2016年05月21日

●王陽明が説く「幾(きざし)」について考える

◆「大善は稀で、小善は毎日多い。大善は名に近く、小善は徳に近い。大善は、人が争ってなそうとする。名を好むからである。名を求めてするときは、大も小となる」

 さて、私の「out look」のメールの数の前知、つまり予知とどうつながるのかは、少しお分かりいただけてきたかと思います。
 王陽明最晩年の
「良知(りょうち)を致す(致良知)」
 という言葉は、
「良知を発揮する」
 ということなのですが、王龍溪(おう・りゅうけい)に言わせれば、
「自己の本心である良知を信じなさい」
 となります。
 良知とは、仏教で言う
「仏性」、
 儒教で言う
「明徳(聖人になる可能性の種)」
 神道で言う
「神の分け御霊(みたま)」
 のことです。
 自分の心の本体である良知を信じることができるようになるには、それこそ
「集義」
 義を集める、義を積み重ねる、更に換言すれば、日々、ひたすら、小善を積み重ねる以外にありません。 
 そのプロセスで、副産物として、前知、予知が可能になるのです。そして、前知、予知を可能にしてくれているのは、良知なのです。
 時々とはいえども、前知、予知が可能になることで、良知の不思議な力を実感し、良知への信頼を増していくというわけです。
 これも「陽明学研究会、姚江の会・群馬」のメンバーには、話させて頂いたことですが、数年前には、高崎線の電車内で「緊急停止」を予知したことがありましたし、私の場合は、こうした経験を通じて、良知への自覚が年々深まっているのです。

 王龍溪は
「良知は心の霊気、万物一体の根」(『龍溪王先生全集』巻十三)
 と述べています。
 中江藤樹は、
「大善は名に近く、小善は徳に近し」
 と語りました。
 熊澤蕃山は、

「人間は、誰でも、悪名を嫌い令名を好む。小善を積んでも積もらなければ、令名が現われない。小人は人の目に立つほどの大善ならしようと思って、小善を目にもかけない。君子は毎日なすべき小善を一つも捨てず、大善もすることができれば行なう。求めてするのではない。
 大善は稀で、小善は毎日多い。大善は名に近く、小善は徳に近い。大善は、人が争ってなそうとする。名を好むからである。名を求めてするときは、大も小となる。
 君子は、小善を積んで徳を成就するものである。真の大善は徳より大なるものはない。徳は善の源である。徳があるときは、無心で善は限りがない」(『集義和書』巻十五)

 などと語っています。

 そして、25日の朝は、「67」の数字が頭に浮かびました。出てきた数字は「74」でしたが、一桁は当たりでした。
 26日は午後1時半に起床(昨夜寝たのは朝の5時でした)、冬物を奥に収納するべく箪笥の中の整理整頓をすませ、午後6時に「out look」を開いたら、「128」が念頭に、出た数字は、「122」でした。二桁当たりでした。
 27日は、「178」が・・・、でも「117」でした。
 28、29日は、体調が悪かったこと、この原稿を書くために当てようとの思いが強くなってきたせいでしょう、まるで当たりません。と同時に、夜は全く当たらないことに気づきました。
30日の朝は、「78」が最初思いつきましたが、
「78」を思いつくのが少し癖になってきたことを自覚しはじめていましたので、思い直し、気持ちを入れ替えて出た数字は「68」、で、結果出た数字は「86」でした。
 まだまだ修養が足りません。

◆陽明が、偽情報に翻弄されなかったのは、良知の「声なき声」に従ったからに違いありません。

王陽明は、肺病にかかり、病気を治したくて神仙道(道教)の修行に力を尽くしたことがありました。
 その成果が実り、30歳頃に予知能力が身についたのですが、
「どうやったらそんなことが可能なのか?」
 と問われ、
「それは、心を清くするだけである
 と答えています。
 ですが、
「神仙道は、真の道ではない」
 と悟り、神仙道の修行を止めてしまいます。
 この陽明の体験から分かるように、私欲を減らし、心を正すその過程で、副産物として、予知能力が発揮されるのです。

 その晩年、王陽明は、反乱軍や山賊などの討伐に東奔西走しました。
 その頃の王陽明の活躍ぶりについて、部下の一人はこう語っています。
「朝出陣し、夕方に平定しているようなもので、賊党討伐は、朝飯前の仕事だ。ちょうど秋になって落ちてくる木の葉を掃くようなもので、常人のなせる業ではない。これは全く神業である」(『真説「陽明学」入門』第一部)
 と。
 また、敵が放った偽の情報に、陽明の部下たちは不安になり、右往左往しても、陽明だけは決してだまされることがなかったのです。
 陽明が、偽情報に翻弄されなかったのは、良知の「声なき声」に従ったからに違いありません。

◆良知を意識する生活に目覚めてこそ、真の陽明学徒と言っていいでしょう。

王陽明は、良知について、こう述べています。

「知ることはないが、知らないこともない、良知は元来このようなものなのです。たとえば、太陽は、意識して物を照らそうと思わないのに、おのずからなる働きとして、照らさないことがない、全ての物を照らしているのです。つまり、照らす意識は無く、照らさないということはないのが太陽の本来の姿なのです。
 良知は、もともと知ろうとすることはないのに、知ることを求めたり、本来知らないことはないのに、知らないことがあるのではないかと疑ったりするのは、要するに、未だ良知を信じ切れていないのです」(『伝習録』下巻)

 それこそ放っておいたら、私欲は日増しに増長しているのですが、毎日少しずつなので、有名な教訓話の
「茹でガエル」
 にありますように、誰であれ、その事実に気づかないままなのです。  
  どれほど宗教に熱心な人でも、関連知識を増やすことに目が向いており、良知や仏性や明徳と称される心の本体(真吾)の気付きを増すことはまずないように思います。良知を意識する生活に目覚めてこそ、真の陽明学徒と言っていいでしょう。

◆駅前の信号機での体験は、「良知は知ろうとは思わないけれど、知らないことはない、何でも知っている」をつくづく思い知らされるのです。

これなども、いつごろからのことなのか定かではありませんが、もうこの3〜4ヶ月は良知への自覚を深める契機となっている出来事です。
 わが家から最寄り駅の間には、信号機が一つあるのですが、そこを渡るにあたり、10回中8〜9回は、青信号なのです。つまり、その駅前の横断歩道では、赤信号で止まって待つことは、ほとんどないのです。
例えば、19日に、仕事の打ち合わせで新宿に出たのですが、この時も、家を出て、マイペースで歩いたのですが、気が付いたら私が横断歩道に着いたと同時に、ピタリと青信号に変わりました。
 帰宅の時も、信号を目にしてそのことを意識したのですが、急ぐでもゆっくりでもなく、いつものようにマイペースで歩きました。この時も、横断歩道の直前で信号は青に変わったのです。
 この日も、往復ともに青信号で渡れたのですが、この駅前の信号機での体験は、
「良知は知ろうとは思わないけれど、知らないことはない、何でも知っている」
 をつくづく思い知らされるのです。
 良知への自覚、良知への信頼は増すばかりです。

 というわけで、良知を裏切らないためにも、21日(土)の今日は、常々気になっていたことをいくつか片付けました。
 ひとつは、ベランダの片付けと掃除です。
 洗濯物を干したりする時などに、散らかっていることに気づいて、やろうとは思うのですが、体調のこともあり、なかなか手を付けられなかったのです。
 最後は箒と塵取りを使って綺麗にして、ひと汗かきました。

 もう一つは、妻が毎日楽しみに見ている中国のテレビ・ドラマ「隋唐演義、集いし46人の英雄と滅びゆく帝国」の編集です。本編以外のCMなどをカットしてDVDにダビングしておくのです。妻は機械があまり得意ではないのです。
 とはいえ、またまた私の机周りが乱雑になってきました(;´・ω・)。良知を裏切らないためにも、口ではなく背中で子供に教えるためも、そろそろ片付ける時期のようです。

 最後になりました。
 私が講師をつとめます
『日本陽明学研究会・文化講座:「陽明学入門 王陽明と日本の陽明学者たち(全5回)』
 が、乃木神社(赤坂)でいよいよ6月からスタートです。
 参加申し込みは、未だ間に合います。
 ただし定員になり次第締め切るとのことです。
 詳しい事は、以下の私のブログ記事をご一読ください。
『●【日本陽明学研究会・文化講座】『陽明学入門 王陽明と日本の陽明学者たち(全5回)』開催のご案内』
http://blog.livedoor.jp/akio_hayashida/archives/1691412.html


▼乃木神社

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2016年05月12日

●「知行合一」は言行一致を意味するのではない

◆「知行は、本体の知・本体の行なるがゆえに、常に〔本体において〕合一してあるのである」

 陽明学といえば、「知行合一」という言葉が有名です。
 読み方は、ちこうごういつ、ちぎょうごういつ、どちらでも可能です。
 まるで陽明学の代名詞のように、人口に膾炙してきました。
 それも、大きな誤解を伴いながら。
 以下の「知行合一」についてのコメントは、私がかねてより私淑してやまない九州大学名誉教授・荒木見悟先生の
「近世儒学の発展、朱子学から陽明学へ」(『世界の名著、続4、朱子・王陽明』中央公論社)
 から抜粋させて頂いたものです。

『もし知行合一ということを、
「知ったことは必ず行う」
 と解したり、
「知と行を緊密に一体化することである」
 と解する程度に止まるならば、それは朱子学その他の諸学派でも当然口にすることであって、陽明学としての特色は何ら打ち出されていないといってよい。
 また知行合一論は、陽明学の実践的性格を端的に示すものだと、しばしばいわれるが、朱子学とてもそれなりに十分実践的性格をもつものであり、こうしたあいまいな表現で両者の優劣を論ずることは適切ではあるまい』

 「知行合一」は、言行一致を意味するのではない、ということは、ことあるごとに口にさせて頂いてきたことですが、なかなか分かっては頂けないようです。

 続けて、荒木見悟氏は、こう述べておられます。

『陽明は、
「知行の本体」
 という表現を用いている。
 知行は、本体の知・本体の行なるがゆえに、常に〔本体において〕合一してあるのである』(同上)

 また、陽明は、『伝習録』の別の個所では
「知行合一並進」
 と述べています。
「知と行は、もともと一つであり、かつ並び進むものだ」
 というのです。

 「知行合一」の正しい理解については、宿題とさせて頂きたいと思います😊。

 ではありますが、拙著
『志士の流儀』
『財務の教科書、「財政の巨人」山田方谷の原動力』
『イヤな「仕事」もニッコリやれる陽明学』
 などには説いてありますので、是非参考になさってください(^^;。

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2016年05月07日

●王陽明が説く「幾(きざし)」について考える

◆「良知には、前も後も無く、ただ現在の〈幾〉を知ることができるだけで、これがすなわち、一を悟れば百に通じるものなのです。もし、前知ということに執着する心があれば、それはほかでもない私心なのであり、利に走り、害を避けようとする作為なのです」

これから話させて頂くことは、FB上にある非公開の
「陽明学研究会、姚江(ようこう)の会」
 では初めてのことです。
実は、「陽明学研究会、姚江の会・群馬」では、これまで何度か話させて頂いたことなのですが、それには理由があります。
「陽明学研究会、姚江の会・群馬」のメンバーが、共に陽明学を学んで3年たっていましたので、私見を述べても、誤解されないだろうと思ってのことでした。
それにしても、群馬での研究会は、今では、4年目に突入しているのですが、群馬のメンバーたちは、よく継続してくれたものだと思います。

話を戻します。
「陽明学研究会、姚江の会・群馬」で、ではどんな話をしていたのかと言いますと、
「幾(兆し)」
についてのことです。
「幾(兆し)」について王陽明の言行録の『伝習録』下巻にこうあります。

『ある者が質問しました。
「『中庸』にある、
〈至誠は(事の未来を)前知する云々〉
 についてお教えください」
 先生がおっしゃった。
誠とは、実理、つまり天理のことであり、他ならぬ良知のことです。天理の霊妙な働きが〈神(しん)〉ということで、その動きが今や兆そうとする、そこがすなわち〈幾〉なのです。
 周濂溪(しゅう・れんけい。北宋の儒学者)は
〈誠、神、幾であるのを聖人という〉(『通書』)
 と説きましたが、聖人は決して未来を前知することを貴ぶのではありません。第一、幸不幸(禍福)がやってくるのは、いかに聖人といえども避けることはできないのです。聖人は、ただ〈幾〉を知っていて、だから非常事態にあっても、それによって身動きが取れなくなることはありません。
 良知には、前も後も無く、ただ現在の〈幾〉を知ることができるだけで、これがすなわち、一を悟れば百に通じるものなのです。
 もし、前知ということに執着する心があれば、それはほかでもない私心なのであり、利に走り、害を避けようとする作為なのです。
 『易』について研究を深め朱子に影響を与えた邵康節(しょう・こうせつ。北宋の儒学者)が、必ず前知できるとしているのは、利害損得の心をまだとり去り切れていないからです』」

◆「そもそも幾とは、事のはじめの微かな動きであり、結果の吉凶をまずもって示唆する前兆である」

 陽明のいう「幾」について説明をするにあたり、ここでちょっと話しの向きを変えます。
 私は、毎日、パソコンを立ち上げるとき、「out look」から開始するのですが、いつ頃からだったのか、1年か半年前ころからだったかと記憶していますが、王陽明の高弟・王龍溪の教えの中に
「幾(兆し)」
に関する説があり、それで「out look」を起動したときに表示されるメールの数を予測するようになったのです。
 開始した当初は、10回試みて、8〜9回ピタリと当たっていましたが、その的中率が次第に落ちていきました。開始当初、的中率が非常に發ったことは、たまたま私の話を聞かれて私と同じことを試みられた「姚江の会・群馬」のメンバーの柏村学氏が共感して下さっていたので、私の嘘やハッタリなどではないことはお分かりいただけると思います。
 原因は、分かっていました。
 成功体験に気をよくして、当てよう、当てようと思う気持ちが強くなっていったからです。当てよう、予測しようという思いは、善い事をしたり誰よりも上手にプレイしたりして誉められたいとか、あるいは実業家として成功して良い思いを味わいたいなどという思いと同じで、私欲だからです。私欲は、心の本体である良知の働きを妨げてしまうのです。
 これではいけないと、はやる気持ちを静め、気持ちを入れ替えてからは、やはり10回中7〜8回のペースで、二桁の数字の一桁は当たるようになりました。その間、ピタリ的中は10回中1〜2回となりました。
 それが、4月24日は、三桁がピタリ的中したのです。
「out look」を起動しているとき、最初、「178」という数字が思い浮かびましたが、すぐに「いや違う」と思い直したとき、
「108」
 という数字が自然に口を突いて出てしまっていました。
 で、表示を見ると、「108」だったというわけなのです。
 実は、これまでにも3桁は表示されてきましたが、その内の一桁や二けたを当てる程度で、
3桁全部を的中させたのは初めてのことでした。
 ここまで読まれてきた方の中には、
「だから、それがどうしたの」
 と思われる方もいらっしゃることでしょう。
 このことについて、説明を試みたいと思います。
 たまたま、数か月前に岡本史郎氏から贈って頂いた
『ビジネスパーソンのための易経入門』(朝日新書)
 という本が手元にあるのですが、この本をパラパラと拾い読みさせて頂いている時に、ある一節を目にして、
『これは、一度、「陽明学研究会・姚江の会」でも、「幾(兆し)」について触れておかなければ』
 との思いに駆られたのでした。
 その一節というのは、以下です。

「十翼のひとつ『繋辞上伝』に
〈それ易は聖人の深きを極め幾(き)を研(みが)く所以(ゆえん)なり〉」
 という文章があります。
〈易は、聖人が深遠なこの世の法則を極めて、幾を研究するためのものだ〉
 と言うのです。
 幾とは、『機微』のことです。機微とはわずかな動き、つまり『兆し』のことです。同じ十翼のひとつ『繋辞下伝』には、
〈そもそも幾とは、事のはじめの微かな動きであり、結果の吉凶をまずもって示唆する前兆である〉
 としています。
 『研』は、物を擦り砕いて粉末にすることです。ですから、極めて微細精密なところまで物事を推しはかり明らかにすることを意味します。
 物事の極めて微妙なる兆し、目の前で事が起こる前にあるかないかわからないほどの極めて微(かす)かな兆し、それが幾です。
『中庸』には、次の言葉があります。
〈微かなるより顕(あら)わるるは莫(な)し〉
 ほんのわずかなことでも、必ず顕在化するというのです」(第一章)

 物事には、兆しがあるのです。
 さらに、本書の巻末に『中庸』の一節が引用されていました。
「至誠の道は、以(もっ)て前知(ぜんち)すべし」
 物事は、前もって予知できる、と言うのです。
(次回に続く)


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2016年05月05日

●「日本を代表する日本人」中江藤樹

◆「臨終のときでも、心の本体の明徳、つまり如来心を失わず、雑念の無い心で死を迎えるのを成仏というのです」

 「日本を代表する日本人」に、私は、いの一番に、江戸初期に活躍した儒学者・中江藤樹(1608〜48)をあげたいと思います。
 5、6年前から
『評伝、日本陽明学の祖・中江藤樹(仮)』
 を執筆してきて、そう確信するようになりました。

 ここでは詳説できませんが、江戸期の日本人の多くは、中江藤樹をお手本に生きてきたのです。それ故、中江藤樹再評価こそが、昨今危ぶまれる日本人の質の低下に歯止めをかけ、さらなる質の向上を実現できると信じています。
 中江藤樹こそは、子どもたちのお手本になる日本人です。

 以下は、中江藤樹が、門人の老母に宛てた手紙の一節です。
 持病の喘息に苦しみながらも、実践体得の自己修養に努めた中江藤だからこそ、説得力を持った言葉となったのです。

日本陽明学の祖・中江藤樹:
「欲に動かされず、物事にも執着せず、余計なことを考えないときには、快くゆうゆうと豊かな気持ちになるものです。
 この伸びやかな気持ちこそが明徳の本体であり、仏教でいう如来の心なのです。この心を養い育て、常に失わないように努めることこそが人間の第一番のつとめなのです。
 ・・・(中略)・・・臨終のときでも、心の本体の明徳、つまり如来心を失わず、雑念の無い心で死を迎えるのを成仏というのです。
 ・・・(中略)・・・たとえば、身体の節々を錐(きり)で刺されるほどの苦しみがあったとしても、その苦しみに耐えきれずに如来心を失うことが無いよう、常日頃から自らを戒めておくべきです」(「牛原氏の老母に与える」『藤樹先生全集◆戞


▼『藤樹先生全集』全5巻
 40年という短い人生でしたが、その間に書かれた多くの手紙や著作が残されています。藤樹を尊敬してやまない江戸人たちがいて、明治、大正、そして昭和と、藤樹の著作や手紙や書を大切に守り続けて来てくれたおかげで、全五巻の全集の刊行が昭和3(1928)年に可能になったのです。
 これほどの全集を残した偉人が、他にいたでしょうか。
 この全集をざっと目にするだけでも、江戸期の人々が中江藤樹を如何に尊敬していたかが分かろうというものです。

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2016年05月02日

●【日本陽明学研究会・文化講座】『陽明学入門 王陽明と日本の陽明学者たち(全5回)』開催のご案内

◆熊沢蕃山は、真の意味での「神儒一致」を唱え、皇室連綿を重視した
 
 以下、6月からスタートする事になりました
『日本陽明学研究会・文化講座:「陽明学入門 王陽明と日本の陽明学者たち(全5回)』
 についてご案内させて頂きます。

 その前に、一言(^O^)/。
「神儒一致(しんじゅいっち)」
 という言葉があります。
「神道と儒教はもともと一つである」
 という思想のことです。
 林羅山(はやし・らざん)、羅山を嫌悪した中江藤樹、伊藤仁斎、山崎闇斎(やまざき・あんさい)らも、この「神儒一致」を唱えたことで知られています。

 ですが、中でも、日本陽明学の祖・中江藤樹の一の高弟・熊澤蕃山(くまざわ・ばんざん。一六一九〜九一)は、真の意味での、神道、つまり「皇室神道」と儒教の一致を説いたという点で、特筆すべき人物と言っていいでしょう。
 そのことについて「世界宗教用語大事典」にこうあります。

「〔熊沢蕃山は〕師説を守って〈致良知(ちりょうち)〉の説を奉じたが、晩年には〈神儒一致論〉を唱え、
〈三種の神器〉
 は儒教の
〈知仁勇〉
 を象徴しており、この三徳が道徳学術の淵源であり、心法政教の根源であるとして、皇位連綿を重視した」

 
 これはあくまでも私見ですが、蕃山が、その晩年に幕府から忌避された最大の理由が、この皇室尊重にありました。私が言う「真の意味での神儒一致」とは、そういう意味なのです。

 さて、蕃山の説く真の神儒一致論は、その後「水戸学」に受け継がれ育まれ、やがて吉田松陰らの倒幕思想となって結実し、明治維新の原動力となっていくのです。
 皇室神道と陽明学の関係については、神道家にもほとんど知られていないのが実情ですが、この度の講座は乃木神社の後援ということですから、今回の講座の中でこのことについて触れてみたいと思っています。

 初日の対談をお引き受けくださった拳骨拓史氏についてです。ウィキペディアなどを参照しました。

拳骨 拓史(げんこつ たくふみ、1976年(昭和51年) - 、本名未詳):
 作家。東洋兵法・東洋史、経営学の研究家。中央乃木会理事。和歌山県出身。
 漢学・東洋思想・東洋史の研究を行い、名越二荒之助(なごし・ふたらのすけ。元・高千穂商科大学教授)、杉之尾 宜生(すぎのお・よしお。元・防衛大学教授)に師事。日本のみならず、中国・韓国などで論文や研究発表などを精力的に行い成果をあげている。
 著書に『「反日思想」歴史の真実』、『日中韓2000年の真実』(ともに扶桑社新書)、『韓国人に不都合な半島の歴史』、『韓国の歴史教材「東アジア史」の真実』(ともにPHP研究所)など。


 以下、「日本陽明学研究会」の案内状から掲載させて頂きました。

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【日本陽明学研究会・文化講座】
『陽明学入門 王陽明と日本の陽明学者たち(全5回)』

 陽明学と一口に言っても、現実には様々な陽明学理解が存在しています。
 陽明学は、江戸初期に「近江聖人」と称される中江藤樹によって日本に紹介されて以来、以後日本流に取り入れられて、江戸期を通じて人材育成や大衆文化の発展に大きく貢献してきた事は、ほとんどと言っていいほど知られていません。また幕末の志士たちが陽明学を原動力に大活躍し、明治新政府の元勲の多くが陽明学を奉じていたことは比較的知られた事実です。

「陽明学を抜きにして、江戸時代以降の近・現代史を語ることは出来ない」
 と、常々私は断言し続けてきたのですが、現実はと言いますと、陽明学は、左寄りの大手マスコミや学識者によって無視され続けて、今日に至っているのです。
 今私は64歳、30年前の私の陽明学理解とは、その奥深さが随分違います。「日本陽明学」を中心とした陽明学理解をも披露させて頂きながら、共に陽明学理解を深めさせて頂きたいと思います。(講師あいさつより)

●講師:林田明大 先生(陽明学研究家)
略歴:昭和27年(1952)長崎県島原市生まれ。平成6年(1994)に陽明学研究の初学者必読の書となる『真説「陽明学」入門』(三五館)を上梓。本書はグロービス経営大学院の必読書となる。以後、現代人向けの活きたテキストを数多く手がける。
 代表的著書に『志士の流儀』(教育評論社)、『陽明学と忠臣蔵』(徳間文庫)、三五館より『真説「伝習録」入門』、『財務の教科書、「財政の巨人」山田方谷の原動力』等がある。

●講座日程・内容(いずれの日も14:00〜16:00)
 。供殖隠呼(土) 陽明学入門(拳骨拓史氏との対談)
◆。掘殖隠憩(日) 王陽明の生涯と思想
 9/17日(土) 日本陽明学の祖・中江藤樹
ぁ。隠亜殖稿(日) 陽明学と忠臣蔵
ァ。隠押殖隠憩(土) 日本主義思想の先駆者・熊澤蕃山

●場所:乃木神社内「尚武館道場」(社務所2階)
 東京メトロ千代田線乃木坂駅1番出口より徒歩1分、都営大江戸線六本木駅7番出口より徒歩10分、首都高速外苑ICより車で5分

●定員:50名(定員に達し次第締め切りといたします)

● 受講料(全5回)
■中央乃木會会員:8,000円
■一般:12,000円
ペア割引(2名以上):1名10,000円(但し入金は2名一括20,000円から。1名追加毎に10,000円)

※全日程を修了された方には修了証が交付されます。
※学生の方は受講料を半額と致します。

>※受講料は一括にてお納めいただきます。
(振込先はお申込時にご連絡致します)
※中途での受講キャンセルの場合、受講料の払い戻しは致しません。

主催:日本陽明学研究会 
後援:乃木神社
お申込・お問合せ先:乃木神社 飯島
東京都港区赤坂8-11-27 乃木神社内
電話番号 03-3478-3001 /FAX:03-3478-3005
【mail】iijima@nogijinja.or.jp

▼乃木神社(赤坂8丁目)
301446fddb063-18ee-4968-8e85-620708d4cb8b_m 乃木神社



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