11/21に朝日新聞の半期連結ベースでの赤字転落が伝えられ、
J-CASTニュース:朝日新聞100億円赤字に転落 広告大幅落ち込み、部数も減少
地方紙の窮状状態も伝えられたばかりであったが、
MONEYzineニュース:相次ぐ夕刊紙の廃止
産経ニュース:「伊那毎日新聞」の廃刊・清算
毎日新聞と産経新聞の半期赤字転落が伝えられた
J-CASTニュース:毎日・産経が半期赤字転落 「新聞の危機」いよいよ表面化

 経済に明るくない私には解説ができないので、毎日新聞の窮状状態は新世紀のビッグブラザーへ blog:毎日変態新聞倒産への道 その9を読んでいただくとして、リーマンショック前の半期での赤字であるから、通期での赤字も避けられ得ないだろう。もう新聞というビジネスモデルは破綻への階段を登りだしているのは誰の目にも明らかである。そしてその矛盾した状態は昨日今日に言われ出したことではない。すでに歌川令三氏著『新聞がなくなる日』や国際社会経済研究所の『ネットは新聞を殺すのか
(まだ読み終わってないよ orz)が刊行された時点で指摘され、登りだしているのではなくもう九合目に差し掛かっているのではないか
 日米の差を単純比較することはできない。アメリカの新聞社は広告収入がメインとなり、日本では再販維持制度に守られた個別宅配という日露戦争型収益モデルが収入のメインとなっている

 だが、現状は待ってはくれない。『「週刊ダイヤモンド」12/6号「新聞・テレビ複合不況」』には、毎日新聞がメインバンクの三菱東京UFJ銀行から北海道・名古屋区からの撤退・サンデー毎日の廃刊・本社ビルの売却証券化を求められていると伝えられている

 販売部数の低迷と広告収入の激減は新聞を直撃する。部数の低迷理由はは
「なぜ新聞を取らないですって? 第一に、必要のない情報や、ページが多すぎるから。そのくせ知りたい情報が載っていない。もしかしたらどこかのページにあるかもしれないけど、探すのが面倒で。広告が多すぎます。たまに会社で見るけど、書き方が面白くない。会社の若いOLが言っています。文章が難しくて、記事の内容がわかりにくいって。
 会社の専門職の人は、違う意見です。専門記事も少ないし、たまにあっても内容を掘り下げていないから、月極め購読の価値がないそうです。先輩は仕事に役立つニュースが少ないとか、問題提起だけで解決を示す提案がないとか言っています。こういう人は、家では取らないけど、会社ではけっこう読んでいるみたい。
 私は会社でもほとんど見ない。娯楽とか車の話、ほとんどないからね。ニュースは古いし、記事は長すぎる。パソコンやインターネットのことも書いてないし」
歌川令三著:新聞がなくなる日(草思社) p136-137
に端的に表れているし、痛いニュース:“若者、新聞読まない…”朝日新聞に続き、毎日新聞・産経新聞も半期赤字転落 …「新聞の危機」いよいよ表面化 にて紹介されている2ちゃんねらーのレス、そして編集されたエントリーを消費した人たちのコメントに現れている。曰く「ネットで十分。情報が遅い。既存マスメディアは政治的にも経済的にも偏向している。必要なことを伝えていない。月4000円弱も払わないよetc...」。やはり『「みんなの意見」は案外正しいと思う』(この本持ってないけど ^^;)。このような状態では部数低減が避けられないのは素人判断でもできる。いくら読売新聞:新聞が「必要」92%、「信頼」は87%…読売世論調査などと自己保身に走っても、やはり現状は待ったなしだ

 広告収入にしても、従来一般向け広告=ターゲットを絞り切れていない広告は効果が少ないこともすでに指摘されている。すでに先見性のある広告主は新聞部数という数字を買って広告を出しているわけだが、その費用対効果は曖昧である。(本当かどうか知らないが)花王ショックといわれた花王はマスメディアへの出稿を減らし、店頭実演販売に力を入れたことにより収益が上がった言われている。デフレでいくらものを売っても収益が上がらない企業はオーバーチュアGoogleのアドセンスやアドワースに代表される、確かで速報性のある数字をほしがっている。そしてリーマンショック以降の世界経済の低迷だ。広告そのものを出す余力自体が危ういかもしれない。それでも広告を出し消費者に認知してもらわれなければ商品は売れない

 新聞は日露戦争型収益モデルにより、販売店に押し紙を強制し部数を水増ししてきた。特に毎日新聞は全国新聞紙でもっとも押し紙を強制したという。最大で7割という信じられない数字だ。販売店は(新聞社からの補助金と)押し紙による水増しされた部数により算出された数字に基づく折り込みチラシからの収入に頼っていた。今ではその押し紙に耐えきれなくなった販売店が反乱を起こしている。市場からの規制を考えない広告主は何を考えているのだろう…そりゃ広告を出し続けある意味支配をしておけば、自社に不利なニュースを流される確率は低くなり、有利になる情報を流してもらえる確率が高くなる。結局は談合しているに過ぎない

 歌川令三氏や国際社会経済研究所が指摘しているように、既存マスメディア、特に新聞はメディアそのものが大変革の岐路に立っているのに、過去のビジネスモデルにしがみつき、新しいシステムが旧態依然たるシステムに食われることを恐れている。改革をできないことは緩慢な死を座して待つだけでしかない

 そして、新聞の最大の武器である情報自体が怪しくなってきている。内容そのものではない。インターネット上でのサイバー空間によって、新聞の情報は様々に検証され真偽が一瞬に判定される。これまでは「我々の報道により、世論を誘導する」という傲慢な態度に世間は気づいてしまった。様々なブログや2ちゃんねるがジャーナリズムとは決して思わないが、その分析力は新聞を凌駕している。これまでのように学者や評論家など権威づけられた人たちだけではなく専門性はあるが無名な人たち、そして専門的な知識はなくても自己の知識や常識で新聞の報道を批判的に切り刻む。集合知はポピュリズムや愚衆化を招くかもしれないが、やはりおおざっぱに言って『みんなの意見」は案外正しい』と思う

 このような自体であるのに、旧態依然な経営を続ける新聞社トップは何をしたいのであろうか。すでにアメリカの新聞社の動向や研究、上記の2冊の書籍の報告などは分析済みだろう。やっていなかったら馬鹿である。それでもただ紙面をネット上に写しただけ、バナーしか見あたらないプッシュ式の広告メインの新聞社のサイトを見ていると、個別宅配制度があるから平気と居直る姿は何も考えていない馬鹿なのではないかと思ってしまう

 新聞そのもの必要性はあると思う。過去から築かれた、世界中に張り巡らせた情報収集のインフラ・集積能力はブロゴスフィアや2ちゃんねるでは真似できないものだ。だいたいにおいてそれらのサイバー空間で分析される事象は、一次情報として新聞(及びその他マスメディア)からもたらされるの常だ。100%ではない。ブログ発の社会現象もある。フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂落書き事件はブロガー取り上げ、岐阜女子短大に問い合わせをしたことが始まりだ(現在は街頭エントリーは削除されている模様。参考-痛いニュース:日本の女子短大生6人、世界遺産の大聖堂壁に落書き…イタリア・フィレンツェ。話はそれるが、私はこの事件が大きくマスメディアに取り上げられたのは、同時期に発覚したwaiwai問題をモラルという面で交わすために意図的にマスメディアが大きく報道されたのではないかと疑惑の目で見ている)

 また、新聞の利点は携帯性に優れていることである。満員電車の中で見るには少しサイズが大きいとは思うが、いつでもどこでもその紙面は確認できる。ラジオも携帯性に優れているが、(携帯電話のワンセグ放送があるとはいえ)テレビやパソコンでは受像器を持ち運ぶ手間を考えたら優位であることに異論はないだろう。そして最大の利点は読みやすさである。パソコンでインターネットから記事を読んだ場合。読み易いであろうか? 概ね縦横比4:3というモニターは基本横書きの長文には適さない。縦書き表示の文章もあるにはあるが小数な上やはり見づらいことには変わらない(例:笑犬楼大通り)。PCでは、その紙媒体上に現されたレイアウトとフォントの美しさはどんなに逆立ちしても太刀打ちできない。この点は電子ペーパーなどに関わる技術者の課題であろう。私は古いタイプの人間なのかもしれないが、パソコン上で長文を読むのが苦手だ。4行以上あると読む気もしなくなってくる orz

 技術は電子的新聞を近い将来生み出すのかもしれない。事実電子ペーパー技術の紹介は多い。それは携帯性に優れ、無線LANに近い形態で情報をやりとりし速報性に対応していくだろう。新聞社をはじめマスメディアは技術が追いついてくるのを待っているのかもしれない

 だが、朝日新聞出身・烏賀陽弘道氏のなぜ朝日新聞社を辞めたのか?その1その2を読んでみると、そこには紙面でうたわれるような立派な世界ではなく(世間一般そうなのかもかもしれないが)ただのどろどろとした穢土なのかもしれない。朝日ですらこうなら、他の新聞社でなにおかいわんやである。正に権力の病理なのであろう。似たような話は佐々木俊尚氏の著作にも見受けられたし、小説だが横山秀夫氏の『クライマーズ・ハイ』でも見受けられる。そしてこのような病理は、マスメディアに限ったことではないだろう。権力を持った組織とは得てして既得権益の保守ばかりに汲々としてしまう。私だとて勝手気ままにブログを書ける立場でないならば、同じ道を歩む可能性は大きい。

 硬直した新聞社は生き残れないと、素直に思う。そして他のマスメディアも同じ轍を踏んでいるだろう


本来ならプライバシーか匿名について述べたいところであったが、毎日新聞の半期赤字について、何か述べたいと思いつらつらと素人の考えを書いてみた。私は専門家でも何でもない消費者でしかない。最先端の世界での研究者からすれば鼻で笑われる文章かもしれない。「鶏口となるも牛後となるなかれ」なんて仰々しいブログタイトルをつけているが、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやでもあると思う。皆さんのご批判を賜りたい