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読者の皆様へのお願い

メールコメント多数。

私も10月2日付の英ガーディアン紙の当該記事を見てみた。

この記事のどこにもニビルのことは書いていない。

しかし、トカナの記事を(例によってテキストコピーでだが)見ると、英ガーディアン紙にニビルの(存在の)可能性が出たと書いてあるかのように見えてしまう。

これではまるっきり心霊詐欺だろう。

オカルト界隈でいうところの「ニビル」が存在するといわれているが、その存在を強く裏付ける新たな発見があったと話題だ。英紙「The Guardian」ほか多数メディアが大きく報道している。

というのならば、そのニビルが存在すると書いている多数メディアの名前を出せばよいこと。その記事へのリンクをすればいいではないか。

なのに何故ニビルのことなどひとことも書いていない英ガーディアン紙(の名前)を出す。

改めて角ゆきこ編集長に対してその説明を求めたい。

もし、これを読んで私のこの要求に賛同される方がいたのらば、トカナの編集長に対して説明を求めるメールを送ることをお願いしたい。

久しぶりになにかしら私も妄想じみた明るい展望を抱いてしまった。

私の妄想とは『あっ、俺ひとりのチカラだけでトカナをぶっ潰せるかもしれない…』というものだ(笑)

しかし、そんなわけないので皆様のご協力を仰ぐ。

トカナの編集長の正確なフルネームは『角由紀子』だそうである。

トカナの問い合わせフォーム

よろしく。
日本のテレビやネットにはオカルトがあふれています。しかし、全部インチキと嘘ばかり。
テレビ・ネットのインチキオカルト・嘘を暴いています。みなさまからの情報をお待ちしております。
かまたあきよし

メールはこちらから
akgoodco1224@gmail.com

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190109 稀勢の里引退秒読み
あまり書きたくはないが、横綱稀勢の里は初場所途中で休場だろうし、そのまま引退のコースが避けられそうもない。それが残念でしかたがない。誰が悪いのか、もちろん稀勢の里を横綱にしてしまった横審の連中だ。あのボケじじい(ばばぁ)どもの享楽のために稀勢の里は引退を余儀なくされたのだから。そもそもあんな大怪我をした状態の稀勢の里を横綱に推挙するとか誰の目にも明らかな暴挙だった。頼む、稀勢の里の引退が避けられないのならば、横綱審議会の全員、責任をとって引退してはくれまいか。同じ間違いを繰り返さないためにも前例は必要になるからだ。
190105 つくねについて

190109 つくね2

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181130
TBSサンモニと関口宏に制裁を
トカナの白神じゅりこによるファティマ予言の記事について


180930 吉澤ひとみ容疑者芸能界引退へ
180926 マスコミ取材陣とはホタルかアリかの巻

あまり触れたくはない話題なのだが、今読者の方からのメールで一番多いのは、やはり仙台市内で起きた交番での警官殺人事件についてである。

感づいたかたもいたが、この事件の現場となった交番は家から一番近いというのではないがさほど遠くもない。時々この交番の前を通る程度。交番の中に入った記憶はないのだが、外観は見慣れてる。そんな場所なのである。

むしろ私にとってのこの事件のもたらす現実感は犯人の大学生の家がすぐ近くだということだろう。

取材マスコミの人だかりが出来ているのでそれで特定が出来てしまうのである。

相変わらずだが迷惑この上ない連中だった。

いつも思うことなんだが、このデジタル全盛の時代にあんなに大勢のマスコミ取材者は本当に必要なのだろうか。
 
系列の新聞・テレビの取材者同士が近くのコンビニの前や店内で情報交換なんかしているのを見るとなんか無性に腹が立ってくるのだ。

民放と親会社の新聞社が手を組む、あの何とかニュースネットワークという報道システムそのものがある種のガン細胞なんだろうなぁとかつい思ってしまう。

なぜかというと、NHKの報道体制の身軽さと比較してしまうからだ。新聞という重荷がない分NHKの取材体制は実に合理的と言える。

ここで憂さを晴らすのもなんなんだが、結局、民放と新聞の取材の依頼は最初の電話の時点で全て断った。

もう十年以上も前のことだが、世田谷経堂にいたとき、近くで起きた殺人事件の目撃者となったことがあって、入ったばかりの従業員が、某テレビ局の記者の取材をうけてしまったところ、そのあとまるで示し合わせたように各テレビ・各新聞の取材の電話が次から次とかかってきて仕事に支障をきたしたという嫌な経験があるんで。きっと記者同士の情報交換のシステムがあるからなんでしょう。

だから取材カメラの砲列を見かけたときに、相変わらず非効率な連中だなと思ったという、上で書いたことにつながっているのだが。
180811 トカナのジュセリーノ記事 2追記部分

最近再びつまらない一行コメントの類が増えてきた。

夏休みだからか。

大概の場合は放置しておくが、中には図に乗って何度も同じようなつまらないコメントを残してゆく輩もいたりするので逆に悲しい気分にさせられる。日本のネットの悪い傾向がここにも現れている気がするからだ。

この記事にもこんなコメントがついた。
整合性ワラ

なんのつもりなんだろうね、この人は。

トカナの記事を書いた白神じゅりこも相当なお馬鹿だが、このコメントの人もそれに負けないくらいのバカじゃないのか。

ジュセリーノの公式HPで『気温は100度に達する』と書いているのは2023年のことだ。わずか五年後である。

そしてそのあとに『2043年環境破壊のために人類の80%は滅亡する』と述べている。

あのねー、気温が摂氏100度になるような地球だったらその時点で人類どころか地上の高等生命全滅するに決まっているでしょうが。

だからわたしは『2023年100度になると言っているのは摂氏ではなくて華氏での100度でしょ?』とかいたのだがそれが理解できないのか。((つづきはこちら⇒)
180811 トカナのジュセリーノ記事
180602 ジュセリーノに関するネット記事
180422テレビ朝日の女性記者の件
180325 シン・ゴジラ
180407 大谷翔平右投げ左打ち
180321 票田のたとえあり
180104 年末超常現象SP2017 その
180104 年末超常現象SP2017 その
180103 五島勉のインタビュー
180101 二重否定は強い肯定である
続きを読む

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つくね 2

あれから「つくね」に関するメールをたくさん頂戴した。

たくさん、ったってコメントメッセージが10くらい、メールも10通以下だが。

だが、たかだか「つくね」のことを書いた記事に数通ものリアクションがあったことは驚きであった。

もっとも、わたしのこのブログ、食べ物に関する記事の皆様の反応はとてもよくて、過去、揚げ物、寿司、インスタントラーメン、うなぎについて書いた記事のアクセス数は微妙な感じで今でも延び続けている。

特に最近は、天然うなぎに関する報道もあり、それに対するフォローもいただいたりしている。
なぜ流通するウナギの半分以上が「違法」なのか
(文春オンライン)

当時はもちろんただの素人考えの推測に過ぎないと思って書いた記事だったが、どうやら、わたしの推測はそのものズバリではないにしても、記事で書いた通りで、日本国内には国産天然もののうなぎの闇の流通ルートが存在していて、それが無視できないくらいの規模にまで膨れ上がり、ついに政府・農水省も重い腰を上げて対策に乗り出すようだ。

さて、この「つくね」の記事に対する皆様からの反応は様々である。

はっきりと書かなかったわたしの責任ではあるが、まずは誤解を解くためにこれから書いておく。

もちろん、スーパーやコンビニ、あるいは屋台などで一串百円くらいで売られている「つくね」が、原材料の主成分は「鶏肉」ではないことぐらいはわたしでも知っている。

分かった上で、知っていて、それで「食えないレベルではない」、「不味いつくねには出会ったことがない」と言っているのだ。

そもそも「つくね」とはその作り方からきた名前である。

『突く』と『練る』からきたといわれる『つくねる』という下ごしらえ調理の方法である。

細かく切り刻んだり潰してから手で丸めたり、ヘラで掬ったりして、またさらに串に刺したりして焼いたり湯に落とした獣肉の調理法を総称して『つくね』と称した。

だから『つくね』には『鶏のつくね』という具合に、原材料がなんなのかを明らかにした呼び方、言い方をするものがある、ということにもなる。

さらにいうと、焼き鳥屋で『つくね』と称して客に提供している串料理の原材料が鶏肉でなくともなんの問題もないということにもなるのだ。「鳥(鶏)のつくね」とメニューに載せなければ。

安い『つくね』の材料は、ほとんどの場合、主にくず肉(骨にこびりついた残肉を削ぎ落として集めたもの)と大豆などの豆類から製造した合成の植物性タンパク質である。

日清のカップヌードルでおなじみの『謎肉』と同じで、植物性タンパク質に鶏エキスで味付けをしたもの。

合成食品というと健康に悪そうだが、よく考えてみると豆腐や豆乳と同じものであるわけで、豚や牛、羊などの動物性タンパク質よりはむしろ健康には良いという専門家(食物や栄養の研究者)もいたりするのでそこはなんともいえない。

削ぎ落とし残肉(骨肉 ボーンミート)だってそれ自体は特に健康に害のあるものとはいえない。

ただこれは言えるだろう。

消費者のほとんどは、焼き鳥屋やスーパーの売り場でほかの焼き鳥と一緒に売られている『つくね』もまた鶏肉から作られたものだと思い込んでいる。

それだからつくねの材料のほとんどが実は鶏肉ではないことを知ると「騙されていた」という感じになってしまうのだ。

繰り返すが、『つくね』とは作り方かたついた名前だから、焼き鳥と一緒に売られていてもなんの問題もないし焼き鳥屋が悪いことをしているのでもなんでもない。

焼き鳥屋なんかで、知ったかでつくねに関する薀蓄を垂れる奴は多いが、悪いが、わたしはそれくらいのことはもう30年近く前から知っていた。下手すると、わたしの目の前でその薀蓄垂れている某が生まれる前かもしれないのだ。

そうではなくてね、わたしが『騙された気分になることがある』と言ったのは、だからだから「旨い焼き鳥屋と不味い焼き鳥屋は歴然としているのに何故つくねにはその差というものがないのか」のことなのですよ。

これが不思議でしかたがないのだ、わたしは。

原材料レベルならば、まず鶏肉の原産地であるとか原産国とかで焼き鳥のようなわかりやすさは求められないが味に差はあるはず。

あるいはカサ増しで入っている植物性タンパク質でも、添加する鳥エキスの成分や製造方法によっても味に違いは出てくるだろうからそれが店やチェーン毎の旨い・旨くないの差となって出てきてもよさそうなものだ。

もちろん、使っているタレで味に違いは確実に出てくるわけで、そこで店(チェーン)の秘伝のタレ(笑)とか使っているならば絶対に旨いつくねとそうでないつくねというふたつのグループ分けはできるだろうにそれがないことをわたしは不思議だ、騙されているような気がしてならないと感じている…

と、ここまで言えばおおかたの読者の方は気づかれただろう。

そう、わたしがつくねについて感じていることは、そっくりそのまま「オカルト」についてもあてはまってしまうことでもあるのだ。オカルトというかオカルトテレビ番組ね。

民放の無料で見られる番組なんてそもそも広告を流すためのコンテンツに過ぎない。それはもうかつて当事者だったわたし自身が身に沁みてわかってはいることだ。

しかし、何故にテレビ番組、特に民放地上波のテレビ番組だと、オカルト番組は「オカルト」という名前を冠したただのインチキオカルト番組ばかりなのか。

またあるいは、(地上波に限らず衛星でもラジオでも)民放のオカルト番組は、素人や無知な人間に「オカルト研究家」の肩書きをつけて番組内でテキトーなことを言わせてそれをノーカットのままオンエアできるのか。

「つくね」が一串百円レベルの焼き鳥屋で売られていたら、その原材料が純粋な意味での鶏肉でないことくらいはわかるが、タレ味にするとどれもこれも差というものがなくなる。

「オカルト」をテレビの地上波番組でオンエアするとどれもこれも何故か純粋なオカルトではなくてインチキオカルトになってしまう。

それが「つくね」というものならば、それが当たり前だというのならば、同等にさ、テレビでオカルトをやるときは、番組の頭と終わりに『この番組はフィクションです、出演者の発言には事実と異なる箇所がありますので予めご了承ください』のテロップを入れる必要はなくはないのか?

そしてそれが現在の全てのテレビ局全てのテレビ番組に求められるリテラシーというものなんじゃないのかとわたしは全テレビ関係に対して問いかけたい。特に作っている連中と出演しているあんたらにさ。

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わたしがビジネスチャンスだと言ったのは、この焼き鳥のつくねに新しい名前を与えたほうがいいんじゃないのかという意味なのである。ご理解いただけただろうか。

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190106 年末超常現象2018 小さいおじさん

このネタに関する読者の皆様からの反応、メール・コメントはさほど多くはない。

ジダン太さんという方からの以下のメール(一部)が、皆様の反応や意見その他、異論反論を代表していると思われるので引用公開させていただくことにした。(一部手直しを加えた。※本人の了承済み)
日本では90年代になって「ちっちゃなオジさん」というネーミングで週刊誌や東スポなんかでブームになりましたが、もとから世界のいたるところで昔から伝わる伝承「小人伝説」のことですよね?これ・・・(中略)コロボックルも多分このバージョンのひとつだと思うのです(中略)北欧神話の小鬼ドワーフもそうだな

指輪物語の主役たちホビット族もそうなのかな・・・(中略)(だからそういった)伝承にあれこれケチつけたりするのはいいことではないにしても、テレビに出てくるちっちゃいオジさんを目撃したタレントさんたちって、なんかみんな不幸な雰囲気がする人ばかりだなと感じるのはわたしだけか?

昔、尺由美子(※釈由美子)は不思議ちゃんのキャラ付けされて、マネージャーさんから「テレビに出たければやれ」と命令されてウソをついたと告白してましたが、彼女みたいにイヤイヤやってる人も多いと聞きましたし

釈由美子のことは未確認なので真相はわからないが、たしかに、そういう告白をした女性タレントがいたのはわたしも記憶している。

ここからはわたし(かまた)の意見である。

たとえば、こういう目撃例を読んだり聞かされたりすると「それは本当に目で見たものなのか、夢の中の出来事なのではないか」であるとか「現実の出来事と夢の記憶がごっちゃになっているだけではないのか?」と、つい疑いの眼差しで見てしまうようなものはとても多い。

この番組に出てきた女性モデルさんの口から出た言葉、言質だけを追うと、どうしてもその可能性は拭えないのだ。

彼女だけではない。幻覚だとか幻聴、異次元体験なんてものは、この現実と夢の境界線上に置きたくなるものばかりだ。

夢だとか幻覚ならまだいい。

ある種の抑圧下に置かれると、人間というものはある種の精神性の防御のために『ありえない現実』の世界に逃避するものなのでその疑い、可能性をも考えなければならない。

もちろん、この番組で証言した女性モデルさんのことではないが、怖いのは、こういう『小人を見る』のは薬物中毒患者、特に重度の禁断症状の場合におおいことだろう。

それどころか、テレビのオカルト番組内で、統合失調症の可能性に触れた精神医学者もいた。真面目に考えなければならない。

有名なのは欧米でアルコール中毒患者がよく見るという『小さな象』の幻覚だが、やはり小人の幻覚というのもあるのだ。
それくらいは有名なパターンなのだ。

『裸のランチ』で知られる詩人であり小説家のウィリアム・バロウズや、映画『ブレードランナー』の原作小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で知られるフィリップ・K・ディックなどは重度の薬物依存からその作品を語られるくらい、麻薬の誘惑に勝てずに溺れていった人たちである。

なもので、わたしなんかはテレビに出て『ちっちゃなオジさんを見た』とか証言を繰り返すタレントさんを見ると、「この人この先大丈夫なんかなぁ?」と要らぬ心配をしてしまうのだが。

あと笑ったのは、番組で独自に作ったCGを使った再現映像のちっちゃなオジさんを、目撃者のモデルの人は『俳優の岸辺一徳そっくり』と言っているのに、そのCGのちっちゃなオジさんの顔がどう見ても『温水洋一』なことか。

そしてそれを書いてきたひとが三人もいたことだった。

わたしも番組のそのパートを見て『岸辺一徳っていうより温水洋一に一票』のひとりである。

あなたはどう思っただろう。

これは、小さなおじさんの実在を喧々囂々とするよりももっと大切なことだぞ

(つづく)

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190105 つくねについて
わたしは最近、焼き鳥というと「つくね」ばかり食べている。

いろいろ理由はあるが、一番の理由はつくねには当たり外れがないことだろう。

メチャ旨いつくねにはまだお目にかかったことはないが、食えないレベルのつくねにも出会ったこともないのだ。

コンビニとかスーパーの焼き鳥には不味いとまでは言わないが美味しくないのがかなりあるのが事実だ。

流石に屋台の焼き鳥の『龍鳳』や大衆向け焼き鳥チェーン「大吉」くらいのお店だと、みなそれなりに工夫はされているのでそこそこ美味しくはあるのだけども、やはり限界みたいなものはあると思う。

限界というのは原材料である鶏肉の品質のことだ。

コンビニ・スーパーの一串100円レベルのだと、こうなんていうのか、噛み応えが良くない。何度も口の中でモゴモゴクチャクチャやってしまう。そして口の中にスジだけが残り、半ばイヤイヤ飲み込んだりしている。ときには飲み込まずに吐き出している。

これが店で、もしわたしが一人客だったらお店の人にわからないように吐き出しているだろう。幸い、お店ではそんなひどい焼き鳥に出会ったことがないだけで。

若いころ、二十代のころはつくねなんてのは女子供か年寄りの食うもんだくらいに思っていた。

そんな自分が焼き鳥というとつくねばかり食べているのだ。いまさら女子供になるはずもないのできっと後者のほうなんだろう‥ねぇ。

知り合い宅でテレビ録画したシン・ゴジラを見ていたときも、実は焼き鳥というよりもつくねばかり食べていた。買ったのは同行した同居人で、途中おつまみ類を買うときに『せっかくだから』と某スーパーの店前に出ている屋台(軽自動車)の焼き鳥屋でごっそり買い込んだものだ。そのときにわたしは『つくね頼むわ』とリクエストした。

名前は出せないが、その屋台の焼き鳥はあまり美味いとは言えないみたいで、ふたりとも手が伸びなくなっていた。どちらかが『ダメだ、やっぱり(屋台の焼き鳥は)竜鳳でないとダメだ』とこぼした。

でもやはり、わたしが食べていたつくねはそこそこなのである。ちゃんと喰えるレベルにはなっていたのだ。

どうもそこが納得できない。醤油タレ味にしろ塩ダレにしろ、鶏モモにしろ胸肉にしろ、おそらくぼんじりにしろ部位は違っていても美味しいところは美味しいし、美味しくないところは美味しくない。歴然とした差がある。これは間違いない。なのにつくねにするとその差はなくなる。

そもそもがつくねとはそういうものだという考えもだろうが、そのことについて気がゆくようになったのがわりと最近なので、なんか騙されているようで心持ちはよくないのだ。

ちなみにこのことをふたりに言ったら「そうなのかな?」ぐらいの反応しか返ってこない。

それどころか「いや昔っからつくねなんてどっちかっていうと焼き鳥のジャンル外でしょう」なんてまるで昔の自分のようなことを言われる始末である。

つくねとはなんなのか。

わたしはこのことについてもう少し考えを深めたいと本気で考えている。

もしかすると、そこに何か大きなビジネスチャンスが潜んでいるかもしれない。

つくね2

あれから「つくね」に関するメールをたくさん頂戴した。

たくさん、ったってコメントメッセージが10くらい、メールも10通以下だが。

だが、たかだか「つくね」のことを書いた記事に数通ものリアクションがあったことは驚きであった。

もっとも、わたしのこのブログ、食べ物に関する記事の皆様の反応はとてもよくて、過去、揚げ物、寿司、インスタントラーメン、うなぎについて書いた記事のアクセス数は微妙な感じで今でも延び続けている。

特に最近は、天然うなぎに関する報道もあり、それに対するフォローもいただいたりしている。
(記事リンク)
当時はもちろんただの素人考えの推測に過ぎないと思って書いた記事だったが、どうやら、わたしの推測はそのものズバリではないにしても、記事で書いた通りで、日本国内には国産天然もののうなぎの闇の流通ルートが存在していて、それが無視できないくらいの規模にまで膨れ上がり、ついに政府・農水省も重い腰を上げて対策に乗り出すようだ。

さて、この「つくね」の記事に対する皆様からの反応は様々である。

はっきりと書かなかったわたしの責任ではあるが、まずは誤解を解くためにこれから書いておく。

もちろん、スーパーやコンビニ、あるいは屋台などで一串百円くらいで売られている「つくね」が、原材料の主成分は「鶏肉」ではないことぐらいはわたしでも知っている。

分かった上で、知っていて、それで「食えないレベルではない」、「不味いつくねには出会ったことがない」と言っているのだ。

そもそも「つくね」とはその作り方からきた名前である。

『突く』と『練る』からきたといわれる『つくねる』という下ごしらえ調理の方法である。

細かく切り刻んだり潰してから手で丸めたり、ヘラで掬ったりして、またさらに串に刺したりして焼いたり湯に落とした獣肉の調理法を総称して『つくね』と称した。

だから『つくね』には『鶏のつくね』という具合に、原材料がなんなのかを明らかにした呼び方、言い方をするものがある、ということにもなる。

さらにいうと、焼き鳥屋で『つくね』と称して客に提供している串料理の原材料が鶏肉でなくともなんの問題もないということにもなるのだ。「鳥(鶏)のつくね」とメニューに載せなければ。

安い『つくね』の材料は、ほとんどの場合、主にくず肉(骨にこびりついた残肉を削ぎ落として集めたもの)と大豆などの豆類から製造した合成の植物性タンパク質である。

日清のカップヌードルでおなじみの『謎肉』と同じで、植物性タンパク質に鶏エキスで味付けをしたもの。

合成食品というと健康に悪そうだが、よく考えてみると豆腐や豆乳と同じものであるわけで、豚や牛、羊などの動物性タンパク質よりはむしろ健康には良いという専門家(食物や栄養の研究者)もいたりするのでそこはなんともいえない。

削ぎ落とし残肉(骨肉 ボーンミート)だってそれ自体は特に健康に害のあるものとはいえない。

ただこれは言えるだろう。

消費者のほとんどは、焼き鳥屋やスーパーの売り場でほかの焼き鳥と一緒に売られている『つくね』もまた鶏肉から作られたものだと思い込んでいる。

それだからつくねの材料のほとんどが実は鶏肉ではないことを知ると「騙されていた」という感じになってしまうのだ。

繰り返すが、『つくね』とは作り方かたついた名前だから、焼き鳥と一緒に売られていてもなんの問題もないし焼き鳥屋が悪いことをしているのでもなんでもない。

焼き鳥屋なんかで、知ったかでつくねに関する薀蓄を垂れる奴は多いが、悪いが、わたしはそれくらいのことはもう30年近く前から知っていた。下手すると、わたしの目の前でその薀蓄垂れている某が生まれる前かもしれないのだ。

そうではなくてね、わたしが『騙された気分になることがある』と言ったのは、だからだから「旨い焼き鳥屋と不味い焼き鳥屋は歴然としているのに何故つくねにはその差というものがないのか」のことなのですよ。

これが不思議でしかたがないのだ、わたしは。

原材料レベルならば、まず鶏肉の原産地であるとか原産国とかで焼き鳥のようなわかりやすさは求められないが味に差はあるはず。

あるいはカサ増しで入っている植物性タンパク質でも、添加する鳥エキスの成分や製造方法によっても味に違いは出てくるだろうからそれが店やチェーン毎の旨い・旨くないの差となって出てきてもよさそうなものだ。

もちろん、使っているタレで味に違いは確実に出てくるわけで、そこで店(チェーン)の秘伝のタレ(笑)とか使っているならば絶対に旨いつくねとそうでないつくねというふたつのグループ分けはできるだろうにそれがないことをわたしは不思議だ、騙されているような気がしてならないと感じている…

と、ここまで言えばおおかたの読者の方は気づかれただろう。

そう、わたしがつくねについて感じていることは、そっくりそのまま「オカルト」についてもあてはまってしまうことでもあるのだ。オカルトというかオカルトテレビ番組ね。

民放の無料で見られる番組なんてそもそも広告を流すためのコンテンツに過ぎない。それはもうかつて当事者だったわたし自身が身に沁みてわかってはいることだ。

しかし、何故にテレビ番組、特に民放地上波のテレビ番組だと、オカルト番組は「オカルト」という名前を冠したただのインチキオカルト番組ばかりなのか。

またあるいは、(地上波に限らず衛星でもラジオでも)民放のオカルト番組は、素人や無知な人間に「オカルト研究家」の肩書きをつけて番組内でテキトーなことを言わせてそれをノーカットのままオンエアできるのか。

「つくね」が一串百円レベルの焼き鳥屋で売られていたら、その原材料が純粋な意味での鶏肉でないことくらいはわかるが、タレ味にするとどれもこれも差というものがなくなる。

「オカルト」をテレビの地上波番組でオンエアするとどれもこれも何故か純粋なオカルトではなくてインチキオカルトになってしまう。

それが「つくね」というものならば、それが当たり前だというのならば、同等にさ、テレビでオカルトをやるときは、番組の頭と終わりに『この番組はフィクションです、出演者の発言には事実と異なる箇所がありますので予めご了承ください』のテロップを入れる必要はなくはないのか?

そしてそれが現在の全てのテレビ局全てのテレビ番組に求められるリテラシーというものなんじゃないのかとわたしは全テレビ関係に対して問いかけたい。特に作っている連中と出演している連中らにさ。[19.01.09]

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年末超常現象2018 もっと笑かせろと

録画したこの番組の前半約90分くらいを見ることが出来た。

感想を一言でいうと「疲れた‥」につきる。

こうなんていうのか、積極的に何かを言いたくなるようなものでは全然ないですな。皆様からいただいた感想批判の箇所を追従して確認する程度だった。

というか、こういう番組構成になったことで、この番組の致命的な欠陥みたいなのは感じ取れることはできた。

端的に言う。この番組、何をいったところでどう転んだところで所詮はお笑い番組に過ぎない。

それを自覚してない出演者が多すぎるのだ。

この番組に出る、出演するということはひと(視聴者)を笑わせる技術に長けた者か、そうでなければ(視聴者に)笑われる覚悟のある者だけが出るべきなんだろう。

この番組のレギュラー出演者を見る限り、笑わせることの出来る技術を持っているのはビートたけしただひとりで、最近では年がわりで劇団ひとりや伊集院光が出る程度。

あとのオカルトの連中は否定派も肯定派も(視聴者に)笑われるために出演しているのに、何故なのか、カッコつけてなのか、笑われる存在になることを極端に嫌っているような連中ばかり。

最近、肯定派にひとり中沢健という、見るからに「わたしを笑ってください」といわんばかりのいでたちで登場してくるのがいるが、もちろんあんなんで視聴者が笑えるわけもない。あれではただの危ないひとだ。

我々が中沢健のことを笑っていい物件として認知するのは、伊集院光のツッコミがあってだった。

そこで初めて我々視聴者は笑わせるプロである伊集院光と笑われるためにこの番組に出演している中沢健という役割分担を認識して安心してわらけるというプロットを受け入れるカタチになっていた。

このあたりがイマイチよくわかってないのが竹本良なのかもしれない。というか、竹本良をお笑いにするためにはもっとオカルトに詳しい、たとえば山本弘氏のようなひとを否定派に座られなければならないんだろうな。

まあ韮澤潤一郎みたいな「おかしなことしか口にしない」みたいな役割が浸透してしまったところまでゆくと、今度は扱いの難しい困ったちゃんが二人もいることにもなるし。

救いようがないのが大槻教授と山口敏太郎(敬称略)と秋山眞人(敬称略)だろう。この三人、いつになったら(視聴者からは)自分が笑われるためにこの番組に呼ばれていることを認識するのか。

だれが年末にむさいじいさんおっさんどもが口角泡を吹いて本気で怒鳴りあうシーンを見たがるか。

しかもあんな低次元な議論で終始していたらそりゃ視聴者離れもしますわなぁ。

奇しくもというのか、本人たちも気づかなかったっぽいのがなんともなところだが、秋山眞人の口から論理だとか因果関係ということばが出たときに、わたしはグフフという感じの下卑た笑いがこみ上げてきた。

大槻教授を批難するためのフレーズが実はそのまま肯定派にいる山口と秋山に対するブーメランになっているからだ。

たとえば、オンエアはされなかったものの山口敏太郎はファティマの予言については全くの無知であることを露呈していた。秋山眞人はノストラダムス予言の解釈者(研究家)のヘンリー・C・ロバーツの研究だといってロバーツ本人が言ってもいないことをロバーツの研究だといっていた。

そもそもが、アンゴルモア(Angolmois)がモンゴロイド(Mongoloid)のアナグラムだとしても、モンゴロイドは蒙古人であっても中国人(Chinois)ではない。

だから中国の守護星が火星だろうがなんだろうが関係はないはずなのだが、どうやら秋山はそんなことにも気がつかなかったというど素人を通り越したただのバカレベルの発言であった。

こういうオカルトには詳しくない素人を否定派肯定派両側に座らせることがどれだけ意味のあることなのか。

数年前、わたしは鶴見俊輔の「限界芸術論」に倣って、オカルト番組のお笑いについて分類してみせたが、否定派に大槻、肯定派に山口や秋山が対峙したところで、どんなに頑張ったところで素人同士のただの罵り合いにしかならない。

プロが提供する笑いには絶対にならないのだ。

どうにもそこがわたしにはもどかしい。

(つづく)

追記

この番組で名場面集をやると必ず肯定派の面々の口から出た珍言だとか宇宙人の住民票をめぐる大槻教授と韮澤潤一郎のもみ合いのシーンばかり出てくるでしょう。それは作るほうもだし見る方もこの番組をお笑いと捉えているという大きな証左なのだ。

もちろん、ノストラダムスが生きていた1500年代の16世紀、ヨーロッパにはエーゲ海の向こう側がどうなっているのかとかどんな人間がいるかなんてことを認識しているような人たちはほとんどいなかった。ノストラダムスもそのひとりである。

追記2

長らく、日本では中国を支那(しな)と呼び習わしていた。
この『支那(シナ)』をラテン語読みにしてアルファベットにしたのが『Sina』でありそこから後代フランス語に定着したのが『Chinois シノア』である。そしてこれがいまでもイタリア語として使われている『Chino チノ』とは同源にあたる。

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181231 年末超常現象2018 ゴム人間

あれからも、いくつかこの番組に関するメールやコメントを頂戴しているのだが、なんというのか(番組の内容のために)散漫で薄いトーンのものばかりになっている。

中には、今年のこの番組には例年以上の問題点があることを指摘された方もいる。

それについてはあとでまとめて触れさせていただく。なんにしてもわたしが番組録画を見てからだ。そうワタシまだこの番組を見ていないのだ(笑)

ネットに上げられていた尺の短いものはいくつかはみたのだが。

その中のひとつなのだが『ゴム人間』という、いかにもなのがあって、それを見てのワタシの感想である。

この『ゴム人間』というのももう十年以上も前の古いネタなのだが、番組には当時このゴム人間の目撃者のひとりである石坂浩二が出演した。

最初それをメールかなにかで教えられたときは淡い期待を抱いたわたしだったが、ゴム人間のコーナーを見終わって「ああやっぱりなぁ‥」みたいな落胆をさせられたのだ。

何に落胆したかというと、誰もこのゴム人間がケムール人を元にした都市伝説であることに触れなかったことだ。

あのゴム人間のスチールを見てウルトラQに出てきたケムール人そっくりと思わない人間なんているのか?

このケムール人が出てくるウルトラQのエピソード『2020年の挑戦』はあまりにも有名で、ウルトラQの傑作のひとつとして数えられている。

あの『フォッフォッフォ』という不気味な笑い声と夜の東京をパトカーに追いかけられながら走る姿、遊園地(豊島園?)で頭頂から伸びた噴出口から溶解液を噴出させながら観覧車を押し倒して倒れるシーンは見るものに恐怖を通り越してシュールな感覚を植え付ける。

とここまで書きゃわたしが何に落胆したかはもうおわかりでしょう。

そう、そしてウルトラQのナレーションを担当していたのが石坂浩二そのひとだ。

なのでゴム人間の形状からケムール人を連想するのは自然な流れといってよいだろう。

なのに、石坂浩二本人もだし、誰ひとりとしてそこに触れなかったことにわたしは落胆したのだ。

まして今年のこの番組には伊集院光も出演者のひとりとしていたわけだからどうにも腑に落ちないのだ。

単なる想像に過ぎないが、ある種の箝口令(かんこうれい)が敷かれた可能性すら浮かんでくる。

そのくらい、このゴム人間というのはケムール人にうりふたつだということ。

おそらくは(上で書いたように)ゴム人間はケムール人を元に作られたネタである。
(つづく)

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181224 テレ朝年末超常現象2018

今年のこの年末特番に関する常連の皆様方からの反応は極めて薄いものになっている。

メールは十数通ほど。コメントもほぼ同数にとどまっている。例年の半数以下だな。それどころかアクセス数も、ユニークユーザーだけならば通常営業の三倍程度。四桁どころか例年の三分の一以下だ。まあそれで今年の番組のクオリティを判断するわけにはゆかないのだろうが。

わたしはまだ番組録画自体は見てないので詳しい言及は避けるが、要するに、昔すでにこの番組でも取り上げたフライングヒューマノイドだとかUFOだとかUMAだとかの映像をもう一度出して、それに当時とは違う仮説をくっつけたり新解釈を持ち出して再び『オカルト』に仕立て上げるというインチキ・粗雑ぶりのようである。

案の定、海外からのゲストのマジシャンのコーナーもなし、海外ロケのUMA探索もなしと。(笑)まあこれは予算の都合だろうな。(笑笑)

皆様からの反応を読ませていただいた限りでは、内容的にも「過去放送の焼き直しばかり」であるとか「既に解決済みの物件をオカルトとして扱っていて[中略]途中で飽きちゃいました」「[前略](かまたさんがいつも言っている)『テレビはインチキオカルトばかり』の意味を嫌というほど感じました」みたいなトーンのコメントばかり。散々なもので、相当にショボいものだったのだろう。そういう想像は難くない。

ただし、わたしはそういう内容ならば、ありもしない、おかしな人類滅亡予言を取り上げ白神じゅりこみたいなのを予言研究家とでっちあげて番組に出すよりはマシなんじゃないのか、くらいのことを思っている。

過去三十年の総集編と銘打ってはいるが、要は焼き直しと再利用でしかない。その事実だけは動かないだろう。

果たして来年、この番組がどんな内容になるのか、あるいはあるのかないのか、それはわからないが、わたしにとってありがたいことだ。無駄な時間を費やす必要はなさそうだという安堵に浸っている。こんな年末は久しぶりだわ。よかったと思ってます、個人的にはですが。(笑)

もっとも、この番組に出演した肯定派・否定派共々、出演者の番組での発言や主張には問題になりそうなことばかりだったようで、それに対するツッコミや批判はあいかわらず来ているので、それに対する返答はしようかなくらいのことは思ってますけどね。

特に大槻(不名誉)教授と秋山眞人の番組内での発言は、この手の番組の悪い要素がそのままだったようで、これに対しては皆様からの意見が集中しているので。

(つづく)

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181213

テレビ朝日の年末のオカルト番組に対するお問い合わせが何通か寄せられている。

もちろん、わたしとて(何人もかたからの)放送日時とかの番組情報はすでに届いてはいるが、ここでそれを開示するつもりはない。

テレ朝のオカルト、今年もまたフィギュアスケートの裏番組となった。男女シングルのファイル(フリー)が土日だからだ。そりゃそうだわな、なにせどちらも年末の最終土日(どちらか)とスケジュールはカッチリと定められているのだから。当然そうなる。

わたしももし見れるならばフィギュアを見るだろう。

とくにこの二、三年は連続して知り合いや親戚の忘年会やクリスマスパーティーに顔出ししているので、わたしの中では年末最終土日はフィギュアと完全に決まったような感じになっている。

まして仙台市民であり宮城県民にとっては羽生結弦の出る全日本はみないわけにはいかないという側面事情もあったし、一昨年おじゃました友人宅は本郷理華の実家のすぐちかくだったりして、その場に居合わせた皆がテレビをつけるならフィギュアスケートを見たがる人だけだった。

今年は羽生の出場は難しいようだが、やはりフィギュアスケートの花は女子シングルである。

女子にも久しぶり、実力だけで金メダルを取れる紀平梨花という浅田真央以来のスーパースターが初登場するのだから否が応でも期待は膨らむ。

悪いことはいわない。カスみたいな内容になること間違いない今年の年末オカルト番組なんて(録画するなりして)あとでいくらでも見られるわけだしフィギュアスケートを見るほうをわたしはお勧めします。

まあそれが普通のことなんだけど。
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181130 TBSサンモニと関口宏に制裁を

張本勲と関口宏が赤っ恥発言!「サッカーを語るな」の大ブーイング
(アサ芸+)

今月の15日に亡くなられた元プロサッカー選手、引退後はコーチをされていた藤川孝幸さんとは少しだけ面識があった。

最後にお目にかかったのはもうだから十年以上も前、藤川さんがベガルタ仙台のGKコーチだったときだ。

藤川さんの訃報をネットのニュースで目にしたときはこうなんていうのか、喪失感と同時に、わずかな回数ではあるが、居酒屋みたいなところや世田谷経堂の街中で出くわしたときなど藤川さんと会話したときの懐かしい思い出にふけった。残念でならない。

わたしはTBS日曜朝の「サンデーモーニング」なんて番組を好き好んで観るようなマゾ視聴者ではないが、その日曜日の朝は、知り合いの御宅に泊めていただいた週末の起き抜けの朝食前の時間帯だったこともあって、チャンネル権というものはなく、ただ黙って御家族の習慣に従いこの番組を見ていた。いや、見る振りをしていたというべきか、この場合は。

だいぶ以前にも書いたことだが、わたしのこのサンデーモーニング嫌いは、なにも政治的偏向やら視聴者を騙眩かす不実報道にあるのではない。

また、関口宏のひとを不愉快にさせる陰々とした喋り、関口宏に追従するコメンテーターたちの滅滅とした発言だけでもない。

見てて一番気分が悪くなるのは、そのスポーツコーナーにこそ顕著に頻繁に見られる捏造癖が未だに直っていないことだ。

なにを捏造というかといえば、アレだ、あの実況風のアフレコである。

実際にはTBSはその試合を中継していないのにもかかわらず、報道映像に自局アナウンサーの早口で絶叫調のアフレコ音声を被せて、まるでTBS(系列)でこの試合を中継していたかのようなものを作って視聴者に錯覚や誤解をさせていることだ。こういう汚いやりかたが腹ただしい。

もし視聴者を欺くつもりがないというのであれば、そのアフレコ音声使用映像を流しているときは「この実況音声はアフレコです」というようなテロップぐらい出すべきだろう。

それをしていないということは、どうみてもどう考えても視聴者を欺く目的でこんなことをしているのは間違いないだろう。私はだからこの番組は捏造情報番組なのだといっているのだ。

さて、問題にされていた神戸清水戦でもTBSアナウンサーによるアフレコが使われている。しかしこれがまたこっぱずかしいことになっているのだ。

いったいどこの実況アナウンサーが試合中キーパーのゴールが決まった瞬間に「Jリーグでは22年ぶりとなるゴールキーパーの得点!」なんてことをまるで予定原稿でもあったかのような早口で実況できるのか、言えるか。

んなわけないだろう。誰でもそんなことは気がつく。わからないのは、もしわからなかったとすればそいつはそうとうな素人だろうて。

こういう素人だましが平気でまかり通るような報道情報番組なんてあっていいはずがないだろう。

だからわたしの位置付けでは、この「サンデーモーニング」という番組は報道番組でも情報番組でもなく、オカルト番組同様、ただのバラエティとなる。

誰にも文句は言わせない。サンデーモーニングは報道番組でもなければ情報番組でもない。ウソやつくりがまかり通るバラエティ番組なのである。

さて、関口宏が「そんなに熱くならなくとも」と漏らした7位と12位の対決となった清水神戸戦。

では10位前後を行ったり来たりする我がベガルタ仙台の試合を関口はどう思っているのか。想像はつく。

このサンデーモーニングという番組の最大の失敗は、だから藤川孝幸さんの死を伝えなかったことだろう。

もし、番組内で藤川氏の訃報があれば、おそらくは、いや間違いない、関口宏はあんなことは口にはできなかっただろう。

なににしても、このサンデーモーニングという番組のスポーツコーナーの欠点は、関口宏が仕切っていることにあることだけは間違いない。ここから改めるべきではないのか。関口ではスポーツコーナーのMCは勤まらない。早く代役を立てろ。もっと適任なのはなんぼでもおるやろ。番組内にもそれ以外にも。

おそらく関口の意識のなかにはそんなこと微塵にもなかっただろうが、我がベガルタ仙台のメーンスポンサーはアイリスオーヤマである。そう、サンデーモーニングのスポンサーでもあるアイリスオーヤマだ。

だからある種の義憤としてこんなことをいうのだが、アイリスオーヤマの関係者の方がもしこのブログをご覧になっていたら、関口に対して発言を慎むようにとの苦言をTBSとこのサンデーモーニングという番組に呈していただけないだろうか。

関口のあの発言はサッカーというものをJリーグというものを愚弄するもの以外何ものでもないからだ。

お願いします。


【追記】

読者の方たちからいただくメールやコメントメッセージがなんかとんでもないことになっている。うかつなことは書けない。

まず訂正から。関口宏のセリフは正確には「清水と神戸でしょ。そんなにエキサイトしなくてもいいのに…」であった。

愚かな発言であることにかわりはないが。少なくともスポーツ番組の司会者が口にすべきものではないだろう。

ソースのニュースサイトにもあるが、7位と12位の対決なので優勝争いに絡んでいるわけでもないし降格圏内でもない両者の対決でそんなにエキサイトしなくてもいいのに…という見方をしているのである。

こういう結果主義的な、つまりは優勝と降格以外は興味ない、という実にテレビ的な価値観に毒されちまった人間が犯しがちな発言を関口はしているのである。

しかし、当たり前のことだけど、選手達もそうだし、試合会場に足を運んだファン(サポーター)たちはそんな順位がどうだとか優勝もなければ降格の危険もないからといって来なかった観客ではない。選手はそんなものなど関係なく試合会場にチームの試合を見に来た人たちのために必死に戦っている。

おそらくそれが関口には理解ができないのだろうな。

だったら、こういう試合をただ乱闘があったからという理由だけで扱うなということになるわけだし、関口にスポーツコーナーの仕切りをさせるなと強くいうだけだ。

さて上でブログ読者の反応がとんでもないことになっているとかいたが、そのほとんどが、わたしがサンデーモーニングという番組を「ねつ造報道番組」と書いたことに対して「よくいったそのとおりだ」というような賛意だけで占められている。

「ねつ造はいいすぎだ」というような穏健派的意見すらまったくないのだ。珍しいことである。

ありがたいことを違いはないが、ここまで足並みの揃ったコメントメッセージ群を眼前にするとちょっとこわい。

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181120 コインロッカーの中に裸の男性が正座していた件


そういう事件が起きたのだ。
仙台駅ロッカーに50代裸の男性「自分で入った」
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/15618633/
(産經ニュースlivedoor配信)

最初このニュースをローカルのラジオのニュースで聞いてからテレビニュースで見たときは「なんじゃそれは」だった。

何故コインロッカーなのか、しかも裸なのか、まったく理解ができない。

一番理解できなかったのは、膝を抱えた体育座りでなくて何故正座して後ろ向きなのかだ。

ある人は「誰かが扉を開けたときに顔を合わせるのが恥ずかしいから後ろ向きになったんじゃないのか」という推測を立てていたが。そういう問題か。

むしろ驚いたのは、このニュースが全国ニュースにまでなったことのほうかな。

これはふざけているのではなくて、本当に本当のことなのだが、夜のニュースでこの事件の報を見ていたとき、わたしの頭の中では、ボブ・デュランの歌う「風に吹かれて」のハーモニカのイントロと歌い出しの部分が流れた。



映画『アヒルと鴨のコインロッカー』予告編(YouTube)



たしかに、当地仙台では、ときに腰を抜かすような驚くべき事件は起きる。

わたしがこの事件でコメントを聞きたいのはもちろん伊坂幸太郎でもなけれは映画監督の中村義洋でもない。濱田岳でもなければ瑛太でも松田龍平でもない。

やはりエスパー伊東だな。

あんな狭い空間に裸で入り込む人間の心理を理解してそして解説ができるのは日本ひろしといえエスパー伊東しかいないだろう。続きを読む

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