大相撲9月場所はまもなく千秋楽。相撲生命をかけて出場した日本人横綱の稀勢の里は苦戦しながらも勝ち星を積み重ね、何とか勝ち越しへとたどり着きました。新聞報道を見る限り、懸案の進退問題はこれでひとまずクリアしたようです。

 

 もっとも稀勢の里が勝ち越しを決めた遠藤との一番は、いささか見苦しいものとなりました。立ち合いの手つきが不十分(私が見るところ、主に遠藤の方に非があったようです)で、行司が3度も「待った」をかけたからです。

 

 大相撲では、両者が息を合わせて両方の手をついてから立ち上がる、というのが現状のルールというか申し合わせです。ところが遠藤は、片手はつくがもう一つはつかないまま立ち上がろうとしていたように思えます。

 

しかし、大相撲の興行を行う日本相撲協会はどうした、これほどまでに手つきにこだわるのでしょうか。

 

理由は2つほど考えられます。まず、立ち腰で行う立ち合いより姿勢を低くして手をついて行う立ち合いの方が、はるかにスピードと威力が増します。

 

陸上の100メートル競走など短距離競技では全選手が手を地面につけるクラチングスタートをしており、立ったまま走り始めるスタンディングスタートをする選手は見当たりません。手を地面につけるクラチングスタートの方がスタートダッシュがきくからです。

 

もう1つの理由は伝統と美学でしょうか。相撲の世界には両手をついて立ち上がる立ち合いが正統的で美しい、とする価値観が存在しているように思えます。

 

しかし、現役の力士たちの中には、どれだけ行司から手つきが不十分と注意されようと、審判を務める親方衆から叱られようと、そんなものは「笑止千万」と取り合わない連中も少なからずいるようにも思えます。

 

どうしてですって。それは、昔の大相撲の取り組みを見れば一目瞭然です。伝統の大力士である大鵬も北の湖も、立ち合いは中腰で、手をつくことなくいきなりぶつかりあう相撲をとっていたからです。

 

私はつい先ほど、youtubeで昭和48年3月(春)場所の14日目に組まれた「横綱北の富士-大関輪島」戦をわが目でチェックしましたが、この二人はいきなり中腰で立ち上がり、胸をぶつけて勝負を始めてしまいました。行司はもちろん止めることはありません。

 

北の富士といえば、現在、日本相撲協会の理事長を務める八角親方(元・北勝海)や千代の富士の兄弟子であり、部屋を継承した後は、師匠となった相撲界の重鎮です。

 

手つきが嫌いな現役の力士にしてみれば、理事長が頭が上がらないかつての大横綱がこんな相撲をとっていたわけですから、手つきルールなど愚直に守っていられるかい、といったところが本音でしょう。

 

ただし話を少し戻すと、科学的には立ち腰より手つきの方が立ち合いで相手に与える衝撃は大きくなります。その分、勝ち星は増え、地位は向上します。にもかかわらず、力士たちの多くはなぜ手つきの立ち合いをきっちり身につけようとしないのでしょうか。

 

そのわけはよく分かりませんが、私はふと、こんなことを想像しました。

 

相撲のルールはひどく簡単で足の裏を除いて体のいかなる部分が地面についても負けになります。

 

ならば力士は、土俵の土に触れれば負けてしまう手をできるだけ土俵から遠ざけたい、と本能的に感じているのではないか。中腰での立ち合いは、威力はないけれども、何かの弾みで自分の手を土俵につけてしまうというアクシデントも少なくなる、と経験と体で判断しているのではないか――。

 

ここにいたって私は仕切りの際に、土俵の土にこれでもかといわんばかりに顔を近づけ、低い立ち合いから勢いよく相手にぶつかっていった力士を一人、思い出しました。暴力事件を引き起こし、残念ながら引退を余儀なくされた元横綱の日馬富士です。

 

彼の体重は幕内力士の中では最軽量の部類に入る130キロ台でした。そんな日馬富士が横綱をはれたのは、両手をつくきれいで高速、かつ威力十分の立ち合いを身につけていたからにほかなりません。

 

 

運動エネルギー(E)は『(1/2 )× m ×(vの二乗)』の公式で与えられます。mは質量すなわち力士の体重、vは立ち合いで相手にぶつかる時の速度です。

 

体重(m)は小さくても、運動エネルギー(E)は立ち合い速度の二乗に比例しますから、力士は体重を増やすより、両手をつく低い威力のある立ち合いを磨く方が、相手を攻めるエネルギーが増えることをこの公式は示唆しています。

 

そういえば稀勢の里が長きに渡って休場したのは、2017年春場所で低い立ち合いでぶつかってきた日馬富士の威力たっぷりの高速の寄りに、たまらず土俵の外に転がり落ちたためでした。

 

軽量力士の活路は立ち合い速度にあり。大相撲の世界で日馬富士のマネをする力士が1人や2人、現れてもいいものだ、と私には思えるのですが、いかがでしょうか?