これは私が自分のブログ「半歩前へⅡ」に昨年11月15日に投稿したものだ。「半歩前へⅡ」は突然閉鎖となったが、キチンと保存してくれた人がいた。再録する。

▼原子力マフィアと戦う男、菅直人

  東電原発の水素爆発を目の当たりにした菅直人首相(当時)は脱原発を決断した。経産省や東電、御用学者など、いわゆる「原子力マフィア」は、そんな菅直人を“デビル”に仕立てようと盛んにデマを流した。

 

 当初、東電側は「存在しない」と言った爆発直後の菅直人との会話記録があった。隠していたのだ。それによると、菅直人は東電に、「60(歳)になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」と、自ら死を覚悟し福島の現場に乗り込んだ。

 

 なぜ、そんなことをしたかと言うと、菅直人の下に原発被害の詳しい情報が入ってこなかった。当時の民主党政権は、自民党時代の“官民癒着の構造”を打ち破ろうと、「官から民へ」を主張した。これに官僚が反発、自民党にけしかけられ、民主党政権に対して「サボタージュ」をした。

 

 状況が刻々と変わる中、いくら催促しても情報が届かない。東工大出身の菅直人は「ただ事でない」ことを察知。母校の恩師に尋ねたところ、さらなる重大事故につながる恐れがあると聞かされた。

 

 このままでは福島どころか首都圏を含む東日本が危ない!そう感じた菅直人首相は自ら現地に乗り込む決断をした。もちろん自らの死を覚悟の決断だ。

 

 私たちは菅直人によって助かった。呆然として状況を見守る東電に任せていたらフクイチ(東電福島第一原発)どころか、近隣のフクニ(東電福島第二原発)まで爆発し、日本が終わっていたかも知れない。菅直人の「命がけの行動」が日本を救った。

 

 壮絶な菅直人首相の、当時の行動を共同通信がのちに詳しく検証し、次のように詳細に伝えた。

 

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 水素爆発が相次ぎ福島第1原発事故が危機的状況に陥っていた昨年(2011年)3月15日未明、菅直人首相が東電本店に乗り込んだ際の「60(歳)になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」などとの発言を、東電が詳細に記録していたことが分かった。

 

 記録からは、東電が第1原発から全面撤退すると考えた菅氏が、かなり強い口調でできる限りの取り組みと覚悟を迫っていたことがうかがえる。本店2階の緊急時対策本部に入った首相は、政府・東電の事故対策統合本部の設置を宣言。

 

 「このままでは日本国滅亡だ」「プラントを放棄した際は、原子炉や使用済み燃料が崩壊して放射能を発する物質が飛び散る。チェルノブイリの2倍3倍にもなり、どういうことになるのか皆さんもよく知っているはず」と強い危機感を示した。

 

 さらに「撤退したら東電は100パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」と迫った。

 

 東電の事故対応について「目の前のことだけでなく、その先を見据えて当面の手を打て」「無駄になってもいい。金がいくらかかってもいい。必要なら自衛隊でも警察でも動かす」と、改善を求めた。

 

 15日未明の段階では、2号機も水素爆発の恐れがあった。状況説明に対し、菅氏が「何気圧と聞いたって、分からないじゃないか」といら立つ場面もあった。

 

 菅氏は対策本部に大勢の東電社員がいるのを見て「大事なことは5、6人で決めるものだ。ふざけてるんじゃない。小部屋を用意しろ」と指示、勝俣恒久会長ら東電トップと対応を協議した。

 

 菅氏が撤退を踏みとどまるよう求めた発言と、対策統合本部の設置について、福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)は「(危機対応として)一定の効果があった」と評価している。

 

 国会の事故調査委員会では、菅氏の東電訪問時の映像(音声なし)が残っていることが明らかになった。

 

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