2018年11月10日

●ミュージシャンとしても超一流だった熊沢蕃山


◆『論語』を愛読し、孔子を理想とする熊沢蕃山は、孔子同様音楽を愛し、ミュージシャンとしても超一流だった

 引き続き、陽明学者・熊沢蕃山(1619〜91)のこと。
 中途半端な研究者が、
〈蕃山は、自らが陽明学者などではないことを吐露しているので、陽明学者とするには当たらない〉 などとしたり顔で述べたりしているが、陽明学という思想についてのきちんとした理解さえあれば、蕃山が陽明学者ではないなどとは言えるはずもない。
 その事実は、蕃山の著書を一読すれば、一目瞭然なのである。

 さて、前回は、蕃山は政治家であり政治思想家として超一流だったと述べさせて頂いたが、実を言うと、存命当時、蕃山が有名になったのは、それだけでは無かった。
 『論語』を愛読し、孔子を理想とする熊沢蕃山は、孔子同様音楽を愛し、ミュージシャンとしても超一流だったのである。
 現代人は、レコードやCDと言う形で音を残せるから幸せだが、当時の様子は書き残されたもので知る以外に手だてがない。

 蕃山は、雅楽に詳しく、「三管」と称される笛・笙(しょう)・篳篥(ひちりき)は勿論、琵琶・箏(こと)についての理論的な理解があり、どの楽器も演奏できたという。
 なかでも、蕃山は、笛の名手として知られ、次いで琵琶、第三番目が箏であった。
 蕃山は、箏を宮廷楽師の藪大納言嗣孝(やぶ・だいなごん・つぐたか)卿から学び、多弦の琴以外にも一弦琴をも愛用し、作曲もし、琵琶は小倉大納言実起(おぐら・だいなごん・さねおき)卿に学び、蕃山には「琵琶論」という著作もあった
と言う。

◆蕃山が、宮廷における雅楽の復興に命を懸けていた事実は、ほとんど知られていないのは、誠に残念

 『熊沢先生行状』にこうある。以下、意訳。

 笛の名手で知られる阿部飛騨(あべひだ)が、ある夜、京都の町中を歩いていたら、とある邸から笛の音が聞こえてきた。楽曲は「越天楽」で、その笛の音を耳にした阿部飛騨は、
「ただ人にあらず」
 と評した。
 その後、笛の奏者が熊沢蕃山だったことが分かった。

 蕃山は、雅楽を高く評価し、合奏するなどして楽しんでいたようだが、その一方で、能楽は軽視していたと言われている。
 蕃山の雅楽好きは、中国で失われた古楽が、雅楽として日本にだけ残っていたことを大いに喜ぶ気持ちからのことだったのかもしれない。

 最後になるが、蕃山が、宮廷における雅楽の復興に命を懸けていた事実は、ほとんど知られていないのは、誠に残念としか言いようがない。
 その事に関し、熊沢蕃山の研究家で知られる宮崎道生は、次のように語っている。

「文人蕃山を大成させたのは『源氏物語』であり、本書の熟読により中国の聖人によって始められた礼楽の伝統を正しく伝えているのが京都朝廷であることに気付き、宮廷文化の復興に志したのも日本上古の〈清和〉の実態を見事に伝える同書の記述に触発されたからであった」(『熊沢蕃山、人物・事績・思想』新人物往来社)

▼雅楽「越天楽」

越天楽 雅楽

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2018年11月07日

●「日本主義思想の先駆者」熊沢蕃山について

◆蕃山は、「江戸時代260年の歴史の中で、ナンバーワンの政治家であり、政治思想家」だった

 今では、見事に全く忘れ去られてしまった感のある中江藤樹(なかえ・とうじゅ)の高弟で陽明学者の熊沢蕃山(くまざわ・ばんざん)について、触れてみたい。
 蕃山といえば、
「江戸時代屈指の経世家」
 であった。
 今風に言えば、
「江戸時代260年の歴史の中で、ナンバーワンの政治家であり、政治思想家」
 だったのである。
 幕末の陽明学者・山田方谷(ほうこく)が私淑し、方谷が「小蕃山」と呼ばれた事は、記憶に新しい。
 また、幕末期の思想家で、坂本龍馬の師・横井小楠(しょうなん)も、蕃山の著書の愛読者であった。

 私などは、蕃山について知れば知るほど、日本人としての自覚を深めてきたのだが、その事は蕃山が「日本主義思想の先駆者」(伊東多三郎責任編集『日本の名著、中江藤樹・熊沢蕃山』、伊東多三郎「藤樹・蕃山の学問と思想」)
 などと称されていることと無縁ではない。
 蕃山の師の中江藤樹は
「日本陽明学の祖」
 と称されてきたが、それは藤樹が神道に陽明学を接ぎ木して「神儒一致」の「日本陽明学」を主唱したが為であり、蕃山は藤樹の「神儒一致」説を受け継いだのである。
 それも、山崎闇斎(あんさい)の「垂加(すいか)神道」などが儒学本意の「神儒一致」であったのに対して、蕃山は、師の説をさらに先鋭化して、神道本意の「神儒一致」説を唱えたのだ。
  
 蕃山の名著『集義外書』巻16「水土解」にこうある。

「日本の神道は上古の簡易の時代に、知仁勇の三徳を三種の神器で象徴したもので、儒教の経典『中庸』をもってその趣旨を解釈することができる。このように葬祭は天竺(インド)から、文字・器物・理学は唐国(中国)から借りることができるが、〈貸すこともできず借りることもできぬものがある〉。日本人にとっては、日本の水土(自然環境)に適した神道、唐国(中国)人にはその水土に適した儒教、天竺(インド)人にはその水土に適した仏教である」(伊東多三郎責任編集『日本の名著、中江藤樹・熊沢蕃山』伊東多三郎「藤樹・蕃山の学問と思想」)

◆「天下国家を治めるには、人の心を正しくするより先に立つものはありません」

 蕃山は、さらに踏み込んで、こう語った。

「儒道という名も聖学という語も言わず、日本の神道と王法を尊重し、再興して神代の古風に復帰するだろう。唐(中国)めいたことは何もあるはずがない」(『集義外書』巻2「釈迦が日本に来たら」)

 こうした朝廷重視の考えが、幕府開闢(かいびゃく)間もない江戸幕府の立場からすれば、危険思想とみなされたのは、言うまでもないこと。
 また、蕃山の思想が、その後、水戸学に受け継がれて行ったのも、ごく自然なことであった。

 蕃山の言葉の中でも、特に常々大事にしている言葉を紹介して、本稿を終わりにしたい。また続きを書かせて頂く。
 
「人の身中に心があるのと、天地の間に人があるのと同じ理屈であります。心が悪ければ身の作法が悪く、人道が間違っていれば、世の中に災難が絶えることなく、ついには天下の乱れとなります。それだから、天下国家を治めるには、人の心を正しくするより先に立つものはありません」(『集義外書』巻2「一休の歌」)

 人の心を正しくするための唯一の学問(修養法)こそが、「良知心学」と称される「日本陽明学」なのである。ちなみに、石田梅岩の「石門心学」のルーツこそが、中江藤樹を祖とする「日本陽明学」であった。梅岩の心学は、梅岩の独創などではなく、藤樹の「良知心学」の教えをさらに大衆化したものなのである。

◆日本人よ奮起し目覚めよ

追補:
 私たちは、政治や経済の力で解決できる事にはおのずと限界があることを思い知らなければならない。我が国には、中江藤樹を祖とする「日本陽明学」が存在したからこそ、江戸の「大衆文化」が可能になり、隣国で、同じ儒教文化圏の中・韓に比べても、遜色のない高い道義心があるのだ。
 とはいえ、戦後になって中江藤樹や熊沢蕃山のことが全く教えられなくなったように、「日本陽明学」が存在してきた事さえ知らされなくなって久しい。このままでは、日本人が、日本人らしさを失うのも、時間の問題かもしれない。

 近々、刊行されるという百田尚樹『日本国紀』には、「日本陽明学」についての記述は皆無と思われる。だが、左傾化し過ぎた自虐的な日本史ではない、真正日本史の教科書こそが、今回の『日本国紀』であることは言うまでもないだろう。
 今から拝読させて頂くのが楽しみである。
 そして、日本人よ、奮起し目覚めよ。

▼伊勢神宮・内宮


伊勢神宮 内宮



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2018年10月17日

●強烈な不幸に巡り合ったことこそが、渡辺謙にとっての幸運だった。

「君が世界的大スターである父を超える手段は、能力や努力だけじゃない。どれだけ強烈な不幸に巡り合える、幸運に恵まれるかなんだ」

 以下は、偶々「徹子の部屋」10月17日放送を目にしての一文。今回のゲストは、俳優・渡辺謙氏の長男・渡辺大(わたなべ・だい。34歳)氏。
 番組中で、渡辺謙氏の息子・渡辺大氏が、2008年に「徹子の部屋」に出演した際に、今は亡き津川雅彦氏が与えた手紙を読むシーンが披露された。
 渡部大氏は、当時から、津川氏が開催する月一の勉強会に出席していたという。ちなみに、津川雅彦氏の夫人・朝丘雪路(あさおか・ゆきじ)さんは、昭和の陽明学者・細野燕台(ほその・えんだい。1872〜1961)の最後の弟子と言われた日本画家・伊東深水(1898〜1972)である。
 
『渡辺大 様
 大ちゃんは、お父さんよりいい男かも知れない。足も長いし・・・、が、それは長所じゃないよ。むしろ欠点だ。プロデューサーも監督も脚本家も、男は嫉妬深い。
渡辺謙は、かわいそうに病で死線をさまようほどの不幸に見舞われた。が、逆にそれをテコにして、努力と能力が素直に認められるキャラクターを育てることに成功した。君が世界的大スターである父を超える手段は、能力や努力だけじゃない。どれだけ強烈な不幸に巡り合える、幸運に恵まれるかなんだ。分かるかい。津川雅彦』

 津川氏とは親しかったという黒柳徹子氏は、津川氏からの手紙のビデオを見た後で、渡辺大氏に向かって、こう付け加えた。

「津川さん自身が、ハンサムだったので、おばさまの沢村貞子さんから
〈あなたは人の4倍努力しなきゃ、人には認めてもらえない、うまいって言われないよ〉
って、
〈顔だけでいいって思ってたら大間違いだよ〉
 って言われたので、努力したっておっしゃってた」

 これを聞いた渡辺大氏は、さらに号泣。

「幸福と不幸は元々一つのものであって、分けられない」

 津川氏は、女優・沢村貞子さんから、「あなたはいい男だから、人の4倍は努力しないといけないよ」と諭されていたというが、この事も「幸福=不幸」であることを思わせるが、さらに津川氏の発した言葉
「君が世界的大スターである父を超える手段は、能力や努力だけじゃない。どれだけ強烈な不幸に巡り合える、幸運に恵まれるかなんだ」
 は、まさしく「知と行は元々一つのものであって、分けられない(知行合一)」と同様、「不幸=幸福」を、「幸福と不幸は元々一つのものであって、分けられない」を説いているのである。
 ちなみに、津川雅彦氏の夫人・朝丘雪路(あさおか・ゆきじ)さんは、昭和の陽明学者・細野燕台(ほその・えんだい。1872〜1961)の最後の弟子と言われた日本画家・伊東深水(1898〜1972)である。
 上記、津川氏の非常に陽明学的な言葉は、夫人を介して伊東深水から得た人生哲学であったと思われる。

 実際、文豪・森鷗外(もり・おうがい。1862〜1922)も、中央から北九州の小倉(こくら)に転勤を命じられるという、世に言う
「小倉左遷」
 と言われた逆境下で、陽明学に出あって目覚め、一人の人間としても文学者としても大きく成長しているのだ。
 
 話を戻す。
 つまり、知と行同様、幸福と不幸、苦と楽、損と得、めんどくさいこととめんどくさくないこと、お金になることとお金にならないこと、小事と大事、という具合に、対立する二つの要素に分けて考えるその物の見方・考え方には問題が大ありなのである。
 もちろん優先順位はあるが、分けて考えないで、目の前にあるやるべきことを、ただひたすら誠実にこなすだけでいいのだ。分けて考えるから、手抜きをしたり、即お金にならないからと、やることを渋ったり、嫌々やって雑に処理してしまい、後で大目玉を食らうことになるのだ。

渡辺大

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akio_hayashida at 20:37|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 陽明学 | 芸能

2018年09月18日

●王龍溪、中庸の道を実践するための「事上磨錬」について語る


◆「事上磨錬によって手に入れることのできるものは、静坐によって得るものの倍です」

 以下、吉田公平・小路口聡・早坂俊廣・鶴成久章・内田健太
『王畿「龍渓(りゅうけい)王先生会語」其の11』
 からです。
 王龍渓(1498〜1583。Wang Ji)は、陽明学の創始者・王陽明の高弟で、陽明亡きあとの真の後継者です。その生涯を、師の教えの啓蒙活動に捧げました。
 日本陽明学の祖・中江藤樹は、王龍渓の思想を契機に大悟し、藤樹の弟子たち、特に熊沢蕃山と並ぶ二大弟子の一人の淵岡山(ふち・こうざん)とその門人たちは、王龍渓の思想を重視し、実践体得に努めたことが知られています。
 つまりは、日本陽明学を理解するには、王龍渓の思想を学ぶべきなのです。なお、幕末の陽明学者として知られる佐藤一斎は、王龍渓を評価しませんでした。
 真の求道者に、以下のさらなる解説は不要でしょう。

///////////////////////////////////////////////////////////////////

【事上での磨錬から入って、状況に左右されないのを、徹悟と呼びます。】

ある人が言った。
「あなたが、
〈吾が儒は、中庸の道に合致しており、禅学や俗学とは異なる〉
 と言われるのは、正しいでしょう。
 かといって、恐らくは、外から強引に手に入れようとしても、出来るものではありません。どうか、入り方を教えてください」
 私(王龍溪)が言った。

「君子の学は、悟りを得ることを貴(とおと)びます。この悟りの門が開かれないと、本当に学んだという確証は得られません。悟りに入る道(入悟)には、三種類あります。
 言葉から入る者がいます。静坐から入る者がいます。人の心のありようや出来事の変動の上で本心を磨錬(錬磨)することから入る者がいます。
 言葉から入ることを、解悟と呼びます。学びの最初の転機です。
 静坐から入って、本心から悟得(自得)するのを、心悟(證悟)と呼びます。
 事上での磨錬から入って、状況に左右されないのを、徹悟と呼びます。
 静坐する場合には、必ず頼るべきものが必要です。周囲の環境が静かであってこそ、心は始めて静かになります。それは濁った水が澄むのに例えることができます。たとえ一時的に澄んだとしても濁りの元は、依然として残存しているので、風や波によって振動し、搔き乱されたとたんに、やはり再び濁りの元が雑(ま)ざりあって、容易に濁ります。
 もし人情事変の上の磨錬から行っていけば、完全に透き通って、流れるがままに絶妙に応じることができます。水面は複雑多様に揺れ動いていても、真の主宰者は常に一定しているので、磨錬すればするほどますます本体はその輝きを増してきます。そうなるともう澄んだり濁ったりすることはありません。これを実証実悟(真実の悟り)と言います。

 思いますに、静坐によって手に入れることのできるものは、言葉によって伝えられるものの倍です。事上磨錬によって手に入れることのできるものは、静坐によって得るものの倍です。
善く学ぶ者は、自分の力量の大小を見計らって、時間をかけながらゆっくりと入っていきますが、それが功を成すに及んでは、得られる成果はみな同じです。

 先師(王陽明)の学も、幼年の頃は、やはり言葉から入りましたが、ついで静中から悟りを得て、その後、野蛮な地に居住すること三年にして、万死に一生を得た経験の中から、度重なる磨錬を得た結果、やっと徹悟の証を手に入れました。
 生涯にわたる経綸(世直し)の事業は、全てその余事(本来の仕事ではなく、余力で行う仕事)なのです。儒とは、中庸の道を実践する実学です。」(『龍渓王先生会語』巻四)

▼王龍渓(畿)
王龍渓

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akio_hayashida at 06:01|PermalinkComments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 陽明学 | 歴史

2018年09月12日

●司馬遼太郎はもちろん、渡部昇一も知らなかった「日本陽明学」の話

◆日本が世界に誇る二大文化の一つが浮世絵であることは分かるが、もう一つは「藤樹心学」こと「日本陽明学」なのである。

 渡部昇一(わたなべ・しょういち)
『「日本の歴史」す掌擁咫∪こΠ譴療垰圈々掌佑糧鳳鼻戞WAC)
 を読了した。
 驚いたことには、「日本陽明学」についての記述がほぼゼロに近かったことだ。その代わりというべきか、石田梅岩の「石門心学」を過大評価、
「石田心学と並んで日本が世界に誇る江戸の二大文化の一が浮世絵である」(第9章)
 とあった。文中には、「石田心学」と記されているので悪しからず。
 日本が世界に誇る二大文化の一つが浮世絵であることは分かるが、もう一つは「藤樹心学」こと「日本陽明学」なのである。
 司馬遼太郎はもちろん、渡部昇一も、日本陽明学の祖・中江藤樹を先駆とする「藤樹心学」の門人たちの大活躍ぶりをご存じなかったようで、残念としか言いようがない。
 そもそも「石門心学」は、中江藤樹の「藤樹心学」の影響を受けて成立したのであり、藤樹の高弟の淵岡山(ふち・こうざん)が京都の学館で陽明学と藤樹学がセットになった「藤樹心学」を教授したことで、日本各地から留学生が参集し、京都は「日本陽明学」のメッカとなったのだ。

◆「藤樹心学」は、日本各地で学ばれたが、中でも最も盛んだったのが、会津藩であった。

 同時期に、藤樹の高弟の熊沢蕃山も、岡山藩の藩政改革に力を尽くし、成果を上げ、日本全国にその名を轟かせて、貴族や大名たちの尊敬を一身に集めている。いつしか藤樹の二大高弟の蕃山や岡山の名は、将軍の耳元にまで届いていたのである。

 やがて江戸の繁栄と共に、「藤樹心学」のメッカは江戸に移り、伊勢商人・二見直養(ふたみ・なおかい)を藤樹心学のリーダーとすることになるのだが、やはりこの直養の名も、日本全国に響き渡り、さらには将軍の耳に達するのである。

 「藤樹心学」は、日本各地で学ばれたが、中でも最も盛んだったのが、会津藩であった。と言うべきか、正確には、主に会津藩の庶民に受け入れられたのである。
 その事実は、拙著
『評伝・中江藤樹』
 そして吉田公平・小山國三
『中江藤樹の心学と会津・喜多方』(研文出版)
 にさらに詳しい。
 是非の一読をお勧めする次第である。
 
 なお、拙著『評伝・中江藤樹』はアマゾンでは売り切れているので、購入希望の方は、コメント欄を通じてお申し込み頂きたい。また、フェイズブックでも受付させて頂いている。

『中江藤樹の心学と会津・喜多方』


評伝・中江藤樹 知行


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