と言いました。

「自由」という言葉が腹に響きました。

予想もつかないことがたくさん起きて、「これからどうなるんだろう」って感じのときでしたが(まぁ私はいつだって「これからどうなるんだろう」って感じですが)、私たちは自由なんだなと思いました。

そんなわけで、今後どうなるかはわかりませんが、今のところ私の出るような規模のイベントはすべて開催予定です。

体に気をつけて、面白くやっていきたいと思います。

ときどき忘れてしまうけれど、私たちは自由なんですよね。

まぁ、自由といって、私は淫乱や売女の話を作るわけですが。

それでは来月もどうぞよろしくお願いします。

向き不向き

些細なことでずっとくよくよしてしまう。昔から。

大人になればそういうのはなくなるかと思っていたが、三十路半ばの現在も変わらない。

ただ、「私は好きでくよくよしてるな」と思えるようにはなった。

前はもう少し悲劇のヒロインになりきっていたところがある。

あと、「これだけくよくよすれば許してもらえるんじゃないか」と、まるで見せつけるかのように過剰にくよくよしていたフシもある。

おめでたいことである。

誰も許さないしそもそも関心もない。

さて、そのようなわけでどこにも需要のない最近のくよくよを書いていきます。

要は、食わず嫌いを克服するか、好きな物だけを食べていくか、という悩みなのですが。

基本的に私は、食わず嫌いは恥ずかしいと思っています。

アレルギーや体質に合わないなら仕方ないけれど、いや、仕方ないどころか命に関わることなので絶対に無理強いできないけれど、そういうわけではなく、「私、⚪︎⚪︎嫌いだから」と一口も食べずにはねのけるのは、狭量な行為に思えます。

だいたい「嫌いだから」ってなんでしょう。

「だから」、なんだっていうのでしょう。

自分を振り返っても思うのですが、「だから」で言葉を止めるとき、人は妙に偉そうです。

「私はこういう人間なのよ、皆様もどうぞそれを共通認識としてお持ちになって」といった傲慢を垂れ流しています。

しかもコトが嫌いなものだったりすると、傲慢はいっそう鼻につきます。

きっとこの人は狭い価値観で生きてきて、それが狭いとも気づかない、想像力の欠如した人間なのだろうと思えてしまいます。

そのような人と食事をすると、私はまるで反撃の狼煙を上げるかのごとくなんでも美味しく食べてみせるのですが、だいたいただの食いしん坊に思われて終わります。

実際、私は食いしん坊です。

ホヤもトビウオも羊肉もブルーチーズもパクチーもクサヤもなんでも好きです。

しかし子どもの頃はこれらの美味しさはわかりませんでした。

むしろ好き嫌いが多いほうでした。

でも、それはつまらないなぁと思っていました。

それに子どもっぽくて格好悪いなと思っていました。

色々食べられるほうが絶対格好いいと思い、あまり好きではないものも少しずつ口に入れてみることを繰り返し、やがてその美味しさに目覚めていった次第です。

なんだかアナル調教みたいですね。

少しずつ慣らしていくうちに快楽に目覚める過程が。

たしかに、食べ物を美味しいと感じることは快楽です。

好き嫌いがないと色々な快楽を感じられるので、克服してよかったと思っています。

だから…

そう、「だから」、あんまり得意じゃなさそうなことも、つい克服しなきゃいけないんじゃないかと思ってしまうのです。

やりもしないで「できない」とは言えず、また一度失敗しても、やっていくうちにうまくなるんじゃないかと思ってしまうのです。

近年、その気持ちはどんどん強くなり、むしろ「苦手なことをやらなければいけない」とすら思うようになっていました。

どうかしていますね。

努力と根性は確かに素敵ですが、あまりにこれを盲信すると、自分を追い詰めていくことになります。

できないなんて甘えだ、と。

そして他者を認められなくなっていきます。

私はこんなに頑張ってるのに、と。

それって、結局は自分の視野を狭めていくことだなぁと思いました。

なんのための克服かといえば、人生の幅を広げ楽しむためじゃないですか。

追い詰められたり僻んだりしてちゃ元も子もなくなります。

なので、先ほど私は食わず嫌いの人を「狭量」などとディスりましたが、これはそのままブーメランで、好き嫌いの克服を成功体験だと思って他者を断罪する私は、それこそ狭量で想像力の欠如した人間です。

食べ物はただ美味しく食べればいいだけです、人のことなんか構うこたないんです(とはいえやはりイラッとしちゃいますが)。

不思議なもので、得意じゃないことは、だんだん依頼もこなくなっていきました。

せっかくお仕事を振ってくださった方には申し訳なく、ご恩に報いることもできず、忸怩たる思いです。

でも、その忸怩たる思いを払拭しようと足掻くと、もっとひどいことになりそうです。

最近の私は酒量が増えました。

望まれたことをできない自分が不甲斐なく、不甲斐なさをごまかすために酒を飲み、そのせいで他の作業もできなくなり、罪悪感をごまかすためにまた酒を飲むという最悪のループです。

もう自分が何が得意だったのかもわからなくなってきています。

むしろ得意なことなど何一つなかったんじゃないかとすら感じています。

当たり前ですが、これは私の個人的な気質の問題です。

こんな私に何かを感じてご依頼くださった方は、その時点でもう神様のようですし、ご依頼を受けたのは私です。

ご恩は決して忘れません。

ただ、ここらでひとつ、ずっと禁じ手にしてたあの言葉を言ってもいいのかも…と思い始めてます。

人には向き不向きがあるよね。

これ言っちゃったら可能性を閉ざしてしまう気がしたし、努力しないことの言い訳になっちゃうようで、ずっと怖くて言えなかったけど、思ったより私は不器用な人間だったようです。

「できない」ってことを自分に許すのも、大人になることなのかなってこの頃思っています。

あー!

でもいいのかなぁ?

この程度の経験値で「向き不向き」とか言っちゃって!

自分が楽になろうとしちゃって!

仕事の幅も狭めるんじゃない?

あー!

くよくよくよくよ!

このように、今日も私は元気にくよくよしています。

もう本当に自分の得意なことがなんなのか分からず、望まれたことに応えられる気もしません。

いったい何を望まれていたのかもよく分かりません。

でも、今日は空が晴れているからちょっぴり心も上向きで、どうせ何もできないんだったらやりたいことやればいいじゃんって思ってます。

そしてこんなことを書いたことも、あと数時間後には猛烈に後悔するような気がします。

すみません。

今年もよろしくお願いします。


感情について

2019年11月27日午前11時過ぎ、飼っていた猫が死んだ。

…あ、これから猫の話をしますが、動物やペットに興味のない方には気持ち悪いだろうなと思います。

私だって、ペット愛を臆面もなく垂れ流す人を見ると「やべー」と思います。

また、そもそも動物を愛玩するなんて傲慢だという考え方もあり、これにもまぁまぁ賛成します。

が、ともあれ猫はうちにいた。

色々ないきさつの末、私は猫を飼う一人暮らしの女であった。

猫はこの夏頃から腎臓を悪くして通院していた。

去勢したオスにはよくあることだそうで、困ったなぁ、可哀想だなぁと思いつつ、まさかこんなに早く死ぬとは想像していなかった。

往時は8キロ近くあるデカい猫だったが、11月に入り半分の体重になっていた。

でも、元気のないままもうしばらく生きて、こちらがさんざん看病した果てに死ぬんだろうと思っていた。

異変に目覚めたのはその日の朝10時過ぎだ。

前日にライブの仕込みをし、夜には本番を控えていたため、私はゆっくり起きるつもりだった。

「ぐえっ」という呻き声が聞こえてもしばらくは夢うつつだった。

寝ぼけまなこで起き上がると、猫は震えて失禁していた。

驚いてかかりつけの病院に電話したが休診日で、一番近くの救急外来をググり電話で症状を話すと「すぐ来てください」と言われた。

"一番近く"とはいえ2キロ以上離れた病院で、猫を連れて行くにはタクシーを呼ぶしかない。

片っ端からタクシー会社に電話したがつかまらなかった。

拾ったほうが早いかもしれないと、猫を宇宙リュック(背負うタイプの猫キャリー)に詰め表通りへ出た。

猫は宇宙リュックが嫌いだった。

道路の音も嫌いだった。

このときも力を振り絞って抵抗した。

リュックの中でもがくのを背中で感じながら私は空車を探した。

しかしつかまらないまま15分ほど経ち、もう猫も辛かろうし、一旦アパートに戻った。

玄関でヨシヨシと声をかけて宇宙リュックを開けると、猫は目を剥いて死んでいた。

体はまだあたたかかった。

さぞ苦しく、さぞ怖かったことだろう。

嫌いなものに詰められ、怖い場所に連れていかれ、孤独にもがきながら私の背中で死んだ。

猫がこの世で一番最後に感じた気持ちを思うとあまりにむごい。

こんなことなら家の布団で看取ってやりたかった。

なんでもっと早く戻らなかったんだろう。

リュックでもがいたとき、チラとでも中の様子を見ればよかったのに。

私は「ごめん!」と言った。

それから目をギュッとつむって涙が流れるのを待った。

その瞬間、芝居がかった自分に気づいてしまった。

こういうときは泣くもんだと思ってやってるな。

そう思うともう涙は出ず、無表情で猫を安置し、周りに保冷剤を並べた。

埋葬できる庭もないし、内臓が腐るので明日には焼き場に連れて行かなくてはならない。

その前に別れを告げたいだろう僅かな身内に連絡した。

そしてリハーサルに遅れる旨をライブ関係者に連絡し、色々な支度を始めた。

途中で何度も動作が止まり、「えーと…次は何するんだっけ?」と頭が真っ白になるので、ひどく時間がかかった。

でも、頭が回らないのはいつものことなのに、猫が死んだことに甘えていただけかもしれない。

…いや、わからない。本当にショックで脳の動きが鈍っていたのか。

私は自意識過剰なので、嬉しいことにせよ悲しいことにせよ、何かが起きるとついそのドラマの登場人物を演じようとしてしまう。

けれど同時にそんな自分を憎んでもいるので、常に「今のは演技だろ」「気持ちよくなりたくてやってるだろ」と公安のように目を光らせてもいる。

そうすると自分で自分がよくわからなくなってくる。

鮮烈にわかるのは怒りと恐怖と憎しみだ。

この感情だけは素直に反応できる。

しかしその夜はとにかくライブだった。

素晴らしい演者とのコラボも予定していた。

エロイムエッサイム、さぁバランガバランガ涙も風になる、と「悪魔くん」の歌を歌って現場へ向かった。

あー、演出しちゃってるなー、この状況にはこの歌がぴったりだと思って歌ってるなー、とツッコミを入れつつ、でもこれからステージに立つんだしもういいや、陶酔してやれ、という気持ちでもあった。

演者さんたちはリハーサルに遅れた私を心配し、いたわってくださった。

コラボを控え少しでも合わせる時間が欲しいところだったかもしれないのに。

なんだかよくわからないテンションで迎えた本番だったが、始まってしまうとそれはもう楽しく、プロの演者さんに支えられ自由に遊ばせていただいた。

牧瀬茜さん、坂田明さん、大変お世話になりました。

プロデュースしてくださったHALさん、新見さん、スタッフの皆様にも心から感謝いたします。

そして何よりご覧下さったお客様、本当にありがとうございました。

自分のソロではちんこを出して「鎮魂」と言いましたが、私なりにオス猫へのR.I.Pを込めたつもりです。

翌日は午前中に猫の葬儀をした。

焼くだけならそんな儀式をしなくてもいいのだが、猫の骨を見てみたく、「葬儀」という形にすると、ここが尻尾の骨だとかここが足の骨だとか解説してくれるらしいのでそうした。

実は私が猫の葬儀に出るのは二回目で、前回は変なおっさんが個人でやってる事業所だった。

おっさんは自分のオリジナルの死生観に基づいた謎の儀式で猫を葬り(ペット葬は特定の宗教にしづらいのだろうが)、不謹慎かもしれないが非常に面白かった。

そこで私は爆笑しながら泣くという得がたい経験をしたのだが、今回は家の近くの大きな葬儀場で、スタッフも儀式もフツーだった。

夜はまたライブだった。

この日は牧瀬茜さんと熊坂路得子さんとご一緒だった。

こちらもとても楽しく、熊坂路得子さんのアコーディオンはやはり生物(なまもの)で、音楽で表現するとはどういうことかをまざまざと思い知らされた。

茜さん脚本のコント「ファーストキッスは春の味」は二日連続で上演し、終わってしまうのが寂しかったが、なんともう続編を考えているそうで、またやれる機会を切に願う。

ご覧下さった皆様、誠にありがとうございました。

連日通ってくださった方もいてとても嬉しかったです。

ゲスト・熊坂路得子さんにも心から感謝いたします。

家に帰ると、猫の骨があった。

実感が湧かなかった。

翌日もライブだった。

銀座のクラブVOGUEで「牡丹灯籠」の紙芝居をやった。

ご覧下さった皆様、ママ、キャストの皆様、誠にありがとうございました。

皆様とお会いできて大変嬉しかったです。

お酒をご馳走になって朝方帰宅した。

もう猫は骨なのに、つい布団に入ってくる気がして場所をあけてしまい、ああそうか、いないんだと気付き、かなしみがこみ上げる…こともなく、ぼんやりしていた。

TwitterとFacebookでは猫の死を報告した。

ライブのお客様から猫にお見舞いをいただくこともあったからだ。

その説は猫のことをお気にかけてくださった皆様、誠にありがとうございました。

リプライやコメントにはお返事できないと書きましたが、これはちょっと自分の感情を放置しておきたいからです。

言葉を使うとどうしても感情を整理してしまうことになります。

ともすれば「かなしみ」という強い言葉に心を沿わせ泣いてしまいたくなりますが、今の私がそうするのはなんだかプレイのような気がします。

また、泣くことはカタルシスでありデトックスです。

別にそれが悪いとは思いません。

そうすることで救われるなら、そしてそのような救いを求めるなら、いくらでも泣いて浄化されればいいと思います。

でも今の私はまだそのような形で救われたくありません。

救われない自由というのもあるでしょう。

ペットの死って、ペットいない人からしたら「ふーん」程度のことだとほんとに思うけど、色々な方からお気遣いをいただき心から感謝します。

それとともに、このなんだかよくわからないモヤモヤした状態をしばらく続けようかと思います。

やさしくて臆病なかわいい猫でした。

明日もライブです。

コラボも少しあります。

よろぴく♡

12月は色々な街に伺いますので、ぜひたくさんの方にご覧いただけたら幸いです♡

12/3火 新松戸ファイヤーバード「Yoshio生誕祭」←ケーナ奏者のYoshioさん生誕祭

12/8日 彦根ダンスホール紅花「紅花グラインドハウス」←かえるさん(a.k.a.細馬宏通)とツーマン

12/10火 西成難波屋「にんげんの夜」←黄倉未来さんとツーマン

12/11水 心斎橋キネマトス「夢のツーマン大阪篇」←若林美保さんとツーマン

12/12木〜14土 ニュー道後ミュージック「夢のツーマン松山篇」←若林美保さんとツーマン(1日1回)※その他それぞれのソロの回もあります

12/19木 高円寺円盤「飯田華子月例会」←なるべく需要のないことをやる会。「堕落論」考察。

12/21土 日ノ出町試聴室「IKAZUGOKEクリスマス投げ銭ワンマン」←IKAZUGOKE今年最後のワンマン

12/23月 新宿ゴールデン街Sea&Sun「夜の坊主めくり或いは秘めあわび」←バーのカウンターで紙芝居

12/25水 渋谷スナック雨「クリスマス会」←みんなでクリスマスの劇をしたり賛美歌を歌ったり。紙芝居もやります。

12/29日 新宿ロフトプラスワン「CPEキャットファイト」←キャットファイトの幕間に紙芝居します

12/31火 詳細決定次第告知

詳細は飯田華子ホームページをご覧ください♡


ツーマンショウ後記、堕落その他

【夢のツーマンショウ後記】

9月13日の金曜はファイヤーバードにて若林美保さんと「夢のツーマンショウ新松戸篇」でした。

ご来場くださった皆様、ファイヤーバードの皆様、若林美保さん、誠にありがとうございました。

この「夢のツーマンショウ」シリーズは今年4月に浅草で始まり、7月に横浜篇を開催し、これで3回目。

今回の会場は広い舞台で照明機材も揃っており、投光ネタも楽しくやらせていただきました。

若林美保さんのソロは空間を活かし、エアリアルシルクを使った演目で素晴らしかったです。

最後は二人で客席を練り歩きおチップをいただいたのですが、若林美保さんはブラジャー、私は股間につけた変な装置の周辺にたくさん挟んでいただき、完全に狂った光景でした。

おかげさまで今月も家賃や光熱費が払えます。

友達と遊んだり家でゲームしたりもできる時間に、わざわざ会場まで足を運んでお金を払ってご覧下さるって凄いことだなぁといつも思います。

尊敬するパフォーマーさんとご一緒できること、それを見て喜んでくださるお客様がいること、会場のスタッフさんたちが支えてくださること、すべて心からありがたく、多幸感に包まれました。

楽屋で新しいアイデアも出てきたので、次に関東でやるときは新作をお見せできるかと。

これからも色々なところをご一緒に回れそうです。幸せ★


【演目について】

ところで、この日ご覧下さったお客様から、「他の紙芝居も見たいので、ライブの際はどんな演目をやるか教えてくれませんか?」とのお問い合わせをいただきました。

まず「他の紙芝居も見たい」と思ってくださることが非常に嬉しかったです。

私も演目数が多いので、事前に何をやるか告知をしようとした時期もありました。

ただ、今はあまりやっていません。

状況によって急遽変更になることがあるからです。

「状況」というのは、たとえば会場で音源が流せなかったり、時間が押して演目カットになったりとかです。

あと、まぁこれは「何言ってんだよ」って感じかもしれませんが私の気持ちですね。

「Aという紙芝居やります」って言ってたけど当日になったらやっぱBがやりたくなったり、客席の雰囲気見て変えることもあります。

とはいっても地方巡業のときは持ってきた紙芝居でやるので、「気持ち」なんていうのは甘えなのかもしれません。

あらかじめ決めた演目に自分の心や状況を合わせて完遂するのがプロかもしれません。

通ってくださる方にはできるだけ色んな演目をご覧いただきたいので、事前にご案内できたらいいなぁとは思ってます。

でもすみません、悩んでます。

いまはそういう状態です。


【プロとは】

さきほど「プロ」という言葉を出しましたが、いったいプロってなんでしょうか。

5〜6年ほど前、とあるイベントに出た際「プロの紙芝居師です」と紹介され、「いやプロってw」と笑ってしまったのですが、「お金を貰ったらプロです」と言われました。

その頃の私が主に出演していたのはライブハウスのブッキングライブで、そういうのはだいたい出演者にギャラが入らないけどお客さんからは入場料を貰っています。

(これはライブハウス批判の文章ではないです。ライブハウスの維持費がバカにならないことも承知しているつもりです)

しかしそのような状況だと、出演者はなかなか「お金を貰ってる」という自覚を持ちづらいのです。

当時の私はノーギャラなんて当たり前だと思っていましたが、だんだんライブの本数が増えてきて、やればやるほど生活が苦しくなり困っていました。

そういうときに「プロ」と言われたので笑ってしまったのです。

かなしい笑いでした。

なんかもう胸張って「プロです」って言えるようになりたいわー、と思いました。

好きなことやってるからお金にならなくても仕方ないって思ってたけど、お金にならないから好きなことやれなくなるわけでしょ、みんな。

このままいけば私はきっと好きなことをやめざるを得なくなり、好きなことをやれない生活を死んだ目で続け、好きなことをやってる人を妬んだり嗤ったりして生涯を終えるだろう、と思いました。

それで、なんとか好きなことで生きていけるよう試行錯誤するようになって、今もその途上です。

色々やって「お金もらうのは簡単じゃない」と骨身に沁みたので、おギャラをいただくたび奇跡のように思います。

(あ、でも簡単にもらえるならそれでもいいって思いますよ。つーか私だって見方によっちゃ簡単にもらってるかもしれないし。…いや、若者に「お金もらうって簡単じゃないよ」とか言って陰で「老害」とかディスられたくないなってね。へへ。気弱でしょう)

自分で自分に値段つけるのって本当に苦手で、ついついダンピングしてしまいそうになりますが、ガチでプロの方とご一緒すると、安売りは甘えだなぁと思わされます。

あと、私ひとりが値下げすることで全体的なデフレを招いてご迷惑をおかけすることもあると。

風俗店の隣で立ちんぼが客引きしちゃいけないよって感じでしょうか。

こうなってきますと、いよいよステージで適当なことはできない、ご希望に添いたい、お客様にご満足いただきたい、と思うようになりました。

しかし一方で、「ご満足いただきたい」ってなんなんだろうなって気もしてます。

ちょっと自己欺瞞っぽいというか、こう思うことで自分に制約を作っているというか、そして制約を作ることで思考放棄してラクをしてるんじゃないかというか。

去年、円盤で黄倉未来さんの主催イベント「しばき」に出たとき、私は自ら進んでこの制約に縛られ思考放棄をしていると感じました。

「しばき」というのは何をしてもいいイベントです。

出演順も特になく、他者に絡んでもいいし、他者を気にせずパフォーマンスしてもいいし、別に何もしないで佇んでいてもいい。恐ろしく自由。

ここに出たとき、私はどうしても「何かしなくちゃ」と思ってしまいました。

客席を意識せずにはいられませんでした。

私を見に来てくださった方もいたので、「この方に楽しい気持ちで帰っていただけるようにしなくては」と思ってしまいました。

そういうのが一番いらないイベントなのに…。

「お客様にご満足いただきたい」というのは、基本的には大事な気持ちだと思います。

しかしこれだけを正義とし、これだけに依って立っていては、演者としても作り手としても脆いなぁと思いました。

だいたい私ごときが「お客様にご満足いただきたい」なんて言うのは傲慢なんです。

やりたいからやっているんです。

でも私は何がやりたいのでしょうか。

なぜものを作り人前で発表するのでしょうか。

私は己のエゴを「お客様」という存在によって覆い隠し、「ご満足いただきたい」という美しい大義名分によって自分自身を見つめることを避け、それを「プロ意識」だと思い込もうとしていたのでした。


【『堕落論』へ】

こうして思いが行き着くのは、坂口安吾『堕落論』です。

この作品は煎じ詰めれば「堕落せよ」と言っているだけの話なのですが、ここで言われる「堕落」は酒や女に溺れるようないわゆる堕落ではありません。

世間のモラルや美意識から解き放たれ丸裸になり、孤独な剥き身となって世界と対峙しろ、と言っているのです(私の解釈)。

でも、本当に剥き身になるのはものすごく難しく、恐ろしいことです。

そう、私がどうしても客席を意識せずにはいられなかったように。

よくパンクスの人が「俺はパンクだから世間のことなんか気にしないぜ」と言いますが、「パンク」なんて言葉を持ち出してそれに自分を沿わせている時点でお前はパンクじゃないだろう、と思います。

たとえ「反逆的」だとしても、世間に流布されたイメージを踏襲するのはめちゃくちゃ世間を気にしているからであり、まったく解き放たれていません。

ていうか、安吾のいうような堕落ができる人なんてそういないし、そんなことしなくたって生活できます(むしろそんなことしないほうが生活できます)。

けれども私は、堕落し孤独の曠野を歩いた人間がその中で掴み取ったものを見たいです。

自分がお金を払って見たいのはそういうものです。

ならば私もやはり堕落を試みたいです。

えーと、…ってことは、「お客様にご満足いただきたい」って気持ちをいったん捨て去らなければならないのかな?

「お金をいただいてるんだからご希望に添いたい」って気持ちも?

まぁ、そうなのかもしれません。

しかし、やっと、ちびっとだけ、「自分の活動を『趣味』じゃなく『仕事』って言ってもいいかな…?」って思えるようになってきた現在、そんなことが可能でしょうか。

考えただけでもむごくてたまりません。

ステージから見えるお客様の顔がみるみる死んでいくときの気持ちは、地獄の業火に焼かれているようです。

「あー、今日のお客さんこんなネタ求めてなかったよねー」って思いながらそれでも声を出して話を進めていると、そのまま死んでしまいたくなります。

そして、まったく盛り上がらないライブをしたあとにおギャラをいただく苦しみたるや。

「いりません」と言いたい、でも「いりません」と言うことで避けてはいけない、お金をいただき「ご希望に添えなかった」という事実を背負わなければならない。

そのお金だって、お客様やご依頼主の日々の労働から捻出された血と汗の結晶です。

それをわかっていてもなお、「ご満足いただきたい」「ご希望に添いたい」という思いを捨てされるだろうか。

お金や感情が絡むと、やはりなかなか堕落はしづらいですね。

私は堕落した人が掴み取ったものにお金を出したいと思いますが、「堕落」じたいにはお金を払う価値があるとは思えません。

また、楽しんでくださる方がいることをどうしても嬉しく思ってしまいますし、それが原動力のひとつでもあります。

「やりたいからやっている」と書いたけど、そりゃもちろんそうだけど、それだけに振り切ることはできません。

しかし何かを掴み取るには(あるいは掴みとれなかったと諦めるには)、やはり一度堕落しなければならないのです。

つまり、人の気持ちやお金をないがしろにするというむごい行いをしなくてはいけないのです。

どうしよーかなぁと悩んでいたとき、またしても黄倉未来さんから、「円盤で定例イベントやりませんか?」というお話をいただきました。


【円盤定例イベントについて】

私はまっさきに「お金にならないことをしたい」と言いました。

円盤ならば、そういうことをしてもいいと思いました。

黄倉未来さんは実にスムーズに受け入れてくださり、ただ一点だけ、私にギャラが入らないことをご心配くださったのですが、私としてはギャラをいただいては絶対に開き直れないと思ったので、ノーギャラになるシステムにしました。

気を抜けばたちまち電気が止まるような生活をしてる者が「お金にならないことをしたい」って言ったからには、そりゃもう本気でいかなきゃいけません。交通費程ももらっちゃいけません。

また、ライブやトークショウのような「演者:観客」という形態になることはとりあえずやめておこうと思いました。

私の性格上、絶対お客様にウケたくなるからです。

それは他のところでお金をいただいてやっていることなので、辻褄が合わなくなります。

ということで「特に需要はないかもしれないけどやってみたかったことをやる会」としました。

「面白かったー!」とか「満足したー!」ってものじゃなく、一部の好事家さんがふらっと立ち寄るようなささやかな夜の集いのイメージでした。

「堕落」というにはなまぬるいけど、こういうイベントをやっていくことで、私は少しだけむごさに耐性をつけられるんじゃないかと思いました。

まぁ、「堕落」のリハビリでしょうか。

なので、最初のテーマはド直球で『堕落論』を読み、「堕落」とは何かを考えることにしました。

来た方々と議論したいというのが目標で、そもそも私はクソの役にも立たないような議論をするのが好きなほうですが、多くの人はそんなことする暇ないし、あと何かのためになることや発展性のあることが好きなのでなかなか付き合ってくれず、不満だったのです。

また、議論ということになれば来た方々も「お客様」ではなく「参加者」になるので、私のほうも「お客様にご満足いただかなくては」なんて気持ちはなくなるだろうなと思いました。


【円盤定例イベント第一回後記】

9月19日、第一回が行われました。

そんなに宣伝してなかったのにそれなりの人数の方がいらっしゃってて、『堕落論』に関心がある方って多いのだなぁと思いました。

そうすると「ちゃんとやんなきゃ」みたいなどうでもいい思いが芽生え始め、すっかり動揺してしまいました。

あと、なぜ私がこんな会を開いたか、こちらのコンセプトをまったく言わないまま始めてしまったので、来た方々は「いったいこのイベントなんだったんだろう?」という思いが拭い去れなかったのではないかと、終わってから気付きました。

いろいろと説明不足だったなと思います。

それでも、皆様がいろいろなご意見を出してくださって、私ひとりで『堕落論』を読んでいたときには気づけなかったことをたくさん発見しました。

安吾の文章はSNSの記事のようで整理されていない、という指摘も、だからこそ生々しくこちらに迫ってくる力がある、ということも、「なるほどなぁ!」と感じました。

私としては、副読テキストをご紹介すべきだったと悔やまれます。

ご指摘の通り『堕落論』だけでは思考が分散するのですが、そこに出てくるそれぞれの言葉をさらい、安吾の書いた別の文章を読んでいくと、立体的に見えてくるものがあります。

そういうのを準備するか悩みましたが、どんな人がくるかもどんな方向に話が進むかもわからなかったし、あらかじめ用意していくとそこに沿ったことをやってしまいそうで広がりがなくなる気もしてそのままいきました。

でも、「あえて準備しなかった」って、やっぱあんまり好きじゃないなぁと思いました。

準備した上で、広がりや脱線を楽しむ、というふうでありたいです。

でも、「準備をする」というのは「観客」を意識した行いでしょうか。

いや、「議論をしたい」という欲望を完遂するための個人的な下ごしらえだと考えればいいのでしょうか。

ああ、煮え切りません。

だって、「お客様にご満足いただきたい」ということを思わないでやるのをコンセプトにしたイベントだったのに、すでに私は「あの人つまんなそうだったなー、もう失望してライブにも来なくなっちゃうかも…」とか悶々としてるわけです。

こういうのをいくつも乗り切っていかなくちゃ本当の堕落はできないのでしょう。

そんなわけで、こういった変な試みですので「来てくれてありがとう」って言うのはなんか違うような気もするけど、おつきあいくださった方々にやはり心から感謝しております。

どれもその方ご自身の思考や経験の裏付けのある肉感的な言葉が聞けて、いい方々がいらしてくださったなぁというのが個人的な感想です。

多分第二回目からは来る方も少なくなるんじゃないかと思いますので、ご興味ある方がお気軽に覗きに来れたらいいなという気持ちです。

なお、次回は10月17日(木)、浜崎あゆみを『堕落論』的に解釈してみようと思います。

副読本として『M 愛すべき人がいて』を読んでくると話がわかりやすいかもしれません。


【次のライブ】

上記の変な試みを変な深みにして、普段のライブにフィードバックさせたいと思っています。

「お客様にご満足いただきたい」という気持ちを捨て去ると書きましたが、それは本当にお客様にご満足いただきたいからです。

ここだけ読んだら言い訳がましい方便のように聞こえるかもしれませんが、「いいライブをできるようにしたい」と本気で思っていなきゃ、月イチでノーギャラの試みなんてやりません。

何かが間違っているかもしれませんし、変な遠回りかもしれませんが…。

でも、こんなに本気で考えて色々気張って作ってるのが段ボールのエロ紙芝居なんですよ。ふざけた人生だなぁと思います。ああ生まれてよかった。

というわけで次のライブは9月28日土曜、錦糸町のオイスターバーで投げ銭紙芝居★

この「牡蠣と妄想ハネムーン」というお店は週末しか開かず、マスターが全国から仕入れてくる生牡蠣は鮮度抜群で、レモンも調味料もなしに食べるスタイルで、すごくおいしいです!

生牡蠣とお酒とエロ紙芝居で、ミルキーな初秋の夜を過ごしませんか?

お店は17時より営業、紙芝居の上演時間は、一部が19時〜19時半、二部が21時〜21時半(演目は変えるつもりです)。

チャージフリーで要1オーダー以上、演者へのお気持ちは投げ銭で♡

小さなお店なのであらかじめご予約いただいたほうが確実です。

10月以降の予定も飯田華子ホームページに載せております。ご不明な点はお問い合わせください。

ではまた近々。


※写真は9月13日のツーマンショウ♡

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プロフィール

◎自作の段ボール紙芝居で各地を巡業しています。
◎漫画、文章、映像制作なども承ります。
◎お問い合わせはホームページ迄お願いします https://iidahanako.jimdofree.com

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