2006年08月29日
南部藩砂原陣屋跡と川汲温泉
鷲ノ木から海岸沿いに進み、10月22日に土方隊が布陣を敷いた砂原(さわら)町の南部藩砂原陣屋跡へ。
幕府は安政2年(1855年)仙台、秋田、南部、津軽、松前の5藩に蝦夷地警衛の分担を命じました。
翌年、南部藩室蘭陣屋砂原分屯所としてここを築造。(「箱館戦争写真集」P33参照)
明治元年(1868年)に引き揚げるまで、常に約30名の藩兵が駐屯していたそうです。
約60m四方の方形に土塁の高さが約3m。
…が、夏だからでしょうか、雑草が凄すぎて足を踏み入れられる状況じゃないっ!
一応「国指定史跡」なので、雑草くらい刈っといて欲しいんだけどなぁ…。
地図はこちら。
幕府は安政2年(1855年)仙台、秋田、南部、津軽、松前の5藩に蝦夷地警衛の分担を命じました。翌年、南部藩室蘭陣屋砂原分屯所としてここを築造。(「箱館戦争写真集」P33参照)
明治元年(1868年)に引き揚げるまで、常に約30名の藩兵が駐屯していたそうです。
約60m四方の方形に土塁の高さが約3m。
…が、夏だからでしょうか、雑草が凄すぎて足を踏み入れられる状況じゃないっ!
一応「国指定史跡」なので、雑草くらい刈っといて欲しいんだけどなぁ…。
地図はこちら。
土方隊ルートは大鳥隊ルートと比べて、箱館までの距離が倍近くあります。スピード勝負の土方隊でしたが、豪雪の影響で進軍は相当難航したようです(涙)。
宇都宮で足指を負傷した土方さんは、治ったとはいえ傷跡が疼いただろうな…。
寒さに慣れているはずの仙台産・星恂でさえ、自身の日記「星恂太郎日記」にこう記しています↓
寒風膚ヲ裂クカ如シ。寒威ヲ犯シテ進軍ス。
巳ノ上刻(午前10時)ヨリ北風益烈シク、雨雪混降シテ将ヨリ卒ニ至ルマテ身纔(わずか)ニ一重ノ戎服(じゅうふく:額兵隊特有の赤と黒のリバーシブル軍服)ヲ纏フノミニシテ、足ニ袋ナク頭ニ笠ナク満身濡レサル所ナク、四肢亀手(きんしゅ:ひび割れ状態)シテ殆ント凍餒(とうたい:凍え死ぬ)セントス。
(「箱館戦争史料集」P275より)
…壮絶だな〜!!
(画像をクリックすると拡大します。)南部藩陣屋跡を後にして、向かうは川汲(かっくみ)温泉!
蝦夷地3日目にして初の温泉
ですよ(笑)。ここは土方隊が宿泊して、雪中行軍や戦闘での疲れを癒した場所
。歳三さんをはじめ皆が寒さで凍えそうな身体を温めたんだろうなぁ。
当時は「鶴の湯」と呼ばれていたようですね。地図はこちら。
川汲温泉には温泉宿は1つだけです。ちょっと…てか、かな〜り寂しい所。
この温泉宿のお庭兼駐車場に「箱館戦争川汲戦 戦死者の慰霊碑」があります。連日の雨とはいえ、ここでも雑草が伸び放題(苦笑)。
仲間に手伝ってもらって、何とか文字が読めるくらいに草を掻き分け撮影させてもらいました。
早速、トシも入浴したであろう温泉へ♪
日帰り入浴は¥380です(2006年7月現在)。
小さい湯船が2つ。無臭透明ですが…熱い!
1つは、体感温度で43-4度くらいです。
もう1つは源泉だそうで、体感温度で45-6度かな。
江戸っ子なら我慢できるかもしれませんが、私は長時間は無理!でした(笑)。
川汲のそばには、かつて「毛無山」と呼ばれた台場山があります。
この山の頂に台場山砲台跡があるのですが、さすがに行けなかったなー。
チャレンジしてみたい方は、こちらのサイトが参考になると思います。
熊に要注意!ですよ〜。
一路、函館へ!
本日の夜は、五稜郭で野外劇がありまーす♪
●A5版全76ページ(オフセット印刷)