飯田華子ブログ

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大人のふり、横なぐりの成長痛、2/28・3/1・3/10ライブ後記、春の予定

バイト禁止の高校に通ったため、私が初めていわゆる「アルバイト」をしたのは18の春です。

社員食堂の皿洗いでした。

時間が勝負の仕事でしたが、手際の悪い私の元にはどんどん皿が溜まりました。

パートさんたちから「早く早く」とせっつかれ、焦って洗おうとしましたが、何かの加減で水道から出る水が熱湯になってしまいました。

でも、すっかり萎縮していた私にはそれが言えませんでした。

あまりに仕事が遅いと訝ったおじさんが横から手を入れ、「これ熱湯じゃねぇか!熱くないのか!?」と言いました。

私は、「熱いです」と答えました。

…なんつーか、思い返すとほんとにアレなエピソードです。

しかも私はアレなくせにプライドだけは高かったため、パートさんたちを侮蔑することでなんとかアイデンティティーを保とうとしました。

「あの無神経な人たちは私の愛読する太宰も寺山もわからないはずだわ」と思いました。

「ガサツな人が自分のガサツさに気付かず我が物顔をしている程度の低い職場。私は私のことを分かってくれる人からしたら逸材なのに」と思いました。

もちろんそんなこと口に出して言いはしなかったけど、思っただけでも最低です。

パートさんはただ早く皿を洗えと指示しただけです。

仕事のことを指摘されただけなのに、それを人格の否定のように捉えて、拗ねて、しかも相手を別の次元から見下し返そうとするなんて、あまりに幼い。

私はお金をもらうことがどういうことか、全然わかっていない人間でした。

あと、今振り返ると、パートさんの中には文学好きの人もいたかもしれないし、ていうか見下すための武器として太宰や寺山を出すってチョイスがもうアレだし、だから私は私を理解してくれる職場にいたとしても「ポンコツ」と判断されただろうし、そもそも「おじさん」と当時思った男性の年齢は現在の私と変わらないかもしれない。

今の私も、18の若者からしたら「無神経なおばさん」に映るのだろうか。

繊細な感情を磨耗させて、現実に図太く生きる頑丈な大人に見えるのだろうか。

ナードな若者からそう見えるならば、年を重ねた甲斐があるってもんですが。

しかし、見かけだけは大人になったものの、実は根底のところで私は当時となんら変わっていないのでした。

何か気に入らない指摘をされれば「ふん、お前なんかにわかるもんかい」と反発し、「でも私はこんなこともこんなこともできるもん。お前にできないくせに」と指摘と全然関係ないところで自分を優位に立たせようとし、「私のよさを理解してくれる本当の世界にいきたい」と海の向こうを求める折口信夫のような妄想に逃避する。

これは、指摘をマジで受け止めたらめちゃくちゃ傷ついちゃうからかもしれません。

指摘は指摘として冷静に受け止め、次に活かせばいいと理屈としては分かっています。

でも、この「理屈」という鎧を脱ぎ捨てて剥き身の「感覚」になったとき、ものすごくひ弱で幼い自分が登場するのです。

(あーこんなこと書いたらどんどん誰も何も言ってくれなくなるのかな。いや、言って欲しいんですよ。腫れ物扱いされたくないし。だって腫れ物がいる現場って嫌じゃないですか。そもそも私だって自分の傷つきやすさは棚に上げて他人のデリケートゾーンを素手でベタベタ触るような無神経を犯してます。だから「傷つけるのはやめましょう」じゃなく「傷つくことを前提に生きましょう」って感じ。…あ、でも、このブログを読んでくださる方は極少数ですので、ここで何を書こうと情勢は大差ないかと思い、行く先々で変に気持ちを慮られたりしないだろうと判断いたしました。安心して続けます)

そして周りを見渡すと、割とみんなこんなもんな気がします。

結構いい大人でも、何かしでかしたときに「自分のせいじゃない」と場や状況のせいにしたり、「あれは仕方なかったんだ」と居直ったりしているのをよく目の当たりにします。

「ごめんなさい。私が悪かったです」と言ってしまうと、とても生きた心地がしないからなのでしょう。

これは最近ネットで見かけた文章ですが、人が剥き身になったときの幼さについて、平易な言葉で見事に描かれているなと思いました。→ https://note.mu/antitrenchmania/n/nfef90437d3df

そうそう、大人の顔してたってみんな実は幼いよね。

でも、というか、だから、幼さを隠して大人のふりをする人に私は萌えます。

ちょっと前までは「大人のふりをするべきだ」という言い方をしていましたが、「べき」ってことはないですね、幼い感覚を剥き出しにしてるのもまた一興なり。生きづらそうですが。

私は男性でも女性でも普段着より仕事着に興奮します。

ニッカポッカも、清掃員の上っ張りも、サラリーマンのスーツ姿も、オフィスレディのヒールも、風俗嬢のガーターベルトも、職務を全うしている感じの、この不自由な社会に縛られている感じの、その中でしかし生きることの悲哀が滲み出しているようで、たまらなく色っぽいと思います。

そんな人がふと疲れた笑いでも漏らした日にゃあ、焼火箸を押し当てられたように飛び上がるでしょう。

縛られている人は色っぽいのです。

戦中に婦女子が軍服姿に萌えたのもわかります。

しかし、萌えと善悪の判断は別物で、不自由な社会に縛られている人が色っぽいからといって、社会が不自由なのがいいとは思いません。

「大人ってのはこういうもんだ」「現実ってのはこういうもんだ」と私は見切りをつけたように言いますが、とりあえずそうしないことには生活できないからなだけです。

社会に順応することと、社会のあり方に賛同することは別物です。

もちろん18の私は最低だったと思うし、そんな人間をとりあえずバイトで家賃程度は稼げるまで鍛えてくれた大人たちには感謝しています。

ときに厳しく、ときに優しく、最終的に自分の責任は自分でとらなきゃいけないんだとヒリヒリする現実を知らしめてくれました。

そんな現実に、大人としてなんとか立ち向かって生きる人々には、親愛の情を感じます。

幼さを「繊細さ」とはき違えて尊重するのは嫌いです。

だけど、「社会ってのはこういうもんさ」と無批判になってしまうのは危険な気がするのです。

実際に社会ってのは「こういうもん」だし、私ごときが何かしたって一朝一夕に変わるものではないけれど、不自由に思ったことを「仕方ない」と諦め、新しく社会にやってきた人たちに「私も諦めたんだからあなたがたも諦めなさい」と言うのは、なんか体育会系の嫌な先輩みたいだと思うのです。

あ、これ「遅刻するな」とかいう話と別ですよ。約束を守るのは不自由への諦めじゃなく、一緒に仕事をする人たちへの配慮だと思います。お金が発生してるんだし。

ところで、今度ひとり芝居のPAをやります。

蛇口作演・もり主演「横なぐりの成長痛」という劇で、照明・音響・映像を私が担当。

Twitterで告知したところ、「全部一人でやるのは大変なんじゃないか」とご心配いただきました。

でも、会場のシルクロードカフェはダンス公演をやる場所なので、もともと吊ってある照明を卓で操作するだけだし、音響も、キメの部分でそれぞれ音楽を流す程度で、動作に合わせて効果音をつけるといったややこしいことはありません。

映像はプロジェクターの電源が別にあるので、そのオンオフはかほりさんという別のスタッフがやってくださいます。

だから、私がやることは一人でもできるようなことです。

とはいえ間違えるかもしれませんので、当日も気を抜かず集中して頑張ろうと思います。

以前、私はストリップ劇場の投光をやっていました。

ああいうところは基本的にリハーサルはありません。

昨日まで別の劇場(仙台や広島など地方だったりする)に出ていた踊り子さんが朝きて、進行表と音楽の入ったMDを渡され、ぶっつけ本番で臨む、というのが一般的なスタイルでした。

先輩の投光さんたちは初めてやったと思えないくらい素敵な照明をしていましたが、私はよく間違えました。

そのたびに楽屋へ走って謝ってばかりでした。

よく生かされていたと思います。

もし自分が踊り子だったらまじでぶっ殺すぞ!って感じのミスも何度もやりました。

おねえさん方の度量を思うと、改めて頭が下がります。

このような経験があったため、私はライブハウスのPAを信用しなくなりました。

「もしかしたら自分のようなポンコツが混じっているかもしれない」と猜疑の目を向けるようになりました。

現在、私には音楽を流しながら紙芝居をする演目がいくつかありますが、どれも最初に一度再生ボタンを押せばいいだけに作っています。

無音の部分は「何分何秒」と計って体に入れています。

「このセリフを言ったら3曲目流して、ここでフェードアウトして」なんてお願いしても、もし自分がPAだったらテンパるだけだからです。

世界が自分に合わせてくれないなら自分が世界に合わせるしかない、ということで編み出したスタイルですが、最近はこれも保身って感じがしてきました。

ライブなんだからもっとハプニングを楽しめるようになってもいいような気がします。

とまれ、今回は久々にPAの側に回るので、裏方としてはミスひとつないように保身に保身を重ねようと思ってます。

生モノで一番大事なのは演者がのびのびやることですが、PAを信頼できないとそうもいかなくなるので。

…ていうか、最初はこの芝居にPAで参加する予定はなかったのです。

作演の蛇口さんから私が依頼されたのは、劇中に流れる映像作りだけでした。

でも、音楽や映像のポン出しを人に頼むならその分またお金がかかると知り、ケチな私は「じゃあ私がやります」と言ったのでした。

照明は会場のオーナーにお願いする予定でしたが、オーナーは稽古に参加できないそうで、暗転のキメが結構ある芝居でぶっつけ本番はちょっと怖いと思い、「じゃあ照明も私がやります」と言いました。

それでこういう感じになりました。

気づくとどんどん出しゃばっている自分にびっくりです。

最初に稽古に参加した際、蛇口さんから芝居についての意見を求められ、私は割とベラベラ言いました。

この芝居は全員初体験です。

蛇口さんは芝居の作演は初めてだし、主演のもりくんも役者経験はありません。

私も大した演劇経験はないのですが、「もっと見せ方を考えて」とか「無駄な動きをするとそっちに目がいってセリフが入らない」などと偉そうなことを言いまくりました。

蛇口さんは「演劇臭くなるのがいやだ」と言っていました。

いわれてみれば、私が指摘し提案したものは、「演劇臭く」するためのことでした。

つまり、声・動作にメリハリをつけ、自然に見せかけた不自然を行うことです。

本当のことをいえば私もそれは嫌いです。

舞台に出ている人が声を張っているだけで「ダサい」って思います。

だけど声を張らなければセリフは聞こえない。

どのみちダサくしなければいけないなら過剰なまでにメリハリをつけてやりたい。

過剰にメリハリにつけると格好よくなる、というのは唐組の芝居をご覧の方ならおわかりでしょう(あれは唐十郎の戯曲と唐組の役者さんだからこそできることかもしれませんが)。

とはいえ、先ほども言ったように、基本的には私も演劇臭いのは嫌なのです。

だから最初に紙芝居をやったときは、絶対に登場人物の声音を使い分けたりせず、わざとものすごく棒読みにしました。

でも、そのときはウケましたが、次に別のところに出たら「シーン」ってなりました。

これは人と場を選ぶやり方なんだと知りました。

それで、ちょっと「演劇臭く」してみたら、前よりウケがよくなりました。

ウケたことに気をよくしたものの、世界ってダサいなという失望もありました。

しかし、カッコイイ世界でだけ生きていられるわけではなし、そもそも私の棒読みだって必ずしもいいとは限らないし、ウケるならそのほうがやってて楽しいし、だいたい「演劇臭くすればウケる」などと偉そうに言っても、ちゃんと演劇臭くするのだって相当な技です。

それから10数年、ドヤ街の路上や、誰もネタなんか聞いてくれない宴席の営業もやってみた身としては、多少演劇臭く…というよりショウアップすることに心が傾いています。

とはいうものの、「だから演劇臭くするのが正解なのです」なんていうのは、「私も諦めたんだからあなたも諦めなさい」と言う嫌な体育会系の先輩と同じです。

自分が感じた社会の不自由さを、変わらぬ事実として人にゴリ押しするのはいかがなものでしょう。

蛇口さんには蛇口さんのやり方があるし、もりくんにはもりくんのやり方があるし、この芝居にはこの芝居の空気がある。

できることなら、私が失望した世界を、「いいやそんなことはなかったよ」と覆してほしい。

そう、蛇口さんは昔からそういう存在です。

蛇口さんの詩を聞いたり、文章を読むと、私が現実に対応するために捨て去った疑問や違和感を、「それおかしくね?」って掘り起こして貰えたような気になります。

それも、ものすごく切れ味の鋭い言葉で簡潔に。

坂口安吾のいう「文学のふるさと」を持つ方だと思います。

ということで1月に作った宣伝のための動画を今一度こちらに貼り付けます。

この動画の最後(3:03〜)に出るアニメ(というには動きが少ない動画)は、劇中に流れる映像の短縮版。

本番はこれのフルバージョンをやります★





さてさて。

自分のライブのほうは、2/28にババカヲルコさんとツーマン、3/1にIKAZUGOKE(北村早樹子×飯田華子)とLi2MiHOLiC(倖田李梨×若林美保)のツーマン、3/10に黄倉未来さんとのツーマン、…とツーマン続きでした。

出演者が多いイベントも楽しいですが、ふらっと見に行くならツーマンかスリーマンは気軽ですね。

出る側としては出演時間が長い分、色々準備もありますが、私は準備が好きなほうです。というか、準備がキモなほうです。無計画に出ても何もできません。


2/28のババカヲルコさんとのツーマンは、それぞれのソロだけではなく音楽と紙芝居のコラボがあったので、何度かスタジオに入りました。

二人でやったのは「星子の冒険」「星子の夢」「星子の恋」「街」「鉄道四十八手」の5タイトル。

「星子」シリーズは今までも何度もババさんとやってきていて、もうババさんありきの出し物になっています。

「鉄道四十八手」は、もともとは∴NEU譲(やまのいゆずる)さんと一緒にやった演目でしたが、今回ババさんに新たに曲をつけていただき、セリフもところどころお願いして、全然別の出し物に生まれ変わりました。

最初の練習でババさんがピアノを弾いた瞬間、「うわー!」と身震いしました。

私は興奮して朗読し、曲が展開し、言葉がノリノリになり、音がうねり、…生身でぶつかる快感がありました。

ババさんのおかげで、押入れに閉じ込めていた紙芝居が鉄道に乗って走り出しました。

幸福な体験です。

ライブ後のババさんからのメールには「月日がたつのは楽しいものですね」と書いてあり、そうだ、最初に二人で「星子」をやったときはまだお互い二十代だったなぁと感慨深く思いました。

たぶん私たちは二年に一度くらいのペースでご一緒してるのかな?

会うたび、合わせるたび、変化していく感じがします。

またいつか必ずババさんとご一緒するときがあるように思いますが、とりあえず今のところしばらくはありません。

今回見届けてくださった皆様、本当にありがとうございました!

そして、主催としても大変お気遣いくださったババカヲルコさんに心から感謝です★


その翌日3/1はIKAZUGOKEとLi2MiHOLiCのツーマンでした。

Li2MiHOLiCは、踊り子や女優としてそれぞれマルチにご活躍されている、倖田李梨さんと若林美保さんのユニットです。

2月初旬にこのお二人と私と北村さんでカラオケ女子会をする機会があり、いや、もう、私なんかが混じっていいんでしょうか?って感じの豪華な時間でしたが、そのときに「ツーマンしよう!」とノリで決まりました。

倖田李梨さんも若林美保さんもお仕事であちこち回っていらっしゃるのに、こんなにサクッとライブを決められるなんて!とビビりました。

でも、これはよく思うことですが、忙しい人ほど対応が早いです。

当日、IKAZUGOKEは北村邸で入念な練習ののちに会場入りし、リハーサルを行いましたが、Li2MiHOLiCはほぼリハなしでぶっつけ本番って感じでした。

若林美保さんは8日後に迫った舞台「奴婢訓」の稽古帰りでしたし、倖田李梨さんは前日まで横浜ロック座に出ていて、しかもご自宅のブレーカーが壊れたという事故もあり、ライブにいらっしゃるだけでもかなり大変だったのではないでしょうか。

しかし、倖田さんはMCで大変な状況をカラッと語って場を沸かせ、アドリブなのに暇な時間がありませんでした。

お二人とも立ち姿が見事にキマっているので、ふとした動作でも「見てて楽しい」気分になります。

「人前に立つ」ということの根幹が出来上がっている方々だと思いました。

この日は倖田さんのお誕生日でもあったので、ご一緒にお祝いできて嬉しかったです。

ご覧下さった方々、Bar Issheeのイッシーさん、倖田李梨さん、若林美保さん、相方の北村さん、ありがとうございました!

※追記。

後日(3/13)、「奴婢訓」の本番を見に行った際、若林美保さんの存在感に圧倒されました。

セリフを言う役ではなかったのに、舞台の美意識を全て担っているような気がしました。

このProject Nyx Officeプロデュースの「奴婢訓」は、もともとあった寺山修司の戯曲を解体・リミックスした作りになっており、「演劇を見る」というより「ショウを見る」感覚でいるほうが楽しめる仕様でした。

宇野亞喜良の素敵な舞台美術に美人女優たち、目から入る情報が何よりも強い公演でした。

その中で、ラスト、天井から吊るされたエアリアルシルクで舞う若林美保さんの肢体は、舞台全体にのびやかに広がり、全てをさらっていきました。

美しさに涙が出そうでした。

こんな感動の仕方があるのか、と思いました。

寺山の詩情を身ひとつで体現していました。

ああ、この人は、こんな感動を与えるために日々どうしているのだろうと思いました。

毎日毎日、気を抜くことなんかないのだろう。

ものすごいスケジュールをこなしながら、時間を適当に流したりはしていないのだろう。

けれどお会いするとそんな力みは微塵もなく、とってもナチュラルに接してくださる方なのです。

ちなみに昨年出た『点線面』4号(ポンプラポ)のIKAZUGOKE特集では、この若林美保さんもコメントを寄せてくださっています★うっひょ〜!


さて話を戻しまして3/10。この日は3/1と同じ会場・Bar Issheeで黄倉未来さんとツーマンでした。

黄倉未来さんは、打ち込み音楽に乗せて一人芝居やおしゃべりなどをされる方です。

っていう説明だけだと「ふーん」って感じかもしれないので、ご存知ない方はぜひ一度ご覧ください(私よりずっと有名な方ですが)。

ネタを説明しても野暮なので抽象的に言いますと、爆笑させつつ狂気を感じるキレッキレのライブでした。

「黄倉未来」というお名前の通り、黄金に輝いていました。

あとで伺ったら全部即興でやっているそうです。

ええー!このパフォーマンスをもし自分がやるならめちゃくちゃ練習しなきゃできないよー!と思いました。

即興なのに動きにも言葉にも迷いがない。そして「合っている」。

天才とはこういう人かと思いました。

私はといえば、この日は40分のCDを作ってきており、前述した通り「最初に再生ボタンを押したらその間尺に合わせて最後までやり通す」方式でしたので、リハを終えてからもイヤホンで音を聞きながら街をウロついて練習してました。

それでも本番で若干のミスがあり、まごつきました。

ミスのあるライブが悪いライブとは思いません。

ミス、というより予定と違う事態が起きた時、どう回収するかが演者の力量だと思います。

私は割とそこが弱いタイプなのですが、黄倉未来さんはめちゃくちゃ強いだろうと思いました。

あと、倖田李梨さんも若林美保さんも。

人前でやることの度胸と性根が座ってて、なおかつ狂ってて美しい。

3月初旬に二回も出たBar Issheeでしたが、どちらも格好いい方々とご一緒できて幸せでした。

また、この3/10は投げ銭でしたが、たくさんいただけてとっても助かりました。

もしかしたらこの春は久々に洋服とか買えるかも★

でもその前に靴だな。穴が空いてるのをガムテープでつないでいるので。

このようにちょっと浮かれ気味にすらなれた、ありがたい夜でした。

ご覧下さった方々、黄倉未来さん、ありがとうございました!

Bar Issheeのオーナー・イッシーさんにも再び感謝!


3月はこのあと3/23金にニーハオ!!!!・テンテンコ・IKAZUGOKEのスリーマンライブ、3/27火にはソロで久々に円盤に出ます。

4月も予定色々あり。

4/26木からは、月1で私が様々なゲストとツーマンショウを行う新企画もスタートします。

女の星座1回表改A


新宿で暗い青春を送った私の経験と妄想を注ぎ、街のネオンで女の星座を描いていく連続ライブです。

第一回のゲストはアコーディオン奏者の熊坂路得子さん。

私の中にあった「アコーディオン」の概念を変えてくれた素晴らしいミュージシャンです。

自己保身に走りがちな自分をなんとか変えていきたいところなので、熊坂さんの胸を借りて面白いライブにできたらと思っています。

よろしくお願いいたします★

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2/9と2/14のイベント後記・ネチネチと

今月は2月9日にワンマンライブ「投げ銭酒場」、2月14日にIKAZUGOKEトークショウ「おとこ教室」がありました。

ご来場くださった皆様、誠にありがとうございました!

スタッフの方々にも心から感謝です!


9日の「投げ銭酒場」は、写真家のLillyさんからお誘いいただきました。

会場の新世界は普段はライブハウスですが、イベントのないときはカラオケバーとして営業しているそうで、
「そこで紙芝居やって投げ銭ゲットしましょう!私はつまみにおでんを作ります!」
とLillyさんが言ってくださったのでした。

おかげさまで、西麻布の!ライブハウスで!しかも照明さんや音響さんがサポートしてくださる中!ワンマンショウを行うことができました。

ちゃんとステージがあって、照明や音響にアレコレ注文をつけられるというのは、とっても贅沢な環境だと思います。

普段あまりやらない長編紙芝居や、映像を使う演目を持っていきました。

どちらかといえばエロ度少なめ&言葉多め(当社比)で、お客さんに集中力を要する出し物だったかもしれませんが、「集中してご覧いただける環境」が整っているからこそやれるものだと思ったのです。

皆様大変あたたかくご覧下さり、投げ銭もたくさんいただけて本当にありがたかったです。

おかげさまで今月も電気が止まらず済みました。

欲しかった金色の絵の具も買えました。

Lillyさんは「少しでも飯田さんにたくさん投げ銭がはいるように」と心を砕いてくださり(泣けるー)、自家製おでんもそのほかのおつまみもとってもおいしく(梅肉入りのなめたけ、大根の葉とちりめん和え、「生・都こんぶ」と呼ばれるこんぶの酢煮など)、日本酒のおいしいいい夜でした。

時々、昔の同級生から「好きなことやってていいな〜」と言われますが(まぁ同情というか労わりが含まれていると思いますが)、好きなことやるには好きじゃないこともやらなきゃいけないわけなんですけども、この夜はまるでボーナスのようでした。

ご来場の皆様、新世界のスタッフの皆様、そしてLillyさんには心から感謝いたします。

助けてくれてありがとう。

また全然違う出し物作ったり、もっと紙芝居が上手になるよう頑張りたいと思います。

今後も変わらぬご愛顧のほどよろしくお願いいたします。


さて、現在の私の生活は、バイトで家賃と携帯代をなんとか確保し、その他はライブのギャラや物販などの収益に頼っております。

不安定かつギリギリです。

これも「好きなことをやっている」代償でしょう。

同い年の人たちが家族を養う中、私は自分一人満足に養えず、巡業でドヤに泊まり破れたジャンパーを着て見切り品の油揚げを買っています。

でも、そんなのはたいして悲しくはありません。

そりゃ「今月の家賃どうしよう」とか思ったら胃がキュキューってなるけど、ラーメン屋に行くのすら「贅沢な外食」なのは寂しいけど、安いシャツの襟元がヨレてそれが肌のヨレと呼応してみすぼらしい中年の風情を醸し出すのは情けないけど、一番悲しいのは、「忙しいんだから仕方ない」と流すようなものを作ってしまうことです。

こんな生活してんだったら、作ることだけは頑張りましょうよって感じじゃない?寝る間も惜しんでさ。

しかし私はよく寝ます。

酒も飲みます。

打ったり買ったりはしませんが。

つまり、なんつーかゆるいんです。

そりゃどんなすごい人だって心から満足できるものばかり作れはしないだろうけど、一応作る段階ではそれを目標に努力するわけですよね。

だのに私は自分の心や生活に負けることがあります。

生きるためには金を稼がなければならず、元手のない私は労働力を時間で売らねばならず、従ってものを作る時間は限られ、しかしその中で最大限のことをやるのが筋なのに、「今日は疲れた」とかいってさっさと酒飲んで寝ちゃったりする。

そしてそんな自分を「仕方ないさ」と許していたりする。

心にも生活にも創作にも敗北している。

じゃあ勝利ってなに?っていうと、よくわからないですが。

勝利のイメージはないのに敗北の実感だけはあるわけですね。悲しいなア。

「好きなことやる」ってのはこういうことなんでしょうか。

悲しいけど、まさしくこういうことなのかも、って最近思うようになりました。

でも、私はわざわざ好き好んで「好きなこと」をやっています。

なんか宿命を背負ってるとかじゃないです。

だからきっと、悲しくなりたくてなってるんだと思います。

昔から、「えー、そんなこと考えるー?」と疎まれるほどネチネチ考えるタイプでした。

みんながさっぱり忘れて次の楽しい話題に入ってるのに、過去の陰鬱なことをほじくり返しては「あの人はあのときあんなことを言っていた」などとウジウジ検証していました。

なんかほんとブスって感じですね。美人はこんなことしなさそうだもの。

あ、だから同じブスとしては、さっぱりしてて楽しそうなブスがほんと許せないです。

男女混合グループでバーベキューをしたり、美人の友達とお買い物に行けたりするブスを見ると、
「ねぇ、自分の外見についてどう思ってるの?男の子を好きになれたりするの?トイレ行って鏡見て愕然としないの?『もうみんなのとこ戻りたくない』って気持ちにならないの?」
と肩を揺さぶって聞きたくなります。

なので、もしそんなさっぱりブスが美人の悪口でも言ってくれた日にゃ、
「そうでしょうそうでしょう」
と狂喜して、自分の心のアルバムに大事に保存し、時折見返してはそっとほくそ笑んだりします。

まぁ、自分の中での辻褄を合わせたいってことだと思うんですが。

しかし大人になると、顔立ちが不細工でも性格が明るい人はチャーミングに見えたり、むしろそういう人のほうがモテたりするのを目の当たりにし、現実は予測不可能で辻褄が合わないなぁということがわかってきます。

そもそも「顔立ちが不細工」っていうのも曖昧で、「美人/不細工」の定義は人や国や時代で変わるし、世界はとってもバリエーションが豊かなんだから、一つの価値観にこだわってるなんてつまらないよー、とさっぱりした気持ちになったりもします。

…でも、でもでも!

こういうことをさ、昔ブスをいじめてた奴が言ってたりするじゃん!

フェイスブックとかで、なんか知らねーガイジンに囲まれてドヤ顔で。

「おいっ!」って野太い声が出ちゃいませんか?

私にはあの日の教室の匂いまで蘇る、だけどもそんな過去はきれいに忘れて「いいね!」ボタンを押すのがさっぱりした人間なのでしょうか。

「この人もいろいろあってこういうふうに思えるようになったんだな」と目を細めるのが大人なのでしょうか。

「じゃああなた、あのとき、日本の小さな教室の価値観でもって『ブス』と判断した女児を虐げたことはどう思ってるんですか?ご自身の中に葛藤はありますか?」と聞くのはネチネチした人間なのでしょうか。

しかり。

過去を引っ張り出して検証したがるのはネチネチした人間です。

そんなことをしていたら職場で疎まれるし、仕事も進みません。

さっぱりした人間にならなければ社会でやっていけません。

ネチネチしたいのなら、趣味嗜好としてやらなければいけません。

従って、どうしてもとってもネチネチしたくてたまらなかった私は、このような生活を選びました。

ネチネチとは、都合の悪いことを忘れたくないということです。

だから、自分自身に対してもネチネチします。

「忙しかったから仕方ない」と自分を許してしまったことを、調子に乗って自慢話をしてしまったことを、スタッフさんに威丈高に指示してしまったことを、
…いや、そんな大人になってからのことだけじゃなく、中学一年の自己紹介のときに「空想・妄想・瞑想が好きな方お友達になりましょう」なんてクソ寒いことを言ってしまったことなども(今書いててもちょっと死にたくなる〜★)、一人の夜にわざわざ思い出しては煩悶し、「うわー」と悲鳴をあげながら、苦痛に歪む私の顔はどこか恍惚としているでしょう。

おめでたいことです。

ほんとに好きなことやっていますね。いえい。


かようにソロSMをよく実行している私ですが、2月14日はソロではなくユニットのIKAZUGOKEで、「おとこ教室」というトークイベントを阿佐ヶ谷よるのひるねでやりました。

これはもともと、よるのひるね店主・門田さんからのご依頼で、「おとこ教室」というタイトルも門田さんの発案です。

「北村さん飯田さんで『男』について話してください」ということでしたが、「『男について』ったってねぇ…」と思い、門田さんにお題をいくつか出して頂くようお願いしました。

そしたら、「一日にどのくらい性的なことを考えますか」とか「個人的にどのような性的関係が理想ですか」などなど性的な質問がたくさんきました。

あとで聞いたところ、「IKAZUGOKEへの質問だから性的にしなきゃって思いまして…」とのことでしたが、これを見た北村さんは、「わたしは性的なことに関心がないのでこのお題で面白く話せるか分からない」と不安げなコメントでした。

「じゃあどうしましょうか?」って二人で会議をしました。

「何話すとか決めないでフリートークでいいんじゃないかな」というのが北村さんの意見でした。

私はトークのお仕事をほぼしたことがないですが、北村さんはよく色々なイベントにトークで呼ばれており、たいていはあまり密な打ち合わせはなくフリートークが主だそうです。

ああ、だからトークイベントっていつもなんだか肩すかしなのね、と思いました。

いや、そんなにトークイベントって行かないんですけども、今まで見たものの多くは、「この人たちだったら絶対面白い話になりそう!」って期待したのに、思ったほど話が深まらずに時間になって終わる、という感じだったのです。

…ああ、書いてて自分に突き刺さる。他者への批判は必ずブーメランになる。でも傷つくために批判したい。きもちいい。なんちゃって。おえっ。

ネチネチしている私は、トークにもネチっこいのを求めます。

しかしヒューマンスキルもアドリブ力もない我が身を思うと、フリートークじゃネチっこくできないように思いました。

そこで、仕事帰りで疲れている北村さんに無理やり話をふっかけ(ほんとかわいそう)、お互いの男性観や恋愛観をあぶり出そうとしました。

以下そのメモより。

北村:恋愛対象は男性。女性という選択肢はなし。同族嫌悪に陥りたくないから。恋愛は自分と真逆の人としたい。「男」とは、自分の理想を託した存在=強い存在。(ほんとは弱くてもいいの。強くあろうとしているところにキュンとくる)

飯田:「強い男」を理想にしてはいけない。そうすると女は弱くていいってことになるから。弱くていいってのは卑怯だから。

北村:なんで卑怯じゃいけないの?

飯田:卑怯でいることをOKにすると、結局「美しい女ほど得をする」って価値観をOKにしてしまうことになる。美しくない身としては危惧がある。

・でも二人ともどこかで「いつか王子様が迎えに来てキスで目覚めさせてくれる」という幻想を捨てきれない

・しかし王子様は来ないからお姫様は寝たきり

北村:一人で起きて、王子様が来ないなぁと思っている

飯田:王子様が来ないので、通りかかった行商人と、いやむしろ行商人の乗っていたロバと、無理やりキスして目覚めた

北村:王子様じゃなくてもいいの?

飯田:本当は王子様がいいよ。でもいないからね。


ほんとはまだまだ続きますが、こんな感じの話をした結果、私たちの男性観や恋愛観、ひいては女性観の違いがわかってきました。

そこで、この立場の違う者同士で、バトル的に討論したら面白くなるんじゃないかと思いました。

ということで再度門田さんに「バトルのお題をください」とお願いしたのですが、なぜか意図が伝わらなかったのか空間がゆがんだのか、「それぞれの理想のプロポーズを寸劇化してください」というバトルと関係ないお題がきました。

でもそれはそれでとても面白いので、じゃあもういいやバトルじゃなくて、ってことで、門田さんからもらったお題や質問に答えていくイベントにしました。

いったい私たちの会議はなんだったんだろ…って感じがなくもないですが、寄り道なく結果にアプローチするのが必ずしもいいこととは限りませんよね。ってことで。

当日お客さんに配った進行表には、この顛末を私のほうで簡単に説明した文章を載せました。

別にそんなこと書く必要もなかったかもしれませんが、私は自分のホームページで「バトル形式のトークします」って宣伝しちゃってたので、もしそれを見て来た方がいたら、「えー全然バトルじゃないじゃーん」って思われるかな?と…。

まぁそんな方はいなかったかもしれないし、いたとしても気にしなかったかもしれませんが、ネチっこい私としては説明したかったのです。

文章内では、門田さんをリスに、北村さんをオコジョに、私自身をタヌキにたとえ、
「森の動物たちが知恵を絞ってがんばります。お楽しみください」
といった感じに書きました。

これを読んだ北村さんは「役立たずのオコジョでごめん」と言っていましたが、役立たずだから動物にたとえたわけではなく、というよりもこのイベントにおいて「役に立つ」というのがどういうことを指すのかよくわかりません。

ただ、人間が他の動物と違うところは慎重さや論理性や合理性だとするなら、割とそうしたものが欠落した布陣だとは思いました(私も含め)。

もちろん、別にそれが悪いこととは思いません。

門田さんの無邪気さとおおらかさはイベントの救いでしたし、北村さんは天性のタレントで場を沸かしてました。

惜しむらくは私の頭の回転がもうちょい早ければよかったなということですが…。

ド平日にもかかわらずいらしてくださった皆様(バレンタインデーなのにカップルで来てくださったお二人も♥)、よるのひるね門田さん、ネチネチした私に毎度付き合ってくださる北村さん、本当にありがとうございました!


さてさて、今週はライブが二本です。

一本目は水曜日!

2018年2月28日(水)
今日の晩ごはん
@三鷹・おんがくのじかん
19時オープン・19時半スタート
2000円+ドリンク
出演:ババカヲルコ、飯田華子

素晴らしいピアノ弾き語りのババカヲルコさんとツーマンライブ!
それぞれのソロもやりますし、二人でのコラボもあります★
何度かスタジオで練習しましたが、ババさんの音楽が入った途端、自分の紙芝居がブワーっと広がっていくような感覚がしました。
昔∴NEU譲さんとやった「鉄道四十八手」という紙芝居も、今回バババージョンで新たに上演!
ババカヲルコさんとしかできないことをやるので、ぜひいろんな方にご覧いただきたいです。

そして二本目はその翌日の木曜日!

2018年3月1日(木)
IKAZUGOKE/Li2MiHOLiC ツーマン
@千駄木・Bar Isshee
19時半開場・20時開演
チャージ2500円+ドリンクオーダー
出演:IKAZUGOKE(北村早樹子×飯田華子)、Li2MiHOLiC(倖田李梨×若林美保)
※限定30名迄

踊り子や女優としてマルチに活躍される倖田李梨さんと若林美保さんのユニット「Li2MiHOLiC」とIKAZUGOKEのツーマンライブ!
倖田さんもわかみほさんも、かねてより尊敬し憧れを抱いていたパフォーマーさんです。
光栄すぎてちびりそう…。
IKAZUGOKEもまた、北村さんとしかできないユニットです。
ご予約お待ちしております!


三月はこのあとも10日にライブ、18日にひとり芝居のスタッフ、23日にIKAZUGOKEのライブ、27日にまたライブ、と盛りだくさんです。

さらに4月からは月イチで私がホステスを務めるツーマンショウも始まる予定。

ネチネチした性分なので、なにをしたって悔いてばかりだろうし悔いるのが好きでもありますが、できるだけ悔いのないよう頑張りますので、どうか遊びにきてください★

平成30年の浜崎あゆみへ

この半年ほど、ネットで浜崎あゆみの掲示板を見ながら眠りにつくのが習慣になっています。

かつての2ちゃんねるのような、匿名で(主に)悪口を書き込むものです。

書き込んでいる人の多くはかつてのファンや、「ファン」というほどではなくとも浜崎あゆみの全盛期に曲を聴いたり容姿に憧れたりした人たちです。

つまり、ほぼ私と同世代かと思われます。

なんでそんな掲示板を見るようになったかというと、去年の9月、安室奈美恵が引退を発表したことで「同世代のライバル」として浜崎あゆみにも再び注目が集まり、「年齢を経ても美しい安室」と「劣化する一方のあゆ」といった声が上がっているというニュースを見たからです。

高校時代に浜崎あゆみが好きだった私は「今のあゆってどうなってるの?」とネットを漁り、結果、その掲示板にたどり着きました。

現在、浜崎あゆみは全国ツアーの真っ最中です。

一人で歌うシンガーのイメージでしたが、今はたくさんのダンサーを引き連れて、小芝居やダンス満載のショウアップされたコンサートを行っているようです。

でもそれがすごくダサいんだって。掲示板によると。

確かにネットに出てくる画像や動画を見ると、「あいたたたた」って感じはします。

また、中年になった浜崎あゆみはふっくらしたので、派手な衣装でダンサーを従えていると「スナックのやり手ママ」といった風情が漂います。

私は「スナックのやり手ママ」っぽい人は好きだし、いくら動画がダサいとはいえライブなんてその場に行かなきゃわかんないものだし、だから今の浜崎あゆみが本当に劣化しているかどうかはなんともいえません。

でも、若いころの華奢で孤独なあゆを知る者には、今の浜崎あゆみは「変わったなー」って感じはするでしょう。

そのため掲示板は揶揄や嘲笑の花盛りです。

しかしかつて一度は憧れたからなのか、それとも書き込んでいる人たちが大人だからなのか(だって全盛期を知ってるってことはもういい年だよね)、なかなか愛のある悪口なので、見ていて面白いのです。

現在の浜崎あゆみをネタに大喜利しているような。

もちろん中には悪意しかない投稿もあり、そうしたものは見ていて心が灰色になるだけですが。

掲示板には時々安室ちゃんの話題が出ることもあり、たいていは「同世代なのに美しい安室」とか「あゆと違ってプロフェッショナル」といった、浜崎あゆみを引き下げるためのアイコンとして使われています。

しかしながら、1997〜2004年をティーンエイジャーとして過ごした私にとって、浜崎あゆみと安室奈美恵は別の次元にいる存在でした。

安室は「ちょっとおねえさんのもの」って感じで、あゆの対抗馬は椎名林檎や宇多田ヒカルだと思っていました。

でも安室が好きな人とあゆが好きな人は同じところで服を買っていそうなので、そういう意味では「ライバル」だったのかもしれません。

しかし安室には、あゆや椎名林檎や宇多田ヒカルのような「自己表現してまっせ!」感がありませんでした(私の大雑把な印象ですが)。

人に作られた歌を歌い、見事なプロポーションで踊る安室はクールでしたが、私には取っ掛かりのない存在でした。

90年代半ば、小学生だった私は、肌を焼いたおねえさんたちが安室に熱狂するのを見て、「どうしてこんなに取っ掛かりのない人を好きになれるのだろう」と思っていました。

中学に上がると安室は妊娠、サムと結婚しました。

当時の私には伴侶にサムを選ぶセンスもよくわからず、ますます取っ掛かりのない存在に思えました。

安室が産休に入った1998年、浜崎あゆみ、椎名林檎、宇多田ヒカルなど「自分で歌詞を書いている」ことを売りにした女性歌手が続々デビューします。

「自分で歌詞を書いている」と思うと、歌詞を通じて本人の心に迫れるような気がしました。

作り物を楽しませる器としてではなく、己自身の意見・感情を発する存在として私は彼女たちを見ました。

だから好いたり嫌ったりすることができました(安室のことは好きとも嫌いとも思わなかったのです)。

私はダントツであゆが好きでした。

インテリ臭がまったくなかったからです。

歌詞を書く、つまり言葉を扱う人ならば、普通はどうしても「賢く見せたい」というスケベ心が働くはずです。若ければなおさらです。

案の定、椎名林檎や宇多田ヒカルは難しい漢字を使ったり頭のよさそうなことを言っていました。

が、あゆは全然お利口そうに見えず、歌詞も平易でシンプルでした。

それが私にはものすごく格好よく映りました。

歌に書かれているのは自分と世界との関係でした。

「人を信じることっていつか裏切られはねつけられることと同じと思っていたよ」
「一人きりで生まれて一人きりで生きていく きっとそんな毎日が当たり前と思ってた」
(『A Song for ××』)

思春期ド真ん中の私は秒殺されました。

それまで知っていたJ-POPはだいたい男女の恋愛だったので、同じ悩みを共有し代弁してくれている歌にやっと出会えたと思いました。

いや、実は小学生のときにすでに中島みゆきにハマっていたので、「孤独」や「人生」をテーマにした歌があることは知っていましたが、いかんせん中島みゆきでは語り合える同級生がいなかったのです。

また、「本当の友達なんているのかな?」とか「人はなぜ生きると思う?」なんてことを真正面から問えば「暗い」「ダサい」「面倒臭いやつ」といった烙印を押されることは必至でしたので、私は自分のこういう部分をなるべく隠していました。

けれど、あゆが歌ってくれたのです。

それも、あのビジュアルで。

あゆは時代の美意識を詰め込んだような見た目でした。

好みかどうかは別として「時代の顔」でした。

あゆの見た目がああじゃなければ、同じことを歌っても「ただの暗いやつ」で終わったかもしれません(当時は「厨二病」という言葉がなかったので)。

しかし人形のような顔で流行の衣装に身を包んだあゆの歌は皆に歓迎されました。

私が一人でひっそりと閉じ込めていたものをあゆが明るみに引きずり出してくれた気がしました。

2000年に放映された「スーパーテレビ」のドキュメンタリーで、あゆはビジュアルも含め全てをセルフプロデュースしていると知り、「本当にイカしてるぜ」と思いました。

あのインテリ臭のなさはやはり「あえて」の計算だったのかと震えました。

ギャル路線のかわいい女の子は、いつの時代も知性的に見えません。

当時はあゆを「アイドル」と捉える大人は多かったはずなので、ビジュアルイメージが先行すれば先行するほどあゆは「かわいいだけのねえちゃん」と軽んじられる可能性がありました。

それでもお利口そうに自分を高くみせたりはせず、ストリートの流行に身を飾り、結果、多くのファンを獲得し、自らの歌を広めたあゆ。

私はそれまで、
_了譴鮟颪韻
歌が歌えて
N行の服をチョイスできて(それも文化や教養がなくても一発で「かわいい!」と思えるような)
じた目がいい
なんて人を見たことがありませんでした。

´△世韻凌佑い世韻凌佑靴知らなかったのです。

才能と美貌は乖離しているものだと思い込んでいました。

 銑い泙覗管持ってて、しかも自分で自分をそのようにプロデュースしているなんて、なんて冷静な人なんだろうと感激しました。

こんな人間が存在することが幸福でした。

けれど、これはそう長くはやれないだろうなとも思いました。

非人間的だからです。

あゆは誰かの傀儡ではなかったけれど自分自身の傀儡でした。

また、その美貌はどこか異形であり、大きすぎる目は一歩間違えたら顔面崩壊するのではないかという危うさを放っていました。

声も無理な出し方に聞こえました。

喉をすり減らすような高音はすぐに声帯がビロビロになりそうでした。

何もかもがギリギリのバランスで成り立っているようで、だからこそ当時のギャル達はあゆに熱狂したのだと思います。

花は儚いほど美しいのです。

誰もがあゆを愛しながら、どこかであゆの破滅を望んでいたような気がします。

これはミュージシャンのはっとりあつしさんの言葉ですが、「パンクロッカーとは破滅を引き受けてくれる人」だそうです。

だとするなら、その頃のあゆは私のシド・ヴィシャスでした。

2000年に出した『Vogue』は、もうそう思ってくれと言わんばかりの歌詞でした。

「君を咲き誇ろう 美しく花開いた そのあとはただ静かに散っていくから」

あゆは当時のことを振り返ったインタビューで、「ライブが一番辛かった。客席から声援が聞こえるたびに『死ね』『死ね』って言われているようで」と語っています。

それは、もしかしたら本当にそうだったのかもしれません。

あゆを見にきた客たちは、あゆに声援を送りながら、あゆの破滅を待っていたのではないでしょうか。

少なくとも私はそうでした。

『Vogue』を聞きながら、この人はいつ散るんだろうとドキドキしていました。

いつ散るんだ、いつ破滅するんだ、そんなの悲しいけれどそうなってほしい、私の代わりに破滅してほしい。

私はあゆから目が離せませんでした。

…けれど、2003年にはなんだか熱が冷めました。

大学生となり、テレビを見るより友達と遊ぶほうが楽しくなり、J-POPにも興味を失ったせいです。

また、この頃からあゆの歌も変わり始め、切なさよりも力強い希望を歌ったものが増えていったので、「もう破滅しなさそう」と思ったからでもあります。

つまり私はあゆのファンではなく消費者だったのでしょう。

「かわいくて悲しい存在」という部分だけを楽しみ、消費し、そうではなくなったから離れたのです。

そうして15年ほど経った現在、ネットで浜崎あゆみの情報を見ると、なんともいえない気持ちになると同時に、どこかサディスティックな快感が生まれています。

今のあゆはCDも売れず、ダンサーを従えたライブはダサいと言われ、昔私が(そしてきっと多くの人が)懸念した通り歌声はかすれ、ふっくらした体型を細めに修正した写真をインスタにあげて、しかもそれがバレていて、なんというか「笑い者」です。

掲示板によれば、浜崎あゆみはエイベックスが巨額を投じて作ったアーティストで、自分でセルフプロデュースしていたというのも嘘で、作詞もゴーストライターがいたそうです。

人気が低迷したことでエイベックスの管理の手が離れ、現在ついに本当にセルフプロデュースの状態となり、だからとってもダサいのだそうです。

これは嘘でも本当でもいいと思います。

かつて私が思春期に支持した存在はエイベックスによる虚像だったのかもしれませんが、あゆはその虚像を見事に演じました。

消費者の夢の器に選ばれ、その役割を完遂し、私に夢を見せてくれました。

スターとはそういうものではないでしょうか。

だから今の浜崎あゆみがどんなにイタくても、スターという立場で尋常じゃない精神状態を余儀なくされたのだから仕方がないと思います。

そう思いつつ、「イタいあゆをもっと見たい」という気持ちが沸き上がっています。

やっぱり全盛期のあの姿は虚像だったのだ、バカに見せかけて賢かったんではなくほんとにバカだったんだ、そうだよそんな素晴らしい人間がいるはずないんだもの、私は騙されていたんだ、という気分になり、イタいあゆを嗤うことで、メディアを鵜呑みにしていた自分を踏みつけにするような、尊敬していた人間の恥部を見たような、王座から引きずり落とすような、暗い快感に陥るのです。

また、当時感じた「歌詞をかける人なのに」という違和感(インテリ臭のなさ・というかDQN感の凄さ・トーク番組に出た際の妙にホステス風が板についてる感じ)にも答え合わせをしているような気分になります。

そして思うのです。

もしかしたら現在の浜崎あゆみの姿は、私が(そして大衆が)待ち望んだ「破滅」の一形態なのではないかと。

『Vogue』を歌っていたときに私が夢見たあゆの破滅はこういうものではなかったけれど、これはこれで、大衆の夢の影の部分を体現してくれているともいえます。

そう、だから浜崎あゆみの掲示板に群がる人たちはこぞって揶揄するのではないでしょうか。揚げ足をとって笑うのではないでしょうか。今の浜崎あゆみは私たちの胸をすくための格好の餌となってくれているのではないでしょうか。

ああ、やっぱりあゆはスターです。

大衆にしゃぶり尽くされる女です。

欲望の人身御供です。

そんな運命に選ばれた人間はそうはいません。

平凡なそこそこの幸せなんて貧乏くさいものは不要です。

私はこれからも浜崎あゆみを見続けるでしょう。

できればライブにも行くでしょう。

これが破滅の途上なのか、それともこれからまた変わっていくのか、わかりませんが、とにかく言えるのは、パンピーの悪口なんか気にせず突き進んで欲しいということです。

浜崎あゆみよ、見せつけてやれ。

あなたのイタさは美しい。

年齢・行かず後家・伊香保温泉・お涙頂戴・今月の活動

現在、姫野カオルコ『ツ、イ、ラ、ク』を久々に読み返しています。

エロい〜!

最初に読んだのは26歳のときで、そのときも面白いとは思ったけれど、このエロさには気づけませんでした。

また、当時は結末にどこか物足りなさを感じもしましたが、著者のあとがきと斎藤美奈子の解説で「この小説の面白さがわかるのは35歳以上」といったことが書かれてたので、「ふーん、そう…?」と思いつつ本を閉じた記憶があります。

今だったら少しわかるでしょうか。

35歳までは若干間があるけれど。

26歳の私は「26歳も35歳もそう変わらねえだろう」と思っていました。

幼い頃から本を読むのに親しんできたし、それなりにいろんなことも経験してきたし、なんなら自分はそんじょそこらの35歳なんかよりよっぽど精神年齢が上だわ、と思っていました。

そのように思うところが26歳であったなぁ、と今になって感じます。

私は実に年相応な26歳でした。

つまり若者でした。

そして若者の常として、「もう26歳になってしまった」と思っていました。

14歳のときも「もう14歳になっちゃった」と思ったし、20歳のときも「もうハタチだ」と思いました。

若さは特権であり、若ければ若いほど許されることが多い、と思っていたからこそそういう発想になったのでしょう。

26歳の私は30歳の友人に「もう26歳だし〜」と言ったりしてました。

これは今思うとほんとにいやらしいというか、「私はあなたよりずっと若いけどもう若者としての特権を手放してるんですよ、身の程をわきまえてるんですよ」というアピールととれなくもありません。

そのときの自分がどういう気持ちだったのか定かではありませんが、というか自分のいやらしさになるべく気づかぬようにしていたからこそこんなセリフが吐けたのだと思いますが、もしあのとき私が自分の心をビンビンに見つめていたらこのいやらしさを発見したはずです。

「あのときはそこまで深く考えてなかった」とはよく聞く言葉ですが、よくよく振り返ってみると、たいていは考えているのです。

ただ、考えなかったことにしているだけです。

考えていたと自覚すると、都合が悪いからです。

ところで私は今「IKAZUGOKE」というユニットをやっていますが、これはもちろん「行かず後家(婚期を過ぎても結婚してない女性を揶揄した言葉)」をローマ字表記したものでして、発案者は相方の北村早樹子さんです。

私も北村さんもリアルに行かず後家なので(とはいえ北村さんは実は「出戻り」ですが)、こりゃちょうどいいやと思っていたのですが、時々お客様や対バンの方から「『行かず後家』というにはまだ早い」と言われたりします。

たしかに私も、もし25歳くらいの女性たちが「行かず後家」とか名乗ってたら「あーあ」って思うかもしれません。

この「あーあ」に込められた思いをもうちょっと詳しく説明しますと、

「なになに、まだ充分若くてみずみずしいのに『私はもうおばさんです』とか宣言するわけ?(※)
そうやっておばさん市場に乗り込んでくるのやめてくれない?こっちはガチのおばさんなんだから、あんたたちと並べられたら見劣りするに決まってるでしょ!まだあんたたちギャル市場で通用するんだからそっち行ってよ。おばさん市場はただでさえ客が少なくて争奪戦なんだから!
…つーかそういうのわかってるよね?わかっててあえてこっち来てんのよね?そんでもって『まだおばさんじゃないよ〜』みたいにチヤホヤされんの狙ってんだよね?うわ〜いやらしい〜!
そりゃ25歳ってたしかにギャル市場じゃちょっとトウが立ってるから18歳のミスキャンパスとかと並べられちゃうと辛いもんがあるけど、おばさん市場きたら入れ食いだもんね。
で、あれでしょ?『まだ全然ギャルで通用するのに自らおばさんを標榜するなんて若さに執着してない謙虚な子だ』みたいに思われたいんでしょ?いい加減にしろよ〜?
あのね、おばさんはね、おばさんに至るまでに歩んできた道筋があるの。このシワやシミひとつひとつに血を吐くような歴史が刻まれているの。悩み、惑い、段階を踏んで、晴れておばさんになったの。なーんの苦労もしないで軽々しく『おばさん』を名乗るんじゃねーぞコラ!」

…といった感じでしょうか。

ちなみに、書いておいて我ながら勘違いがすごいなと思ったので註(※)を入れておきました。

※ 「行かず後家」は別に「おばさん」と同義語ではないです。

まぁ私たちは25歳ではなく33歳ですので、市場としても決して「ギャル」には入れないでしょうし、このように思われているわけではないかもしれません。

しかし、自分よりずっと若い人間が「行かず後家」とか言ってたらイラっとするだろうなとは思うのです。

そして33歳は「若者」というには引け目を感じる年とはいえ、高齢化しつつある現代においてはまだまだ「婚期を過ぎた」とは言い切れない年齢だとも思います。

だから、えーと、イラっとした方はごめんなさい。

でも、私のほうの気持ちとしては、もういい加減「行かず後家」って言わしてくださいよ、ってとこもあるのです。

「結婚しないの?」とか「いずれは子ども生むんだし」とか言われ飽きました。

お上品なホワイトカラーの方々は「えーいまだにそんなこと言われるんですか?」って思うかもしれませんが、いえーい、こちらは酒場を渡り歩いたブルーカラー(ピンクカラー?)、セクハラ・パワハラ無法地帯だぜ★

でも一瞬だけホワイトカラーのお勤めをしたこともあるのですが、意外とああいうところのほうが言葉に出すのを禁じられてる分、圧力で感じたような気がします。

ちなみに私が卒業した中高一貫校は男子部と女子部に分かれており、ものすごく規則が厳しく、「男女交際は健全なものとするため手をつなぐ等の接触は禁止する」と生徒手帳に書かれていた異常なところでしたが、おかげさまで自分の性を感じずにはいられなくなりました。

だから色々とあからさまのほうが健全かもしれないなと思います。

そして健全な方々は健全な疑問として「結婚しないの?」と聞くのだろうと思います。

で、しないのです。

絶対にしない!と頑なに決めているわけではないけれど、とりあえず予定はないし頑張って予定を入れたいとも思わないのです。

出かけたくなれば出かけ、絵を描きたくなれば描く、片付けたかったら片付けるし、面倒臭かったら散らかしておける、この気ままな暮らしを愛しているのです。

まぁ、でも、そんなこと言ってもアレっすよ、なんだかんだいって相手がいないってだけっていうかね、そうそう。

私は体型が丸みを帯びているせいか「いい奥さんになりそう」と言われることが時々ありますが、ちょっとでも付き合った方々は「こいつは無理だ」と思ったことでしょう。

しかしあれですね、「いい奥さんになりそう」とか「いいお母さんになりそう」って、イコール「ダサいデブ」って感じがしますね。

お洒落でスタイルのいい人はそんなこと言われなさそうだもの。

そんなわけで、全然スタイリッシュでもなくスタイルもよくない三十路なので、周りの方々としてはさっさと結婚してくれたほうが気が休まるのでしょうが(だってモッサリした年増で独身って扱いに困るもんね)、申し訳ないことにそうもいかず、「IKAZUGOKE」と名乗り、そこに若干のいやらしさと後ろめたさを感じつつ、昨年は調子に乗ってCDを出しました。

前回のブログは昨年の10月28日で終わっていて、「これから東京レコ発やるぞ」ってとこまででしたが、おかげさまで東京レコ発も無事終了しました。

たくさんのお客様にいらしていただけて、物販も色々お買い上げいただけて感激でした。

お一人お一人とお話できませんでしたが、ステージの上でお顔を拝見し、「あ、あの方が来てくれてる!」「あ、この方も来てくれてる!」ととても嬉しい気持ちでした。

心から感謝いたします。

また、このCD発売に伴い特集をしてくださった雑誌『点線面』さん、取材をしてくださった『実話ナックルズ』さん、「messy」さん、「キタコレ!」さん、記事を載っけてくださった「i-Q JAPAN」さん、「音楽ナタリー」さん、本当にありがとうございました。

一応IKAZUGOKEのホームページも開設しておりまして、各メディアの情報はこちらに載せてますので、もしご興味ある方はご覧ください→ https://ikazugoke.jimdo.com/media/


ところで、この東京レコ発の前の11月4日、私は伊香保温泉で巡業してきたのですが、そのときのことが今年に入ってもまだ印象的なので、これについて少し触れたいと思います。

「伊香保温泉〜湯けむりエロ紙芝居〜」

ご依頼いただいたのは突然でした。

昨年9月まで私は荒川のバーで週1バーテンをしていましたが、その母体であるもんじゃ焼き屋のママさんから、
「うちのお客さんで工場の社長さんがいるんだけど、今度社員旅行をするらしくて、いつもはコンパニオンさんを呼ぶらしいんだけど、今回はなんか変わった出し物があるといいなぁってお話だったので華子ちゃんを紹介したの」
とご連絡がありました。

で、まったく見ず知らずの社員旅行にカチコミました。

社員さんたちとは別口で、一人で東京からエロ紙芝居を引きずって伊香保に行きました。

宴会が始まって30分ほどしたあたりで、係りの方に呼ばれて宴会場のステージに上がり、三本の紙芝居をしました。

みんなびっくりしてました。

そらそうでしょう、こんなの突然始まったら。

私もドキドキでしたが皆さんもドキドキだったと思います。

社員さんたちは総勢30名ほど、男性が多く、どちらかというと職人気質な方が多い印象でした。

マガジンハウスの雑誌とかは読んでなさそうな好感の持てる雰囲気でした。

そして、実際とってもいい方々でした。

宴席で出し物をすることは今までも何度か経験しましたが、まぁ食事もしてるし社交の場でもあるわけだからステージを見てくださる方は少ないんです(それが悪いと言ってるわけではありません。当然のことだし、もっと見て欲しかったらこちらが目を離せないようなことをすべきだと思います)。

でも、この日の皆さんはきちんと紙芝居を見て、笑ってくださいました。

終わったあとは社長さんのお隣で乾杯しました。

この社員旅行は、創立70周年を記念するものだったそうです。

そんな席に、こんなよくわからない人間を呼んでくださったとは…。

社員さんは「下町のしがない工場だよ」とおっしゃっていましたが、下町の工場マジ最高っす!

私なんかを呼んでみようって思うのも、紙芝居にウケてくださるのも、やっぱり江戸っ子の粋っていうの?そういうイケてる感性がいまも脈々と続く地区だよね、ってこれゴマ擦りじゃないですよ?

社員さんは皆いいお顔をしていて、会社を続けるというのは大事だなーとか、ひとつのところで頑張るのは素晴らしいことだなーと思いました。

私にもそういう道はあったのに(先ほど申し上げたように一瞬だけOLやったので)ちょっとのことが耐えられなかったなと思います。

カタギの仕事の人を見ると、自分はフワフワ社会の上澄みをすくってるズルい奴な気がします。

…なーんていうのも、なんか「酔ってる」感じですけどね。

「カタギ」とか言えるほど私はヤクザ稼業が板に付いてるわけでもなし、超中途半端な人間です。

いや、中途半端な人間だからこそこう思うのかもしれません。

だから、こんなズルがまかり通るわけがないんだから、今の私のこの貧困は当たり前だと思うわけです。

それでもこの日は運よくおギャラを頂けました。

そのため、「こんなちゃんとした人がズルい奴にお金を払う意味はなんだろう?」とマトモに考えてしまいました。

自分はよい見世物になれただろうかと自問自答しました。

この日は社長さんや役員さんたちが娘のように扱ってくださり、ビンゴ大会の景品を譲っていただいたり(実際50代の男性に美顔器が当たったりしたので、どうしていいかわからなかったというのもありましょうが)、「どんどん食え」とお料理をたんまりいただいたり、「困ってるならうちの会社に入るか?」とすら言われるという、「ねえちゃん頑張ってるな」という同情によって成立したお仕事だったように思います。

実はこの日は私の33歳の誕生日でした。

「娘のように可愛がられる」にはちょっとオーバーエイジだと思いました。

これは、前述したように「自分の年齢よりわざと早めに若者としての特権を切り捨てるいやらしさ」と捉えられるかもしれませんが、そうではなく、ここで「娘のように可愛がられる」に安住しては終わりだと思ったのです。

お金をもらって娘のように可愛がられちゃいかんだろう、出し物を楽しんでいただかないと。

翌日も予定があったので温泉には入らず、また一人で紙芝居を引きずって東京に戻りながら、堂々たる見世物になりたいと思った夜でした。

ご紹介くださったもんじゃ焼き「友民」のママさん、呼んでくださった社長さん・社員の皆さんには本当に感謝です。

皆様のおかげでこの月も私は生きられました。

精進する機会を与えていただいたと思っております。

またお会いできる機会があれば幸いです。ビガップ。


さて、このように堂々たる見世物にならなければ、と思った結果、私は現在悩んでおります。

自分で勝手にハードルを上げて、自分で勝手に動けなくなるという、これは思春期の引きこもりの子どもにもよく見られる傾向です。

しかし自分を許すのはもういい加減いやだなぁと思ったのです。

「いいよいいよ仕方ないよ」は確かに人を救うけれど、私は救われなきゃいけないようなひ弱な存在だろうか。

むしろこうして「まぁいいか」を自分に許すことで、もっと救われない状況に陥ってるんじゃないだろうか。

もっと救われない状況とはつまり、中途半端なことをやって中途半端に褒められて中途半端に呆れられるという状況です。

本当は悩んでるのも今に始まったことじゃなく、毎回物を作るときはいつも悩んでいましたが、悩んでいることを人前に出すのは躊躇してました。

だって格好悪いからね。

それに、「悩んで作りました!」ってもんが「え〜」って出来だったら「悩んでコレすか?」って突っ込まれちゃうけど、そういうこと言わなきゃ突っ込まれないじゃないですか。

でもこれって「勉強してないからできないだけです〜(ほんとはやればできるんです)」って言ってる生徒と変わらないような気がして、そうやって自分を守るいいわけばかりしていてもどうしようもないなぁと思い始めた最近です。

だからもっと鋭い突っ込みを入れられきちんと傷つくべく、格好悪いけれど悩んでいることも今後は表に出そうと決意した次第です。

とはいえ「悩んでる」「悩んでる」って言い過ぎるのも暑苦しいから適度にしておきたいところですが。

とにかく自分は思ってるよりタフだなぁという自負はあって、というのも二年ぐらい前に、当時はまだ足立区のスナックでバイトしてたのですが、ふとお客さんに紙芝居をやっていることを漏らしたら早速YouTubeで検索され「うわ〜つまんね〜!こんなのやってんの?さっさとやめろよギャハハハ」と笑われた挙句「こんなことしてんだからエロいんだろ」と体を触られるという事態に陥り、まぁそれもこれも私が無防備にカミングアウトしたから仕方ないことですし、このお客さんにだって上等なギャグでも返せればこんな目にも遭わなかったと思いますし、スナック女として時給を頂いてる以上は多少のセクハラも全く問題ないと思っているのですが、この日は恥ずかしいことに不覚にも傷ついてしまい、そんな自分が情けなく不甲斐なく、また今月の家賃も心配で、帰り道に「助けて」という気分が増幅し、いのちの電話相談に電話をかけるということをいたしました。

何度か話し中になったあとようやく繋がった電話は優しい女性の声で、私はまず自分の活動内容を説明しました。

そしたら「え〜、絵が描けるなんてすごいですね!私は絵心が全然ないので尊敬します」と言われ、なんつーか色々とズッコケてしまい、「あの…もう大丈夫です」といって電話を切りました。

それからビッグエーで見切り品になってたカブを買ったんだった。

帰って、カブの実の部分を塩もみして、葉の部分はゴマ油で炒めて、ビールを飲んだのだった。

そうして、ああもっと私なんかよりのっぴきならない事情であの電話をかけていた人がいたんだろうな、私の電話が繋がってしまったことでその人が話し中になってたら悪かったな、などと思い、このように思えるなんて自分にはまだまだ余裕があるじゃねぇか、と思い、だいたい「絵が描けるなんてすご〜い」って言われたぐらいで萎えるなんて大して切羽詰まってなかった証拠だよ、と思い、家賃が心配なくせにビール飲んでんじゃねーよ、とも思い、つまるところ自分は、「いのちの電話相談に電話する」ということをやってみたかったんだな、と結論しました。

以降、傷ついてても悩んでても、「そうしたくてしてるんだろう」と思っております。

なーんてね。淡々と書いてみたけど、やっぱこれ「お涙頂戴」的なエピソードだったかしら。きもいかしら。きもいわよね。特に淡々と書いてる風なのがきもいわよね。だって本当はこんなこと書かなくていいもの。

でも、書いて、同情を誘って、同情してくださった方が紙芝居や文章やイラストなんかのお仕事をくれればいいなぁって思ってるのワタクシ。

…このように私はふてぶてしい人間ですので、もっとちゃんと傷ついたほうがいいと思います。

ということで今月はこれから27日(土)に横浜で、28日(日)に秋葉原でライブを控えておりますが、どちらもどんなことをするか絶賛悩み中でございます。

ぜひ覗きにきてください★

なお2月は9日(金)に西麻布で投げ銭ライブ、14日(水)にはIKAZUGOKEで久々のトークショウ、28日(水)はババカヲルコさんとのツーマンライブを予定しております。

詳しくは飯田華子ホームページで→ https://iidahanako.jimdo.com

それと、今月は動画も一本作りました。

詩人の蛇口さんが初めて作・演出するひとり芝居「横なぐりの成長痛」のCMです。

ひとり芝居の主演はもりくんという、こちらも演劇初体験の詩人の青年です。

蛇口さんともりくんの出会いのエピソードもとってもよかったので、二人のドキュメンタリーをくっつけた「完全版」と、劇中で使われる朗読&アニメを短縮した「トーテムポール版」の二種類を公開しております。

「詩の朗読」というとよく知らない方からは「暗そう」とか「サムそう」とか言われることもあり、そしてそれも決して間違ってはいないのですが、朗読の現場を10年以上時々見てきた者としては、言葉が本当に飛び立って風景を変えるという現象を目の当たりにしたことがあります。

そんなことはほとんどなかったけれども、少しはあったのです。

その快感は、音楽でも漫画でも小説でも味わえなかったものでした。

まぁ、だから何ってことでもないんですけども、蛇口さんは、そうした快感を与えてくれた一人です。

そんな蛇口さんの初体験に、今回私は映像スタッフとして参加しますので、素敵な初夜を盛り上げられたらと思っております。




以上、遅ればせながら今年もよろしくお願いします。



*忘備録・2017年11月〜2018年1月初旬までのライブ*

11月

・4日:某社員旅行の宴会の余興in伊香保温泉(飯田華子ソロ)

・10日:IKAZUGOKEレコ発ギグ東京編inサラヴァ東京(IKAZUGOKE)

・23日:ワンマンライブinバブーシュカ(飯田華子ソロ)

・25日:月亭可朝レコ発ライブの前座inアウトブレイク(IKAZUGOKE)

・26日:ワインバー「goo」のイベントin南行徳(IKAZUGOKE)

・30日:銀座のクラブ「VOGUE」にてラップと紙芝居(飯田華子ソロ)

12月

・2日:倖田李梨さんのバンドLiLee+phallusイベントin代々木バーバラ(飯田華子ソロ)

・13日:「IKAZUGOKE年忘れギグ」in名古屋ブラジルコーヒー/ゲスト:チャーリー・ホッパー

・14日:「IKAZUGOKE年忘れワンマン」in大阪西成・釜晴れ

・16日:「出張円盤ーぽんこつな日々・後編ー」in大阪難波ベアーズ

・23日:「IKAZUGOKEクリスマス投げ銭ワンマン」in横浜日ノ出町・試聴室その3

・24日:「新松戸ゴールデン劇場クリスマスSP」in新松戸ファイヤーバード(IKAZUGOKE)

・27日:投げ銭ライブin渋谷スナック雨(飯田華子ソロ)

1月

・13日:赤犬ワンマンin代官山UNIT(IKAZUGOKEで寸劇に参加)

ご来場くださった皆様、ご一緒した皆様、お店・スタッフの皆様、誠にありがとうございました!!

大阪ツアー・東京レコ発・消費者

先週の土曜日に大阪レコ発、翌日曜日には「雑技道場キネマトス」というイベントに出演、台風の中、IKAZUGOKE大阪プチツアーを無事終了してまいりました。

ご来場くださった皆様、雨の中、ほんっとうにありがとうございました!!!

大阪レコ発は予約がずっと伸びず、どうなるんだろうと不安でしたが、蓋を開けてみるとたくさんの方がいらしてくださって(中にはお友達を連れてきてくれた方も♡)、泣きそうでした。

CDもたくさんお買い上げくださって本当に感謝です。

今回のこのCDアルバムは設定を色々作り込んだため(実は最初はシンプルにする予定でしたが、ジャケットをデザインしてくださったデザイナーさんが色々提案してくださり、だんだん悪ノリしていったのです)、この設定を元にどのようなライブにするか色々悩みました。

レコ発とはいえ、IKAZUGOKEはミュージシャンじゃないので、歌だけ歌ってもどうしようもありません。

歌っていうかラップだし。

しかも本職ラッパーじゃないし(では何が本職かというと謎ですが)

というわけでグオーっと悩みつつ台本を仕上げたのが本番4日前、それから二人で猛練習し、今回新たに紙芝居を描く必要もあったのでお絵描きもし、完全にできあがったのは出発日の早朝でした。

私は北村さんとの待ち合わせに遅刻し、なんとか新幹線には間に合って飛び込んだものの、徹夜つづきで頭は痺れてるし手は絵の具まみれだしおまけに台風だし、なんか脳がへんでした。

「悩んだ」とか書いちゃいましたけど、悩みたくて率先して悩んだわけです私は。

絵も描きたくて描いたわけです。

つまり己の快楽に没頭したわけです。

だからこのとき脳がへんだったのは、なんか快楽によってそおゆう状態に至ってたんじゃないかと思われます。

へんな状態で乗り込んだ大阪でしたが、レコ発も「キネマトス」も皆様が大変あたたかく、またレコ発ゲストのタカタカアキ&ナイトサパーズ(from赤犬)がほんとに素敵で刺激を受け、より一層へんになって帰ってこれました☆

皆様、大変お世話になりました!

東京に戻った現在、IKAZUGOKEはまたぞろ東京レコ発に向けて会議しております。

色々仕込んでいくんで、ぜひ遊びに来てください!!

ご予約いただいた方にはIKAZUGOKE書き下ろし「後家新聞」付き♡

2017年11月10日(金)
「IKAZUGOKEアルバム発売記念ギグ 東京編」
@渋谷・サラヴァ東京
19時開場 / 20時開演
予約2500円(1ドリンク別)/ 当日3000円(1ドリンク別)
ゲスト:河井克夫、宮崎吐夢
☆前売予約は会場にお問い合わせ又はこちらから→ ikazugoke2016@excite.co.jp



ところで最近気になってる言葉は「消費者」です。

上記の台本で悩んでいた際、先人の知恵を借りようと本棚をあさっていたのですが、そのときふと手にとった文庫で岡崎京子の短いエッセイを読んだのがきっかけです。

「私は以前フェミニズムを『なんか、嫌い』って書いたことがあるけど、それは当時の私が自分を『労働する者』や『生活者』ではなく『消費者』として認識していたからだろう」
っていうようなことが書いてあって(「謝罪ならびに現状報告その他」『FOR LADIES BY LADIES』近代ナリコ編/ちくま文庫)、これを言ったのが他ならぬ岡崎京子だったせいか、「消費者」って言葉にドキッとしました。

実に岡崎京子は「消費者」として東京を生きることの甘美と殺伐を描き切った作家です。

その後、内田樹『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』(2007年講談社文庫)を読んだら、まさにこの「消費者」というマインドについてを書いていたので、おお、なんか今私は「消費者」ってことについて考えるタイミングだったのだろうか?と思ってしまいました。

それで、何を考えたか書きたいんですけど、そのためにはまずこの『下流志向』の内容をご説明しなければならず、それだとすごく時間がかかってしまいそうです。

でもここのページにうまくまとまってるのを見つけました→ http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011071703510.html

でも、これを読んで分かった気になっちゃう感覚こそこの『下流志向』が警鐘を鳴らしてるものだと思うので、「興味ある〜」って思ったら実際に本を読むのがオススメです。

とにかく、この本を読んで、私は自分がめっちゃ「消費者」だな〜って思いました。

あと、この社会はすごく「消費者」というマインドに基づいて作られてるな〜とも思いました。

実はこの本は5年前にも一度読んでたのですが、その頃はあんまりピンとこず、今やっと理解できているのは、私があの頃よりも社会と触れたからでしょう。

やっぱさー、本もそうだし映画もだけど、見る時期で変わるよね。

だからライブもそうだよね。

一度見たライブがつまんなくても、別のときに見たら「おもしろ〜!」ってなるかもしれないから、またライブ来てくださいね。

…と、姑息な宣伝を挟みつつ本の話に戻ります。

本書には、「近代が目指した『自立した人間』とは『孤立した人間』である」というようなことも書かれていて、行かず後家の身としてはハッとしました。

私は恋人関係にも友人関係にもフィフティフィフティを求めていましたが、そのほうがお互いにとっていいことだと思っていたからですが、仕事上の付き合いではなく、私情で成り立つ生々しい人間関係にそんなルールは通用しません。

かくて孤立しています。

私はこの孤立をとても楽な状態だと思っていますが、これは消費者として生きる者の行き着く先なのかもしれません。

でも、孤立は楽でも、この世の中についてはどうも息苦しいと思ってます。

こんなへんな活動をしてるからってのもあるでしょうが、なんだか昔のモノを読んだり昔の人と話したりしてると、まだまだ昔はへんなものを受け入れてくれる余地があった気がして、今はなんともスキがなくなってる感じがするのです。

しかし、へんなものを受け入れる余地のあった時代には、泥臭く面倒臭い人間関係もまたしっかり存在していたわけです。

その面倒くささを排除した結果、同時に私のような者を受け入れてくれる余地も消えていったのではないでしょうか。

だとするなら、私のこの骨身に沁みついた消費者マインドが、結果的に私自身の首を絞めているといえます。

誰もが自分に都合のいいことを追求したら、そりゃあ世界にスキがなくなって息苦しくなるに決まっているのです。

誰にも迷惑をかけたくないしかけられたくないと孤立する、ということは、へんなものを面白がってくれる余地・余裕をなくしていく、ってことなんじゃないかと思いました。

また、この本には「今の子どもたちが『消費者』という観点からしかモノを捉えられないのは、その親もまた『消費者』だからだ」というようなことも書かれており、結局親を見て子は育つって話だな〜って思いました。

そういえば私は「母親教室」ってイベントもやってたのですが、その中でも、
「自分がこうなのは親がめちゃくちゃだったからで、ということは自分が子を生んだところできっとよくない影響を与えてしまうだろう、だから子は生みたくない」
という話が出てたのを思い出しました。

でもさー、と、今になってふと思ったのです。

確かに私は親の影響を多大に受けてはいる。けれど、今の私の考え方やモラルは、決して親からだけのものではない。

私を成り立たせているのは、今まで出会った色々な人や作品であり、その中の一部が親っていうだけです。

だから、たとえば私が子どもを生んでも、その子はそっくりそのまま私の影響を受けてダメになるわけじゃなく、色々な人に出会って、私ではないその子自身の人生を作り上げていくでしょう。

自分の人生が親のものではないとわかったときに、人は初めて子どもを生もうと思えるのかもしれないな、と思いました。


なんか、こう書いたら「そんな分かりきったことを」って感じですけど、この結論に至ったときパーっと鎖が解けた気がしたのです。

「子どもを生みたい」という気持ちになったからじゃなく(別にそうはならなかった)、「ああ、親のモラルから外れてもいいんだ」って思えたからです。

私は結構親に手間をかけて育ててもらった方じゃないかなって自覚してるんですけど、だからこそこのテイタラクはほんと申し訳ないな〜とこれでも一応思ってるわけです。

だから、親にとって不幸せだと思われる部分は、極力見せないようにしてきました。

しかし、たとえ理解されなくとも、私は自分でその不幸せ(かと思われるかもしれない状況)を引き受けたのだから、そうしたくてしたのだから、後ろめたいと感じなくてもいいんじゃないかと思えたのです。

いや、ちょっと違うかな、後ろめたくてもいいんじゃないかと思えた、といったほうが近いかも。

感情はスパッと割り切れないから、後ろめたさは死ぬまで続くかもしれないけれど、それはそれで、生きるということなんだろうと思います。

現実はロールプレイングゲームのような分かりやすいレベルアップはできないし、「こうなったからこうなる」というセオリーが必ずしも通用しません。いつも不測の事態ばかりです。

この世界はルール無用で、約束がなくて、生々しくて、へんてこです。

だから、何を思ったっていいんです。

人の幸せや不幸せは誰にもわかりません。

「消費者」という観点だけでは捉えられないものがたくさんあるのだろうな、私はずいぶんとそれに気づかずにいたんだろうな、と感じました。

…で、このような読書の旅をした結果、これとはあんまり関係のない台本が出来がりました☆

というわけで11月10日は何卒よろしくお願いしま〜す!

アートの思ひ出

先日久々に横浜寿町へ行きました。

労働センター跡地でやっていた野外劇を見に行ったのです。

開演前に敷地をウロついていると、5年前にこの町で一緒に劇をやったおっちゃんに遭遇しました。

おっちゃんは労働センターの団地に住んでいましたが、取り壊された今は近くのドヤにいるらしく、もともと呂律があやしい方ではあったけれどさらにレロレロになっていました。

聞けば、会わない間に×××で××していたそうです。

さすがっすね、と言うと、「もう携帯持てねぇから俺いつもあそこの前に座ってんだよ」と教えてくれました。

なるほど、だからこの町には何をするでもなくずっと座ってる人々がいるのか、と思いました。

あれは各人の受付窓口だったのです。

今度このおっちゃんに会いたくなったら「あそこ」に行けばいいのでしょう。

芝居は大変見事なセットで仕掛けも色々ありましたが、おっちゃんとのこの数分の邂逅が印象的だったせいかあまり集中できませんでした。

また、この劇が横浜トリエンナーレの一環であったため、「アート×地域」のプロジェクトを常々苦く思っていた私は、ちょっと構えて見てしまったところもあります。

そもそもこうしたアートプロジェクトを苦々しく思うキッカケになったのはこの寿町でした。

5年前、「寿町のドヤに滞在し、住民と関わりながら作品を仕上げる」というアートプロジェクトに参加したのです。

全国から「アーティスト」を自称する人々が集まり、独りよがりな「作品」を残していきました(私もその一人でした)。

とはいえ、このおかげで件のおっちゃんと劇ができたので、悪いことばかりではなかったと思っています。

しかし5年経った今もまだモヤモヤしています。

意義あるものにできそうな企画だったのに、やる側の自己満足で終わってしまったようで心残りなのです。

あのプロジェクトに関わった人たち・アーティストや区の職員は、今どう思っているのでしょう。

きっとどうも思ってないんじゃないかな、振り返りもしてないんじゃないかな、そもそも「自己満足」という認識すらないのかもしれないな、…なんて勝手に想像してしまいます。

私個人としては、ドヤに住むのは物珍しかったし、おっちゃんとの交流も愉快でした。

経験値アップ☆という高揚感もありました。

同時に、自分の差別意識を感じずにはいられませんでした。

私は明らかにドヤに住む人々を「見物」していました。

企画者は「おっちゃんたちと同じ目線でものを見て」と言いましたが、わざわざ「同じ目線」なんて言うのは、おっちゃんが自分たちと違う世界の住人だと思っているからです。

「目線」は一人一人違います。

「同じ目線」になるなんて施しです。

この企画の趣旨が「寿町という街を使って遊んじゃいましょう!」だったらそれでもよかったのですが、「地域の住民にとってよい刺激を」的な善行めいた感じだったので、気持ち悪さが拭えませんでした。

他の「アーティスト」はどう思ってるんだろう?と、みんなで集まっているときなどに少し聞いてみましたが、みんなあんまり自分の心の醜さを晒してくれませんでした。

いや、というか心が醜くなかったのかもしれません。

よしんば醜い心を持っていても、信頼できない相手にそんな部分をわざわざ教えてくれる露悪趣味な人もそういないのかもしれません。

意見交換をしながらこの街で何ができるかを考える「プロジェクト」だったので、だとしたら後ろ暗くねちっこい感情も見せ合いっこできるかな、なんて私は期待していたのですが。

「アーティスト」の皆様は「おっちゃん最高!」とか言ってて(まぁ実際最高なんですけどね)、二ヶ月の滞在を終えた作品発表会では「今、全てを肯定します」と感極まって宣言してましたが、その後寿町に行っている気配はあんまりないようです。

これは思い出づくりの一環だったのでしょうか。

滞在期間なんてこのプロジェクトが勝手に決めたことで、「アーティスト」が感極まろうがなんだろうがドヤの住民の生活は続きます。

勝手に来て勝手に「同じ目線」で交流し勝手に「肯定」して去った「アーティスト」は、しかしこの滞在を振り返れば「色々考えさせられた経験だった」と言うのでしょう。

「色々考えさせられた」とは実に座りのいい言葉です。

もちろん何も考えていなかったわけではないでしょうが、それを人に伝える努力もせず「色々考えさせられました」で締めてしまっては、結局何も考えてなかったのと同じに思えます。

…と、他者への批判は必ずブーメンランとなって返ってくるわけで、ではそんなことを言うお前はどうなんだと突っ込まれると、はい、私もくだらない「アーティスト」の一員なのでした。

「作品発表」はおっちゃんたちと公園で劇をして、この街の人々に楽しんでもらえることだけをとにかく考えて作りましたが、どうだったかはわかりません。

その後、滞在期間が終わったあとも何度か寿町に行っておっちゃんと飲みました。

単純におっちゃんと会いたかったというのもありますが、「私はあんなふうに思い出づくりにしちゃう安直な『アーティスト』とは違うわ」という気持ちもありました。

滞在はただのきっかけに過ぎず、自分がここで何ができるかを引き続き考えていかなければいけない、それがこの企画に関わった人間としての責任だ、という青臭い使命感もありました。

でも飲み代は私が多く出していました。

生活保護を受けている人にそんなに出させられなかったのです。

この関係は対等なんだろうか?という葛藤がありました。

しかし、働けないこと・だから生活保護を受けていること・そのことでどんどん気持ちが塞いでいくことを知ると、おっちゃん自身は「多めに出して」なんてまったく言ってないのに、私は勝手に財布を開いていたのでした。

そうしながら約半年、横浜のカフェで私のワンマンライブのお誘いがかかったので、再びこのおっちゃん劇団にも出てもらうことにしました。

投げ銭形式だったので、たとえ少額でも絶対ギャラを払えると思ったからです。

働けない体でも見世物にはなれます。

見世物になってお金を貰ったら、何か変わるかもしれないと思いました。

また、物見遊山気分でドヤに泊まり、おっちゃんを見物し、まるで見料のように飲み代を出した私は、おっちゃんたちと一緒に見世物になり、一緒に見料を取りたかったのです。

ライブはおかげさまでたくさんの方が来てくださり、おっちゃんたちにも思っていたより多くのギャラを払えました。

とても嬉しかったです。

ただ、やはり稽古が大変でした。

これはそう続けられないなと思いました。

おっちゃんたちも続けたいとは言いませんでした。

そうこうするうち忙しくなり、バイトも変わって私自身はより赤貧になり、気づけば日々の暮らしに追われて寿町のことは「思い出」になっていました。

そう、私こそが「独りよがりなアーティスト」だったのでした。

己自身も覚束ないのに自分に何かできると思っていたのでした。

久々に寿町に行っておっちゃんに会い、ああ私は力んでいたんだな、と感じました。

これからはプロジェクトどうこうじゃなく、一個人としておっちゃんに会おう、「何かのために」ではなく私自身の楽しみとして一緒に飲もう、と思いました。

「コンセプト」もしくは「テーマ」もしくは「大義名分」は大事です。

しかし私はそういうものに舞い上がって力んでしまう人間です。

力んだ結果何も見えなくなってしまったりします。

大きな言葉に囚われて実感をおろそかにしてはいけないなぁと改めて感じました。

実感に頼りすぎても視野が狭くなりそうですが。

要はバランスが大事ですよね、

…って締めようとしましたが、「『大事』ってなんだい」ってふと思っちゃいました。

こういう力みが邪魔なんだよ、ってね。

「べき」や「ねばならない」はもういい、好きなようにすりゃいいじゃん、ていうか好きなようにしかできないじゃん。

だから私はもう責任感としてではなく、個人の趣味嗜好として、自分が寿町のアートプロジェクトをただの「思い出」にしてしまったことを、これからも心の痛みとします。

そしてこの経験でどうふざけられるかを考えます。

寿町の「あそこ」へおっちゃんに会いに行き、今度は割り勘で飲みたいなと思います。

パオパオ☆

10月より酔民とVOGUEをお休みします(9/11の感想・今後の予定・研究報告)

9月11日(月)は甲府にて「なべやかん大喜利大会」に出場してきました。

司会進行はなべやかんさん、大喜利回答者は総勢15名、A・B・Cの3ブロックに分かれて対戦、合間にプロレスの試合も挟まるというがっつりエンターテインメントでした☆

大喜利は面白い回答がもちろんメインだけど、それを仕切ったりいじったり場を賑やかしたりする人がいることによって、さらに面白くなるものなんだな〜と実感しました。

ちなみに私はお察しの通り、お下劣な回答ばかりして参りました。

決勝戦はSGさんと私と石川浩司さん(exたま)の三人、プラス特別枠でよしえつねおさん。

よしえつねおさんのとにかくケツを出す姿勢、SGさんの機転、石川さんの人間としての分厚さ、そしてなべやかんさんの愛とテンポある仕切りに圧倒されました(優勝は石川浩司さん☆)!

芸人さんやレスラーさんは皆やさしく、お客様も大変あたたかく、楽しい気持ちで帰途につけました。

主催のTHOGOさんに心から感謝です!

ご覧くださった皆様、ご一緒した皆様、ありがとうございました!


さて、IKAZUGOKEアルバム発売に向けて現在チューニング中の私ですが、毎週火曜日に出ていた荒川のバー「酔民」、水曜日に出ていた銀座のクラブ「VOGUE」を10月から一時お休みします。

これからちょっとスケジュールが変則的になりそうなので、それぞれのお店のママさんにご相談し、このような形にいたしました。

もちろんまだ9月いっぱいはどちらも出ますので、お店でお会いできる機会があれば幸甚です。

火曜日の酔民はカウンターのみの小さなお店ですので、場合によってはお座りいただけない可能性もございます(でも日によってはとってもゆったりお座りいただけるのでなんともいえないんですけどね…)
お問い合わせください☆
※ちなみに9月19日(火)のほうはありがたいことに団体様でご予約いただいております!

水曜日のVOGUEは本日13日も元気に出勤予定!
おいしいお酒をご一緒に飲めたら嬉しいです♡
こちらもぜひお問い合わせください!

私のホームページの「自己紹介」ってとこをクリックすると色んなバーが出てくるので、その中の「お店」という項目を選んでください。それぞれの情報をご覧いただけます☆
https://iidahanako.jimdo.com

そしてお問い合わせといえば!

9月30日(土)に下北沢の本屋B&Bでトークショウがございます!

2017年9月30日(土)
石丸元章×北村早樹子×飯田華子「本日、東京拘置所から参りました!」
@下北沢・本屋B&B
18:30開場/19:00〜21:00
入場料1500yen+1drink order
出演:石丸元章(ライター/作家/詩人/GONZOジャーナリスト)、北村早樹子(歌手)、飯田華子
※イベント詳細:http://bookandbeer.com/event/2017093002_bt/


こちらは北村早樹子さんによるイベント紹介文↓

【名だたるスターたちがお住まいの東京拘置所。
ああ、憧れの東京拘置所。
あの敷地内へ、一年に一度だけ、誰もが入れる日があることを、みなさまご存知でしょうか?
そう、東京拘置所開放デーです!
本日9月30日が、今年の東京拘置所開放デーなのです!
なにかと拘置所にゆかりのある(おっと失礼)、ライター石丸元章さんをお迎えし、3人でおいしいおいしい拘置所飯=プリズン弁当をつつきながら、楽しく東京拘置所にまつわるお話をしたいと思います。】

「母親教室」とはまた違った、無頼派トークをお楽しみいただけると思います。

ぜひぜひぜひお問い合わせ&ご予約お待ちしております☆


あとこの前日9月29日(金)には私ソロでキャットファイトの幕間紙芝居をやりますので、そちらもよろしくお願いします!

2017年9月29日(金)
CPEキャットファイト夏祭り どきッ!女だらけのキャットファイト祭2017 〜はちゃめちゃお下品熱帯夜〜
@新木場1stリング
18:00 OPEN /19:00 START (22時終了予定)
イベントに関する問い合わせ:090-8649-8861(CPE SPACE)
イベント詳細:http://ameblo.jp/thogo/entry-12281332655.html



はい、というわけで情報が錯綜しましたね。

人の予定ってただでさえ覚えられないのに順不同で詰め込まれても混乱しますよね。

じゃあ書いたことを時系列順にまとめますね。

9/11(月)甲府で大喜利大会に出て楽しかったです。

9/29(金)新木場にてキャットファイトの幕間に紙芝居するのでご覧いただきたいです。

9/30(土)下北沢にてトークショウするのでぜひいらしてください。

10月〜荒川のバーと銀座のお店をお休みします。


こんな感じです。どうぞよろしくお願いいたします☆

以上、お知らせ満載のブログでした。

でもブログがお知らせばっかりなんてがっかり DA.YO.NE!

もっとがっつり 下衆の勘繰り 晒せ お前の下世話なデイリー!

…すみません、ちょっとバイブスが。

しかしここ最近はまったく健全に生きているので(というと昔は不健全だったかのようで格好いい☆)、ご報告できる下世話なことがありません。

とりあえず前回の続きでヤンキーを研究してます。

住んでいるのが足立区なのでサンプルには事欠かず、近所に生息する雌ヤンキーを横目で見たりしています。

年輪を重ねたヤンキーもいれば若いヤンキーもいます。

子ヤンキーは母ヤンキーに「かるあ」「きらり」と名付けられ、スーパーでお菓子をねだると「うるせぇんだよ!」とすごまれます。

母ヤンキーはこうやって怖い声の出し方を子ヤンキーに教えているのです。

また、度を越したはしゃぎ方をすると「このことぜってーパパに言うからな」と脅されます。

これもまた教育であり、こうして子ヤンキーは脅し方を学んでいくのです。

子ヤンキーの雌は思春期になると夏休みに髪を染めます。

二学期が始まったこの時期は、こうして一つステップアップした若い雌ヤンキーが駅前に群がります。

線路から運ばれる都心の香りを嗅ぐためでしょうか。

しかし彼女たちは決して上野より西には行きません。

「新宿は治安が悪いからこわい」と言います。

治安ということでいえばこの街も相当アレなんじゃ…と思いますが、もしかしたら台東区を超えると生態系が変わるのかもしれません。

今後も観察と、怖い顔の練習を続けていきたいと思います。

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チューニング

お久しぶりのブログです。

この数ヶ月何をしていたかというと、CDアルバムの制作に勤しんでおりました。

現在もまだ色々と作業中。

そう、北村早樹子×飯田華子ユニット「IKAZUGOKE」の1stアルバムが11月1日に発売されるのです!

色々工夫を凝らしたブツになりましたので、どうぞよろしくお願いします!→ https://ikazugoke.jimdo.com/goods/ikazugoke/

私はこのようにきちんとCDを出したことがないので、ていうかそもそも音楽をやってきたわけではないからそんな発想すらなかったので、今回は初めて知ることばかりです。

単にCDをこしらえて売りたいってだけでも、いろんな手続きや書類のやりとりが必要なんですね。

今までミュージシャンは社会不適合者ばかりと思っていましたが、みんなこんな大人っぽいことをしていたのか!と瞠目しました。

自分の知ってる世界の中だけで人を判断するのはよくないことです。

さて作るからには売りたいので、まずは興味を持っていただくことが大事だと思いました。

やはり、見た目でしょうか。

形から入る者にろくな人間はいませんが、私は形から入らなくてもたいしたことのない人間です。

きちんとした内面を持ち、それが外見にも滲み出るような人になるのは、おそらく今生では無理かと思われます。

従ってとりあえず見た目をチューニングしようと思いました。

で、眉毛を剃りました。

というのも、先日IKAZUGOKE相方の北村早樹子さんと「実話ナックルズナイト」というトークイベントを見に行き(北村さんがティーンの頃からの「実話ナックルズ」愛読者なので)、ヤンキー界の重鎮・岩橋健一郎先生のコーナーで数々のヤンキーの顔を見たからです。

「無思想は疾走するしかない」とは私の好きな詩人・蛾兆ボルカさんの言葉ですが、なんかそういう顔でした。

思い起こせば私は10代の頃ヤンキーが好きでした。

私自身にヤンキー気質が皆無なせいかもしれません。

喧嘩とかできないもん。

あと、身の回りにヤンキーがいなかったから憧れたというのもあります。

文化的な感じの人が多い杉並区の学校に通っていたため、文化的なのっていやだなぁと思っていました。

学校帰りに通る井の頭公園で、路上ライブや詩集を売る若者を見るにつけ、いまいましい気持ちでした。

中央線沿線で自己表現をするなんて、人間として最低な行為だと思いました(まさか自分がのちにその最低な行為をするとは思ってもみませんでした)。

「詩」とかいって、どうせまともに作文も書けないやつがなんとなくそれっぽい言葉を羅列しただけでしょ?そんで「感性」とか言うんでしょ?そんな面白くもない感性見せつけるぐらいならいっそ言葉を持たないほうがずっといいって。見よ、ヤンキーの語彙力を。「なんだてめぇ」「ぶっ殺す」「一生守る」…格好いい!

脱・お文化、脱・杉並(&中野&世田谷)が当時のポリシーでした。

あるときは無意味に新小岩まで電車に乗っていき、下品な街の香りを胸いっぱい吸い込みました。

またあるときはKANIのジャージで遊びに行き、下北沢の古着屋さんでコーディネートしてるような同級生から「うわ〜」って顔をされました。
(ギャルにも憧れていたので金髪のカツラに銀色のブーツで登場したこともあります…よくみんな遊んでくれたと思います)

タバコを吸い、浜崎あゆみを聞き、「チャンプロード」と「egg」を読みました。

けれどもヤンキーは群れなければなりません。

私にはヤンキー仲間がいませんでした。

「地元の上下関係」といったものからも外れていました。

ていうか地元に友達がほとんどいませんでした。

先輩の名前とかを出してスゴんだりしたかったけど、先輩もスゴむ相手もいませんでした。

というわけで大変残念ながらヤンキーにもギャルにも挫折し、以後は「変じゃなければいい」という基準で服を選ぶ地味な人間になりました。

ここ数年はお金もないのでほとんど服を買っていません。

もういまさら自分の容姿に希望も絶望もないし、まぁ「普通」って路線をキープできればいいやと思っていました。

しかしながら、ここにきてCDのプロモーションという課題が発生し、普通の外見でいると興味を持っていただきづらいかもしれないという危惧が芽生えてきました。

ご存知のとおり、IKAZUGOKE相方の北村さんはパーペキにキャラ立ちしていらっしゃいます。

北村さんがいるから私のほうは目立たなくても大丈夫って気もしますが、どうせ二人いるなら、二人とも違ったベクトルで(見た目が)キャラ立ちしてるほうが面白そうじゃないですか。

というわけでナックルズナイトを見たあとに北村さんと相談し、
「コンサバおねえさん路線」
「水商売風路線」
などなど出ましたが、やはり二人とも岩橋先生のコーナーが印象的だったのか、「ヤンキー路線でいこう」となりました。

一度挫折したヤンキーにもう一度トライ。

15歳のときの憧れをふたたび。

ちなみに北村さんがあのスタイルになったのも15歳のときだそうです。

それまでは髪も長く二つ結びにしていて、メガネもしていなかったとか。

だから今後は二人とも15歳の頃にチューニングを合わせるわけですね。

どちらも32歳ですが。

現在、私の眉毛は大変細く剃られております。

本当に喧嘩になったら絶対勝てないので、主に自分の部屋でのみメンチを切っております。

飼い猫の名前は「金太郎」ですが、今後は「錦汰露悪(きんたろお)」と呼ぶようにします。

今後とも生暖かく見守っていただけましたら幸甚です。


ところで前回は6月23日にライブをやる、というところで終わっておりました。

おかげさまであの日は、いらしてくださった方々の投げ銭と物販のお買い上げで、リアルに生活が助かりました!

本当にありがとうございました!!

「スナック雨」のママ・千絵ノムラさんにも大変感謝!!

その後、7月7日に秋葉原グッドマンでIKAZUGOKEライブ、8月10日に日ノ出町試聴室でソロワンマンライブ(こちらも投げ銭たくさんありがとうございました!涙)、8月13日に新松戸ファイヤーバードにソロ出演(対バンの方々素晴らしかったです!)、8月25日に阿佐ヶ谷よるのひるねで「母親教室」最終回、…というスケジュールでした。

どれもお客様とスタッフの皆様のおかげで、楽しくライブできました!

ありがたいことになんとか生活も支えられ、いろんな方に救われた夏でした。

心からお礼を申し上げます。

ありがとうございました!!

秋からの展開も、どうぞお楽しみに★


ライブ予定

9月11日(月)甲府「なべやかん大喜利大会」

9月16日(土)岐阜にてライブ

9月29日(金)新木場1stリング「CPEキャットファイト夏祭り どきッ!女だらけのキャットファイト祭2017 〜はちゃめちゃお下品熱帯夜〜」(キャットファイトの幕間にプロレスリングで紙芝居します)

9月30日(土)下北沢「石丸元章×北村早樹子×飯田華子『本日、東京拘置所から参りました!』」(本屋さんでトークショウ)

10月21日(土)大阪・難波「IKAZUGOKEアルバム発売記念ギグ」大阪編/ ゲスト:タカタカアキ&ナイトサパーズ(from赤犬)

10月22日(日)大阪(IKAZUGOKEでライブ)

11月10日(金)渋谷「IKAZUGOKEアルバム発売記念ギグ」東京編/ ゲスト:河井克夫、宮崎吐夢

11月23日(祝木)下北沢(飯田華子ワンマンライブ)

詳細はこちら→ https://iidahanako.jimdo.com/ライブ予定/

急遽

「今月はライブはない」と書きましたが、急遽一本決まりました。

6月23日(金)、渋谷の「スナック雨」にて投げ銭ライブやります。

実は今月ひとつ仕事の契約が終わり、ということはマネーが大変ピンチになり、さぁどうしたもんかと途方に暮れていたところ、「スナック雨」のママ・千絵ノムラさんが、
「うちで投げ銭ライブやれば?」
と言ってくださったのです。

ありがたい…。

生活が苦しいならもっとバイトすればいいでしょう。

でも、できることなら、紙芝居を作ったりやったり、絵を描いたり、文章を書いたり、そういうことで収入を得る道を模索したいお年頃です。

ならばもっと営業して、断られて当たり前と思っていろんなところに声かけて、人脈を広げなさいと年長の方からは言われます。

本当にその通りだと思います。

そう、人脈。

おお、人脈。

私は人に好かれたい。

好かれたいあまり嫌われるのが怖くなり誰にも会いたくなくなるほどです。

本当に私は打たれ弱いというか、打たれてもいないのに弱いというか、先日も自分の描いた漫画と小説を出版業界の方に「読んでください」とお渡ししたあと、なんでそんなことしたんだろうとくよくよしました。

「読まなきゃいけない」って思わせちゃった、心に負担をかけてしまった、いや、きっと向こうはそんなこと日常茶飯事だろう、たいして気にしてないだろう、なんならもう捨てただろう、しかし捨てるのも後味が悪いだろう、ああなんて余計なことをしてしまったのだろう、みたいな。

こんな気持ちは誰もが経験したもので、わざわざ書いたところで繊細さのアッピールにもならないと思います。

ではなぜ書いたかというと、まぁ、あの、やっぱり繊細さをアッピールしたかったからなんですが。へへ。

「人脈広げようよ」って言われた瞬間帰りたくなる気持ちを、繊細な皆様と共有したかった次第です。

そういえば、さっきパラパラ読んだ女性誌で、ゲッターズ飯田が、
「自分はメンタルが弱いと自己申告する人は、自分の幼稚さを世間に晒して平気なくらい図太い人だ」
と言っていました。

とするなら私は図太い。

幸い体も健康です。

「自己アピールとか苦手なんですぅ、奥ゆかしいんで」なんて言いながらチラチラとチャンスを伺うことはいい加減やめて、できるやり方でできる場所を探して食いつくしかありません。

というわけで来週は「スナック雨」でできる限りのことをしちゃうぞ☆

「スナック雨」のママ・千絵さんは大学の同級生で、現在は劇団ビニヰルテアタアを主宰したり、ライターとして文章を書いたりもしています。

2年前に私が作演したミュージカル「二十四の瞳ちゃん」ではヤエバちゃん役で出演してくれました。

今回の投げ銭ライブでは千絵ママと私の変なダンスも1分くらいやります♡

東京では久々のソロライブなのでお楽しみいただけるよう頑張ります!!

ぜひ来てください!!

2017年6月23日(金)
「スナック雨」投げ銭ライブ
@渋谷・スナック雨
18時オープン/20時スタート
チャージ700円、ドリンク500円〜
投げ銭

2月後半から5月までのこと

福満しげゆきのエッセイ漫画で、女性編集者と仕事の話をしているとき、
「君、そんな真面目な話しててもおっぱいがついてるじゃん。それってエロいやつじゃん。そんなのつけて何言っても説得力ないよ」
と思ってるシーンがありました。

自らのクズっぷりを面白く冷徹に描くので、私は福満しげゆきの漫画は好きです。

『僕の小規模な生活』5-6巻の回想編は泣きました。

『かわい子ちゃんを二度見る』や『生活』などのストーリー漫画も面白かったです。

だから、今言った女性編集者とのシーンについても、「こんなこと思うなんて女性蔑視ざます!」と糾弾するつもりはありません。

しかしこれは、「女体とは発情される器である」という事実を突きつけられた一コマでした。

いえ、もちろん「仕事中に仕事相手をそんな目で見ないよ」と仰る紳士がほとんどだとは思います。

でも下衆な私は「本当に本当?」と疑ってしまいます。

表面では性などないフリをして仕事しながら、裏では女性社員の品定めをして、「今日あんなワンピース着てきたけど勘違いしてんじゃねえの?」と嗤ったり、「どうやら彼氏にフラれたらしい」と噂したり、「あいつは俺に色目を使っていた」なんてほくそ笑んだり、男ってそういうもんじゃないでしょうか。

だって女もそうだから。

そう、女体が発情される器であるのと同様、男の体もまた発情される器なのでした。

とか言うと、「えぇ、会社の女ったら俺のことそんな目で見てたのぉ?」とまんざらでもない顔でニヤつく殿方の顔が浮かびますが、そういう方に限って平気で鼻毛をわっさり出してたり、そんでもってその鼻毛の先っちょに鼻くそ付けてたりするのが世の摂理です。

ほら、男性諸氏も思い当たるでしょう、「女性専用車両ができて安心だわ〜」なんて言ってる女に限って「お前だけは触らねぇよ!」と言いたくなるご面相だったりするケース。

でも、「お前だけはそんな目で見ねぇよ!」と言いたくなる時点で、私たちはその人を性的な存在として見ているともいえます。

だって、「発情される器として不適格である」と思っているわけですから、「こいつは私(俺)の欲情を刺激するかどうか」っていう無意識の審査をしているのです。

自分がその人に発情するかしないかは別として、私たちは他人をどうしても性的な目で見ちゃうのではないでしょうか。

ということは、誰もが「やりてぇ」とか「無理」とかいった審査の視線に晒されているといえるのではないでしょうか。

なんて恐ろしい世界でしょうか。

そんな視線をよしとしちゃ色々と業務が滞るから、ちゃんちゃらおかしいお題目ではあるけれど「仕事相手をそんな目で見ないよ」と紳士淑女は言うのでしょう。

仕事の場では、皆、性を匂わせないよう気をつけているふうに見えます。特に女性は。

「男っぽいよね」と女性に言うのが今なお褒め言葉だったりすることを考えると、やはり「女っぽさ」は封印すべきことなのかと感じます。

ただ、ときどき女は女っぽさを全開にしたくなるときがあって、だけども仕事用にかぶった「女っぽくないフリ」が板に付いちゃった身としては、プライベートであっても「今さらどんな顔して女ぶればいいの?」とためらってしまいます。

手料理や髪の毛を巻くなんて女みたいなこと、女を封印していた身としては恥ずかしくてできません。

そういうときの便利な言い訳が「女子力」という言葉なんだと思っていました。

女みたいな恥ずかしいことをするのでも、「女子力上げようと思ってさ☆」と言えば軽い諧謔になるからです。

私の感覚ですが、おしゃれな手料理でもてなしたり、髪を綺麗に巻いたりするのは、モテたいからではありません。

だって現実の男はサーモンのピンチョスより肉じゃがを歓迎するし、髪をくるくる巻いてお化粧したって「すっぴんのほうが好き」なんて言ったりするじゃないですか。

けれど女は肉じゃがよりサーモンのピンチョスを作るほうが心ときめくし、髪を巻いてお化粧したいのです。

モテるためではなく、女が心ゆくまで女っぽく振る舞うための、そしてその行為を自分自身に許すための言葉が「女子力」だと思っていました。

従って、「女子力の高い女性が好き!」なんて男性がいるわけなかろうと思っていました。

しかし、この話を友人の男性にしたところ、「男の言う『女子力』はそういう意味とは違う」と指摘されました。

男にとっての女子力は「気がきく」とか「男を立ててくれる」とかを指すようです。

そうか、だから「女子力アップで彼氏をゲット!」なんて文言が飛び交っていたのか!と私は目からウロコでした。

その友人は「男って本当に男の都合のいいようにしか解釈しないんだよ」と言ってくれましたが、それをいうなら私もまた私の都合のいいように「女子力」を解釈していたわけです。

しかし最近は「女子力」という言葉も聞かなくなったような気がします。

もうみんなそこの問題は解決したんでしょうか。ていうか結局女子力ってなんだったんでしょうか。

ちなみに私自身は、女っぽい振る舞いをすることにやはり照れがあります。

「女だから付いてくる特典」みたいなものを享受することは、卑怯なことではないかとためらってしまいます。

…なんていいつつ、結構享受してますが。

とりあえず、私が銀座のお店で紙芝居をできるのは、私が女だからに他ならないと思います。

そうそう、前回のブログは「今週北村早樹子さんと銀座のお店でライブします!」ってとこで終わってましたね。

もうかなり前のことになってしまったけれど、おかげさまで無事遂行することができました。

主役であるお誕生日のお客様にウケていただけたので大変嬉しかったです。

お酒を飲みに来るための場所なので、設備もお客様のモチベーションも普段とは全然違うところでしたが、北村さんは動じず、むしろ激しくロックで格好よかったです。

「この演目で本当にウケるだろうか?」とドキドキしていた私でしたが、北村さんがキーボードを叩き、青い怒りの炎をほとばしらせた瞬間、「よし、いこう」と覚悟が決まりました。

普段ソロで活動している身ですが、尊敬できる相方と一緒にやるのはまた違った楽しさがあります。

その後、3月4月5月と、北村さんを含め色々な方とステージに立つ機会が続きました。

3月11日にひとつソロライブを挟み(LiLee+phallus企画でした。ご覧下さった方々、対バンの皆様、LiLee+phallusの皆様、ありがとうございました!)、

3月19日には刃喰いさんとのコラボ企画がありました。

一夜限りの興行でしたが、稽古を重ね、美術を作り、かなり時間を費やしました。

刃喰いさんは殺陣のショウをやる二人組の男性ですが、どちらもそれとは別でお仕事もされています。

殺陣でも色々なところからお呼びがかかっていますので、私からはどちらが本業かわかりませんが、ショウとはまた違う体を使う現場でもめちゃくちゃ働いてらっしゃいます。

夜勤明けで稽古とか、稽古のあとに夜勤とかのハードスケジュールもたびたびでした。

しかしお二方とも、体も辛いし時間もないだろうに、全然愚痴を言わず、むしろこちらを気遣ってくださいました。

衣装に着替える背中は、体を使う人独特の機能的な筋肉に満ちていて、実に男らしかったです。

身も心もぶよぶよの私ですが、こういう方々とご一緒していると、弱音を吐いてはいけないと気が引き締まります。

が。

稽古中、私は刃喰いのお一人・テルさんから「女っぽいよね」と言われました。

そのときは差し入れに手料理を持っていったわけでも、ましてや心憎い気遣いをしたわけでもなく、むしろドすっぴんで作業着でしたが、それでも「女っぽい」ってことは…?と動揺し、「私ったら愚痴っぽかった?かわいぶって甘えてた?自分ができないことを人のせいにしてた?」と思ってしまいました。

あとで聞いたら、テルさんはそういう意味でおっしゃったのではなく、私の作る物語や感覚についてを指していたようですが。

ここで私は自分自身の女性差別を改めて感じた次第です。

私は、女は愚痴っぽくてかわいぶって甘えて人のせいにする生き物だと思っているのでした。

だから、自分は女でありながら、女を超えた存在でありたいと思っているのでした。

女っぽく振る舞うことへの照れがあるその裏には、「女みたいなもんと私を一緒にするな!」という選民意識があるのだと気付きました。

そのくせさっきも述べた通り、女としての特典はちゃっかり頂いているのだから始末におえません。

ていうかここまで読んだ方は、じゃああんたなんでホステスのバイトしてるんですか?って思いますよね。ですよね。

それはね、勉強したいと思ったからなんです。

まず、ライブでお金をいただくというのは大変難しいことです。

実体がないからです。

ライブを見に行くとき、私たちは「楽しい時間」というものすごく実体のないものにお金を出しています。

でもそれがいいライブだったら満足して帰途につけます。

女性のいるお店も同様で、お客様は「楽しい時間」という実体のないものにお金を払います。

もちろん、口説こうとか肉体関係を持ちたいといった気持ちもあるかもしれませんが、それが達成されなくても、楽しい会話でおいしくお酒が飲めたら、きっと満足して帰途につける…はず…

…いや…

…どうなの私?

それ綺麗事じゃないの?

この建前を信じといたほうがラクだから言ってるだけじゃないの?

だってホストクラブ行ったときどうだったよ?(※参照http://blog.livedoor.jp/akachan1104/archives/52126105.html

本当はあのおできオヤジを口説き落としたかったんだろうが!でも金かかりそうだったから諦めたんだろうが!そんでしょんぼり帰ったんだろうが!で、ハマったらやばいって二度と行かなかったんだろうが!

だいたい初めて入った店で金も遣わず「あわよくば」を妄想するなんて図々しいんだよ!

…失礼、脳内ツッコミがちょっと。

そう、私は遊び慣れていない野暮な女なのでした。

夜の世界の粋な楽しみなんて実はよくわからないのでした。

「ちっ、やらせねぇのかよ」と吐き捨てるケチなジジイと心は同じなのでした。

なので、自分のライブに来てくださったお客様に対しても、「本当にご満足いただけたんでしょうか?」といつも心配でたまりません。

私はそんなにコケティッシュなタイプでもないけれど、10年もやっていると時々は私個人と親しくなりたい方もいらして、そういう方は私のライブよりも私と飲みに行くことのほうが好きだったりします。

いや、「一緒に飲んで楽しい相手」と思っていただけるなんて大変名誉ではあります。

でも、ライブではなく飲みに行くお誘いだけが増えると、「そうか、この方は私のライブを我慢して見てくださってたんだな」という気持ちになります。

そうなりますとライブをしていても、「皆様、苦痛なお時間を強いてしまい申し訳ありません、このあとお詫びに接待いたしますので」と思ってしまいます。

しかしながら別に私と飲みたくない人もいるだろうし、ていうかそもそも私は接待やトークが上手なわけでもないので、お客さんが自分と飲みたがっていると思うなんて傲慢じゃないのか?という疑問も浮かびます。

いったい、自分の表現したものを目当てにしてくださってると思うのと、自分と飲むことを目当てにしてくださってると思うのと、どちらが傲慢なのでしょうか?

果てしない自己問答で、心が千々に乱れるのでした。

そんならやめりゃいいんですけど、やはりライブは続けたいのです。

なので、肉体という実体ではなく「楽しい時間」という実体のないものを売る夜の世界で、ロープーの女性たちに学びたいと思ったのでした。

そうすることで、自分のライブも「楽しい時間」にできるのではないかと思ったのでした。

そもそも「楽しい時間」ってものを見たかったのでした。

せっかくお声をかけていただいたご縁だし。

というわけなのだから、いい加減「女っぽくするのはためらいが…」なんて言ってないできちんと女装しなきゃいけないのに、まだまだダメですね、腹のくくり方が甘いです、私は。

ついつい「今媚びてしまった」と恥じ、「こんな容姿のくせにもったいぶってしまった」と自己嫌悪に陥ります。

ギャグにならない女装は難しいです。

客観性を持つ人間でありたい、というくだらない自尊心のせいかもしれません。

…さて、このままいくと刃喰いさんとの思い出は「女っぽいと言われた」ことだけに集約されてしまいそうなので、ちょっと話を戻します。

この興行は、子宮の中の精子の物語でした。

ヴァギナに放出された精子は、精子同士の戦いや白血球との戦いがあります。

戦う精子くんをテルさんとムロさん(刃喰いのもうお一人です)が担当し、私はその精子を体内に持つ「女」のポジションでした。

テーマと構成はテルさんが考えてくださいました。

私の仕事は美術全般と、劇中歌としてのラップの作詞作曲と、この構成に寄せたオリジナル紙芝居を作ることでした。

ラップについては、「男をバカにするようなものにしてほしい」と言われました。

でも、バカにするのは難しかったです。

別に男をリスペクトしてるからではありません。

さきほどから私は「女」を軽蔑した物言いをしていますが(実際にいる人をどう思うかではなく、あくまで性別のイメージの話として)、「男」のことは憎んでいます。

「女」を貶めたからです。

…とかいうとフェミニズムっぽいですか?

てかフェミニズムのイメージってどんなんだろか?人によっても違うはずですが。

私のフェミニズムのイメージは、
【関心のない人にはいまだに「『男が悪い!』って叫ぶ女の集団」って思われてそうだけど、なんか色々学術用語の飛び交うアカデミックな思想】
って感じです。

だから期待してるけどおいそれと引用したくないです。自分のバカさがバレそうで。

ですので、私の男への憎悪も、思想としてではなく私憤として捉えていただきたいです。

話が脱線しました。

なぜ「男」が「女」を貶めたかというと、私が前述した「女」の嫌なイメージ(=愚痴っぽくてかわいぶって甘えて人のせいにする生き物)は、今まで出会った「男」が言ってたことだからです。

私は「男」の価値観に影響されて自分の価値観を形成しました、おかげで自分の性別を軽蔑しなければならなくなりました、また、私は女であるというだけでこの「女」と同じ生き物として「男」から軽んじられます、こんな目に遭わせる「男」が憎いです。

以上、自分の責任を完全放棄して「男」への憎しみを説明してみましたが。

このように憎んでいるならバカにするのも簡単なような気もしますが、しかし、この憎しみをそのまま反映させても、きっと「男」を傷つけられないだろうと思ったのです。

「あはは、女がまた人のせいにしてらぁ」ぐらいにしかならないような気がしました。

もしくは、「そうです、男ってバカなんです、女はえらいです、手のひらで転がしてください」なんて、持ち上げたフリして逆にバカにされるかです。

それでもラップは劇中の流れ上、どうしてもわかりやすくバカにしなきゃいけないところもありました。

なので、紙芝居のほうでは、もうちょっと「男」の心に刺しこむような感じにしたいと思いました。

しかしテルさんの作ってくれた構成を読み返し、考え、ああもうこれは憎しみはダメだと思い直しました。

精子を体内に蠢かせてる「女」たる私が、「男」を憎んで突き放していては、「男ってバカね、精子ってバカね、勝手に戦ってなさいよ、あたしは知らないわ」という話になってしまいそうだと感じたのです。

それじゃ広がりません。

だから、嫌だけど「男」を愛してみようと思いました。

それで、炭鉱の町とそこで暮らす鉱夫のことを描いた「山」という紙芝居を作りました。

「面白かった」と言ってくださった方もいましたが、説明部分が多かったので「だるかった」という意見もありました。

しかし個人的な体験としては、ちょっと「男」に歩み寄れたような気もします。

というか、とりあえず主人公の鉱夫には私の萌え心を詰め込みました、愛するために。

そんで、そいつを愛しました。

今までこんなふうにお話を作ったことはないし、特に男性キャラについてはまったくなんの思い入れも持ちえませんでしたが。

そういう意味では、ちょっと恥ずかしい紙芝居だったかもしれません。

いつか本当に「男」を愛せたなら、「女」を蔑まなくても済むようになるのかもしれません。

そしたら私は私の性をここまで居心地悪く思わないでいられるようになるのかもしれません。

まぁ、憎いところに目をつぶって無理くり愛するのは嫌だけど。

あとで聞いたら、テルさんもまた、この構成を作るとき、「女に歩み寄った」とおっしゃっていました。

なんとなくですが、テルさんは男らしいので、「女」をどうもいけ好かないと思ってらっしゃるような気もします。

だとしたら、憎む者同士が歩み寄ったという、こう、講和条約のような企画だったのかもしれません。なんつって。

素敵な経験をさせていただき、刃喰いのお二人には大変感謝です。

もちろん、この興行のために深夜までリハーサルに付き合ってくださったライブハウス「ファイヤーバード」のスタッフの皆様にも。

そして何よりこの興行をご覧くださったお客様、誠にありがとうございました!


刃喰いさんとのコラボが終わった一週間後は、北村早樹子さんと私の共著小説『裸の村』発売記念パーティーを円盤で行い、4月はその刊行記念ツアーとして二人で沖縄〜広島〜大阪と10日間ほど回りました。

5月はこの北村さんとのユニット「IKAZUGOKE」のライブが二本、IKAZUGOKE名義ではないけれど飯田華子×北村早樹子のトークイベント「母親教室」、あとデザイナー&漫画家の中田舞子さんと二人でコントをしたり、愛知県豊田市の野外フェス「橋の下世界音楽祭」にソロで出たりと、なかなか忙しく過ぎました。

ライブをご覧くださったお客様には大変感謝です☆

今月はライブがないので、ちょっとブログなど書いてみましたが、溜まってたのでしょうか、結構長くなってしまいました。

もっと気楽に書いていきたいものです。

あ、先ほどさらっと触れました「母親教室」は次回(8月開催予定)が最終回です。

これについても色々と書きたいのですが、さすがに長過ぎるのでまた今度にします。

その前に、『裸の村』についてちょっと触れなければなりません。

飯田華子と北村早樹子の共著小説『裸の村』は、それぞれが書いた物語がラスト一枚でうなりながらつながる仕掛けになっています。呪いのCD付♡

装画を私が、付属CDの歌を北村さんが担当しています。



【RGB】裸の村_内モザイクC



これは円盤の田口さんが考えつき、ずっと温めていたアイデアだそうです。

田口さんプロデュースのもと、北村さんと話し合い、気になるテーマをブチ込んで、愛憎ごった煮の状態で書きました。

特殊すぎる装丁ゆえ、一冊一冊作者自ら切り貼りして製本しなければならず、私は西日の差す作業部屋でシュミーズ一枚になって作っています。

形も内容もアレなんで、ぜひ読んでいただきたいです!

詳しくはコチラ

以上、宣伝でした!


さて、次のライブは7月7日(金)、秋葉原グッドマンです。

女の子ばっかりのイベントにIKAZUGOKEで出ます!

2017年7月7日(金)
「たなぼた♡」
@秋葉原・GOODMAN
1800+1d ☆織姫割1300+1d
19時スタート!
出演:
madrone avenue
IKAZUGOKE
踊り【コーラ+レンカ+めみハーロ】
リツコとヨシコとソースケ山
松本花バンド
※戦艦キクイによるトークあり!?


北村さんとは結構前から色々ご一緒させていただいてましたが、「IKAZUGOKE」というユニット名で活動するようになったのは去年7月のグッドマン出演からです。

なので、ちょっと凱旋ていうか、まぁ何も戦ってないし勝ってもいないんですけど、なんとなくそおゆう気分なところもあります。

どうぞよろしくお願いします♡



*忘備録・4月5月のライブでお世話になった皆様*
円盤店主田口さん・沖縄中城CD屋さん・那覇cello・浦添Groove・てんしんくん・ペガサスさん・幽玄パピロンズさん
釜晴れ早苗さん・PA井伊さん・桜川春子さん
アオツキ書房金本さん・カニコーセンさん
ヲルガン座ゴトウイズミさん・中島由美子さん・ドドコさん
難波屋の皆さん・PAりしゅうさん
BARキネマトス彩さん・うのさん・パールさん
GIGA IDOL FESTIVAL対バンの皆様・主催ドラびでおさん・グッドマンの皆さん
本庄ニノ蔵の皆さん・主催つとむさん
よるのひるね門田さん
臨海亭東雲さん・へもい家己祝さん・中田舞子さん・サイレンツさん・臨海亭西海さん・へもい家寿満児さん
橋の下世界音楽祭幻燈座対バンの皆さん・スタッフの皆さん
ライブをご覧下さった全てのお客様、物販を買ってくださった皆様、本当にありがとうございました!!
プロフィール

◎自作の段ボール紙芝居でライブ活動しています。
◎漫画、文章、映像制作なども承ります。
◎ホームページhttp://iidahanako.jimdo.com/

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