2010年03月08日
●3度の敵対的買収による危機を乗り越えたジレットのCEOコールマン・モックラー
■「この世の本質は、変化だ」
前回の続きということで、
「『ビジョナリーカンパニー2、飛躍の法則』と山田方谷」その6、である。
人や動植物は、物は、相反する二つの性格を併せ持っている、という話をさせて頂いた。
人や動植物は、この世に生まれてくる以上、生きたくて生まれてくるはずなのだが、生まれると当時に、いつ死んでもおかしくない存在なのである。生きているということが、そもそも死につつあるあるということなのだ。
私たちの体の中には、生まれてくる細胞がある一方で、死んでいく細胞があるわけで、間断なく、生と死のドラマが展開されているのだ。
生と死、生成と消滅のドラマは、なにも体内のことに限らない。この自然界、地球内、ひいては宇宙内での出来事なのである。
少々乱暴な物言いをお許し願いたいが、それを指して、
『易経』
では
「この世の本質は、変化だ」
と説くのである。
人や動植物を、一方から見た現象が
「生」
であり、もう一方から見たら
「死」
というだけの話なのだ。
拙著では、また私の講演では、常々この
「生死一如」
の話をさせて頂いている。
言い換えれば、生と死はもともとひとつのもの、二つで一つ、一体であり、言いかえれば
「知行合一」
ということなのである。
生と死、知と行は、それぞれ別々に存在しているわけではないのだ。にもかかわらず、まるで、生と死が別々に存在してでもいるかのように、
「死にたくない、長生きしたい」
と、生を追い求め、死から逃げ回る、言いかえれば、苦(不幸)から逃げ回り、楽(幸)を追い求める、ということになる(笑)。
この15年余、この話を繰り返しさせて頂いてきたのだが、
「あの話には、感動しました」
という言葉を頂戴させて頂くことは、まず無かった(笑)。
だが、拙著
『陽明学と忠臣蔵』(徳間書店)
に関する読者からのコメントには、
「第1章の講演録だけしか読んでないが、ここを読むだけで充分値打ちがあった」
という意味のことが書かれていたが、時には理解してくれる人がいるようだ(笑)。
■どちらにも偏らない、調和的な働き(境地)を「中庸(中道)」と呼ぶ
これも乱暴な物言いとなるのをお許し頂きたいが、世界的な禅マイスターの鈴木大拙は、同じことを、
「思議の世界と不思議の世界はもともとひとつ」
と説いたのである。
換言すれば、一見相反する要素が、この世界では調和的に働いているのである。
一見、対立的に思える、
「慎重」
と
「勇気」
の共存は可能なのだ。
どちらにも偏らない、調和的な働き(境地)を、言い換えて、儒教では
「中庸」(『中庸』)
仏教では
「中道」
と呼んでいるのだ。
■モックラーは、3回の敵対的買収に対して、「自分の持ち株で巨額の利益を確保しようとはせず、ジレットが偉大な企業になる道を残すために戦った」
話を戻して、『ビジョナリーカンパニー2』に書かれている第5水準の指導者のタイプについてである。
「2面性という共通点がある」
ということについては、すでに述べた。
『ビジョナリーカンパニー2』「第2章 野心は会社のために」には、その点を、さらに補強するエピソードが紹介されている。
1975年から91年までジレットのCEOだったコールマン・モックラーについてである。
以下、要約する。
ジレットは、モックラーの在任中に、3度の敵対的買収による危機を味わっている。
そのうちの2回は、
「ジャンク債を使って買収した企業を解体・売却し、債務を返済してつぎの敵対的買収の資金源にすることで有名」(「第2章 野心は会社のために」)
だった、乗っ取り屋として知られるレブロンのロナルド・ペレルマンによるものであった。
3度目は、投資グループのコニストン・パートナーズによるもので、コールマン・モックラーがお金儲けにしか興味がない経営者であれば、その巨額の利益と退職金(ゴールデン・パラシュート)に目がくらんで、彼らの提案を快く受け入れていたであろうと言われている。
モックラーは、
「自分の持ち株で巨額の利益を確保しようとはせず、ジレットが偉大な企業になる道を残すために戦った」(同上)
のである。
この時までには、モックラーは、単に
「物静かで控えめで常に礼儀正しい人物であり、貴族的といえるほどの紳士」
だと見られていた。
「しかし、モックラーの控えめな人柄を弱さの印だと誤解した人たちは、結局打ち負かされることになった。委任状争奪戦では、ジレットの経営幹部が何万人もの個人投資家にひとりずつ電話をかけて説得し、勝利を収めている」
■「モックラー自身は、みずからの努力の成果を十分に受け取ることができなかった。1991年1月25日、ジレットはフォーブス誌の表紙身本を受け取った」(
これには、興味深い余話がある。
ありがちな意見、つまり、
「保守的な経営陣が、ただ単に、株主の利益を無視して、既得権益を守ろうとしただけではないのか」
という意見に対して、ジム・コリンズはこう述べている。
「第1に、モックラーらの経営陣は、技術的に進んだ革新的な製品の開発に巨額を投じて、会社の将来をこれにかけていた。後に発売される〈センサー〉と〈マッハ3〉がそれだ」(同上)
「第2に、買収合戦の時、センサーが発売されれば利益が大幅に増えると経営陣は確信していたが、開発は極秘で進めていたので、株価には反映されていなかった。センサーの将来を考えれば、将来の株式の価値をはるかに上回り、時価より高い乗っ取り屋の提示価格すら上回ると、モックラーと取締役会は確信していた。買収提案に応じて会社を売却すれば、短期的な利益を狙う株式投資家を喜ばせることはできるが、長期投資の株式保有者に対してはまったく無責任な方針となることになる」(同上)
結果、モックラーと取締役会の判断は正しかった。
「モックラーが乗っ取り屋に屈服して何百万ドル化を手に入れ、引退生活を楽しんでいれば、ジレットも顧客も株主も得られたはずの利益を得られなかった」(同上)
という。
そして、
「モックラー自身は、みずからの努力の成果を十分に受け取ることができなかった。
1991年1月25日、ジレットはフォーブス誌の表紙身本を受け取った」(同上)
表紙には、
「モックラーが巨大な剃刀(かみそり)をかかげて、どうだと言わんばかりに山の頂上に立ち、打ち負かされた競争相手がはるか下であえいでいる絵」
があった。
モックラーが、マスコミの取材を嫌ったために、表紙に顔写真を使えなかったためであろう、とのこと。
その絵を、経営幹部たちは面白がったという。
もちろん、モックラーも、その絵を見た。
その直後の事である。
「モックラーは16年にわたる苦闘がようやく世間に認められるようになったのをみて、何分か後に自室に戻る途中、廊下で倒れた。強い心臓発作におそわれて、そのまま帰らぬ人になった」(同上)
私の感想は、
「・・・・」
である。
人間としてあまりにも立派な生き方であり、また見事な最後であり、感無量としか言いようがない。
ダーウィン・スミスに負けずとも劣らない偉大な経営者であったと、私も思う。
さて、ジム・コリンズは、偉大な経営者コールマン・モックラーを評して、こう述べている。
「穏やかな人柄で目立たなくなってはいるが、内面はきわめて厳しく、どんなことであれ自分が関与する以上は最高のものにするために全力を尽くす姿勢をとる。
それで、自分が得られる報酬や名声に関心があるからではない。それ以外の姿勢は考えられないのだ」(同上)
以下、続く。
■当時は、正義感が強く、大変カットなる生徒だったようで、いろいろな暴力事件を起こしていた
3月7日である。
午後5時、指扇駅前で大学生の石田智裕氏と会う。
小・中・高校時代の彼の体験談を聞かせて頂くために、足を運んで頂いたのである。
近くのレストラン「うさぎ」で約2時間、軽食をとりながら話を聞かせて頂いた。
思っていた以上に、波乱万丈を絵に描いたような話であった。
端的にいえば、当時は、正義感が強く、大変カットなる生徒だったようで、いろいろな暴力事件を起こしていたのである。
ご本人の許可がない現段階では、これ以上詳しいことは開陳できない(笑)。
昨年末、頼まれて、群馬県高崎市の某中学校で講演をさせて頂いたという。
素行がよく教師になった先生には話せない話だし、流石に、インパクトがあったようで、感想文がドッと贈られてきたとのこと。
有難いことに、その感想文をお借りすることができた。
実を言うと、今月、私は娘の通う指扇中学校で話をさせて頂くことになっているのだ。そのこともあって、参考までに、是非、話を聞かせてほしい。お礼には、夕食をごちそうするので(笑)、とお願いして来て頂いたのである。
取材を終えて、近くの居酒屋「つづら」へ行く。
食事のためである。
この話の続きは、折を見て、紹介させて頂きたい。

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「『ビジョナリーカンパニー2、飛躍の法則』と山田方谷」その6、である。
人や動植物は、物は、相反する二つの性格を併せ持っている、という話をさせて頂いた。
人や動植物は、この世に生まれてくる以上、生きたくて生まれてくるはずなのだが、生まれると当時に、いつ死んでもおかしくない存在なのである。生きているということが、そもそも死につつあるあるということなのだ。
私たちの体の中には、生まれてくる細胞がある一方で、死んでいく細胞があるわけで、間断なく、生と死のドラマが展開されているのだ。
生と死、生成と消滅のドラマは、なにも体内のことに限らない。この自然界、地球内、ひいては宇宙内での出来事なのである。
少々乱暴な物言いをお許し願いたいが、それを指して、
『易経』
では
「この世の本質は、変化だ」
と説くのである。
人や動植物を、一方から見た現象が
「生」
であり、もう一方から見たら
「死」
というだけの話なのだ。
拙著では、また私の講演では、常々この
「生死一如」
の話をさせて頂いている。
言い換えれば、生と死はもともとひとつのもの、二つで一つ、一体であり、言いかえれば
「知行合一」
ということなのである。
生と死、知と行は、それぞれ別々に存在しているわけではないのだ。にもかかわらず、まるで、生と死が別々に存在してでもいるかのように、
「死にたくない、長生きしたい」
と、生を追い求め、死から逃げ回る、言いかえれば、苦(不幸)から逃げ回り、楽(幸)を追い求める、ということになる(笑)。
この15年余、この話を繰り返しさせて頂いてきたのだが、
「あの話には、感動しました」
という言葉を頂戴させて頂くことは、まず無かった(笑)。
だが、拙著
『陽明学と忠臣蔵』(徳間書店)
に関する読者からのコメントには、
「第1章の講演録だけしか読んでないが、ここを読むだけで充分値打ちがあった」
という意味のことが書かれていたが、時には理解してくれる人がいるようだ(笑)。
■どちらにも偏らない、調和的な働き(境地)を「中庸(中道)」と呼ぶ
これも乱暴な物言いとなるのをお許し頂きたいが、世界的な禅マイスターの鈴木大拙は、同じことを、
「思議の世界と不思議の世界はもともとひとつ」
と説いたのである。
換言すれば、一見相反する要素が、この世界では調和的に働いているのである。
一見、対立的に思える、
「慎重」
と
「勇気」
の共存は可能なのだ。
どちらにも偏らない、調和的な働き(境地)を、言い換えて、儒教では
「中庸」(『中庸』)
仏教では
「中道」
と呼んでいるのだ。
■モックラーは、3回の敵対的買収に対して、「自分の持ち株で巨額の利益を確保しようとはせず、ジレットが偉大な企業になる道を残すために戦った」
話を戻して、『ビジョナリーカンパニー2』に書かれている第5水準の指導者のタイプについてである。
「2面性という共通点がある」
ということについては、すでに述べた。
『ビジョナリーカンパニー2』「第2章 野心は会社のために」には、その点を、さらに補強するエピソードが紹介されている。
1975年から91年までジレットのCEOだったコールマン・モックラーについてである。
以下、要約する。
ジレットは、モックラーの在任中に、3度の敵対的買収による危機を味わっている。
そのうちの2回は、
「ジャンク債を使って買収した企業を解体・売却し、債務を返済してつぎの敵対的買収の資金源にすることで有名」(「第2章 野心は会社のために」)
だった、乗っ取り屋として知られるレブロンのロナルド・ペレルマンによるものであった。
3度目は、投資グループのコニストン・パートナーズによるもので、コールマン・モックラーがお金儲けにしか興味がない経営者であれば、その巨額の利益と退職金(ゴールデン・パラシュート)に目がくらんで、彼らの提案を快く受け入れていたであろうと言われている。
モックラーは、
「自分の持ち株で巨額の利益を確保しようとはせず、ジレットが偉大な企業になる道を残すために戦った」(同上)
のである。
この時までには、モックラーは、単に
「物静かで控えめで常に礼儀正しい人物であり、貴族的といえるほどの紳士」
だと見られていた。
「しかし、モックラーの控えめな人柄を弱さの印だと誤解した人たちは、結局打ち負かされることになった。委任状争奪戦では、ジレットの経営幹部が何万人もの個人投資家にひとりずつ電話をかけて説得し、勝利を収めている」
■「モックラー自身は、みずからの努力の成果を十分に受け取ることができなかった。1991年1月25日、ジレットはフォーブス誌の表紙身本を受け取った」(
これには、興味深い余話がある。
ありがちな意見、つまり、
「保守的な経営陣が、ただ単に、株主の利益を無視して、既得権益を守ろうとしただけではないのか」
という意見に対して、ジム・コリンズはこう述べている。
「第1に、モックラーらの経営陣は、技術的に進んだ革新的な製品の開発に巨額を投じて、会社の将来をこれにかけていた。後に発売される〈センサー〉と〈マッハ3〉がそれだ」(同上)
「第2に、買収合戦の時、センサーが発売されれば利益が大幅に増えると経営陣は確信していたが、開発は極秘で進めていたので、株価には反映されていなかった。センサーの将来を考えれば、将来の株式の価値をはるかに上回り、時価より高い乗っ取り屋の提示価格すら上回ると、モックラーと取締役会は確信していた。買収提案に応じて会社を売却すれば、短期的な利益を狙う株式投資家を喜ばせることはできるが、長期投資の株式保有者に対してはまったく無責任な方針となることになる」(同上)
結果、モックラーと取締役会の判断は正しかった。
「モックラーが乗っ取り屋に屈服して何百万ドル化を手に入れ、引退生活を楽しんでいれば、ジレットも顧客も株主も得られたはずの利益を得られなかった」(同上)
という。
そして、
「モックラー自身は、みずからの努力の成果を十分に受け取ることができなかった。
1991年1月25日、ジレットはフォーブス誌の表紙身本を受け取った」(同上)
表紙には、
「モックラーが巨大な剃刀(かみそり)をかかげて、どうだと言わんばかりに山の頂上に立ち、打ち負かされた競争相手がはるか下であえいでいる絵」
があった。
モックラーが、マスコミの取材を嫌ったために、表紙に顔写真を使えなかったためであろう、とのこと。
その絵を、経営幹部たちは面白がったという。
もちろん、モックラーも、その絵を見た。
その直後の事である。
「モックラーは16年にわたる苦闘がようやく世間に認められるようになったのをみて、何分か後に自室に戻る途中、廊下で倒れた。強い心臓発作におそわれて、そのまま帰らぬ人になった」(同上)
私の感想は、
「・・・・」
である。
人間としてあまりにも立派な生き方であり、また見事な最後であり、感無量としか言いようがない。
ダーウィン・スミスに負けずとも劣らない偉大な経営者であったと、私も思う。
さて、ジム・コリンズは、偉大な経営者コールマン・モックラーを評して、こう述べている。
「穏やかな人柄で目立たなくなってはいるが、内面はきわめて厳しく、どんなことであれ自分が関与する以上は最高のものにするために全力を尽くす姿勢をとる。
それで、自分が得られる報酬や名声に関心があるからではない。それ以外の姿勢は考えられないのだ」(同上)
以下、続く。
■当時は、正義感が強く、大変カットなる生徒だったようで、いろいろな暴力事件を起こしていた
3月7日である。
午後5時、指扇駅前で大学生の石田智裕氏と会う。
小・中・高校時代の彼の体験談を聞かせて頂くために、足を運んで頂いたのである。
近くのレストラン「うさぎ」で約2時間、軽食をとりながら話を聞かせて頂いた。
思っていた以上に、波乱万丈を絵に描いたような話であった。
端的にいえば、当時は、正義感が強く、大変カットなる生徒だったようで、いろいろな暴力事件を起こしていたのである。
ご本人の許可がない現段階では、これ以上詳しいことは開陳できない(笑)。
昨年末、頼まれて、群馬県高崎市の某中学校で講演をさせて頂いたという。
素行がよく教師になった先生には話せない話だし、流石に、インパクトがあったようで、感想文がドッと贈られてきたとのこと。
有難いことに、その感想文をお借りすることができた。
実を言うと、今月、私は娘の通う指扇中学校で話をさせて頂くことになっているのだ。そのこともあって、参考までに、是非、話を聞かせてほしい。お礼には、夕食をごちそうするので(笑)、とお願いして来て頂いたのである。
取材を終えて、近くの居酒屋「つづら」へ行く。
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この記事へのコメント
1. Posted by ケロケロウメサン 2010年03月09日 23:53
林田先生、こんばんは!
本日はご多用の中、わざわざお電話下さり、感動の極みでした。
風水を生業としている拙者ゆえ、易経の考究はライフワークのひとつですが、今回の先生の記事にあった
中庸
生死一如
二面性という共通点
知行合一
はすべて、易経の説く『変易、不易、簡易』と通じていることを実感できました。
拙者のような風水や占術という術数を生業としていますと、ついついこだわりと偏りの世界にはまりやすいのですが、林田先生のブログや勉強会を通じて、気付きをいただくことができありがたく思っています。
今後とも宜しくお願い致します。
本日はご多用の中、わざわざお電話下さり、感動の極みでした。
風水を生業としている拙者ゆえ、易経の考究はライフワークのひとつですが、今回の先生の記事にあった
中庸
生死一如
二面性という共通点
知行合一
はすべて、易経の説く『変易、不易、簡易』と通じていることを実感できました。
拙者のような風水や占術という術数を生業としていますと、ついついこだわりと偏りの世界にはまりやすいのですが、林田先生のブログや勉強会を通じて、気付きをいただくことができありがたく思っています。
今後とも宜しくお願い致します。