2017年06月16日

●野口五郎氏との出会い、黒澤明監督の事

◆「山中の賊を破るは易(やす)く、心中の賊を破るは難(かた)し」

 最近、つらつら思うこと。
 それは、まさしく、毎日が
「欲」
 との戦いだということです。
 13日(火)がそうだったのですが、何の前触れもなく、ある日突然、いつもよりも酷い倦怠感に襲われることがあります。もともと心筋梗塞や肝硬変などの持病がありますから、無理をしないように気を付けているつもりなのですが、やはり
「ここらで、ちょっと休もうかな」
 などの思いを敢えて振り払っては、身体を休めることなく、仕事や家事を続けてしまっているのです。
 当然、そうした行為が何日か続けば、少しづつ溜まった疲労がピークに達するわけです。
「山中の賊を破るは易(やす)く、心中の賊を破るは難し(山賊を打ち破るのはまだ易しいが、真鍮の賊、私欲を去ることは難しい)」
 とは王陽明の名言ですが、私のような凡人は、
「山中の賊を破るは難し、心中の賊を破るも難(かた)し」(『伝習録』上巻、『王陽明全集』「与楊仕徳薛尚誠書」)
 と言わねばなりません。
 楽していたら、悔いのない良い人生を送れないのは当然ですが、その逆の、頑張り過ぎも、やはり身体を壊すなどして、後悔することになります。
 休むより、仕事や家事をこなした方が、得だ、などという考えが、どこかにまだまだあるんですね。
 無理し過ぎて、それこそ私が倒れでもしたら、それこそ仕事どころの話ではなくなり、家族にも負担をかけてしまうというのに・・・。
 いつも、やろうやろうと思いながら、つい先送りしていて、今日(16日)何とかやれたこと。

・蚊帳を吊るための釘を、部屋(私の部屋と妻や子供たちが寝る)の天井近くの四方に打った。
・友人に送るボブ・ディランのレコードを、私のレコード・コレクションの中からやっと探し出した。
・友人に郵送する写真(娘の成人式の着物姿)を封筒にセット。

◆「野口五郎、好きなんだけど、46,12,21」

 久々にレコード・コレクションを手にしたのですが、懐かしいレコードを久々に目にしました。野口五郎氏のデビューアルバムで、そこには彼のサイン入り色紙も同封してありました。
 色紙には、
「野口五郎、好きなんだけど、46,12,21」
 と記してありました。
 当時、原宿の24時間営業の「ユアーズ」というスーパーの裏手にある東(あずま)食品(株)の寮にいたのですが、寮から歩いて5,6分のところにある「ロンシャン」というスナックに通っていて、そこでお店のオーナー(若い姉妹)に紹介してもらったのがデビューして間もない野口五郎氏だったのです。
 その頃は、『青いリンゴ』を歌っていました。
 私は19歳だったかと記憶、彼は堀越学園の高校生でした。
 電話番号も教えてくれて、ときどきそのお店で会って話をするようになっていましたが、私が転居したちょうどその頃に、彼も急きょ転居してしまい、お互いに連絡が取れなくなったのです。
「先輩、仕事で、北海道に行ってきたよ。これ、お土産」
 そういって、焼きトウモロコシを買ってきてくれたりするやさしい青年でした。
 バレンタインで、チョコレートがたくさん送られて来て、押し入れの段ボール箱一杯入っているからと、チョコレートを持ってきてくれたこともありました。

◆「親父が自殺未遂で入院するので、今夜はそちらに行けない」

 この色紙をもらった翌日の1971年12月22日の夜のこと。
 近くのサパークラブにも時々出入りしていたのですが、そのお店のマスターから、黒澤明監督のご子息の黒パンこと黒澤久雄氏を紹介してもらえることになっていて、お店で待っていたときのこと。
 黒澤氏から電話があり、
「親父が自殺未遂で入院するので、今夜はそちらに行けない」
 とのことでした。
 その後、私は転居してしまい、お店にも行かなくなりました。

 そして、このときのことを後で知りました。
 黒澤監督は、前年の1970年(60歳)、資金捻出のために自宅を抵当に入れ、「四騎の会」制作で5年ぶりの新作となる初カラー作品『どですかでん』(山本周五郎原作)を発表していました。
 ですが、娯楽性よりも芸術性を重視した作風が観客に受け入れられず興行的に失敗し、1971年の暮れに浴槽でカミソリ自殺をはかったのでした。傷は首筋5カ所、右手6カ所、左手10カ所の計21カ所にも及んだといいます。
 黒澤監督といえども、大苦難の時期があったのですね。
 その後、『デルス・ウザーラ』(1975)、『影武者』(1980)、『乱』(1985)、『夢』(1990)、『八月の狂詩曲』(1991)、『まあだだよ』(1993)を撮るのです。
 もちろん、大の黒澤ファンの私です、映画館で全部見ました。
 黒澤監督は、1998年9月6日に脳卒中により永眠。享年88歳。

IMG_0481 野口五郎

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akio_hayashida at 18:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 陽明学 | 映画

2017年06月09日

●「ニュース女子」の長谷川幸洋氏が暴露した第1次安倍政権と消えた年金問題の真実

◆「官僚と敵対するのではなく、また、官僚に操られるのでもなく、官僚を使いこなすこと」


 ネットのありがたみをつくづく思い知らされている今日この頃。
 私は、テレビでまともに見るのは「ニュース女子」くらいで、あとはネット上の「虎ノ門ニュース」「報道特注」などを見るのを楽しみにしている。
 そんな中から得た話題からである。
 安倍首相は、第1次安倍政権での失敗を通じて
「官僚と敵対するのではなく、また、官僚に操られるのでもなく、官僚を使いこなすこと」(田崎史郎『安倍官邸の正体』第1章)
 を学び、現在の長期政権を可能にしているのだという。
 安倍首相のやり方は、敵対でもなく、その逆のべったりでもないわけで、言い換えれば中庸と言っていいのかもしれない。
 たまたま、
「盪垣鞠掘慂言BARリークス』#24」
 をUチューブで見て、興味深い話を小耳にはさんだので、以下披露させて頂く。

 以下、東京・中日新聞論説委員で「ニュース女子」の司会者として有名になられた長谷川幸洋(ゆきひろ)氏による暴露話である。

◆「出来もしないのに、とことんやるってことは、ダメだ、ということを、政権は、みんな学んでね、やれる事だけを、ちょっとやる、やれない事はやらない、っていうのが今の政権なんですよ」

長谷川幸洋(以下、長谷川)「2006年にできた第1次安倍政権の一番の根本の哲学は何だったかというと、
〈官僚主導ではもうだめだ、日本は・・・、政治主導に変えなきゃいけない。政治主導に変えるためには、霞が関の官僚組織を大改革しなきゃいけない。そのためには公務員制度改革だ〉
っていう政権だったんですよ。
そしたらそれに、霞が関官僚たちが猛反発して、
『そんなことやったら、倒閣運動が起きまっせ』
 って、脅かされたぐらいな政権なんですよ。
 で、はっきり言って、戦って勝つだけの実力もないまま戦ったから、負けてしまった。
 それは、何故。具体的に言うと、消えた年金5000万件問題ですよ。厚生労働省の中の社会保険庁、消えた年金問題の本当の話というのは何かというと、あの時、社会保険庁というものを日本年金機構に衣替えしようと思ったんですよ。ところが、衣替えだけ、看板の付け替えだけだったら意味がないから、政権は、大リストラもしようと思ったんですよ。
 当時13,000人職員いたけど、これを10,000人以下にしようと思った。だからみんな首ですよ。
 そしたら社会保険庁の労働組合が、
『俺たちを第2の国鉄にするつもりか!』
 と、
『そんなことは絶対に許さないよ。そんなことなら、政権もろともブッ潰してやる』
 と、この改革話を・・・、と言ってやった、自爆テロなんですよ」
高山正之「そうそう」
あすりん「え〜っ」
長谷川「つまり、消えた年金5000万件・・・」
高山正之「自分たちのやった嘘っぱちを全部出して、それで・・・」
長谷川「はっきり言うと、俺たちがどんなにでたらめだったのか、知ってんのか!」
あすりん「そんな(汗)」
長谷川「俺たちなんか、年金記録なんか、無いんだぞ。つけてないんだぞ」
あすりん「酷い」
長谷川俺たちのでたらめさは、俺たちが一番よく知ってるんだということを、当時民主党の長妻昭(ながつま・あきら)さんて方に、全部、水面下で、そういう情報を全部横流しして、それで長妻さんがその情報をもとに安倍総理を追及して
あすりん「そういうことだったんだ」
長谷川それで安倍政権の支持率が急降下。長妻昭さんは、年金の大スターになり・・・、それがその次の次に政権交代する遠因になるんですよ
あすりん「え〜っ」
高山正之「皮を切らせて、肉を切るみたいな、ね。結局、あんまり首切れなかったのね」
長谷川「そう」
高山正之安倍政権倒したけど、彼らの内は、ほんの1500人くらいしか、首にならなかった
長谷川「だからここの話ってのは、要するに官僚主導を政治主導に改めるっていうことは、正しいんですよ。正しいんだけども、それで、完璧に役人と戦いきるだけの実力が無いまま、突っ走ってしまった。それで足をすくわれて、〔第一次安倍政権は〕1年で倒れた、というのが2006年政権なんですよ
あすりん「そうなんですか」
長谷川「で、今の政権というのは、その反省の上に立っているわけです。
 で、ここが一番の肝なんだけど、要するに、出来もしないのに、とことんやるってことは、ダメだ、ということを、政権は、みんな学んでね、やれる事だけを、ちょっとやる、やれない事はやらない、っていうのが今の政権なんですよ。で、今の政権、何で長続きして支持率高いかというと、やれもしない事は、やらないんです。正しくても。正しいことはいっぱいあるけれど、本屋さんに行けばね、いくらでも書いてあって、こうすればいい、ああすればいいと書いてあるけど、正しくったって、出来もしなかったら、やらないんです。やれることだけ、1ミリでも2ミリでもちょっとだけやる、っていう政権なんですよ」

出典:盪垣鞠掘慂言BARリークス』#24
https://youtu.be/41nW6zw3uAg




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akio_hayashida at 04:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 政治 

2017年05月31日

●「今、日本では人づくりが行われていない」M・トケイヤ―

◆ユダヤの教育の5つのポイント

 ユダヤ人は、全世界に1480万人、世界の人口のわずか0.25パーセントなのだそうである。にも拘わらず、ノーベル賞の受賞者の20パーセントがユダヤ人だとのこと。
 では、なぜユダヤ人が優れているのかに興味があるところだが、当然、教育や躾にあると言っていいだろう。
 ユダヤ人のラビ(宗教指導者)、マーヴィン・トケイヤ―氏によれば、ユダヤの教育のポイントは以下の5つだそうである。

^貎涌貎佑療性に合った教育を施す
⊆分の得意分野で優越する
A歓由覆鮓上させる
ち杼力を養う
ダ験兇鯆未犬導悗

 続けて、M・トケイヤ―氏は、次のように語っている。

<span style="color: #FF00FF;">「これらの教育の大本は数千年にわたって、いささかも変わっていない。
 今、日本では人づくりが行われていない。それより、受験生を育てることに主力が注がれている。受験生づくりと人づくりは全く異なったものである。
 一時的な選抜にすぎない受験が、教育の最重要事となっているのは、教育の大本を踏み外している
」(石原慎太郎『真の指導者とは』幻冬舎)

 上記の5つのポイントもさることながら、特にこの言葉は、王陽明の言葉とうり二つと言っていい。
 新儒教の朱子学、当時は、受験の学問に堕してしまっていたのを、王陽明が人づくりの学問としてよみがえらせたのである。それゆえに、朱子学が「理学」と呼ばれたのに対して、陽明学は「心学」と称されたのだった。


※マーヴィン・トケイヤー(Marvin Tokayer, 1936年 - )は、アメリカのラビ、教育家。滞日生活が長く、日本通として知られる。
 ニューヨークでハンガリー系ユダヤ人の家庭に生まれる。1958年にイェシヴァ大学を卒業。1962年、ユダヤ神学校でラビの資格を取得。同年、アメリカ軍の従軍ラビとして初訪日し、1964年まで日本で過ごす。
 1967年に再び訪日し、ラビとして東京都渋谷区の日本ユダヤ教団に勤務。1976年まで日本に滞在し、ユダヤ人と日本人の比較文化論を発表。
 また、ヘブライ語を話す皇族の三笠宮崇仁親王と親交を結んだ。日ユ同祖論にも関心を示した。早稲田大学の教壇に立ち、古代ヘブライ文化を教えたこともある。
 米国に帰国後、ユダヤ人学校の校長を歴任。現在ニューヨーク州在住。
 2016年11月、旭日双光章受章。(ウイキペディアより)

7730_03 M・トケイヤー

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akio_hayashida at 00:25|PermalinkComments(2)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 教育 | 宗教

2017年05月25日

●善いことをし悪いことをしない、ではなく、ひたすら内観し「良知を致す」!

◆「知行合一」説こそが陽明学の真髄だと思っている人が圧倒的にい多い

 「日本陽明学研究会、姚江(ようこう)の会・東京」では、月に一度、都内の某所(高田馬場が多い)に集まり、王陽明の言行録『伝習録』の輪読会を開催している。
 中国や韓国に比べ、日本の場合は、陽明学に興味を持つ人は少なくないにしても、実践体得につとめた江戸時代人とは違って、知的好奇心を満足させて、分かったつもりになっている人が大多数であるはずだ。
 その端的な例が、「知行合一」説こそが陽明学の真髄だと思っている人が圧倒的にい多いことだ。王陽明について書かれた本の表紙や帯に「知行合一」の文字が躍っていれば、その著者は、すでに分かったつもりのレベルと言っていい。というのも、かつての私がそうだったからである。
 王陽明は、そこのところを次のように語っている。

「今、いくら熱心に天理(良知)について語りあっていたとしても、自分の心の天理(良知)を放ったらかしにしたままで、天理(良知)に従って実践することもなく、人欲(私欲)について語り合っていながら、自分の心に生じている人欲(私欲)を放ったらかしにしたままで、内観し人欲(私欲)を取り除くこともしないのであれば、いったいそれがどうして
『格物致知(心を正し良知を発揮すること)』
 の学問だといえるのでしょうか」(『伝習録』上巻八五条)

◆65歳の私は、朝から晩まで「良知を致す」の日々と言っていい。

 最近の私は、たとえば、キッチンに立った時などに、
「ベランダのプランターに水をあげた方がいいのでは」
 との内なる声なき声がするので、すぐにアクションを起こすのだ。
「そろそろ家族が帰ってくる時間だから、ドアのカギを開けておいてあげた方がいいのでは」
 と声なき声が命じるので、そうするのである。
 今の私は、善いことだからやる、実行するのではなく、内なる良知の声なき声がそうしろと命じるから、やるべきことをやっているのである。
 もちろん、内観(反省)も欠かさない。内観も、「良知を致す」なのである。言い換えれば、「そろそろ内観したら!」と命じるのは、良知なのだ。
 65歳の私は、朝から晩まで
「良知を致す」
 の日々と言っていい。
 もちろん、私は凡夫であって、完ぺきではない。
 つい、良知の声なき声をスルーして、後で後悔することも多い。でも、スルーしたことを気づかせてくれるもの、それが良知なのである。
 後悔しながらも、
「あ、良知が働いているな。気づかせてくれた良知に感謝」
 と思えば、それで心は本来の伸びやかさを回復するのだ。
 こうした見解の多くは、実を言うと、江戸時代の「日本陽明学」に学んだ結果なのである。

 昨今、中国では、稲盛和夫氏が陽明学を話題にされてからというもの、陽明学人気が高まっているとのこと、真摯に学ぶ中国人が一人でも多く増えてくれたら、世の中はもっと住み良いものになるに違いない。

2555658785635232772_320x320 致良知

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2017年05月17日

●私欲について。

◆良知の声なき声にしたがい、ガス台の掃除をしました

 17日(水です。
 今朝からやったことのひとつに、台所のガス台の清掃があります。
 実は、かれこれ数週間前から、ガス台で魚を焼くたびに、
「そろそろ掃除した方がいいんじゃないの」
 との声なき声が聞こえていました。
 倦怠感で、仕事さえもなかなかおぼつかない日が多いために、つい先延ばしにしてしまっていたのですが、15,16日の二日間というもの、酷い倦怠感で床に就かざるを得ず、仕事もできない日が続きましたが、今朝は晴れ晴れとした気持ちで朝を迎えることができ、久々に布団をあげました。
 軽い朝食をすませ、台所に立った時に、
「もう、掃除できるのでは」
 との声なき声に背中を押されて、
「よし、やるぞ」
 と腕まくりをして、ガス台の掃除をしたのです。
 声なき声とは、もちろん、良知のことです。
 掃除をすませると、今度は、
「石鹸、シャンプー、リンスとかそろそろなくなりそうなので、買い物に行った方がいいよね」
 との声なき声がしました。
「分かった。もうしばらくしたら、買い物に行くことにしよう」
 と返事をしました😊。

◆同じ状況下にあっても、私欲の心が思うことと、思いやりのある心、つまり良知が思うことは、同じ人の口から出てくる言葉とは思えないほど、まるで違ってくる。

 今回は、私欲についてです。
 岩岡正『内観法の源流をたずねて』を読んでいて、次のような話に小さな気づきを得ました。
 陽明学でも内観することの大切さを説いていますが、内観に努めて気付きを深め、本来の自分を回復した男の話です。

 彼は、祖父がご飯を喉に詰まらせたりすると、私欲がある以前は
「急いでご飯を食べるからだ」
 と言って、怒鳴っていたそうです。
 ところが、内観し、心を入れ替えた後は、祖父が喉にご飯を詰まらせると、
「お茶を飲みな、お茶を飲みな」
 と言うようになったとありました。(第1章、参照)

 同じ状況下にあっても、私欲の心が思うことと、思いやりのある心、つまり良知が思うことは、同じ人の口から出てくる言葉とは思えないほど、まるで違ってくるのです。
 自らの言動の動機に私欲があるか思いやりがあるかは、人間関係をギクシャクさせるか共存共栄の関係にするのかの別れ目と言えます。
 
27ab8ffb 蕃山

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