2010年03月20日
●荒木見悟「陽明学と明代の佛教」を一読
■荒木見悟先生の小論文に目を通す
19日(金)である。
昨晩は、久々にホッとした気分だったので、一人晩酌をやって、9時には床に就いてしまった。
もちろん、寝る前に、簡単に韓氏意拳の
「形体訓練」
を試みる。
睡眠不足が原因だろう、体を動かしてみて疲れているのが良く分かった。
陽明学左派のわが国での第一人者、というより世界レベルでの第一人者の荒木見悟先生の小論文
「陽明学と明代の佛教」
に目を通す。
かつて、荒木先生から贈って頂いたものである。
鉛筆書きの傍線が引いてあるので、以前にも一読していたはずなのに、まるで初めて読む感じで、思わずグイグイと引き込まれてしまった。
禅と朱子学の対立の中から、両者の欠点を補う形で陽明学が登場してきた経緯が、明瞭に述べてあるのだ。
学術論文なので、一般の方にはお勧めできないので、今後、これをかみ砕いて紹介してみたいとつくづく思う。
「卒啄(そったく)の機」(『碧巌録』)
という言葉があるが、やはり、時期が来ないと、読んでも理解できないということなのである。
「卒」は正確には「口へんに卒」のようである。
人生何事もタイミング、という意味である。
鶏の雛が卵からかえるときに、殻の中の雛は外に出ようとして内側から殻を突(つつ)き、親鶏が、雛が孵化しようとしている卵を外から突いて破るという、雛が誕生する、その絶妙なタイミングの事を言う。この場合、早くても遅くても雛が死んでしまうことになる。だから、絶妙というのである。
流石に眠くなってきたので、床に就いたのだが、まさしく爆睡であった。
ところが、夜中に目が覚めた。
時計を見ると3時である。
ついでということで、トイレに立ったところ、洗い終わった洗濯物が洗濯機に入ったままだったので、干して、残りの洗濯物を洗濯する。
目が冴えてしまったので、再度、荒木見悟先生の小論文に目を通す。荒木先生の凄さを改めて思い知らされる。
2度目の洗濯物を干し終えて、メソード・アクティングで学んだ
「リラクシゼーション」
を試みて、何度かあくびをし、再び床に就いたのは、5時半であった。
で、起床は11時であった。
熟睡したので、疲れが取れていた。
■桜井章一『努力しない生き方』(集英社新書)に目を通す
(株)オリエンタルランドの福島祥郎氏から色々と資料を送って頂いていたので、お礼状を書き、田舎の叔母の病気見舞いの手紙、伊勢の中山靖男先生の奥様あてに、病気見舞いの手紙を書く。
昨日、桜井章一会長から贈られてきた新著
『努力しない生き方』(集英社新書)
に目を通す。
サイン入りである(嬉)。
真似すべきは、この心配りである。
頑張ってるのに、うまくいかない人がいる。
何故か、頑張り過ぎなのである。
そんなことが書いてあるようだ。
そのことについては、中国武術・韓氏意拳や陽明学左派の教えで、この数年私も実感してきたことだ。
私の言葉で言わせて頂くなら、こうである。
「『頑張っているか』
と問われれば、そうとも言えないのだけれど、でも、全く頑張っていないわけでもない。そんな境地がある。そうした境地を、自然体という」
■「御父さん、かっこよかったよ」
ところで、まだ読了したわけではないのだが、「努力しない生き方」というタイトルは、ちょっと問題ありかと思う。誤解を生みやすい。
これでも私は、昨日、中学1年生に向かって、コツコツと努力することの大切さを説いたばかりなのである(笑)。
「頑張らない生き方」
「頑張りすぎない生き方」
「無理をしない生き方」
の方が、まだ良かったと思うのだが(笑)。
もっとも、書名は、もちろん、著者にも打診してくるが、最終的には、著者が付けるのではなく、出版社がつけるものなのである。
昨日の講演会の話の続きをと思ったのだが、今回は、これでペンを置かせて頂くことにする。
娘・玲奈は、妻に向かって嬉しそうに
「御父さん、かっこよかったよ」
と言ってくれたそうだ(苦笑)。
今日は、中学校から私の講演への感想文を頂戴した。書かなかった人もいたようで、100〜120人分はあるようだ。

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19日(金)である。
昨晩は、久々にホッとした気分だったので、一人晩酌をやって、9時には床に就いてしまった。
もちろん、寝る前に、簡単に韓氏意拳の
「形体訓練」
を試みる。
睡眠不足が原因だろう、体を動かしてみて疲れているのが良く分かった。
陽明学左派のわが国での第一人者、というより世界レベルでの第一人者の荒木見悟先生の小論文
「陽明学と明代の佛教」
に目を通す。
かつて、荒木先生から贈って頂いたものである。
鉛筆書きの傍線が引いてあるので、以前にも一読していたはずなのに、まるで初めて読む感じで、思わずグイグイと引き込まれてしまった。
禅と朱子学の対立の中から、両者の欠点を補う形で陽明学が登場してきた経緯が、明瞭に述べてあるのだ。
学術論文なので、一般の方にはお勧めできないので、今後、これをかみ砕いて紹介してみたいとつくづく思う。
「卒啄(そったく)の機」(『碧巌録』)
という言葉があるが、やはり、時期が来ないと、読んでも理解できないということなのである。
「卒」は正確には「口へんに卒」のようである。
人生何事もタイミング、という意味である。
鶏の雛が卵からかえるときに、殻の中の雛は外に出ようとして内側から殻を突(つつ)き、親鶏が、雛が孵化しようとしている卵を外から突いて破るという、雛が誕生する、その絶妙なタイミングの事を言う。この場合、早くても遅くても雛が死んでしまうことになる。だから、絶妙というのである。
流石に眠くなってきたので、床に就いたのだが、まさしく爆睡であった。
ところが、夜中に目が覚めた。
時計を見ると3時である。
ついでということで、トイレに立ったところ、洗い終わった洗濯物が洗濯機に入ったままだったので、干して、残りの洗濯物を洗濯する。
目が冴えてしまったので、再度、荒木見悟先生の小論文に目を通す。荒木先生の凄さを改めて思い知らされる。
2度目の洗濯物を干し終えて、メソード・アクティングで学んだ
「リラクシゼーション」
を試みて、何度かあくびをし、再び床に就いたのは、5時半であった。
で、起床は11時であった。
熟睡したので、疲れが取れていた。
■桜井章一『努力しない生き方』(集英社新書)に目を通す
(株)オリエンタルランドの福島祥郎氏から色々と資料を送って頂いていたので、お礼状を書き、田舎の叔母の病気見舞いの手紙、伊勢の中山靖男先生の奥様あてに、病気見舞いの手紙を書く。
昨日、桜井章一会長から贈られてきた新著
『努力しない生き方』(集英社新書)
に目を通す。
サイン入りである(嬉)。
真似すべきは、この心配りである。
頑張ってるのに、うまくいかない人がいる。
何故か、頑張り過ぎなのである。
そんなことが書いてあるようだ。
そのことについては、中国武術・韓氏意拳や陽明学左派の教えで、この数年私も実感してきたことだ。
私の言葉で言わせて頂くなら、こうである。
「『頑張っているか』
と問われれば、そうとも言えないのだけれど、でも、全く頑張っていないわけでもない。そんな境地がある。そうした境地を、自然体という」
■「御父さん、かっこよかったよ」
ところで、まだ読了したわけではないのだが、「努力しない生き方」というタイトルは、ちょっと問題ありかと思う。誤解を生みやすい。
これでも私は、昨日、中学1年生に向かって、コツコツと努力することの大切さを説いたばかりなのである(笑)。
「頑張らない生き方」
「頑張りすぎない生き方」
「無理をしない生き方」
の方が、まだ良かったと思うのだが(笑)。
もっとも、書名は、もちろん、著者にも打診してくるが、最終的には、著者が付けるのではなく、出版社がつけるものなのである。
昨日の講演会の話の続きをと思ったのだが、今回は、これでペンを置かせて頂くことにする。
娘・玲奈は、妻に向かって嬉しそうに
「御父さん、かっこよかったよ」
と言ってくれたそうだ(苦笑)。
今日は、中学校から私の講演への感想文を頂戴した。書かなかった人もいたようで、100〜120人分はあるようだ。
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