2018年03月25日

●ゲーテ、R・シュタイナー、三島由紀夫、陽明学、そして私

◆貸本漫画では、『墓場鬼太郎』を愛読した。

 文豪ゲーテに興味を覚えたのは、小学校の高学年の時。父の仕事で転向が多かったために、新しい友人ができるまでの間は、本を読むしかなかった。学校の図書館で本を借りて帰り、家で読むという習慣がいつの間にか身についていた。
 幼稚園の頃は、「キンダーブック」や童話を読み、小学生の頃からは童話や昔話に加えて、国の内外を問わず、神話や民間伝承を好んで読み漁った。
 その傾向は、その後も続くことになるのだが、小学生の頃は、中でも魔法や魔術や悪魔や魔女、妖怪、精霊、幽霊、怪物などが登場する怪奇小説に夢中になった。
 今、ざっと思い出すだけでも、ギリシア・ローマ神話、中国の『雨月春雨物語』や『白蛇伝』、「耳なし芳一」が収められた小泉八雲『怪談』、「牡丹灯篭」、ユダヤ教のゴーレム、吸血鬼、フランケンシュタインなどを挙げることができる。
 怪奇小説を、横文字でいえば、ゴシック・ロマンスである。
 今で言えば、ファンタジー小説という事になろうか。
 貸本漫画では、『墓場鬼太郎』を愛読した。

 そんな私の影響からなのか、長女は『アンパンマン』に始まって『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』にはまり、「ハリーポッター」にはまり、今では『夏目友人帳』の大ファンになっているし、長男は、姉を上回ってハリーポッターシリーズの映画の大ファンとなっている。長女に教えられて見るようになった『夏目友人帳』は、今では私も大好きな作品だ。

◆小学校高学年の頃、図書館で手に取ったのがゲーテ『ファウスト』であった。

 小学校高学年の頃のことに話を戻す。
 あらかた内外の神話や民間伝承を読み漁った頃、図書館で手に取ったのがゲーテ『ファウスト』であった。布張りの赤い表紙としか記憶にないこの本は、15〜16世紀頃のドイツに実在したと言われる、高名な錬金術師ドクトル・ファウストゥスの伝説を下敷きにして書かれた長編の戯曲で、ゲーテがほぼその一生を掛けて完成させた大作である。
 小学校の高学年なので、『ファウスト』の第一部をせいぜい楽しんで読んだくらいで、哲学的な第二部の価値はまるで分からなかったに違いないのだが、実在した人物をもとにして書かれたという点に影されたのか、以後、好んでゲーテの作品を読むようになっていった。

 これも小学校高学年の頃だろうと記憶しているが、担任の女性教師が、給食の時間に『ああ無情(レ・ミレザブル)』を毎日少しずつ朗読してくれたことがあった。いつしか続きを聴くのが楽しみになっていた。おかげで、ヴィクトル・ユゴーのこの作品は、今でも印象に残っている。
 多分、この頃からのことだろう、両親が買ってくれた「少年少女名作文学全集」を読みふけるようになっていた。
 私が文学好きになっていったのは、若い頃は文学青年だったという父親の影響もあったようだ。ちなみに、父親に連れていかれて一緒に見た映画の一つは、モノクロ映画の『ドン・キホーテ』だった。

◆高校時代の3年間は、三島由紀夫を愛読した。それゆえに、私が高校3年生の年の1970年の三島事件は、私にとってとても衝撃的だったのだ。

 中学に入ってからも、ゴシック・ロマンスに数えられるコナン・ドイルもエドガー・アランポーも読んだし、当然、江戸川乱歩も読み漁った。ロシアの民話『石の花』や、シャミッソー『影をなくした男』などは、この頃に読んで記憶に残った作品だ。

 『ゴジラ』を皮切りとした怪獣映画もそんな私の好みの一つになった。父にせがんで怪獣映画を見に連れて行ってもらった。『空の大怪獣ラドン』(1956年)や『大怪獣バラン』(1958年)などがそれである。
 中学生の頃は、剣道部で剣道をやりながら(小学2年生から剣道を学んでいた)、推理小説にもはまっていた。

 高校生になってからも、その読書傾向は残されたまま、文学部に強制的に入部させられたこともあって、純文学の小説や詩集を読むようになっていた。
 森鴎外、夏目漱石、三島由紀夫、川端康成、ロシア文学、ヘルマン・ヘッセやゲーテといったドイツ文学も、伊東静雄、中原中也、バイロン、ランボーの詩集も手に取った。特に、高校時代の3年間は、三島由紀夫を愛読した。それゆえに、私が高校3年生の年の1970年の三島事件は、私にとってとても衝撃的だったのだ。
 何しろ、大学入試の摸擬試験に、三島由紀夫の『金閣寺』の一説が出たのだが、金閣寺の屋根の上に置かれた鳳凰の描写が延々と続くその一文に魅了されてしまい、一瞬試験中であることを忘れてしまったほどだった。
 強制加入された文学部では、郷土の詩人・伊東静雄の研究に従事させられたのだが、おかげで若き三島由紀夫が最も敬愛する詩人が伊東静雄であったことを知り、驚かされたものだった。

 トーマス・マン、トルストイ、ドストエフスキー、ヘッセの全集やノヴァーリスを読むのは、もうちょっと後のこと。
 ともあれ、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』こそは好きになれなかったが、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』『親和力』も詩集も読んできたし、エッカーマン『ゲーテとの対話』は愛読書となって今日に至っている。
 高校時代には、実は、SF小説も耽溺した。アーサー・C・クラーク、カート・ヴォネガット・ジュニア、ロバート・A・ハインライン、フィリップ・K・ディック、リチャード・マシスン、アイザック・アシモフなどの作品だ。
 特に、上京後に読んだアイザック・アシモフ『銀河帝国の興亡』は印象に残っている。

◆小学生の高学年の頃からゲーテを好きになっていた私にしてみれば、シュタイナー思想との出会いは、今では必然だったと思っている。

 そして、この話は、拙著にも触れてきたことだが、1971年に上京して間もなく、多分翌年頃、ルドルフ・シュタイナー思想に出会ったのである。
 また、ちょうどこの頃には、コリン・ウィルソン『アウトサイダー』を読み、多大な影響を受けた時期でもあった。私が大学進学をあきらめて、独学を決意したのは、このコリン・ウィルソンの影響であった。

 これはまるっきりの余談だが、宗教家・高橋信次の話を聞きに浅草まで出かけていって、古代語を話し、病気直しをするその光景に衝撃を受けたのも1970年代初めの頃のこと。今にして思えば、高橋信次は、「もう一人の自分」についても語っていたのである。

 小学生の高学年の頃からゲーテを好きになっていた私にしてみれば、シュタイナー思想との出会いは、今では必然だったと思っている。
 その後、シュタイナーを介してゲーテ自然科学に興味を覚え、一時期だが、慶応大学で開催されていた「ゲーテ自然科学の集い」に参加させて頂くほどであった。
 三島由紀夫の愛読者でもあった私は、三島がその晩年の4、5年の間に学んでいたという陽明学に興味を持ち始めていたこともあり、シュタイナー思想の考究に7割、陽明学に2、3割といった感じで、独学に努めていたのだが、まるで無関係に思われていたこの両者が、いつしかクロスオーバーすることになるとは、夢にも思ったことさえなかったのである。

▼ルドルフ・シュタイナー(1861〜1925)

ルドルフシュタイナー

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akio_hayashida at 18:01│Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 陽明学 | 人智学

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