190301 勇気の源(みなもと)


ここにきて何故かUFO関連のコメントが相次いでいる。

数からすると昨年末に放送されたテレ朝年末特番の『UFO少年』の記事につけられたコメントが多い。

ほとんどがいわゆる『肯定派』とおぼしき人たちからのものだ。

さらにそのほとんどが『名無し単発一行コメント』で、これといって得るものはないに等しい。

上から順に目を通して行くと、何故か悲しい気持ちになる。

悲しいというよりも憐憫の情というやつだ。

もしかしてだが、もしかすると、このような一行コメントの人たちの多くは、私のブログ本文など読まずに、ただUFOの存在を否定しているウザいヤツだからという理由で、中に出てくる単語やフレーズを論い、茶化すのが目的でコメントをしているだけの人なのかもしれない。

『ニュータイプ』だとかこの先定着するようなフレーズかね、少しは考えろよな。

さらにいえば、もしかすると、もしかするとだが、このような人たちはコメントを目にしたこのわたしがショックを受けたり、それが原因でブログの更新を止めたり勢いが弱まるのを期待しているのかもしれない。

生憎とだが、わたしはそういう気持ちにはならない。ただコメントをしてきたものたちを憐れむだけだ。

前にも書いたことだが、このブログの読者の相当割合は、実はオカルト肯定のスタンスの人たちである。

無理やりな区分けかもしれないが、中にはトーンでならばUFO肯定派、いわゆるビリーバーの人もいる。

名前を名乗れる記名コメントだけでいうならば、皆真面目で地道な活動をされているような方ばかりである。

わたしのこのブログのUFO記事はこういう真面目な肯定派、ビリーバーの方達から頂く情報で成立しているといっても過言ではない。

最近あるUFO研究家の方から、昔書いたアンビリーバボーのUFO記事について積極的に評価していただくコメントを頂戴した。

こういったコメントを一通頂くだけで、上で書いたような一行名無しコメントの数千倍の勇気というのかモチベーションを新たにすることができる。

コメントとして公開は出来ないがここで御礼を申し上げます。

ありがとうございます。