第9話 町内旅行の罠

 そんな事があってから約一週間後。
ボクは恭子さんと一緒に、初めて開かれた町内親睦旅行に参加していた。

 内気で人見知りなボクは乗り気でなかったのだけど、優しい恭子さんにも「みんな参加するんだから、タックンも顔繋ぎしとかなきゃ駄目よ」と強く言い聞かされて、しぶしぶ参加する事になったのだ。

 実際町内会長の羽黒が相当力を入れて皆を誘ったらしく、この小さな町の人達は老若男女を問わずほとんど参加しているらしい。
ボクは昔のイメージが強いので意外だったが、この羽黒と言う男、よほど町内での人望が厚いようだ。

 「楽しみね、恭子さん。タツヤ君もえらいわ、ちゃんと参加するのね」
「ええ、まあ、さすがに」
「もう、タックンったら。聞いて下さい、成本さん。タックンを連れ出すの大変だったんですから」
「奥さんに心配掛けちゃ駄目よ、タツヤ君」

 ーーこの人達には頭が上がらないな、ボク

 目的地の温泉宿まで移動する大型の貸し切りバスの中、恭子さんと2人で盛り上がっている成本さんを見ていて、ボクはそう感じてしまう。
ボクが行きたくない、とワガママを言えなかったのは、恭子さんだけでなく、この明るく世話好きの細川病院看護師長さんの働き掛けも大きい。

 何しろ彼女の縁故でボクは病院の事務職に再就職したばかりだ。
直属の上司ではないが、就職の世話をしてくれた成本さんに「タツヤ君も絶対参加するのよ」と言われては断るわけにいかないではないか。

 それにこれまで引っ込み思案で町内の人達とほとんど面識のないボクにとって、夫婦揃ってずっと世話になりっ放しで「タツヤ君」と呼び親しくして貰っている彼女の存在はありがたい。

 恭子さんや成本さんと一緒に行動していれば一泊旅行くらいそう気兼ねなくやり過ごせそうだ。
この旅行は温泉宿に行って風呂に浸かり「親睦会」と銘打った大宴会を行うのが目的で、行って帰るだけのアッサリした日程だ。

 うちの町内は全世帯合わせても大型貸し切りバス一台で間に合うくらいでそんなに人は多くない。
だから皆結構親しくやっているようで、知り合いがほとんどいないのはこういう場を毛嫌いして来たボクくらいのものだったかも知れない。

 社交的な恭子さんや成本さんはそんなボクを心配し、是が非でも参加させようとほとんど強要されてしまったのだ。
それに再就職が決まったばかりのボクも、人付き合いの悪さが一因で退職に追い込まれた苦い経験を繰り返さぬよう、努めてこういう場に参加して社会性を身に付けていかなかれば、と言う気分になっていた。

 参加者が皆乗り込んだ所で、バスの車内をざっと見渡すと、他にボクが見知っているのは隣に住む町内会長羽黒くらいか。
中学勤めの頃手を焼いた悪ガキ連中はこんな大人の付き合いなど嫌うだろうから参加していないようだったが、良い子のありささんは母親と一緒に顔が見られた。
彼女はともかく、母親の方はボクを避けるだろうけど。

 宿に着き「親睦会」まで温泉に入って過ごす事になって、ボクも仕方なく皆と一緒に大浴場へ入った。
男湯だと話す人もいないので一人ポツンと湯船に浸かっていると、気を回したらしい羽黒が声を掛けにやって来る。

 風呂の中だと言うのに、トレードマークの牛乳瓶の底みたいな分厚い黒縁眼鏡は掛けたままで、湯気で曇って表情が見えなくなっているが、いつもの関西なまりの羽黒は上機嫌そうであった。

 「山田さん、今日はしっかり楽しんでや。お酒の方はイケますのやろ?」
「いえ、ちょっと嗜む程度ですが」
「まあ今日は無礼講やで。少しばかり酔っ払うても誰も気にせえへんさかい、遠慮なんかせんとぎょうさん飲んで食べて楽しんでってえや」
「ありがとうございます」

 羽黒はボクだけでなく、如才なく男達皆に声を掛けて回っているようだった。
いかがわしい猥褻物品を扱っていた古書店で、店奥にどっかり座っていたイメージとはかなり違う。

 こういう社交性がボクに最も欠けている点で、少しはこの男を見習わねばと思った。
これだけ気を配っているからこそ町内での羽黒の人望が厚く、彼が計画したこの旅行に大勢の人が参加しているのだ。

 さて皆良い感じに暖まり浴衣に着替えて集まった大広間で、大人数の「親睦会」が始まった。
町内会長でありこの旅行の発案者である羽黒が立って型どおりの挨拶をし、乾杯の音頭を取る。

 ボクの隣にはもちろん恭子さんが座ったが、湯上がりでより一層悩ましい色香を発散している浴衣姿の妻を見て、ボクはこんな美女をパートナーとしている事に誇らしさを感じていた。
彼女以上に魅力的な女性など、見渡す限り存在していないのだから。

 そしてそんな彼女とボクを挟むようにして座ってくれたのは独り身で参加している成本さんだ。
40歳前後で背が低く美形とは言いがたい成本さんだけど、やはり湯上がりの浴衣姿とあってとても色っぽく、2人の年上女性に囲まれ両手に花状態のボクは不覚にも浴衣の中の股間を張り切らせてしまっていた。

 とりわけ成本さんにセックスアピールを感じてしまったのは初めての事で、申し訳ないような気になったのだが、そんな不自然な気取りを持っていたのは、この場ではボクくらいだったかも知れない。

 女性が多くて妙に堅苦しい雰囲気だった、中学校の職場での飲み会とは雲泥の差の皆ひどくくつろいだ宴会で、羽黒の話が終わるとたちまちガヤガヤと賑やかな話の輪が広がり始めたのである。

 しばらくたつと恭子さんと成本さんは皆にお酒を注いで挨拶に回るため交代で席を立ち、残った1人がボクの相手をしてくれる感じになった。
恭子さんは「出来たらタックンも回った方がいいよ」と耳打ちしてくれたのだが、こういうのが大の苦手であるボクは動こうとせず、場に参加しただけでOKと言う事かそれ以上は何も言われなかった。

 腰を上げようとしないボクは2人の年上女性に気を使わせてしまうような格好になったわけだが、そんなボクにもいろんな人がお酒を注ぎにやって来る。
羽黒は入浴の時同様実にこまめに動いているようで、ボクの所にも再び上機嫌でやって来た。

 「山田さん、楽しんどられまっか? グイっとグイッと行きなはれ」
「そうよ、タツヤ君。せっかく会長さんが注いで下さったんだから。はい、イッキ、イッキ!」

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 羽黒はビールを注ぎ足すと一気飲みを促して来た。
ボクはそんなにアルコールに強くはないのだけれど、その時隣にいた成本さんにも強く勧められ、他の人達もイッキ、イッキ、と囃すもんだから、つい一気飲みしてしまう。

 その頃には宴会も乱れ切ってほとんどどんちゃん騒ぎと言って良い状態。
とても断れるような状況でなかったのは確かだが、おかげで急に酔いが回って来たような気がした。

 だけど恭子さんも成本さんも「今日は酔っ払っていいんだから」とどんどん飲ませて来るし、完全に飲み過ぎてしまったようだ。
もう半ば意識も朦朧として来たが、ありささんまでお母さんに伴われてお酒を注ぎにやって来たような気がした。

 ボクを嫌っているあの母親がそんな事するなんてあり得ない事で、どこまでが現実やらわからない。
そしてありささんの浴衣が少し乱れて下着がのぞけ、えらく興奮してしまった記憶があるのだが、泥酔して学校時代のブラチラ事件と記憶が混乱してしまったのだろうか? 
いつしかボクは完璧に酔い潰れて意識が飛んでいた。

 次にボクが意識を取り戻したのは、何と帰りのバスの中だった。
「あら、やっと目が覚めた? タツヤ君」
目覚めたボクにそう言ったのは恭子さんでなく成本さんだった。

 恭子さんまでボクと一緒に酔い潰れ、まだ隣でスヤスヤと寝入っていたのだから驚きだ。
夫婦揃って介抱してくれたのは成本さんで、互いに仕事でもお世話になり、ここでもこんな醜態を晒してしまっては、もう彼女に頭が上がらないな、と思った。

 恭子さんとボクは帰宅してからすぐ改めて成本さんのお宅に伺い、おわびと感謝の念を伝えたのだが、彼女は笑って全く気にしておられない様子だった。
ボク達の方があまりにも恐縮しているもんだから、そんなに気にしないでね、と言わせてしまう有様だったのである。 

 ところが夫婦揃って酔い潰れ成本さんに迷惑を掛けたのは本当に取るに足らぬ事だったのである。

 その日の夜、羽黒から大事な話があるのでと呼び出されて2人で隣を訪れると、とんでもない話を聞かされた。
「山田さん、ちと飲み過ぎなさいましたな。ま、それ自体は全然構いやせんのやが、実は困った事になりまして……ご主人、全く覚えておられまへんか?」

 「そ、そうですね、全然」
ええ、一体何でしょう、と何も言えないボクの代わりに、自分も宴席の途中から記憶がなくなってしまった恭子さんが不安そうに訪ねると、羽黒の答は予想だにしない衝撃的なものだった。

 何とグデングデンに酔っ払ってわけがわからなくなったボクが、全裸になってイチモツを取り出し、皆の制止も聞かずに露出狂のような振る舞いをして困らせたのだと言う。
それを聞いただけでボクは愕然とし、その場から逃げ出したい気分になったのだが、問題はその後だった。

 何を血迷ったのか、ありささんに向かって股間を見せ付けたボクが、悲鳴を上げて逃げようとした彼女に抱き付き、押さえ付けて無理矢理キスし、さらにいかがわしい行為に及ぼうとした所で、羽黒を初めとする男達に取り押さえられた、と言うのである。

 「いくら酒の席とは言え、さすがにやり過ぎですな、山田さん」
「も、申し訳ございません! 一体何と言ってお詫びを申し上げたら良いものやら」
まるで覚えていない事なので咄嗟に頭が回らず、バカみたいに固まってしまったボクの代わりに、恭子さんの方がうろたえて必死でそう言ってくれた。

 だが、羽黒の次の言葉にボクの背筋には冷たいものが流れ始めたのである。
「お母さんがカンカンに怒っとられましてな。すぐに警察を呼ぼうとされましたので、私が間に入らせてもろうたわけです。この町内の問題で警察沙汰などになるのは、出来れば私も避けたいですからな」
「警察ですか……」

 まるで現実感のない不思議な気分でそう呟いたボクと違い、恭子さんは見た事もない程うろたえて涙まで見せながら厚底眼鏡の町内会長に頭を下げてくれた。
「お願いです、会長さん! 三倉さんには良く謝って何でも償いをさせて頂きますから、警察に通報する事だけは……」

 「お気持ちはわかりますがな。どうか泣かんといてくれまへんか、奥さん」
羽黒も困った様子だったが、恭子さんに泣き付かれても、と言う気分だったろう。これは一緒に酔い潰れてしまった彼女には無関係で、あくまでボクの不始末なのだから。
 だが羽黒は、なかなか実感がわかず困惑するばかりの頼りないボクに話しても時間の無駄と思ったのか、恭子さんと話を進めてしまう。
わざわざ夫婦で呼び出したのも、普段の様子からこうなる事を予測して、しっかり者の妻も同席させたのに違いない。

 要するに保護者みたいな存在で、当たっているだけに情けない。
万引きで補導されて、引き取りに来た母親だけに謝罪させているボンクラな息子みたいな気持ちになった。

 「ですからね、奥さん。ここは一つ、警察など入ってもらわず、内々に示談で済ませて貰えまへんか、と私の方からも三倉さんにお願いした所でして」
「そうして頂ければとてもありがたいです!」

 「お互い感情的になってもいけまへんから、もう先方には示談の条件を出して頂いとりまして……山田さんには、お金の方をご用意頂きまへんやろか」
「ありがとうございます! お金で済む事でしたら、いくらでも……一体どのくらい用意すればよろしいのでしょうか?」

 ここで羽黒は勿体ぶった様子でなかなか口を開こうとしなかったので、いかに世間知らずなボクも強い緊張感を覚えた。
もしかしてとんでもない大金を吹っ掛けられるのだろうか? 百万円とか。いや婦女暴行で刑事事件となったら、そんなものではすまないかも知れない。

 しかも相手は未成年だから通常よりずっとヤバイ状況である事くらいボクにもわかる。
痴漢のえん罪で逮捕された男は一生を棒に振るような痛手を負ったのではなかったか?
確かそんな映画が話題になったな、とボクは羽黒の長い沈黙の間に考え、選りに選ってありささんにそんな狼藉を働いてしまった自分を呪った。

 モンスタークレイマーの母親にはすでに痛い目に遭わされたのだ。ボクは又してもあの女によって、辛酸を舐めさせられるのだろうか。
「酔っ払うて羽目を外し過ぎたくらいの事で、私としても言い辛いのやが、30万ばかりで手を打ってくれまへんか、と三倉さんんにはお話ししとりますんで」

 「わかりました! すぐに用意させて頂きます!」
正直な所、ボクはホッと胸を撫で下ろしていた。
さしものモンスタークレイマーもその程度が限度と踏んだのだろう。
考えてみれば未遂であって、本当に婦女暴行に及んだわけではない。
他人の一生を台無しにするような法外な金額など要求出来るわけはないのである。

 ボクは再就職したばかりだが、内々に示談で済ませるなら勤め先をクビになる心配もないだろう。
ふと成本さんの顔が浮かんだが、彼女も宴席にいたのだからこの事は知っているかも知れない。
でも何も言われず分かれたくらいで、酒の上での失敗だと許してくれるに違いない。

 30万円は決してはした金ではないが、幸い恭子さんの稼ぎがあるから無理な金額ではない。
羽黒がうまく間に入り、適当な金額であの難しい母親と話をつけてくれたのだろう。
何もかも推測に過ぎないのに、愚かなボクは急に気が楽になって、初めて自分から口を開いた。

 「あのう、三倉さんへの謝罪は」
「ああ、その事なんですがね、旦那さん。釈然とせえへんやろうが、アンタには絶対謝罪に来て欲しゅうない、と三倉さんに止められてますねん。特に女の子の方はえらいショックを受けとって、今アンタに来られては困る、言うてな。せやから謝りたいっちゅう気持ちはようわかりますけど、ここはアチラの意を汲んで、取り合えずお金だけ用意して貰いたいんや。ま。アンタの気持ちは私からお母さんに伝えときますし、もっとほとぼりが冷めてから謝罪に行かれたらええんとちゃいまっか?」

 これも正直肩の荷が下りた気分になった。
何しろ自覚はまるでないのだから、悪い事はしたと思っても面と向かって謝るのはとても気が重かったのだ。
あの母親とボクは互いに嫌っているわけだし、ショックを受けたと言うありささんには、別の意味で謝るのが非常に辛かった。

 こんな状況で、かつてボクの事を慕ってくれていた女の子に、どんな顔をして謝れ、と言うのか。
向こうが会いたくないと言ってるのなら、無理する必要はあるまい。
「ほんじゃまあ、お金の方はなるべく早めにお願いしまっせ。後は私の方が、何とか丸う収めさせて貰いますさかい」

 こうして羽黒宅を後にすると、恭子さんはこんな犯罪者一歩手前の大失態をやらかしたボクを一切責めようとせず、「良かったね、タックン」と涙ぐんだまま言う。あまりにも優しい彼女の言葉に、ボクまで涙がこぼれた。

「うん。ごめんなさい、恭子さん」
「エヘヘ。ありさちゃんが好きで変な事しちゃったんだね、タックン。全くイケない子なんだから、コラ!」

 無理して明るく振る舞い、おどけた様子でボクの頭を小突いて見せる恭子さん。
そんな彼女の姿を見ていると、この件でむしと夫婦の絆が深まったかのようにすら感じていたボクは、何と言う大馬鹿者だったのだろう。

 この酔っ払いレイプ未遂事件が何とか片付いたと思ったのは大間違いで、ボクと恭子さんは大きな罠にすっぽりと嵌まり、この世の地獄を味わわされる運命だったのである。

この作品は「新・SM小説書庫2」二次元世界の調教師様から投稿していただきました。

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