2017年05月

吉浜の養鶏が広まった一つの要因として「孵化場」を忘れてはならない。
孵化事業としては明治40年加藤弥七氏が蛇抜人工孵化場を起こし、昭和32年頃にはマルヒチ孵化場・マルアイ孵化場・マルヨシ孵化場・村瀬孵化場があり、現在は全ての孵化場は無くなりました。
それと、鶏のメス・オス鑑別師が国内及び海外で活躍した(昭和35年頃高浜中学校渡り廊下の掲示板に、鑑別師として活躍する吉浜の青年が紹介されてた事を思い出しました)

高濱商工案内 1_0083-001
              大正11年発行 高濱町商工案内より引用
ネガ番号A177031 (2)
     大正11年発行 高濱商工案内で使用された写真 画像提供:彦六ギャラリー
古橋甚之助 愛知孵化場
     昭和3年 薬師如来貮拾年開帳 吉濱細工人形開催 宝満寺での写真
      愛知人口孵化場の看板が左上の見えます(古橋甚之助氏経営)
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      昭和9年開催 吉浜細工人形番附 裏側に宣伝広告あり
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          昭和39年県無形文化財となる 第9回お開帳番附裏側に宣伝広告あり
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     昭和45年頃に撮影された、卵から雛が誕生する写真  画像提供:高浜市役所
海外で活躍 鑑別師
     昭和34年5月 発行 高浜町広報で海外で活躍する高浜青年として紹介されています。

吉浜村の古文書 吉浜公民館旧蔵史料を調査し1冊の本として残して頂いた『がんばった ひいじいさんたち』
神谷和正氏編集・発行  この本について市役所に問い合わせがあり調査しました、神谷和正氏は西尾市生まれで、西尾市役所に勤め市史編纂に携わり地元吉浜の古文書を調査されました。
「地元の生涯学習の教材、あるいはその資料などとして、ご活用いただけたら幸いです」と本の中に謹呈紙が貼られています。

1995年6月22日印刷・発行

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そういえば昔大地震があり津波が、現在の農協辺りまで水が来た話がありひょっとするとこの大地震では ❔

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明治15年当時は葭川だった





                                                   




昭和32年頃に八幡社内で牛の蹄爪の手入れを、子供の頃興味本位で見ていた事がありそんな場面の写真が見つかりましたので紹介します。
ちなみに、昭和32年頃高浜町内で乳牛は55頭・役牛は190頭・馬は24頭でした、まだトラクターや耕運機が普及してない時代で父親も田んぼでの作業に役牛を母の在所から借りて農作業していました。
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八幡社拝殿前広場に集まった乳牛・役牛(エキギュウ 耕作や運搬などに使う牛)
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5本の柱が立ってる所に牛を入れ、鼻輪をロープで縛り暴れないようにしてから
足を1本ずつ2人で持ち上げ柱に固定し牛削蹄師の方が道具を使い手入れをする。
又獣医師がナイロン製手袋をして牛の肛門に手を肘位まで入れて健康診断をしていました。
内藤 康和_0010-001
吉浜上の庭先での乳牛飼育
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第30 高浜広報 昭和44~46年
第66 高浜広報 

追加情報として、かって高浜町役場東 野村米穀店辺りに牛・馬の蹄爪手入れ場があり
そこに牛を連れて行った、又昭和17年頃瓦の粘土を運ぶ牛車の牛に草鞋を履かせ、ちょう・ちょうと手綱を操作して仕事をしたそうです。

最近では、あまり聞かなくなった大浜街道について調べました。
大浜街道とは、「海の物」が大地に点在する集落を経て運ばれた塩・干鰯などを海岸部から山手の奥まで運んだ街道で(塩の道とも言われた)大浜から新川⇨高浜⇨刈谷⇨大府⇨大高のルート(県道名古屋碧南線)、そして大浜から新川⇨高取⇨安城高棚⇨野田⇨大浜茶屋(安城市浜屋町)⇨大林⇨拳母に至る街道です。
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明治時代~大正時代に写された写真で、場所年代は不明ですが大正3年三河軽便鉄道開通に
伴い姿を消した客馬車です。画像提供:彦六ギャラリー 
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    明治44年発行 高濱町にて高濱馬車駐車場主の廣告です。
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昭和57年 杉浦資良氏が残された貴重な「大正時代初期の吉浜」の中に7番若林客馬車や・66番神谷料理及客馬車やが有ったと記載されています。
又杉浦 資良氏が書かれた当時のエピソードとして吉浜の上、下ににあった大浜から刈谷間を毎日、豆腐屋のラッパを吹いて往復していた、県道の砂利道を鉄輪4輪でガタガタ走っていた(79番県道補修砂利置き場が有った)

市役所の膨大な写真・ネガの中から見つけた「式典」の写真がどんな式典だったか不明でしたが、碧南市藤井達吉美術館・高浜市立図書館からの情報で詳しい事が分かりました。

高浜町田戸宝殿社の西に埋め立てられ作られた衣浦港8号地に、昭和44年12月5日米国からハロー号が入港し盛大なセレモニーが行われました。 画像提供:高浜市役所
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          遠方に見えるのは、田戸神社・宝殿社(中央やや右辺り)
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            外国からの初入港した船長を歓迎する森弥太郎氏
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             ハロー号
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昭和44年12月8日号 広報 たかはま

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