2017年01月20日

●日経に掲載されたグロービス経営大学院・堀義人学長の「リーダー論に通ずる陽明学、心の陶冶を学ぶ」を読む

◆苦悩や不安やストレスのない安定した伸びやか心を実現するには、思いと行動の間にギャップ(乖離)がないことが重要で、そのためには、後悔や後ろめたさなどの要因となる諸々の私欲を減らすこと、これしかないのです。

 年明け早々、自民党の新年会での挨拶で、安倍首相は、江戸後期を代表する陽明学者・大塩平八郎と王陽明の有名な言葉
「山中の賊を破るは易(やす)し、心中の賊を破るは難(かた)し」
 に触れて下さって、これには大いに驚かされました。
 そんなところへ、今度は、グロービス経営大学院の堀義人学長の
「リーダー論に通ずる陽明学、心の陶冶を学ぶ」
 と題する一文が、日本経済新聞に掲載されましたので、更に驚かされた次第です。

 安倍首相の挨拶については、すでに私のこのブログでも取り上げさせて頂きましたので、今日は、堀義人学長の一文について触れさせて頂きたいと思います。

 堀学長が影響を受けたと語られている密教については、本を読んだり松長有慶氏のご講演を聴いたりした程度で、私の専門とすることではありませんので、ここでは陽明学について述べさせて頂きます。
 堀学長の場合は、密教と陽明学に出会ったのは、今から20年ほど前のグロービスを起業して間もない頃のこととあります。
 つまり、ただ単なる好奇心や知識欲からというより、サラリーマンから実業家としての道を歩み始める中、悩み多き経営者の一人として、真摯に心に目を向けた結果、出会った、ということなのでしょう。
 真摯な経営者であれば、誰もがそう思うのでしょうが、堀学長の場合も、無意識のうちに、揺れない心、「不動心」を求められていたものと思われます。
 堀学長は、特に「知行合一」「心即理」に注目されたそうですが、その事実が、そのことを物語っていると思います。
 苦悩や不安やストレスのない安定した伸びやか心を実現するには、思いと行動の間にギャップ(乖離)がないことが重要で、そのためには、後悔や後ろめたさなどの要因となる諸々の私欲を減らすこと、これしかないのです。そして、その為には、「内観」が必要となります。

どれほど頭脳明晰で、語学にも長けていたにしても、自分本位で人望が無ければ、人は引き上げてもくれなければ、応援もしてはくれません。
 また、運よく経済力に恵まれたり、出世できたにせよ、誘惑に負けて罪を犯してしまい、人生を棒に振る人も後を絶ちません。心が弱かったのです。

 拙著『真説「陽明学」入門』には、紙幅の都合もあり、「内観」の重要性を含め、心の陶冶の方法について具体的に述べることができませんでした。
 実は、心の陶冶の具体的な方法論については、江戸時代初期に、陽明学を日本に根付かせた中江藤樹を先駆とするその門人たちの工夫と努力によって明らかにされ、「日本陽明学」として結実したのです。
 「日本陽明学」の実践体得の教えが、今でもとても有効であることは、幕末の志士や明治の元勲達の偉業が証明しているのですが、私や
「姚江(ようこう)の会・群馬」
 で、私と共に約4年かけて『伝習録』を読破した
「姚江の会・七人のサムライ」
 たちが実感していることでもあります。

 「日本陽明学」によって明らかにされた陽明学流の心の陶冶の方法については、昨年11月に脱稿しました私の新著『評伝、日本陽明学の祖・中江藤樹(仮)』(三五館)に詳説させて頂きましたので、どうか刊行迄もうしばらくお待ち下さい。
 諸外国のみならず、昨今の我国でも、数字ばかりに目を向けて、心に目を向けることのない経営者のほうが圧倒的に多いと思いますが、そういう意味で、心に注目された堀学長は、日本人らしさを牽引する稀にみる経営者であると思います。

 以下は、日経に掲載になった堀義人学長の記事です。

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リーダー論に通ずる陽明学、心の陶冶を学ぶ
グロービス経営大学院学長 堀義人氏(49)
2017/1/13付

 僕が最も影響を受けた思想が、陽明学と密教である。
 僕が密教に興味を持ったきっかけは、尊敬する起業家である斑目力昿氏(ネミック・ラムダ=現TDKラムダ=の創業者)との出会いだ。斑目氏は高野山大学で学び、僧侶の資格を持つユニークな起業家だ。20年ほど前に、斑目氏と高野山の宿坊に泊まり、密教思想に触れる機会を直々に頂いた。その後、真言密教を大成した空海の著書や空海に関する書物を、僕は乱読し続けた。
 陽明学に出会ったきっかけは、内村鑑三の「代表的日本人」を読んだことだ。この本に出てくる西郷隆盛と中江藤樹の2人の偉人に影響を与えたのが陽明学だ。その後、陽明学と名がつく本を可能な限り読破した。当時、僕は30代前半でグロービスを起業して間もない頃だった。
 陽明学の代表的な教えが「心即理」と「知行合一」である。僕の解釈は、とてもシンプルだ。「心=理」、「知=行」であり、仮に「理」と「知」とを同じものと捉えると、心=理・知=行とイコールで結ばれる。つまり、心のあり方がそのまま思考となり、行動に表れるのだ。
 思考と行動が違うと、言行不一致となり、信用を失う。心で思ったことと頭で考えたことが違うと、心と頭が解離した状態となり、心にストレスが生じる。心・思考・行動の一致が最も重要となる。その全ての起点となるのが、「心のあり方」だ。陽明学は、心学とも呼ばれ、心を陶冶することを勧めている。
 しかし、陽明学の始祖である王陽明が「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」と唱えたように、心を律することは難しい。そもそも、自らの心を認識することすら、とても難しいのだ。僕自身、自らの心のありようが分からずに、部屋の隅っこでうつむきながら、悩んだ時期もあった。ヒントを与えてくれたのが、陽明学と密教だった。自らの「心」が察知できないのは、「欲望」と「頭の作用」という2つの邪魔ものがあったからだ。
 名声欲や金銭欲、権力欲などの欲望があると、「お金をもうけたいから」「有名になりたいから」「権力が欲しいから」という理由で、自らが心で欲しているものではなく、欲望に流されてしまいがちになる。
 一方、頭の作用が強過ぎると、自分の心を、頭で誘導しがちになる。受験戦争を繰り広げて、「良い大学に入り、良い会社に入ることが幸せだ」と頭から信じていると、本当の幸せを見失うのと同じ道理である。
 心はほのかな光しか発していない。欲望と頭の作用がギラギラと光り覆い隠してしまうから心が見えにくくなるのだ。心を察知するには、その2つの邪魔ものを除去する必要がある。
 欲望をそぎ落とし、頭の作用を止めるのに役に立ったのが、密教の思想だ。座禅などを通して、空(くう)の状態になることで、欲望をそぎ落とし、頭の作用を止められる。

 心を察知できれば、心を陶冶できる。心の中の恐れ、怒り、ねたみ、不安など悪い心を打ち払い、希望に満ち、明るく、前向きな善い思いを心に満たし、心を強くできる。心を陶冶することを日々の業務の中で意識して行い続ける。すると心・思考・行動が一致し始め、心即理、知行合一を実行できるようになる。
 密教と陽明学の教えは、僕の「心のあり方」のよりどころとなった。良い教えは、可能な限り多くの人に教えたい。密教は宗教的教えなので、経営大学院では教えにくい。だが、陽明学は可能だ。グロービスでは、「真説『陽明学』入門」(林田明大著)を経営学修士(MBA)学生の必読書として定めている。
 陽明学の教えにより、心が陶冶された良きリーダーが日本から数多く輩出されることを心より願っている。

[日経産業新聞2017年1月13日付]

堀義人(ほり・よしと)1986年京大工卒、住友商事入社。米ハーバード大経営大学院で経営学修士号(MBA)取得後、92年にグロービス設立。「ヒト・カネ・チエの生態系を作り社会の創造と変革を行う」ことを目標に、経営大学院の経営、ベンチャーキャピタルの運営、経営ノウハウの出版・発信を手掛ける。茨城県出身。54歳。


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http://www.nikkei.com/article/DGXKZO11592390S7A110C1X12000/

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akio_hayashida at 15:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)陽明学 | 経営学

2017年01月09日

●安倍首相が新年の挨拶で引用した「山中の賊を破るのは易し、心中の賊を破るのは難し」について

◆「山の中の賊を退治するのは簡単だが、心の中の賊を退治するのは難しい」

 前回は、安倍首相が新年の挨拶の中で触れられた陽明学者・大塩平八郎と陽明学の創始者・王陽明のことについて触れさせて頂きました。
 今回は、安倍首相が新年の挨拶の中で触れられた王陽明の言葉、
「山中の賊を破るのは易(やす)し、心中の賊を破るのは難(かた)し」
 についてです。

 この言葉は、王陽明の遺した言葉の中でも、
「知行合一(ちこうごういつ)」
「事上磨練(じじょうまれん)」
 と共に特に人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)した言葉といっていいものです。
 通常は、「の」を省いて
「山中の賊を破るは易し、心中の賊を破るは難し」
 という言い方をしています。
 意味は、文字通りで、
「山の中の賊を退治するのは簡単だが、心の中の賊を退治するのは難しい」
 です。
「心の中の賊」
 というのは、
「私欲(私心・人欲)」
 のことです。
 心の中に人欲があると、心の本体であるところの
「良知(りょうち)」
 言い換えれば
「天理(明徳。本当の私)」
 が働かない、発揮されないのです。
 それも、ほんの少しの私欲であっても、良知を発揮することができなくなるというのです。

 そのことを、王陽明は、次のように述べています。

「省察克治(せいさつこくち。内省し私欲を克服すること)の修養は、途切れてはならない。人欲に対して、まるで盗賊を徹底的に掃討するように、徹底しなければならない。
 何事もない時であっても、色を好み、財貨を好み、名声を好むなどの私心を、一つひとつ追及して探し出し、根っこからその病根を抜き去って、二度と起こらないようにしなければ、十分とは言えない。
 だから、普段から、猫がネズミを捕らえるときのように、じっと眼を凝らし、耳を澄ませて、ほんのちょっとでも私欲の芽が萌(きざ)したならば、釘を切り鉄を截(た)つように、一気に、相手に手段を講じる余裕を与えたり、逃げ隠れさせてはならない。
 これでこそ、始めて本当の修養をしたことになり、私欲を徹底的に取り除くことも可能となり、やがては、もはや克服するべき私欲もなくなり、そうなれば、自己の自然のままに振る舞っても良いことになる」(『伝習録』上巻40条)

 陽明の省察克治の修養を実践するとなると、とてもとても、人の欠点を見つけたり批判している暇などありませんね。
 まさしく
「己に厳しく、他人には寛容に」
 なるしかないわけです。

◆「もし、君たちが、我が心の底に仇をなす私欲を残らず掃除することができるならば、これこそ本当に男子たるものの、この世にまたとない偉丈夫の偉大な業績と言って良いであろう」

「山中の賊を破るのは易し、心中の賊を破るのは難し」の言葉は、1517年、陽明46歳のときのもので、福建省南部の汀州・漳州(ていしょう・しょうしゅう)地方の匪賊(ひぞく)討伐の陣中から、門人の楊仕徳(よう・しとく)に与えた手紙に見ることができます。その後、門人・薛侃(せつ・かん。尚謙)に与えた手紙でも同じ言葉を引用しています。
 陽明は、この前の年の秋に都察院右僉都御史(とさついんうせんとぎょし)に任命されて、高級官僚でありながら、文武両道のその才能が評価されて、武人としての新たな生活がスタートしていました。
都察院右僉都御史とは、今でいう検察庁長官に相当するポストで、各地を見回り、地方官吏の不正を正し、暴動や反乱などを取り締まる仕事で、まさに命がけの日々となっていたのです。

 そして、これが、陽明が47歳のときに、門人の薛侃に与えた手紙です。陽明は、1518年に、江西・広東両省の境にある三浰(さんれん)の賊を平定するのですが、その戦いの途中で、書き送ったのでした。

「私はすぐその日、竜南(江西省贛州府竜南県)に到着した。明日、賊の根拠地を攻撃する。味方の軍は、四方から作戦通りに進撃しており、賊を必ず打ち破る態勢をとっている。
 私は、横水(江西省崇義県)にいたとき、楊仕徳(よう・しとく)に手紙を出して、
『山中の賊を破るは易し、心中の賊を破るは難し』
 と言ったことがある。
 私が、盗賊を退治したところで、何も不思議に思ったり驚いたりするようなことでもない。もし、君たちが、我が心の底に仇をなす私欲を残らず掃除することができるならば、これこそ本当に男子たるものの、この世にまたとない偉丈夫の偉大な業績と言って良いであろう」(『王陽明全集』巻4)


◆「私に秘策などないのです。ただ平生、自ら信じているのは良知です。およそ機に応じて敵に対したとき、ただこの1点の霊明(良知)が霊妙に感応し、いささかも生死利害に動かされなかっただけなのです」

 陽明は、その晩年に、反乱鎮圧に東奔西走する武人としての日々を約6年間過ごして57歳で亡くなりましたが、驚くべきことには、その間、一度も負けることが無かったのです。
 用兵の秘策を、後に門人の王龍溪(おう・りゅうけい)に質問されて、こう答えています。

「私に秘策などないのです。ただ平生、自ら信じているのは良知です。およそ機に応じて敵に対したとき、ただこの1点の霊明(良知)が霊妙に感応し、いささかも生死利害に動かされなかっただけなのです」(『真説「陽明学」入門』第1部第3章)

 デビュー作の『真説「陽明学」入門』を刊行させて頂いて約20年余が過ぎました。これは、その間、私自身が、良知の自覚と良知を信じる工夫と努力を継続してきたからこそ言えることですが、良知には、物事や出来事の兆しを直前にキャッチする働きがあることからすれば、良知のおかげで数々の危機を潜り抜けて来たであろうことは充分理解できます。

 かつて、私がお世話になった九州大学名誉教授の岡田武彦先生によれば、
『大塩平八郎は、陽明の名言「山中の賊を破るは易し、心中の賊を破るは難し」の語を、印章に用いたと聞いたことがある』(『岡田武彦全集3、王陽明大伝』第13章、参照)
 とのことでした。
 最後になりますが、というわけで、「山中の賊を破るは易し、心中の賊を破るは難し」は、大塩平八郎の座右の銘だったということになりそうです。

hqdefault 安倍晋三


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akio_hayashida at 19:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)陽明学 | 政治

2017年01月06日

●安倍首相、自由民主党の仕事始めの年頭挨拶で王陽明の言葉を引用

◆安倍首相の新年の挨拶と王陽明の言葉「山中の賊を破るのは易し、…」について

 新年早々、驚かされたことがあります。
 なんと、安倍首相が、1月5日に開催された自民党の仕事始めの会合での挨拶で、江戸後期の陽明学者・大塩平八郎に触れながら、王陽明の言葉として知られる
「山中の賊を破るのは易(やす)し、心中の賊を破るのは難(かた)し」
 を引用されたのです。
 この言葉に関しては、後述します。
 以下が、そのニュース記事です。

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「心中の賊破るは難し」=安倍首相、自らを戒め
時事通信 / 2017年1月5日 16時4分

「山中の賊を破るのは易し、心中の賊を破るのは難し」―。安倍晋三首相は5日の自民党仕事始めで、180年前の「丁酉」(ひのととり)に当たる1837年に大塩平八郎の乱があったことを紹介すると、大塩ら陽明学者の言葉を引き合いに、着実な政権運営に努める考えを強調した。
 首相は「党内で大塩平八郎出ろということでは全くない」と笑いを誘いつつ、大塩らの言葉について、
「目の前の敵を倒すのは簡単だが、自分の心の中にある敵を倒すのは難しい」
 との意味だと解説。
「この言葉を私自身の戒めにしながら、常に緊張感を持って進んでいきたい」
 と語った。[時事通信社]

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 この時、安倍首相は、「山中の賊を破るのは易し、心中の賊を破るのは難し」の言葉は、大塩平八郎の言葉だとして紹介されましたが、正しくは、陽明学の創始者・王陽明の言葉です。
 とは申せ、大塩平八郎は大変に有名な陽明学者でしたから、当然、王陽明の言葉の中でもよく知られたこの言葉を知らないわけはありませんから、全くの間違いだということも言えないと思います。
 ではありますが、「山中の賊を破るのは易し、心中の賊を破るのは難し」が王陽明の言葉であったことを語って下さっていれば、この挨拶が完璧だったことは言うまでもないことです。
 最近では、中国の習近平氏も、折にふれて王陽明の事を口にするようになりましたし、中国では王陽明の生涯がテレビドラマ化もされたようですが、かつて中国共産党は、王陽明は農民一揆を鎮圧した人民、つまり労働者の敵だと言って批判していましたから、そのことを思うと、隔世の感があります。
 せっかくの機会ですから、大塩平八郎と王陽明の言葉
「山中の賊を破るのは易し、心中の賊を破るのは難し」
 について、以下触れさせて頂きます。

 まずは、大塩平八郎についてです。
 人名辞典にはこうあります。

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大塩平八郎(おおしお・へいはちろう)
1793−1837 江戸時代後期の武士、儒者。
 寛政5年1月22日生まれ。大坂東町奉行所で名与力と評される。38歳で辞職、私塾洗心洞(せんしんどう)で陽明学を教授。天保(てんぽう)の飢饉(ききん)に際し奉行所に窮民救済を進言するがいれられず、蔵書をうって救済につとめ、天保8年決起するが鎮圧され、3月27日自刃(じじん)。45歳。
 名(諱)は正高、のち後素(こうそ)。字(あざな)は子起。号は連斎、中斎。著作に『洗心洞箚記(せんしんどうさつき)』『古本大学刮目(こほんだいがくかつもく)』など。
【格言など】四海困窮せば天禄永く絶えん。小人に国家を治めしめば災害並び到る(決起の檄文) (デジタル版、日本人名大辞典+Plus)

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 大塩の代表作『洗心洞箚記』は、陽明学関係の本を読んでの読書ノートといった内容で、幕末の志士の吉田松陰や西郷隆盛(来年のNHK大河ドラマの主人公)の愛読書として知られています。

 かつて私は、小林日出夫『陽明学・100の言葉』(明徳出版社)で、大塩中斎(平八郎)を担当させて頂いたのですが、その冒頭にこう書かせて頂きました。

「大塩中斎(1793〜1837)は、〈大塩平八郎の乱〉で知られ、江戸末期の、今でいう警察薯長と検察官を兼ねる大坂町奉行与力で、当時知られた陽明学者である。自分という人間の質を高めるべく自己修養の為の本を多く読み、かつ陽明学で言うところの〈事上磨練(じじょうまれん)〉を実践、仕事からも手を抜かなかったその自らに厳しい生き方と自己犠牲の精神には正直驚かされる」

 王陽明のことは、私のデビュー作『真説「陽明学」入門』(三五館)の「第1部、王陽明の生涯」で詳しく触れさせていただいておりますが、改めて簡単に紹介させて頂きます。

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 王陽明(おう・ようめい)
[生]成化8(1472).浙江(せっこう)・余姚(よよう)
[没]嘉靖7(1529).11.29. 江西・南安
 中国・明(みん)の哲学者、政治家。陽明学の始祖。字(あざな)は伯安(はくあん)。名は守仁(しゅじん)。諡(いみな)は文成(ぶんせい)。
 弘治 12 (1499) 年の進士。官は南贛(なんかん)巡撫(じゅんぶ)、南京兵部尚書(ねんんきんへいぶしょうしょ)、都察院都御史(とさついんとぎょし)として両広総督などを歴任。その間、江西の流賊(りゅうぞく)の反乱、南昌(なんしょう)の寧王朱宸濠 (ねいおう・しゅしんごう) の乱、広西のよう族の乱などを平定し、十家牌法(じゅっかはいほう)や郷約を実施するなど軍事的、行政的に名声を博した。(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」)

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 王陽明は、一流の文人、つまり政治家であり思想家(学者)であり漢詩人でありながら(今では書家としても有名)、武術と軍略に秀でた武人としても超一流だったのですが、そうしたあり方は、文人優位の社会である中国や朝鮮においては異端でした。それ故に、受け入れられ難かったと言えます。
 逆に、王陽明は、江戸時代の武士たちが理想とする
「文武不岐(ぶんぶふき。文武両道)」
 の典型ともいえる人物だったからこそ、日本人に人気があったことは言うまでもありません。
 陽明学は、今では日本陽明学の祖と称される中江藤樹(1608〜48)によって日本に根付かされて、今日に至っているのです。

 これは余談ですが、実は、私の5年ぶりの新著ということで、中江藤樹の評伝を書かせていただき、昨年秋に出版社の三五館に入稿済みですから、あと数か月以内には刊行されるはずです。脱稿までに延6、7年かかった力作です。

 以下、産経新聞から安倍首相の挨拶の全文です。

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「新しい時代にふさわしい憲法はどんな憲法か」「日本を世界の真ん中で輝く国に」 安倍晋三首相、自民党仕事始めあいさつ詳報
産経新聞1月5日(木)11時48分

 安倍晋三首相は5日午前、自民党の仕事始めの会合であいさつし、憲法について「新しい時代にふさわしい憲法はどんな憲法か。今年はいよいよ議論を深め、段々姿、形を作っていく年にしていきたい」と述べ、改正に向けた意欲をにじませた。あいさつの詳細は次の通り。
     ◇
 皆様、明けましておめでとうございます。今年の自民党の仕事始めも素晴らしい天気のもと、いよいよ始まります。
 今年のお正月は私はホテルに泊まっていたんですが、1日も2日も3日もホテルの部屋からくっきりと富士山が見えて、昨日の伊勢神宮のお参りの際にも新幹線から富士山が神々しく見えたわけでありまして、大変幸先のいいスタートだなと。
 2日にゴルフをいたしましたら、とてもいいスコアで。私にとってはいいスコアで。それがいくつだったかはですね、これは国家の権威がかかっていまして、国家機密とさせていただきたいと思いますが、私にとりましては大変幸先の良いスタートとなりました。
 今日、こうして出席をしておられる皆様のお顔を拝見していますと、年末年始それなりにゆっくりとされた方もおられると。同時に年末年始の行事、あるいはさまざまな忘年会、新年会に出席をされてちょっとお疲れの方もおられるな、こんな感じもいたしますが。今日から皆さん、気持ちを一つにして頑張っていこうではありませんか。
 今年は酉年でございまして、酉年は割と大きな変化がある年でもあると思います。実は私は政治家としては年男でありまして、24年前の酉年に初当選を果たすことができました。
 そこにいる林幹雄さんとか私とか、塩崎(恭久)厚労大臣、岸田(文雄)大臣、野田聖子さん等々。田中真紀子さんもおりましたね。これが初当選であると。このメンバーが初当選したのが良かったかどうかは別として、自民党が実は野党に転落した年でもございました。それが24年前。
 さらにさかのぼりますと佐藤政権、48年前ですね。佐藤政権でも沖縄返還を契機として解散総選挙があった年であります。そして12年前は郵政選挙があり、多くの自民党の新人が当選をしました。
 だからといって今年選挙があるとはかぎらない。36年前は選挙をやっていないわけでありますから。例えばの話をさせていただいているわけでございますが、しかし常在戦場の気持ちでともに身を引き締めていきたいと思います。
 今年の酉はただの酉ではなくて丁酉であります。これもまた大きな変化、あるいは新しいことが始まる年でもあります。
 60年前の丁酉はですね、岸内閣が成立をした年であります。石橋さんが短命で終わり、岸内閣に変わって、年金や医療、保険制度がスタートした。社会保障の礎ができた年であり、礎がいよいよできる年、胎動の年、始動の年であったわけであります。
 同時にですね安保条約の改定、平和国家としての安全保障の礎を作るという、この動きがスタートした年でもあったんだろうと思います。
 憲法施行からことしは70年の節目の年でもあります。新しい時代にふさわしい憲法はどんな憲法か。今年はいよいよ議論を深め、段々姿、形をですね表していく。私たちが形作っていく年にしていきたいなと、このように思う次第であります。そのためにそれぞれが責任を果たしていくことが求められています。
 そして丁酉、180年前は大塩平八郎の乱がありました。知行合一、行動を尊ぶ。党内で大塩平八郎に出ろということでは全くございません。私のメッセージを間違って受け取ってもらっては困るわけでありますが。
 彼の言葉に山中の賊を破るのは易し、心中の賊を破るのは難し。つまり目の前の敵を倒すのはある意味では簡単だけど、自分の心の中にある敵を倒すのは難しい。この言葉を私自身の戒めにしながら、常に緊張感をもって国民の信頼があってこそのわれわれなんだと、自民党なんだという気持ち、安倍政権なんだという気持ちをもって一歩一歩、皆様とともに進んでいきたいと思います。
 ともに今年一年、国民のために一生懸命汗を流し、日本を世界の真ん中で輝く国にしていこうではありませんが。今年1年間が皆様にとりまして輝ける年となりますこと、日本にとって素晴らしい年となることを祈念しまして念頭のあいさつとさせていただきたいと思います。

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 以下の動画の4分30秒ころから、陽明学の話が始まります。

(次回に続く)





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2017年01月02日

●作年、一番、何度も手にした本、王陽明の『伝習録』について

◆元旦は、仕事をしないで、思い切り家族だんらんを楽しみました。

 あけましておめでとうございます。
 31日(土)は、休養をとりながらの大掃除で一日が終わりました。
 玄関と玄関前の階段(向こう三軒両隣も含めて)、トイレ、洗面所の回りを終わったころには、夕食の時間となっていました。今年は、キッチンの掃除までは手が回りませんでした。
 長女は、都内・乃木神社の巫女さんのアルバイトに出かけて留守。
 夕食は、仕事から帰宅した妻と久々の休日を満喫している長男との3人で、すませました。妻と息子は肉そばで、私は、油物をさけて、ざるそばにしました。
 作ったのは私です。豚バラを甘辛く煮詰めたものに半熟卵を添えての肉そばは、好評でした。
 これでも、20歳頃からコーヒー専門店や飲食店でアルバイトをして、コーヒー、紅茶、サンドイッチ、スパゲティ、クレープ、パフェ類はもちろん、魚も三枚におろせますし、包丁も研げるのです。新宿3丁目のコーヒー専門店の店長、養老の滝・戸越店の店長代理、自由が丘の中南米料理のお店の店長もやりました。

 翌1日(日)は、キッチンの掃除を、予定していた半分ほどでしたが、長男に手伝ってもらい、clearしました。長女は、12時頃に、乃木神社での巫女さんの深夜のアルバイトから帰宅し、夕方4時から床に就きました。
 夕方に妻が仕事から帰宅してからは、長男と3人で夕食(妻が買って来た築地のお寿司)をすませ、テレビを見ながらの一家団欒。
 22時に起きてきた長女も参加して、録画しておいた紅白歌合戦を楽しみました。
 と言っても、私が知らない歌手や曲が多かったように思います。
「ベビーメタルは出ないの」
 との妻の発言に、
「すでに海外で有名だから、紅白など相手にしていないんじゃないの」
 と答えておきましたが、出てくれたら紅白の視聴率はアップしたでしょうね。
 元旦は、
「あと、何度、一家団欒を過ごせるのだろう」
 そう思い、仕事をしないで、思い切り家族だんらんを楽しみました。

◆溝口雄三・訳『王陽明、伝習録』は、この5、6年の間で、もっとも手にした本です。

 私が作年、一番、何度も手にした本はというと、溝口雄三・訳『王陽明、伝習録』(中央公論新社)です。ただし、この本には、現代語訳だけで、漢文も書き下し文もついていません。
 私たちは、欧米文学などは、すでに現代語訳だけで読み親しんでいますから、私は、たとえそれが漢文であっても、現代語訳だけで十分だと思っています。

 『伝習録』の全訳の日本語版と言えば、他にも、たとえば近藤康信『新釈漢文大系「伝習録」』(明治書院)があります。
 近藤康信・訳のこの本は、現代語訳だけではなく、漢文、書き下しもついていて、その点では確かに便利なのですが、「通釈」と題された現代語訳と、「余説」と題された著者である近藤康信氏の私見が、溝口雄三・訳に比べたら、よくありません。
 溝口雄三氏に比べると、陽明学理解が浅いのです。
 ですが、漢文、書き下し分、「語釈」と題された「注」は、参考になります。

 その他、私がとても重宝しているのは、吉田公平『王陽明「伝習録」を読む』(講談社)です。

 溝口雄三・訳『王陽明、伝習録』の事に話を戻します。
 本書は、もとは昭和49年に初版が刊行された、荒木見悟・責任編集『世界の名著、続4、朱子・王陽明』(中央公論社)におさめられていたものでした。
 私がひそかに私淑してやまない九大名誉教授の荒木見悟先生の責任編集によるものですから、溝口雄三・訳『伝習録』の和訳が良くできているのもうなずけます。

 溝口雄三・訳『王陽明、伝習録』は、実は、私が主宰している
「日本陽明学研究会、姚江(ようこう)の会」
 でテキストとして使ってきたものなのです。それ故、毎月、最低でも数回は手にしてきましたから、作年一番手に取った本になったというわけなのです。
 実は、作年というより、5、6年も前から毎月手にしてきた本でした。ですから、溝口雄三・訳『王陽明、伝習録』は、この5、6年の間で、もっとも手にした本ということになりますね。 

◆「第一、禍福の到来は、たとえ聖人といえども避けることができないのです。ですが、聖人は、ただ〈幾〉を知っているのです。それ故に、非常の出来事に出会っても、そのことで進退が極まる、つまりどうしようもなくなる、などということは無いのです」
 
 さて、旧年中で、一番印象に残った『伝習録』の言葉は、何だったんだろう、と考えて、パラパラと『伝習録』をめくったのですが、そうこうしているうちに、いくつか候補が上がってきました。
 どれを選ぼうかと思って、いったん本を閉じて、一晩おくことにしました。
 そして、チョイスしたのが、以下です。
『伝習録』下巻の81条からの抜粋です。

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 ある者が質問しました。
「『中庸』の
〈至誠は〔事の未来を〕前知する・・・〉
について、お教えください」
 陽明先生が言いました。
「儒教で言う〈誠〉とは、空理ではなく実理であり、良知のことです。実理が人智では計り知れない神秘的な力を発揮する、それが〈神〉ということであり、その動きが今この瞬間に萌(きざ)そうとする、そこがすなわち〈幾(き。物事の起こる兆し)〉なのです。
 周濂渓(しゅう・れんけい)の『通書』に
〈誠、神、幾であるのを聖人という〉
とありますが、聖人は、決して未来を前知することを喜ぶわけではありません。
 第一、禍福の到来は、たとえ聖人といえども避けることができないのです。ですが、聖人は、ただ〈幾〉を知っているのです。それ故に、非常の出来事に出会っても、そのことで進退が極まる、つまりどうしようもなくなる、などということは無いのです。
 良知には、前とか後とかもなく、今という現在の〈幾〉を知ることができるだけであり、これがすなわち、〈一了百当(いちりょうひゃくとう)〉、一を悟れば百に通じるものなのです。
 もし、前知ということに執着する心があれば、それは私心(私欲)であり、利を求め、害を避けようとする作為でもあります」

///////////////////////////////////////////////////////////
 
 〈一了百当〉という言葉は、王陽明の言葉の中でも有名な言葉です。
 ここで言う「誠」とは、日本語の「まごころ」とは違い、
「天理(天地本来のあり方)に自然に一致すること」
 です。
良知には、非常の出来事の兆しを直前にキャッチする働きがあり、それ故に、聖人は、行き詰ることが無い、というのです。
 晩年の王陽明は、武人としての活躍を余儀なくされましたが、百戦百勝であっったことが知られています。陽明は、事変の前知をすることができたからこそ、それが可能だったと私は思っています。

 これは、数年前の出来事でしたが、私自身、高崎線の電車に乗っていて、トイレに入った時、
「緊急停止」
という声なき声が聞こえてきて(「緊急停止」という言葉が突然頭に思い浮かび)、
「もしかしたら」
そう思って身構えたのですが、その数秒後に、本当に電車が緊急停止したことがありましたので、良知の存在を確信したというわけなのです。
 このこと以外にも、その後、良知の存在を自覚する出来事をいくつも経験してきていますので、上記の言葉を披露させて頂いた次第です。
 本年もよろしくお願い申し上げます。恐惶謹言
平成二十九年丁酉 正月一日
      林田明大 九拝


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akio_hayashida at 05:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)陽明学 | 東洋思想

2016年12月25日

●心の中の葛藤と「声なき声」について考える

◆よくよく考えると、心の中に葛藤(自問自答)が生じることは、とても不思議な事の筈なのです。何故なら、心の中に、私が二人いることになるからです。

 悪いことばかりを考えて、悪いことをする人がいます。であるのなら、善いことばかりを考えて、善いことをする人にもなれるわけです。
 また、悪いことを考え、悪いことをする人は、幼児の頃から悪いことを考え、悪いことをしていたわけでは決してありません。成長するにつれて、悪いことをかんがえ、悪事に手を染めるようになっていったのです。
 日々、内観に努め、善くない思いが生じたら、その善くない思いが小さいうちにその芽を摘み取り、善い思いが生じたら、その思いをさらに拡大し、発揮するように努めたなら、いつしか善いことを思ったり考えたりする人間に育っていくのではないでしょうか。

 誰の心にも、葛藤が生じます。誰もがそうなので、特に疑問に思う人が少ないのでしょうが、よくよく考えると、心の中に葛藤(自問自答)が生じることは、とても不思議な事の筈なのです。
 何故なら、心の中に、私が二人いることになるからです。

 目の前にある美味しそうなケーキを目にしたときなど、「美味しそう、食べたい」と思ったら、「ちょっと待て。虫歯になるぞ」とか「食べたら太るぞ」などという別の「声なき声」が聞こえてきます。
 そして、葛藤が始まるというわけです。
 目の前に、お金やお財布が落ちているのを拾った時なども、同様ですね。やはり葛藤が起きてしまいます。
葛藤の正体は、自分中心の、つまり自分さえよければという思いと、困っている人苦しんでいる人を見て可愛そうに思う気持ち(惻隠の情)、つまり人を思いやる善い思いとの葛藤だったのです。
 どちらの「声なき声」が善い思いなのかは、誰にも判断ができるはずです。
 そして、善い思いとは、
「本心(本当の私)」
 の
「声なき声」
 なのです。

◆『凡人がいつまでも輪廻(迷い)の苦しみから逃れられないのは、「本心」を見失って、「慮知の心(分別する心)」を自分の心と思っているからである』
 
 王陽明は、
「私欲を去り、天理を存する(去私欲存天理)」
 と言いました。
 言い換えれば、
「私欲を無くし、天理、つまり本当の私を回復せよ」
  と言うのです。
 陽明は、その晩年には、さらに
「良知(りょうち)を致す(致良知)」
 と言い換えました。
 良知、つまり
「本当の私を発揮せよ」
 と説いたのです。
 本当の私を発揮し続けさえすれば、自然に私欲は減っていくのです。と同時に、葛藤も減っていきますから、心は次第に平安に、つまりブレなくなっていくのです。

 南北朝時代の高僧・夢窓国師(むそうこくし。夢窓疎石)の『夢中問答』にこうあります。
 
『凡人がいつまでも輪廻(迷い)の苦しみから逃れられないのは、
「本心」
 を見失って、
「慮知の心(分別する心)」
 を自分の心と思っているからである』(西村惠信『夢中問答入門』KADOKAWA)

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