グラナダもかなり居心地のよさそうな街ではあったが、長居は禁物。オメテペ島に向かうことにした。
 

途中の町はリバス。そこからタクシーですぐの港町サンホルヘまで向かい、サンホルヘの港からは船でオメテペ島のモヨガルパへ渡る。なんだかんだと一日がかりのルートだ。
 
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リバスという名前がどうしても覚えられず、リベロのような名前の町に行きたい、などと周りの人びとに聞きながら向かう危なっかしい発進だったが、なんとかリバスまで行き着き、その後はとんとん拍子に進んだ。その日の日記にはしっかりリベロと記録してあって、我ながらいい加減である。

グラナダからリベロことリバスへのバスは市場の隅から発車した。1時間に1本で頻発していると言われていたがいざ行ってみると2時間待たされた。私は埃っぽいバスの中にバックパックだけ置いて、市場で買い食いして回った。ポテトを荒くすりつぶしたものに鶏皮の揚げと千切りキャベツが入って笹の葉のような葉で巻かれた、外見はちまきのような、何だかよく分からないけれど美味いスナックを食べた。喉が渇いたのでパイナップルを買って、切ってもらってかじった。

 
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土の道沿いに木柱を突き刺して幌を広げただけの店が連なる市場は、世界のどこの市場とも同じように、ごみごみしていて埃っぽくて大声が飛び交っていて、野菜くずが日射しに焼かれたにおいがして、子供たちが駆けずり回っていておばさんたちはよく働いていた。アジア人は珍しいのだろうか、昨日もこのあたりをうろついていた私のことを覚えているおばさんもいて、トマトを買うかバナナを買うかなどと声をかけてくる。

 

バスを降りてタクシーをつかまえ、他の乗客とシェアしてサンホルヘに着いて、ランチと一緒にビールを飲んで船の出航を待った。しばらくして乗り込んだフェリーはエル・チェゲバラ。そういえばニカラグアは反米が長く、反米サンディニスタたちは90年代に終わるまでの紛争の間はソ連やキューバからアドバイザーを招いていた国なのだ、と、ちょっと前にキューバの通貨のことを思い出しただけあって感慨深い。
 

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中米最大の国ニカラグア(それでも面積は日本の3割ほどだ)の下腹部あたりにぽっかりと空いた穴が中米最大の湖ニカラグア湖で、オメテペ島はニカラグア湖に浮かぶひょうたん状の島だ。まるで胎児のようにも見えるオメテペ島は、双子の火山がぽくぽくと隆起してできたのだという。1610mの火山コンセプション山では火山トレッキングができるということでアクティブな欧米人の旅行者に人気のようだが、私は火山トレッキングはせず、せっかく島に行くわけだし、少しは町の喧騒からも逃れられるだろうし、湖のほとりでのんびりしようと思っていた。

 

島、というだけで一種独特の浪漫があると感じるのはなぜだろうか。海(や湖)を境目とみなし、境目を越えたところにはなにか違うものが、違う人びとや違う食べものや違うお酒や違う風習が、あると思っているのか。それは、日本列島という海に四方を画された島に育ったせいか。無意識のうちにか、意識的にか。

いやはや、水に画された場所には今に至るまで特殊な文化とか風習が息づいているとでも思いたいのか。ただの理想郷願望か。

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 理想郷に向かってチェゲバラ号は風を切って進んでいた。果てに見える二つの火山のかたちが尖った乳房のようにも見えたがそれにしては左右の大きさが違って不格好だ。左乳の火山は頂上に灰色の雲を浮かべており、それが噴煙を上げる桜島を思い出させた。たった15分の桜島フェリーに乗って錦江湾を渡るとき、同じように少しずつ近づいてくる火山にちょっとしたときめきを覚えたものだ。

 

火山から吹いてくる風はすずしく、甲板までゆるく届いた。湖は平らだった。なんだかもう大丈夫な気がする、と思った。それは、グアテマラのフローレスの湖を見たときの、続きの気持ちだった。行く先に降りかかってくるさまざまな旅的ながちゃがちゃしたものに、ゆったりのんびり、平らに向き合っていけるのかもしれない、と。穏やかな湖を見ると私は毎回こうやって自分の心の平静さとリンクさせるのだろうか。それともこれは島に対する憧憬の続きか。

 
チェゲバラ号は音もなくオメテペ島に近づいた。そしてふいにぼうと汽笛を鳴らすと、火山に抱かれた簡素なモヨガルパの港に着岸した。


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