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ジュセリーノの予言が日本に登場してから10年が経ちました

いただいたメールで知らされたというか気がついたというか思い出したことだが、2016年12月末で、ブラジル人自称予言者ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルースが予言者として日本のテレビに登場して丸10年が経過したことになる。

ジュセリーノの日本のテレビ初登場は2006年12月30日に放送されたテレビ朝日の『ビートたけし 年末超常現象㊙︎Xファイル』だった。

早いものだ。

あれから10年経った今、わたしが思うことはいろいろとあるし、アタマの中で、いくつも出来事が、まるで分流と合流を繰り返す河川のように交錯し、現れては消え、消えてはまた浮かび上がってくる。

複雑過ぎて一言では言いあらわせない。

ただ、今現在でも自分が忸怩(じくじ)たる思いにとらわれるとしたら、それは、テレビで扱われるオカルトと銘打ったものはやはり今でも全てインチキオカルトだし、同等、ネットにはびこるインチキオカルトは全然減ってはいないことだろう。

どうしたものなんでしょうね。

やはりここは強硬的にでも、テレビやネットでインチキオカルトをばら撒くような連中に消えてもらうべく強めに出るべきなのかとか、そういうことも時々チラチラと頭に浮かんだりもするわけです。

消えるとか消すとかいうと物騒だけども、なに、要は彼らの口を塞ぎ、手を動かせないようにすれば事足りるわけで。

名前(いわゆるペンネーム)を消すというのとはちと違う。

んー、社会的な責任かぁ‥、果たしてわたし一人だけで出来ることなのかな。

ちょっと真面目に考えてみますね。

まずは、たま出版から2007年に出版された『未来からの警告』という赤い本、あれにけりをつけます。とどめを刺します。墓標を建てます。でないとなにも終わらないしはじまらないでしょ。 
 
本当ならば10年が過ぎてからやるようなことじゃないんだけども。

では。
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日本のテレビやネットにはオカルトがあふれています。しかし、全部インチキと嘘ばかり。
テレビ・ネットのインチキオカルト・嘘を暴いています。みなさまからの情報をお待ちしております。
かまたあきよし
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テレ朝年末超常現象SP(161219)
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170306 犬がしゃべった?!の公共広告

ラジオの公共広告も無茶苦茶なものがあるので気をつけなければならない。

これは日本全国で流れているラジオの公共広告らしいのだが、女性が『暑い!暑い!』とぼやいていると、犬が『地球をこんなに暑くしたのは誰だ?』と文句を垂れる公共広告があるのだ。

いろいろとツッコミどころはあるが、最大の問題は、夏の暑さと地球の温暖化は全く関係がないことだろう。

私たち人間(笑)が夏に体感できる暑さ、通年での気温の上昇の正体はほぼ100%都市熱(シティーヒート)によるもので、もし地球温暖化による気温の上昇を体感できるとか実感しているという人は、悪いことはいわない、即刻病院にいって医者に診てもらえ。皮膚科じゃねぇぞ、精神科神経科の医者だ。

考えてもみたまえ、地球レベルで気温を一度上げるのに私たち人間はどれだけ膨大の量の二酸化炭素を何年放出しなければならないのか。

一方、都市熱を一度上げるのは簡単で、たとえば自宅の庭を全てコンクリート舗装にするだけで盛夏期の昼間ならば間違いなく5度は上げられる。このような一軒家が集落すればその町は町ごと都市熱地獄に落ちるだろう。

これをもう少し穏やかに緩やかにしたものが大都市や地方の中心都市の気温の上昇になる。

毎年少しずつ夏の気温が上がって行くというのは、つまりはその場所がどんどんと都市化していっているというなによりの証しである。

あまりこういうことまでは言いたくはないのだけれども、ある種の自虐ネタとして言わせてもらう。

ラジオの公共広告でこんなインチキがまかり通るのだとしたら、まあはっきりいえば日本国民はアホばかりだということでもあるわな。

笑えねー、全然笑えないわー。

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170303 年末超常現象 14
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いただいたメールも、番組そのものに関する内容だけとは限らない。

この『年末超常現象SP』という、テレビ朝日が年に一度、十二月の下旬に放送しているビートたけしの名前がついた冠番組の存在理由であるとか意義について踏み込んだ意見をお書きになられてメールを送っていただく方も多い。

わたしの個人的なこの番組に対する通観のようなものは置いておくとしても、やはり、私たち視聴者はこの『年末超常現象SP』というテレビ番組については、もっと警戒心を持って見るべきなのではなかろうかと思っている。

単純に言うと、この『年末超常現象SP』というテレビ番組は、悪いテレビ局が悪いテレビ制作会社に作らせた悪いテレビ番組なのだと位置付ける必要があり、そしてからあれこれとすべきなのではないだろうかと。なんか我ながら青臭いこと言ってますが。

しかし、すでにネタバレしているインチキオカルト物件を塗布して誤魔化して、さも本当にオカルトであるかのような印象を与えた映像やナレーションを入れ込んだり、昨年の番組のように、本国アメリカではショービジネスのマジシャンとして(のみ)活動しているエンタテイナーに『ブレインハッカー』なんていう恥ずかしくなるような肩書きをつけて、まるで超能力者であるかのような扱いをしている番組なんだから、これを悪い番組、嘘つき番組、インチキオカルト番組と呼ばずしてなんと呼べばいいのだろうか。

これがエンターテイメントだと開き直るつもりなのか。オカルトはインチキでないとエンターテイメントにはならないとでも思っているのか。

わたしたち視聴者がまず持つべき共有認識とは『テレビ朝日の年末超常現象SPは悪いテレビ番組である』になると思うのだ。

特に最近の笑えない内容ばかりの番組ばかり見せられると。

数年前にこの番組について書いたときにも書いたことだが、メンタリズムというものが純粋に、単に人間の心理に根ざしたような(芸というのかパフォーマンスのようなもの)であるのならばまた別だが、例えばDaiGoがテレビで披露しているメンタリズムとは、マジックの一分野としてのメンタリズムであり、やはりネタはあるしトリックもある。

そういう意味では純粋なマジックであり、それがショーとして執り行われているのならばまあ社会的な問題は少ないだろうと見ることは出来る。

しかし、メンタリズムという言葉の使い方を変えてまでも『(メンタリズムはマジックではないので)ネタはない』と抗弁するのであればはなしは別になる。

メンタリズムなんてやっていることは心霊詐欺と同じだからだ。

テレビというメディアが心霊詐欺の肩を持ったのと同じになるでしょう。(テレビ朝日もオフィストゥーワンもビートたけしも)そのことをまず強く認識しないとダメだ。

テレビというメディアのコンテンツ(テレビ番組)内でやってはいけないことなんだから。

もし、テレビ朝日というテレビ局がそのことを認識していながらこのようなインチキオカルト番組をこれからも放送し続けるつもりでいるのならば、それこそわたしたちにとって潰し甲斐のあることをやってくれるもんだなぁとヘンな感慨を抱くところなんだが。(ん?ここは笑うところなのか?)

ジュセリーノのときのことを思い出せって。

ただの無名の一般人でも、やることをやればこんなインチキ番組くらい平気で潰せるんですよ。肯定派の席に並んでいる自称オカルト研究家たちともろとも。

前と違ってこっちはもうひとりじゃないんでね。続きを読む

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170219 最悪の事態は避けたい

ときどき、今でも『ツイッターやラインはやらない(やってない)のですか?』という質問が来る。

やってないしこれからもやるつもりはありません。

やらない理由を訊かれると正直答えに困る。

まあ、面倒なんで…、くらいにいつもお茶を濁している。

メールでは本当の理由を書いて送ってる。

それは頻繁にメールをやりとりしているような方ならばわかってもらえるだろうというような安心感があるからなんだけども。

でもたまにね、とてつもない誤解をされる方もいたので、相手を選ぶというのか長いメールでもちゃんと読んでくれるような方にのみ本心は打ち明けてはいる。

さてここでわたしがツイッターやラインのようなSNSをやらない理由としてわかりやすい事件がおきている。

清水なんとかという女優が所属事務所を一方的に辞めて幸福の科学の信者として出家すると宣言したあの事件ね。

わたしはこの事件に対しては何も言いたくもないんだ。

読者の方々からはなにかしら意見のようなものを求められるんだけど、なにも言いたくはない。

勘違いされると困るのだけれども、(この件に関して)何も思っていないというのではないのだよ。

テレビの情報番組や芸能ワイドショーではこの事件で持ちきりである(らしい)。

その清水なんとかさんを知っているとか友人だとか芸能人だとか、仕事をしたことのある芸能人などがこの事件についてコメントを出していたりインタビューに答えていたりするというんだが。

それとは別に、(清水なんとかという女優とはまったく無関係なのに)この事件についてブログやSNSでなにかしらを書いている芸能人も多いという。テレビの情報番組なんかで積極的にコメントを述べている芸能人も多いとか。

こういうのを伝聞的に耳にしただけでわたしは深い絶望に襲われる。

これらの芸能人すべてがとてつもない大馬鹿にしか見えなくなるのだ。

何故かというと、彼らがネットやテレビという媒体上でしていることは幸福の科学という宗教団体の宣伝行為だからだ。

気づけよオマエラ!

同様、ブログやSNSでこの事件について語っている文化人も一般人もだ。

幸福の科学は単に宗教団体なのではない。彼らは幸福実現党という政治団体を組織している。

いまこの時期、ひとりの女優の事件について語るということが幸福実現党という政治団体の宣言行為につながることぐらい何故気付かないのだろうか。

オマエラはそこまで愚かなのかと問い詰めたくなるのだ。

もうすぐ予定されているという衆議院選挙であるが、このままだと本当に幸福実現党からは国会議員が出てしまうだろう。

そうなると幸福実現党は国会議員を擁する政党となる。その危機が迫っているのだ。

選挙区ではまず無理だが、東京や大阪といった大都市の比例区からならば出てもおかしくはないだろう。

幸福実現党(幸福の科学)からするとこんな安上がりで効果的な宣伝はあるまい。

芸能人たちが勝手にあれこれ述べて幸福の科学という宗教団体と幸福実現党という政治団体の宣伝をしてくれているのだから。

その幸福の科学、幸福実現党のお先棒担ぎを買って出ている芸能人文化人はみなアホである。

もちろんすべての民放テレビ局もだ。

これがわたしがツイッターやラインなんかのSNSはやらない理由である。

わたしはこういう頭の悪い芸能人やエセ文化人とは仲間にはなりたくない。

あいつらとは違うのですよ、わたしは。

しゃべりたくないことはしゃべらないでいたいんで。続きを読む

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170217年末超常現象SP 13
13

とりあえず続けます。

ラストスパートには程遠い。嫌な予感がしている。

もう相当前、一ヶ月以上も前ということになるが、この三戸なつめを被験者にしたコーナーについて書いた時、ネタばらしの意味で、わたしは『三戸なつめがどのページを開いたかは後ろから覗けば容易(たやす)いことだ』と書いた。

洋の東西を問わず、最近のメンタリズム系のマジシャンは皆ほとんどがこの手を使っているのは知られた話である。(追記あり)

日本でいえばDaiGoがその典型というか代表選手だろうな。

もっとも、DaiGoは最近テレビでメンタリズムマジックのパフォーマンスはやらなくなった。

というか、中学生の女子相手にややこしい事をしてしまい当分の間はテレビには出られないのだろう。

そのDaiGoが一年ほど前、久々にテレビに出てメンタリズムマジックのパフォーマンスをやったときのことを書いたときも触れたことだが、そもそもメンタリズムというものがマジックの一分野である以上、それにはトリック、つまりネタはある。

だからマジック同好会出身のDaiGoのようなパフォーマーに白羽の矢が立てられて、テレビ局の垣根を越えた広告代理店主導でDaiGoのメンタリズムマジックの番組が各局でオンエアされてきた。

もうそれはどこかの局がMr.マリックを大々的にプッシュしてきたころとはかなり趣きを異にしている。そんな時代なのだな。

進化し変化したのはマジックであるわけだが、マジックを成立させているトリックの道具もまたそのころとは相当に進化してきている。

当時はまだ一般的とはいえなかった超小型無線デジタルカメラなんて、いまではどこにでもある。

嘘ではない。だって今あなたが手にしているスマホにだってついているでしょう。

動画撮影機能だけでなくて、それをWi-Fiとか携帯会社の回線を使って遠く離れた人とのテレビ電話を楽しむ機能がさ。

それと同じものがいろんなものにつけられるようになったのは、小型化と高性能化、そして製造コストダウンに伴う低価格の恩恵である。

逆に言えば、このレベルの高性能無線小型カメラはむかしからあったということ。無茶苦茶高価だったけど。

当時、そうだな20年以上前ということだが、秋葉原の雑居ビルの中にあるような専門店で、無線の小型のデジタルカメラでバッテリー付きのハイパワータイプのものがたしか100万円以上の価格がつけられててショーウインドに並べてあった記憶がある。

そんなものに手を出すのはそれこそ何かの専門家か、でなければ犯罪予備軍だけだろうが。

話を戻す。

さて、つけようと思えばだが、高性能高解像度の無線デジタルカメラなんて、指向性の強い、高性能ガンマイクの先っぽにも取り付け可能だし、それどころかテレビの出演者が収録のときに胸につけるピンマイクにもつけられる。つけられた本人もそれが音声マイクだけではなくてカメラだと気づかないくらい軽くて小さいものだからだ。

わたしはこの番組のジョー・ブロギーのコーナー(の録画)を見ててあることに気がついた。

被験者となった三戸なつめと、その直前のコーナーで、ブロギーと背中合わせになって『絵』を書かされた浜口京子の胸につけられた音声マイクが同型のもので、なにか丸いものがついていることに。

念のために番組の録画ファイルをかなり入念にチェックすると、他の出演者がつけているものとは明らかに別物なのである。江口ともみが胸につけていたものとは明らかに違う。

三戸なつめと、(その直前のコーナーでブロギーと背中合わせにして『絵』を書かされた)浜口京子が胸につけていたピンマイクはほぼ同型に見える。

これが何を意味しているのか。おわかりいただけと思う。

つづく

【追記】
江口ともみの名前を書いた時に思い出した。

数年前、江口がサイキックジョーことサイキックJを現地取材するためにアメリカへ行ったロケがあった。

いくつかあったサイキックJのネタのひとつに、別室で江口に絵を描かかせて、それをサイキックJが透視するというのがあって、江口は自分が書いた図形を別室で『透視』して書いて見せたサイキックJのマジックに本気で驚いていた。

もちろん江口ともみはサイキックJのマジックのネタは知らないのだろうし、知らないからこそ、そうやって番組の中で使われたということなんだが。

わたしはこのパフォーマンスでサイキックJが使ったトリックくらいは知っていた。

江口が絵を描いている最中、Jが飼っていた黒猫が江口にまとわりついていたのがしっかり映っていたからだ。

そうなんです。サイキックJは首輪に小型の無線カメラをつけた黒猫を江口のいる別室に送り込み、その首輪のカメラが捉えた映像を透視というか盗視したのだ。

なかには、『猫によくそんな技を仕込んだな』と思う方もいたが、猫に技を仕込んだのではない。江口が絵を書いた紙か何かに猫が好むような匂いを染み込ませてあったのだ。続きを読む

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170214年末超常現象SP 12

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アメリカではマジシャンとして活動しているジョー・ブロギーにブレインハッキングだとかブレインハッカーの売り文句や肩書きをつけて、まるで超能力者であるかのように偽って紹介したこの番組のコーナーに関する皆さんからのメールやコメントが少しではあるが増えてきた。

概(おおむ)ねの方はご理解いただいていると実感できている。ありがたいことである。

なかには『よくわかんないし、つまらないんですけど‥』みたいなコメントも来るのですが、まあそれはそれで率直で正直な意見であるわけで、よろしいことなのではないでしょうか。

『つまらない』のは、書いているわたしも全く同感ですし(笑)

さて芥(あくた)さんからの続伸である。

芥(あくた)さんもいささか食傷気味のようで(違っていたらごめんなさいですが)二週間ほど前に『ブロギーの記事はまだつづくのですか?』とメールで尋ねてきたくらいだった。

わたしはわたしで『そのつもりです』と返事をするしかなかったけど、そのときは。

本題です。

芥(あくた)さんは『三戸なつめ嬢が又吉直樹の火花を選ぶ可能性ならば、二分の一、50パーセントどころか、ほとんど90パーセント以上だろう』と断言されている。

その90パーセントになる理由を教えられて、わたしはまったくその通りだなと芥さんの推理力に対して改めて感心させられた次第である。

さて、番組側が用意した六冊の本は以下の通りである。

又吉直樹『火花』
石原慎太郎『天才』
和田竜『村上海賊の娘』
夏目漱石『坊ちゃん』
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
池波正太郎『鬼平犯科帳』

最初に恥をさらしてしまう。

わたしも重要な事実を見落としていたひとりということになる。

『火花』と『天才』以外の四冊は文庫本だったのである。

これはさんが書いてよこしたことだ
わたしは三戸なつめ嬢のことをよく知らないのですが、又吉直樹の本を黙読している時の(本の)持ち方や、顔と本の距離なんかをみると彼女、視力はあまり良くなさそうですな。(中略)番組収録のときは(中略)裸眼ではなくてコンタクトレンズを装着していたのかも知れません。(中略)しかし、三戸なつめ嬢が文庫(四冊の中の一冊)を選ぶ可能性はゼロであると断言できるでしょう。(後略)

新刊書(の大きな活字)を読むのでさえあのサマでは、文庫の小さな活字は読めないと断言できるわけです。

三戸なつめ嬢の立場に立てば(自分が選択した本をその場で黙読させられるということが台本で決まっていたのならば選ぶのは)火花か田中角栄(石原慎太郎の『天才』)かの二冊のどちらかしかありえなかった。
ということだ。

んー、もうね、わたし、芥(あくた)さんの前では平伏モンですな。

これ以上の明快な理由付けはいらないんじゃないのか。

三戸なつめはメガネなしでも読めそうな、つまり活字が大きそうな火花か天才を選ぶしかなかった。

なぜならば、三戸なつめはメガネなしで文庫本が読めるほどの視力の持ち主ではないから。

で、収録ではケンコバことケンドーコバヤシと劇団ひとりにはさまれるようにしてひな壇に座らされていた。

これでは、三戸なつめが又吉直樹著『火花』を選ぶのは90パーセントどころかほぼ99パーセントの確率だったに違いない。

つづく

つづくんですよ、まだまだ(笑)続きを読む

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170211年末超常現象SP 11
その11

もう一ヶ月以上も前に放送されたマジック番組‥じゃないや、オカルト番組の手品のタネ明かしとか、我ながら書いてても気が乗るような作業ではないですな。

でもつづけます。

さてではリューさんがいうところの、三戸なつめにかけられた心理的な罠についてである。

この単行本六冊を使ったジョー・ブロギーの手品で、三戸なつめが被験者として選ばれることは台本上すでに決まっていた。

これはもう鉄板である。大槻教授もブログで書いているくらいなのだから、まず間違いない。

つまり、三戸なつめが(用意された六冊の中から一冊)本を選ぶことと、その本の何ページ目かを(予めイメージしていた数字に従い)開くこと、そしてそのページを黙読することまでは台本で決まっていたということになる。

逆の立場からいうと、三戸なつめがどの本を選ぶのか、そして何ページ目を開くかがわかってしまえば、さも彼女が頭にイメージした単語を読み取ったかのような超能力者のふりができるということになるわけだ。

リューさんは前の記事で書いたように、三戸なつめに又吉直樹の『火花』という本を選ばせることは簡単だろうという。

なにしろ彼女は吉本所属の芸人と、芸人作家として有名な劇団ひとりに挟まれるようにしてひな壇に座らされていたのですから。

ここで三戸なつめが又吉の本を選ばないという選択は彼女の中ではありえないことだったに違いない。

もしかすると、ケンコバあたりには(もしかするとですが)、三戸なつめがもし別の本を選んだときには『なんで又吉の小説にしないの!ボクら待ち構えてるのに‥』というような軌道修正の役割が振られていたのかもしれませんな。

三戸なつめが何ページ目を開いて黙読するかは番組収録開始時に(番組スタッフを通じて)出演者に対して『好きな数字を選ぶ』こととして伝えられていたとなっている。

さて、ここである問題が浮上してくる。

わたしもリューさんからのメールを読ませてはじめて気が付いたのだが、このマジックをまるで何事もなかったかのように成功させるためには、被験者がイメージしたという数字は、チョイスされた単行本のページ数の中にあるもの、収まった範囲内のものでなければならない。

もし被験者がイメージした数字が4桁だったら、言われたとおりに自分がイメージしたその数字のページを開こうにも開きようがない。

置かれた六冊の単行本全てだし、もちろん又吉直樹の『火花』も4桁(1000から9999)のページは存在しないからだ。

ここでほとんどのひとが気が付く。

ブロギーは(通訳を通じてだろうが)ひな壇の芸能人出演者に対してはイメージする数字に条件をつけなければならないのだ。

ちなみに、三戸なつめが黙読したページは又吉の『火花』の115ページである。
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そして単行本『火花』の本編は148pまである。

つまり、ブロギーは出演者に対して(たとえばだが)『数字の1から150のあいだのどれかひとつをイメージしてください』としなければならなくなるのだ。

しかし、このコーナーで被験者に選ばれるのが三戸なつめと決まっていたのならば、彼女ひとりにだけ1から148のどれかをチョイスさせればいいとなる。

でどうすれば三戸なつめに1から148の中から数字を選ばせることが出来るかだが、リューさんは『具体的にはわからないが、ある種の心理的な抑圧を与えれば出来る』というのだ。

そこでわたしは芥(あくた)さんにお伺いした。メールで。

芥(あくた)さんの推理である。
1

彼女に渡す番組進行用の台本にだけ1から150までと書き加える。

2

マネージャーや番組関係者を通じて、三戸なつめ嬢に『(番組)収録では、その数字を選んだ理由を尋ねるので、なるべく当たり障りのないものにするように』とサジェスチョンして、自分の誕生日だとか番組で公表可能な数字の並びにさせる。
で、調べてみたら、三戸なつめの誕生日は2月20日だった。(wikipediaによる)

これでは三戸なつめに自分の誕生日で3桁の数字を選ばせたら『220』と、又吉直樹の『火花』の単行本にはないページのページ数になるので使えないのだな。

そこで再び芥(あくた)さんにそのことを伝えると‥
母親とか兄弟姉妹がいれば家族の誕生日とかいくらでも115(というか1から150)になるような並びの三つの数字はある。そういうのは事前調査で簡単に追い込めるわけです。
とのこと。

まあ論理としてはかなり細い橋を歩くようなものでちと苦しいが、マジシャンが無作為で選ばれたかのようにして前に出てきた被験者に対して、(被験者本人にはわからないように)さも心の中をを読んだかのようなマジックを成立させるための心的誘導ならばこのようにいくらでも方法はあるのだし、さらにリューさんからの指摘である、単行本のページ数として存在する三桁の数字の中でも、148までのものを三戸なつめに予め準備させないと、このマジックはテレビ番組で放送することを前提とした収録すら危ういネタだったということはご理解いただけたはずである。

もっとも、わたしとしては、そんな心的な誘導なんてしなくとも、最初に書いたとおりで、六冊の本を予め全ページスキャンしてテキストに起こしておけば、たとえ彼女がどの本のどのページを開こうが、このブロギーのパフォーマンスがブレインハッキング(笑)などではなくて単なるマジックとして可能であるという主張を下げるつもりはないということも念押しのために付け加えておくが。

つづく
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170126年末超常現象SP
その10

他にも、ブロギーのことについて書いてきてくださった方たちは多いのだが、ブロギーのマジックのネタについて自分なりの推理を述べられてる方もいる。

なるほど、読ませていただいたものに関しては皆スジが通っており、わたしもかなり参考になった。

リューさんというかたが、ブロギーが三戸なつめを被験者に披露した『本を黙読させて頭の中に浮かんだイメージを読み取る』のトリックについてかなり精度のある推測を書かれている。

わたしはすこし前の記事で『六冊全部をあらかじめスキャンしてテキストに起こしたものを用意しておいて、(三戸なつめが)何ページを開いたかを誰かスタッフが後ろから確認して、そのページをグーグル翻訳かなにかで英訳し、中の単語を無線でブロギーに伝える』とネタバらしをした。

しかし、リューさんによると『なにもそこまでしなくとも彼女(三戸)が又吉直樹の火花を選ぶであることは決まっていたようなものだ』ということらしい。

三戸なつめがグルだとかいうのではない。ある種の心理誘導である。

三戸なつめの座っていた場所は出演芸能人が占めるひな壇の前列中央だったが、同じ前列の両端にはケンドー・コバヤシと博多大吉(又吉の先輩)という具合に吉本芸能所属の芸人が座っており、また、彼女の斜め後ろには芸人作家(実際ケンコバからひとりに対して声がかかっている)として実績のある劇団ひとりと、まるで三戸なつめを取り囲むように座っていた。

『こんな中で三戸なつめが又吉の本以外のものをチョイスできるはずがないだろう』とリューさんは書いている。

確かにその通りですね。三戸なつめだって空気を読まないバカではあるまい。

ここで自分が又吉の『火花』を選べば、それをきっかけに、ケンコバ、大吉、ひとりがそれをネタにしてなにかしら笑いのとれるトークを繰り広げてくれるに違いないということぐらいのことは思うでしょう。

さらにリューさんは『三戸なつめが何ページ目を開く』か、つまり『ブロギーの指示であらかじめイメージしていたという数字に対してもなにかしらの心理誘導がなされていた』だろうと書かれている。

ちょっとここからがすごい。すごいのはブロギーでもなければテレビスタッフでもない。

ほぼズバリの正解にたどり着いたリューさんの推理力でありブレインのチカラ(脳力)である。

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170125 年末超常現象SP
その9

みなさまからのメールを読ませていただいた。

例年に比べれば数は少ない。が、その分内容の濃いものが目立つ。

わたしの個人感的なものは個別にメールで返信をさせていただくとする。

とてもではないがここで書けるようなレベルとは言い難いからだ。

それに悪口ばかりになるしね、どうしても(笑)

この番組に関するメールを寄越したのは50人くらいか。

小さくわけても100通以下だと思う。多くはないでしょう。放送から一ヶ月経ってこの数字なんだから。

半数以上の方がジョー・ブロギーのマジックについて何かしらを述べられている。

というか、ほぼ全員が『あれはただのマジックであって超能力ではない』と正しい認識をしめされている。

まあ、ここまでネタばらしをされているのに、あえて超能力であると抗弁される方は出てこないでしょうなぁ。

芥(あくた)さんという、かなり早い段階から『ジョー・ブロギーはマジシャン、彼のパフォーマンスは全てネタのあるマジックということで説明がつく』と断言したメールを寄越された方からの続伸の中身を紹介する。要約になるが。

要するに、『ジョー・ブロギーはマジシャンとしてもかなり未熟な面を覗かせているので単なるパフォーマーと見るべきだろう』という主張をされているのである。

彼がやってることには一流のマジシャンが放つオリジナリティやアレンジメントの巧みさがまったく感じられないというのだ。

はやい話、マネージャーなのかほかにプロデュースをする人間がいて、ブロギーはその指示どおりに(ブレインハッカーを)演じているだけだろうと。

アメリカやヨーロッパのマジックの本場には、このようにマジシャンを抱えたプロダクションやマジシャンに代わって出演交渉を取り仕切るエージェントがいくつもあって、パフォーマンス(出し物)から演出まで、シナリオ一切合切を用意してあとはそれをやり切れるマジシャン探しをしているようなところもある。

そうして選ばれたのがブロギーなんだろうというのだ。

これはまあ、同じような、似たような設定の映画もあったくらいだから、わたしもそうなのかなと思わなくもない。

確かに、あの大槻教授による横紙破り的な挑発くらいならば、もっとスマートになにか別の方法でやり過ごせたはずなのだ。ここらあたりも、ブロギーの現場経験のなさを示すものと言えるのかもしれない。

そしてここからが肝心なのだが、そうやって日本にも登場したマジシャン(メンタリストを名乗ってましたが)がかつていた。

そうあのダイゴ(Dai-Go)である。

芥(あくた)さんはDai-Goとブロギーの相似が気になってしかたがないらしい。

そこはわたしにはよくは理解できないことなのだけれども。

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