2016年09月22日

●良知を裏切らない生活

◆「この会で陽明学を学び続けてきて、私にとっての一番大きな変化は、自分の心の声に意識的になったことです。おかげで、自己顕示欲、誉められたい気持ち、こうするべきだといった厳格主義が減ってきました」

 9月20日、午後6時より「陽明学研究会、姚江(ようこう)の会・群馬」が、高崎市の小澤昌人税理士事務所で開催された。
 月に一度、群馬県の高崎市で開催される「陽明学研究会、姚江(ようこう)の会・群馬」に通って、もう4年にもなる。
 メンバーの一人・大野賢二氏の話では、9月20日現在で、延51回目に当たり、『伝習録』を読み始めてからは39回目に当たるのだとのこと。

「『伝習録』を、皆で読破しよう」
 と私が提案して『伝習録』の輪読会がスタートしたのは、2013年の6月16日のことだったそうで・・・、この日は、欠席が相次ぎ、人数が少ない事も手伝い、これまでの会を振り返っての感想を吐露して頂いた。
 11月で1年迎えるというA・N氏は
「その間で欠席したのは、1度だけでした」
 とのこと。
 K・O氏は、
「二つの陽明学がある事を知った事に加えて、陽明学を学び続けてきたことで、いろいろな本をんでいて、本の善し悪しが分かるようになってきました」
 と語って下さったが、それは、明らかに、良知を自覚するようになったことで、良知が働くようになり、物事の善し悪しの判断力がついてきた事を意味している。

 会の座長でもあるM・O氏は、
「この会で陽明学を学び続けてきて、私にとっての一番大きな変化は、自分の心の声に意識的になったことです。おかげで、自己顕示欲、誉められたい気持ち、こうするべきだといった厳格主義が減ってきました。私は、心が伸びやかでいられる工夫をしてきました。心の声、身体の声を聴くことに努め、朝『伝習録』を読むようになりました。(中略)この〈姚江の会〉で毎回10ページづつ『伝習録』を読み続けてきて、得た気付きがあります。それは、本を読むとき、早く読むことが良い事だ、という思考に染まっていることに気づかされたのです」
 と。
 最後に、T・S氏は、次のように語ってくれた。
「自分の心の動きを見るようになってきたんです。そうして、自分の性格が分かってきました。物欲はないのですが、人に嫌われたくないという傾向がある事が分かりました」

◆私の実体験から言っても、兆しを知るという心の超人的な能力が発揮されるようになるのは、間違いのない事実である。

 この日のテキスト『伝習録』中巻から、特に気になった個所を、以下披露させて頂く。

「そもそも、人間は天地の心に相当します。天地や万物は、もともと自己と一体(ひとつながり)の ものなのです。だから、人々の貧しく苦しむ様子を見ることは、そのまま私たちの身体の切実な痛みや苦悩に他なりません。この痛みや苦悩を感じない人は、〈是非の心(よい悪いを正しく見分けることのできる心)〉を持っていない者のことです。
 ここでいう〈是非の心〉というのは、
「知ろうと思わなくても知ることが出来て、学ばなくても自然に行うことが可能(慮らずして知 り、学ばずして能う)」(『 孟 子 』 尽 心上)
 な、いわゆる良知のことです。
 良知が私たち人間の心に内在していることは、頭がいい悪いの区別とは無関係ですし、またこの世界に例外などあり得ません。
 君子と呼ばれるような人格者は、ただその良知を発揮することに努めさえすれば、その良い悪いの判断は、自然に全ての人々に共通するものとなり、好き嫌いも人々に共通のものとなり、他人と自分の差別もなくなり、国家はまるで家と同じになり、こうしてこの世の万物は一体となるのです。これでは、天下に平安を実現させないようにする方が、無理というものでしょう」
 昔の人が、人の善行を見れば、自分が善行をしたことよりも喜び、悪行を見れば、自分が悪行をしたことよりも悲しみ(『大学』をふまえていう)、民衆の飢え苦しみを、自分の飢え苦しみとし( 『孟子』離婁下参 照)、一人でも不幸せな人があれば、
『自分がその人を溝の中に突き落としたかのよ うに』 (同上、万章上)
 責任を感じたりしたのは、人々からの信頼をえたくて意図的にしたことでは決してなく、ただその良知を発揮することによって自分の内面を充実させ、成長させようと努める、 そんな思いから自然に生じたものなのです」(溝口雄三・訳『王陽明、伝習録』参照)

 上記の言葉を補足しながら、結論めいたことを言わせて頂くと、王陽明に言わせれば、頭の善し悪しや才能のあるなしに関わらず、私達の心の奥には、物事の善し悪しを見極めることのできる「是非の心」、言い換えれば、「良知」「仏性」「仏心」「本当の私」が生まれつき備わっており、この「良知」の自覚に努めて、良知を発揮し、良知を信じ切ることが出来るようになりさえすれば、誰もが「聖人」といわれる偉大な人格者に成ることが出来る、というのだ。
  私の実体験から言っても、兆しを知るという心の超人的な能力が発揮されるようになるのは、間違いのない事実である。
  日々、私が心がけている事は、
「良知を致す」
 というよりも、可能な限り、良知を裏切らない生活である。
 とはいえ、この私も、凡人なので、良知を裏切ってしまう事も多々あるのだが、それでもその成果は確実に現れていることを実感している。

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2016年09月14日

●中江藤樹は、経典や常識や規律や戒律などよりも心の内奥の「良知」の判断を重視

◆「ただひたすら、行動するにあたって、細々(こまごま)とした規則を守ることは間違いだということを自覚した」

 昨今の宗教やイデオロギーによる対立や抗争は、私達の胸中に「良知」、言い換えれば「真吾(本当の私)」「明徳(めいとく)」「道」「仏性」「神の分霊(わけみたま)」「阿弥陀様」が内在しているという事実を見失っている事から生じています。
 厳密には、良知は私たちの内部、心の中にあるだけではなく、外にもあるものなのですが、自覚しやすさから、心の内部の良知を強調したに過ぎません。
 「近江聖人」と称されて久しい中江藤樹が、
「日本陽明学の祖」
 などと称されてきたのは、経典や常識や規律や戒律などよりも心の内奥の「良知」の判断を重視したからです。明らかに、朱子学とは違うのです。
 そのことを、中江藤樹の代表作で、江戸時代を通じてベストセラーとなった『翁問答』にある藤樹の次のような言葉からも知ることができます。

「道は、自分の心の内にあるということを知らないで、ただ先王の法(堯・舜という伝説の帝王の政治制度や孔子・孟子の教えなど)や賢人・君子の教えを人の守るべき道だと信じ、世間の良い風習を善だと決め、世間の理屈と道理を認めて、それらで心を正しくし身を修めようとそのスキルの修得に励むために、本来はいきいきとして停滞することの無い心がかえってすくんでしまい、自分の心にもともと持っている明徳(良知)のおおらかさやおだやかさが消えて、角々しい性質が日に日に大きくなり、だんだん人と仲良くしなくなり、変り者といわれるようになってしまう」(『翁問答』下、丙戌冬)

 藤樹は、王陽明の高弟・王龍溪(おう・りゅうけい)の思想から得た気づきによって、34歳の時には
「ただひたすら、行動するにあたって、細々(こまごま)とした規則を守ることは間違いだということを自覚した」(『年譜』岡田氏本)
 等と語りました。
 『翁問答』にある言葉は、藤樹の実体験にもとづいた言葉なのです。
 それまでの藤樹は、戒律を重視する宗教家や、「四書」にある孔孟の教えを厳格に守ろうとする朱子学者同様の、窮屈な生き方をしていたのでした。

 あなたの周りにも、タイトな、堅苦しい生き方をしている、面白くもないクソ真面目人間、いませんか。

 最後になりますが、いよいよ、17日(日)14:00から、乃木神社で、「日本陽明学の祖・中江藤樹」と題して、話をさせて頂きます。
 中江藤樹に関する著作は、過去無数に出されていますが、単なる孝行息子・中江藤樹ではなく、日本陽明学の祖としての中江藤樹を描き切ったものは、一般書では皆無と言っていいでしょう。
 17日は、その辺りの話を初披露させて頂きます。


▼中江藤樹(1608〜48)

220px-Nakae_Toju_portrait 中江藤樹

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●映画『World Trade Center』を見た。

◆ 「9.11に人間が見せた行い、もちろん、あの悪の行為・・・、だが、日ごろ忘れていた人間の善も見せてくれた」

  娘(大学2年生)と二人、映画
『World Trade Center』(2006)
 を見た。 
 オリバー・ストーン監督作品だ。
 とはいえ、お互い多用なので、早送りしながらであるが。

  9.11の同時多発テロで、崩壊寸前のワールドトレードセンターの人々を救出するために出動した港湾局警察のベテラン巡査部長とその部下が、ビルの崩壊後に閉じ込められ、救出されるまでの実話を基に描いノンフィクションものだ。
 それにしても、夜になって捜索を打ち切ったのには、驚かされた。
 にも拘らず、一人の海兵隊員(実際は、元・海兵隊員)がもう一人の仲間と共に危険を顧みず、捜索して回り、二人を発見するのだが、既に重傷を負っている二人は、朝まで持ちこたえることは出来なかったに違いない。
 ベテラン巡査を演じるニコラス・ケイジの迫真の演技はよかった。
 倒壊したがれきの中から、実際に20余名が救出されたという。
 
 映画の最後の方で表記されたと記憶しているが、印象深い言葉を披露させて頂く。

「9.11に人間が見せた行い、
もちろん、あの悪の行為・・・、
だが、日ごろ忘れていた人間の善も見せてくれた。
人びとは助け合った。
それが当然で、正しいことだったから」

 ここで言う「人間の善」とは、陽明学で言う「良知」のことである。
 港湾警察官たちの中から5,6名が、危険を承知で、救出に立候補した。自己犠牲をいとわない勇気ある行為こそ、「良知を致す」の最たるものである。

 彼らの救出に乗り出す救急隊員たちも、やはり身の危険を顧みず、勇気を出してがれきの中に身を投じていった。
 救出に出発する直前、同僚に向かって、
「家族に愛していると伝えてくれ」
 と伝言をするシーンがあるが、胸を打つ場面である。


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2016年09月11日

●王陽明「七情に固執する、これを欲というというのであり、これが良知の蔽いなのだ。 」

◆倦怠感で、11時間眠り続ける。

 9月11日(日)です。
 昨日は、朝9時頃に目覚め、メールのチェックや家事などを処理しましたが、倦怠感で午後1時には午睡、2時半頃に目覚め、仕事にとりかかりましたが、珍しく早く息子が4時頃に帰宅したので(文化祭だったとの事)、娘と二人で近くのスーパーに買い物に出かけ、夕食の用意に取り掛かりました。
 妻は、創作舞踊のレッスンなどで夜遅くなるとのこと。
 で、作ったのはかつ丼です。勿論、とんかつもこの私が作りました。
 6時過ぎに、3人で夕食。
 ふたりとも、喜んで食べてくれました。
 喜んでくれると、作り甲斐があります。
 私は、油物は食べれないので、この日は、納豆ご飯です。
 片付けて、8時頃になると、またまた酷い倦怠感、仕方なく床に就きました。
 あっという間に、眠りについていました。
 そして、今朝目覚めたのは、朝の7時でした。
 11時間眠り続けたことになります。

◆「おや、あの娘のことかい。私はとっくに置いてきたのに、お前はまだ抱いているのか」
 
 さて、9日(金)の「陽明学研究会、姚江の会・東京」で、私が注目した王陽明の言葉についてです。
 伏田氏、前田氏、堀氏、松原市、島木氏、金井氏、そして深澤氏も同じ個所に注目してくれました。
 その後、深澤氏は、FB上に、次のような興味深い実践的なコメントを書いて下さいました。

 ともあれ、王陽明が言いたいことは、七情が出てきたにしても、それらを後々まで引きずらなければいいんです。また、自分の心に生じた七情に気づいたその時点で、良知(本当の私)は回復されたのです。

深澤元博:
『"真説「伝習録」入門"に出てきた、担山和尚の話が心に残り、内観していたところ、偶然にも今月の課題条目に「七情と執着」があり、勉強会に遅れて参加すると、その90条だけがWhite boardに書かれいて、
「ああ、私にとって、ここが必要だと呼びかけてくれているんだな」
 と腑に落ちる。

------ 以下引用 ------

 担山和尚(たんざんおしょう)が、若い僧とともに旅をしていた時のことです。一人の美しい娘が、川の流れを前にして、渡れずにいるのを目にしました。
 担山和尚は、
「私があなたを抱いて川を渡りましょう」
 と提案し、娘を抱いて無事に川を渡ったのです。娘はお礼を言って立ち去りました。
 しばらくして、若い僧が和尚に向かって、
「私たち出家人は、女色を近づけてはいけないのではありませんか」
 と言いました。
「おや、あの娘のことかい。私はとっくに置いてきたのに、お前はまだ抱いているのか」
 と答えたといいます。

------------------------------

「おや、あの怒り、悲しみ、栄光、失敗、後悔・・・のことかい。私はとっくに置いてきたのに、お前はまだ抱いているのか? 」
 という声が聞こえてくる今日この頃。 感謝!

◆七情に固執する、これを欲というのであり、これが良知の蔽いなのだ。

 以下、『伝習録』下巻の90条からの抜粋です。

「喜・怒・哀・懼(く)・愛・悪(お)・欲、これを七情(しちじょう)という。この七つは、どれも人の心に本来あ るべきものである。人はただ、良知(りょうち)を明白にみてとることこそが肝要だ。

・・・(中略)・・・

 七情も、その 自然の流れにしたがっているかぎり、それはすべて良知のはたらきなのだから、善悪によ って取捨するわけにはいかない。

  ただし、七情そのものに執着することがあってはならな い。七情に固執する、これを欲というのであり、これが良知の蔽いなのだ。

 とはいえ、わずかでも執着するところがあれば、良知はもともとそれをみずから自覚できるものなのだ。そして自覚されたという、まさにそのときこそ、とりもなおさず蔽いが消え、本来的あり方にたちかえるのである」(『伝習録』下巻、90条)


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2016年09月06日

●再来年の大河ドラマは、靖国神社に合祀されていない西郷隆盛に決定!:後編

◆「彰義隊や新撰組を含む旧幕府軍や奥羽越列藩同盟軍の戦死者、西南戦争の西郷隆盛ら薩摩軍」は靖国神社には祀られていない。

 前編の冒頭で述べさせて頂いたが、本稿は、あくまで主にネットサーフィンによる所産であることをまずはお断りしておく。

 それにしても、個人的に気になるのは、西郷隆盛は、靖国神社に合祀されていない、ということである。
 ちなみに、西郷隆盛は、明治政府に反逆して亡くなったが、死後十数年を経て名誉を回復されている。位階は、正三位。
 であるのならば、靖国神社に合祀してもいいのではないだろうか。
 西郷隆盛は、靖国に祀られていないという事実は、時々、思い出したかのように巷で取りざたされることはあっても、それ以上追求されることはなかった。
 冒頭で触れた1990年の大河ドラマ『翔(と)ぶが如(ごと)く』の時もしかりで、このことが問題視されることはなかった。
 その最大の理由は、西郷隆盛が靖国神社に合祀されていないという事実がほとんど知られていない事にあるようだ。
 敵味方を問わず、日本国の為に亡くなられた英霊を祭るのが靖国神社だ、などと素朴に思っている人にとっては、理解不能と思われてしまいそうだが、実際は、
「彰義隊や新撰組を含む旧幕府軍や奥羽越列藩同盟軍の戦死者、西南戦争の西郷隆盛ら薩摩軍」
 は祀られていない。

◆「靖国神社は、長州藩の守り神だ」

 それについては、ネット上には、次のような理由が挙げられている。

『大鳥居をくぐり、少し歩くと視界に入るのが、大村益次郎の銅像だ。
 靖国神社のほぼ中心に立つ銅像が、長州藩出身で、日本近代陸軍の創始者である大村益次郎であることは、いったい何を意味するのであろうか。
 大村益次郎は、後に初代総理となる伊藤博文や木戸孝允、高杉晋作、井上馨らとともに戊辰戦争を戦い、天皇をかつぐことで江戸幕府を「朝敵」として「成敗」した、長州藩の軍事的リーダーだ。
 明治維新以後、大村は、国民皆兵や兵学校の設置による近代陸軍の青写真を描いていたとされる。大村の死後、その思想を受け継ぎ、明治3年に徴兵令を発布したのが、大村と先輩・後輩の仲であり、初代陸軍卿に就任する山県有朋であった。』(「祖父から教えられた「ヤスクニ」と長州藩中心に形成された「靖国」とのはざまで(<IWJの視点>平山茂樹の「ニュース下から目線」:IWJウィークリー13号より)」)

 続けてこうある。

『靖国神社設立の起源を調べてみると、やはり長州藩にいきつく。
 1865年、長州藩が奇兵隊の死者を祀るために建立した桜山招魂社が、靖国神社の起源である。その後、禁門の変、戊辰戦争などで戦死した長州軍の兵を合祀。明治維新後、明治天皇の上京にともない、天皇の錦の御旗が与えられることで、官幣の神社として靖国神社が設立された。
 以上の経緯を踏まえると、靖国神社は、明治維新以降、実権を握った長州閥の意向が色濃く反映された神社だと言える。事実、会津藩家老を先祖に持つ右翼の大物・田中清玄は、靖国神社を「長州藩の守り神にすぎないもの」と切り捨てたという。』(同上)

◆三島由紀夫「四年間考えに考えたあげく、いま日ごとに急速に消えていく日本の古き美しき伝統のために、わが身を犠牲にすることを望むようになりました」

 最後に、三島由紀夫が自決の日にアイヴァン・モリス(1925〜76)に宛てた手紙のことである。
その手紙は
「This is my last letter to you.」
 の出だしで始まり、こんなことが書かれているという。

「…あなたは、陽明学に親炙した私の結末を理解できるお一人です。
私は、
『知りて行わざるは、ただこれ未だ知らざるなり』
という言葉を信じています。
そして私の行為そのものは、何ら有効性を求めたものではありません。(中略)
私は『豊饒の海』にすべてを書きました。すべてを表現したと信じています。私の全人生
について感じ考えました。私の文武両道を顕すために、私の最終行動のまさにその日にこの作品を書きあげました。
 四年間考えに考えたあげく、いま日ごとに急速に消えていく日本の古き美しき伝統のために、わが身を犠牲にすることを望むようになりました。…」

 三島由紀夫は、自衛隊員の決起を熱望して「楯の会」を作るなどして活動してきたのだろうが、最終的には、自衛隊員の決起が無理な事を承知のうえで自衛隊に乱入、自己犠牲を発揮することで、自らの人生に終止符を打ったのだった。

◆アイヴァン・モリス「日本人は古くから純粋な自己犠牲の行為、誠心のゆえの没落の姿に独特の気高さをみとめてきている」

 そして、アイヴァン・モリスは、三島由紀夫からの自分あての遺書に答える形で
『高貴なる敗北、日本史の悲劇の英雄たち』(中央公論社)
 を執筆刊行した。
 アイヴァン・モリスは、本書「序」の冒頭で、執筆のいきさつについて次のように述べている。

「勇気ある敗者たちへ惹きつけられるという感情は、三島の生来のもので、それは単に個人的性癖からくるものでもない。
 日本人の国民生の中に深く根をおろしている感情の発露なのである。日本人は古くから純粋な自己犠牲の行為、誠心のゆえの没落の姿に独特の気高さをみとめてきている。
 そして三島自身の最後、すなわち1970年11月25日東京の陸上自衛隊東部方面総監部において彼が演じた生涯最後の一幕は、本書に扱う日本人の英雄観の伝統のシナリオにぴたりと密着した行為であった」
 
 本書にピックアップされた日本人は、以下のような人達である。

・日本武尊(やまとたける)
・捕鳥部万(ととりべのよろず)
・有馬皇子(ありまのみこ)
・菅原道真
・源義経
・楠木正成
・天草四郎
・大塩平八郎
・西郷隆盛
・カミカゼ特攻の戦士たち

 恥ずかしながら、捕鳥部万(ととりべのよろず。生年不詳 –用明天皇2年〈587年〉)についての詳しい事は、本書を通じて初めて知った。
 残念ながら、本書は、現在絶版となっている。

▼アイヴァン・モリス(Ivan Morris、1925年11月29日 - 1976年7月19日)イギリスの翻訳家、日本文学研究者。

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