2016年07月18日

●乃木神社での『陽明学入門(全5回)』の第3回目は9月17日です。

◆陽明が亡くなって約30年後に陽明の高弟・鄒東廓(すう・とうかく)によって刊行された『王陽明先生図譜』からいくつか未発表のエピソードを披露させて頂きました。

 17日(日)午後2時から4時15分頃まで、「王陽明の生涯と思想」と題して、予定時間を15分余もオーバーして、由緒ある乃木神社で話をさせて頂きました。
 生涯について語るだけでも2時間あっても足りませんので、生涯と思想は分けるべきだったと、反省しきりでした。
 今回は、陽明が亡くなって約30年後に陽明の高弟・鄒東廓(すう・とうかく)によって刊行された
『王陽明先生図譜』(未だ、現代語訳は為されていません)
 からいくつか未発表のエピソードを披露させて頂きました。
 いずれも『王陽明全集』から漏れた話ですから、今回、初めて聞かれた方がほとんどだろうと思います。

 また、王陽明が活躍したちょうどその時期に、明王朝で、否、歴代中国王朝の中でも最悪と言われた皇帝・武宗(ぶそう)と、武宗になり代わって政治をほしいままにした、これまた最悪の悪逆非道の宦官・劉瑾(りゅうきん)をリーダーとする宦官集団
「八虎(はっこ)」
 について、やはり未発表のエピソードをいくつか開陳させて頂きました。

◆劉瑾が刑死する時の 「凌遅刑(りょうちけい。一寸刻みの刑)」の様子については、あまりにも残酷なので、これまで本に書いたり講演会などで話をすることは避けてきたのでした。

 特に、劉瑾の無道ぶりはさることながら、劉瑾が刑死する時の
「凌遅刑(りょうちけい。一寸刻みの刑)」
 の様子については、あまりにも残酷なので、これまで本に書いたり講演会などで話をすることは避けてきたのでした。
 陽明学に関する連続講義は、今回の乃木神社での連続講義を最後にと思って臨みましたので(私の体調不良が理由です)、食欲がなくなりそうなおぞましい話でしたが、敢えて公開させて頂いた次第です。
 日中戦争の引き金となった
「通州(つうしゅう)事件」
 にも通じる、中国人の残虐性が際立った話のひとつといっていいでしょう。
 そういう意味では、今回の講義は、
「王陽明物語、余話」
 というべきだったかも知れません(^^;。
 この度の私の話をお聞きになられた方、是非、感想をお聞かせください。

 これは、余談になります。
 今回の連続講義は、実は、主催の「日本陽明学研究会」にとって初めてのことで、セッティングに時間がかかり、それ故当初予定していた準備期間が大幅にずれ込んでPR期間がスポイルされてしまい、私自身、友人知人へのDMを40通ほどしか出せないままでした。
 予定では、年賀状を受け取らせて頂いている250通余プラス名刺を頂いた人達へDMを発送させて頂くつもりでした。それ故、予定していた50名を下回ってしまいましたが、話の中身から手を抜くことは決してありませんので、次回をお楽しみになさってください。

◆日本陽明学は、中江藤樹を先駆としますが、王陽明よりも、王龍溪(おう・りゅうけい)の実践的な思想にインスパイア―されており、そういう意味では、モラロジーや倫理研究所(倫理法人会)に代表される「実践倫理」の原点と言っていいかと思います。

 次回からは、「日本陽明学」の話です。
 第3回ということで、9月17日(日)午後2時から、乃木神社で
「日本陽明学の祖・中江藤樹」
 の話になります。
 日本陽明学は、中江藤樹を先駆としますが、王陽明よりも、今回触れました陽明門下のトップと言っても過言ではない王龍溪(おう・りゅうけい)の実践的な思想にインスパイア―されており、そういう意味では、モラロジーや倫理研究所(倫理法人会)に代表される「実践倫理」の原点になるものだと言っていいかと思います。

 最後になりますが、今回お配りしたレジュメ(全6ぺージ)のP2の頭から14行目の漏れ部分につきましては、加筆したものを用意して、次回お配りしさせていただきます。このレジュメは、過去に発表されてきた類似の王陽明の年表と比べても、遜色のないものです。それほど力をいれて製作しました。


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akio_hayashida at 12:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)陽明学 | 歴史

2016年07月06日

●「陽明学を無視して明治維新を語ることはできない」

◆「日本陽明学研究会・姚江(ようこう)の会」の恒例の秋の合宿は、今年は無理そうだ

 おはようございます。

 6日(水)朝3時半です。
 4日頃から、体調不良がエスカレート、頻尿の逆、酷い遅漏となりました。
 この症状は、久々のことです。
 尿意はあるのに、なかなか出てくれないのです。
 5分ほどトイレにじっと坐って待つしかありません。

 そうした症状があるので自分の体のことは良く分かりますが、昨日5日は、すぐに眠くなり、起きていられない状況でした。
 それで昨夕6時頃に床に就き、7時半ころに家族が帰宅したときの物音で目が覚めました。

 家族と夕食を一緒にしたのですが、結局、夜10時には再度ダウンしてしまいました。

 仕事で読みたい本があったのですが、読もうとしても瞼が閉じてしまうのです。

「日本陽明学研究会・姚江(ようこう)の会」
 の恒例の秋の合宿は、今年は無理そうだと、高崎の同志には伝えましたが、ほんとうに体力にはもう自信がありません。一泊二日の合宿が近くなら、とも思いましたが・・・。

◆「陽明学を無視して明治維新を語ることはできない」

 今、手元にある読みかけの本の中に、松本健一
『三島由紀夫と司馬遼太郎、「美しい日本」をめぐる激突』
 があります。

 本書中の
「第7章、陽明学、松陰と乃木希典」
 が気になって手にした本でしたが、陽明学に関してはここだけではなく、他でも結構触れられています。

 松本健一氏は、私がひそかに私淑する方ですが、惜しい事に、2014年に70歳で亡くなってしまわれました。私が是非お会いしたい方のお一人でした。

 話を戻しますが、本書を読みながら残念に思ったのは、松本氏といえども、陽明学理解は、通俗的だったという点でした。若しかしたら、敢えて自説を表明されなかったのかも知れませんが・・・。
 この件、別の機会に改めて触れたいと思います。

 ですが、同時代人でありながら、三島由紀夫と司馬遼太郎の世界観が大きく食い違っていたことに関しては、とても分かりやすく説明がなされている本ではあります。
 そういう意味では、本書を一読した読者が、自分は果たして三島と司馬のどちらに振れているのだろうか、という事を自覚する機会になることでしょう。

 私は、拙著の読者の方々は既にお判りでしょうが、
「陽明学を無視して明治維新を語ることはできない」(『革命哲学としての陽明学』)
 と語った三島由紀夫のほうに振れております。
 であるにもかかわらず、陽明学を無視して明治維新が語られているというのが現状です。
 そしてこのことは、三島由紀夫や私の独断などではなく、明治3(1870)年に、お雇い外国人として来日したウィリアム・E・グリフィスも同じ見解なのです。グリフィスは、明治政府の中枢近くにいて、明治天皇に何度も謁見した唯一の外国人でした。
 
 繰り返しになりますが、本書を読んでも、陽明学理解には役立ちません。
 もっとも、三島と司馬の陽明学理解いの違いは、本書を読むとよく分かります。
 ちなみに本書は、
「新潮選書文学部門、年間売り上げ1位」
 だそうです。

px250_1 松本健一

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akio_hayashida at 04:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)陽明学 | 文学

2016年06月29日

●青山繁晴氏の驚きの暴露話、法外なギャラに目がくらみ、TV局が用意した台本通りにしゃべる大学教授

◆法外なギャラを得て、テレビ局が用意した台本通りにしゃべる大学教授

「私は、体験したことしかしゃべりません」
 と前置きした上での、青山繁晴氏の驚きの暴露話です。

 テレビ局が、報道の使命である筈の公平性よりも、自社のイデオロギーを優先させている事は、従軍慰安婦や南京大虐殺に代表される朝日新聞や毎日新聞の捏造や偏向報道で知られるようなりましたが、そこには法外なギャラを得て、テレビ局が用意した台本通りにしゃべる大学教授の存在があることを、今回青山氏は暴露されました。
 私も、噂(伝聞)では知っていましたが、明言して下さったのは、青山氏が初めてではないでしょうか。

 ただし、テレビに出演されている全ての大学教授がそうだ、というわけではないはずですから、どうか誤解なきよう。勿論、芸能プロにもいろいろなプロダクションがあるはずです。

 動画では、11分50秒あたりからこの話が始まります。

◆芸能プロダクションが僕に「うちに入って下さい」と言ってきたときに、「ゼロが2個増える」と言ったんです。

青山繁晴『テレビにずっと出たいと思ったら、テレビの言うとおり・・・、テレビに出ている人は、実は国立大学の教授でも、裏で芸能プロダクションと契約してるんです。(略)
 たかじんさん、亡くなったでしょう。たかじんのマネーって番組、その後頑張って続けようとしたけど、結局無理でした。
 たぶん、たかじんさんの短い生涯で、一番最後に友達になったのは、多分僕なんですよ。他の人はもっと前から友達、宮崎哲也さんとか辛坊治郎さんとか、僕が一番最後だった。
 (略)僕がショック受けたのはですね、たかじんさんを追悼するために大パーティーが開かれたんです。(略)僕はさっき言ったとおり、たかじんさんの人生で一番最後に着き合っただけですから、僕は一番縁薄いから、僕はもう後ろに下がって、いわば物陰に居たんです。会場の後ろの柱の陰に居たんです。
 そしたら僕がいることに気が付かないで、僕の前に、二人の、一人は国立大学の現役の先生です。一人は、皆さんが金づちだと思っている人です。名前は、本人たちの了解が出ないから言わないけれど、名前言ったら僕より絶対有名です。
 その二人がですね、国立大学の先生も含めて、僕が居ることに気が付かないで、何の話をしてたかというと、たかじんさんが亡くなって、空きが出ると、その空きが出た番組をどうやって取りに行くか、何処の芸能プロダクションが一番力持ってて、だから今いるとこを出てあそこに行ったらいいとか、それからギャラがどうのこうのと話をしてて、だいたいその額が、僕は前から知ってるけど、僕の番組参加料、ギャラと言いたくない僕はタレントじゃないから、ま、どうでもいいけど、それが1万円とするでしょう、皆さんそんなわけないと思うでしょう、そんなわけあるんですよ、僕みたいに芸能プロダクション断ってたら、僕だけ全部赤字なんですよ。そうやって締め上げてくるわけです。
 で、芸能プロダクションが、僕に、
「うちに入って下さい」
 と言ってきたときに、
「ゼロが2個増える」
 と言ったんです。
 分かります、1万円でやってたのが、100万円になるんですよ。
 これよっぽどおいしい言葉の話でしょう。
 だからそんな金もらった人は、もう一回言いますけど、国立大学の先生がその金もらってて、発言の中身は、本当は自分で考えたんじゃなくて、テレビ局に行ったら、放送作家が書いたものがちゃんとあるんです。だからみんな言っていることがそっくりなんです。
 僕は、その台本を受け取らないんです。当たり前です』
聴衆:拍手
青山繁晴『これ、あの、選挙の話をすべきなんだけど・・・』
聴衆:拍手と笑い
青山繁晴『でもね、僕は、亡くなったたかじんさん、たかじんさんも芸能界の人ではあるけれど、やっぱりこれは酷すぎると思ったんで、僕は柱の陰から出て、近づいていったら、二人は、
「うわっ」
 ってびっくりして、僕が芸能プロダクションと契約していないのみんな知ってるから、青い顔になったわけです。
 僕はほんとはその時に、皆さんね、何のために生きてるのか、こうやってテレビに調子よく出てもね、100年経ったら誰もいないんですよ。
 短い人生でそんなことを、やってる暇があったら・・・、本当は自分のためにはどんなうまくやってもどうせ死ぬだけですから、人のために何かが出来て初めて命はつながる
、このちっちゃい子みたいに。
 命をつなげるだけが値打ちなんです。命そのものに意味は無いんです。続けていくことに唯一の意味があるんです。
 だから、人のために生きましょう、ということを、僕はアンカーみたいな報道番組でも実はそれとなく言い続けてきたつもりで・・・』




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2016年06月28日

●阪神・淡路大震災に関する青山繁晴氏の驚きの体験談

◆日本社会党の反米姿勢から、アメリカの空母インディペンデンスの応援派遣も、アメリカ最大のボランティア団体「アメリケア」の救援物資100トンと医師団8人の受け入れも断ってしまった。

1995年1月17日未明に起きた「阪神・淡路大震災」は、6434人もの方々が亡くなられ、重軽傷者約4万4千名という大惨事でした。
そしてこれは単なる天災ではなく、人災だったというのです。
当時は、日本社会党(後の社会民主党)の村山富市内閣です。
佐々敦行『「朝日が安倍の葬式」だって!?』(「歴史通」11月号)によれば、村山首相は、人命よりイデオロギーを優先し、
「被災地への自衛隊派遣は憲法違反だ」
などと言い、日本社会党の反米姿勢から、アメリカの空母インディペンデンスの応援派遣も、アメリカ最大のボランティア団体「アメリケア」の救援物資100トンと医師団8人の受け入れも断ってしまったのでした。

以下は、今、参議院選挙に立候補されて、選挙演説に日本各地を飛び回られている青山繁晴氏(独立総合研究所・代表取締役社長)の、やはり「阪神・淡路大震災」に関する驚きの発言です。

 自衛隊は、軍隊と違い、緊急事態に対応できないために、道路に連なる民間の自動車を排除する事が出来ず、渋滞中の車の列に並んで待つしかなかったそうです。
 さらには、海から救援に向かおうとしたら、神戸の労働組合や市民団体を中心とした地元有力者の反対にあい、海上自衛隊の救援船が神戸の埠頭に近づけなかったといいます。

 青山氏は、過去にも幾度かこの話には触れてこられましたが、今回はかなり詳しく語ってくださいました。
 動画では、2分を過ぎたあたりからです。なお、これまでにも青山氏がこの話を語られた動画が存在しましたが、ほとんどが何者かによって消去されてしまっているようです。この動画も、そうなるかもしれません。

◆海上自衛隊が、陸上自衛隊と協力をして、救出部隊を出して港に入ろうとしたら、また止められたんです。その理由が、「戦争の船は来るな!」って理由だったんです。

青山繁晴『僕は神戸生まれですから、ぼくの親戚とか友達とかを含めて、朝起きる前に、マンションやビルに挟まれた人が沢山いたんです。それを自衛隊が助けに行こうとしたら、途中で止まったんです。
 当時の僕は、共同通信政治部の記者で、防衛庁の担当だったんです。今の、防衛省。そして自衛隊が途中で止まったんで、僕の親戚や知り合いが、生きながら焼かれているというのがかろうじてつながる電話で分かるから、
「なんで自衛隊は前に進まないの」
 と言ったら、
「いや、乗用車が停まってるのを乗り越えられないんだ」
 と、自衛隊は、それが認められないんですよ。
 自衛隊の助けに行く車が、普通の車にのしかかったらいけないから、渋滞の後ろで待って停まってるんです。
 その間、焼かれてるんですよ、生きながら。普通の女の子が。
 僕は、若い記者でしたけれども、あんまりにも胸がつぶれる・・・、それは僕が神戸生まれではなくて、同じ人間ですから、それから若い記者だった僕ですけど、自衛隊に提案をして、海上自衛隊の護衛艦を出して、そこの陸上自衛隊の救出部隊を乗せて、神戸港から、僕はちっちゃい頃メリケン波止場で遊んだんですけど、メリケン波止場って大きな船が入れるんですよ。
 今、神戸港はさびれているけど、大きな港ですから、
「そこに護衛艦をつけて、助けに行って下さい」
 と言ったら、ニッポンは凄い社会で、若い一記者の提案をまともに聞いてくれて、もちろん僕の意見は単なる参考だけど、実際に海上自衛隊が、陸上自衛隊と協力をして、救出部隊を出して港に入ろうとしたら、また止められたんです。
 その理由が、
「戦争の船は来るな!」
 って理由だったんです。
 神戸の誰が言ったとは言わないけど、それはだいたいわかりますよね。
 だから僕は、ある労働組合の幹部に電話をして
「それは本当ですか」
 って聞いたら、
「この右翼」
 って言われたんですよ。
 これ、右翼の話ですか。
 自衛隊員が、腰を挟まれて段々足から焼かれている女子高生を助けるのは、右翼の話ですか』
若い男性の声『違う!』
『そうですよね。あまりにも違うよね』
若い男性の声『違います!』
青山繁晴『だから僕は、当時記者ですから、コンは酷い事が起きているという記事を書いて、デスクは嫌がったけど、説得して記事を世界に打電したんですよ。
 そうしたら何が起きたかというと、当時の共同通信の幹部が、記者クラブにやってきて、
「青山君、やってしまった事はもうしょうがない。でも、取り消しの記事って言っても、君は絶対書かないだろうから、せめて和(やわ)らげる記事を書け」
 と言われたから、お断わりしたんですよ。
 何も和らいでない、ね、本当はもっと悪化しているわけですから。
 だから阪神・淡路大震災についても、例えばこんな大事なことが知られてないから、マスコミ自身がこれを止めようとするから・・・』(動画『青山繁晴【フルHD版 秋葉原-2】参議院選挙出馬,街頭演説東京凱旋 秋葉原歩行者天国於 平成28年6月26日』より)



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2016年06月12日

●『夫婦円満の秘訣は「でも」「だって」は言わない』中尾彬・池波志乃夫妻

◆ケンカのもとって「でも」「だって」だから。話が違う方に行っちゃうんですよ。「でもね~っ」って始まると。

 6月8日放映の
『1週回って知らない話、今さら聞けない芸能界のギモンを全て本人に直撃!』(日本テレビ)
 で、興味深い話を耳にした(*^-^*)。

 それは、俳優の中尾彬(73歳)池波志乃(61歳)夫妻の夫婦円満の秘訣の話である。
 以下、その会話。

池波『〔夫婦、長続きの秘訣は〕「でも」「だって」は言わない。
 ケンカのもとって「でも」「だって」だから。話が違う方に行っちゃうんですよ。
「でもね~っ」
 って始まると。
 ストレスは、別に、そこで発散しなくても』
中尾『掃除機がよく壊れてたのは何だったんだろうね。やたら壊れていたんだよ。掃除機が・・・』
池波『(笑)やっぱり、掃除機ってあたりやすい(笑)』

 いろいろな夫婦のあり方があっていいと思います。

◆毎朝、中尾よりも早く起き、「33年間、寝顔を見せたことはない」と胸を張っていた。

 以下は、「シネマトゥデイ」の記事からです。
 2010年の記事で、当時結婚33年とありますので、今年は、結婚40年を超えていらっしゃるんですね。
 参考になりました。

『中尾は、夫婦円満の秘けつを
「料理しかない」
 とズバリ断言。
「食事は1日3回あるし、うちなんて夕食後2時間べちゃべちゃしゃべっている。この年になると一食一食が大事になるから、(池波に)命懸けで作ってくれと言ってある」
 と妻が作った料理を一緒に食べることの大切さを力説。
 一方、池波は
「結婚したからって、幻想を抱かないこと。結婚って一生、他人と付き合うことですからね」
 と結婚33年だからこその現実的な意見だった。
 ちなみに池波は33年間、中尾のことを
「中尾さん」
 と呼び続けているんだとか。
 毎朝、中尾よりも早く起き、
「33年間、寝顔を見せたことはない」
 と胸を張っていた』(『池波志乃、夫・中尾彬に「33年間、寝顔を見せたことはない」と胸を張る』2010年2月22日)

◆18日(土)は、拳骨拓史氏との対談「陽明学入門」です。

 今月18日スタートの、乃木神社での
「陽明学講座(全5回)、陽明学入門、王陽明と日本の陽明学者たち」
 の準備に余念がありません。
 初日の18日(土)は、作家で軍事や中国韓国問題に詳しい拳骨拓史氏との対談「陽明学入門」です。
 初顔合わせです、どうなりますことやら(*^-^*)。

20121115_kodakumi_14 中尾彬 池波志乃

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