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ジュセリーノ予言の真実 090131
ニラサワコメント2(01/17〜01/30)

09年01月度

2009.01.17
大阪在住のある方から、「だいたいが、たま出版にしてもそうだし、ジュセリーノ事務局にしてもそうなのだが、2006年以前のジュセリーノの予言というものが結果どうだったのか、つまり当っていたかそれとも外れていたかについてを隠している時点で、これら両者のやったことは詐欺でしょう」というような意見が寄せられて来た。

まあ確かにこの方の言うとおりで、ジュセリーノという「予言者」の(予言が度外れしているという)実績というものを隠したまま、彼を日本に紹介したということは読者や視聴者を欺いたことになるわけだから、そのことを指して「詐欺」というのならば、それは誹謗にも中傷にもならないと自分もそう思う。それはまぎれもない事実であるからだ。

もしこの(ジュセリーノの予言なんて全然当っていないという)事実がちゃんと皆に伝わっていたのならば、結果として昨年の岡崎のようなパニックも起きなかっただろうし、今大阪や神戸でジュセリーノ発のこのデマというものを耳にして、不安を感じるという人もいないはずだ。

だが、今この時点で大阪であるとか神戸で流れているデマ騒ぎというものを鎮めるのはもう自分の仕事ではないと思っている。

もちろん、「予言者ジュセリーノ」という存在の息の根を止められなかった自分の無力というものは痛感はしているが。

しかし、今現実に静かに広がりを見せているというこのデマ騒ぎを鎮めるのは、それこそもう大阪府であるとか兵庫県という行政のお仕事でしょう。

上記のこの方は「大阪府に不信感をつのらせている」のだという。「大阪府知事はこのデマ騒ぎというものを黙って見逃すのは何かに利用するためでしょうね」とも書かれている。

いわれてみると、確かにそう見えなくもないところもある。自分もそれについてはちょっと気になるところではある。

誰か、大阪府知事に直談判してみてはどうだろう。その結果如何によるのではないか。
[2009.01.17]

いまでもときどきコメントで「…それでも自分は本物の予知能力者はいると思うのです」というようなことを書いてくる人がいる。

繰り返しになるが、それでは「ジュセリーノは本物の予知能力者ではない」と自分が言っていることに対する反論にはまったくなっていない。

それはジュセリーノとはまったく別のはなしでしかないのである。

もしこのような「予言、予知に対する一般論」をジュセリーノと絡めて語るというのであれば、逆に「予言者なんて皆ジュセリーノと同じインチキでニセモノでしかない」という論に対しては、このような人たちしどのような再反論というものが出来るのだろうか。

それこそ「ジュセリーノは別」というようなことを主張するというのであれば、その人の「負け」になってしまうだろう。

そのことを考えてから冷静にというかもっと頭を働かせてコメントをしてきてほしい。

「ジュセリーノはただのニセモノの予言者である」

自分が断定しているのはこのことのみである。「予言、予知能力の実在」というものに対する完全否定はここでは行ってはいない。
[2009.01.17]

これも口がすっぱくなるくらいに何度も繰り返し書いてきていることだが、自分はジュセリーノの予言が当らないから彼のことを「インチキ予言者」と言っているのではない。

予言が当らないという実績に対して彼に付けられる形容は「優秀ではない予言者」であり、「出来の悪い予言者」、「肩書きだけ予言者」、「単なる自称予言者」というようなものになるだろう。要するに「無能力」であり、ただの馬鹿者だということだ。

これは何もジュセリーノだけではない。この世には、このようなさっぱり当らない予言者はごまんといる。(というか本物の予言者なんていること自体が証明はされていないのだが)

ジュセリーノという自称予言者の場合に問題にしなければならないことは、「自分は予知していたのだ」として後からその証明だとする「書類」を出してくることであり、そしてその書類の中に、偽造の痕跡が丸わかりの「虚実記載」があるという点である。

つまり、ジュセリーノとは、「能無し予言者」であり、尚且つ「嘘つきの予言者」なのである。自分はこのことを指して「インチキ予言者」と彼のことをそう呼ぶのである。

はなしは替わる。

自分は(このブログでは)「たとえ話」をするのを好まない。

このような「オカルト」についてであるとか、どうしても形而上の想念について語ったり議論することが避けられない場合には、安易な「たとえばなし」というものはしないようにしている(つもりだ)。

「たとえ話」そのものは決して悪いことではないと思うし、仕事上での打ち合わせなどでは自分はこのようなたとえ話を使っているほうだろう。

(オカルトがらみで)たとえ話というものを好まないその理由だが、要するに、そもそもがかたちのないものについて議論をしているときに持ち出されるたとえ話というものは、時に相手に対して新たなる誤解というものを植え付ける危険性があることだろう。

また、過去に何度となく、(ニセ)オカルトサイドから出されてくるこのような「たとえ話」というものを聞かされてきている立場でもあり、(その下手糞なたとえばなしというものに)うんざりもしてきているし、嫌気がさしているからだろう。[註]

自分の中で「ああはなりたくはない」という自省というか自制というものが働いているのかもしれない。

さて、前置きが長くなったが、ある方からのメールの中に、ひとつたとえ話が書かれてあったのでそれをご紹介しよう。この「たとえ話」をどう解釈するかはあなた次第である。

もし仮に、あなたの前に「自分は東大卒である」と名乗る人間が現れたとしよう。彼は自分が東大卒であることの証明として「卒業証書」の提示をするのではなくて、過去の東大の入試試験問題を自ら持ち出してきて、あなたの目の前でそれを全て解いてみせる。そして彼は「ほら、わたしはこのように東大の入試問題を全て解答できるのだから東大の入試試験に合格も出来て当然でしょう。ですから自分は東大卒なんです」と言い出したらあなたはどうする。彼のことを「本物の東大卒」と認めることは出来るだろうか。

[2009.01.17]
【註】名指しこそ避けるが、ジュセリーノの予言について、肯定的にというか実在を前提に書いている人の文章をよく見てみるとわかる。その下手っちいたとえ話というものが逆にジュセリーノという「予言者」の存在自体を胡散臭く見せていることが往々にしてある。こういうのを見ると自分は「黙ってればいいのに」という感想になってしまうのである。

2009.01.20
今更こんなことを書くのもなんだが、ジュセリーノが「事前に警告として手紙を送った」といくら言ったとしても、現実にジュセリーノから(結果的中したという予知と警告の)手紙を受け取ったと名乗りでる人は今のところひとりもいない。

これは事実であり、99%間違いはない。[註]

以前少しだけ触れたことがあったが、もし本当にジュセリーノが事前にそんな手紙を出していたら、それは逆にジュセリーノの予言というものがはずれてばかりいるというなによりの証拠として残ってしまうわけだから、ジュセリーノがそんなものを書いて送るはずがないのだ。

この点について思い違いをしている方がいるので念のためにここで書いておくが。

また、ジュセリーノは日本の政府から感謝の手紙を受け取ったといっているが、何故かその文面は一度も公開はしていない。もちろんそんなものを公開すればそれがただのニセモノだということがバレるからだろう。

逆に言えば、ジュセリーノがそれを公開して本物であることが(専門家の鑑定で)明らかになれば、少なくともジュセリーノが日本政府に対して当時なにかを手紙として送っていたということの最大の証拠にはなるはずなのにだ。

それすら怠るというか公開をせずに隠している時点で、ジュセリーノの言っていることには何かしら大きな嘘が横たわっていると考えるのが普通だと思うが、違うだろうか?[2009.01.20]
【註】テレビ東京の番組の中で、2003年に起きた報道カメラマン、ルイス・アントニオ・コスタ氏銃殺事件に関して、その事件の警告の手紙というものがまるで事前に本人に送られていたかのような扱われ方がしていたが、あれはまるっきり「テレビの嘘」である。ジュセリーノが本当にあの手紙を銃撃される前に本人に送っていたと信じているという人がいたら、それはテレビ東京の番組の嘘に騙されている被害者ということになる。ジュセリーノの手紙が事件前に本人に届いていたのでは決してない。真相は、事件後にジュセリーノが遺族に対して「自分はこの手紙を送っていた」といって、その手紙のコピー(のコピー)を送っていただけのはなしである。もちろんその手紙とは事件後にジュセリーノが作った偽造の手紙だということだ。

ある方からメールを頂いた。
アレサンドル判事殺害事件、そして、カメラマン銃撃事件の警告の手紙、テレビ東京が放映した、これらのふたつの(番組の)中に、ブラジルで起きた事件とジュセリーノについて、嘘というものが非常に多いということが最近判明しました。

近々どこかの雑誌でこの嘘というものを取り上げるはずです。
( ̄ー ̄)ニヤリ
だそうです。

2009.01.23
ジュセリーノが公表した最新の年間の予言からはこの1月の大阪神戸大地震の項目は消えている。

どうやら、これは意図的に外したというのではなくて、ジュセリーノがこの年間の予言を作成中についうっかり忘れていたようなのだ。(その他にも何故か消えている予言がいくつもある)

本人がついうっかりして忘れるような予言なんてものを真面目に受け取る必要なんてないだろうという気がしてしかたないんだが。

それでも、やはり世間ではこの「1月大阪・神戸でM8.9(8.2とも)の大地震が起きる」というジュセリーノの予言について、あれこれとしかめっつらして語っているようなブログとかHPとか掲示板の書き込みが絶えないようである。

自分に言わせれば、こんなことくらいバカバカしいこともないのだが、やはりそれはあくまでも自分の特殊な立場がそう思わせるのであって、世間一般のこういう反応というものはしかたないのだろう。

まあだから自分もこうしてジュセリーノの(地震の)予言というものが話題になるたびに「ジュセリーノの予言なんてインチキですよ」と繰り返さなければならないのだろうし。

ときどき、メールやコメントで「ジュセリーノという人間はもしかして、記憶力であるとか基本的な知覚能力に障害があるのではないでしょうか?」という意見が寄せられる。

そういう意見や推測に対して自分の立場からは断定は出来ない。がしかし、多くの(たとえば医療関係者と名乗る)方々から「そんな感じがしてしかたない」というようなポジティブな意見が寄せられてくることを考えると、自分もその可能性は高いような気はしている。

特に自分が首を捻ってしまうのは、ジュセリーノの学習能力の低さというものである。「天然?」といいたくなるような大ボケばかりかましているからだ。

(日本で)彼がニセ予言者であることが証明され知れ渡った事件として有名なものとしては「アダム航空機墜落の誤報予知事件」[註1]があるが、その直後にも、実はジュセリーノはまったく同じようなミスを二度も犯しているのである。そのひとつが現在掲載途中の「マデリン失踪事件」に関するダウトである。ジュセリーノはわずか半年の間に同じ過ちを懲りもせずに繰り返していたことになるのだ。

普通じゃ考えられないでしょう。こんな初歩的なミスを繰り返す「予言者」って何者なんだという話にもなる。

他にも
機〕絞愴峭罎離吋真瑤箴斂整とコードが違っていることに気が付かない (二回)

供ー蟷罎暴颪い討△詬集世瞭付がずれていた (三回) 

掘,垢任忙爐鵑誠祐屐△△襪い鷲袖の斗榁罎凌祐屬侶鮃に対する予知をした (二回)

検,△蠅發覆の鮖砲亡悗垢襯潺后淵船Д襯離屮ぅ蝓▲好據璽好轡礇肇襪覆鼻法 平回)[註]

后‘酲免承紊任竜╂瓩糧薪召箸いΔ發里魎違いして(忘れていて?)、真冬に干ばつの予知 (数回)

と、いつも同じようなミスばかりを繰り返しているのである。特にこのような誤報どおりの予知を公表したりするというのは、ジュセリーノが「予知夢を見て予言をしている」ということ自体が嘘だろうと疑いを差すような初歩的なミスといえる。

しかもジュセリーノという人間はこれらの「嘘」というものが見破られたすぐあとに同じようなミスを繰りかえしているのである。

そのことが不思議でしょうがないのである。だから自分もやっぱり「病気なのかな?」という疑いで見てしまっているのであるが。[2009.01.23]
【註】2007年1月1日インドネシア洋上で消息不明になったアダム航空機の墜落の予言である。ジュセリーノはこの航空機が「スラウェシ島北部山中に墜落して生存者がいる可能性」という、前年にインドネシアのラジオ局に送ったという手紙を公開した。しかし、このスラウェシ島山中に墜落というのはまったくの誤報で、翌々日にはこのアダム航空機は山中にではなく、海中に墜落して生存者の可能性もまったくないことがインドネシア政府によって発表された。つまり、ジュセリーノは事実を夢で見たのではなく、新聞の誤報どおりの予知夢を見てこのような予言を公表したということになる。それはつまり「自分は夢でその現場にいる」ということが嘘だということにもなるわけだし、公表した手紙も事件のあとに作ったものであることを自ら証明してしまったのだ。

この件でジュセリーノの予言というものが「単なるニセモノだ」ということは、実は一昨年の六月には明らかになっていたことだった。それにもかかわらず日本テレビはそのあとで(9月と12月の)特番を作って放送しちまったんだから、それはもう馬鹿の極みでしょう(笑)

結果論になるが、まあ9月の番組はしかたないとしても、12月の特番は絶対に流すべきではなかった。テレ東なんか問題外だな。聞くところによると、担当のディレクターと筆頭作家はジュセリーノのことをマジシャンのセロと同系列のものと捉えて番組を作っていたというし。(笑)バカじゃねーのって感じ。まあ、でもそういわれると、テレ東のあの番組のボケ具合というのも、その原因と理由はなんとなくではあるが納得はできた。
【註】ジョアン・ナシメントさんという方によるもの。それ以外にも知られたものとしては「予知に対する返礼として貰った」といっている各国大使館などからの手紙が全て同じプリンターで打ち出したものばかりで(しかも使っている紙も同じだったらしい)一目でそれが見破られてからは、ジュセリーノはそういった類の返礼状の公開をやめてしまったという。
つまりこれは、ジュセリーノ本人にも自覚があったからというなによりの証拠だろうな、普通に考えると。

2009.01.24
日を追うごとに「大阪で地震」というジュセリーノの予言がもたらした不安というものを訴える内容のコメントであるとかメールが来るようになっている。規模こそ小さいが、やはり昨年の9月13日をピークとしたあの時とまったく同じ状況である。

自分としては結局のところ、「ジュセリーノなんてただのインチキ予言者だからまったく気にする必要はない」ということを繰り返し伝えるしか方法はない。

しかしこのようなことが繰り返されるたびに思うのは、やはり誰かがきちんとした形でジュセリーノという自称予言者が、ただのインチキを使っているだけのハナシで、さも自分が事前に予知していたかのような書類の偽造をしているだけだということを公開の場で暴露をすべきだろうということだ。

誰がするべきなのか。自分なのか。それは違うだろう。本当ならばそれをしなくてはいけないのはこのジュセリーノの予言というものを広めてしまった加害者たちだろう。

つまり、そこには面白がってジュセリーノの番組を作って流したテレビ局も入るだろうし、ジュセリーノの予言が本物であるかのような記事を書いた雑誌もだろう。

それと、やはり腹が立ってしかたがないことは、こういうときにジュセリーノの予言というものを広めた側の人間が誰ひとりとして謝罪するであるとか、訂正をするといった誠意のある行動を示さないことである。

たとえば、たま出版から出た「未来から警告」「続・未来からの警告」という二冊の本の中には、明らかなる嘘というものが書いてある。そしてその嘘というものがひとり歩きしてしまい、「ジュセリーノという予言者」の幻影というものを生み出した原因ともなっている。

本来ならば(ジュセリーノ本人はもちろんのことだが)この本の翻訳者と監修者はそのことを読者に対して謝らなければならない立場にあるはずだろう。

そのことがまったくなされていないことに対して自分は義憤を覚えるのである。[註]

さて、このような事態になった今、これら二人が取らねばならない責任というものは非常に重い。

そして、この時期、この二冊の本の監修者である「たま出版」韮澤潤一郎と「ジュセリーノアジア代理人(を名乗る)」山川栄一がだんまりを決め込んだまま[註]でいることに対しては怒りを覚えるし、自分はこのふたりの行状というものをこのまま黙って見逃すつもりはまったくない。

なにはともあれ、このふたりの口から読者と(地震のデマによる)被害者に対する謝罪というものが出るまでは。
[2009.01.24]
【註】自分はその本を読んで、中に書いてあった嘘というものに気がついた人間なので『被害者』にはあたらないだろう。怒りを覚えたのは、自分のところに着たメールを読ませて頂いたからだ。だから義憤としか表現のしようがない。(厳密に言えば『読む前にすでに』になるが)
【註】このふたり、ジュセリーノの最新の年間の予言には「1月の大地震」の項目がないということは知っているはずだ。ほんとうならば、このことについて説明の義務というものはあるはずだし、「何故消えたのか」という問いに対する「答え」に相当するものがなければおかしい。にもかかわらず、この両名が「1月の大地震」が年間予言から消えているという事実に触れない理由を考えてゆくと、非常に不愉快な推論しか出てこないのである。その中で最も可能性の高いのは、いわゆる「両立て」というものだろう。つまり「二枚舌」である。たとえば、(近隣地区などで)地震が起きたときには「予言とは少しずれたが予言は起きた」というつもりでいるのだろうし、結果どこでもめぼしい地震がひとつも起きなかったときには「最新の予言では消されており、起きる可能性はなくなっていたのだ」と言い訳するための、その材料にしようとしているのではなかろうか。そんな気がしてならない。

2009.01.26
今でも何かを勘違いしたようなコメントが結構来る。そういうものは、たとえ「公開希望」とされていても、大概は無視してそのまま保留にしている。「無意味なコメント」扱いである。悪く思わないでほしい。

「よく飽きもせずに続けてますね」といったような冷笑系のコメントもまだ来る。前にも一度書いたことだがこのような人たちは「飽きる」という言葉の使い方を間違えている。

飽きたからといってブログを止めるとは限らないからだ。

おそらくは、こういうことを書いて来る人自身がジュセリーノに飽きたというだけの話なのだろうが。

「飽きる」「飽きない」というだけの話ならば、自分は一昨年の一月に最初の記事を書いた時点ですでに飽きている。結論は出たからだ。「ジュセリーノとはただの自称予言者でしかない。公表された予言はことごとく外れている。テレビ朝日はそれを隠して番組を作った。つまり嘘をついたのだ」と。

おそらくは、あの番組を見たという人ならばそれについては皆が同意してもらえるはずだ。あの「ビートたけしの年末超常現象SP 2006」という番組はそういうムゴい内容でしかなかったということは、今となっては既に証明されたも同然だろう。

むしろ自分が不思議でしょうがないのは「ジュセリーノは本物の予言者である。彼の予言は90%的中した」と信じている層が今でも少なからず存在していることだ。

たとえば、ビジネスとしてジュセリーノ=本物の予言者というスタンスを取っているようなニラサワのような人や、ジュセリーノを金蔓としている宗教関係者は別にしてだ。

そういう、今でも純粋な意味で「ジュセリーノを信じている」という人たちからの「プログ批判」であるとか「反論」というものが止む日は来るのだろうか?

しかし、よく考えてみると、こういう人たちこそが本当の意味でのジュセリーノ予言の被害者なのだろう。

言葉を換えて言えば、こういう人たちこそが、たま出版=韮澤潤一郎による真の被害者ということになるのではないだろうか。
[2009.01.26]

繰り返しになるが、ジュセリーノの予言の真実についてもう一度簡単に説明をする。

ジュセリーノが「的中した」と言っている予知の手紙はあとから捏造したものである。

ジュセリーノが事前に公表した予言の数々はことごとく外れている。

「ジュセリーノの予言は当っている」と言っているマスコミは単に嘘を書いているだけである。
[2009.01.26]

2009.01.27
規模や数からすると昨年9月13日ほどではないにしても、例によって、という言い方も失礼になるが、大阪・神戸といった阪神地区にお住まいだという方から怒りのこもったメールやコメントが届いている。

もちろん、怒りの矛先はこの自分に向けているのではない。

大多数がジュセリーノ本人にであり、ジュセリーノ・アジア事務局であり、そして二冊のジュセリーノ本の監修者でもある韮澤潤一郎に対してのものだ。

とてもではないが黙って見過ごすわけにはいかない深刻な事態を引き起こしていることも知った。

特に胸が痛んだのは、神戸近辺にお住いの方で、完全に快癒したと思っていたPTSDの症状が顕在化したという人がいたことだ。

自分は、このようなデマ騒ぎを二度と起こさない最善の策とは、その原因となるものを根こそぎ抹消してしまうことだという明解な解決策を持っている。

これ間違ってますかね?
[2009.01.27]

2009.01.29
「Windows2000で動くノートPCを探している」と書いたところ(書き方が悪かったのか)問い合わせや質問が何通か来ている。

要するに、いま自分がつかっている(Windows)PCの一番古いものがNT4.0で、それの上でしか動かないソフトがいくつもある。Windowsの2000ならばなんとか動くが、それより新しいものだと、どうにも上手く動かないのだ。(確認済)

で、橋渡し的にWindows-2000で動くノートPCがあると、(LANで繋げない)距離的に離れた二ヶ所にあるPCでも同一環境で使えるので便利になるということなのだけれど。

まあそれで、MEであるとか(笑)、XPでは役に立たないというか意味がないということなのです。「5万円くらいならばなんとか」と思っていろいろなところを探しているのですがいいのが見つからないと、そういうことです。
[2009.01.28]

2009.01.29
ジュセリーノの予言のことを「信じる」であるとか「信じられない」というような、まるで信仰における二分法のようにして捉えている人の多いこと多いこと。

その点については、二年前と較べて、まったくといってほどなんの進化もしていないように見える。

だいぶ前のことだが、ジュセリーノについて語っているブログやHPといったものを片っ端から読んだことがあった。

そのときに感じたのは、ジュセリーノについてよく知らないまま(嘘情報を鵜呑みにしたまま)、「ジュセリーノってスゴイ!」というようなことを書いているものがあまりにも多かったことだった。

もしかすると、その状況は今でもそんなに変わってはいないのではないだろうか。そんな気がしてならない。

このような「予言」にしても、あるいはオカルト一般(それこそUFOを含む都市伝説を全部ひっくるめて)がそうなのだが、「何が事実なのか」ということをはっきりと提示しないで、いきなり「信じる」「信じない」というような結論を出させるようなものが多すぎるな。

もうすでに「嘘」とはっきりとしたようなものを、あえて不都合な事実を覆い隠したまま、視聴者や読者に対して「オカルト」として紹介するようないわゆる「インチキ・オカルト」の類があまりにも多すぎるのである。

少なくとも、テレビや雑誌などで、「〜である」というような断定調ではなくて、「〜といわれている」であるとか「〜と証言する人がいる」というようなあいまいな紹介のされかたをされているものは大抵そうだ。

まあ、そういうものに限って、なにかしら「インチキ」が施されていると思った方がいい。

「ジュセリーノ予言」なんて、その典型といえるものだったのかもしれない。

たま出版の本にしても、あるいはテレビ番組にしても、あれからもそういったインチキを施した「ジュセリーノ情報」を次から次と量産しているというのも困ったはなしであるが。

まだまだ時間はかかりそうだ。
[2009.01.29]

2009.01.29
これも今でもメールなどで寄せられる質問。

「たま出版やテレビ局から抗議とかされないのですか?」というようなもの。

それに対する答えは「ありません」になるだろう。

少なくとも、たま出版(あるいは他の出版社)やテレビ局から直接抗議を受けたことは一度もない。

たった一度だけライブドアを通して記事の削除の要請があったきりである。関係者のご助力を得て、そのライブドアを通じて抗議をしたという当事者の正体というものは掴んでいる。意外にも個人であった。それ以上のことはここでは書けないが。

なににしても「たま出版」でもなければ「テレビ局」からのものではなかったということだ。

自分はこのブログ上でたま出版の本を「嘘が書いてある」と指摘している。

また、ジュセリーノのテレビ番組の中のインチキというものをいくつも暴露している。そしてそれらのことを「捏造番組である」と言い切っている。

それに対して、まったくなんの抗議もしてこないのだから[註]、まあやっぱり彼らはここで書いてあることを認めざるを得ないのだろうなと自分は結論づけているが。
[2009.01.29]
【註】某大学の事務局や某食品会社、某PCメーカー、あるいは某地方自治体(?)からは抗議というか記事の訂正を求めるメールは来ている。それらに対しては、自分の落ち度があったと認めたものに関しては訂正をしたり削除をして、そのお断りというものを併記しております。



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