2015年01月

2015年01月24日

●札幌市立M中学校で、M先生と女生徒Nが中心となった酷いいじめが続いている

◆「みんなは私のことがきらいでしたか? きもちわるかったですか? 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。なので私は自殺を考えました」

 朝ドラの「マッサン」のおかげで、北海道のイメージが大幅アップしてきていると思うのだが、その一方で、北海道の左傾化し過ぎによるJR北海道や公立学校のいじめ問題は、依然無視され続けているようだ。
 JR北海道と言えば、組合が強く、その為かトラブル続きで知られている。2011年9月、特急列車の脱線炎上事故の再発防止に努めていた中島尚俊社長が失踪、石狩湾で亡くなっていた。2014年1月には、同社相談役の坂本眞一氏の遺体が石狩湾で発見された。坂本氏は中島氏の2代前の社長を務めていたという。
 いずれも自殺だというが、JR北海道のトップが二人も相次いで亡くなるというのは、尋常ではない。

 いじめ問題では、北海道滝川市の市立江部乙小学校の教室で2005年9月、6年生の女児(当時12歳)が遺書を残し首をつり、2006年1月死亡した。
 遺書には
「みんなは私のことがきらいでしたか? きもちわるかったですか? 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。なので私は自殺を考えました」
 などと、同級生から女児へのいじめを受けていたとみられる表現があり、遺族は
「自殺はいじめによることが明らか」
 と訴えているというのに、同市教育委員会は、当時
「原因は特定できない」
 と反論していた。
 同市教育委員会の態度は、いじめを受けている生徒たちにとって、教育委員会がいかにあてにならない存在かという事を物語って余りあると言っていい。

◆「ばい菌扱いもまだあり、やめてくれた子もいれば、また始める子もいます」

 札幌市立某中学校で進行中のいじめについて、
「●北海道の某市立中学校で、酷いいじめが進行中! 」(10月30日)
「●札幌市立某中学校で、加害者生徒と親しい某教師、いじめを傍観」(12月23日)
 の記事を書かせて頂いたが、未だ状況になんの変化もみられないし、それどころかエスカレートしているようなので、今回から某中学校ではなく、
「札幌市立M中学校」
 と記させて頂く。

 以下は、昨年11月に頂いたコメントである。
 このコメントから、被害生徒の椅子が壊され、汚されていること、合唱の授業で罵声が浴びせかけられていることが分かる。
ちなみに、M先生とは、「いじめられた子が強くなれば解決する」と公言してはばからず、いじめを傍観するどころか加害生徒母子を支持している方で、そのM中学校では●●教室の顧問で、かつ北海道●●教育連盟事務局●●の地位にいる方である。

『実は、11月に娘が
「学校の●●室の椅子の事で困っている、M先生に言えない」
 と言うので、私が直接学校に行って確認した所、椅子の足が破損、醤油のような液体が飛び散った染みがあり、ひどい状態でした。
 偶然かもしれませんが、各生徒の席は決まっておりM先生は娘の席を知っておりました。
 11月、合唱発表会がありました。
 娘は歌が好きで一生懸命取り組んでおりました。それがNさんにとって迷惑だったらしく、Nさんは娘に
「声が大きすぎる、みんな迷惑だ、声さげて、声の大きさ考えて」
 娘は、
「合唱だから大きい声で歌っていいじゃない」
 Nさん
「合唱の漢字はそう書かない」
 と言い、仲間の子に同調をもとめ
「うざい」
 などの言葉が飛び交い、娘は歌えなくなりましだ。
 ですが、音楽の先生は娘の歌声を評価して下さり・・・。
 また、娘が歌わないと、まるでお葬式になっていて、他の子もそれに気づいて、
「おもいっきり歌って」
 と言ってもらえるようになり、当日は娘も歌えるようになりました。
 終わった後、Nさんは娘を睨みつけたそうです。
 Nさんは、娘の友達に、娘と話をしないよう促したり、無視を続けている状況でした。
 合唱の練習中、NさんはしょっちゅうM先生の所に行くと言っては抜け出していたそうです』


 12月に頂いたコメントである。
 以下には、ばい菌扱いをされているとある。わざとぶつかってきては、ぶつけられたと言ったり、触れると大声を出して嫌われたり、「体当たりしまくっている」などと嘘の情報を流されたりしている。

『ばい菌扱いもまだあり、やめてくれた子もいれば、また始める子もいます。
 12月10日、 3階の階段前でのこと。
 Nさん、H・Mさんが一緒にいて、Hさんに娘の腕がかすり、Hさん
「痛い、まだぶつけられた」
 と言い、娘は
「わざとではない」
 と、あやまりましたが、Nさんは
「ぜったいわざとだ」
 と言いました。
 教室で、Kさんがラーメンの汁をこぼしたため、娘が手伝おうとしたら、クラスのほぼ全員から
「邪魔、どけ」
 と言われ、娘が手をどける時、Kさんの机に手を置いてしまい、Kさんに
「嫌―っ」
 と大声で言われました。
 12月の体育の時間に、他クラスの娘の友達から
「あなたが、みんなに体当たりしまくってると、Nさん、H・Mさんが皆に言いふらしている」
 と教えてくれました。
 娘に確認してましたが、誰にも体当たりなどしていません。
 Nさんは娘と親しい生徒に、娘の悪口を言っています。
 また、娘の友達で他クラスのAさんは吹奏楽部内で、Aさんの陰口、悪口を言われて、参加できなくなったのだそうです。
 現在のクラスの雰囲気がまた息苦しくなっています。
 学校側は、対策をやめてしまったのでしょうか、疑問です』



にほんブログ村


人気ブログランキングへ

記事を気に入った方、
上記のいずれかの応援クリックをお願いします。


akio_hayashida at 16:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 教育 | いじめ

2015年01月10日

●「大事と小事はもともと一つ、大事小事の区別なし」

◆「兆し(予兆)」に気づくことの大切さを思い知らされた

 1月10日のこと。
 なんと、今朝も猿の夢を見ていた。
 正確には、果物と猿の夢である。
 何故?
 猿の夢にどんな意味があるの?
 そんな話をしていたら、近江の白浜荘の前川社長から、30キロものお米(コシヒカリ)が送られてきた。
「どりーむ、大黒天米」
 と銘打ってあった。
 正月早々、大黒天とは縁起がいい、などと思っていたら、妻が
「だから言ったじゃない。私、正月にお米がたくさんある夢を見たでしょう」
 と言ってきたので、私は、応えて言った
「じゃ、もうすぐしたら、何処からか猿が送ってくるの(^o^)/」
 妻
「・・・」
 (*^-^*)


 台所で、食器などの洗い物をしていた。
 手狭な台所なので、誰かがよけたのだろう、足元の床に昨日使った鉄製のフライパンが置いてあった。
 フライパンは洗っていないようで、油の残りが底にたまっていた。
「あ、この上に物が落ちたら油で汚れてしまうなぁ」
 と一瞬、そんな思いがよぎったのだが、
「気をつけていれば大丈夫だ」
 と最初の思いを振り切って、洗い物を続けていたら、手元近くにあった大福の包み紙が、パラリと落ちて行ったかと思うと、フワリフワリと漂いながら、なんと、フライパンの底にたまった油の上に落ちてしまったではないか。
「え、何でこの上に落ちるの」
 と思ったのだが、
「捨てる紙で良かった」
 そう思いながら、拾ってゴミ箱へ捨てたのである。

 ところがである。
 そのすぐ後に、散らかった数枚の布巾を片付けようと手に取った時に、数枚の内の1枚が手をすり抜けて、床をめがけてヒラリと落ちて行ったのである。
 で、あろうことか、フライパンの中に落ちてしまったのだ。
「え〜っ、何でこうなるの💢」
 と思って、急いで拾い上げたのだが、時すでに遅し、油まみれになっていた。
「慎重さに欠けていた私のせいだ、仕方がない」
 そう言い聞かせて、まずフライパンを綺麗にして、次に、油で汚れた布巾に台所用洗剤をつけて綺麗に洗って干したのだが、最初に、汚れたフライパンの存在に気づいて、
「あ、この上に物が落ちたら油で汚れてしまうなぁ」
 と思ったその時に、フライパンを洗ってあるべきところに戻してさえいれば、その後の手間は生じなかったのだし、次に、大福の包装紙が落ちて行った時にも、それが次に起きる事の
兆し(予兆)」
 だということに気づくべきだったのである。
 何度か「兆し(予兆)」が、つまり良知(内なる声)からの指示があったにもかかわらずそれを無視してしまったからこそ、布巾を油で汚して洗い直すという余計な仕事が増えてしまったのである。
 今朝は、つくづく、未だ「良知を致す」ことのできない未熟さを思い知らされてしまったものだ。
 多くの人は、上記のようなことが自分の身の上に降りかかっても、些細なことだと気にもしないのであろうが、もちろん、かつての私も同様であった、陽明学を学ぶ様になってからというもの、「兆し(予兆)」に気づくことの大切さを思い知らされているのである。

 世間では、大事と小事とを区別するのだろうが、陽明学では、
「大事と小事はもともと一つ、大事小事の区別なし」
なのである。
 それが大事であれ小事であれ、誠実に対処すればいいだけの話なのだ。区別をするから、大事を優先し、小事を疎(おろそ)かにしてしまうのである。
 小事の積み重ねが大事になるのだから、小事と言えども、おろそかにはできるはずもないのだ。




にほんブログ村


人気ブログランキングへ


記事を気に入った方、
上記のいずれかの応援クリックをお願いします。


akio_hayashida at 17:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 陽明学 | 教育

2015年01月04日

●あけましておめでとうございます。/ゲーテ『ファウスト』と私


◆『ファウスト』の醍醐味は、ゲーテ最晩年の思想を有する第2部にある

 あけましておめでとうございます。

 4日(日)である。
 2月に、久々に開催される予定の「越川心学講」で、ルドルフ・シュタイナーの思想を分かり易く話して欲しいとの越川先生からのご要望もあって、シュタイナー理解を進めるべく、久々に手にした本がある。
 ゲーテの代表作
『ファウスト』
 である。
 私が愛読してきた本とは違うもので、実は、娘の為に昨年入手した本で、池内紀・訳で集英社文庫の『ファウスト』である。
 口語訳なので、格調高いかつての翻訳本とは違って、格段に読み易くなっている。
 それにしても、『ファウスト』をじっくり読むのは、何年ぶり、いや何十年ぶりのことといっていい。
 私が、『ファウスト』を始めて一読したのは、小学校の高学年の時であった。第1部が印象的だったのは、言うまでもない。
 以来、私はゲーテの愛読者となった。

 池内紀・訳『ファウスト』のファウストの言葉に、こうあった。

「私のなかには二つの魂がある。一つがもう一つと手をたずさえて、ついぞ離れようとはしないのだ。一つは欲望をむき出しにして、この世にしがみついている。もう一つは、高く地上から飛翔して、天界のものたちに憧れる」(「町の門前」)

 
 私達の心には、ことあるごとに葛藤が生じている。
 そのことに、実はなんの疑問も持たないで生きている、いや、つい最近まで生きてきたのが、今の私には不思議なのである。
 私だけではなく、誰もがそうなのだから、だから、当たり前のこととして、疑問を持つことが無かったのであろう。
 それにしても、例えば、甘くて美味しいお菓子が目に前にあるとして、食べたい自分がいる一方で、
「食べたら虫歯になるぞ」
「全部食べると太るから、少しにしておきな」
 などという思いが生じてきて、もう一方の
「全部食べてしまえば」
 と言う自分との葛藤が始まることになる。
 ということは、自分が二人いることになる。
 胸中に自分が二人?果たしてそうであろうか。
 話を続ける。
 俗っぽく言えば、
「地上的、動物的な私」
 と、もう一方の
「冷静かつ理性的な私」
 という事になる。
 ゲーテは、それを
『「欲望をむき出しにして、この世にしがみついている」私』
 と
『「高く地上から飛翔して、天界のものたちに憧れる」私』
 と言うのである。
 キリスト教的な表現で、
『「肉体」的な私』
 と
『「精神」的な私』
 と言い換えてもいいのかもしれない。
 そして、いつしか、感情的な肉欲は悪、理性的な精神は善だという評価が一般的となったが、果たしてそうであろうか。

 キリスト教では、人間の本質ともいえる精神が、肉体という器に受肉しているのが、今の人間の姿だというのである。
 人間は、犬や猫同様、生まれて死んでいく動物だとも言えるし、人のために自分の命を犠牲にすることもあるので、動物以上の神々しい存在だともいえる。
 上記『ファウスト』第一部では、「私の中に、二つの魂がある」とゲーテは語っているが、いきなり結論めいたことを言わせて頂くと、R・シュタイナーは、以下私の意訳だが、
「天上的な力と地上的な力(作用)という両極の間にバランスをとって生きることを余儀なくされているのが、地球人類だ」
 と述べているのである。
 この話の続きは、また次回。

 今後、『ファウスト』を読了したとして、果たして私のシュタイナー理解に新たに資するものがあるのだろうか、少々楽しみなところである。
 と言うのも、ゲーテは死の直前まで『ファウスト』第2部の完成に尽力し、完成の翌1832年3月22日にその多産な生涯を終えたからである。
 つまり、『ファウスト』の醍醐味は、ゲーテ最晩年の思想を有する第2部にあるからだ。

◆左脇腹の肋骨の下辺りに、これまでにない酷い激痛に襲われた。

 昨日3(土)日は、私と妻と子供たちの4人で、午後1時過ぎに越川禮子先生宅にご挨拶に伺わせて頂いた。
 広島にお住いの御長男・康雄さんの奥様・道江さんの手作りのお節料理をご馳走になり、その上子供たちは、先生や先生のお孫さんからもお年玉を頂戴させて頂いて、大喜びだった。
 先生と妻は、久々の談笑。
 午後3時頃に顔を見せに来てくれた先生のお孫さんの今堀健二さんとも小1時間ほど四方山話に花を咲かせて、先生がお疲れにならないうちにと、4時過ぎにはお暇させて頂いた。
 
 今日3日は、寒さも影響しているのだろう、左脇腹の肋骨の下辺りに、これまでにない酷い激痛に襲われた。心臓から来る心筋梗塞の痛みである。
 これでつくづく思い知ったことは、これほどの激痛では、自力で動いて薬を取りなど行けないという事であった。心臓に病をお持ちの方々がピル・ケースを首にかけるのは、そのためなのである。
 と言うわけで、急いでピル・ケースを注文した。
 
 ともあれ、原稿締め切りは後数日と迫っている。
中江藤樹の評伝の脱稿へ向けて邁進中。
 このストレスも、心臓への負担になっているのだろうか(;^ω^)。



にほんブログ村


人気ブログランキングへ


記事を気に入った方、
上記のいずれかの応援クリックをお願いします。


akio_hayashida at 23:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加
TagCloud
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: