2008年11月28日

●続「中江藤樹生誕の地への旅」

思ってもみない腰痛に見舞われている 

 「中江藤樹生誕の地への旅」の続きである。
 その前に、実を言うと、現在、腰痛で苦しんでいる(苦笑)。
 激痛というわけではないので、まだ助かっている。
 以前、寝像の悪い息子を移動してあげようと思い抱き上げたものの、そのあまりの重さに、息子の上に倒れかかってしまい、とっさに右腕を床について手首をねん挫したことがあったが、その時の痛みはまだ残っていて、全快はしていないものの、日々痛みが薄らいでいるのはわかるので、今回も、時間の問題だとは思っている。
 というのも、少々言いにくいのだが、今回滋賀県に旅をした折の二日目、みんなで長浜城に行ったのだが、仲間の橘氏の手荷物が大荷物だったので、ショルダーバックを私が持ってあげたのである。
 その時、
「結構、重いな」
 とは思ったのだが・・・、当時開催中の戦国武将・浅井長政に関する展覧会を見て回るので、長時間となってしまったのだ。
 城の階段を上り下りして、そのまま長浜駅まで肩に下げて持って行ったまではいいのだが、その後、じわじわとダメージが現れて、とうとう腰痛となってしまったというわけなのである(苦笑)。
 自分でも、こうなるとは夢にも負わなかった。
 年齢もあるのだろうが、座ってキーボードを叩くか本を読むという仕事がら、筋力が落ちていたのであろう。
 というわけで、特に、朝起きてからはしばらく辛い。
 後は、次の動作に移るときに、痛みが走る。
 ただし、お風呂上がりは、温まったからだろう、痛みがずいぶんと緩和される。

「良知館」で西晋一郎『中江藤樹の学徳』を購入

 さて、安曇川に到着して、みんなで中江藤樹に関する施設やゆかりの地を訪ねたのである。ありがたいことに、送り迎えは、白浜荘のマイクロバスである。
 私は、かつてこの地を数度訪れている。
 見学したのは、中江藤樹の自宅跡の「藤樹書院」、そのすぐ隣の「良知館」、藤樹の墓がある「玉林寺」、「藤樹神社」「中江藤樹記念館」「陽明園」である。
最後は、数年前にできたという「道の駅」と命名された物産館に足を運んだ。
藤樹書院では、枯れてしまったという藤の木の切り株を目にしたが、その周辺からまた新たな藤のツルが這い出ていたので、安心した。
 で、ちょっと驚いたのは隣の「良知館」でのこと。ここは約5年前にできたという。私は、今回初めて訪れた。
 数日前に、ネットに出ていた西晋一郎『藤樹学講和』の復刻版が、それも2000円で販売されていたのだ。
 ネットからプリントアウトして、ポケットファイルに入れる作業は、結構大変だったのだ。
「うーん。まいったなあ」
 と唸りながらも、西晋一郎『中江藤樹の学徳』を購入した(笑)。
 そのほか、「中江藤樹生誕400年祭東京大会シンポジウム、良知のこころに生きる」(中江藤樹生誕400年祭実行委員会)、鍵山秀三郎「心あるところに宝あり」(同上)という小冊子を求めた。
 藤樹記念館では、財団法人藤樹書院の常務理事・山本義雄氏に、15分ほどだったろうか、中江藤樹の生涯についての話を拝聴させて頂くことができた。
 そして、宿泊先の白浜荘の別邸「加茂川」に戻り、大急ぎでひと風呂浴びて、2階のラウンジで、私が中江藤樹の生涯について約90分ほど講義させていただく。
 これまで、いろいろな資料に目を通しながら練り上げた話なので、どうやら喜んでもらえたようだ。

佐賀の山本桂子さん、『翁問答』を読んで感動、それで今回参加されたのだそうだ

 そして、いよいよお待ちかねの夕食兼懇親会である。
 前川ご夫妻お心づくしの、カモ鍋であった。
 とてもきれいな肉であった。
 カモといえば、白浜荘のすぐ目の前の琵琶湖畔上に泳いでいる。
「すぐ目の前から調達できますね」
 と言ったら、前川社長、
「いや、湖にいるカモは、とってはいけないんです」
 と笑いながらおっしゃった。
「えっ?」
 と言うと、前川社長はこう説明してくださった。
「琵琶湖では猟が禁じられているので、カモがねぐらの沼に戻ったところを捕るんです。暗くなってからですから、結構たいへんなんです。カモは、そのあたりのことをよく分かっているから、昼間は、琵琶湖に出てくるようですよ(笑)」
 地元の日本酒もとてもおいしく、気心の知れた仲間との会話も実に楽しかった。
 佐賀から参加された山本桂子さん、なんとたまたま知り合いの推薦で中江藤樹の『翁問答』を読んだのだそうで、感動して、それで今回参加することにしたのだという。
 これには、私はもちろん、一同おおいに驚いた。

かつて中江藤樹も訪れた「神の棲む島」を散策

 そして、翌朝、大阪の親せきを訪ねるという妻、そして山本さんと別れて、子供たちと皆で琵琶湖にある竹生島(ちくぶしま)へ向かった。船旅は、約30分である。
 船内で上映された番組で、竹生島と北岸にある葛籠尾崎との間に、湖底遺跡が見つかったことを知った。水深70メートルの湖底から、縄文、弥生期、中世の土器が多数見つかっているという。
 ここへは、かつて中江藤樹(32歳)も弟子を伴って参詣している。
「藤樹先生年譜」にこうある。

「夏、諸生とともに竹生嶋に遊ぶ。興〔に〕乗じて詩を賦(ふ)す」

 海岸から約6キロ沖合にあって、周囲約2キロというこの小さな島には、「都久夫須麻(つくぶすま)神社」(国宝)と真言宗の厳金山(がんこんざん)「宝厳寺(ほうごんじ)」がある。宝厳寺の唐門(からもん)は国宝である。
 都久夫須麻(つくぶすま)というのは、竹生島の古名だという。
 古来より、
「神の棲む島」
 といわれ、江戸期は、神仏習合だったために、神仏一体の聖地として信仰されてきたという。
 そのためか、能や平曲(平家琵琶)、邦楽の楽曲でもとりあげられてきている。
 龍明は、頂上にある宝厳寺本堂までの石段が、全部で165段あると聞かされて、一段づつ数えて登っていた(笑)。
 ここで記念にと、小石を2個拾った。 
 帰路は、長浜港へ。
 長浜は、豊臣秀吉が城下町として整備した城下町として知られている。
 「長浜浪漫ビール」というおしゃれなレストランでビールや日本酒を飲み、食事を済ませる。
 そして、既に触れたように長浜城歴史博物館で展覧会を見、長浜駅で皆と別れ、私と子供たち、中村さんの4人で列車に乗って安曇川へ戻ったのである。
 で、その夕方は、妻の帰りを待ちながら、中村さんの部屋で一献傾け、京都から駆け付けた中村さんのお嬢さんを交えて、子どもたちと一緒に食事をした。


akio_hayashida at 18:50│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 陽明学 

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