秋日和のカロリー軒

映画のおいしい専門店

『サボタージュ』や『戦艦ポチョムキン』を見ずしてデ・パルマを見、なんという大胆な演出をする監督なんだと魅了されるのが第一段階。
『サボタージュ』や『戦艦ポチョムキン』を見てしまい、なんというあざとい模倣をする監督なんだ、ヒッチコックからしてみたら二流、三流じゃないかと蔑むのが第二段階。
だからこそいいのではないか、いやむしろ、場合によってはヒッチコックよりも愛しているかもしれない、と自分に素直になりはじめるが第三段階。
問答無用、デ・パルマこそが最高峰と開き直るのが第四段階。
無論、ボクは今、第四段階まできている。

宮崎駿の映画通はたくさんいると思うが、その中でサツキとメイのお父さんがエドワード・ヤンであることをわかってる人がどれほどいるのだろうか。
ということで、およそ21年振りの35ミリでの公開。何をおいてもという感じである。
この20年で映画は大きく変わった。主にデジタル化によって、はたしてこれは映画といっていいのだろうか?と思えるような形態になり、それでも、映画館の大画面で見るのが映画なのだと自分に云い聞かせながら映画と付き合い続けているわけである。
そんな中で、『ヤンヤン夏の思い出』は映画が映画であった時代の最後の最高峰といってもいい作品であろう。
エドワード・ヤンの映画の多くは題材としてはほとんど日本のバブル期のトレンディドラマに近い。
しかし、そこには何とも云えない、胸を締め付けられるような残酷さと優しさが漂っている。
それは一つに、カメラの存在からくるものであろう。
ズケズケと被写体に踏み込むことはなく、浮かれて走り回ることもない。
その距離感、並んでたたずむ様々な“カップルズ”とカメラのトライアングル、これこそがエドワード・ヤンなのである。
これによく似ているのがハワード・ホークスなわけであるが、隣り合ったマンションの部屋という空間で織り成すドタバタ喜劇&悲劇はまさにハリウッド的なシチュエーションといえる。
映画が映画であり続けることが危うくなる前に夭折した偉大なるこの映画作家は、まぎれもなくヴェンダースでいうところの天使なのである。

ノマドはつらいよ
ってことでいいのかな。
それ以上のものが何もない気がして。
『スリービルボード』のその後みたいな感じ。
うーん、『フローズン・リバー』は傑作だったけどなあ。

忘れかけてた、コスタ=ガブラス!
ヨーロッパ映画に目が向き始めたころに『Z』見たなあ。
『ロードショー』の青いページのところに短く紹介されている作品の方にだんだん興味が移っていって「PREMIRE」に乗り換えたあたり。田山力哉の「現代ヨーロッパの映画監督たち」を熟読しながらヨーロッパ映画について勉強していた頃に公開されたのがこの『ミュージックボックス』。まだ大都会の映画館に密航するようになるには少しだけ早い時期だった。
作品としてはアメリカ映画であるが、ギリシャの監督の作品というヨーロッパのイメージの方が強い。
すっかりこの映画の存在を忘れていたがまたしても新文芸坐絶妙な線!こういった、墓堀作業はありがたいかぎり。
作品の内容に関しては、申し分なく素晴らしい。裁判ものの傑作である。
思うに、裁判ものの駄作というのもなかなか思い浮かばないが、着実な腕を持った監督でないと扱えない題材だからなのかもしれない。
忘れかけてた絶妙路線でいうと今無性に見たいものが2つある。
一つは、『グッドモーニング、バビロン!』もうひとつは『コックと泥棒、その妻と愛人』。あれだけもてはやされたのに忘れかけられている。『デカローグ』もリバイバルされるくらいだから、そろそろあるんじゃないかとひそかに期待している。


昔、衛星放送で見て以来。
ウォルシュ、ウェルマン、正統かつ純正アメリカ映画の巨星たちの作品はもっと劇場で見たい。
ラフト、ボギー、ルピノというこの上なくノワールな極上の組み合わせ。
アメリカ映画において、大型貨物車は崖から落下するために走るというお約束の原点。



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