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ウソTVnet日記

5月26日
スタジオに出現した白い手の心霊映像07

いつまでつづくのだろうかこの話題。いや、マジで心配になってきた。

通常の読者以外の方からのアクセスは途切れることなく続き、リファラ(リンク元)を見ると、いつのまにかdocomoの検索からよりもGoogleからの訪問者が多くなっている。

特に『ヨコザワスタジオ』とか『横澤スタジオ』というキーワードからの訪問者が目立つ。

常連委員会メンバーからのご報告によると、Googleの検索の結果でこのブログの記事が全体の三位以内なんてことも珍しくないようで、時間帯によっては一番上、トップなんてこともあるとか。

やはりこのブログのほかには、まともなことを書いているようなサイトやブログはないようだ。

これは時々繰り返し書いていることだけれども、一般人がこのような露骨な『つくりものオカルト』、『インチキオカルト』、フェイク(よく言えばフィクションだが)を目の当たりにしてどう感じるかの問題になっている。

それこそ、まともな普通の価値観、感性をお持ちになる方々の判断は、このヨコザワ物件に対しては非常に厳しく、大方の感想というか意見はわたしのそれとだんだんに相似してきているという感触がある。

わたしが一番最初か二度目の記事で書いたことそのまんまである。

たとえそれがつくりもの、フィクションのオカルトであることに対しては、さほど強いもの(=反感)はない。それを否定してやろうというようなつもりもそんなでもなかった。

ではなくて、わたし(たち)は、こんな出来の悪いつくりものオカルトを伝える立場のオカルトメディアや、こんなちゃっちいものしか作れないのにそれに満足してしまっているオカルトの人たちのことをバカにしているのである。

トカナとか吉本のお笑いの人たちはそういう意味で『失格』の烙印を捺されてもしかたがないのだと思う。

そしてわたし(たち)はオカルトサイドの人たちの劣化というのか低レベルを笑い者にしているのである。それがたとえつくりものの、インチキだとしても。

そこははっきりさせておかないと。(つづく)
230525 ホンダのF-1復帰。何度目じゃ
230520 市川猿之介の事件は自殺未遂なのか
230511 もう新型コロナじゃない COVID-19だ
230511 高見のっぽさんの訃報
230506 能登地方で震度六の大きな地震

230503 トカナの予言記事〜読者のメールから

230503 ウクライナ・ロシア戦争 最新事情

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オカルトとはなにか
オカルト(厳密にはオカルティズム)というものは、本来、人々の心に安らぎを与えるためのものでした。

そもそも、オカルトの語源はラテン語のocculere の過去分詞 occulta(隠されたもの)であり、元はギリシャ語の『隠されたもの』を意味する αποκρυφισμός(アポクリフィズモス)から来ているといわれています。

古代、まだまだ科学が発達する前、私たち人類が謎だらけで理由のわからないこの自然界で起きる森羅万象に対し、その理由を求めたものがオカルトだったのです。だから、古来オカルティズムは人の心を救うための知恵でした。

ですから、今この日本のネットに溢れているような、人類滅亡の予言など、人の心を不安にし、恐怖を撒き散らすようなようなものをオカルト扱いしてはならないのです。

そんなものは即刻この世から消し去るべき、ただのインチキオカルトであり、ウソのオカルトであるとわたしは断じます。

わたしはこのブログを通じてこれからもそのことを訴え続けてゆきたいと思っています。


USO委員会とは

USOとは、untruth, seeming (soluble), occult の頭文字を繋いで作った私の造語です。意味はもちろん『真実でない、見せかけの(解決済み)のオカルト』になります。

読みはユーエスオーでも、ウソでもどちらでも構いません。

USO委員会に実体はありません。強いていえば、このブログの趣旨に賛同して、情報提供のメールをされた方たちがUSO委員会のメンバーということになります。

ちなみにですが、わたし個人はオカルト否定派に属するものではありません。

わたしが目的としているのは、ウソや解明済みのオカルトを排除することで、本当にオカルト研究をされている方たちの一助となればということです。

オカルト(オカルティズム)を本来の目的の、人の心を豊かに、明るい未来を感じることの出来るものに戻すことです。

皆様のご協力をお願いします。

ウソオカルト情報局2


テレ朝年末超常現象の嘘(準備中)


ニビルの正しい知識
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アンビリバボー嘘だらけ
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230526スタジオに出現した白い手の心霊映像07
いつまでつづくのだろうかこの話題。いや、マジで心配になってきた。

通常の読者以外の方からのアクセスは途切れることなく続き、リファラ(リンク元)を見ると、いつのまにかdocomoの検索からよりもGoogleからの訪問者が多くなっている。

特に『ヨコザワスタジオ』とか『横澤スタジオ』というキーワードからの訪問者が目立つ。

常連委員会メンバーからのご報告によると、Googleの検索の結果でこのブログの記事が全体の三位以内なんてことも珍しくないようで、時間帯によっては一番上、トップなんてこともあるとか。

やはりこのブログのほかには、まともなことを書いているようなサイトやブログはないようだ。

これは時々繰り返し書いていることだけれども、一般人がこのような露骨な『つくりものオカルト』、『インチキオカルト』、フェイク(よく言えばフィクションだが)を目の当たりにしてどう感じるかの問題になっている。

それこそ、まともな普通の価値観、感性をお持ちになる方々の判断は、このヨコザワ物件に対しては非常に厳しく、大方の感想というか意見はわたしのそれとだんだんに相似してきているという感触がある。

わたしが一番最初か二度目の記事で書いたことそのまんまである。

たとえそれがつくりもの、フィクションのオカルトであることに対しては、さほど強いもの(=反感)はない。それを否定してやろうというようなつもりもそんなでもなかった。

ではなくて、わたし(たち)は、こんな出来の悪いつくりものオカルトを伝える立場のオカルトメディアや、こんなちゃっちいものしか作れないのにそれに満足してしまっているオカルトの人たちのことをバカにしているのである。

トカナとか吉本のお笑いの人たちはそういう意味で『失格』の烙印を捺されてもしかたがないのだと思う。

そしてわたし(たち)はオカルトサイドの人たちの劣化というのか低レベルを笑い者にしているのである。それがたとえつくりものの、インチキだとしても。

そこははっきりさせておかないと。(つづく)


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230525 ホンダのF-1復帰。何度目じゃ


もうこちらのブログでF-1や自動車レースについての記事を載せなくなって、というか書かなくなってだいぶ経つ。

単純に読者からの反応がないからだ。

もうF-1自体が(普通の)人の興味を惹くようなジャンルではないのだろう。

私個人としては、今でもF-1中継(録画)はほとんど観ているし、同居人の中にも仕事場にも強度のエフワンヲタみたいなのは何人かはいるので話し相手には困らない。

そのエフワンヲタのいうことなのだが、日本のマスメディアで今一番積極的にF-1のニュースを扱っているのは、なんとNHKなんだそうだ。にわかには信じられないはなしだが。

ところが、私が今回の『ホンダF-1復帰』のニュースをはじめて知ったのがNHKのラジオニュース解説(夜10時)だったのだ。

時代も変われば変わるものである。

ただ、なんていうのか、NHKのアナウンサーの中には、F-1という競技を『仕事として伝える』ということに不馴れというのか、自分の記憶を頼りにのみF-1を語るような人がいたりするので、昔ながらのエフワンヲタの皆様からするとどこかぎこちなく感じてしまうようだ。そのアナウンサーの記憶というか思い出に対して突っ込みを入れたくなるようなのである。

私が昨夜聴いたNHKラジオニュースの中でも、担当アナウンサーがフジテレビ(地上波)時代のF-1中継番組のオープニングテーマ曲『truth』を演奏していたフュージョンバンドの名前を『T-square』と言っていた。

もちろんこれは『T-square』でなくて『The square(ザ・スクエア)』の間違い。バンドが『T-square』に改名したのはその後だ。細かなツッコミてはあるが。

さらにいうと、このThe squareというフュージョンバンドによる『truth』という曲はフジテレビのF-1中継のオープニングに使われたのはアルバムの中の一曲としてリリースされてからだいぶたってからである。元々はフジテレビのスポーツフェスティバルのテーマ曲として使われていたからだ。つまりF-1中継のオープニングテーマとしての利用は再使用だったということになる。どうでもいいことだが。

話をもどす。やはりしかしNHKだけのことはあって、どこかこのホンダF-1復帰というものを世界的な観点から見据えようというのは感じられたが。

この三年、F-1(FIA)には茨の道の連続で、コロナから始まって、ロシアウクライナ戦闘状態ときて、さらにはトルコシリア大地震である。

世界的な規模で移動を繰り返すF-1にとっては、開催権を剥奪したり、逆に開催を返上する国が出たりと、興行としての価値は下がる一方で、何かしら良い材料はないかと探しまくった結果が『ホンダF-1に復帰』ということなのではないかという気はしている。まあホンダだけじゃないんだろうが。

まあ間違いない。FOCA(FOA)なのかFIA なのかはわからないが、開催母体からホンダへのアプローチはあったはずだ。

につけても今回(2026年シーズンから)ホンダがパートナーシップを結ぶアストンマーチン(AMR)ってそんなに良いシャシメーカー、コンストラクターとは到底思えないのだが。そのあたりのホンダの勝算はどうなんだろうね。

考えられるのは、アストンマーチンがどこかのF-1コンストラクターとして実績のある(非メーカー)プライベーターを丸抱えしてしまうことくらいしかないような気がする。

しかしあるかそんなチームが今のF-1に。

もちろんホンダにはホンダとして差し迫った事情はあるのだろう。

それは世界的というよりも日本国内でのホンダ(という自動車メーカーとして)の位付けだ。

『巨人』トヨタ(とダイハツ)は別格としても、日産(ルノー)やスバル(富士重)、スズキ、マツダの押し上げで、ホンダの立場もイメージも三十年前とは違う。

下手すると、これらメーカー陣の中に埋没してしまう可能性(危険性)大である。ホンダの危機感はそこじゃないのか。

前回(再び)マクラーレンと組んでエンジン(パワーユニット)メーカーとして参戦したときのホンダの惨敗は記憶に新しい。

もしホンダがホンダとしてなにかの変革をもって臨まなければ同じことの繰り返しになる可能性は限りなく高い。

ホンダにしろ他の日本のメーカーにしろレースにからっきし弱くなったのにはもちろんちゃんとした理由がある。

ひとことでいうと、レースに出て勝つことに対する渇望が無さすぎることだ。

下手すると、年間スケジュールに追われてそれだけでエネルギーの大半を費やしてしまい、それ以上のこと、つまり自分とこのクルマをどこよりも先にフィニッシュさせようとか、自分とこのドライバーを表彰台の真ん中に立たせようという強い意思が感じられないのだ。

一言にしては長いけれど(笑)

おもいかえすと、ホンダが(1980年代後半)凄かったのはトップがいい意味でアタマがいかれていたことだろう。

今この時代、本田宗一郎みたいな(レース狂いの企業トップの)人がいたら、そんな人が社長会長だったならば、それは企業として、自動車メーカーの危機である。成立も存在もしないに違いない。だからそれは目を瞑るし、しかたのないことと諦めるしかないのだろう。

いやそれでもまだホンダにしろ他の日本のメーカーにもレースに出て勝つことはそんなに難しいとではないんじゃないのかという気はしている。特に最近のF-1の参戦チームの少なさをを見るにつれ。

要はエンジン(パワーユニット)サプライヤーとして複数の有力チームと組むことだと思う。

実際、F-1の世界でそれをやれたからホンダは無敵のエンジンメーカーになれたのだから。

ロータスとウィリアムズという強力な(ドライバーのいる)2チームにエンジンを供給したことが後々に生きたのである。それならば今でも出来ることでしょう。

私個人としては、特に日本の自動車メーカーが参戦しようがしまいがあんまり関係ないなと思っている。

自分が見ているF-1中継(録画)はイギリスBBC によるもの(当然英語アナウンス)だし、フジテレビが全戦日本語で中継していた時代はとうに昔のこととして収めている。

というか、今再びどこかの日本のテレビ局やネット企業による日本人向けの放送なんてやられたら(まあDAZNがそうなんだけどあれは有料コンテンツ)おそらく私たちのようなF-1ヲタクは激しく反発(反撥)するにちがいないだろうし。

まあ自動車レースというもののあり方というものを考えたとき、それが大きな困難な曲がり角に差し掛かっているという認識ぐらいはないとだめだ。参戦するメーカーもだし、伝えるメディアもだ。(つづく、かな?)


[註]
あまり知られていないことだが、現在、この『1人乗り用四輪自動車』によるレースの最高峰であるF-1(規格その1)には日本人ドライバーが参戦している。そのこと自体がニュースにも話題にもならないのだから、まああとは察して知るべしなんだろう。

もう二輪でも四輪でも、ガソリンエンジンを動力とする『クルマ』によるレース自体が世の中というか世界中から好意的に受け入れられていない、つまり積極的な価値が見いだせないという判断からあまりニュースにはならなくなってしまっているんだろう。



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230520 市川猿之介の起こした事件は自殺未遂なのか
今、読者の方からのメールは、この事件に関する話題ばかりになっている。

ついこの間までは、同じ層の女性読者からとおぼしきメールの話題といえば、プロ野球西武ライオンズの山川穂高選手の起こした知人女性への性的暴力事件に関するものと、元ジャニーズジュニアのメンバーだったカウアン・オカモト氏による実名での故ジャニー喜多川氏から受けた性被害の告白に関するものがそこそこ来ていたのだが、その二つの件に関する話題の数を足してさらに倍、くらいになっているのだ。

とんでもない事件事故が起きてしまったという認識はさすがにこの私にもある。

のだけれど、伝えられる事柄があまりにも突飛すぎて、まさに歌舞伎か演劇かと疑いたくなるような非現実的な外観のせいで、わたしの中の推理力はまともに働かなくなってしまっている。

だからみなが期待しているようなことはまだ書けないし言えないのです。本当に申し訳ない。

よく考えると、というか、考えれば考えるほど、さまざまな謎が浮かんできては、この事件事故の全体像みたいなものが見えにくくなってくるような気がしてならない。

たとえば、その『向精神薬』は誰が用意したものなのかすら謎である。

んなもの、普通の人間が用意して都合できるような分量をはるかに越えている。もし三人分をひとりが入手したというのならば。

警察による発表がどこかモザイク的な繋がりのない事実の断片でしかない今、こういうことすら語れない。

皆様からいただいたメールの内容も、事件の本質について語るというよりも、市川猿之介という人間について推論するとか自分の感想をただ述べたものが目立つ。

というか、まともなひとならばまだそれ以上のことを先走って語ることの危険というものがあるのがわかるからだろう。

わたしもそれが賢明なのではないかと思う。

市川猿之介という歌舞伎俳優のことは知っているがあまり深いところまでは知らないという感じの人からは、(従兄弟の香川照之の不祥事の尻拭いなのかなんなのかはわならないが)最近やたらテレビのがバラエティに出だして、『自分はこう見えてもテレビバラエティのことはよく知ってますよ、ちゃんと理解してますよ』的な、砕けた物言いが逆に上からの言い方に見えてしまい、好感度を下げてしまっていたのではないかというような指摘も来ている。

そうなのか、わたしはテレビのバラエティなんてほとんど見なくなった人間なのでついぞ知らなかったが、テレビバラエティ的にはかなり知られた存在ではあったようだ。

それとどうしても、この『事件』を伝えるメディアの不備というのか完全な人選のミス、失敗を嘆くかたもかなりいる。

特に、TBSでは恵俊彰、日テレとフジテレビの宮根誠司は歌舞伎界の常識的なことすら知らなかったようで、みているこちらがハラハラするようなことばかりをしゃべっていたよう。

わたしはその昔、澤潟屋(さわがたや)、つまり先代の猿之介(現:市川猿翁)の歌舞伎の舞台公演のことを『スーパーはぼき』といい間違えた某有名司会者のことを思い出していたが。(つづく)

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230511高見のっぽさんこと高見映さんの訃報
さびしいニュース。いろいろな意味で。

『高見のっぽ』こと、旧芸名、高見映(たかみ・えい)さんが実は昨年九月に亡くなっていたことが関係者から明らかにされた。

むしろ逝去を明らかにせずに「皆の心のなかでいつまでも生きている『ノッポさん』のままでいてほしかった」という無茶な意見もあるが、気持ちは解らなくもない。

何にしても、この約半年、本人の遺志なのかそれを守り続けた関係者のご心中を察すると頭が下がるおもいだ。

さて、私にとって高見さんはNHK教育テレビの『できるかな』の『のっぽさん』よりも、まずは映画俳優としての高見映であった。

普通に台詞(セリフ)のある映画に出演する俳優としての印象、記憶のほうが強い。

代表作はこれだとは言わないが、いま一番思い出される、印象に残っているのは、伊丹十三監督作品『タンポポ』に出てくるホームレス三人組のひとりのオムレツ作りの名人の役か。

今朝、母方の従姉妹と実家ではなしをしたときにも(テレビの情報番組で流れていたため)高見映さんのことが話題になった。

私より一世代上の彼女(従姉妹)によれば、NHK教育の『できるかな』よりもすこし前に、高見映(たかみ・えい)という本名を少し変えただけのその芸名で、タップダンスを披露したり、五・六人の男女混声コーラスグループのメンバーのひとりとしてかなり目立つ存在だったようだ。まあ背が高かった(公称180センチ)こともあっただろうし。

私がもし高見映さんの代表作をひとつ挙げるとすると、それは民放(多分日本テレビ)の土曜のゴールデンタイムに放送していた『オズの魔法使い』の『かかし』の役だろうなと確信している。

なにしろ最初にみたのがこっちだったからだ。

日本初(世界初?)の立体映像テレビドラマの触れ込みで始まった(映画でも有名な)オズの魔法使いのテレビドラマ版である。

今思い出すと、赤と青のセロファンを貼った3Dメガネ(雑誌の付録についていた)を掛けて見ても全然立体的にならなくて子供心にもがっかりだったけど(笑)

ちなみに、それから数年後にアメリカで『オズの魔法使い』を元にした主役全員黒人(アフリカ系アメリカ人)のミュージカル映画『ウィズ』が日本でも公開されたときには映画館で見た。

こっちは『さすがハリウッド』という豪華な内容で特撮も見事で、なんかものすごく感動した記憶がある。

特にかかし役、つまり高見映さんと同じ役の黒人少年俳優が印象に残った。

とにかくダンスが見事で歌も本当に上手だったからだ。

だいぶたってから、それがマイケル・ジャクソンというアメリカを代表する歌手であることを知ったのだけれども。(笑)

はなし戻す。

すがハリウッド』という豪華な内容で特撮も見事で、なんかものすごく感動した記憶がある。

特にかかし役の黒人少年俳優が印象に残った。とにかくダンスが見事で歌も本当に上手だった。

だいぶたってからそれがマイケル・ジャクソンというアメリカを代表する歌手であることを知ったのだけれども。(笑)

はなし戻す。

高見映さんの初の単行本『ノッポさんがしゃべった日』は今でも持っている。

これから久しぶりに読もうかなと。

ノッポさんこと高見映氏のご冥福を心よりお祈りいたします。

クインシー・ジョーンズのプロデュースによる『オフザウオール』の七・八年も前のことだし、モータウンからCBSに移籍して名前をジャクソンファイブからジャクソンズにグループ名を変え全米で大人気になる三・四年前のことだ。

そのころ(一部の音楽マニアを別にすれば子供時代の)マイケル・ジャクソンなんて知らなかった時代の隙間のことである。
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230511 新型コロナじゃなくてCOVID-19と呼ぼう
私たち日本人、日本の厚労省マスコミはいつまで『新型コロナウイルス』と呼び続けるつもりなんだろう。

新型コロナウイルス感染症がこのゴールデンウィークの連休明けに、(国が定める感染症の等級で)一類から五類相当にいきなり格下げされた。

『遅すぎる』という意見ばかりが(特にネットなどで)目立つ。

私の感覚でならば遅すぎるということはない。遅いのは確かだが、そもそも国とかお役所(厚生労働省)とはそういうものなのだ。

むしろ決断の早すぎる国のトップやお役所を抱える(頂く?)国民のほうが(近世の自由民主主義国家では)不幸な目に遭いやすいのは歴史が証明している。

戦前の日本がそうだったことだけは忘れてはなるまい。

さてこれはもう何度もこのブログで書いていることであり私の強い主張である。

新型コロナウイルス感染症のことを、我々日本人はいつまで『新型コロナウイルス(感染症)』と呼ばなければならないのだろう。

調べていただいたほうがよいのかもしれない。2019年に発見されWHO(世界保健機関によって。と)『COVID-19(コヴィット・ナインティーン)』と命名された、私たち日本人が『新型コロナウイルス』による感染症のことをいまだに『新型コロナウイルス感染症』と呼んでいるのは、少なくとも国連加盟の先進国のなかでならば、日本だけになってしまった。

例によって、日本は特殊な国だから文化的に世界から孤立したガラパゴスでよいのだという無意識的共有自我が発動した例として歴史に残りそうだ。

この世界の常識からは外れまくった我道行は実は様々な局面ですでに問題になりつつある。

たとえば外国人との会話で彼らの口から『コビワンナイン』という単語が出てきたときにそれが『新型コロナウイルス』のことだとすぐに認識できる普通の日本人は稀である。

私も外国人観光客(多分マレーシアかシンガポール)から驚かれた。

日本人は未だに『ニュータイプコロナビールス』と呼んでいるのか!もう四年も経っているのに?

みたいな感じのあきれ返りかたをされた。日本人としてはなにも言い返せない。

さてさて厚労省はいつまで感じの新型コロナウイルスという言葉を私たち日本人に使わせるつもりなのだろう。

あと厚労省に追従するだけのマスコミテレビ新聞。

ある意味面白い見ものになりそうな気がします。(つづく)


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230506 能登地方で震度六の大きな地震

メールの数で今一番多いのはやはりこの件についてのものだろう。どうしてもそうなる。それはしかたがない。

昨年11月の記事で書いた私の『予言』はドンピシャ当たったことになってしまうからである。

221123 ジュセリーノ予言 犯罪心理学的な考察 の七行目からの
たぶんここ半年内、いや一年以内に日本のどこかで大きな地震が起きることだけは避けられない。
と、(結果的にだが)私の書いた予言そのとおりのことが起きたのは確かなことだからだ。

ちなみに、11月23日から半年後は今年の5月23日になるのだからある意味リミット直前であるし、この先、半年後の今年11月23日までに大きな地震が起きるのもまちがいないと言い切ってよさそうだ。

予言とはその示すとおりで『言葉』である。

つまりは言葉通りのことが起きたときはじめてその予言は『当たった』つまり『成就した』ことになる。

予言者や予知能力者の中には「何月何日何処何処々々で大地震が起きる」というような、今回能登半島で起きた大地震を思わせるような予言をしておき、現実起きたこの地震に対して『時期が少しずれた』とか『場所が近かった』とかいっている超能力者や予言者、その支持者、あるいはアタマのおかしなオカルトライター、バカばかりが集うオカルトサイトはいたりあったりするのだろうが、そういう言い訳は許されない。世の中はそんなものに対して決して優しくはないのだ。

口にした言葉、文字にしたものが現実に起きたこの大地震と少しでもずれていたのならそれは『外れ予言』と見なされる。

予言とは、つまり予言者にはそういう厳しさが求められるべきなのである。(つづく)
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5月3日ウクライナ・ロシア戦争 最新事情


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心が荒んだ今の私には、このような外電でさえ勇気と希望と明るさを与えてくれる。
これに『愛』が加わればアンパンマンになるんだけどね。残念だけど、そこに『愛』はない
ロシア、クレムリンへの無人機攻撃ウクライナによるテロと断定し非難。報復措置を明言
[共同通信 2023/05/03]
 ロシア通信などによると、ロシア大統領府は3日、同日未明にモスクワ中心部のクレムリンがウクライナによる無人機攻撃を受けたと発表した。プーチン大統領は無事で、けが人なども出ていないとしている。
あともう少しの辛抱なのか。

投稿常連のテキーラサンライズさんがいう『ロシアという国が、まるでマンガか仮面ライダーに出てくる悪の帝国化しているのがすごすぎる。』という感想は言い得て妙だ。

第一にして、ロシアの首都中枢であるクレムリンへの無人機攻撃ってのもすごすぎる。そんなことがウクライナに可能なのか。そこからして疑問である。

そもそも、ロシアの防空システムはそこまでザル状態なのか。よくそんなんで今まで戦ってこれたなと呆れるばかり。

ウクライナ国境からモスクワまでどれだけ距離があるのか。無人機とはいえ、なんなく首都まで浸入を許してしまうロシアの軍事的防衛能力には誰もが疑問を抱くのであろう。

であるからして、考えられるのは、可能性があるとすれば、それはロシア国内に潜む反プーチン派の軍部による犯行だけだろう。

逆に、ウクライナの首都キーウさえも陥落させられなかったロシアの軍隊がどれだけ脆弱な兵武装しかなかったかを改めて実感している。今となってはそれが幸いであったことを実感し、噛み締めているのだが。

とある自衛隊関係者の方がかつて言っていたことを思い出した。

旧ソビエト時代の軍隊、内実はウクライナ(出身者)が主力だったといっても過言ではないというのだ。

ロシア共和国はそういう汚れ仕事からは手を引き、直接手を染めずに、軍事的なこともすべてウクライナに丸投げし、兵器の開発から軍隊の構成までを任せっきりにしていた。ロシア共和国はそのツケを払わされているのだ。

たとえていうならば、今起きているウクライナとロシアの戦争とは、旧ソビエト時代に遡ると、一軍(ウクライナ)と二軍(ロシア)との戦いなのである。まっ、それじゃロシアは(ウクライナ相手には)勝てっこないよね。
民間軍事組織ワグネル創設者『弾薬が届かない。5月10日に東部の要衝バフムトから撤退』とロシア国防省に通告
(共同)
ウクライナ侵攻に部隊を派遣するロシア民間軍事会社ワグネルの創設者プリゴジン氏は5日、ロシア国防省から必要な弾薬の供給を受けられていないと批判し、激戦が続く東部ドネツク州の要衝バフムトから今月10日に部隊を撤退させると表明した。通信アプリにプーチン大統領やショイグ国防相宛ての公開書簡を投稿した。

 この中でプリゴジン氏は、国防省が意図的にワグネル部隊に対する弾薬の供給を妨げていると主張。弾薬不足のため、バフムト攻撃に加わる部隊の犠牲者が増え続けているとして、ロシア最大の祝日である9日の対ドイツ戦勝記念日が過ぎた後「兵員の無駄な死を防ぎ負傷者を治療するため」と述べた。
こういうニュースが海外発とはいえ、我々日本人の耳に届くというのは素晴らしいことだろう。『あともう少し』という確信を抱かせてくれるようなうれしい知らせだ。

ただひたすら、日本人に不安を抱かせることで視聴率や聴取率をあげようとか注目を集めようとするだけの日本のマスコミ、テレビラジオの報道のクソぶりと対照的すぎる。このウクライナとロシアの戦争の本質とは結局のところはプーチンの中に眠っていたはずの遥かなる野望というものが、アメリカに久々の民主党政権、しかも中間派のバイデン政権が誕生したことで起きてしまった最悪の世界情勢(のひとつの形)ということである。

それすら私たちに伝えることのできなかった日本のテレビラジオといったマスコミこそが最大の敗者なのだろうとわたしは断言する。

まちがいない。衰退するのはロシアだけではない。日本のテレビラジオマスコミもまた視聴者聴取者の信頼を失いそして消滅の危機に瀕してゆくのである。
ブリゴジン氏、SNS動画でロシア国防相と参謀総長を呼び捨て名指しして批判『弾薬はどこだ』と武器の供給を強い口調で要求
朝日新聞 2023年5月5日 17時30分
ウクライナ東部の激戦地バフムートで戦っているとみられるロシアの民間軍事会社「ワグネル」の創設者プリゴジン氏は5日、戦闘に必要な弾薬の7割が不足しているとして、ロシア国防省に弾薬を供給するよう改めて訴えた。
 動画はプリゴジン氏が経営する別企業のテレグラムアカウントに投稿された。暗い森のような場所で撮影され、迷彩服姿の男性が少なくとも数十人、動かないまま横たわっている。血を流している男性も多く、遺体とみられる。
 その様子をうつす映像が流された後、プリゴジン氏はカメラに向かい、「お前らは高級クラブに座り、お前らの子どもはユーチューブ動画を撮って人生を楽しんでいる」と批判。ロシア国防省を念頭に置いているとみられる。
 また、「俺は簡単な計算の話をしている。弾薬の割り当て分を渡せば、死者は5分の1ほどになるはずだ」と主張。横たわる男性たちを指さし、「こいつらは志願兵としてここに来て、お前らが高級木材でできたオフィスの中で太るために死んでいく」と激高した。
 約2分の動画の最後には「ショイグ! ゲラシモフ!」とロシアの国防相、参謀総長を呼び捨てにした上で、「弾薬はどこだ!」と激しい口調で述べ、弾薬の供給をせかした。
 プリゴジン氏とロシア国防省は、これまでもたびたび対立が指摘されてきた。プリゴジン氏は1日に投稿した動画でも「もしワグネルが死ぬ運命にあるとすれば、それはウクライナ軍やNATO(北大西洋条約機構)ではなく、国内のくず官僚たちのせいだ」と主張していた。
わたしはこのSNS動画は見ていない。生々し過ぎるというのもあるが、なにかしら私を遠ざけてしまうものが散在しており気が進まないでいる。

このような動画を見ても、きっとわたしは明るい気持ちになるんだろう。

そういう自分、荒涼とした心象を抱えている自分自身からは避けようとしている防御姿勢なんだろう。

これはあくでも絵空事だから言いきるが、もし、ウクライナの領土内でならば、ロシア軍の軍服に身を包んだ、兵器を手にしたロシア人があと十万人どころか二十万人が『戦死』しようとも、まずまちがいないわたしの心は痛まないだろう。それどころかその明るい知らせに心晴れやかな気持ちになるに違いない。

私が憎むのは、他国の領土を兵力で奪おうとする国であり大統領であるが、同時にそれを許すどころか賛美し、支持する人たちでもある。

そして、私たち日本人に現実起きているこの戦争の事実を伝えることをせずに、いまだ『話し合いで解決を』みたいなきれいごとを口にしてこの薄汚れた現実から逃げるだけの日本のマスコミすべてである。
(つづく)
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230503 トカナの予言記事

このブログの読者主層を端的に一言で言うならば『三十代以上六十代までの女性』であり、たぶんだけど六割が当てはまるのではないか。

ほとんどのひとがそうであるように、テレビやネットのオカルト記事、特に人騒がせな『人類滅亡予言』や『大地震大災害予言』の真実を知りたいと願いいろいろと探っているうちにこのブログの存在を知りそれから常住している人が多い。

それはジュセリーノの予言が騒がれたあとの2007年以降も変わらないのだろう。

そういう方たちのお役にたっているのであればそれは光栄なことだと思っている。

年代的に既婚の方が多いのももちろんだが、お子さまをお持ちの女性が多いのも特徴なのかもしれない。

なものだから

トカナの白神じゅりこの記事に対して辛辣なことを書いて来てくださる方は多いし、その舌鋒ならぬ『筆鉾』は鋭く、時に残酷なまでに白神じゅりこに対しては批判的否定的なものが目立つんだろうと勝手に思っている。

それをそのままこのブログで取り上げてしまうと、今度は私までも問題人間扱いされなくもない危険があるので慎むが、中には『取り上げたいな』と思うようなものもある。

ときどき名前出ししてこのブログの記事本文でも取り上げているあいだおーさんからのコメント。
(中略)わたしが(白神じゅりこというオカルトライターに対して)一番腹が立つのは、彼女がこの世のすべてのものに対して抱いている怨念や妬みのようなものがこのような人類滅亡予言に込められているのを感じるからなのですが、それは特に同世代の既婚女性に対して向けられた激しい憎悪になっているのでしょうね。(中略)記事の下にいつもあるプロフィール写真を見ると、「丑の刻詣りの後なのかな」と思わなくもない。(中略)頭に鉢巻巻いて二本のロウソクを立てて、神社の境内の御神木に木槌で藁人形の胸に五寸釘を打ち付ける姿が容易に想像できます


笑った。確かにそうだよなぁ。あの賽の河原(青森県某所)で撮ったような白い着物姿のことならば。

さらにとどめはMont Blancさんからのメール(の一部)

「驚いたのは白神じゅりこが『新感覚オカルト作家』を自称していること。あんな白装束を思わせる襦袢着てて新感覚オカルト作家はないだろうというお笑いなのでしょうか?」


白神じゅりこが『新感覚オカルト作家』を自称しているというのは初耳だったので、某委員会メンバーのかたに確認をとったところ、今さっき『最近の記事ではそうなっている』とのお返事をいただいた。

クソ笑った。なにを考えているのか白神じゅりこは。なにも考えていないのかもしれないが。

誰でも、ひとにはこう観られたいという自分像というものはある。

このわたしでも、(こう見えても)人からは『論理的かつ事実主義の人間である』と思われたいという願望はあるわけだし、それでそれに沿うようなことしか書いていない。というか書けなくなるものなのだ。

しかし、白神じゅりこはあの写真出して『新感覚オカルト作家』だとか、目的と方法論をとっちがえてはおるまいか。

手垢のついたようなクラッシックな怪談の世界を体現するようなコスプレをした姿をプロフィールの写真としてアップしていて『新感覚』ってさぁ…

だからあの写真みて『新感覚オカルト作家』を自認するような白神じゅりこのことは笑える、というか笑ってよい、馬鹿にして蔑んでもよいものとして帰納するのが我々には精一杯の理解になってしまうのだけれどもね。
(つづく)
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