キューバは大きな島だ。その面積およそ10万km2。日本の面積と比べると、本州の半分ほどにあたる。

島と聞くと1日もあればスクーターを借りて1周できてしまうような小さな閉じた空間を思い浮かべるが、閉じた空間性というものはここにもあるかもしれないが、スクーターで回る離島とは規模感が違った。なんといってもカリブ海最大の島国だ。西端に近い首都ハバナから東端に近い街サンチアゴデクーバに行くとなると夜行でひと晩がかり、16時間の道のりだ。

 

私はキューバの首都ハバナから外人向け観光バスに乗り込んで、一路サンチアゴデクーバに向かった。バスは冷凍ぎみの夜行バスで、温度設定17度、ヒートテック・ダウンジャケットとユニクロシリーズを全開にしても寒くて夜中に何度も目が覚めた。寒さと寝苦しさで腰がぎりぎり言う。クーラーで涼しくするのが贅沢である暑い国の人たちにとって、設定温度は低ければ低いほどもてなしなのだということを、アジアを旅しているときからバングラデシュに住んでいるときからアフリカを旅しているときから、身に染みて分かっていたはずだった。が、ここもまた暑い国なのだということをすっかり忘れていた。しまったと思った。こんな高いバスなんて乗らずに、車窓から埃の舞いこむローカルバスでえっちらおっちら向かった方が楽だったのかもしれない。

 

それでも少しずつ身体の中にまどろみが染みていき、うとうとし始めたら夢の向こう側からコーコーと朝日の上る音が聞こえた。前から2列目のバスのシートから通路側にちょっと顔を出すと、金色の朝日に照らされて逆光で運転席が真っ黒になっていた。窓の外はゆたかな緑色がみずみずしい田舎道だった。

 

サンチアゴデクーバは分解するとサンチアゴ・デ・クーバ。チリのサンチアゴでもスペインのサンチアゴでもメキシコのサンチアゴでもブラジルのサンチアゴでもコロンビアのサンチアゴでもドミニカ共和国のサンチアゴでもなく、キューバのサンチアゴ、という意味だ。キューバの人はサンチアゴと呼ぶ。まあキューバ人にしてみればサンチアゴデクーバは唯一無二のサンチアゴなので当然ちゃ当然だ。

16世紀にスペイン植民地キューバの首都として栄えたこの街は、同時に、18世紀末のハイチ革命後にフランス人たちが流入した街でもあり、19世紀末の米西戦争が勃発した街でもあり、1953年にカストロたちがキューバ革命の狼煙を上げた街でもある。さまざまな歴史が1枚2枚と積み重なって灰色にくすんだセル画を形づくっているこの街は、それゆえたくさんの史跡にあふれて街歩きに飽きないが、しかし空気までもさまざまな歴史の垢なのか排気ガスの埃なのだか、汚れて灰色くくすんでいる。

 

こじんまりと適度に騒がしい、街歩きがしやすそうな中都市の規模感でそれゆえに面倒くさそうな街、というのが初めの印象だった。目抜き通りは決まっていて、そこを歩いていると常に同じような人びとがチーナと声をかけるのだ。

 

通りに面した家々はピンクや緑や黄色と色とりどりに塗られている。街歩きの良い目印にはなるが、たいていの壁は塗装が剥がれて煉瓦がむき出しになっているか、いまだ街を疾走するディーゼルのクラシックカーから吐き出される排気ガスにくすんで真っ黒になっているかのどちらかだ。特に見栄えのするものではない。それでも何とはなしに趣があるような気がするのは、他の国に比べて特別な色をしているように見えるのは、やはりまだ、私は「あの」キューバに来たのだという感慨を引きずっているせいだろうか。キューバ、時間の止まった古い島国としてのキューバ。街は時間の経過に人びとの営みに車のガスに踏みしだかれて薄汚れていて良いし、むしろ汚れていればいるほどよい。古くて汚くて、その古さ汚さも特殊な美しさに昇華するべきである場所、キューバ。

 

家々を連ねる通りは埃をかぶった木々に彩られ、通り沿いにはほんとうに小さな公園がいくつかあった。ひとつ路地を入ると市場があって住宅地があり、子供も大人もまだ明るいうちから通りに出て遊んでいた。子供はボールを蹴って遊び、大人はドミノで遊ぶ。通りの角にはリヤカーに乗せたオレンジやバナナやグアバやマンゴーをそのまま売りさばく屋台があって、売り子は屋台の脇の、ちょうど日陰になった地面に座って呆けた目で通りを行き交う人びとを眺めている。暑い国の路上仕事はタルいよね、と私も隣に座ってバナナをひとかじり。

蒸し暑くて息苦しい、行き止まりのような夏の街かどに、清涼な高原の風のようなギターの弦の音がふと流れ出す。ハッと振り向くと向こうの角の、広場の陰で、ギターをかき鳴らしている恰幅のいい黒人のおやじがいる。彼は立ったまま気まぐれに歌っている。一曲ぶん歌うとどこか別の街かどに消える。

 

街歩きでたっぷり汗をかき、ジュースを買おうと商店の窓に話しかけると先客がいた。背丈の私とほとんど変わらない、小さなおじさん、というよりおじいさんだ。黒人をベースにちょっとラテンとちょっとアジア人の入った混血のおじいさん。彼はその焦点の常連らしく、何かを頼む前に商店の女の子とおしゃべりしていた。私を見てにこっとほほ笑むと、僕は後でいいからどうぞ、と順番を譲ってくれる。ありがとうと言って私はジュースだけを頼み、じいさんはコーヒーを頼んだ。彼の背中には黒いギターケースがあった。

わしのやっているトローバのバンドがカサ・デ・ラ・トラディショナルで今夜演奏するから、おいで、と彼は言った。

ちょうど今カサ・デ・ラ・トラディショナルで別のバンドの練習を見てきたところだよ、と私は答えた。ビセト・イ・ス・ソンっていうバンドの。

じゃあ今夜も来たらいい、わしらのバンドはカニャンブっていうんだ、と彼は皺しわの顔でウインクして、コーヒーを一気飲みした。待ってるよ。そしてギターを担いだまま商店の裏道に消えた。

 

ジュースで身体をうるおしてふたたび街に出ると、また別のおやじが今度は生のままのギターを左手に持って、目抜き通りに向かって歩いている。広場では古いアメリカのポップを歌っているおやじがいる。街自体がスピーカーになっているようだと私は愉快になってにこにこする。

 

そう。私がこの街に来た理由は音楽を聴くためだった。その数日前の土曜の夜にハバナのジャズバーで会った日本人の旅行者が、トローバが好きならサンチアゴ行くでしょと断言して、遠くまで足を伸ばすか迷っていた私の背中を押した。

サンチアゴデクーバは分解するとサンチアゴ・デ・クーバ。16世紀にスペイン植民地キューバの首都として栄えたこの街は、同時に、キューバのフォーク音楽、トローバ音楽の本場で、ブエナビスタ・ソシアルクラブに代表される20世紀の名音楽家たちが反撃の狼煙を上げた、ゆたかな音にあふれる街でもあった。島の東側に位置し、ハイチをはじめとするカリブ海の島じまから渡ってきた黒人たちを祖先とした、黒人色の強い愉快な街であった。

 
R1030249-001